神秘主義的映画のスレ

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43蓮實重彦
あるいはジョナス・メカスによるベルイマン映画の時代錯誤ぶりを裁断する鋭い
言葉遣いをそっくり『カッコーの巣の上で』に投げかけてみるのも面白いかと思う。
ミロシュ・フォアマンではなくミロス・フォアマンの映画の「人物は、強引な
劇的構成のために、自分勝手な動きをすることはできない」。彼らは、「芝居がかった
ドラマティックなクライマックスに動かされ」、「すっかり型にはまった十九世紀的
ヒーロー」であるにすぎない。映画にあって「重要なのは誰が誰を殺したかではないのだ」。
「状況あるいは構成がひそかに、あるいは明らかに象徴するものを通して」しか語りえない
思考は、「人間的なものと美しいものの屠殺者」たちに奉仕するほかはない。

だが、ヒチコックの真の独創性は、ともすれば文学的環境に接近しがちなその物語的風土を、
あたうる限り非=文学的な世界におしとどめ、むしろ通俗的とさえよべる見世物的な装置の
開発によって、下意識的な葛藤の映像化を避け続けた点に存している。たとえば
イングマール・ベルイマンであれば崩壊や失墜を意識の問題として主題化し、墜落や救済と
いった退屈な物語を生真面目に語りかねないところで、ヒチコックは、軽業師や手品師めいた
仕草を徹底化させながら、あくまで存在と事物の壮大な饗宴として演じたてているのである。