神秘主義的映画のスレ

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161たぶん、悪魔が
無神論者の方が神の存在についてより思索しているという典型が、ブニュエルのような
に思うのですが。だから、自分にとってのブニュエルの魅力というのは、徹底した批判
精神=根源的な明晰さへの志向です。ただ、明晰さというとのっぺらぼうに聞こえてしまう
かもしれませんが、そういう意図ではありません。ただ、「権威としての教会やキリスト教
的モラル」への反発だけではなく、超越的なものへの志向はまったくないと思います。
ただ、表現されたものに神秘性ありとされるのなら、それがブニュエルの多用な魅力の
一面かとも思いますが。

ロッセリーニの「神の道化師」を見た方の意見をぜひきかせて欲しいのですが。というのは、
イタリア映画に「背後に大きな力を感じさせる映画」ってあれば、ひょっとしてこれくらいかな
と、何の根拠も無く期待し始めているからです。3さんの言っている「奇跡の丘」だけでなく
私は「テオレマ」もまったくだめです。監督の名前を思い出せなのですが、チベットの聖者を描いた
「ミラレパ」とかいう映画は、さらにだめでした。ただ、このスレを読んでいて、あれだけ
映画を破壊してきたロッセリーニなら、自分が見たとき「ネオ・リアリスモ」のフィルターで
見ていただけで、きちんと見ることができなかったのではという気持ちがだんだん大きくなって
います。ほかに「神秘性」(ううん、やっぱりこの言葉抵抗あり。「背後に大きな力」)
を感じさせるイタリア映画ってありますか?

ブレッソンについては整理して書きますと言ってしまいましたが、ムラムラと気持ちがおきて
きたので、2点だけ。ただ、現在自分のブラウザーが全レスを表示してくれないのと、過去ログを
どうにも見つけられないので既出だったら申し訳ない。
私にとってのブレッソンの魅力は、まずその徹底した孤独の描きようです。「頑固爺」と
表現されていた方がみえましたが、本当にそうです。たとえば、「ムシェット」の徹底した
他者からの距離と最後の何度も自殺しつづけようとする場面。「厳し過ぎる!」とうちのめ
されてしまいました。そして、最後に鳴り響くモンテヴェルディ。

もう1点。よくブレッソンは、抑制された映像の作家といわれますが、「ラルジャン」などは、
ある意味、映像さえも切り詰め「音」になったかという印象を持ちました。あの映画には、
多くの暴力が描かれていますが、犯行場面だけでなく、ハシバミの実をつぶす音、唐突に演奏されるバッハなど、
音が衝撃的でした。ここまできたか確信犯!

仕事中にあわただしく書き込んだので、意味不鮮明な表現があれば、申し訳ない。