◆◆蓮実重彦に酔いしれたあの頃◆◆

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114名無シネマさん
意味について語らないってことは恐ろしく辛いことなわけです。意味を語らないのは意味が見えないからでも、意味がそこにこめられてないからでもなくて、まさに意味ばかりが氾濫しているファシズムの中で、その意味の氾濫が人目から隠しているものを、意味というかたちではなく、ひとつの言葉の運動として積極的に産み出そうと思って、敢えて、ほとんどアクロバットのような姿勢で、意味を語らずにいたまでです。つまり、じっと耐えていたわけですけど、そのことに政治的な意味があると思って、一種の政治的選択をしただけだ。その政治的選択そのものの意味が見えず、ただ意味が無ければいいんだ、意味に到達しなければすべて革新的なことだと思っている人たちがいるとしたら、そうした新しいファシズムをぼくなり、われわれなりの仕事がつき崩していくだろうし、意味がないはずのところに群れ集まってしまった意味の圧政に対して、意味の無さということを戦略的に措定したということがあるだけなんです。それがもし、ひとつの流行になったり、あるいは本当に意味の無いところに意味の無いことを見てるんだったらば......(笑)。