アレクサンダー・ソクーロフ

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1ちんかす
アレクサンダー・ソクーロフ好き集まれぃ。
2奈々氏:2000/07/16(日) 20:28
あの〜,ファンなんですけどやらしてくれませんか?
3名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 21:40
ソクーロフを語るか(笑)
う〜ん・・・・
同時期に国際映画祭で評価された人物としては侯孝賢がいますね。
タルコフスキー的とか、暗いとか(笑)、
色々言われていますが良い映画監督だと思います。
軟調の、赤を際立たせた画面が印象的だね。
でもさ、ソクーロフって日本では少し誉められ過ぎなんじゃあないかなあ?
蓮實がレン・フィルム映画祭やった為に例の如く過剰に煽ったから、
またそれを読みきれず惑わされちゃった人が多過ぎるような気がする。
素晴らしいけれど、ちょっと誉め過ぎだというのが俺の意見。
観念の映画であり、あまり動的ではないね。
エリツィン撮ったりしているけれど、
ジャーナリスティックというよりは哲学者的。
でも、怖そうなおっさんだった(笑)
酒場で会ったからかもしれないけれど(←新宿で偶然会った)
あんなおっさんが、あんな映画撮っちゃうんだよなあ。
すげぇとしか言えない。
はじめて観た時はマジ震え出しそうだった。
4名無しさん@1周年:2000/07/17(月) 00:38
アレクサンドルだよなー
5>3:2000/07/17(月) 03:29
誉められ過ぎって感じは確かにするなあ。
タルコフスキーやパラジャーノフには一枚劣ると思うな。
個人的に「日曜は静かに発酵し」はすごく好きな映画なんだが。
6ちんかす:2000/07/17(月) 11:24
>3
観念的といえば、タルコフスキーの方がその傾向は強いと思うよ。
俺は,彼の映画は観念の外に出ようとする意志が見受けられるように思う。

>5
「日曜は静かに発酵し」→「日陽はしづかに発酵し…」ですね。
どう言う点で1枚劣るのかがおいらの疑問。

75ではない:2000/07/17(月) 12:45
>6
パラジャーノフに関して言えば、ソクーロフよりはるかに映画を信じている。
表現したい何かがあり、それを映画にしたって感じがソクーロフにはあるけど、
パラジャーノフにはソクーロフよりはカメラを通して見えた世界が単純に面白い!って感じて、
それがそのまま映画になっちゃったってな風な感じになってない?
ソクーロフにも動物的な匂いがあるけれど、
パラジャーノフの方は動物ってよりは野生の獣に近い。
インテリ臭くないし。
それがあの徹底してリアリズムを排した映画であるにもかかわらず、
映画にリアルさを与え、ソクーロフよりも良いと感じるのだと思う。
ソクーロフも生々しいのだけれど、
パラジャーノフに比べると物足りないかな。
8:2000/07/17(月) 12:51
2行目の表現がちょっとおかしい。
「表現したい何かがあり、それを映画にしたって感じがソクーロフにはある」は、
「表現したい何かがあり、それを映画という媒体を使って表現しちゃったって感じがソクーロフにはある」
に変えます。
だから俺の意見としては別にソクーロフは映画じゃなくてもいいんじゃないかってこと。
パラジャーノフよりはソクーロフにそれを感じます。
でも、ソクーロフは映画の人でしょう。
動物臭いし。
いい映画撮る。
9ちんかすさん:2000/07/18(火) 00:03
>だから俺の意見としては別にソクーロフは映画じゃなくてもいいんじゃないかってこと。
>パラジャーノフよりはソクーロフにそれを感じます。
>でも、ソクーロフは映画の人でしょう。

ソク−ロフは映画じゃなくてもいいといっておきながら、映画の人と言い直すのは
些か矛盾しているように思うのですが。
つまり、イディオロジーが先行し勝ちで映画そのものに対する畏敬が抜けている
という読みですね。
でも、まあパラジャーノフにしたって、結構イディオロジーが前面に出ていて、
だからこそ、あれほどの検閲を受けなくてはならなかった訳でしょ?
でも、なるほど、いいたいことはわかる。
どっちかといったら、ソクーロフの方が神話的な作用が強いのかもね。

10名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 08:05
タルコフスキーは蓮実学長に言わせると「映画じゃない何かを信じてる」。
学長はそれがお不満らしいが、僕は逆にそれが徹底してるのがタルコフスキー
の凄さのように思うな。
11ちんかす

ソク−ロフが映画に拘っていないとは思わないな。
蓮実のそういった意図がいまいち,解せない。(誰か明確な論旨で教えてくれ)
ただ蓮実が好んで使う、「映画を信じなくてはならない、我々が映画に感動するのではなく
映画が我々を感動させるのだ」とかいう意見は問題にすべきだと思うけどね。