【映画評論家】町山智浩【ウェイン町山】Part43

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105名無シネマさん
宮崎駿 おやじのせなか 「朝日新聞」1995年9月4日

戦争に行きたくないと公言し、しかも、戦争で儲けた男。矛盾が平気で同居している。
ところが親父は本気で申し出た。「妻と赤ん坊がいるので、戦地に行くわけにはいきません」と。
当時としては考えられない。かわいがってくれた軍曹から「何という不忠者」と二時間泣かれたそうです。
結局内地に残された。それで僕が生まれたというわけで、その点は感謝しています。

太平洋戦争中は、栃木県で「宮崎飛行機」の工場長をして、軍用機の部品をつくっていた。
未熟練工もかき集めて大量生産し、不良品もいっぱいあった。
でも、関係者に金をつかませれば通った、と話していた。

軍需産業の一翼を担ったことについても、不良品をつくったことについても、
戦後になって罪の意識は何もなかったですね。
要するに、戦争なんて、バカがやることだ。でもどうせやるなら金儲けしちゃえ、と。
大義名分とか、国家の運命とかにはまったく関心がない。
一家がどう生きていくか、それだけだった。

若い頃から、おやじを反面教師だと思っていました。
でもどうも僕は似ていますね。おやじのアナーキーな気分や、矛盾を抱えて平気なところなんか、受け継いでいる
106名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:15:23.89 ID:5Yk0rwzj
>>105
これと同じ文章が『出発点』に掲載されている。

このコピペから割愛されている部分を補足すると

・父親は軟派だった
・高校生で煙草を吸い芸者を買った
・駿が高校生の頃にそれらを薦めた
・いろいろな武勇伝(浮気)があった
・七十を過ぎてもキャバレーに行っていた
・おやじとまじめに事を論じたことがなかった

つまり駿少年は、実の父親のことがあまり好きではなかった
と思われる。
107名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:20:07.97 ID:5Yk0rwzj
たまむすび『風立ちぬ』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21639181

町山は最後の部分で
「結核でなくなったというのは宮崎さんのおかあさんがそう」
「宮崎さんのお父さんも航空技術者」
「お父さんとお母さんの話でもある」
と語っている。
108名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:23:17.31 ID:5Yk0rwzj
まず、お母さんは結核ではなくなっていない。
脊椎カリエスで六年間寝たきりだったが、治癒している。

また、お父さんは航空技術者ではなく、軍用機の部品工場の工場長だった。
109名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:24:33.57 ID:5Yk0rwzj
>>105
>未熟練工もかき集めて大量生産し、不良品もいっぱいあった。
>でも、関係者に金をつかませれば通った、と話していた。

こういう記述をみれば、「風立ちぬ」はお父さんを描いたものではないことは明らか。
110名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:30:22.07 ID:5Yk0rwzj
ものつくりや技術者に対してなんのリスペクトも持たなかった父親に対して
「こんな大人になりたくない」と求道的なクリエイターの道を進んだ結果が
宮崎駿の人生のはず
111名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:32:42.23 ID:5Yk0rwzj
宮崎アニメにおいて実の父親のようなキャラクターが肯定的に描かれたことはないはず
112名無シネマさん:2013/09/08(日) 01:33:52.06 ID:5Yk0rwzj
ゆえに町山による「お父さんとお母さんの話」という解説は
宮崎駿論としては決定的な間違いだと言えよう