「ザ・コーヴ」に対抗する映画を考える

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>>68
自由主義にはリスクが不可欠なんだよね。
勘違いしている人が沢山いて、「自由主義のような楽チンな思想の上にアグラをかいていてはならない」
などとホザく馬鹿もいる。
(‘自由’という言葉の響きだけから、短絡的にそう思い込んでる馬鹿)
こういう馬鹿どもが、天下をとっているのが北朝鮮であり、かつてのソ連であり、そして昭和20年までの日本であったわけだ。

ところが、実際はまったく逆で、社会主義、共産主義の方が楽チンな思想なんだよ。
左翼思想においては、集団指導体制の名の下に、あらかじめ決められたルールに沿って行動していくことになるから、
対決は起こり得ない。
しかし、自由主義においては、各々の‘自由’どうしがしょっちゅうカチ合って対決を迫られことになる。
当然、優位に立つ者と、不利な立場に追い込まれる者に二分化されてしまう。
不利な立場に追い込まれた者が、リスクを追わされるわけだ。

あなたは「諦めるしかない」と言っているが、そりゃあ、あなたは(俺も)簡単にあきらめることができるだろう。
あなたも俺も、太地町の漁師ではない。
所詮は他人事だ。リスクを背負わされているのは、太地町の人々だ。
これは可哀想だ。

自由主義にはリスクが不可欠だとは言っても、何の罪もない人が、それを負わされる謂われはない。
だから何とかしたいとは思うんだけど、いまいちばん声高に抗議の声を挙げているのが、
当の太地町の人々ではなく、自由主義を粉砕しようとしている無自覚サヨク(自分では自分のことを保守だと思っている馬鹿)
なものだから、手の出しようがない。
困った事態になったものだ。