■韓国映画総合□15■

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12名無シネマさん
>>3
>信仰、罪と罰、癒し、許し、母性・・・大変重いテーマを
そういうテーマは終始全く扱われていないと思うよ。

>なぜミリャンなのかわからなかった
シネ(チョン・ドヨン)は、

-自分では、昔はピアノがとても上手だったというけれど賞状一枚持っていない。
-専門家でもないのに、初対面の洋服屋にディスプレーの変更を提案する。
-浮気者だったらしい死んだ夫のことを、そんな人ではなかったと弁護する。
-裕福でもないのに投資する土地に心当たりがないか会う人ごとに言ってまわる。

こういう人。それなら彼女がミリャンを選んだ理由は明白。すなわち、自分のことを
知る人のいない土地で亡くなった夫を思い続ける良き未亡人を演じたいということ。

彼女の人生は、思うようにいかないことばかりだった。それに対して彼女は、
事実を少しだけごまかすことによって心の均衡を取ってきた。
だから、善良だが平凡なジョンチャン(ソン・ガンホ)には目もくれないし、
鑑別所で習っただけなのにベテラン美容師よりセンスが良いという犯人の娘に
髪を最後までカットさせることが我慢ならなかった。
シネには、彼女の不幸を埋め合わせる何か「特別」なことが必要だったわけ。
したがって、彼女の信仰も「特別」なものでなければならなかった。
それが犯人との対面を彼女に決意させた理由だったのだろう。

シネは薬局のおばさんに日差しは日差しだといいながら、ジョンチャンに
ミリャン(密陽)という地名が素敵だと、先の言葉とは矛盾したことを言っている。
彼女がミリャンに向かったのは、先に指摘した理由とともに、「ただの日差し」
ではない特別の光を意味する名を持つ土地にソウルでは得られなかった幸せを
夢見たということもあるのだろう。それが、このタイトルが選ばれた理由だろうね。
13名無シネマさん:2010/04/10(土) 02:00:57 ID:lhhQZeW+
少し補足。

退院するシネに会いに来た弟にミリャンはどんなところか尋ねらたジョンチャンが
シネにも同じことを聞かれたと笑いながら他所と同じですと返答するところがある。
並みの映画だったらこの問いと返答をラスト・シーンに持ってくるところだと思われるけれど、
そうせずに、美容室・洋服屋・自分で自分の髪を切るシネと彼女のために鏡を持ってやる
ジョンチャンのシーンを追加して、ラストを中庭の小さな陽だまりにしたイ・チャンドン監督は
さすがだと思うよ。文句なしに傑作と言っていいと思うね。