>>754 日本では押井はお山の大将で開き直っていられる。
アニメの映画を作れる数少ない監督でもあるし。
でも、外人はそんな事関係なく押井が見ない様にしている部分
開き直ったり諦めたり自己肯定している部分を言葉にして指摘してしまう。
「歩く理屈」と言われた押井も反論したい所だろうが、日本のファンにも
映像表現としては大丈夫なのに扱うテーマの狭さに辟易されているのも事実で
「もう今更変えられないし変わる気もないから」と言うのが
一番楽に閉じこもっていられる考え方だろうけど。
個人的には企画は別の誰かが作って押井は雇われ監督としてみたいに
それを映像化するみたいな感じの方が社会的には認められる作品になる気がしている。