>>889 洋画には、狙いやテーマがあると仰るのなら
例えば、アメリカのインディペンデント映画にはどう言う狙いやテーマ「ウリ」があるんですか?
詳しく、教えてください。
音楽もそうだけど、国ごと都市ごとの特異性は昔よりも希薄になって
今はもう個人主義の時代でしょ。
ハリウッドを唯一の例外とすれば、他はもう混沌としてて
それこそ日本映画らしからぬ独映画らしからぬ仏映画らしからぬ
映画ばかりだと思う。
>>891 >この映画とテレビ(業界・ドラマ)との明確な差が無くなった事が
>諸悪の根源だと思うんだがなぁ。
でも、今時、映画俳優とTV俳優に明確な格差があるのはアメリカぐらいじゃないの?
しかも向こうでも映画だけという人は少なく、中堅以下の俳優はどっちにも出ている。TV俳優は向こうの
ショー番組にもよく出ているし、ハリウッド俳優はやはり特別なんじゃないですか?
向こうは舞台俳優のステイタスも独特みたいですしね。ただ向こうはTVでもエミー賞
がちゃんと機能していますでしょ? 日本のTVの賞は業界の内輪受けのものが大半。
>そこまでして映画を撮らなくてもいいよ。っつー感じだ。
いや、でもそこは商売だしw 地上波の映画枠が減ったのにはそれ相応の理由があるようで。
TVの「映画劇場」、いつしか半減 DVDに押され低迷
ttp://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200605140054.html
>>893 なるほど、要は同時代感があるって事ですね
>>894 >それこそ日本映画らしからぬ独映画らしからぬ仏映画らしからぬ
>映画ばかりだと思う。
そういう意味では日本映画もそういった流れの中にあるのかもしれないですね。
アメリカ映画にせよ、もうオールド・ハリウッドはない。ブラッカイマーやジョエル・シルバー
が80年代に創ったようないかにも商業ハリウッドという作品も実際はそんなに多くない。
ただ向こうも日本のVオリみたいな底辺作品が山のようにあるらしいが。
>>896 ジョージ・クルーニーは「ハリウッドはいつも社会派的な題材に果敢に取り組んできた歴
史を持っている」という趣旨のことをアカデミー賞の時に言っていたらしいですね。
今年の日本アカデミー賞は・・・一応は「パッチギ!」や「亡国のイージス」もあるか・・・。
ttp://www.allcinema.net/prog/awardmain.php?num_a=1428
>>891 いわゆる映画的な大作ってのはハリウッドとモロにぶつかり合うことになる。
当然勝ち目は無い。ハリウッドに勝つにはアドバンテージのあるメディアでの
露出やメディアとのコラボレーションしか道は無い。
そこから始めて徐々にステップアップするしか方法論が思い浮かばない。
経験を積んでスキルがあがれば映画は映画で徐々に進歩してくると思うよ。
899 :
名無シネマさん:2006/05/27(土) 19:00:49 ID:/3spTlQn
>>897 >社会派的な
そうそう、それがアメリカ映画のアドバンテージだと思う。
しかもそれを娯楽として仕上げられるところが。
ま、ともかく「嫌われ松子」を見てくれよ。末期なんてとても言えませんぜ。
「嫌われ松子」とか「下妻物語」は、邦画界が末期状態になったからこそ
可能になった作品といえるんじゃないかな。
こういうコテコテの照明とかフィルターで作るどぎつい映像、
古典的な邦画産業がまっとうに機能しているときには絶対に出てこないよ。
「どですかでん」一遍見てみ
「嫌われ松子」は未見だが「下妻物語」は映画文法しらない素人が
撮ったような映画だよ
『どですかでん』は黒白からカラーに移行した瞬間に何故かいきなりアシッド系
に向ったという、日本映画史に照らして特筆するべき作品だが、
あの色彩感覚と「下妻」「松子」はまったく別物だよ。
映画文法なんて別に知らずに撮っても構わないわけだし、
そもそも五社体制の崩壊以降、技術伝心がほとんどなされていないのだから
CMディレクターに監督をやらせたりテレビ局と組んで大作を撮るというのは自然の流れ。
監督違えば色彩感覚違うのは当たり前
>こういうコテコテの照明とかフィルターで作るどぎつい映像、
という過激にデフォルメされた映像という点において似たものを感じる人もいるよ
それにCMやTV上がりが監督やってはいけないと言ってるんではないよ
CM文法でまんま本編撮ったために映画的な魅力がないと言ってるんだよ
過剰すぎる説明とオンオフのないギミックばかりの映像は
ティーンにはウケても、映画ファン(俺)にはクドすぎる
それよりも「技術伝心がされていない」というのが気になるな
ここ詳しく
てか、それを言うなら伝承では。
そういえば、撮影所システム崩壊後の監督について色々言われることはあるけど、
撮影とか照明みたいな技術系のスタッフはどこで勉強しているの?
監督はともかく、職人的な技術って独学では限界があるでしょ。
なんか徒弟制度みたいなのがあるわけですか。
909 :
名無シネマさん:2006/06/01(木) 00:48:55 ID:5nK7cnTM
専門学校→助手
>>908 「徒弟制度」と書くと古めかしくて違和感を感じるが、そんな感じ。
その辺の技術系のスタッフは「技師」と呼ばれる一番偉い人(「撮影:だれそれ」と名前が出る人)
ではなく助手として名前が出る人達の中の「チーフ」と呼ばれる人に拾われることが多い。
チーフでないベテランのスタッフに拾われる事もある。
そうやって拾われた人に付いて行って様々な現場で技術を手につけていくわけ。
技師から下っ端までメンツが固定しているって事は少ないので
そうやって先輩にくっついていけば、かなり多種多様な現場を体験する事が出来る。
駆け出しの頃はあまりギャラは期待できない。こういう駆け出しのスタッフは
現場では本当に役に立たないので、チーフがプロデューサーと交渉して
正規の員数外の「コブ」として加えてもらう事が多いので
生活費程度が貰えたらそれで御の字と諦めて貰うしかない。
撮影中は弁当が支給されたり先輩が飯を奢ってくれたりするので
貧乏はするが食うに事欠いたりするケースは非常に稀。
そのうち「何とか使えるヤツ」程度の評判が先輩以外の助手連中に知れ渡り始める頃には
やっと下っ端として正規のスタッフのギャラが貰えるようになる。
大体このくらいになるまでは一年間くらいかな。
その頃には直属の先輩以外からも声が掛かるようになって、更に他の現場に「里子」に出されるようになる。
本当に駆け出しの頃は撮影の合間とかに先輩達がカメラや三脚の担ぎ方などを手取り足取り指導してくれるが
そのうち「自分から学ぶ」という積極性がないと誰も何も教えてくれなくなる。
911 :
112:2006/06/01(木) 01:07:46 ID:QK9Rz93Y
技術論か。専門的なことはわからないが、マイナーな邦画をたまに見て感じる
のは、「とにかく撮っておいて、編集の段階で何とかする」みたいな作り方が
多すぎる。スピルバーグの作品を見て感心するのは、こういう行き当たり
ばったりな作り方でなく、編集を完璧に想定した上で緻密に撮影を行っている
のだな、と感じさせる撮り方をしていること。ヒッチコックとかワイラーとか、
巨匠はみなそうなんだけど、この基本を今の映像作家は軽視していない?
912 :
112:2006/06/01(木) 01:13:31 ID:QK9Rz93Y
岩井俊二の「花とアリス」なんか、あまりにもつまらなくて15分と見ていられ
なかったね。これは、悪しき即興第一主義の映画じゃないの?
>>911 「とにかく撮っておいて、編集の段階で何とかする」の一つの到達点が今のハリウッド映画なんだけど。
マルチカメラで本番を何度も繰り返すなんてあちらではデフォルトでしょ。
PV上がりの監督が急にメジャー大作を撮って、それなりに見られる映画を仕上げらたりするのは
「とにかく撮っておいて、編集の段階で何とかする」という方法論が確立されているから。
これに関してはスピルバーグも例外ではない。ちゃんとコンテ先行で撮ってはいるけどね。
撮り方は他のメジャー大作とそれほど違っているわけではない。
バブル全盛の頃、邦画が衰退した最大の理由は
ハリウッド映画のようにデートで気軽に観れる作品が少ないからって云われてた
映画は娯楽で私小説ぢゃないってTVでビートたけしが力説してた時代の話
邦画の良心はセントラルアーツや角川だった
それから20年
やっと当時の問題点は解決に向かってきている気がする
915 :
名無シネマさん:2006/06/01(木) 02:20:49 ID:Tn/hjySo
タケシの映画は私小説的だと思うけど。
ただ、さすがに、浅草芸人から人気TVタレントへ、っていう道を来ただけ
あって、基本の娯楽の部分は外してないな。
事故から復帰後はかなりその辺が徹底してて
単純なストーリーを斬新な演出でっていう基軸から離れずに
佳作を連発してると思う。
最近作タケシズは違うようだがw未見
<斬新な演出
下手糞の別の言い方。
917 :
↑:2006/06/01(木) 07:23:52 ID:lGbu/wkx
斬新な演出と下手糞な演出は全然違うと思うけど
お前にとっては一緒かもしれないけどw
↑
じゃあお前さんの知ってる邦楽で「斬新な演出」とやらが光る作品を教えてもらいたいねぇ、是非とも
ま、口だけなら何とも言えるからねー
ありゃ、邦楽じゃなくて邦画だたよw
917じゃないけども、鈴木清順の「陽炎座」
別に「ツィゴイネルワイゼン」でもいいけど
初見時のインパクトはかなりのもんだったよ
ああ、あの頃か。あの頃の日本は調子に乗ってたな。
70年代終盤からオリエンタルブームで、一気に海外に文化的な道をも
開けた気がしていた。
80年代中盤には軽く挫折して引きこもっちゃうんだけど。
経済だけはバブルだったがね。
同じく917じゃないけど、
岩井俊二の「Love Letter」もごく普通にベタに撮ってるのかと思いきや、
ジャンプカットの使い方が独特で漫画のコマ割りみたいだったり、
手持ちカメラのブレがリアルさや緊迫感でなく、作品のムードに合った「繊細さ」を出してたのが新鮮だった
これは撮影監督の功績も大きいけど
あと、森田芳光の「(ハル)」もパソコン通信の文面をそのまま画面に出して、
あえて観客に「文字を読ませる」演出が、アナログ感があって不思議な感じで面白かったな。これは洋画でもあまり見掛けない手法かな。
基本的には単一民族・言語で識字率が高い日本だから成立する演出かも
>>922 『(ハル)』は、とにかく静かなところでみることをお薦めするよ。
うん。
「ハル」はパロディの使い方もうまかったね
「天国と地獄」「街の灯」「勝手にしやがれ」等々、有名どころからの引用も
鼻につくことなくさらりと印象的に用いてた
この作品は演出だけじゃなくコンセプト自体新しかったね
925 :
名無シネマさん:2006/06/06(火) 00:58:59 ID:2zMZ2tXZ
勝手にしやがれの引用ってどこ?
>>913 それは全く違う。
とにかく撮っておいてができないのがハリウッドだろ。
向こうはそれじゃ企画自体が通らない。
祝いは日本でも世界でも映画監督として認められていない
>>925 電光掲示板の使い方
ま、こういうのは意図的かどうかわからないけどね
>>296 コンテやプレビズで厳密なガイドラインは作るけど
実際の撮影現場ではガイドラインを参考にしつつ、あらゆる方向からカメラを回す。
役者の演技を変えて何パターンかのシーンを撮っておく。
それで膨大な量の素材の中から意に沿うものを編集室で選んでいく。
これがハリウッドの大作映画でよく採られる手法。
撮影現場っていうのは単に「編集素材を得る場」でしかないんだな。
実際の「映画制作」は編集の場で行われる場合が多い。
なので撮れるものは何でもとにかく撮っておく。これが基本。
黒澤もトラトラトラを向こうで撮ったときに
「その日どれだけ回したか(フィルムを使ったか)」という
明確な数字としての結果を求められて閉口したらしいから
良い意味でも悪い意味でもマニュアル化されてるっつー事か。
俳優もスタッフも組合に入らないと働けないし、最低限の賃金は保証されるらしい
一言でも喋ればエキストラでなく役者としてのギャラと契約が発生するらしい。
90年代の日本のTVの深夜番組はいつの時代に作られたかわからないマイナー映画があたりまえのように放映されていたけど、いまのTVの深夜枠はアニメに占拠されてしまったからなあ・・・(遠い目)。
>>932 日本でもギャラはともかく、一言でもセリフがあれば誰でも一応は役者として扱われるよ。
現場によっては弁当を食べる場所さえ違ってきたりするw
昔、「評決のとき」のメイキングを見ていたら、ロケ先の現地の子どもをセリフのある
役に抜擢して、その子どもは専用のトレーラーまでもらって有頂天になってた。
シュマッチャーは、「でも、彼に自分は将来、俳優になりたいとか夢を見させない
方がいいのかもしれない。こういうことが彼にとって本当にいい体験なのか、ちょっ
と悩みますね」とか言ってたけど。あの子ども、どうなったのかなあ?
>>930 亡くなった姫田さんがインタビューで言ってたけど、舛田たちが現場を引き継いだ後、アメリカの
ラインプロデューサーの現場管理の合理主義には感心したらしい。
朝、天候の都合などで現場をどうするか決めかねている際も、台本と配役表、いま使える機材・スタッフ・セット
などあらゆる条件から判断して「こことここの場面は撮影できる」「ここは回しておけ」
などとテキパキスケジュールを切るので凄いと思ったとか。
当時は日本でもまだ、作品によっては監督の都合や天気待ちで中止とか悠長なことをやっていた。と
くに監督は演出プランが詰まっていると何かと天気やセットなどに難癖をつけて中止にしたがった。
『トラ・トラ・トラ!』に限らず、アメリカ映画の合理主義は豊富な資金力の上に成り立ってるからねぇ。
「映画を撮る」となれば撮り順とかは気にせずに、とにかくその作品で使いそうな機材をドンブリ勘定で揃えちゃう。
セットだってスタジオを多めに押さえて沢山建てておく。なので「今日はこれを撮ろう」が出来る。
そこそこ段取りを組んでおかないと資金の続かない撮影現場では無理な話やね。
『トラ・トラ・トラ!』の時もセットを建てないスタジオを余分に押さえて
機材庫や衣装や小道具の倉庫として使っていた。
937 :
名無シネマさん:2006/06/08(木) 22:57:34 ID:pzPjIjW+
ハスミとその信者の自慰行為が日本の映画とプロ野球を絞殺した。
本質と向き合う事無く、絵面、上っ面だけを舐めた独善的な印象批評に終始、
テーマ主義の軽視とやらで、脚本への言及を巧妙に回避した為、
映画は、一部のヲタのオシャレな知的玩具と成り下がり、
映画〜ドラマの土台である脚本を読む力、描く力は壊滅状態。
やっと鑑賞本数が百本を超えた位の社会経験の少ない学生や
映画の好みで己のセンスを誇示したい〜黒澤なんて…小馬鹿にしたい!
高等遊民気取りには、その挑発的な視点やフレーズは魅力的だろうが、
実社会に出て、汗を流して、働く事のしんどさ、ほんの少しは世の中の事が分かり始めると
その魅力も色褪せ、薄っぺらさ、お気楽さには嫌悪感さえ抱くだろう。
学者は、所詮、世間知らず。高所に韜晦し、愛するモノだけに囲まれて
衒学的に物事の好き嫌いを語って暮らせる身分は羨ましい限りだが、
もう、バカ殿様のお戯れには付き合ってられないんだよ!
CMやPVがお似合いの先走りすぎたユダヤの映像作家や
大戦後、生まれながらの骨董品を量産し続けた世捨て人を必要以上に持ち上げ、
体育祭の予行演習で生徒を罵倒し変態性欲を発散する田舎教師みたいな助監督、
"退屈さこそ映画の本質"みたいな逆説を そのまま鵜呑みにした
徹底的につまんない愛弟子達を甘やかし、いたずらに長嶋茂雄を神格化した
ハスミと その取巻き達こそ、日本の国民的娯楽を二つとも
ただ己らのナルシズムを満たす為に、腐乱させ、抹殺した張本人だと言わざるをえない!
さらに極論すれば、本意では無かったにしろ、日本のアカデミズムの最高権威に
登りつめる課程において、これらの行為が、成された事を考えれば、
血税を啜りながらの、その権威を振りかざしての悪行三昧、断じて許し難し!
同様に、長年に渡り血税を啜り続け、お気楽な公務員生活を満喫、
バブルにウハウハ、広告代理店への天下りを自慢気に語り、未だに映画界に
たかり続ける元都庁職員・自称映画評論家長田いくお と同じ穴のムジナ。
ハスミの方が弁が立ち、影響力が大きかった為、更にタチが悪かったと言わざるをえない!
938 :
名無シネマさん:2006/06/08(木) 22:59:09 ID:pzPjIjW+
よゐこのみんなは、少林サッカーに夢中かなw
ナウでヤングな暴力温泉芸者に相手して貰って良かったなw
お金の為なら、痴呆ビチ糞垂れ流し爺の妄言も聞いてやるんだよw
世界のサッカーを舐めるなよ!
94年のW杯では、自殺点を入れた選手が帰国するなり射殺された。
「国民的行事」とやらの、長嶋監督胴上げ興業がプロ野球を腐らせた年だ。
金と権力にすがって他球団から軒並み主力選手を強奪、飼い殺し、
勝てない方が奇跡!の戦力を持ちながら、一度も自力で優勝できなかった
生まれながらの痴呆老人(でも身体だけはケダモノ並み!)
今では、真性の廃疾者(でも回復力はケダモノ並み!)
が、ノコノコ、五輪の代表監督に名乗りをあげる様な
甘〜い世界じゃねえんだよw
アマ主体の豪州に、二度も負けながら、
「金と同じだから銅メダル」wなんて言い訳吐いたキヨシや、
取り巻きのマスゴミなぞ、焼き討ちだけじゃすまないぞw
まったく、自己愛と強欲〜権威欲、頭の中身はシゲオ並みだな!ハスミってw
どこまで、日本の娯楽・文化を冒涜すれば気が済むんだ!
も〜いい加減うざいので、蓮実のマス掻き汁にたかる信者と一緒に、
戦時下のクロアチアに送り込んでやるから覚悟しろw 寝言は業火の中でほざいてろw
>>937 >>938 お、いいねぇ。なかなか芸になっている。
ときどき披露してくれ。
ただし、ときどきでいいからな。
暴力温泉芸者って、音楽ユニット名だよね?
ノイズ系だったかな。
941 :
名無シネマさん:
確かにほとんど「日本用ネタ」か「日本ネタ」のどっちかしかなかったな