1 :
蓮實:04/02/02 10:16 ID:W125Y0IW
2 :
蓮實:04/02/02 10:17 ID:W125Y0IW
「キルビル」は、こいつは馬鹿だとは絶対に言えない映画。
僕がプロデューサーに付いてやったら、ことによったらもう少しよくなったかも
しれないという感じがないわけじゃないけれども(笑)、
許しちゃうといいたくなる映画なわけです。
3 :
名無シネマさん:04/02/02 10:26 ID:iUYDNXmX
・・・そうかな?
まあ文語体と謳っておきながら口語体で話してしまうあたり、
「こいつは馬鹿だ」と言われてもしかたがないと言わざるを得まい。
5 :
名無シネマさん:04/02/02 12:03 ID:4c3BHXRc
ハスミンがプロデューサーになったらもめるだろうなあ
6 :
名無シネマさん:04/02/02 13:28 ID:JxRID84D
で、タランティーノは映画を殺したの?
7 :
蓮實:04/02/02 13:54 ID:u9ts8uQd
そうなりますと、いったい黒沢清は誰かを超えたためしがあるのか、という
ことが問題になってくる。みなさんご存知のように日本には黒澤明、黒沢清、
黒沢直輔と、三人の黒沢がいるわけですが、僕はいままで一貫して黒沢清は
黒澤明より偉いんだ、ということを言ってきたわけです。ところがここにきて
その確信がやや揺らぎつつあるという現実が、あるといえばあるわけです。
8 :
黒沢:04/02/02 14:06 ID:KB6JZOag
いやあ、僕はどうなんでしょう。例えば「地獄の警備員」でフーパーに近づきたい
ですとか、「CUREキュア」でフライシャーに近づきたいとか、ま、常日頃誰かの
作った映画に少しでも近づけるよう頑張っている努力の人でして、誰かを超えようと
いう欲望はあんまりないほうだと思うんですけども。
9 :
名無シネマさん:04/02/03 06:30 ID:OxdjMA0z
私の劇映画一作目は、「女優霊」という映画撮影所を舞台にしたホラーなのだが
蓮實について私が知っているニ、三の事柄
11 :
蓮實:04/02/05 11:47 ID:bJcu2G2Z
つまりタランティーノが「超える人」であるのに対して黒沢さんは「近づく人」である。
そして黒沢さんの場合、近づき方にある種の映画的倫理が働くわけです。
近づくためにはまず模倣することになるわけですが、ある映画のどこを模倣して
どこを真似しないか、ということに黒沢さんはたいへん意識的なわけでしょう。
12 :
水野:04/02/06 22:36 ID:h8Y3+xuU
キルビルは僕のシベリア超特急を参考にしてるシーンが沢山あってとても嬉しいです
13 :
黒沢:04/02/09 12:16 ID:4c2Ua4kx
例えば『マトリックス』の撮影法をニワトリで再現すれば、これはある程度ウケるだろう
という予測はできるわけですが、それほんとにやっちゃったら恥ずかしいだろうという
気はするんですよ。まあ世の中にはそういうことを平気でやってしまう人もいるわけですが、
僕なんかは意識的というのか、そういう恥ずかしさは本能的に避けて通っちゃうほうですね。
14 :
岸野:04/02/09 17:44 ID:WvwCTCq4
指数10の恥ずかしさですね。
15 :
蓮實:04/02/11 10:39 ID:6RMp3CIh
いずれにせよ、何かを模倣する場合、何か自分の最も敏感な恥部をさらすような
気恥ずかしさが漂うものだと思うんです。ところがタランティーノにおいて、
そのような恥ずかしさという感覚は微塵も無い。それは彼が鈍感なのか、それとも
単に開き直っているだけなのか、よくわからないのですけれども、タランティーノ
の場合は「真似する」のではなく「移植する」んですよね。
例えば『キル・ビル』ですと服部半蔵というキャラクターをそのまんま移植してしまう。
そのことに対する恥じらいですとかためらいのようなものはまるでないわけです。
それどころか、観るものにある種の清々しさまで感じさせてしまう(笑)。
16 :
黒沢:04/02/11 18:08 ID:2ixZw9zo
はあ、なるほど。僕もかつて間宮とか秋子などという役名を小津の作品から頂いて
使っていた時期がありましたけど、さすがにキャラまでは頂かなかったですね。
17 :
蓮實:04/02/12 06:11 ID:sQ2TLSz5
ルーシー・リューの石井お蓮なんていうのも、脚本の段階では明らかに修羅雪姫を
想定している。そこで、映画の終盤、突如『修羅の花』が流れるとき、我々は涙を
流さざるを得なくなってしまうわけです。
18 :
名無シネマさん:04/02/12 11:23 ID:yJ+D+oqd
蓮實スレまたできたの〜?
20 :
黒沢:04/02/12 13:37 ID:0JO8blkJ
今いみじくも
>>18氏がおっしゃったように、蓮實さん、その発言はちょっと気持ち悪い
です。といいますか、仕事の上で僕よりも先に梶芽衣子と関わりを持ったタランティーノ
が僕はちょっと許せないというところもあるんですが。
21 :
万田:04/02/13 05:48 ID:UEKgBnKV
黒沢さんは「指輪」を自分より先に撮ったピーター・ジャクソンにも嫉妬してますよね。
それって黒沢清が置いてけぼりを喰らいはじめつつあるってことじゃないかな。
黒沢が指輪物語撮ってもどうせ「ココロ、オドル。」みたくなるかと思うとぞっとしない。
俺はぞっとする。
ぶんご【文語】@文字で書かれた言語。もっぱら読み書きに用いられることば。
A日本語では、現在の口語に対して、特に平安時代を基礎として発達・固定した言語の体系、
または、それに基づく文体の称。
ぶんごたい【文語体】文語Aで綴られた文章の様式。文章体。
25 :
蓮實:04/02/15 15:40 ID:KL/2p55O
『ココロ、オドル』というのは、相反する価値観・文化を持つ人々が融合する光景に
対して心躍らせてみようという試みであるわけですよね。ところが、ひそかに融合の
誘発装置でもあったはずの旅行者=浅野忠信は、ひたすら無表情で立っているだけで、
融合の輪に加わるでもなく、どこかに去っていってしまう。この旅行者に無表情を強い
ているのは、他ならぬ黒沢さんの「恥ずかしさ」であると言わざるをえませんよね?
26 :
蓮見:04/02/15 17:48 ID:8+iUor9j
しかしなにが恥ずかしいと言って、いま映画美学校の生徒であること以上に恥ずかしい
ことがあるだろうか。まして、その美学校生徒を被写体として使ってしまう黒沢清は
恥ずかしいを通り越して醜悪ですらあると言わざるをえますまい。
言わざるをえますまい。
なんでそこに「ます」が入るんだよ
>>27 いいですじゃん。丁寧な感じがしますまいて。
30 :
蓮實:04/02/16 12:41 ID:qQiVSG68
しかし世の中には『黄泉がえり』などという見るからに恥ずかしいフィルムを撮って
得意になっている人もいるわけでして、僕はあの映画で塩田明彦は馬脚をあらわした
という説なんですけれども、ですから黒沢さんの「恥ずかしさを周到に避ける才能」が
時代錯誤の悪徳であるとは一概に断言できないわけだけれども、かといってタランティーノ
の清々しさを黒沢さんが身に付けたならばこれはひょっとすると映画史を解体するほどの
事件たりうるのではないかと考えずにはおれぬわけです。
31 :
名無シネマさん:04/02/16 16:30 ID:5qYZyMv8
34 :
蓮見:04/02/17 11:17 ID:sOaVWZhI
必ずしも文語体である必要はありますまい。
>>33-34 何が恥ずかしいといって、こんなに恥ずかしいことがあるだろうか。
ID:sOaVWZhIよ、恥を知りなさい。
とか突っ込んだらどうだ、おまいら!
36 :
篠崎:04/02/24 09:40 ID:WBeXIRof
なんだかヘンなことになってきましたね。
37 :
名無シネマさん:04/04/10 07:59 ID:+bY08I0l
蓮實重彦さん(評論家)
「とにかく映画が好きで映画を撮っている!あの黄色いトラックスーツ、
あれをやったら、もう許すしかないでしょう!『vol.2』も当然初日に駆けつけます。」
ハスミンが死亡遊戯を評価してたとは知らなかった。
>>37 オーソンウェルズの「上海から来た女」に絡めて
「自らの鏡像を破壊したブルースリーはやがて…云々」って書いていたよ。
39 :
名無シネマさん:04/05/09 07:54 ID:U7xFH1Rc
キルビル2のパンフにハスムンの批評が!
40 :
名無シネマさん:
ヌーベルバーグは最後には互いにぶつかってはじけた運動体あげ