21世紀に黒澤スゲーとか言う黒澤厨年はアフォ(2)
64 :
名無シネマさん:
不毛な事ばかり言っても仕方がないから、たまには真面目な話をしてみよう。
このスレで「黒澤が嫌い」という奴を大きく分けると、
1.黒澤本人、または彼の作る映画が発する「黒澤哲学」が嫌い。
2.テンポが遅く古臭いから面白くない。だから嫌い。
の2つに分類できると思う。
ま、中には「黒澤ファン」が嫌いと言う奴もいるだろうが、
これは捨て置く。どっちもどっちだからな。
前者の方は仕方がない。嫌いなモノは嫌いなんだから。
癖はあるから生理的に受け付けないのも頷ける。
問題は後者である。じゃあ、ホントに黒澤映画は古臭いのか?
言ってしまおう。実は古臭いのだ。
最高傑作と言われる「七人の侍」だって50年近く昔の映画だ。
古臭くて当然。でも考えて欲しい。古臭いのが=つまらないことなのだろうか?
俺は「それは違うといいたい」。
人間が作るモノは映画であろうが、クルマであろうが絶えず進化をしている。
50年前のクルマと現代のクルマを比べれば、
現代のクルマの方が性能がいいに決まっている。
んが、文化に対しては一概に新しい方がいいとは言い切れないのだ。
65 :
64続き:02/10/24 01:09 ID:kl5Td9J6
確かにドストエフスキーの「罪と罰」と
鈴木光司の「リング」を比べてどっちが面白いかと言われれば、
「リング」に軍配は上がるだろう。読みやすいしな。
ただ、これだけは思い出して欲しい。
学生の頃、国語の時間に「小説は行間を読め」と言われたことがあるだろう。
そう、本来小説とは物語を楽しみながら、行間も楽しむべきモノだったのだ。
が、小説も進化する。行間を読むより、とにかく情報を詰め込み、
客を飽きさせないようにする。そこには行間を読むなんて面倒くさい行為は
必要ないわけで、読みやすく、楽しい。
元来、人間が作るモノの進化は「便利な方向」「楽な方向」に向かってきた。
小説でも映画でも「昔のモノ」より「今のモノ」の方が、
見ていて楽な方向に進むのも当然のことである。
でもね。小説で行間を読む楽しみだって、本当はあるのだ。
ホントにクルマが好きな人が便利で楽だからこそ進化した「オートマ」ではなく
あえて面倒な「マニュアル」を好むように、
小出しな情報から、あえてその裏の情報を読みとるという
楽しみが現代でも残されているはずなのだ。
66 :
64続き:02/10/24 01:10 ID:kl5Td9J6
黒澤が代表するような昔の映画の「かったるさ」は、
いわば小説の行間である。
役者の表情の「間」、セリフの「間」、編集の「間」。
それこそありとあらゆる「間」は小説の行間にあたるのだ。
俺的には、もちろん最新の映画のテンポがよく、
情報がギッチリ詰まった映画も面白いが、
こういう「間を読む」楽しみだって大切にしていきたいのだ。
それこそ、聞き取りにくいセリフだって、そこから自分の想像力で補完し、
自分の中で組み立ててゆく楽しみがあるのだと俺はいいたい。
めんどくさいし、ちょっとした技術もいる。
でも、ホントはそんなこと「普通に生きてくれば自然と身に付く」モノなのだ。
普通に生きて様々な経験をすることで、
自分の中にさまざまなデータベースが出来上がり、
ちょっとした情報からも、
裏に隠れたさまざまなことが読みとれるようになるんだから。
ま、嫌いな人に「好きになれ」とは言わないが、
そういう楽しみ方も映画にはあるということを
理解していただけると映画の楽しみ方も広がると思うよ。
67 :
名無シネマさん:02/10/24 01:10 ID:LGttOu4X
嫌いといえる自由があってよいのだ。
必死になる事もなかろう。
ムキになった側がアフォだというだけの事だ。
68 :
64続き:02/10/24 01:13 ID:kl5Td9J6
あと、最後にひとつ。
黒澤をファンは懐かしんで見ているというのも誤解だな。
おそらくここに出入りしている連中で黒澤の黄金時代を
リアルタイムで経験した奴はいないと思う。
それこそ映画が作られて何十年もしてから見た奴が殆どだろう。
でもね、昔の映画を「まだ見ぬ過去」として経験するのは、
「まだ見ぬ未来」を見るというのと同じくらい新鮮なモノなのだよ。
映画とは自分の知らない「その時代の空気を克明に記録」したものだからな。
古い映画を観て楽しむというのは、いわば「タイムトラベル」みたいな
ものなんだと俺は思っている。
最後まで読んでいただいた方、長々お付き合いいただいてありがとう。