評論って名乗ってなきゃ....11

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675名無シネマさん
>>672
色々理由はあるだろう。
が、少なくともまともな評論が書けない理由はただ一つ。
「観た映画の絶対数が決定的に少ない。」

・・・誤解が無いように言っておくが《絶対数》といっても、
これだけ観たら映画評論家だ、などという決まった本数は無い。
服部を見れば判るように、何本こなしても駄目な人はいるからだ。
(この場合の《駄目》とは評論家としては、ということ。為念)

映画の価値を判断するためには、
その映画が何に比べて素晴らしいのか?
どの映画に触発されてある種の表現に達したのか?
何が自分にこの映画を素晴らしいと思わせるのか?
・・・といった反省が必要である。
一本の映画を取り巻く、様々な映画に繋がっていく網の目を意識し、
それを解明するために映画を観ていく作業。
その結果得られる映画体験、これを《絶対数》と言うのだ。
服部はただ場当たり的に映画を観るだけで、
映画の謎を遡及的に解き明かそうと言う情熱が無い。
その結果、彼の評論は映画の良さも悪さも示せない、
と言うことになるのだ。
(場当たり的なのが悪いと言ってるのではない。評論家としては、だ。
しつこく強調するのは、こういうところにわざと半畳を入れて、
論点を逸らそうとする卑怯者がいるからだ)

それと、矛盾するようだがこの《絶対数》は絶対的ではない。
つまり、自分の映画体験を覆すような表現を求める情熱を欠くと、
いつでもこうした《絶対数》は古びてしまう、と言うことだ。
そして、《絶対数》は映画を観るだけでなく、
他の表現に触れることでも得られる場合があるのも付け加えておく。
全くといって良いほど他人の評論に触発された痕跡の無い服部は、
その意味でも評論家としての資質を欠いている。

長文失礼。