1 :
('A`):
2 :
オナ禁推進会長:2012/03/03(土) 11:27:53.51 0
>>1は
私です 名前欄を入れていませんでした
申し訳ありません
3 :
('A`):2012/03/04(日) 11:21:04.01 0
とりあえず痩せろ
4 :
('A`):2012/03/06(火) 04:37:01.01 0
5 :
('A`):2012/03/07(水) 15:51:50.41 0
スレ立てといて書き込まないのかよ
6 :
('A`):2012/03/07(水) 16:14:53.40 0
悪化の一途である会長の体調不良を報告を見てると
寧ろオナ禁の方が悪影響あるんじゃ・・・としか言えんわw
7 :
('A`):2012/03/08(木) 01:47:11.77 0
8 :
('A`):2012/03/08(木) 19:43:19.70 0
↑アフィブログ乙
9 :
オナ禁推進会長:2012/03/10(土) 11:21:16.02 0
以下は、脈拍が常に100以上ある引き篭もり→
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1300962545/ 上記のスレッドに書いた
>>33-38の私のレスのコピーです
脈拍が早くなっているのは射精のし過ぎが原因である可能性があります。
私は2011年5月10日に死にかけました
3月頃は、肝臓の細胞が壊れていたため、ほとんどムラムラしない状況が続いていました 常に疲れている状態でした
4月の20日ごろから精力が復活しはじめ、4月の22日〜28日の間に5〜6回オナニーをしてしまいました その4月25日に、脈が速くなったと感じたのですが、その後5月1日、5月4日、5月7日もオナニーをしてしまいました
5月10日に、またオナニーをしてしまい、その日は射精はせず、寝ようとしたのですが、布団に寝っ転がっている最中もエロの妄想が浮かんできてしまっていました
午前3時20分〜30分ごろ、何か様子が変わり、手首を触ってみたら脈が弱くなったように感じました
5月10日の午前3時頃、脈が弱くなり、お婆さんの部屋に駆け込み、1〜2分しゃがんでお婆ちゃんのベットを掴んでじっとしていました
目の前が、視界がテレビの砂嵐の画面のようになっていました
1〜2分すると、体から力が抜け、床に座り込んでしまいそうになり、目の前がぼやけ、目の前が霧がかかったようになり、意識がスーッと無くなって行くように感じました
本当にまずいと思い、心臓が止まってしまうと思いました お婆ちゃんに救急車を呼んでくれと言いました
弱った心臓に強い衝撃を与えようと思い、
飛び跳ねるようにして電話のある部屋のの電話の前まで行きました
お婆ちゃんにこの事を言い、お婆ちゃんが一緒に来ていたので
お婆ちゃんに「早く救急車を呼んで!」「早く呼んで」「早く電話して」と繰り返し言いました
お婆ちゃんは「そんなに騒いでいたら呼べない」と言って一向に電話をかけてくれません
その後5分〜10分後にようやく電話してくれました
救急車を呼びました
救急車を待っている間は脈拍が物凄く速くなっていました
10 :
オナ禁推進会長:2012/03/10(土) 11:22:25.89 0
35 :オナ禁推進会長:2012/01/01(日) 05:48:50.73 ID:Mt9CrR5J0
>>33 >>34 はミスです 申し訳ありません 下書きを改訂するたびに記録として保存したのですが
違う物を貼りつけてしまいました
脈拍が早くなっているのは射精のし過ぎが原因である可能性があります。
私は2011年5月10日に死にかけました
3月頃は、肝臓の細胞が壊れていたため、ほとんどムラムラしない状況が続いていました 常に疲れている状態でした
4月の20日ごろから精力が復活しはじめ、4月の22日〜28日の間に5〜6回オナニーをしてしまいました その4月25日に、脈が速くなったと感じたのですが、その後5月1日、5月4日、5月7日もオナニーをしてしまいました
5月10日に、またオナニーをしてしまい、その日は射精はせず、寝ようとしたのですが、布団に寝っ転がっている最中もエロの妄想が浮かんできてしまっていました
午前3時20分〜30分ごろ、何か様子が変わり、手首を触ってみたら脈が弱くなったように感じました
5月10日の午前3時頃、脈が弱くなり、お婆さんの部屋に駆け込み、1〜2分しゃがんでお婆ちゃんのベットを掴んでじっとしていました
目の前が、視界がテレビの砂嵐の画面のようになっていました
1〜2分すると、体から力が抜け、床に座り込んでしまいそうになり、目の前がぼやけ、目の前が霧がかかったようになり、意識がスーッと無くなって行くように感じました
本当にまずいと思い、心臓が止まってしまうと思いました お婆ちゃんに救急車を呼んでくれと言いました
弱った心臓に強い衝撃を与えようと思い、
飛び跳ねるようにして電話のある部屋のの電話の前まで行きました
お婆ちゃんにこの事を言い、お婆ちゃんが一緒に来ていたので
お婆ちゃんに「早く救急車を呼んで!」「早く呼んで」「早く電話して」と繰り返し言いました
お婆ちゃんは「そんなに騒いでいたら呼べない」と言って一向に電話をかけてくれません
その後5分〜10分後にようやく電話してくれました
救急車を呼びました
救急車を待っている間は脈拍が物凄く速くなっていました
11 :
オナ禁推進会長:2012/03/10(土) 11:22:59.00 0
36 :オナ禁推進会長:2012/01/01(日) 05:50:48.05 ID:Mt9CrR5J0
救急車が来るまでは水をコップで一杯飲み、玄関の外に出て外で待っていました 心臓に負担がかからないように、道(公道)にしゃがんでいました
救急車の中ではベッドに寝かせられ、計器で脈と血圧と血中酸素濃度を計りました
脈は130〜140ほどあり、一時140を超えました
救急隊員は「正常値だよー大丈夫だよー」と言いました
本当に目の前がぼやけてきて体から力が抜けて意識が無くなって行ったんだ、と言いましたが、あまり真剣に受け止めてはもらえませんでした
救急車の中でも何度も目の前がぼやけてきて、目の前がぼやけてきた!と言ったのですが、取り合ってもらえません
そして私が精神科に通っていたのを家族から調べられ、その精神科とは別の市立の精神科の病院に送られる事になりました
救急病院に連れてってくれ!と言ったのですが、行かせてもらえませんでした
精神科の病院に到着し、その精神科の病院でも、目の前がぼやけてきた、体から力が抜けて立っていられなくなった、意識がすーっと無くなりそうになった、
と言ったのですが、女の医者だったのですが、私の言った事には取りあわず、こういう事は以前にもあったの?とか
正確な台詞は思い出せませんが、私の思いこみだというニュアンスの質問をしてきました
その病院でも救急病院に連れて行ってくれと言ったのですが、必要無いと言われました
しばらくその病院の待合室にいて、その間も何度も胸がキュウっと締め付けられるようになったりしていました
それをずっと親や医者に訴えていたのですが、最後の方には「人がいるとこういう事を言うんです」とその女の医者が言って、親はそれを信じたという状況でした
朝になった頃、帰宅する事になりましたが
そこから数日は同じような発作が何度も起き、5回〜7回救急車を呼びました
12 :
オナ禁推進会長:2012/03/10(土) 11:24:20.98 0
37 :オナ禁推進会長:2012/01/01(日) 05:53:21.48 ID:Mt9CrR5J0
その後、インターネットでこの症状について、「心筋炎」などを調べたのですが
私は心筋炎の症状を見て、私は心筋炎になってしまったのだと思いました
心筋炎などについて調べると、心臓の病を治療し回復するためには、「栄養を取り安静にしている事」、と言う事が書かれていましたので、
毎日3食、納豆と卵をご飯にかけて食べ、栄養を取って、
心臓に負荷をかけないためにほとんど動かないように注意しながら(トイレなどに行くにも慎重に心臓に負担がかからないようにゆっくりと歩きました)
過ごしていました
布団からほとんど動かないようにしていました
6月〜7月前半は70〜80前後まで回復しました
2011/08/22(月) ごろは脈拍80〜110になりました
2011/08/22(月)ごろに脈拍が上がった理由は、
70〜80だったころ(6月〜7月前半)は極力運動せず、なるべく動かないようにしてずっと寝ていて、脈拍が上がる風呂なども入らず、シャワーも心臓の部位にはかからないようにしていました
シャワーを少し浴びたりするだけで脈拍が30〜40上がっていました
2011/08/22の頃は脈拍が突然的に上がる事は無くなっていたので、自転車で買い物に行ったりシャワーを全身に浴びたりしていまして、
脈拍がまた高くなっています
動いたりすると、心臓から圧力が抜けたようになり、心臓が下に引っ張られるようになり、体が下に引っ張られるようになり、座り込んでしまいそうになる、
そんな状況が7月まではずっとありました 7月に入った辺りから、安定してきています
13 :
('A`):2012/03/10(土) 11:31:38.92 0
栄養を摂ってほとんど動かないってむしろ体に悪い気がするんだが
3食同じものを食ってるのもアレだし
かなり思い込みの激しい強迫的な性格をしていると思われる
14 :
('A`):2012/03/10(土) 11:35:37.17 0
体調不良を全てオナニーの所為にしたお陰で根本的な原因を完全に見過ごし
加速度的に悪化している様にしか見えないw
15 :
('A`):2012/03/10(土) 11:57:03.11 0
パニック障害とか脳、精神方面を疑ったほうがいいな
16 :
('A`):2012/03/20(火) 22:07:10.00 0
@ガールフレンドと別れたデレク・アダムズは、人生に希望を失ったために、手元にあった抗鬱病剤
を全部服用したという……が、薬を飲んでしまってから、「しまった!」と後悔した。彼は死にたくなくな
って、隣に住む人に頼んで病院へ連れていってもらった。が、病院についたとたんに倒れてしまった。
体はガタガタ震え、顔面蒼白となり、意識は朦朧とした。血圧は下がり、息は速くなった。しかし、病
院でいくら検査しても異常はなかった。体内から毒物も発見されなかった。入院後4時間にわたって、
アダムズは生理食塩水を体内に入れる洗浄を行ったが、体調はほとんど改善しなかった。
そんなところへ、一人の医師がやってきた。アダムズが参加していた抗鬱病剤の臨床試験の担当
医だった。アダムズは約1週間前から、この試験のために薬を飲んでいた。飲み始めた当初、彼は
気分がウキウキした。が、別れたガールフレンドとの言い争いのために、彼は残っていたその錠剤
29個を全部飲んでしまったのだ。臨床試験の担当医の話によると、アダムズは照査実験のグルー
プの中にいた。このグループは、実際の薬の効果を試すグループと比較するために、ダミーの薬を
服用させるためのものだ。つまり、彼が飲み過ぎたと思った薬はニセモノで、医学的には無害なもの
だったのだ。その話を聞いて、アダムズは驚いて涙ながら安心したという。それから15分もたたない
うちに、彼の体調はしっかりとし、血圧も心拍数も平常にもどった。
17 :
('A`):2012/03/20(火) 22:13:19.98 0
人生はマスターベーションである。
せやろか?
19 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:16:46.04 0
私は現在、大変苦しい状況にあります
私は、心筋が破壊されている状態にあるのだと思っています
私は心筋が何らかのダメージを受けているのだと思っています
2011年の7月の中旬から心筋が回復し始めたのですが、心筋が回復したので大丈夫だと思って、自転車で外に出たり、お酒を飲んだり、オナニーの寸止めをやったり、酒を飲んで自転車に乗って
仙台駅の近くのとらのあなに行った(このとき、その後近くの漫画喫茶に泊まることにし、ここに入って20分もしないうちに急に視界がおかしくなり脈拍が180くらいまで上がり救急車を呼びました
店員さんから水をもらって、水を飲んでは汲んでもらう、水を飲んでは汲んでもらう、、水を飲んで、すでに店員さんがコップにストックを作ってくれていた水を飲む、ということを繰り返し脈拍が150~160まで下がりました
その後救急車で病院に行き、なんとか落ち着いて、家に帰りました しかし母親の車で家に帰る時も脈がおかしくなっていました この時は、2011年の11月の後半でした)り
していまして、それで心筋がダメージを受けてしまい、今現在、大変危険な状況にあります
今年の1月の中旬辺りから血圧が下がらなくなり(上が160〜180 下が100〜120)、おかしくなって行きました
以下は2月5日にあった出来事です
2月5日に山形でミニ四駆のイベントがあり、そこに行ったのですが、
そこで、その会場内を歩いていると、心臓が突如「ドクン」と鳴り、体中から力が抜けて、倒れる寸前になりました
会場の人に救急車を呼んでもらうように頼み、床に横になっていました
脈がドクン・ドクンとなっていました
脈拍計で計測すると、 脈拍は138〜140でした
救急車に乗りました 救急車のベッドの上で、私は自分の手を見ると、手の指が異常に細くなっており、紫色になっていました 手はぷるぷると震えていました
病院に着きました 病院の天井に大きな電灯(手術室のような)がある部屋に入りました 病院では、血圧を計測しました
私の方から頼んで、心電図を撮ってもらいました 紙袋を手渡され、「これが膨らむまで深呼吸しなさい 吐くのを大きくしなさい」と言われました
その後病院のベッドが空いていないらしく、複数の人が一時的に入れるようになっている部屋(ベッドが3つある)に移動しました
そこで、父親が来るそうだったので、待ちました
20 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:18:36.52 0
父親が来るまでの間、体に力が入っていない状態で、心臓からの圧力が弱っている状態で、とても怖かったです この部屋でも心電図をつけてくれるように頼み、つけてもらいました
一時、とても怖くなり冷や汗が出て脈拍が大きく上がりました 200を超えていました(140ぐらいだった)
この時、私は死んでしまうかもしれないと思っていました
お婆ちゃんと最後に話をしたいと思って、電話のある場所まで車いすで連れて行ってもらいました
(まず初めにお婆ちゃんと電話する事を思い立ち、その後でエコーとレントゲンを撮ってくれと頼んだ それでレントゲンは撮ることとなり、そのレントゲン室に行く道の途中でお婆ちゃんに電話をさせてくれと頼んだ)
その前に私はレントゲンを撮ってくれ、エコーを撮ってくれと頼んで、医者は必要ないと言いました(エコーに関しては技師がいないと言っていた)
僕が何度も頼んで、なんとかレントゲンを撮る事になりました
そのレントゲン室に車いすで行っている途中で、私はお婆ちゃんと話をすることを思い立ち、
電話させてくださいと頼みました
看護師さんは、レントゲンを撮ってからにしましょうと言いました
レントゲンを撮りました 座って取る方法は無いかと聞いて座って撮ることにしました
レントゲンを撮った後、公衆電話機が並んでいる場所に行って、お婆ちゃんの番号に電話をかけました(この日のイベントに行く前に、おじいちゃんの財布を貰って、そこにお婆ちゃんの
携帯電話の番号が書かれた紙が入っていたのです)
僕は、「僕は大丈夫だ 僕は生きるから 僕は生きるからね」「心配しないでくれ」「僕は大丈夫だから」と言いました
公衆電話の要領が上手くいかず、10円を入れて通話して話したいことを話しきらないうちに切れてしまう、ということを3〜4回繰り返しました
最後は100円玉を入れて通話しました
お婆ちゃんは「分かったよ ○○○○(私の名前)の声聞いて安心したよ」と言いました
21 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:20:07.28 0
公衆電話があった場所を離れた後、部屋に戻りました
部屋に戻った後、水が飲めないかと聞きました
自販機のある所まで車いすで連れて行ってもらいました
そこでペットボトルの水を2本買い、一本はすぐに飲みました
部屋に戻ると、医者が待っていてレントゲンの結果を教えてくれました 「大丈夫ですよ」と言っていましたが、声が震えていました おそらく何事かの異常が出ていたのだと思います。
その後、もう一本のほうの水を飲み、ベッドで寝て待っていました 水を飲んで、心電図の脈拍が若干落ち着いたようです(160や200あったのが120まで落ち着いた)
お父さんは13時ごろ出発したそうで、お父さんは16時ごろに着きました
山形に私が来る時は1時間で着いたので、何かがあったのかもしれません 渋滞など 何があったのかは聞いていませんでした
脈が明らかに弱っていたので、お父さんに脈を診てくれと何度も言いました お父さんには「大丈夫だって言ってんだろ!」と腕を強く指で押されました お父さんに脈は測ってもらえませんでした
お父さんはソイジョイ2本を病院で買ってくれました 水もペットボトルの物を3本買いました
その後、帰り道です 車に乗る際、ズボンが脱げました この時は、心臓に負荷がかかり体が小さくなっているとは気づきませんでした
車の中でソイジョイを食べました ソイジョイと水がが効いたのか、少し楽なりました
山形高速道路に乗ってしばらくした後、膀胱が下に強く引っ張られ、強い尿意がありました
死の予感がありました 脳内麻薬が出ているため、死の恐怖は強くはありませんでした
22 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:22:02.11 0
山形高速道路で、サービスエリアに入りました サービスエリアで膀胱が強く下に引っ張られていて、尿がちょろちょろと漏れてしまっていたのでトイレに行きました
トイレに行くまでも、膀胱が下に強く引っ張られた状態で歩きました 尿をため込む筋力さえ無くなっていたのです
そこで心筋を回復させるために何か食べ物を食べようと思いました このサービスエリアに入る直前に、朝に持ってきたおにぎりを食べていて、
このおにぎりをサービスエリアの中にも持っていったのですが(トイレにも)
店内でおにぎりを食べながら、何か食べる物、心筋を回復させる物を探していると、このおにぎりが飲み込めず、むせるような形になりました
飲み込む力までもが弱っていたのです
ビーフジャーキーを買おうと思いましたが、飲み込めないのではないか、という考えが浮かび、
チーズ入りかまぼこを買いました
ここでトイレに行く時、心臓に負荷がかかり、体が小さくなってしまったのか、歩いてる途中ズボンがずるずると落ちてしまうのです(ベルトを着用している状態で)
トイレからサービスエリアの店に移動する際、店でチーズかまぼこを買って、外に出る際も、ズボンがずるずると落ちてしまっていました
これ(チーズかまぼこ)を食べながら、帰り道の高速道路を行きました
帰り道では、死の予感がずっとありました 心臓に負担がかからないように、車の座席に横になっていました(後ろ座席)
23 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:23:35.27 0
高速道路を抜けて仙台に着いたら、病院に行くように父に頼もうかとも思いましたが、
それより、家に帰って、先にみんなに会おうと思いました 祖父・祖母・お母さん・お父さん・弟、友達のM君などに看取られて貰えたらいいなと思いました
高速道路を下りた後、お父さんは今まで見たことないほど高スピードを出して家まで送ってくれました
大きな交差点を猛スピードを出して抜けたり、家に着く寸前で徐行しているトラックを横から猛スピードで抜いたりです
家に着く直前に
お父さんに「荷物を持って行けよ」と言われたのですが
「持てないんだ」と言うとお父さんは「甘えちゃだめだよ〜人生は自分の力で生きるんだからね」と言いました(持たなくてもいいよ、というニュアンスで)(普段のお父さんなら、絶対に「自分で持て!)と言っていたと思います)
家に帰りました、まずお爺ちゃんに報告しようと思いました お爺ちゃんは一昨年に、肺炎で死んでしまったのですが、僕はまだ、死んだとは思っていません 生きていると思っています
お爺ちゃんの写真の前に行くと、お爺ちゃんはすごく怒っているように見えました 顔が歪んでいました 僕は「僕は生きるんだ」「僕は生きるよ」「僕は生きるから」と言いました
その部屋にある大きな鏡で自分の体を見ると、胸・心臓の部分が高く盛り上がっていました 心臓が肥大化していたのだと思います
24 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:24:59.58 0
その後家に残っていたエビオスを飲みました エビオスを飲んで、お父さんから携帯電話を借り(家の電話だと家族に聞かれてしまうため)、友達のM君に電話しました 看取ってもらうため、M君に今から家に来れるか、と電話しました
M君とは色々な話をしました 今から来れるか、ということについては「行かねえけど」と言われました
電話をしている最中、体が思ったよりも楽になっていました エビオスが心筋を回復させたのだと思います
この頃、写真のお爺ちゃんの顔はやさしい顔になっていました
電話が終わった後、鏡を見てみると高く盛り上がっていた心臓の部分が、少し盛り上がりが下がっていました
その後に、お婆ちゃんが作ってくれたご飯を食べました(卵と納豆をご飯にかけました) エビオスが効いて、心臓の肥大が治まったので、食べれば心臓は再び回復すると思ったからです
食べている途中で席を離れ、応接間に行き、携帯電話で救急車を呼びました
そして救急車が来るまで少しでも多くご飯を食べようと思いました
それで、食べていました
救急車が到着しました 3割しか食べれませんでした
家に救急隊員の方が来て、そうしたらお父さんが激しく怒り救急担任の方がいる方に大きなバッテンマークを作りました
それで救急車は戻ってしまい、救急車には乗れませんでした
お婆ちゃんが夜もやっている急患センター(19時からやっている)に連れて行ってやると約束してくれました(この時18時頃)
ご飯を完食しました この頃には今思うと死の予感が薄らいでいました
急患センターに行きました
急患センターでは、僕を担当した内科の医者は運よく普段は心臓の循環器を担当している人で、血圧が高い事、脈拍が早い事、熱が出ている(37.0〜9のどれかの数字)という事を指摘されました
熱が出ているのは体のどこかに炎症が起きていると思うといわれ、炎症を抑える薬が出ました
それと風邪薬が出ました
これは医者に言われた事ではありませんが、この炎症とは心筋にできた炎症だったのではないかと思います。 心筋炎だったのだと思います。
心電図を撮りました 異常は見られなかった
25 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:25:49.07 0
この病院では足をゆっくりと動かしてトイレに行きました
この病院に来る前、お婆ちゃんの夜ご飯を食べた後、心筋の炎症はずいぶん良くなったと思います
急患センターで呼ばれるのを待っている間、脈は速いものの(115程度)、心臓の圧力が復活していました
それで、家に帰りました 帰る途中でコンビニによって、心筋の回復に役立つと思われた豆乳を飲みました
帰宅して寝ました 心臓に負担がかからないように、体の右側を下にして寝ました
明日の朝まで生きていられるだろうか、と思い、寝ました
26 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:28:04.21 0
次の日 2月6日も心臓が弱っていました
脈は強いのですが、動いている心筋が少ないのです
しかし、生きていけるという感覚がありました
生きれると思いました
心臓の圧力は戻ってきており、しっかり脈打っていました
脈は強いのですが、活動している心筋の数が少ないという状況でした
この時は肌が蝋人形のような色になっていました 2月5日に、病院から出て車に乗る際、車の窓ガラスに映った自分の顔を見て、蝋人形のような色をしていると思いました
朝の脈拍は80台で、84だったと思います
この朝に起きた時は、脳内麻薬が出ている状態だったと思います
脳内麻薬が出ており、前日(2月5日)のその心臓が「ドクン」となる前は記憶が次々と飛んでしまうという状態だったのですが、
この日は記憶がしっかり脳に入って行きました(心臓には記憶に関する機能があるのだと思います)
27 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:29:16.10 0
脈が弱っており、心臓が弱っており、死に対する恐怖を減らすための脳内麻薬が出ている状態でした
脈は強いのですが、活動している心筋の数が少ないという状況でした
少ない心筋で
ぎりぎり繋いでいる という状態でした
心筋が少ししか動いていないという状況でした
しかし、私の今現在の状態よりは、良い状態だったと思います
後述しますが、僕はこの日より後に(1週間〜2週間後)プログネノロンを飲むことで、心臓の圧力は上がりましたが、心筋が劣化してしまいました
体を動かすのは最低限にしました
動けないのです 心臓が弱っていて、心筋が少ない量しか動いていないという状態でした
しかし脈は強く、しっかりしていました しかし、体が浮き上がるように軽くなるような感覚がありました 心臓が弱っていました
心臓の圧力が弱く、体が浮き上がるように軽く感じます
本当にぎりぎりでした わずかな心筋しか動いていません
運動などはとてもやれません
脳内麻薬が常に出ており、恐怖は強くはありませんでした
朝起きた直後は、脈拍は74〜80代後半でした
ご飯を食べに、ダイニングへ行く時はゆっくりゆっくり歩きました
ダイニングについて、脈拍を測ると脈拍は74〜80代後半でした
ご飯は、すでにお婆ちゃんの手で作られていました
私は、首を下に下げると(頭を下げた状態)心臓に負担がかかってしまう癖のような物があって
首を下に向けないようにして朝ごはんを食べました 多少苦労しました
ご飯を食べている間、脈が不安定で、ビクッ ビクッとしながら食べていました
朝ご飯を食べている最中に、首をカクッと下に向けてしまい、
脈拍計で血圧・脈拍を測ると上がっていて(脈拍は108)、脳内麻薬がさらに多く出てきてしまいました
これで再び死の予感が出てきました
28 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:31:18.73 0
これで慌ててお婆ちゃんは寝ているお母さんを呼びに行きました
この時に、お婆ちゃんはお母さんに「親らしくしなさい」と言って、そうしたらお母さんは怒って
このダイニングに来る時にダイニングに入る入口のドアのガラス部分(8つのガラスがはめ込まれています)の一番ダイニング側から見て左下のガラスを
蹴破って入ってきました ここのガラスは僕が中学生の時に、同じように蹴って割ったことがあったので、去年、東日本大震災で割れたガラスを修復するときに、
修復して貰ったものでした
その後、なんとか落ち着き、
お母さんに目がおかしいと言われました(脳内麻薬の影響です)
それで、菅野医院という病院に行こうと思いました
菅野医院に行くまで、お母さんはメールなどで仕事のシフトを変えてる時に、僕は体の右側をを下に向けて寝ながらテレビを見て待っていました
その間、脈が不安定でした 脈拍は100を超えており 落ち着くといいな、と思っていました
ゆっくりゆっくり注意深く歩き、お母さんの車が駐車されている所まで行きました
菅野医院という心臓・循環器の病院に行きました
病院に行く車の中では、横になっていました(後ろ座席に)
心電図を診てもらうと、異常は無い
脈は速い
心臓をエコーで診てもらうと、心臓が年齢にしては大きいという事でした
心臓の薬は全て毒薬なので、不整脈などが出ていない状態で心臓の薬を飲むと心臓は止まってしまうとの事でした
なので薬は出すべきではない、と医者に言われました
それで、帰る事になりました
心臓に負担がかからないように、ゆっくり歩いて、ここまで送ってくれたお母さんの車に乗り込みました
ぎりぎりの状態なのですが、脳内麻薬が出ている(お母さんに目がおかしいと言われた)(鏡で見ると、目がトロンとなっています
菅野医院に行くとき、家から出て、車に乗る時、車の窓ガラスに映った自分の顔を見て、お母さんが言った目がおかしいという意味は分かりました)
ので恐怖はあまりありませんでした
帰り道、ヨーグルトを4つコンビニで買って、食べて心筋を回復させようと思いました
家に帰ったら、ヨーグルトを一つ食べ、寝室で体の心臓に負担がかからないように、右側が下になるように横を向いて寝ていました
横を向いて寝ていました
横になって寝ているだけで時間を過ごしていました
お婆ちゃんがやがて帰ってきました
ヨーグルトの残りの三つをダイニングのテーブルの上に袋のままで置いておいたままだったので、
お婆ちゃんに「テーブルの上のヨーグルトを持ってきてくれ」と頼みました (自分で行かなかったのは、心臓への負担を考えたためです)
それで、ヨーグルトを持ってきてもらい、2つを食べました
29 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:32:22.94 0
その後はヨーグルトで心筋を回復しつつ、落ち着いて寝ていました
本当に1秒立ったら死ぬかもしれない、極限状態でした
それが、7日間は続きました
心臓がおかしくなっている感覚があり、体の右側が下になるようにして横になっていました
その後、少しずつ回復しているのか、悪化しているのか
心臓は何度か(5回前後)止まりそうになりましたが、なんとか耐えきりました
実は、この日(2月6日)の後(この日から一週間〜二週間の辺り)にプレグネノロンというステロイドを飲んでしまい、
再び窮地に陥ってしまいました ステロイドは心筋を劣化させるのです(以前に、法務省の子どもの人権窓口に電話したとき、法務局の方が言っていました
30 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:34:24.25 0
2月21日
この日は、仙台厚生病院という所に行きました
前から通っていた内科・神経科で、貰っていた薬が効果が弱いと思っていたので、
病院を変えて、別の神経科に行きました(紹介状を書いてもらうのではなく、自分で行きました
そこで血液検査をする事になったのですが、
BMI値34.8もあり、
これでは怖くて薬を出せないという事で東北大学病院の精神科に紹介状を書いてもらい、そこに行くことになりました
そこで肥満についても話せ、と言われました
一週間前後でに東北大学病院に行く事になりましたが
そこでは力になれない(精神病ではない)という事で
仙台厚生年金病院の精神・神経科に紹介状を書いてもらいました
それで仙台厚生年金病院に行く事になりました
そして、2月21日に仙台厚生年金病院に行きました
この日は、この仙台厚生年金病院に来る前に焼き肉バイキングの店で食べてから行きました
僕の病院に入る時間は14時でした
焼き肉バイキングは僕が親やお婆ちゃんに頼んで行かせてもらったのですが(心筋を回復するため)
この焼き肉バイキングで、僕の様子がおかしくなり、心臓がおかしくなり、脈がおかしくなり、一時間のコースだったのですが45分ほどで
「早く出よう」とお母さんに言いました その後色々お母さんはデザートなどを食べて入ってから一時間立ったぐらいで出る事になりました
この焼き肉バイキングに行く前、動いている車に乗っている時、後ろ座席で横になって寝ていました 心臓に負担をかけないためです
この時から、嫌な予感はありました
焼き肉バイキングを出て、仙台厚生年金病院に向かいました
車の中では、後ろ座席に横になっていて、「早く着かないかな」と思っていました
車内でお母さんに「もう仙台厚生年金病院は見えてる?」と聞くと「もう見えてるよ」との事でした
しばらくすると仙台厚生年金病院に着きました
まず、仙台厚生年金病院の入口の前で降ろして貰い、お母さんは仕事の道具を駅に駅に置きに行きました
それが終わったら来るそうです
31 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:37:00.30 0
厚生年金病院に入ると、まず一階の受付に紹介状を出しカルテ?などを受け取って2階に行きました
二階に上がるエレベーターから、一番遠く 一番奥に精神・神経科があります
そこまで歩く途中、歩けない感覚がありました そして、後半分ほどで精神・神経科・に着くという所でで、心臓が「ドクン」となりました ついに来たかと思いました
死の恐怖がありました
「誰か助けてください」「だれかお医者さんを呼んでください」と言いましたが、周りにいる人はあまり大きく反応はしませんでした
近くにいた清掃員の方に、「脈がおかしいんです お医者さんを呼んでください」と言いました
そうしたら看護師の方が来て「どこにかかるつもりだったのですか(という意味の言葉 実際には違う)という事を言いました
「精神科です」と答えると、精神科の方に連れて行ってくれました
お医者さんを呼んでもらいました 何とか心電図を撮ってくださいと言ったのですが、順番があるという話でした
僕の順番が来てからじゃないと心電図は撮れないという事でした
カルテなどを精神・神経科に出して 長椅子に横になって寝ていました 出して、椅子に横になって寝て
その間、ドクン・ドクンと強くなっている脈とともに、長椅子に横になって寝ていました
冷や汗・脂汗が出ました 自分の脈拍計で、脈拍・血圧を測ったりもしました(寝ながら)
そうして待っていて、3人待ちだった状態から僕の順番がやってきました
精神科の部屋に入り、そこで、脈がおかしいんです 心電図を撮ってくださいとお願いしました
お医者さんの方からは、今まで色々な病院で心電図を撮って何ともないと言われてたんでしょ?と言われましたが
何とか撮ってくださいとお願いしました
それで、心電図を撮る事になりました
心電図を撮る部屋まで、ゆっくりゆっくり、精神・神経科の受付の人に着いて歩いて行きました
心電図を撮る部屋に入り、ベッドに横になり、服をめくって胸を出して、何か粘性のある液体を塗り、その上に心電図を撮る機械の先の部分(電極?)を取り付けました
それで、心電図を図りました
心電図を撮ってくれたお姉さんには、「脈が早いね」、と言われました 「脈が速いから心電図を撮る事になったの」?と聞かれたので
いえ、僕の判断でお願いしましたと言ったら合点した様子でした
その後、精神・神経科の前に戻り(ドクン、とならないようにゆっくりゆっくり歩いて戻りました)、再び順番待ちになりました
この順番待ちの最中に、お母さんが帰ってきました。お母さんに「○○○○!」と呼ばれました ほっとしました
32 :
オナ禁推進会長:2012/03/28(水) 14:44:06.06 0
かなり待つと、私の名前が呼ばれ、先ほどとは別の1号室のほうに入りました(先ほどは2号室だった)
そこで、心電図には異常は無いという事を言われました
それで、診察が終わり、そこで僕は車いすで玄関まで連れて行ってほしいとお願いしました
受付の方が車いすを持ってきてくれて、僕はそれに乗り、お母さんが車いすを押してくれました
それで一階の玄関まで行きました
お母さんに車をここまで持ってきてくれと頼みました
お母さんは車を駐車場から持ってきてくれて
それに乗って、仙台厚生年金病院の正面にある調剤薬局の前まで行きました
薬局の前に路上駐車し、中に入って行きました
そこで、処方箋を出し、薬を貰いました
お母さんの車に乗って、後部座席に横になり、帰りました
33 :
('A`):2012/03/28(水) 14:54:36.56 0
>毎日3食、納豆と卵をご飯にかけて食べ
>豆乳を飲みました
>ヨーグルトを4つコンビニで買って、食べて心筋を回復させようと思いました
>焼き肉バイキング
>BMI値34.8もあり
どう見ても栄養の摂りすぎ、太りすぎが原因ですwww
野菜は食べてるのけ?
34 :
('A`):2012/03/28(水) 15:12:21.95 0
すっかり気違い日記になっちゃってるな
35 :
('A`):2012/03/28(水) 16:40:53.22 O
それよりエビオスって増毛効果あるの?
36 :
('A`):2012/03/28(水) 17:11:33.14 0
あるならバカ売れしてます
37 :
('A`):2012/03/28(水) 18:41:17.34 0
通はスーパービール酵母Zらしい
38 :
('A`):2012/03/28(水) 18:47:05.89 0
BMI値34.8って身長170cmで100kgくらいだぞ
そりゃ血圧とかおかしくなるだろww
39 :
('A`):2012/03/28(水) 19:41:09.17 0
文章が長くて全部読む気しないが
>プレグネノロンというステロイドを飲んでしまい、 再び窮地に陥ってしまいました
>ステロイドは心筋を劣化させるのです
>(以前に、法務省の子どもの人権窓口に電話したとき、法務局の方が言っていました
これなんかまさに
>>16で書いてある通りの思い込み病
専門家ですらない人間の言葉を拡大解釈し
人体の中でも普通に生成される物質を猛毒みたいに思い込んでいる
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/プレグネノロン
40 :
('A`):2012/03/31(土) 20:41:44.51 0
41 :
('A`):2012/04/10(火) 13:51:00.38 0
何子のすれ
42 :
('A`):2012/04/10(火) 13:56:33.98 0
今日はネガ系のスレを中心に上げまくってるな
43 :
('A`):2012/04/10(火) 14:25:46.79 0
what?
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45 :
('A`):2012/05/03(木) 19:06:21.82 0
おい、会長見てるか?
恐らくお前さんは 太 り す ぎ なのが一番の問題
なぜ痩せようとしない?
46 :
('A`):2012/05/04(金) 13:55:38.63 0
47 :
('A`):2012/05/10(木) 03:59:25.45 O
初めてこのスレみたけど。このオナ禁なんとかって奴は完全にキチガイ(精神病)だな
こんなクソガキの面倒をみなきゃいけない家族も堪らんな
早く死んだ方がいいな
48 :
('A`):
まあそう言うな