【ギャル】■やたら現実的なアイマス 2■【彼氏持ち】
「おいでー、ごはんだよー」
夜闇の中に、少女の声が吸い込まれていく。
それに呼応して、藪の中から葉擦れの音。ひょこ、と丸い目をのぞかせた猫に、高槻やよいはにっこりと微笑みかけて猫缶を差し出した。
日中であれば、この光景を微笑ましげに眺める人もいたであろう。公園の管理人なら、餌やりは禁止です、ルールを守って、と小言の一つも言っただろうが、少なくともやよいに対して不信感は抱くまい。
だが、深夜1時の公園で、街頭の明かりも届かない奥まった藪の前を13歳の少女が猫缶を持ってうろついている。これは誰が見ても奇妙な光景であった。
とはいえ少なくともこの猫にとっては、それは取るに足らないことであったらしい。鼻の先で様子を伺い、前足で缶の縁を二度三度撫でてみてから、中身に口をつけて頬張りだした。
「ふふ、いい子いい子」
やよいはそっと猫の後ろに回り、小さな手でその脇腹を撫でてやった。
もともと公園に棲みついている野良猫である。人には慣れていた。それでも、見ず知らずの人間が脇腹を触ったなら逃げ出したであろう。だが、この猫はやよいをよく見知っていた。ここ数日の、やよいによる餌付けの成果であった。
「今日は、プレゼントがあるんだよ」
そっと猫の首に手を回し、赤い首輪を巻いた。猫缶と同様、なけなしの小遣いを大事に貯めて近くの100円ショップで買った、新品の首輪だった。
(古いのだと、切れちゃったら困るもんね)
しかし、やよいにはこの猫を家に連れ帰って飼う気は毛頭なかった。また明日ね、と再びここで会うのが楽しみで溜まらないといった笑顔を残して、やよいは家路についた。
やよいがこの公園に通うようになったのは最近のことではない。アイドルとしてデビューする前から、弟たちを連れて来たことも幾度となくあった。
ハードなあいさつ回りを終えて、くたくたになって家に向かっていたあの日も、特に理由もなくこの公園に寄って、ベンチで足の疲れを癒していたのだった。
そんな時。やよいの膝に一匹の蟻が這い登ってきた。疲労と暑さで気が立っていたやよいに、その蟻のフラフラとした動きは無性に腹立たしく思われた。
「ふん」
蟻に一瞥をくれるなり、爪弾き。跳ね飛ばされた蟻は地面に叩きつけられてもまだ忙しなく足を動かしては空を切っていたが、すぐにぴくりとも動かなくなった。
(わたしが、殺したんだ)
にわかに、やよいの心に興奮の炎が灯った。この哀れな虫けらの命は、わたしの思うがまま。わたしの気まぐれ次第で、生かすも殺すも好き放題。なんて素敵なんだろう。
(もっと、いないかな)
さっと地面に目を光らせる。幸か不幸か、蟻は目に入るだけで十数匹はいた。やよいはそれを片端から潰して回った。
あるものは指の先で、あるものは靴の踵で、またあるものは摘みあげて十円玉2枚の間に挟み、じわりじわりと力をかけて、爪の先ほどの命が消えていく様を楽しんだ。
「うふふふっ」
あいさつ回りの疲労も、明日からまた一週間の学校生活が始まる憂鬱感も、自宅で待っている家事地獄への気の重さも皆忘れて、やよいは笑った。
家では甲斐性のない父親、気の弱い母、手間のかかる弟たちに囲まれて気の休まるときもなく、学校では風呂にも入れない貧乏人としてからかわれ、週末にはうだつの上がらないプロデューサーに連れられて禿頭やらメタボ腹やら腋臭やらを訪ねてはペコペコ頭を下げてばかり。
そんなヒエラルキーの最下層にいたやよいが、一転して頂点に立った瞬間だった。
やよいに、新しい趣味ができた。この趣味はプロフィールを埋めるために仕方なく書いた「オセロ」などよりずっとエキサイティングで楽しかった。
小遣いを貯めては100円ショップに行き、どれを使ってどんな殺しをしようかと考える。それだけでたまらなくワクワクした。
実際に公園の虫や小動物を手にかけるのは、その何倍も素敵だった。蟻に接着剤を垂らす、トンボの羽をライターで炙る、蜘蛛の足を片側だけむしる、テントウムシを瓶に入れて餓死させる、カエルを車道に投げて車に轢かせる、毛虫を池に投げ入れる。
小さな子供は、こういった残酷な遊びが好きだ。だが、それはあくまで純粋な好奇心からのもの。やよいの行為はそれとは明らかに異質だった。
やよいは、自分の手で命を奪うことを、生き物を殺すことを楽しんでいた。より大きな生き物を、より残虐な方法で殺すほど、やよいは幸せな気持ちになる。
もっともっと大きな、そして高等な動物を、自分の手にかけてみたい。やよいが公園の野良猫を標的にえらぶまで、大した時間は必要なかった。
「おいでー、ごはんだよー」
昨日と変わらぬ、殺意など微塵も見られない声でやよいは呼びかけた。
暗闇から姿を表した猫に、愛おしげな視線を送りつつ、いつものように猫缶を差し出す。
ぴちゃぴちゃと音を立てて猫缶を口にしている猫の後ろに周り、これまたいつものように脇腹を撫でてやる。
その手がすっと首に伸び、首輪についた鉄環にロープを通し、固く結わえつけた。
これには猫も異変を感じ取った。素早くやよいの手をすり抜け、藪の中へ猛然と駆け込んだ。
だが、その躍動は自身の体を地面に引き倒す結果を招いた。ロープは予め、低い樹の幹を回してあり、反対の端はやよいがしっかりと足で踏みつけていたのだった。
「ふふふふふっ」
やよいが上ずった笑い声を上げる。
「死んじゃえ」
ゆっくりとロープを引く。猫は狂ったような叫びを上げ、じたばたと藻掻くが、首輪は固く締まっていて抜ける気配がない。体が吊り上げられ、どんなに藻掻いても足が空を切るだけになると、猫の叫びはいよいよ恐怖を含んだものになり、みるみるか細くなっていく。
「あはははははははははっ!」
不意にやよいは笑い出した。素敵だ。感動的だ。わたしの手の中で、猫が死につつある。わたしが殺している。しっかりと握ったロープには、猫が暴れるたびにぐっ、ぐっ、と力が伝わってくる。それがだんだん弱くなっている。幸せすぎておかしくなりそう。
背筋を猫の舌で舐め上げられているようなゾクゾクする感覚が全身を襲う。片手にロープを握ったまま、自分の肩を両手で抱いて強すぎる恍惚に耐えた。
自分は、きっと今まで生きてきた中で一番幸せそうな顔をしているんだろうな、とふと思った。
実際、やよいはアイドル業で見せた作り笑いなどよりもずっと明るく健康的な笑いをしていた。それとは対照的に、猫は断末魔の一声を残し、おぞましい形相で息絶えていた。
やよいの目的は猫を殺すことであり、この醜い犠牲獣を木に吊り下げて顕示しようという気持ちも、そうしたいという欲求もなかった。
むしろそんなことをすれば、騒ぎが大きくなって今後のお楽しみがやりづらくなることを直感的に理解していた。やよいは猫を自重によって木から降ろし、ロープを持って骸を川まで引きずって行き、黒い流れの中へと投げ捨てた。
(これで明日もアイドル頑張れそう。またやりたいな)
次はもっと大きな猫で、いや、できることならさらに大きな動物がいいな。考えるだけで先ほどの興奮が呼び戻されてくる。気持ちの昂ぶりに、思わず口をついて声が出た。
「うっうー!」