そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう 事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、 いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩 である。ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすれば 「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」 (It is to be prayed that the mind be sound in a sound body) と語っており、これが大本の出典である。 以上の背景から、単に「健やかな身体と健やかな魂を願うべき」、 つまり願い事には慎ましく心身の健康だけを祈るべきだという意味で 紹介されることがあるが、それも厳密には誤りである。 同第10編に「パンとサーカス」の記述があるように、 当時のローマ市民は娯楽に明け暮れ堕落した生活を続けていた。 専ら身体能力の高さや肉体美だけを重視し、腐敗した政治に一切関心 を持たない民衆を大いに皮肉った風刺の句でもある。 健全な精神については数行に渡って詳細に記述されており、 ユウェナリスがローマ市民に対し誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていた ことが窺える。 その後しばらくは本来の正しい意味で使われていたが、近世になって 世界規模の大戦が始まると状況は一変する。 ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして 「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることに よってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄し、 軍国主義を推し進めた。その結果、本来の意味は忘れ去られ、 戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。 このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ 業界を始めとする体育会系分野において深く根付いている。 現在は冷戦も終わり軍国主義を掲げる必要がなくなったことや、解釈によって は身体障害者への差別用語にもなりかねないことから、多くの国では 身体と精神の密接な関係とバランスを表す言葉として使われている。