ところが、クロワゼットの透視に驚いたスタッフは一度帰ってしまったスタッフを再び局に呼び戻し、最初の証言から2時間も後に、
カメラの前でもう一度同じことを行ってもらって撮影したものが、放送された透視場面だったというのだ。
しかもこのとき、最初の透視の際に同席していたテレビ局のスタッフが、うっかり口を滑らせてしまった「車のポンコツ処理場がある」という情報を、
(最初の透視では一言もそんなことは言ってなかったにもかかわらず)二度目の撮り直しの際には、ちゃっかり自分の透視内容に取り込んでいたという。
つまりこの透視場面は一種のヤラセといえるような再現映像であり、さらにトホホなのは、それが実際に行われた透視の忠実な再現にすらなっていなかったということである。
しかし、いくつか疑わしい点があるとはいえ、この事件では警察よりも早く少女の遺体を発見したのは事実ではないのか?
確かにこれは事実である。
だがクロワゼットがいなければ、この事件で遺体が発見されることはなかったのかといえば、決してそんなことはない。
実は遺体が発見されるとすれば、あとは山倉ダムしか残っていないだろうというのは、当時、この捜索に参加していた人たちの間では常識だったのだ。
結果的に山倉ダムの捜索が一番最後に残されたのは、少女の両親が「あそこには遊びに行かない」と証言していたためだ。
しかしどこにも見つからない以上、「もうダムしかない」という想いは当時誰もが持っていた。