喪男がWW2艦船を語るスレ

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178のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/10(火) 23:57:37 0
179('A`):2006/01/11(水) 00:50:49 0
この系統で矢矧が出るという情報を目にしたような気がするんだが、俺の妄想?
180のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/11(水) 01:37:43 0
連斬矢矧でますよ
181('A`):2006/01/11(水) 03:26:21 0
キター

「男たちのYAMATO」は映画としてもなんか面白くなかった上、俺の好きな矢矧がチラとも映らないので非常に不満だったんだ
182のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/11(水) 15:03:23 O
新東宝の大和ではそれらしきの出てたよ
一瞬で爆沈していた

酒匂とかもラインナップされんのかいな
183('A`):2006/01/11(水) 21:27:07 0
実際は矢矧はかなりの被弾を受けたはず
しかし新鋭とはいえ所詮軽巡、あえなく爆沈。・゚・(ノД`)・゚・。
184のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/11(水) 23:54:44 0
矢矧好きな人初めてだよ
喪男なら大淀大好きだよな
185('A`):2006/01/12(木) 02:14:21 0
矢矧は実は相当の被害に耐えた後に沈没している。
最後の日本軽巡として恥ずかしくない散り際であったと言えよう。ま、二水戦司令がそれを汚したとも云えるが。

俺は大淀の艦橋がいまいち好きくなれない。
186('A`):2006/01/14(土) 00:12:08 0
浮上血戦
187('A`):2006/01/14(土) 00:15:27 0
だれか矢矧(というか阿賀野型2番艦以降)のエロカワイさを理解するものはおらんか

といって一番艦の阿賀野はいまいち垢抜けなくて好きじゃないわけだが・・・
188のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/14(土) 00:17:56 0
大井と北上 二人は重雷装艦!
189('A`):2006/01/14(土) 00:19:28 0
オルブライトとライス、2人はプリキュア
190('A`):2006/01/14(土) 19:53:59 0
いや、むしろ喪男なら夕張だろ
191('A`):2006/01/14(土) 22:15:34 0
秋津州って喪っぽくない?
192のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/14(土) 23:19:28 O
秋津州モエス
ブルーリッジの走りだね
193('A`):2006/01/14(土) 23:20:33 0
秋津州って指揮艦としての機能もあるのか?ただの水上機母艦かと思ってた
194('A`):2006/01/14(土) 23:23:30 0
喪といえば裏方
したがって明石だね
195('A`):2006/01/14(土) 23:24:06 0
秋津州は強襲揚陸艦の走り
196('A`):2006/01/14(土) 23:26:59 0
給糧艦間宮とかはすごく喪っぽい
197('A`):2006/01/14(土) 23:28:01 0
大淀は?
198('A`):2006/01/14(土) 23:28:28 0
陸奥こそ喪の極め
199のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/14(土) 23:29:08 O
確か観測機(ヘリ)を搭載していたよ
大発も搭載してるから強襲揚陸艦だね

ブルーリッジって表現は適切じゃなかったな…大淀だね
200('A`):2006/01/14(土) 23:29:25 0
陸奥はまだポテンシャルはあるからな
ポテンシャルさえ無い上に勝手に爆沈しちゃうのが喪
201('A`):2006/01/14(土) 23:30:07 0
おまいら喪のクセに詳しすぎ
生意気だ
ムキー!!!
202('A`):2006/01/14(土) 23:31:35 0
>>199
ヘリってカ号観測機?あれは実用にならなかった稀ガス
それとも三式指揮連絡機でも積んだか・・・

たしかに大淀はブルーリッジのご先祖だな
203('A`):2006/01/14(土) 23:32:30 0
喪男なら戦時標準船
204('A`):2006/01/14(土) 23:34:46 0
雑用艦は喪
205('A`):2006/01/14(土) 23:36:17 0
ttp://www.military.sakura.ne.jp/navy/o_akitu2.htm

やはり秋津州は飛行艇母艦みたいだな。当時はまだヘリはドイツでしか実用化されてなかったんじゃなかっただろうか
206のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/15(日) 00:12:54 O
すまん勘違いしていた
オレが言ってたのはあきつ丸のことだった
三式連絡機とカ号観測機を搭載していた。
ヘリでは無くオートジャイロと言うべきか。ちゃんと飛んだみたいよ
207('A`):2006/01/15(日) 01:51:02 0
あぁそうだ。何か違和感があると思ったら秋津州と秋津丸があるんだよな。
紛らわしいっていうか実際の現場でも混乱なかったんかな。
208重度の老け顔 ◆adhRKFl5jU :2006/01/15(日) 18:56:26 0
本当の喪は大発
209('A`):2006/01/16(月) 00:20:23 0
>>207
俺なんてカッター
210のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/16(月) 00:25:30 0
本当の喪は甲標的
211('A`):2006/01/16(月) 00:44:36 0
いや、漁船
しかもドーリットル隊積んだホーネットに見つかってタコ殴り
212('A`):2006/01/16(月) 21:28:14 0
空母龍驤も喪男っぽい
213('A`):2006/01/17(火) 14:08:19 0
瑞鳳って軽空母だけどなんかかっこよくない?スマートな感じで
たしかに龍驤は喪な感じがする
214のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/17(火) 19:25:35 O
レイテ沖の伊勢日向は神
215('A`):2006/01/17(火) 19:28:25 0
スリガオ沖の西村艦隊泣ける…
216('A`):2006/01/17(火) 19:33:43 0
つか、男たちの大和見たけど救いがない悲惨すぎる。
死に方用意!っていくらなんでも。
217のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/17(火) 19:36:41 O
水偵の報告で自軍の数倍規模の敵艦隊が待ち受けているという報告を受けながらも
進軍を止めなかった西村艦隊…
それに比べ小沢の囮作戦成功の報を受けながらも無視した栗田
218('A`):2006/01/17(火) 20:21:49 0
>>217
お、栗田の反転知ってるのがこの板にいるとはw
天佑を確信し突入せよ!が大本営の命令だったな。

>>216
まあ、レイテでしずまなかったのが死に場所失った原因だがな。
戦艦の時代終わらしたのは他ならぬ日本軍の機動部隊戦術だったわけで。
219('A`):2006/01/17(火) 22:30:00 0
「君、死んじゃいけないよ。昨日から宇垣は沖縄に飛びこんだ。大西は腹を切った。
みんな死んでいく。これでは、誰が戦争の後始末をするんだ。
君、死んじゃいけないよ。」

――――1945年8月16日 小沢治三郎 日吉の連合艦隊司令部にて
220のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/18(水) 01:41:04 0
http://cgi.2chan.net/y/src/1137488719680.jpg

連斬○○最新シリーズ・・・
221('A`):2006/01/18(水) 01:42:10 0
222('A`):2006/01/19(木) 12:24:54 0
捷一号作戦が発動されたが、大西中将には戦う手段がなかった。
手持ちの戦闘機が少なくなっていたのもあるが、何よりもそれを動かす搭乗員の技量がまったくなかったのだ。
離陸するのも危なっかしく、練習中に着陸に失敗して命を落とす搭乗員も少なくなかったらしい。
この状態で戦果を期待するのは、誰が見ても不可能であった。
しかも、開戦から一年位は日本の戦闘機が性能面で圧倒的に上であったが、ガタルカナル頃から逆転し始め、
昭和十九年に入るとアメリカの戦闘機に全くかなわなくなっていた。
搭乗員が未熟な上、戦闘機の能力も劣るこの事態をどうすればいいのか?
大西中将は迷ったに違いない。ここであの「特攻作戦」を考え出した。

もちろん特攻は無茶苦茶な作戦である。これを大西中将は「統率の外道」と言ったらしい。
しかしこの無茶苦茶な作戦も、当時の軍航空関係者に言わせれば仕方が無い事だと言う。
それは、普通に戦っても何も戦果もなく死んでしまう。それはマリアナ沖海戦でも証明されている。
どうせ死ぬのであれば、戦果を上げて死んでもらいたい。その方が搭乗員も良いのではないかと考えたと言う。
大西中将もそう考えたに違いない。つまり練習する時間もなく、練習する航空機もなく、練習する燃料もない
当時の状況で戦果を上げるのは不可能なのである。
しかし、戦争継続を決めた以上、そして、命令を受けた以上、何もしない訳にはいかない。
従って、搭乗員にムダな死に方をさせない為にこの「特攻作戦」を考え出した、のである。

この無茶苦茶な、作戦とも言えないような作戦に、当時の大西中将の航空隊の搭乗員は従った。
従ったと言うより、それしか無いだろうと思っていた、と思う。
自分達に技量では、米軍との戦いで戦果を上げるのは難しい。そしてその事は理解できる筈である。
従って、ここでまともな戦いをして死ぬのと、特攻して戦果を上げて死ぬのとどちらを選ぶかと言えば、
後者を選ぶのではないだろうか。この後の日本の唯一に武器は「特攻」であった。
基本的に志願しての出撃と言われていて、それを疑問視する人も多い。
しかし、当時は国の為に死ぬのが美徳とされていた。戦前の教育を受けた人のほとんどはそう言っている。
皆がその考えだったのかは疑わしいが、そういった教育を受けていた人にとって特攻というのは
助け船のようだったのではないだろうか。今の自分の技量ではとても国の為にならない。
特攻であれば役に立てるかもしれない。そういった気持ちが大部分を占めていたように思う。
従って、戦後から近年にかけて言われているような、何か無理やり志願しなければならないような状況に
なっていたとかは、あくまで戦後教育を受けてきた人が思う印象であって、当時の人が思っていた訳ではない、と思う。
全員がそうであったとは思わないが。

この大西中将は「特攻作戦」の発案者として評判が悪いが、実は海軍に中でもかなり部下思いの上官であったらしい。
私利私欲がまったくなく、日本の為に尽くした人物だったと言う。
フィリピンがほぼアメリカに占領されると、台湾に移動して指揮を執る事になるのだが、本人は不服だったらしい。
フィリピンで死ぬつもりでいたのである。「特攻作戦」を指揮したのであるから、最後は自分も、と思っていたのだろう。
若い搭乗員を死なせて自分だけが生き残ろうとは考えていなかった。そして、戦争終結の際は最後まで反対していた。
あれだけ多くの特攻を犠牲にしたのである。これで無条件降伏をしてしまったら、死して国に尽くそうとした特攻隊員に
申し訳がたたない。従って徹底抗戦を主張したのである。
それを証拠に、戦争終了後の八月十六日に自刀して特攻隊員の後を追った。問題はその他の将軍達である。
戦後、実は特攻には反対だったとかボケた事を真顔で言う将軍達が少なくなかった。
もちろんそいつらが特攻作戦を推奨したのである。そいつらは特攻隊員など何とも思っていないのだ。
自分達がひたすら生き残る事しか考えていなかった。そして戦争終了を遅らせたのも自分達の利益を守る為であり、
敗戦後に米軍にすり寄り、戦争反対や民主主義を宣伝したのも自分達が生き残る為にであり、そういった人物が
日本の戦後を作っていき、我々を教育したのである。
そう考えると、日本の戦後教育は正しいとは思えなくなる。
223^a^ ◆AYA/AYX6F. :2006/01/19(木) 12:35:53 0
重雷装艦きたこれ
224('A`):2006/01/19(木) 17:36:18 0
>>222
×自刀
○自刃w
225('A`):2006/01/19(木) 21:15:12 0
島風量産の暁には合衆国の駆逐艦なぞ・・・・
226のほダメ ◆aOLjRoi1zs :2006/01/20(金) 02:36:18 0
決戦部隊
227('A`)
>>222
「〜と思う」が多すぎだし、「他の将軍」といった曖昧な言葉ですべてをくくりすぎ。
戦後教育を憂えるのはいいが、まずはいろいろな本やいろいろな人の意見を聴いてからでも遅くはないと思うぞ。君は若そうだし