武士になりました

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361('A`):2005/08/28(日) 20:14:32 0
なにかとマンドクセのが武士を名乗ってよいと…?
362('A`):2005/08/29(月) 20:58:17 O
>>1よ。山梨に抜刀道の道場あるぞ
363('A`):2005/08/29(月) 21:07:28 0
テスト

364('A`):2005/08/29(月) 23:34:41 0
365('A`):2005/08/31(水) 06:53:52 O
>>1
葉隠かったか?
366('A`):2005/08/31(水) 22:55:31 0
>>1マダー(・∀・ )っ/凵 ⌒☆チン
367童士郎 ◆bbe6nZAN/M :2005/09/01(木) 13:39:13 O
>>362dクス('ω`)
抜刀道場誰か一緒に行こうぜヽ('∀`)ノ
368('A`):2005/09/01(木) 13:47:45 O
千堂武士?
369('A`):2005/09/01(木) 13:49:16 0
抜刀を覚えた喪男てジェイソン並に怖いな
370('A`):2005/09/02(金) 05:56:16 O
>>369
幼女のピンチにゃ刀速二倍
371('A`):2005/09/02(金) 06:06:14 O
チソコのコスリスピードは
4倍に跳ねあがる
372('A`):2005/09/02(金) 23:23:28 0
まさに天下一の剣豪になるって寸法さ!
373('A`):2005/09/03(土) 12:44:52 O
そろそろ葉隠貼っていくかな
374('A`):2005/09/03(土) 15:42:18 0
40代、独身で木刀持って素振りしてます!

警官に職質されました!
375('A`):2005/09/04(日) 00:00:16 0
>>373嘉門

こないだ深夜公園で素振りしてるスキンヘッドをみつけてガクガクブルブル
376('A`):2005/09/04(日) 10:41:33 0
>>375
古典の勉強がしたいわけじゃないから
現代語訳版しか持ってないからそれでかんべんな。
377('A`):2005/09/05(月) 20:41:12 0
じゃあ俺が選んだの載せていくぞ。



葉隠聞書第1-2

武士道とは、死ぬことと見つけたり。生か死かの二つに一つのときは、死ねばよい。
何も考えることはない。覚悟を決めて突き進め。目撃もとげずに死ぬのは、
犬死だ、などというのは上方風な軽薄な武士道である。生か死かのせっぱつまったとき、
うまくやれるかどうかの判断がつくものか。
人間、生きるほうが好きだ。だから好きなほうに理屈をつける。だが、目的もとげられず、
ただ生きのびたら、腰抜けだ。このあたりが難しい。目的も遂げずに死んだら、
犬死に、基地外沙汰である。が、恥にはならぬ。これが、武士道における男のありようだ。
毎朝、毎晩、心静かに、死を考え死を思い、常に死にみになっているとき、
武士道の覚悟が身につき、一生、過ちもなく、武士の務めを果たすものである。
378('A`):2005/09/05(月) 20:54:14 O
>>1
鎧くれ!
379('A`):2005/09/05(月) 20:58:44 0
聞書第1-4

生まれつきで、即座に知恵の出る者もいる。後から枕をしぼりきるように
考えぬいて知恵を出す者もある。この根本を考え突きつめてみると生まれつきで優秀はあるが、
その生まれつきを乗り越えるためには四誓願にのっとり、私心を捨て去って考えるとき、
すばらしい名案が浮かぶものだ。多くの人は、ただ深く考えつめれば、
優れた良策を思いつくように思っているが、私心のある策は、悪知恵である。
凡人の常で、私心を捨てるのは難しい。だが、ことに望んで、まず真っ先に四誓願を繰り返し、
私心を捨てて工夫すれば、そうそう大きな間違いをするものではない。

聞書第1-23

酒盛りは、厳しくなくてはならない。気をつけてみていると、大方のものが飲むばかりである。
酒は、酒の切り上げをきれいにしてこそ酒である。そこに気をつけないと
人間が卑しく見える。大体において酒の飲みようで、人間人柄がわかるものだ。
酒の席も、公の場と心得よ。
380('A`):2005/09/05(月) 21:09:36 0
聞書第1-35

このごろのご家来衆を見ると、目線がたいそう低い。まるですりの目だ。
おそらく、わが身のための欲得ずくか、小利口ぶるかのためだろう。
またいくらか肝が座っているかと思えば、ただ形だけの虚勢である。

この分はここまでを自分にたとえられるので選んだが後半はたとえられないので
自分にとってはどうでもいいが一様書いとく。

わが身を君主に差し出して、行きながら幽霊となって四六時中君主を大事に思い、
しっかり勤めを果たし、お国をゆるぎないものにする、というところに目をつけなければ、
ご家来とは言われぬものだ。この決意には上下の差別などあるわけない。
このあたりにずっしり腰をすえて、たとえ仏や神の勧めがあろうとも迷わないよう覚悟せねばならない。
381('A`):2005/09/05(月) 21:27:31 0
聞書第1-44

付議を憎み、正義を愛するというのは、難しい。されば正義を通すことを最上と思い、
それだけに一向きに進んで正義を通すと、かえって誤りとなることも多い。
正義の上に道というものがある。これを悟ることはなかなかで、非凡人でなければ悟れない。
その境地から見るとき、正義の一段格が落ちる。これは、自分で悟らない限りわからないものである。
しかし、自分で悟ることができなくても、その境地に達することができないわけではない。
人と話し合うことだ。熟慮して自分の非を知るということも、話し合いに勝るものではない。
いろいろ話を聞き知り、書物を読んで知るのも、自分の独善的な考えを拝し、
個人の客観的な考えを取り入れるためである。
382('A`):2005/09/05(月) 22:58:31 0
聞書第1-47

宗竜寺江南和尚が、琢美作の守殿や石田県などの学問好きとあって学問の話をされたとき、
「おのおの方は、物知りで大変結構ですな。しかし道を知るということは、
一般の人間に劣っていなさる」と、言われたので一県は、
「聖賢が示された道のほかに道はありますまい」と、反論した。そこで江南東和尚は、
「物知りが道を知らないのは、東に行くつもりが、西に行っていいるというぐらいひどい
。物を知れば知るほど道を遠ざかっている。そのわけは、昔の聖賢の言行を書物によって覚えたり、
話に聞き覚えたり、見識高くなり、自分を聖賢と同等のように思って、
一般の人々を虫けらのように見下す。これでは道を知らないというほかない。
道というものは、自分の欠点を知るということだ。常に反省して悪いところを直すために、一生、努力していくというのが道である。
聖の字をヒジリと訓むのは、聖人は己の非を知っているからである。
仏は、知非便捨(非を知れば直ちにそれを捨てる)の四字を持って自分の道の完成を説かれている。
自分の心に気をつけていれば、一日の間に悪心の起こることは数え切れない。
自分をよしと思うことはできないはずである」
と、申されたので、一座の人々は、それより江南和尚を深く尊敬尊敬されるようになったという。
しかしながら、武士の生き方は違う。武士は、大高慢で、自分こそ天下無双の勇士と
思っていなければ武勇を天下に現すことはできない。また武勇をあらわすのは、自身高慢の気位である。
383('A`):2005/09/05(月) 23:13:03 0
聞書第1-48

『武士道巧者書』という本に、「巧者は名乗る武篇に名をとる道あり」とある。
これでは後々誤って理解されるであろう。それで「せざる武篇にも」と「も」の
一事をくわえておきたい。武道功名は腕立てしないときでも名を大切にするという意味だ。
また、志田吉之助は、
「生きても死しても残らぬことならば生きたがまし」
と、言ったが志田は曲者なので冗談に言ったのである。それを若い衆は理解せずに
武士の名折れだなどと言い出すかもしれないが、それに続いて、
「食う食うまいかと思うものは食わぬがよし、死のうか生きようかと思うときは
死したがよし」と言ったのである。
食いたい生きたいという人間の本能を否定する志田は、くだらない生き方をするなというのと
同時に、くだらない死に方をするなと冗談めかして言ったのである。
384('A`):2005/09/07(水) 05:16:27 0
>聖の字をヒジリと訓むのは、聖人は己の非を知っているからである。

へぇ〜へぇ〜へぇ〜
385('A`):2005/09/07(水) 05:53:13 O
続いて載せていってもいい?
386童士郎 ◆bbe6nZAN/M :2005/09/07(水) 10:35:05 O
>>385 どんどん載せてってくれお(^ω^ )
387('A`):2005/09/07(水) 12:28:09 0
>>386
(^ω^ )ラジャー
388('A`):2005/09/07(水) 19:36:25 0
聞書第1-55

ある男は、喧嘩の仕返しを知らなかったため、恥をかいた。仕返しは、
ただ突っ込んでいって斬り殺されたら斬り殺されたでよい。これは恥にはならないのである。
相手に勝たなければと思うために間に合わず、また、多勢だ味方を集めろ、
といっているうちに時も移り、ついには気が抜けて、辞めようかの相談になってしまう。
相手が何千いようと、片っ端より撫で斬りにする覚悟で立ち向かっていくことでいいのだ。
案外、それで成し遂げるものである。
浅野家浪人の吉良邸討入りで、泉岳寺で腹を切らなかったのは失敗だ。
また君主を打たれて敵を撃つまでに時間がかかりすぎた。もしその間に吉良が病死でもしたら、
残念至極なことである。
上方衆は、利口なので、人にほめられるような仕方ははなはだ上手だが、
長崎喧嘩(元禄十二年、佐賀藩家老職の鍋島茂久の家来と長崎町年寄り高木彦右衛門の喧嘩。
鍋島家来の、行動始末を、大石良雄は参考にして吉良家に討ち入ったといわれる)
のような無分別なことはできない。
また曽我兄弟の夜討ちもずいぶん年月がたっている。幕府の紋を見て歩くとき
河津十郎祐成が失敗したことは不運であったが、弟の五郎の言い分は立派であった。
だいたい、このような批判はしないものだが、これも武士道を考えるための事例として挙げた。
あらかじめ、十分に考えておかなければ、行きあたりばったりでは判断もつかないので、
たいていの場合恥をかく。
人の話を聞き、物の本を読むのも、かねがね覚悟を固めるためである。
特に武士道においては、いつどんなことが起こるかわからないと思って、
日夜、筒条書きにして考えておくべきである。
勝敗は時の運であるが、恥をかかないようにすることは別である。
死ぬ覚悟があればよい。その場で負けたらすぐ仕返しせよ。これは知恵も業もいるものか。
曲者といわれるほどの者には、勝敗を考えず、しゃにむに死に狂いするまでである。
そこから迷いもさめる。


ふう疲れた。一様前文載せてますがいるとこだけ抜き出して考えるのがいいと思います。
自分はそうしてます。これは今は必要ないとか現代では考えが違う合わないと思うとこもあるでしょうからね。
389('A`):2005/09/07(水) 20:27:26 0
聞書第1-57

「だれそれは、気丈者だ。あるお方の前でも、ずいぶんつっぱたことを言ってのけた」
と聞いた。それはその男の部を超えている。曲者と人にほめられたいのだ。格が落ちる。
まだまだ青いやつと見える。
侍というものは、まず礼儀正しくあってこそ、立派なのだ。その男のような言い方は
下郎中間とやり取りと同然で、下卑たものだ。
屋敷や家具道具類など、分に似合わないものを持ち足る者が多い。扇、鼻紙、料紙、
臥具などは、少しはよい物を持ってもいいが、とにかく分相応のものでありたいものだ。
390('A`):2005/09/07(水) 20:37:00 0
聞書第1-58
ここはもう前半力ここで知ってもらいたいことは最後から二行目から

正しい道理を神に祈ってかなえられない、ということはない。
血の涙が出るほど祈れば、天地を貫き通して、神に通じるものだと信じている。


この文だけです。

聞書第1-59

一つの見解を固定するのはよくない。努力のすえ達成した見解をもつと、それで
事がすんだと思っていると間違う。努力して物の本質をつかみ、
それが見事に実を結ぶようにと、一生をかけて修行することである。
一つの見解に達して、それで道にかなうことなどは、思いもよらない事で、
まだ不十分ではないか、もっとよい解決がないかと考え、どうすれば真の道にかなうだろうかと、
一生探しまわるのだ。安心して足踏みすることなく修業しているうちに、真の道理を見つけるのだ。
391('A`):2005/09/07(水) 20:52:26 0
聞書第1-60

山本神右衛門(常朝の父)がつねに言っていたことを書き留めていたが、そのうちいくつか。

一、一方見ゆれば八方みゆる(一法、万法に通ず)。
一、つくり笑いする者は、男なら卑劣漢、女なら淫乱。
一、口上、話のときは、相手と目を合わせよ。お辞儀は初めだけでよい。うつむいて喋るのは不用心。
一、袴の下に手を入れておくのは不用人(とっさに刀を抜けない)。
一、草紙や書物を見ていると、たちまち焼き捨てられたものだ。書物を読むのは公卿さんの仕事。
中野一門は樫の木をつかんで武辺する役としかられたものだ。
一、組にも入らず、馬を持たない侍は、侍ではない。
一、曲者(剛の者、剛奇人)は、信頼できる者。
一、朝は四時起床、毎朝行水し、紙を整え、日の出のとき食をとり暮れになると休まれた。
一、武士は食わねど空(高)楊枝。内は犬の皮、外は虎の皮。
392('A`):2005/09/07(水) 21:05:46 0
聞書第1-61

「人として、もっとも大事に心がけ、修業すべきことは何であろうか」
と、問われたとき、なんと答えたらよいか。まず、言ってみよう。
一瞬一瞬死を眼前におくように思いつめていることである。
一般に、心のしまりがないようにも見えるが、活気ある顔というのは、
死を思いつめている顔である。そしてその諸事にたずさわるうち、
胸底に次第に固まっていくものがある。それが君に対して忠、親に対しては孝、
武士道では勇、その外、あらゆる道に通ずるものだ。これを見つけるのは難しい。
見つけても常時、持ち続けることはもっと難しい。よってただ今、一瞬の間も死と向き合う気持ちでいるほかない。

聞書第1-88

芸は身を助けるというのは、他国の侍の言うことである。鍋島家の侍は、
芸は身を滅ぼす、である。何の芸であっても、一芸持っているものは芸者であって、
侍ではない。なにがしは「侍なり」と言われるように心がけなければならない。
393('A`):2005/09/07(水) 21:14:18 0
聞書第1-103
一県先生の話。
「何事も、願いさえすれば、願いがかなうものである。佐賀には、
昔は松茸というキノコはなかったが、上方でそれを知った者どもが、
国内の山にも何とか松茸ができないものかと願っていたが、今は北山にも
できてたくさん取れるようになった。これからは、お国の山に
檜林ができるだろう。これは私が将来にえがく夢だ。それは緒人が檜を願っているからである
されば、人々も、願い事があってしかるべきなのである」
394('A`):2005/09/07(水) 21:44:55 0
聞書第1-114

「武士道とは死に狂いである。一人殺すのに数十人かかっても手にあまるものだ」
と直人茂公は仰せられた。正気では大業はできない。
気狂いになって死にもの狂いでやるものだ。武士道において思慮分別ができれば、
それだけ、はやくも人に遅れをとる。忠も孝も考えずに、死に狂いすることだ。
そこに、おのずから、忠も孝も備わってくると思う。

聞書第1-116

大最厄、大事件にだあってもまごつかないということだけでは、まだ一つ足りない。
大変にあえば、喜び勇んで進むべきであり、それが一段飛び越えた境地である。
「水が増してくると船も高くなる」というようなものだと、
村岡氏がまだ名を改めない前のころ、話されたことがある。

聞書第1-117

名人、上手の人の話を聞いたりして、自分は到底及ばないと思うのは情けないことだ。
名人も人、我も人なり、どうして劣ることころがあろうかと思い、
一度、打ち込んでいけば、もはやその道に入ったことになる。
「十有五歳にして学に志したところが聖人なのだ。後に修業して聖人になられたのではない」
と一県先生が申された。初発心時弁成正覚(発心したときすでに正しい仏の教えが心に生じている)
という。仏典にも載っている。

聞書第1-118

武士はすべてに気をつけて、毛筋ほども人に遅れをとることを戒むべきである。
中でもものの言いように不行き届きで、
「自分は臆病だ、そんなときは逃げるだろう、おそろしい、痛い」
などと言うことがある。冗談にも、わざとでも寝言にもうっかりにでも言ってはならない言葉である。
心あるものが聞いたら、心中を見透かされるものだ。かねがね、注意しておくことである。
395('A`):2005/09/07(水) 22:02:00 0
聞書第1-125

お家のために立派な家来ができるように人を教育することは忠節である。
志望するものには、教え導こう。自分の持っているものが、
人を介して御用に立てるならば、これほどの喜びはない。

聞書1-133

神右衛門がいったことである。
「曲者は頼もしい者である。頼もしい者は曲者である。年来、その例を見てきた。
頼もしいというのは、こちらが調子のいいときは知らん振りしていて来ないが、
ひとたび落ち目になり苦労しているとき、こっそりやってきて頼りになるのが
頼もしいということだ。そのような人物は、きっと曲者である」

聞書1-157
何の役であっても、その役職の意義をしっかりつかんで、その日その日を今日限りと思って、
念を入れ、君主の御ためと思って大切にすれば、失敗はない。役職を通じて、
自分の目的を達するという事もあるから、自分に向いた役につくべきである。
396('A`):2005/09/07(水) 22:16:53 0
聞書第1-175

幸せなときは自慢心とおごりが危険だ。そのときは、日ごろの倍も慎まねば失敗する。
よいときに調子にのる者は、悪いときにへこたれる。

聞書第1-179

大気ということは、大慈悲ということである。神詠に、
「慈悲の目に、にくしと思う人あらじ 料のあるおば なおもあはれめ」
慈悲神の広さ、大きな限りがないほどだ。あまねく、といってもよい。
上代の唐、天竺、日本の聖人が、今日なおお人々に崇敬されるのは、
その慈悲の大きさ広さのゆえである。
何事も、君主のため、親のため、人のため子孫のためになることをしなくてはならない。
これが大慈悲である。慈悲より発する知恵、勇気が必要だ。罰をするのも、
その人のためを思って罰する、人が喜んでくれる動きをする、それゆえ、
信念も固く、正しい。自分の利益のためにするのは、こせこせして小さく、
小気で、悪事にはしる。
397ミスった:2005/09/07(水) 22:29:15 0
聞書1-179続き

勇気と知恵については、先ごろ、納得したが、慈悲については、このごろ、おおいに悟ることができた。
家康公は「過信や領民を子供のように愛しむと、家来や領民も、自分を親のごとく慕ってくれる。
天下を泰平に治める原理は、慈悲である」と仰せられたという。
また寄親、組子というものも、親と子の縁にならって和合の心を持つようにするためにつけられた名称だと思う。
直茂公が、「理屈だけで人を糺す者は、やがて大きくしっぺ返しを食らう」と仰せられたのは、
慈悲から生まれた御筒条の一つと思われる。また、「理外の理という事がある」
と仰せられたことも、理と非を超えた慈悲のことであろう。
子の深い尽きることのない意味を味あわねばならないと、先生は、力説された。
398('A`):2005/09/07(水) 22:45:27 0
聞書1-194
自分の身にふりかかった重大事では、自分一個の分別で腹をすえ、しゃにむに突き進んで、
やり遂げなければ問題は片付かないものである。
とことん大事な場合は、人にに相談したりすれば馬鹿にされ見限られることが多いし、
また人は本当のことは言わない。このような時は自分の判断に頼り、
とにかく気違いになると決めて身を捨てる決心をすれば、事は成る。そうしたとき、
事をうまく運ぼうなどと思えば、すぐ迷いが出てきて、間違いなく失敗する。
おそらく、自分をよく思ってくれる人が、自分のためにしてくれることが仇になって、
事を誤り、ひいきの引き倒しのように引き倒されるのである。
私の出家願いのときがそうであった。
399童士郎 ◆bbe6nZAN/M :2005/09/08(木) 22:18:42 O
テラスゴスwwwww
修学旅行中だから帰ったら読みまくりんぐ
400('A`):2005/09/08(木) 22:20:49 0
え、この武士はそんなに若いのか
もしや元服前?
401('A`):2005/09/09(金) 21:34:15 0
なんだって!厨房か?
402('A`):2005/09/09(金) 22:31:45 0
>>399
もう来るな厨房
死ね
403('A`):2005/09/10(土) 11:10:15 0
俺以外にも武士がいたとは知らなかったな
404名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:07:55 0
ちょっと今忙しいから聞書2はもうちょっと待って
405童士郎 ◆bbe6nZAN/M :2005/09/10(土) 21:29:43 O
>>404 おいすー^^貴殿は優しいのう('A`)
拙者工房でござる。どの道ガキでござるがな………。
406名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:48:44 O
>>403
元服前?
407名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:45:13 0
>>406
元服はとうに済んだ
408名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:53:46 O
>>407
タケシ?
409名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:05:04 0
>>408
だれ?というかなぜ?
410名無しさん@そうだ選挙に行こう
ヒント武士