工藤遥の涙について語るときに僕の語ること

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1 【中国電 86.4 %】 ◆fveg1grntk
工藤遥の涙はモーニング娘。のある重要な一部分を象徴している

彼女はグループのエースでもセンターでもリーダーでもない
抜群の歌唱力や特筆すべきほどのダンス力を持つわけでもない
ただ恐ろしいまでの愛くるしさを持つ最年少メンバーにすぎない
しかし、その愛くるしさと幼さに甘えることは決して無い
彼女の流した涙は若さ幼さ弱さ未熟さ無知の結果であるとともに
モーニング娘。に対する情熱と誠実さの端的な形での発露である

彼女にとって「お仕事」とは全て「理」の中で行われるべきものなのだ
演者とスタッフが観客を楽しませるために協力して楽しい空間を創り上げるものなのだ
そこに演者の1人であるはずの自分が理解できない不条理が入り込むことは許されない
まして、その不条理をなんとなく受け入れ半笑いで物事を進めることは彼女の仕事観では、「犯罪」なのである

もちろん彼女のこれまでの芸能生活が全て「理」のうちに進められてきたわけではないだろう
もしかしたら「プレーヤーと椅子が同数の椅子取りゲーム」と同じくらい、またはそれ以上の不条理を突きつけられたこともあるかもしれない
そして、彼女はそのたびに涙を流し、叫んだ
「分からないんです!」と
その存在の小ささゆえに、その叫び声はかき消されたとしても、彼女は決して不条理に飲み込まれず、抗い続けてきた
そしてこれからも

軍用チワワとはよく言ったものである
彼女の中には確かにチワワのような弱さと兵士のような規律正しさが同居している
そして、いつの日かチワワは逞しく立派な成犬となり強さを手に入れ、それと反比例するように、過剰な刺々しさは次第に丸くなっていくだろう
それが性徴である
しかし、彼女の本質に有る「お仕事」に対する情熱と誠実さは決して消えないだろう

私たちは果たして、彼女と同じくらいの情熱と誠実さを持って今日の「お仕事」に取り組めたと胸を張って言えるだろうか?

突っ走れ。クドウ。
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