「イン ザ・ミソスープ」(村上龍著)を読んでみた

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1 【中国電 68.9 %】 ◆fveg1grntk
本書が読売新聞で連載されている最中に神戸須磨区の猟奇殺人事件が起こり、14歳の少年が容疑者として逮捕された
極めてこの小説と類似した事件が同時進行で起こったことで大きな反響を読んだ
それは偶然の産物なのか、著者の時代の先端を読む嗅覚の鋭さ故の必然なのか・・・

頭のおかしい外国人フランクが平穏な日本で日本人を大量に殺戮する小説
ただし、この外国人はどうやら単に頭のおかしいだけではなさそう
殺されている人間と殺されなかった人間の峻別には一定の基準がある

殺されているのは私たち日本人が平穏と認識しているこの国の日常が世界的に見ていかに異常であるかを認識できず
リアルな生と死に直面した時に適切な感情の制御と行動が取れず、思考停止してしまった人間である
主人公のケンジが殺されなかったのは、ギリギリの所で自分自身を取り戻し、「NO」の意思表示をしたからだ

本当の意味での歴史的苦難を味わっていないこの国が、戦後一貫して進めてきた近代化
その近代化が達成された後の希望の喪失=寂しさがこの国を覆っている

フランクが象徴する「リアルな外敵」に対しても思考と行動を停止させたまま、危機感と想像力を持てず
ニヤニヤと壊れた感情で笑ったまま殺されてしまう人間ばかりである
しかし、こんな野菜の切れ端が混じったミソスープのような日本社会に混じったフランクは「満足だ」とも語る
そして彼が最後に救いを求めたのはBONNOUを打ち消してくれると言う除夜の鐘だった

(本文p232から引用)
「日本人はどこか他の民族に国を占領されたり、虐殺されたり、国を追われて難民になったり、独立するために多くの人が死んだりという歴史的苦難を味わっていない
だからこの国の人は外国人に対して排他的なんだ、どうつき合えばいいのかわからない、歴史的に外国人とリアルに接したことがないんだよ、(中略)日本には他の国にはない優しさがある」