生田「道重さんスパゲッティーを食べませんか?」12
真・1.2話
今後のスケジュールの確認がてら事務所に顔を出しに行ったら、
顔見知りのスタッフさんに「体調崩してたんだって?」なんて声をかけられて
本当はすぐに帰る予定だったんだけど久しぶりに会う人だからいいかと
つい近況報告を兼ねた世間話に花を咲かせてしまった。
「そうだ、今日久住も来てるよ」
「え……」
突然出てきた小春の名前にドキリとする。
「さっきまでいたんだけど、どっか行っちゃったみたいだね」
「あはは、小春らしいですね」
平静を装って会話を続けるけど内心バクバク。
用事はもう済んでいるし、会わないうちにとっとと帰ろう。
万が一会ってしまってもどういう顔をしたらいいのか分からないし。
あの子の事だからさゆみのラジオなんて聴いちゃいないだろうけど
例の伝説の方はもう一人の当事者なのだから誰かから伝わっているかもしれない。
ネットニュースで取り上げられたのが嬉しくて、ついラジオで紹介してしまったが、
後で詳しくツイッターやコメントを見てみたらヤンタン事件の影響で小春と比較して
さゆみだけを持ち上げる人が多いようで、小春への風当たりはより強まってしまったようだった。
言わなければよかったと思ったけど、もう今更どうする事もできない。
スタッフさんとの会話を不自然でない程度に急いで切り上げて、出口までの最短ルートを計算する。
エレベーターは出くわす確率が高そうだからパス。
運動は出来るだけしたくないけど今日は階段を使うしかない。
「道重さーん!」
甲高い声と共に肩に重みを感じたのは、周囲を警戒しつつ早足で廊下を通り抜け、
ようやく階段に辿りついて一息ついた時だった。
忘れていた。あの子の性格ならどこに現れてもおかしくないのに。
こうなったら関係ない世間話でもしてやり過ごすしかない。
事務所の人事異動や最近見た芸能ニュースを頭に思い浮かべながらおそるおそる振り返ると、
抱き付いていたのは満面の笑みを浮かべた日頃からやたらテンションの高い後輩だった。
「――道重さんなんか目赤くないですか?」
じーっと大きな目で覗きこまれて、少し後ろに身を引いた。
そういえばこの子も顔が近い。
この状態で目を合わせると顔が赤くなってしまいそうでキョロキョロと視線を彷徨わせてしまうが
生田はそんなことお構いなしとばかりに人の目の下を指で引っ張ったりしている。
緊張で頬に無駄な力が入っているのが自分でも分かった。
気付かれたくなくて「うつったらどうすんの」とさり気なく手を払い落とす。
ちょっと乱暴だったかと後悔したけど、生田は全然気にしてないようで
赤い目を見ながらうんうん唸っている。
さゆみに冷たい態度で弄られても気にならないというのは本当らしい。
「ものもらいって誰かにうつしたら治るんでしたっけ」
え、何その新説。
風邪はよく聞くけど、ものもらいもそんな話があるのかな。
目を擦った手で相手の目を触ればうつるのかもしれないけど、
うつされたいなんて奇特な人がこの世にいるのだろうか。
さゆみだったら人前に出なくていいと言われても何としても避けたい。
家族からでも出来ればうつされたくない病気だ。
軽度のものと理解してはいても、やっぱり目は怖い。
「ものもらいなんて誰にうつすの」
「衣梨とか」
疑問をそのまま伝えると生田はあっさり立候補してきた。
怖いもの知らずなのか何なのか知らないけど、撮影とかどうするつもりなんだろう。
「あんた仕事どうすんのよ」
「あ、そっか。残念」
残念ってどういうこと?
仕事より優先させる程じゃないけど、うつされたいってこと?
眼帯を付けてみたいとか、本当に早く治ると思ってるとか、色々思い浮かぶけど全部違う気がする。
「道重さん?」
声をかけられて顔をあげると生田の眉が八の字になっていた。
気付かぬうちにまた眉間に皺がよっていたみたい。
何でもないよと言おうとした瞬間、生田が突然早口で捲したてだした。
「や、ややや、違うんですよ。えっと、道重さん早く治って欲しいなっていう、あの、
気遣いというか、それだけなんで、お、おおお先に失礼しますぅぅ」
あっという間に階段を下りて出口の方向に駆けて行ってしまう生田。
一人取り残されたさゆみはポカンと口を開けてただ呆然。
「な、なんなのあれ……」
あんな言い方するってことは、実際はそれだけじゃないってことだと思うんだけど。
早く治って欲しいってだけじゃなく、他に理由があってうつされたい?
しかもその理由は隠したい。
眼帯を付けたいだけとかなら別にあんなに慌てて隠そうとしないし。
生田の真意が分からない。
あの子はどうしてさゆみのペースを乱すんだろう、なんて勝手に深読みしておいてイライラする始末。
なんだかどっと疲れてしまった。
「……はぁ」
ドサッ
「っ!」
階上から何かが落ちたような音が聞こえ、慌てて上を見上げる。
人影はない。掲示物でも落ちたんだろうか。
なんにせよ、ここに長居するのはまずい。
いつ小春が通りがからないとも限らないのだ。
いや、小春じゃなくともこんなところで立ち尽くしていたら変に思われる。
ゴホンと一つ咳払いをして気を取り直すと、出口に向かって固まっていた足を動かした。