生田「道重さんスパゲッティーを食べませんか?」12
生田が恒星間移民船で旅立ってから3年、私は心にあいた大きな穴を埋めることが
できずにいた。なぜ彼女は私を置いていってしまったのだろう。
「おい、道重聞いとんのか」
しゃがれた声がスタジオに響く。私は声の方向に視線を向けた。
たくさんのチューブやケーブルに繋がれた脳みそが、薄く青みがかった液体に
満たされたタンクの中に浮いている。
「さんまさん、すいません」
さんまさんは4回目のアンチエイジング処置に失敗して肉体を失ってしまった。
今は脳だけの姿になり、適合する肉体が見つかるのを待っている。
「おまえレギュラーになってもう50年以上経っとんのやからしっかりせんと」
「そうや、しっかりせんとあかんで」
耳障りな機械音を響かせてショージさんがそれに相槌を打つ。
ショージさんは経済的事情からアンチエイジング処置を受けられず、中古の
機械の体にソフトウェア化した意識をダウンロードしている。
少し身動きするたびに金属が擦れる音がして、それが私を軽くいらだたせた。
最近では話す内容が支離滅裂になることがあり、意識のコピーに失敗したんじゃ
ないかと私は密かに疑っている。
幸運にも私はアンチエイジング処置がうまくいき、70を過ぎた今でも20代の
見た目を保つことができている。そしていまだモーニング娘。のリーダーとして
活動中だ。
モーニング娘。はこれまでにたくさんのメンバーの加入や卒業を重ね、先日
第28期が加入したばかりだ。
卒業後のメンバーの中には、私のように芸能界で仕事を続けている者もいれば、
家庭に入って肉体人としての人生をまっとうした者や、肉体を捨てソフトウェアの
世界に生きる者、そして生田のように新たな世界を求めて旅立った者もいた。
その日、ヤンタンの仕事を終え帰宅した私は、ソファに体を沈め、もう何度も
頭の中で再生され脳裏に焼き付いたあのニュース映像のことを思い返していた。
それはあまりに残酷なニュースだった。
生田が旅立ってから2年後、移民船に巨大な隕石が衝突して、5,000を超える人を
乗せた巨大な船が一瞬にして宇宙の塵となったのだ。
移民船はこの時すでに光速の90%以上の速度で飛んでいて、地球とはだいぶ距離が
離れたところにいたのだが、このニュースは量子の性質を使った超光速通信によって、
タイムラグなしに地球へ伝えられた。
生存者ゼロ、ニュースが伝えたのは非情な数字だった。
「生田、寂しいよ」
私はそう呟いて両手で顔を覆った。
『3件のメッセージを受信。うち2件はビジュアルメールです』
部屋を管理するコンピューターがメッセージを読み上げた。
1件目はマネージャーからの来週のスケジュールについてのテキストメールで、
内容を確認して首筋に埋め込まれているメモリーに転送した。
これでスケジュール通りに行動ができるようになるだろう。
2件目のビジュアルメールはお姉ちゃんからのもので、飼っている猫を
二人羽織のようにしてカメラに向かって何かを話しかけていた。
よく聞き取れなかったが、バイトを首になってヒマになったから今度家に
遊びに行くとかそんな内容だったと思う。
ぼんやりとそのメールを眺めていると、3件目のビジュアルメールがスクリーンに
投影された。そこに映し出された姿を見て、私は声を出すこともできずただ
ぼんやりと口を開けていた。
一瞬の痴ほう状態から回復した私は、あらん限りの声を出して彼女の名前を呼んだ。
「生田!」
画面上の生田はとても楽しそうに笑っていた。
「コンピューター、相互通信に切り替えて」
『これはロックされた一方向通信です。相互通信は不可能です』
コンピューターの音声が私の頭の中に直接響いた。
そしてこちらの動揺に構うことなく、画面の中の生田が話しはじめた。
「道重さ〜ん、元気ですか? エリは楽しくやってますよ。ちなみにこの
メッセージは通常通信で送ってます。超光速通信は高すぎて目的地に着くまでに
破産しちゃいますから」
生田はいたずらっぽく笑った。
「だからこれを道重さんが見るのはずっと後のことですね」
通常通信は地球に届くまでに大きなタイムラグが生じる。つまりこれは過去からの
メッセージだった。
「なんで道重さんに相談せずに行ってしまったか、ずっと説明しようと思ってました。
でもできなくて……。今こうして一人宇宙船に乗って、ようやく気持ちを整理することが
できました」
生田は意を決したように軽く頷くと、口を開いた。
「エリは道重さんの気持ちに気づいてました。だけどどうしてもそれに応えることが
できなくて……逃げ出しました。でも一人になってはじめて自分の本当の気持ちが
わかったんです」
「私は別の惑星でもアイドルを続けるつもりです。そしてそこで成功することが
できたら、地球に戻ってこの気持ちを伝えます。だからそれまで生きていて
くださいね。私絶対帰ってきますから」
その時、船内に警報が鳴り響き、警告のメッセージが至るところから流れ出した。
生田は怯えたような顔つきで周囲を見回している。
「船に何かトラブルがあったみたいです。また連絡しますね」
生田は右手を広げて顔の横に持ってきて、昔と何も変わらない笑顔で言った。
「はい、宇宙一のアイドルを目指してる生田でした。バイバイ」
画面がノイズに変わりビジュアルメールはそこで終わっていた。
私はソファに横になり、天井をぼんやり眺めた。自然と涙があふれ、こめかみを
伝って落ちた。
バカ、何が「それまで生きていてください」よ。あんたの方こそ……。
最期の瞬間、きっと生田ははじめて会った時のようなこわばった顔で、虚空を
見つめていただろう。その姿を思い浮かべると、たまらなく胸が苦しくなった。
その時、自動調理器が料理の完成を知らせる電子音を鳴らした。
なんだろう、スイッチは入れていなかったはずだけど……。そう思いながら
台所へ向かうと、自動調理器のディスプレイにメッセージが表示されていた。
『道重さんのコンピューターにアクセスしてちょっといたずらしちゃいました。
帰ってきたらまた一緒に行きましょうね』
自動調理器を開けると、そこにはスパゲッティーが入っていた。
私は子どもみたいに大きな声で泣いた。