生田「道重さんスパゲッティーを食べませんか?」10
172 :
名無し募集中。。。:
「そこに、誰か、おると?」
女のひとの声がします。が、この霧の中、声だけしか聞こえません。
「ひっ!」
さゆみちゃんはびくっとして、動けなくなってしまいました。
あんなに流れていた涙もひっこんでしまいます。
「こわがらんでもよかよ。そこに、誰か、おるとね」
「だ、誰、ですか?」
と、さゆみちゃんが返事をしたそのときです。
すうっと霧が晴れて、さゆみちゃんが知らない、若い女のひとがいるのが見えました。
女のひとは、ぎこちない笑顔をうかべながら、こちらに近づいてきます。
ふと、さゆみちゃんは、おかあさんの言いつけを思い出しました。
(知らないひとがいたら、近くに行ってはだめよ。さらわれて遠くにつれて行かれてしまうからね)
ただでさえ、知らないところにきているのです。
さらわれて、これ以上遠くにつれて行かれては、おうちにも帰れなくなるでしょう。
さゆみちゃんは、思い切ってへんな顔を作りました。
かわいくない子なら、さらわれることはないと思ったのです。
173 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:15:56.24 0
女のひとは、びっくりした顔をしたあと、けたけたと笑いだしました。
おなかをかかえ、ひざを折り、しまいには地面に転がって笑っています。
「・・・っあー、おっかしい!このコ、ウケるうぅー!」
「・・・(ウケるって、なんだろ?)」
さゆみちゃんはきょとんとしましたが、両手でへんな顔を作っているので言葉を出せません。
まだヒーヒー言いながら、女のひとはやっと笑うのをやめました。
「あ、あのね、おじょうちゃん。そげん変な顔をせんでも良かよ」
手で顔を引っぱり続けていたので、いいかげんに顔が痛くなってきたさゆみちゃん、
「だって、さらわれたら、困るもん・・・」
「ああ、知らないひとやもんねぇ」
「そう・・・あっ!」
ここで、さゆみちゃんは手をはなしてしまっていたことに気が付きました。
あわてて、もう一度、変な顔を作ろうとします。
すると、女のひとは、また笑いだしそうになりながら
「おじょうちゃん、えりな、さらったりはせんけん、変な顔はせんでもよかよ」
「だって・・・」
「顔引っぱったら、かわいい顔が本当に台無しになってしまうとよ」
「・・・」
「ほらほら、見てみ。さっき引っぱってたところ、もう真っ赤にしてしまって・・・」
女のひとは、バッグからかがみを取り出してさゆみちゃんに向けました。
確かに、力を入れて引っぱっていた口もとや目のまわりが赤くなっています。
さゆみちゃんは、へんな顔をするのをやめました。
そして、じっと女のひとを見ました。
さゆみちゃんよりずっとずっとおねえさんの、きれいなひとです。
174 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:18:05.56 0
「そう言えば、おじょうちゃんのお名前は?」
「・・・おかあさんが、知らないひとに、お名前言っちゃいけないって、言った・・・」
さゆみちゃんは口ごもりながらも、女の人の問いに答えます。
ふだんは知らないひととお話しができない、内気なさゆみちゃんからは考えられないことです。
女のひとは、苦笑いをして、
「でもね、呼び方が分からんと困るっちゃろ」
「でも・・・」
「あ、そうか。こっちの自己紹介もまだやったねぇ」
「うん」
「ねえちゃんのことは、えりなって呼んで。おじょうちゃんのこと、何て呼べば良かと?」
えりなおねえちゃん、と、女のひとのお名前は分かりました。
たぶん、このひとには、お名前を言っても大丈夫でしょう。
「・・・さゆみ」
「ん?」
「あのね、お名前、さゆみっていうの」
それでも、さゆみちゃんは、自分の苗字を言うことはしませんでした。
お友達にもいない、めずらしいと言われる苗字を教えてしまったら、何かあったときに困るかもしれないと思ったのです。
けれども、えりなおねえちゃんは、そのことをまったく気にしていないようです。
「そう、さゆみちゃん。・・・ん?どこかで聞いたような・・・??」
えりなおねえちゃんは、そう言って、考え込んでしまいました。
175 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:19:14.90 0
が、すぐに考えるのをやめて、さゆみちゃんに笑いかけながら、
「ま、こうしててもしょうがなかとやもんね」
ひとりでうんうんとうなずいています。
「とりあえず、夜やけん、寝られるところ探しに行こうか」
と、さゆみちゃんの手を取り、そのまま手をつないで歩き出しました。
何となく不安になったさゆみちゃんですが、他にできることはありません。
えりなおねえちゃんに手をひかれるままに歩きだしました。
歩きながら、さゆみちゃんは、ひとつのことをずっと考えていました。
(・・・えりなおねえちゃんも、わらうとき、へんな顔、つくってたのかな?)
176 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:21:18.26 0
「そこに、誰か、居ると?」
衣梨奈は驚いて、思わず、霧の向こうの泣き声に向かって声を掛けた。
「ひっ!」
恐怖に上ずった、小さな悲鳴が聞こえた。
いやいや、そんなに怯えんでも。えりな、怖い人や無いけん。
「怖がらんでも良かよ。そこに、誰か、居るとね」
「だ、誰、ですか?」
小さな女の子の声で、返事が聞こえた。
すると、あんなに濃く周りを取り巻いていた霧が、さあっと晴れた。
そこに居たのは、恐怖に震え、軽くパニックを起こしながら、震えている女の子だった。
それは、こんな訳の分からない状況では、怯える方が普通だろう。
・・・尤も、衣梨奈は怯えてなどいなかったのだが。
(この子をこれ以上怯えさせる訳にはいかんね・・・)
そう思った衣梨奈は、精一杯の笑顔を作り、女の子に近づいて行った。
衣梨奈とて、仮にもアイドルである。
笑顔を作れば女の子も安心するだろう。
すると。
何を思ったか、女の子は、両手で顔を一杯に引っ張り、変顔を作った。
177 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:22:39.62 0
それも、怯えきって歪めた顔を思い切り引っ張るものだから、尚更ユーモラスさが増す。
無論のこと、目を見る限りでは、本人は大真面目なのだろう。
が、その内心の真面目さとしていることのギャップに、思わず衣梨奈は笑い出していた。
引っ張られている顔の表情が、怯えたものから怪訝そうなものに変わる。
それに伴って顔が微妙に変化し、その可笑しさに笑いが止まらない。
「・・・っあー、可っ笑しい!このコ、ウケるうぅー!」
地面に転がりながらも尚、笑い転げている衣梨奈を不思議そうに見る女の子の手は、
いつの間にか顔から外れていた。
「あ、あのね、お嬢ちゃん。そげん変な顔をせんでも良かよ」
漸く笑いが止まりかけた衣梨奈は、笑い過ぎて苦しい息を堪えて女の子に話しかけた。
「だって、攫われたら、困るもん・・・」
「ああ、知らない人やもんねぇ」
「そう・・・あっ!」
また変顔を作ろうとする女の子に、衣梨奈は慌てて声を掛けた。
これ以上笑わされては呼吸困難で倒れてしまいそうだ。
「お嬢ちゃん、えりな、攫ったりはせんけん、変な顔はせんでもよかよ」
「だって・・・」
「顔引っ張ったら、可愛い顔が本当に台無しになってしまうとよ」
「・・・」
「ほらほら、見てみ。さっき引っ張ってたところ、もう真っ赤にしてしまって・・・」
仕事帰りの大荷物の中から、衣梨奈は鏡を取り出した。
パカッと開いて女の子に顔を見せる。
女の子は、真剣に鏡の中の自分を見詰めている。
こう見ると、本当に可愛い子だ。
思ったよりも長い時間、鏡の中の自分を眺めた後、女の子は衣梨奈をしげしげと見詰めた。
その視線を受けて口を開きかけ、ふと或ることに気付く。
178 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:24:25.20 0
「そう言えば、お嬢ちゃんのお名前は?」
「・・・お母さんが、知らない人に、お名前言っちゃいけないって、言った・・・」
口ごもりながら、小さな声で女の子が答える。
小さな子どもの誘拐事件がニュースを騒がせたことを思い出し、それもそうかと思ったが、
それでも答えて貰わないとこの子に呼びかけることも出来ない。
そもそも、自分はそんなに怪しい人物に見えるのだろうか?
衣梨奈は苦笑して、
「でもね、呼び方が分からんと困るっちゃろ」
「でも・・・」
「あ、そうか。こっちの自己紹介もまだやったねぇ」
「うん」
「姉ちゃんのことは、えりなって呼んで。お嬢ちゃんのこと、何て呼べば良かと?」
「・・・さゆみ」
「ん?」
「あのね、お名前、さゆみっていうの」
未だ警戒している表情ではあるが、女の子は、名前を教えてくれた。
「そう、さゆみちゃん。・・・ん?どこかで聞いたような・・・??」
思わず衣梨奈は考え込んでしまった。
“さゆみ”という名前は、何だか聞き覚えがある。いや、良く知っているような・・・?
疑問が浮かんだものの、衣梨奈は、考えることを止めた。
こんなことを考えたって状況を打開することには繋がらないだろう。
179 :
名無し募集中。。。:2013/07/22(月) 00:25:52.62 0
それよりも、もう夜だ。
こんな小さな子をいつまでも立たせている訳にはいかない。
現に、さゆみちゃんは、疲れ切ってうつらうつらしている。今にも倒れこみそうだ。
「ま、こうしてても仕様が無かとやもんね」
誰に聞かせるでも無く呟いて、衣梨奈はひとりで幾度か頷き、
「取り敢えず、夜やけん、寝られるところ探しに行こうか」
と、さゆみちゃんの手を取った。
そのまま(衣梨奈にしては精一杯優しく)手を引いて休める場所を探す。
周りをきょろきょろしながら歩く衣梨奈は、さゆみちゃんが不思議そうな顔をして、
じっと自分を見詰めていることに少しも気が付かなかった。