「「弱者」とはだれか」(小浜逸郎著)を読んでみた

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1 【中国電 68.8 %】
マスコミによって聖化され、概念化され、記号化され、特権化され、タブー化された「弱者」と言う存在について
自らの経験とそこから得た感情と感覚を持って、関係性を見つめ直そうと言う提案
「触らぬ神に祟りなし」ならぬ「触らぬ弱者に祟りなし」とばかりに
「なんとなく語りにくいので、思考停止してパターン化させて扱っておこう」と言う考え方には問題がある

本書はいわゆる弱者として、老人、子供、障害者、在日外国人、被差別部落出身者、女性などを挙げている
これらに該当する人たちは「弱者」としてカテゴライズされ、記号化される
そして、「弱者」と記号化された人間は被差別と言うルサンチマンに固執し、「弱者である」という負のアイデンティティを形成する
皮肉なことに弱者は弱者であることに自らの存在意義を見出してしまっている

世の中のある一定の人間を「弱者(=被差別者)」とカテゴライズすると同時に、そこにカテゴライズされなかった人間は全て「強者(=差別者)」となる
そのように記号化することで「弱者と強者」「被差別者と差別者」と言う一元的な関係性しか持てなくなってしまう
しかし、人と人との関係性とはそんなに単純なものではない
画一的な記号化による関係性の固定化に陥らず、弱者と呼ばれる人との個別の接触体験を積み重ね、理解を深めて行き(分かりやく言えば慣れる)
複層的、重層的な構造を持った社会を目指すべきである
私たちがこれまでに受けてきた弱者を聖化する学校教育は無意味であるどころか、真の相互理解を妨げる大きな要因であることが本書を読めば理解できる