アメリカ横断ウルトラクイズで2度米国へ クイズ王からクイズ作家になった道蔦岳史氏をご存知だろうか
1 :
名無し募集中。。。:2013/04/06(土) 19:37:57.91 0
【クイズ番組】視聴者参加の企画を
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20130328-321218-1-L.jpg 道蔦岳史(クイズ作家)
クイズ王から、クイズ作家へ。日本のクイズ番組の歴史と共に歩んできたような人生だ。
少年期の1970年代、クイズ番組は隆盛期にあった。視聴者が解答者として出演し、知識を競う番組が次々と生まれる。
代表格の一つ「クイズ・グランプリ」(フジ、70〜80年)に高校時代に出場し、優勝したことが、クイズ人生を決定づけた。
「視聴者にとって向こうの世界だったテレビに参加できる、その扉が開いていたのがクイズ番組でした」。以後、次々にクイズ番組で好成績を収める。
77年には「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本)が始まった。野球場での予選、実際に米国に渡り、旅をしながらクイズを重ねる型破りの演出。
第1回放送で404人だった出場者は、回を重ねるにつれ増加していった。92年にいったん終了したが、98年に1回だけ復活、
その際5万453人を集めた。計17回の放送で延べ26万3882人が参加。視聴者参加型クイズの象徴ともいえる番組に育つ。
この番組には10回以上挑んだ。第5回、8回には米国にたどり着いたが、優勝はかなわなかった。
番組は「知力、体力、時の運」をうたい、時にはじゃんけん勝負などもある。クイズだけでは先に進めないという要素が、ドラマ性を高めた。
「現場では、カメラが回っていない時も、司会の福留功男さんが参加者を誘導して気分を高めていった。だから、視聴者も感情移入できた。
クイズにとどまらない特別な番組になった」
◎
クイズ作家として、裏方の道を歩み始めたのは89年頃だ。既に解答者として10年以上活躍し、クイズ番組を熟知していた。
新しいルールや、解答者のレベルに難易度を合わせて、問題を作るアイデアも充実していた。
(
>>2以降に続く)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/60years/talk/20130328-OYT8T01281.htm
2 :
名無し募集中。。。:2013/04/06(土) 19:38:13.33 0
>>1の続き
折しも、一般参加者ではなく、タレントを解答者とした番組が勢いを持ち始める。クイズ番組には、問題を解く楽しさだけでなく、
バラエティー番組のようなにぎやかさも求められるようになった。「クイズ!ヘキサゴン2」(フジ、2005〜11年)では
問題やルール作りを監修したが、珍解答を繰り返す“おバカタレント”に人気が出るという、思わぬ副産物を生んだ。
「ルールを作った私でも想像しなかった逆転現象でした」
多様化が進んだ今のクイズ番組に、全盛期の勢いはない。だが、クイズの可能性は決して狭まっていないと考えている。
「たとえば、見る側も参加して楽しめる企画ができたら。日本発で世界をねらえるようなフォーマットができるはずです」
みちつた・たけし
1962年生まれ、横浜市出身。高校時代からクイズ番組で活躍し、「アップダウンクイズ」「クイズタイムショック」などで14回の優勝歴を持つ。
現在はクイズ作家として、番組企画や問題制作に携わる。
3 :
名無し募集中。。。:2013/04/06(土) 19:38:27.73 0
4 :
名無し募集中。。。:2013/04/06(土) 19:41:49.59 0
見る側も参加って先日NHKがやってたじゃん
5 :
名無し募集中。。。:2013/04/06(土) 19:42:45.48 0
6 :
名無し募集中。。。:
ハゲたな道蔦さん