871 :
名無し募集中。。。:
自分はうっかり者だと思う。
周りはしっかり者だと言ってはくれるけど、決してそんな風には思わない。
現に、今も宿題のノートを忘れて、慌てて会社に戻っているのだから。
仕事に行く前に、ちょっと確認のつもりで、ロッカールームでノートを広げたのが運のつきだった。
仕舞った筈のノートが、帰りの車の中で鞄の中身を広げたが終ぞ見つからない。
仕方無しに車の行先を変更して貰って会社へと戻ったのだ。
もう時間も遅い。
誰も居ないんだろうな、とうんざりしながら車窓から会社のビルを覗くと、驚いたことに灯りが点いている部屋がある。
(誰だろ?こんな遅くに・・・)
訝しく思った。
警備員さんに訳を話して入口を開けて貰い、勝手知ったる建物の中なので、案内は断って中に入った。
灯りが点いている部屋は、細くドアが開いたままだ。
そっと隙間から中を覗くと、二つの人影が見えた。
一つは、机に向かって一心不乱に何かを書いている。
もう一つは、机に向かう人影に何か話しかけている。
盗み聞きなどする心算は無かったが、何か話している声が聞こえる。
「・・・さん、最近二人っきりになれなかったじゃないですか」
「もう、煩いなぁ。仕方が無いでしょうが。お互い忙しいんだから」
「だって・・・」
「何?」
「あの時から何にも出来ないままですよ・・・」
「バーカ。そんな気分じゃないの」
「えー、そんなぁ・・・」
机に向かっていた人影は長い黒髪を揺らして、話し掛けていた人影は揺らすほどの髪も無く、互いに向き合った。
872 :
名無し募集中。。。:2013/03/26(火) 23:14:44.54 0
あれ?
二人とも、良く知った横顔だ。
でも、二人が一緒に居るなんて想像もしていなかった。いや、出来る筈も無かった。
立っている方は、ゆっくりと座っている方の肩に手を回して、何かを耳元で囁いてから軽く耳朶を噛んだ。
「こら!おイタしないの」
少しはにかんだ様に出されたちょっとだけ大きな声の主は、もう疑うべくも無い。
「・・・えりぽん?それと、道重さん?」
呟いたと思っていた声は、静かな部屋に思った以上に響いたのだろう。
二人が、驚いた顔をして振り返った。
「り、りほりほ!どうしたの?こんな遅くに」
「里保?どうしたっちゃん?」
二人で同時に声を掛ける。
「あの・・・ちょっと忘れ物しちゃって・・・。それより二人共、何してる・・・」
目の前の光景にびっくりして、言葉が続かなかった。
道重さんもえりぽんも真っ赤になってその場から動かない。
もちろん、私も動けない。
「あ、あの・・・覗き見する心算は無かったんですけど・・・」
そう言い訳するのが精一杯だった。
勿論、そんなことは二人とも解り過ぎる程解り切っていただろうけど。
「里保・・・」
えりぽんがゆっくりと近付いて来た。ちょっとだけ伏し目がちの笑顔を見せる。
「ごめん。みんなには内緒にしてくれる?」
言うまでも無く、誰かに話せることじゃ無い。
「も、勿論」
「ありがと。じゃ、これ、御礼ね」
873 :
名無し募集中。。。:2013/03/26(火) 23:16:39.00 0
・・・え?
えりぽんの顔がゆっくりと近付いてきた。ふっと視界から逸れたと思ったら、頬に温かくて湿った柔らかいものが触れた。
ちょ、ちょっと、待って?今のは、何?
思わぬ感触に、頭が混乱する。
えーっと、えりぽんが近付いて、何か柔らかいものがほっぺに触って・・・。
ちゅっという音がしたのに気付いたのは、その後だった。
視界に入るのはえりぽんの顔だけ。いたずらっ子みたいな顔でニカッと笑ってる。
その笑顔に呆然として、益々動けなくなる。
顔がカッと火照るのが自分でも解った。
道重さんもこっちに来た。頬を赤く染めたままの、潤んだ眼をした表情がとっても綺麗。
「りほりほ・・・」
体がふわりと温かいものに包まれた。
香水でもトワレでも無い、お菓子よりもずっとずっと甘い香りが鼻をくすぐる。
・・・ごめんね。
言葉が、耳元に残った。
次々と繰り広げられる驚きに、もう言葉も出ない。
874 :
名無し募集中。。。:2013/03/26(火) 23:18:10.45 0
「道重さん、もう行きましょ。書き物、終わりましたよね」
「あんたねぇ・・・」
「帰りにゴハン行きましょうよ」
「まぁ良いけど、ゴハンだけだよ」
「えー!久し振りだし、卒業したお祝いもして貰お、って思ってたのにぃ」
「バ、バカ!何言ってんの!」
道重さん、耳まで真っ赤にしてる。
「・・・あ、りほりほもゴハン行く?」
「いえ、車、待って貰ってるんで・・・」
そう答えるのが精一杯だった。
「そうなんだぁ、残念。・・・じゃ、仕様が無いなぁ。行こっか」
「はい!」
二人は連れ立って部屋を出た。
どちらからともなく指を絡めて手を繋ぎ、そのまま歩いていく。
えりぽんが、道重さんの腕を空いた手ですっと擦る。
道重さんはその手を摘んで落とす。
めげずに落とされた手を体に持っていく。
ピシッと叩き落される。
とうとう頭を肩に乗せて、もたれ掛かってじゃれだした。
呆れたように溜息を吐いて、顔を寄せて何かを囁いた。
「やっつー!」
とはしゃいだ声を出したえりぽんは、嬉しそうに道重さんの手を引っ張って早足で歩き出した。
勢いよく引っ張られる道重さんが転びそうになるのをその都度支えながら。
875 :
名無し募集中。。。:2013/03/26(火) 23:19:08.53 0
私は、えりぽんの唇が触れた頬を左手で抑え、右手は道重さんに触れられた肩を抱き締めて、その場に立ち尽くしていた。
唇の感触がまだ頬に残っている。
甘い香りと温かい体温がまだ体を包んでいる。
「ズルいよ・・・」
と呟いた言葉は、いったい誰に宛てたものなんだろう?
やっと歩けるようになるまで、随分長い時間が過ぎた気がする。
でも、もしかしたらそんなに長い時間じゃ無かったのかな?
確かなことは、頬の感触と甘い香りに酔い痴れてしまって、ふわふわした気分で歩き出したことだけだった。
お蔭で、会社を出ようとしたところでハッと気がついて、ノートを取りにロッカールームへ駆け戻る羽目になった・・・。