自動車メーカーのマツダは22日夜、半世紀にわたる世界唯一のロータリーエンジン(RE)車の生産を中止した。
試行錯誤の末、実用化にこぎ着けた「夢のエンジン」。開発に携わった技術者は「REはマツダの象徴。
改良の余地もまだあり、いつか不死鳥のように復活してほしい」と同社の奮起を期待する。
◇技術者 不屈の半世紀
府中町の栗尾憲之さん(66)は岡山県倉敷市出身で、1964年に入社。「開発に一生をささげたい」とRE研究部を熱望し、
設計を担当した。REは軽量で小型ながら高出力が特長。おむすび状のローターが回り動力を発生する仕組み。
ローターの高速回転でエンジン内部が傷つくなど、失敗を繰り返したが、上司たちと議論を重ねて改善してきた。
REの生みの親として知られる当時の山本健一部長(後の社長)は、研究部の社員に分け隔てなく、エンジンについて
何度も質問や提案を求めた。同部の約100人は上下関係に縛られず、RE開発に全力で取り組む「プロ集団」だった。
3年後、REを搭載した初の量産車「コスモスポーツ」を世に送り出した。「世界の先頭に立った」と喜んだ。
その後も、REの性能向上に携わり、88年から、仏の自動車レース最高峰「ルマン24時間」のRE開発チームの
統括リーダーを務めた。70年代の石油ショック後に広がった「RE=燃費が悪い」というイメージを払拭するためだ。
91年には、日本メーカー初の総合優勝に輝いた。「REが世界一のエンジンだと証明できた」と振り返る。
2005年の定年退職まで、技術者人生の大半をREの開発、性能向上にささげた。
「REに自分の夢を重ね、その夢を実現できた。悔いはない」と言い切る。
燃費性能の高い車がもてはやされ、エコカー全盛の時代。しかし、REの将来に悲観はしていない。
会社から何度も開発打ち切りを宣告されながら、技術者たちが一団となって上司を説得し、逆境を乗り越えてきたからだ。
不屈の精神こそがマツダに連綿と流れる〈ロータリー・スピリット〉だと信じている。
マツダは21日に宇品工場(広島市南区)で、関係者のみの記念式典を開いた。コスモスポーツ以降、計11車種を発売し、
累計生産台数は今年4月末までに199万6511台。うち2003年発売の「RX―8」は19万2464台だった。
マツダは「REがマツダの魂の一つであることに変わりはない。今後も研究・開発を継続する」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20120622-OYT8T01370 関連スレ
【自動車】マツダ社長“ロータリーEV”来年販売 新技術対応部品の海外生産検討[12/06/06]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1338938599/