女生主ってけしからんな その909

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戦後67年、慰霊の日がまた巡ってきた。きょう23日、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が催され、県内各地の慰霊碑でも祈りがささげられる。
 激しい地上戦に日本軍が意図的に住民を巻き込んだ結果、おびただしい命が失われ、生き残った者も無残な生を強いられた。
 こうした犠牲を払って得た教訓を、無にするかのような動きが近年、活発化している。先人が味わった辛酸を、無念を、
決して無駄にしてはならない。次代にその教訓をつなぐ使命の重さを、鎮魂の日にあらためてかみしめたい。

○珍妙な理屈
 今年3月、県は首里城公園内に旧日本軍第32軍司令部壕の説明板を設置した。沖縄戦史の有識者で構成する設置検討委員会がまとめた説明文から、
日本軍による住民虐殺の記述と、壕周辺での「慰安婦」の存在を示す記述を削除しており、削除への批判を押し切っての設置だった。
 県の説明は実に珍妙な理屈だった。虐殺については「あったという証言と、なかったという証言の両方があって不確か」だから削除したという。
「あった」というのは目撃証言であり、虐殺の存在をまさに証明するものだ。これに対し「なかった」という証言は、本人がその場にいなかった、
目撃しなかったことを示すにすぎない。これを同列に扱い、「見ていない」旨の証言で目撃証言を消去するとは、この種の証言史料を扱う態度として、およそ信じがたい。
 まるで、ナチスのユダヤ人連行を見たことがない人がいたから、「アウシュビッツの悲劇は存在しない」と強弁するかのような暴論だ。こんな理屈は世界に通用しない。
 「慰安婦」についても同様だ。第32軍司令部の史料にも軍が女性75人を南部に移動させる命令があり、
いくつかの証言から辻の料亭や朝鮮人の女性たちが「慰安婦」にされ、壕内にいたことは分かっている。
だがこれも、「見ていない」人がいたから「なかった」ことになった。
 
ソース 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-192945-storytopic-11.html