6月22日に大飯原発再稼動のデモがあって、官邸前を行進したという。その数は警察発表で1万人程度だ。
予想外に多く、下火になったと思った騒ぎがまたぶりかえしたことに驚いた。
私はデモは民主主義の手段と考えるし、人々の政治的な意思表明は尊重したい。
しかし正規の行政手続きを踏まえない政治運動は秩序を壊す混乱を生みかねないし、少数者の横暴につながりかねない。
そうしたリスクを認識するべきなのに、ネット上の参加者の声からは慎重さが見えない。
さらに対案のない政治主張は社会に混乱を生むだけと考える。原発を止めることによるコスト負担、
今夏の電力不足のリスクについて反対者はどのように考えるのだろうか。
対案のない民衆の政治運動が何をもたらすのか。考える材料として、あまり知られていない15世紀の室町時代の
「一揆」(いっき)を紹介してみたい。(写真はNHK「平清盛」。「荒々しい中世の民衆」というイメージとして)
当時、人々のつながりを一揆と呼んだ。一揆は神の前で結束を誓うなど宗教的色彩も持っており、村落の自治組織でもあった。
ところが15世紀には、これが徳政、つまり借金踏み倒しを要求する政治運動に発展した。
一揆は、かつてはマルクス主義的歴史観のためか、「民衆が立ち上がった」と肯定的に評価、研究されていた。
歴史の中で、一般の人が政治を左右しはじめたのは興味深いことだ。しかし「階級闘争」という呪縛を離れて、
経済史、社会史の観点から今では見直されている。当時の「市民運動」は社会のモラルハザードを強め、
経済秩序の混乱という結果をもたらしたと、今では評価されている。
http://agora-web.jp/archives/1467034.html