アイドリング!!! 6513号

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13名無し募集中。。。
まぁ存在論的に語るのであればそういう事になりますかね。
自分が人間の中の一人であるという事は、その自分はいずれ死ぬわけだしね。
死も含めて「人間である自分自身」をむしろ積極的に受容する事が即ち存在するという事なんでしょう。
その五段階目の『受容』というのは死を積極的に受容するって事で、
要するに生きている段階から(それも健康な段階から)死へ飛び込むぐらいの覚悟が無いと、
「現存在(つまりデカルトが言うところの『我』のようなもの)」は存在足り得ないって事だからね。
存在論的にはね。

>同時に死ぬのも祝ってみては、と考えたこともあるよ

むしろ存在論的に言うならば「人間である自分の未来を先取りする事」が即ち存在しているという事だからね。
そして、死は自分が掛け替えの無い存在足り得る瞬間という事になります。
何故なら、「現存在」としての自分の死は「人間である自分自身」の死によってしか実現出来んからね。


このスレのコテハンの旭という人がそうです。
あの人子供居るからね。

まぁ私も子供は作らんけど、厭世家でなければこんな気楽にニートやってられません。
むしろ厭世家でなければ、楽天的になる根拠としては薄弱な気がする。