1 :
名無し募集中。。。:
朝鮮軍より
教えて
2 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 00:06:56.00 0
朝鮮が強かったときってあるのか
3 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 00:07:48.17 0
そんなこと聞いてどうすんの?
4 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 00:10:25.08 0
100年間内戦ばっかしてた連中がそのまま雪崩れ込んだんだから当然強かった
5 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 00:11:37.60 0
刀と弓と火縄銃が武器か
6 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 00:12:20.57 O
あれはワシが9歳の頃じゃった
7 :
5KU1hSz:2010/10/26(火) 00:15:12.92 O
銃の数量や習熟度では戦国時代のながれから、まさってたんじゃ
8 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:21:54.10 0
守りの戦ならたぶん世界最強
9 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:24:17.94 O
10 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:38:37.10 0
強かったが補給いわゆる兵站線が延び切っちゃったんだよな
11 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:41:41.81 0
相手が弱すぎて予定が狂った
12 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:43:24.35 0
外様ばっか前線に駆り出され
石田三成のせいでやる気無い奴ばっかだった
13 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:50:49.72 0
鬼島津だな
14 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 01:52:34.91 0
兵質は高かったがいかんせん戦略が稚拙すぎた
伊達・武田が
16 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 02:12:42.62 0
海を渡って攻略するのは今の米軍並みの物量がないと難しい
言語の問題もあるから秀吉お得意の宣撫工作も奏功しなかったろうし
17 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 02:32:18.04 0
日清戦争で戦ったのは清朝正規軍じゃなくて李鴻章とかの
漢人軍閥だし日露戦争は旅順占領してバルチック艦隊沈めた
ところで講和に持ち込んだ 北京やモスクワ占領した訳じゃない
海を渡っての戦は 向こうが降参しない限り終わらないから
兵站がもたなくなる
18 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 02:40:38.23 0
秀吉軍が北京占領に成功して新王朝作ってたら
今頃 大和民族って存在してないんじゃね 正統中華の
継承者になったばかりに言語失った満州族みたく
19 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 03:20:20.27 0
>>1 朝鮮軍どころか中国軍よりも圧倒的に強かった
20 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 03:36:26.27 0
マクロス(初代)の敵ってモンゴルvs人類一般かと思ってたら
中国周辺民vs中国だったのかもなぁ・・・リン・ミンメイとかいたし。
武力ではない力で敵を包み込んで同化してしまう
マクロスは「歌」にその力があるという設定だった
>>18見て思た
21 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 04:11:34.63 0
キチガイの持論はよそで
22 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 05:30:54.97 0
朝鮮を侵略とかしてねえだろ
通り道にしただけ
23 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 05:39:01.78 0
戦国時代には全世界にある銃の大半が日本にあった
24 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 05:43:18.74 0
25 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 05:54:23.62 O
民明書房刊
26 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 05:58:18.64 0
日本人が思ってるほど強くなかった
一つの町を占領したとき日本軍の占領範囲はあくまで町の中だけで領土を得れたわけでなかった
そんな感じで補給線もままならないまま中国軍と接触してすぐに平壌からソウルまで押し返された
27 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:01:24.28 0
あと日本軍が最大限に侵攻したときでさえも朝鮮の南西部のかなりの地域を攻めあぐねていて
常に背後をつかれる恐れがあったので対明に全軍をあてることができなかったから対朝鮮でも全勝してたわけじゃない
28 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:01:58.30 0
>>26 日本人がどれくらい強いと思ってるか知ってるのか?
知らないだろ
29 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:03:46.75 0
30 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:06:55.68 O
徳川軍は送り込まれなかったのか
31 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:08:03.52 0
朝鮮征伐は中国征服が真の目的だった
これは豆知識な
32 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:08:46.30 0
大半の日本人は秀吉の朝鮮出兵なんかには無関心だぜ
侵略とすら思ってないわ
33 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:09:51.56 0
>>28 いや知ってるぞ
朝鮮の役の兵士の死亡率は戦国最悪と言われる川中島を上回る凄惨さ
あのまま東国の兵士を送り込んだところで征明は不可能
34 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:10:58.84 0
35 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:11:06.66 0
>>30 教科書レベルの知識もない人が
わざわざこんなスレに来なくてもいいよ
36 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:11:33.43 0
>>31 いざ上陸してみると当の大名達は征服する気満々だった
でもそれが無理だとすぐにわかった
唯一清正だけがそのとっかかりまでいっただけ
37 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:13:04.34 0
>>33 でも兵士が死ぬ原因が弱くて戦死したのではなく
餓死と凍死だという事までは知らなかったんだね
38 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:13:18.13 0
野砲とかどうやって運んだんだろうな
船なんかかなりしょぼかったはずだが
39 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:13:24.88 0
>>36 やる気満々な大名なんかいなかったよ
秀吉に命じられて仕方なく適当に戦っただけ
40 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:14:50.22 0
41 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:14:53.78 0
仕方なく海の向こうに命を放り出す奴がいるわけないだろ
中国での○○守に任命してもらえるだろうという欲望を持って張り切って行ったんだよ
42 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:16:00.93 0
朝鮮は当然日本より小さいんだけど
毛利輝元なんかは「この国は日本より広いのでこの兵力で治めるのは無理だと思う」って国元に手紙だしてる
そう感じられるくらい困難究めた
43 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:16:19.17 0
>>33 だったら馬鹿な
>>26に反論しろよ
日本人は日本軍が強くないと知っていたって
なんで
>>26に反論しないのかね
馬鹿だろお前
44 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:17:03.33 0
45 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:17:58.40 0
当時は北条も滅んで日本国内での領地拡大が不可能な時代に突入したから
出世して領地をもらうためには海外に進出するしかなかったんだよ
だから大名はみんな必死だった
46 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:18:56.28 0
>>37 いや知ってるぞ
それも
>>26に書いている通り日本軍の勢力範囲が城周辺だったため補給線が保てなかったせいだからな
それは明らかに軍事的敗北だから
47 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:19:09.20 0
>>39みたいな浅はかな奴が日本に多数存在すると思うと寒気がする
48 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:19:39.61 0
領地が欲しいならまず南部を確実に支配することを考えるだろ
49 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:20:43.07 0
>>46 朝鮮への補給が絶たれたのは
中国が対馬海峡の制海権を握ったからなんだけど
それも知らなかったの?
50 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:21:05.69 0
仕方なく適当に戦った相手に惨敗したんじゃかっこつかないからなwww
かっこ悪い朝鮮人のままでいるのはなんでなの?
さっさと日本人になればいいのにwww
51 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:22:00.73 0
朝鮮征伐に各大名が嫌々出兵したという新説が発表されたと聞いて駆けつけました
先生はまだいらっしゃいますか?
52 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:23:19.54 0
朝鮮の土地なんかどうでも良かったんだよ
倒す相手は明なんだから
大名にすれば邪魔すんなお前らって感じだろ
53 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:23:36.87 0
54 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:24:07.27 0
朝からなかなかおもしろい奴がいるなあw
55 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:24:20.00 0
56 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:24:20.00 0
>>44 文禄の役の時点では大名にもよるけどやる気満々だったよ
大名に課せられた兵役が九州大名で100石につき5人その他で100石につき4人だったが
小早川とか小西とか宇喜多とか加藤とか佐竹とかetc課せられた以上の兵員を動員してる占領してうる物を見込んでたって
57 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:25:45.67 0
明との戦いだよ普通に
朝鮮関係ないじゃん明の下っ端なんだから
58 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:26:55.00 0
>>49 時期にもよるけど釜山までは食糧は届いてたよ
序盤に朝鮮水軍にちょっとだけ邪魔されたけど
占領地域の陸路の補給線が確保出来なかったし朝鮮の南西部を占領できなかったので前線に兵を送りこめなかった
59 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:27:03.11 i
>>57 お前は戦いが始まった経緯とか交渉の流れとかも知らないの?
60 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:27:25.46 0
日本の戦艦がちょっと当時は弱かったな
61 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:27:41.26 0
そりゃ中国軍より強かったに決まってるよ
滅亡間近の明朝だもん 間もなく満州族の清朝に
取って代わられたんだから
62 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:28:36.68 0
当時の明兵が捕虜になって後に日本で武家に取り立てられ
清に支配された明(シナ)を知って日本こそ古代シナ文化を色濃く残す地ではないかと
感慨に耽ってその3代目が赤穂浪士になるくらいには強かった
63 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:28:50.77 0
>>48 まず上陸した大名で勝手に朝鮮のここは俺が統治するぞみたいな会議があったんだよ
64 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:29:04.09 0
何年も馬鹿朝鮮の土地に城築いてた時点で日本の勝ちでしょ
しかも朝鮮民は当時の貧しい暮らしから抜け出したいから寝返る奴が多かったんだよね
65 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:30:36.47 0
安土宗論か
66 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:32:08.46 0
明史
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)
67 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:32:55.29 O
朝鮮も気の毒だな
元にもこきつかわれてたんだよな
68 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:33:06.85 0
>>64 むしろその土地の中央政庁を制圧したのに統治できなかった
69 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:34:25.28 0
明史は清が作った史書だよ
70 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:34:35.75 0
属国とか表現露骨すぎワラタ
71 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:45:51.54 0
「朝鮮王朝実録」
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃手を擁している我が明兵が勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れてしばしば勝手に逃げるため、その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
そういえば明も日本の武士の捕虜に日本の剣術習ってたよね
それで日本刀を手本にした苗刀やらできてるよね
72 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:47:05.07 0
73 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 06:58:29.35 0
>>72 訳が「我が明」とかなってるので初出で読む人は勘違いすると思った
74 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:01:32.18 0
中朝は中華王朝だから継承王朝の清からすれば明朝を「我が」と訳すのも
間違いとは言い切れないな
75 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:02:07.48 0
万年属国の朝鮮は弱いなあ
76 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:02:30.08 0
ヌルハチと加藤清正の軍勢が満州で小競り合いしたらしいね
77 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:04:30.97 0
白蓮教とかの新興宗教勢力や蒙古 満州などの異民族と
共闘すれば明朝を完全に滅ぼせただろうに
78 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:05:06.54 0
加藤清正は、「オランカイ」(朝鮮人は女真族の事を「野蛮人」という意味をこめて
「オランケ (兀良哈)」と呼んでいた。
これが転じて日本人は女真族を「オランカイ」と呼んだ)の戦力を試すために、
豆満江 を渡って満州 に入り、近在の女真 族の城を攻撃してみる事にした。
それまで女真は度々国境を越えて朝鮮を襲撃していたため、
咸鏡道の朝鮮人3,000人もこれに(加藤清正の軍勢8,000人に)加わった。
まもなく連合軍は城を陥落させ、国境付近に宿営した。
朝鮮人が帰国した後、日本軍は女真からの報復攻撃に悩まされた。
依然優位には立っていたものの、加藤清正は大きな損害を被ることを避けるために撤退した。
この女真侵攻を受けて、女真族の長ヌルハチ は明と朝鮮に支援を申し出た。
しかしながら、両国ともこの申し出を断った。
特に朝鮮は北方の「野蛮人」の助けを借りるのは不名誉な事だと考えたと言われている。
二番隊は東へ向かい、鍾城 、穏城 、慶源 、慶興 を占領し、
最後に豆満江の河口のソスポ に達した。
こうした転戦の後、日本軍は咸鏡道の内政に努め、一部地域に朝鮮人の自治を認めた。
こうして日本軍は北西部の平安道の平壌より北方と、全羅道を除く朝鮮全土を制圧した。
79 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:07:24.59 0
その満州族に清朝が成立したら臣従したんだから
ざまはねえわな まさに朝鮮根性ってやつだ
意地も誇りもありゃしねえ
80 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:07:32.02 0
81 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:10:59.96 0
>>78 この咸鏡道統治も勇ましい武勇伝ばかりだけど漢城にもどってきたときには兵力半分減ってたんだよな
82 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:12:29.87 0
>>79 迎恩門(げいおんもん)とは、中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、
中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。
清代には(三跪九叩頭の礼)によって使者を迎えた。
日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱した。
こうして大韓帝国が成立、朝鮮内の開化派は迎恩門を取り崩し
1897年、独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。
またソウルには大清皇帝功徳碑(三田渡碑)があり、
その横の銅版には、当時の朝鮮王がひれ伏している様子が描かれているのを
見ることができたが、2008年に撤去された。
独立門の正面に今も残っている2本の柱は、当時の迎恩門の柱礎である。
83 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:12:31.41 0
朝鮮民族ってのはまさに虎の威を借る狐であってね
元寇では壱岐対馬博多湾で極悪非道の限りを尽くし
第二次大戦では朝鮮人軍属が日本軍の制止も聞かず
暴虐非道な振る舞いをして日本の足ひっぱったし
ベトナム戦争では普通の良民を殺して耳を持ち帰って
ベトコン討伐しましたと嘘ついて勲章貰ったり強姦やり放題で
混血児生ませ捲ったり
84 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:13:34.99 0
>>81 ヌルハチの女真族は加藤清正にも手強かった相手ということか
85 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:15:54.66 0
勃興期にある民族の軍は強い
清朝が続く間に北京暮らしに慣れて貴族化
文官化して使い物にならなくなっちゃったけどな
86 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:18:12.86 0
そりゃ中国大陸では日本軍が女真に勝つのは難しいでしょ
平原だから遊牧民族が圧倒的に有利
87 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:19:37.35 0
>>78 まともに女真とは戦ってないだろう
>>78で言われてる女真の城っていうのが今でも不明だし小競り合いがあったのは事実だろうが
加藤の管轄した地域は朝鮮の流刑地で最も過酷なところでそこで一冬越したら兵が半分になったと
88 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:21:28.81 0
オランカイについては先方の史料が全く残ってないので交戦したのは統一国家ではなくて
ただの地方豪族か山賊との交戦か加藤清正の過大戦果報告と思われる
89 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:22:44.25 0
日本人は誰も秀吉の朝鮮出兵を評価してないけどなw
基地外猿の妄想による迷惑な話ってくらいなもんだ
基地外の妄想に付き合わされた朝鮮は可哀そうだと思うけどwww
90 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:23:29.04 0
満州族が強かったのは事実だが
結局は漢族間の分裂 内紛が入関防げなかった要因
山海関の鍵明けて清軍を招き入れたやつがいたんだし
91 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:23:42.32 0
>>88 ヌルハチの支配下になかった満州族の一派なのかい
92 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:24:22.94 0
93 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:24:44.48 0
ちなみに元末期は李氏朝鮮がモンゴル軍を撃退してるよ
94 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:25:16.49 0
>>89 朝鮮の領土に日本兵の拠点を築かれた時点で朝鮮はうんこだよ
95 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:25:36.39 0
朝鮮北部だと寒いんだろうな
情報も無くていきなり戦争だから末端兵士は大変だわ
96 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:26:39.14 0
略奪強姦されて犠牲者を増やすより
大人しく降参した方がいいと言うのがシナ人の知恵
実際 人民大衆にしてみれば漢族王朝も匪賊や軍閥も
満州族も日本軍も支配者としては大して変わりがない
97 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:26:42.61 0
それから数百年後に女真族の皇帝をつかって
傀儡国家をつくるってのがスゴイよなw
当時の日本軍部は絶対に興奮していたはずだ
秀吉公を超えたとかいってw
98 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:26:51.68 0
99 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:27:19.03 0
泗川の戦いでは日本側が数千人だったのに数万から数十万いた明と馬鹿チョン側が
負けてるじゃんw
100 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:28:48.86 0
チョンってもしかして秀吉が日本の英雄だと思ってるの?www
馬鹿だな
ただ基地外猿だよwww
101 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:28:53.54 0
加藤清正が虎退治したのは満州あたりのできごとなのかな
102 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:29:05.54 0
>>95 国境越えたらロシアの地域だぜ
凍死者も出るわ
103 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:30:45.66 0
>>89 出兵する事は必然
ただ海外派兵のノウハウが無さ過ぎて
戦闘以前のところで負けたのが不評なだけ
朝鮮は明に完全臣従してたのだから結果も必然だしね
104 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:32:13.46 0
>>95 しかもね
九州の大名中心の部隊なんか草鞋で出かけたんだぜ
105 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:33:44.51 0
そんな未熟な装備でも日本強いんだから
ちゃんと装備していったらもの凄いことになりそうだ
106 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:36:40.68 0
加藤清正は豆満江を越えて満州に侵攻したものの
あまりに気候が過酷だったため撤退したってのが真相みたいだね
107 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:37:43.16 0
>>99 個々の局地戦をみれば日本の勝利もあるけど日本が最終的な戦果を得られないまま撤退したので日本の負けだろう
そういう意味でナポレオンのロシア戦役と似ている
あれも個々の戦闘はフランス側の勝利が圧倒的に多いが最終的にロシアの勝利となってる
108 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:43:43.04 0
朝鮮の役といえば大友家は明軍に恐れをなして小西行長見捨ててソウルまで撤退したので大名を改易させられたが
その直後から領民の国外逃亡が相次ぎ半分くらいまで領民が減ったという
これは大友が善政だったのか悪政なので役人がいない間にこれ幸いとばかりに脱出したのか理解に苦しむ話だ
1.文禄1(1592年)7月16日
祖承訓率いる明軍先鋒隊五千騎が平壌城を急襲
→小西行長の配下一万によって撃退 日本軍勝利
※八月、乾福山にて小西行長(沈惟敬と)休戦協定、平壌にて正式な講和使を待つ
2.文禄2(1593年)1月6日
李如松率いる明軍四万三千余が平壌を総攻撃
→正式な講和使を待っていた小西行長とその配下一万五千は寝耳に水。
明軍は平壌城を奪還
3.文禄2(1593年)1月26日
碧蹄館の戦い
李如松は平壌城を落とした勢いに乗じてさらに南下。
体勢を立て直した日本軍四万一千は漢城近郊で明軍四万と激突
→日本軍の勝利 (李如松は戦意喪失し辞職願まで出している)
※3月頃より再度講和に向けての調整が始まり講和条件等が吟味される
4.文禄2(1593年)6月21日〜29日
第二次晋州城攻防戦
明将劉テイ指揮下四万(資料不正確にて議論保留)が普州城の救援に向かったとの報を受け、
立花宗茂と小早川秀包は兵四千を率いこれを迎撃
→日本軍が撃退に成功
※嫌戦気分のまん延した明は講和に傾く。秀吉、部隊を段階的に帰還させる。
が、約束の講和条件が満たされていないことを知り再侵攻。
講和条件の齟齬の責任は仲介の朝鮮にあり(事実かどうかは別議として)とされ、朝鮮征伐の色合いの濃い派兵となる。
5.慶長2(1597年)6月19日〜7月16日
漆川梁海戦
日本軍支配地に侵攻を試みた朝鮮水軍が
機動力に勝る日本水軍に翻弄され、
疲労困憊して退却途中に陸海から挟撃される。
慶尚道南岸の泊地になるような場所は、日本側が前役から城塞を築いて押さえており
例えば水の補給のために上陸した加徳島では加徳城在番の高橋・筑紫の兵に迎撃され朝鮮水軍は400の損害を出したとされる。
兵力は双方とも1万数千程度。
→朝鮮水軍壊滅、日本軍勝利
6.慶長2年(1597年)8月12日〜15日
明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃
→陥落 日本軍勝利
7.慶長2(1597年)8月16日〜8月18日
明・朝鮮連合軍が守る黄石山城を日本軍が襲撃
→陥落 日本軍勝利
8.慶長2(1597年)9月7日
稷山の戦い
稷山で解生率いる明軍先遣隊明軍2千(援軍2千)と黒田長政率いる日本軍5千の部隊が遭遇戦
→一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。
日本側に援軍2万5千が現れたのを機に撤退 日本軍勝利
9.慶長2(1597年)12月22日〜慶長3(1598年)1月4日
蔚山城の戦い
楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を襲撃
→加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、
その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破
日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた
日本軍勝利
10.慶長3(1598年)9月〜10月
第二次蔚山城の戦い
麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が
再び蔚山城を襲撃
→日本軍は巧みに防戦、明・朝鮮軍は攻略の目途が立てられず撤退 日本軍勝利
11.慶長3(1598年)10月1日
泗川の戦い
董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃
→島津義弘配下七千が城外へ打って出て明・朝鮮連合軍壊滅 日本軍勝利
12.慶長3(1598年)10月2日〜7日
順天城の戦い
劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、
陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千の連合軍が順天城を襲撃
→小西行長配下一万三千が防戦し、明・朝鮮軍を撃退 日本軍勝利
※八月から伏せられていた秀吉の死去が公表され、10月、撤退命令。
13.慶長3(1598年)11月18日
露梁海戦
明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突
→双方に甚大な被害。
しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、
連合軍は明水軍副将のケ子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死
113 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:51:15.87 O
明軍と朝鮮軍には相手になる武将は二人ぐらいしか居なかった。
兵站の問題と民衆蜂起に苦しんだ。
ヌルハチはモンゴル人とは違って、
融和的だった。
114 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:55:03.10 O
115 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:55:23.26 O
先頭集団がアホみたいに強すぎて思わず突っ走っちゃったせいで補給が置いてけぼり食らって詰んだんだっけ?
116 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:57:45.85 O
三國志の時代の日本との差ぐらい
117 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 07:59:35.59 0
>>107 だけど明側が秀吉の死のお陰で助かった的なことかいてるじゃん
どの国にせよ、敢えて日本の征服に乗り出すには日本は強国過ぎたのである。
ポルトガル人には日本征服どころか、その考えすら起こらなかった。
スペイン人は一度だけ日本の征服を考えたかに思われるが、その思惑はたちまち一蹴された経緯がある。
1609年、太平洋方面総督に対して勅令が送られ、日本軍を前にして
「我が軍隊と国家の名誉を損なうような危険を冒さないように」
との厳命が下っているのである(フィリピン当局者であったスペイン人、Antonio de Morgaの記録にある)。
ただ一度だけ、日本の不正規軍…
…浪人と呼ばれる近寄るべきでないサムライが主体…とスペイン人との間で会戦が行われたことがある。
1620年代、シャムにおいてだ。
どちらが負けたか?敗れたのはスペイン人である。
支那について言えば、朝鮮での戦いのいくつかの小競り合いで支那が勝ったことはある。
だが、戦争それ自体に支那が勝利を収めたわけではない。
そのことは支那自身が明言している。※
(中略)
1644年に滅ぶ明朝の最後に至るまで、この恐るべき侵略者の記憶は生々しく残り、
「日本人と言うだけで、人民は神経をとがらせ、警戒し、息を殺した」と付言されている。
ノエル・ペリン noel perrin( ダートマス大学英米文学教授)が分析した戦国日本の軍事力(著作「鉄砲を捨てた日本人」より)
※「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。
我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)
119 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:01:03.87 0
120 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:02:45.18 0
日本と明が講和した後
アホチョンの李なんたらが空気よめず後ろから攻撃して島津に魚のえさにされたんだよね?
それが今ではチョンの英雄とは大爆笑ものだね
121 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:04:08.84 O
なんで後に中国を制圧するツングース族達と連携取れなかったのかな
まさか秀吉が中国を独占したかったとは考えられないし誰かが単独で攻め入るのを強行したとしか思えないんだが
『明史』の文禄慶長関連記述の編纂時
客観的立場から書かれており明の存在を貶めようとした形跡は特に見られない
明側の記録が主要なソースとなったためと思われるが
むしろ明軍の武功部分は比較的強調される傾向にある
『明史』では全体的に明軍の果たした役割が大きいものとして書かれている
反面現在韓国で三大捷として扱われている戦いについての記述は『朝鮮伝』にもないなど
李氏朝鮮の役割については小さく扱われている
123 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:06:55.98 0
後継国家の態度を勝敗云々いうなら徳川幕府は宗氏-朝鮮ルートと琉球ルート両方から
明に対して朝貢の申し入れをしたよ
朝鮮ルートは朝鮮が明まで話を持って行かなかったし琉球ルートは結局明側が受け入れなかったけど
124 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:08:10.75 0
>>122 とはいってもやはり当事者が負けを認めたとは全く違うよ
あくまで著述者の評価
125 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:09:33.40 O
>>121 ヌルハチは実は明に敵対的ではなかった。
援軍の申し出をしてるぐらい。
126 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:10:15.04 0
清が書いたから嘘アルw
ホントは明が勝ってたアルよw
っていいたいのねw苦しいなぁ
127 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:11:16.47 0
>>121 言葉の問題もあるしそもそも誰に話を通せばいいか当時の日本でわかるやつなんて一人もいないだろうし現実問題として不可能だろうね
128 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:11:33.33 0
>>124 だけどさ彼らは儒教を重んじてる訳でしょ?
となると日本を格下だと思ってる訳で
そんな国が日本に有利になること書く訳ないじゃん
となると事実だから書いたってことでしょ
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。
「日本人は支那人よりも勇敢で、
武器ならびに戦術の点で優れており、
数々の面で支那軍の劣勢は疑えない。」
ルイス・フロイス「日本史」
「支那人は自国の夥しい人口に自信を持っており、
スペイン人が征服する、というと嘲笑して、仮令身を守るべき武器はなくても、
死体で城壁を築き、何人も通さないように出来る、などと語っている。
尤もこの野蛮人共は、スペイン人というものを知らず、
スペインの僅かな鉄砲隊でも、
何百万人もの支那人を滅ぼすのに充分だということを知らない」
「先年僅か十三人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
二、三〇〇〇人以上の支那人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはその堅い壁に出口を作り、そこから脱出するや、
直ちに多数の支那人を殺してしまった。
支那人は彼らを一昼夜にわたり包囲しながらも攻撃を加えることが出来ず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、それに乗って逃げてしまった」
フロンソ・サンチェス
>>117 明は国境線が広いので敵も多くて防衛するのも大変なんだよ
歴史的に戦略上さほど重点をおかなくてよかった東方朝鮮半島で戦火が長引けば
国家の戦略防衛計画を根底から考え直さなくてはならない
秀吉が死んで助かったことには違いないが「秀吉が強かった」と同意語ではない
132 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:15:39.16 O
李氏朝鮮も海軍に限って言えば最初はキャリアを重んじ両班の文均を起用してたが
こいつが人の言う事は何も聞かないわプライドは高いわで日本の海軍によって虎の子でもある亀甲船をかなり失い海軍壊滅の危機だったのを
文均に反論し一兵卒に落とされた海軍の運営のスペシャリスト李瞬臣によって盛り返した
と学生時代に勉強してるがこれは間違ってたのか
133 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:18:44.01 0
>>132 講和した後に空気読めずに後ろから補給船を攻撃して
島津に殺された武将でしょ
この人日本の併合時代に有名になったんだけど
その理由は併合する際に朝鮮の英雄を作らないと
ガス抜きできないから日本側が無理やり英雄として彼をあげたんだよね確か
134 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:20:11.17 0
>>129 ルイス・フロイスはこうも書いてる
かの地(朝鮮)で日本人たちが経験した、労苦、貧困、極度の食糧不足、疫病、不便は疑いもなく計り知れないほどであった。病気になっても、もちろん人間的な救済と援助は全く欠けており、そのうち死を免れた病人は大勢のうちわずかしかいなかった
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
136 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:21:27.13 0
>>128 清の歴史家の客観が普遍的な客観にはなりえないってことだよ
137 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:23:10.68 O
農民の出の秀吉だから中華の肥沃で広大な土地で小麦や米を栽培したら食うには困らないぐらいは思ってたはず
138 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:23:39.39 0
明史以外でも支那朝鮮負けてんじゃん
139 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:26:28.58 0
朝鮮征伐に限らず侵略戦争は防衛側が攻撃側より被害が多かろうが少なかろうが
防衛側が侵略側を退ければ防衛側が勝ちって言われるのが普通だろう
モスクワ戦役だって当事国をのぞいてロシア側が勝ってることになってるし
イタリアの第一次エチオピア戦争だって被害は遥かにエチオピアのほうが多いがそれでもエチオピアの勝利とされている
140 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:26:48.06 0
>>137 軍事的拠点の確保として朝鮮に関することは書いてあるが
明への領土要求は無い
秀吉が腹の中でどう考えていたかは別として
明との講和条件七ケ条
一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。
二、勘合貿易の復活
三、日明両国大臣の誓紙交換
四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲
五、朝鮮の王子、大臣を質とする
六、捕虜の朝鮮両王子を送還する
七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する
141 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:27:05.96 0
>>136 それでも日本側に有利にかく意味ないじゃん
142 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:28:36.70 0
そもそもスレタイからすれば戦略的な勝ち負けじゃなくて
交戦して局地戦でより強かったのはどっちってことだろ
そうなると明史に関係なく明朝鮮が日本より明確に強かったとはとても言えなくなってくる
144 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:31:06.08 0
>>142 それなら日本側の補給線のほつれによる死者の数からやはり日本不利になる
なぜか病死と餓死による死者はカウントしたくない人もいるが
145 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:32:35.87 0
600万人のアジアの人々を虐殺した第二次世界大戦中の日本軍が最強
146 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:34:34.98 0
>>145 話題逸らしし始めたってことは支那朝鮮にとって苦しい展開なんだな今
147 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:35:03.25 O
黒船まで個人の力なら日の本は世界でもかなり上位だったから故に近代化の波に遅れたんだろ
148 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:35:39.45 0
>>145 一億人近く虐殺してるギネス級の中国がいるじゃないかw
149 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:35:50.98 0
この間落とされた倭城ゼロ
150 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:36:13.87 0
■李舜臣(笑)の真実
【朝鮮出兵の際の朝鮮側の記録 「武藝圖譜通志」の記述】
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」
【朝鮮側の記録「宣祖修正実録」の記述】
「天兵(明兵)は短剣を持ち騎馬であり火器はなく、道は険しく、
泥深くして駆けることができない。賊(日本軍)は長刀を奮って左右に突撃し鋭鋒であり、敵なしだった」
【朝鮮側の記録「懲録」の記述】
「賊(日本軍)のほうは皆歩兵で、彼らの打ち振る刀は、三、四尺に及び、
鋭利無比の物であった。賊はその鋭い刀を左右に激しく打ち振るい、人、馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抵抗する術がなかった」
【中国側の記録「明史」の記述】
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(意訳)「我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった」
【朝鮮王朝実録の記述】
「日本兵との接近戦を禁じた」「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
倭寇の時代から、中国人は日本の剣術の威力に驚き、日本刀を真似て「苗刀」を作り、
日本の剣術を真似た「倭刀術」を生み出しました。
151 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:37:34.87 0
侵略したのに防衛戦
そりゃ守るほうが有利だよ
ちなみに明軍相手には攻城戦を一度もしかけてないし勝ってない
152 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:38:20.98 0
とにかく明と朝鮮は手を組んだのに糞弱かった
これが真実でしょ
153 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:38:22.41 0
文禄の役での戦闘はせいぜい一年で大半で武士圧勝
その後、講和によって日本軍駐留状態のまま四年
講和に応じたくせに貿易の再開等の約束を守らない支那朝鮮に秀吉激怒
で慶長の役二年間
懲罰目的なので征服とか関係なく期間は秀吉の気が済むまで続いたろうね
この間落とされた倭城ゼロ
何年も蹂躙され続け大苦戦したのは支那朝鮮でしたね
154 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:52:36.02 0
文禄の役を冷静にみれば
加藤軍も食糧不足から漢城に撤退
さらに小西、大友も平壌で敗北し撤退
その間の開城も放棄
第一次晋州城戦で敗北して退却したため漢城に食糧・援軍を送るルートを確保できずに漢城の主力軍が干上がる
漢城の食糧が残り一月を切るところで漢城放棄
焦土作戦の教本のような展開ぶりだよ
155 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:55:04.55 0
焦土作戦(笑)の実情
李恒福 白沙集
「秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、
奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。」
156 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:56:18.33 0
>>121 秀吉を買いかぶりすぎ
東アジアにおける情報量が少なく
秀吉お得意の調略が全く行われてなかった
そんな状況で明・朝鮮以外の情報を持ってたとは思えない
157 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:57:29.39 0
>>155 それがまさに焦土作戦だよ
敵の手中に治める前に火を放って灰燼に帰すっていうのは
そうやって干上がらすのが目的
158 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 08:57:47.23 O
元寇のときの日本軍はさすがに弱いよな?
159 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:00:43.15 0
日本軍撤退後の漢城は残った民衆は100のうち1か2くらいで
城内は死臭に満ちて城の内外は白骨が堆積してたって明側の大将李如松が言ってるので
その惨状がわかる
160 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:00:44.43 0
>>157 結果論だなw
逃げるのに忙しくて民衆をコントロールできない言い訳
161 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:01:36.26 0
柳成龍は明軍が日本刀にやられたと書いている。
フロイスも朝鮮は日本刀に対抗出来ず征服された(日本史第三十七章)と書いている
三十八章でも鉄砲に加え太刀の威力で散々襲撃したので朝鮮軍が遁走
鉄砲では朝鮮軍は後退するも完全に崩れておらず、太刀の突撃で戦場を放棄したとしている。
その後、明が日本の武具を入手して対抗策を講じた事が書かれている (第四十一章)
フロイスは四十三章冒頭に祖承訓との合戦で小西行長は明兵に対する認識を改めたと書いている。
朝鮮よりは強い明兵を小西は評価したようだ。
が、碧蹄館後の記事でフロイスは日本人は支那人より勇敢で、武器ならびに戦術の点で優れており、
種々の面で支那軍の劣勢は掩うべくもないと分析した(第四十三章)
結局の所、明軍も弱くはないが日本軍の方が戦上手で強いという評価に落ち着く。
163 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:06:13.70 0
>>160 咸鏡道と京畿道では日本側の略奪の効率がすこぶる低下したのは事実だよ
李如松って碧蹄館の戦いで戦意喪失して「ちょっと体調がすぐれません」とかいって辞めて逃げちゃった人だっけ
165 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:10:05.96 0
>>162 碧蹄館は日本の勝利だけれどもその直後の幸州城の戦いで日本側は負けており
以降明も日本軍も侵攻をパタッと辞めて野戦が一切おこらないことから
日本も明軍を評価していることがわかる
166 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:16:40.59 0
日本軍は鉄砲が多かったけど
明軍には紅夷大砲とよばれる火砲が多かった
167 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:18:05.70 0
とゆうよりもともと講和のつもりで平壌開いて待っていたのに明が攻撃してきたことから碧蹄館の戦いへの流れになったわけで…
碧蹄館後交戦が止まったのは日本にとっては「だったら最初からそうせいや」ってとこだし
ぱたっとやめるのはあたりまえ
168 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:19:00.00 0
切岸によって構成される和城に
火砲はあまり効かなかったようだ
169 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:24:24.25 0
>>167 開城してたわけじゃないぞw
小西ってアホじゃないし
170 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:24:25.53 0
>>168 まあそれは
秀吉の小田原城攻め等でも明らかだわな
あくまで威嚇や戦意鼓舞のためのもの
171 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:27:06.47 0
日本は個々の軍勢は強かったけど
上層部の間の不和とか統率がいろいろと乱れてた印象がある
172 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:27:31.17 0
ともかく当時の和船を使った兵站の輸送技術では
現地調達も併せて行なわないとどうしても不足してしまう状況だった
ところが当時の朝鮮は現地調達が難しく日本軍が勝つまで戦い続けることは恐らく無理だった
173 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:28:55.39 O
中国ってこの頃に使われてた大砲をアヘン戦争でも使ってたらしいな
林則除関連の本を読んだ時にそれを知ってかなり驚いた事がある
174 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:29:35.71 0
>>167 講和交渉が再開されたの幸州城のあとから二ヶ月後くらいだぞ
その間日本側は完全に侵攻をストップした
175 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:31:04.18 0
>>169 うむ 単純に李如松が中国から連れてきた軍勢が
当時小西が平壌で持ってた軍勢の3倍以上あったというだけだよな
176 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:31:05.95 0
>>172 いや朝鮮本土までは食糧は到達してたけど
その先の陸路の補給線が全く維持できなかった
177 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:34:02.24 0
碧蹄館で日本は勝ちはしたけど
多分それが日本が初めて経験した統率された軍との戦いだったので
こういう戦いをこれから何度もして
また平壌まで押し返して北京侵攻とか絶対無理だと思ったんだろうな
だからもう戦うの辞めた
178 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:34:11.29 0
っていうか加藤清正
小西を助けたれよって感じなのだが
179 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:35:19.88 0
朝鮮は弱すぎてわろた
明の小間使いじゃん
180 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:36:02.98 0
碧蹄館以降での講和交渉だって秀吉の指示じゃなくて
現地での大名が勝手にした撤退するがための交渉だからね
181 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:37:15.20 0
>>173 実は清朝って徳川幕府と同様に建前は鎖国政策をしていて
日本で幕末の天誅組の乱に取藩がブリキトースを持ち出したように
そういう古代砲を持ち出して戦ったようだな
182 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:37:30.02 0
西南戦争の時代の大砲も
日本の城には通用しなかったからな
183 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:37:38.40 0
小西行長って関ヶ原で敗れて斬首されたからか
相当に後世の日本では過小評価されてるけど
中国人や朝鮮人の評価ではどうなんだろうか
184 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:40:17.26 0
>>182 熊本城なんかは
特に大砲の弾にも石垣が崩れないほどの
堅固な作りしてたんじゃね
朝鮮半島での大砲の威力を知ってた
加藤清正が作っただけになおさら
185 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:40:45.06 0
小西って朝鮮出兵で身の丈を超えた動員してしかも消耗したから
関ヶ原ではまともに動員できなくてかわいそう
186 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:42:33.32 0
>>156 台湾に架空の国があると思っていたらしいな
187 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:43:37.55 0
小西行長は加藤清正と肥後半国の隣同士の領国に配置されて
しかも清正の熊本よりも相当経済力に劣った宇土が領国だったしな
身の丈に合わない競争を強いられて
しかも使い捨てにされたサラリーマンみたいな人だわ
188 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:44:21.29 0
189 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:44:42.92 0
>>179 兵站線を分断したのは朝鮮側の手柄だしな
焦土作戦を肌で身につけていって平壌城のときは兵糧と住民ごと撤退して小西が入ったときは本当に空城で得るもの皆無だったらしいし
190 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:47:56.07 O
こんなに国が疲弊してたのにチャングムの誓いとかの世界があったなんて
191 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:48:08.85 0
文禄の役は恫喝による交易交渉とスペインへの示威行為
慶長の役は朝鮮征伐、というか約束を反故にされた秀吉の腹いせ
だから文禄なんて開戦早々から和平交渉の席へ着くよう明へ再三要求してる
快進撃中の日本がだぜ
要するに力を背景に有利な条件で商売したかったが、
小西がもっとアホだったのでおじゃんになった。
192 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:50:30.89 0
兵站線を分断といえば
漆川梁海戦では朝鮮水軍は日本に完全に陸地を押さえられてて補給が出来ず
壊滅したんだったな
193 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:52:21.35 O
商人の息子の小西がアホだったなんて
194 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:52:57.07 0
小西は堺の傀儡
195 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:54:52.03 0
>>191 その講和っていうのは国の主権代表者による話し合いとかじゃなくて
前線の将軍同士による勝手な約束事
なんでそんなことしないといけないかっていったらその時点で日本は相当干上がってたわけ
196 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:55:20.12 0
松永久秀の甥として生まれ
三好氏から足利氏→小西行長と仕え
文禄の役では使者として北京まで行き
関ヶ原の合戦でも生き延び
最後は高山右近と一緒にキリシタン追放令で
マニラに追放されてかの地で生涯を終えた
内藤ジョアンなんかは大河ドラマの主人公並の
波乱万丈人生だよな
197 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:59:26.94 0
桂月香
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%9C%88%E9%A6%99 桂 月香(ギェ・ウォルヒャン ???、生年不詳 - 1592年?)は、
李氏朝鮮時代の平壌に居たとされる伝説上の女スパイ。
韓国では美貌の義妓として評価されている女性。※実在したかは不詳。
平安道兵馬節度使金景瑞(???、別名金應瑞、???)の愛妾で、
1592年の文禄の役で6月11日に平壌が陥落すると、
日本側の動向を偵察する目的で、小西行長の家臣内藤如安の愛妾となり、
情報を金景瑞に流していたとされる。
数ヶ月内藤と閨を供にし、12月のある晩、泥酔して寝ている内藤の寝首を掻いて暗殺し、
その首を刎ねてを金景瑞に送ったとされる。
内藤如安暗殺の後、平壌を脱出してきた桂月香が内藤の子を妊娠していた為、
怒った金景瑞は桂月香を殺し、腹を裂いて胎中の子も八つ裂きにして殺した。
内藤如安は文禄の役で死んでいないし、
その後関ヶ原の合戦でも生き延び、キリシタン禁令のあとフィリピンに追放され、
1626年マニラで逝去している。
史実とは著しく齟齬(そもそも、暗殺したとする人物すらも
資料によってバラバラで一定していない)しているため伝説上の人物とされている。
桂月香を題材とした小説
『金将軍』(所収「芥川龍之介全集5」)、芥川龍之介著、1924年(大正13年)1月
(芥川龍之介の作品では、ソソビは内藤如安ではなく、
小西行長に比定されている点や、
征韓の役の30年前に加藤清正と小西行長が僧に変装して朝鮮国の各地を行脚し、
国情を探ったりしている事が描かれているため、全く荒唐無稽な内容になっている)
198 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:59:40.90 0
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
199 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 09:59:55.00 0
小西が虚偽の和睦しなければソウルの主力は食糧尽きてもっと悲惨なことになってたよ
ソウル駐留中だった大名は不仲の加藤も含めて薄々気づいてたんじゃないか
とにかく撤退さえできればよかったから何も言わなかったけど
200 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:01:28.22 0
出ました
たられば
201 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:02:29.81 O
何でもそうだが何かを辞める時には何かしらの理由が欲しいんだよ
202 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:03:12.21 0
懲録
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、
白刃をきらめかせて大声をあげて突進して来た。
光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。
諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、
数人が刃を揮って勇を誇示しながら突進して来た。
三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
203 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:04:37.62 0
懲録
・まだ川に身を投じていなかった者には、
賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。
将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、
まるで草を刈るように斬り倒し、死者は数しれなかった。
204 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:05:21.71 0
>>200 実際ソウル駐留の五大名連名で
秀吉まであと一月で食糧が尽きるのでなんとかしてほしいって書状送ってるんだが
講和交渉始めたのだって一万石以上あった食糧の貯蔵地を焼かれた直後だしね
205 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:06:18.32 0
>>202 なるほど普通に戦っちゃうと日本のほうが強いわけか
206 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:07:19.36 0
というか山の上にいると見せかけていつの間にか包囲するとか
日本も戦略的なことやってんだな
207 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:14:33.90 0
懲秘録
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、
それぞれ要路を守り、長刀を奮って、やたらと切りつけた。
明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。
月が明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
208 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:16:44.27 0
>>207 抽象的すぎてなんの戦いかさっぱりわからんw
209 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:22:19.52 0
程宗猷 単刀法選
日本刀の事を我々は単刀と呼んでいる
両手を用いて一振りの刀を扱う
日本刀は日本人独自の剣術で用いられる
剣術はよく鍛錬されており精密で強固だ
日本刀は扱いやすく、柄、鞘などの拵えは理にかなっており
他の刀剣で比べられるようなものはない
更によく研磨されており、光が反射する様をみれば誰もが心寒からしむだろう
その剣術の特徴は左右への変化が凄まじく、奇詐詭秘、まったく予測できない
そのせいで槍を持ってしても毎回常に日本刀に敗れてしまう
210 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:26:35.72 0
鉄砲や弓矢
槍とかがメインじゃないかな
日本刀も使っただろうけど
211 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:34:52.62 0
元々日本での戦は弓矢がメインだった
その証拠に弓矢を武芸とか武器とか武門の総称として
使用していることからも想像できる
212 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 10:38:26.18 0
逆に明軍の武器は槍がメインなのか
213 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:22:35.40 0
>>31 いくら狼でも知らない奴がこんなスレにいないだろ
中世近世の戦で
射撃武器と白兵戦武器を同列に並べてメインだのメインじゃないのとアホな御託並べるほうがどうかしている
215 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:33:18.24 0
急に裸で飛び込んで来るのもどうかしてると思うぞw
千葉のお客さん
216 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:35:09.97 0
また鈴木信者か
217 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:41:50.92 i
当時の日本軍が如何に強くて恐れられていたかは
その後幕府が明を相手にかなり有利な形で和平交渉をしていた事でも分かる
218 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:48:41.89 0
王朝そのものが衰退していたことも考慮しような
219 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:52:23.12 0
相対的に日本が強かったことは否定できないと
220 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:53:27.89 0
日本軍はあの戦国を時代を勝ち抜いてきた強兵だ
儒教的道徳国家でほとんど大きな戦乱を経験してなかった李氏朝鮮や
万里の長城で異民族の流入を防ごうと考えてた明にはきついだろ
ただし日本は外征軍であり相手のテリトリーで戦うという大きなハンデがあった
当時の技術力じゃこのハンデは埋められないだろうな
221 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:56:07.98 0
【広開土王碑】より
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳>
そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
【隋書】より
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳>
新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。
あれ?
222 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 12:58:37.52 0
>>219 弱腰になるだけの内部事情『も』あったってことだよ
223 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 14:24:32.25 0
>>217 幕府は思いっきりへりくだってたぞ
朝貢前提で講和を求めてたし
224 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 14:57:17.15 0
とりあえず秀吉が朝鮮半島に唐辛子を与えてやったからキムチがあるんだから
秀吉はチョンの食生活を支配することに成功したんだよな
チョンはキムチを食べられることを秀吉に感謝するべきだと思う
225 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:02:02.82 O
統治してじわじわと攻め込むには時間がなかったんだろうな
226 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:03:28.12 0
違うな
モンゴルのオゴタイ・ハーンが半島に攻め込んで
牛肉を焼いて食う文化を半島に広めてから
焼肉があるんだから
カルビを食べられることをモンゴル人に感謝するべきだと思う
227 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:09:34.49 0
防寒用として足袋の中に入れてた唐辛子だけど
チョンはどうやってそれを食べるに至ったんだろう
日本兵の死体でも漁ったのかな
228 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:16:01.64 0
兵站や外交を無視して強弱をどうのこうのいってるってどうなの?
そういう奴等がいたから先の大戦でこっぴどく負けたというのに
229 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:20:43.95 0
230 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:22:06.99 0
231 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:26:04.44 O
>>1 弱かったから撤退したんだろ秀吉の基地外のせいでたくさん日本人死んだし災難だった
232 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:28:00.02 0
平和ボケしてない奴っていつも何かと戦ってんのかな
233 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:32:31.79 0
いや戦ってるつもりになってるだけ
これも平和ボケの一種だよ
234 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:32:48.50 0
235 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:34:08.06 0
糖質怖い
236 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 15:53:50.60 0
いつも戦ってるから
ここでも戦ってるんだよ
237 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 16:37:19.74 O
家康は佐賀まで行っていたんだな
大阪より西に行くのはイヤンイヤンしてたかと思っていた
238 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 16:50:45.09 0
太閤殿下自体が肥前の名護屋城を本営としてそこへ詰めてたんだ
渡海しなかった有力大名も挙ってそこへ詰めてた
239 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 18:50:06.96 0
>>228 スレタイ音読してから書き込めや
戦略の話ではなく戦術か戦闘の話してんだろ
懲秘録の記述を参考に挙げてるのがいるぐらいなんだしw
240 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 18:58:31.75 0
兵站が戦術に含まれないという考え方は国を滅ぼすよ
241 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:02:06.07 0
補給線の確保や計画は戦略だろ
それを実行するのが戦術
242 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:06:34.69 0
輜重輸卒が兵隊ならば
とんぼチョウチョも鳥のうち
そんな事はどうでもいいけど
日本軍はめちゃくちゃ強かったよ
244 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:09:13.83 0
まさか無防備な輜重を易々と行ってたとか思ってんのかねw
245 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:11:33.61 0
その頃の日本はすでに中国や朝鮮は土人の国と見下してたのかな?
246 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:13:26.93 0
そんな事マジで思ってるのはお前くらいじゃね?
247 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:15:08.91 0
朝鮮を見下してたのは解るが中国の方は軽視くらいじゃない?
248 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:15:22.95 0
249 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:16:42.03 0
ちなみに
>>242は先の大戦中も
兵営などでよく口ずさまれていた戯れ歌
250 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:18:20.87 0
そんな事はどうでもいいけど食料と弾薬の補充がなければ強い軍隊でも勝てないよ
251 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:19:04.35 0
的外れ
252 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:20:46.21 0
こんな戯れ歌が流行るぐらい兵站を軽視してれば近代戦争に勝てるわけない
兵站を軽視しても何とか勝てた日清日露が皇軍に悪い影響を及ぼしたな
253 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:20:53.40 0
いま中国は日本を軽視してるけどね
254 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:21:57.30 0
半島は徴発も出来ないほど貧相だっただろうし
日本人はコーリャン粥を食わないだろ
255 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:23:07.11 0
朝鮮弱すぎ
256 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:24:07.22 0
的外れ
257 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:25:16.16 0
>>256 今探ってるところみたいだから待っててみ
そのうち発狂するからw
258 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:36:29.76 0
>>254 米かどうかは不明ながら年貢の徴収は占領地域で実施してる
当然上手くいってはいないが
259 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:36:52.55 0
的外れ
260 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:40:28.57 0
日本軍って日本ができたの明治以降だぞ
ばか?
261 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:40:45.38 0
大陸の人間って島国の日本みたいに土地にしがみ付かないで
戦乱があれば自分の土地を捨てて逃げて行く人も多いらしいね
262 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:41:32.23 0
263 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:42:21.30 0
秀吉軍に負けるほどへタレだったんでしょ
朝鮮
264 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:42:48.72 0
265 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:44:17.62 0
日本刀とか輸入して装備してたらしいけど
明軍はどうなのよ詳しい人
266 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:44:56.14 0
267 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 19:47:37.34 0
文禄慶長の役は学術書とか教科書を見てもだいたい明軍・朝鮮軍と日本軍の戦いってなってる
268 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 20:27:24.05 0
半島を舞台にした日本と明との戦いだよ
269 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:04:00.15 0
>>265 日本刀は首狩用で実戦では槍と弓矢が主力
270 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:06:26.06 0
271 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:07:50.29 0
明も弱体化していたからな
全盛期なら逆に日本に攻め込まれるいい口実になる恐れがあった
272 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:08:50.82 0
戦術無視してるから日本刀輸入装備とかいっちゃうんだよね
273 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:21:00.95 0
明のアゴが日本を脅迫してきたが日本は相手にしなかったとか何とか
元を打ち払ったんだから当然だけど
274 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:41:33.50 0
日本刀装備してた明軍はいわゆる近衛兵だけだろ
275 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:42:51.73 0
火縄銃のおかげで戦争を有利に進めれたけど火縄銃の製造技術が相手に流出して苦戦するようになった
276 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:44:46.03 0
大戦中に作られたって読み間違えたんだろうな
277 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:48:37.49 0
朝鮮はいつも戦場なんですよ
278 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:49:48.70 0
大戦中に存在しないものをどう口ずさむのかね〜♪
279 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:50:33.21 0
歌は残ってるよw
280 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:51:20.89 0
オゴタイ・ハーンも豊臣秀吉も伊藤博文も
朝鮮人を民族浄化しなかったことが歴史上最大の失策
281 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:52:48.46 0
歌が残ってても存在しないものを軽視するってどんなんだよw
282 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:54:37.70 0
おいおいw
283 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:55:25.87 0
>>269 釣りにしてもつまらんな
鈴木信者と論争になるとでも思ってんのかねw
284 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:56:43.84 0
ユダヤ人じゃなくて朝鮮人を収容所送りにしてれば
世界はナチスを全面的に支持したと思う
285 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:57:23.25 0
春子くらいのスカート丈が一番好きだわ
286 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:57:45.79 0
補給用に雇われた荷物運びが存在しないのに
それを軽視したり歌ったりとか正気じゃねえなw
287 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:58:32.69 0
お前にゃ煽りは無理だw
出直しな
288 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 21:58:44.55 0
289 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:00:20.45 0
>>288 だとしたら尚更おかしいな
大戦期の輜重は正規兵が行っている
290 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:01:21.87 0
悔しさ満点中年がいるね〜
バカそうですね〜
291 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:01:54.29 0
兵站担当を軽んじる風潮という意味合いなのは俺でも分かる
292 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:04:06.13 0
だから軽んじてなんかいないぞw
しかもその根拠が輜重輸卒は兵士じゃない!って歌があるってんだから余計おかしくなる
293 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:05:01.23 0
日本は古来から補給部隊の地位が低すぎるからな
補給線が短いガラパゴスの戦いしかしてなかったからしょうがないが
294 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:06:23.38 0
大戦期はそうでもないけどね♪
少なくとも兵士じゃない!なんて歌わねえよw
295 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:07:26.83 0
一線兵ではない扱いみたいだったんだっけ
296 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:07:37.20 0
チョンは弱いね
297 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:08:18.80 0
追い詰められてトンチンカンなこと言い出すぞ
298 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:09:10.89 0
輜重輸卒と輜重兵の違いはあるにせよ輜重兵科に配属された予科士官学校生が悲しんだり
陸大の入学者数がこの兵科だけ極端に少なかったり
大将は維新健軍以来1人も現れなかったり冷や飯食いの兵科だよ
299 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:09:26.44 0
ほらね
300 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:09:35.80 0
秀吉は明を征服するという妄想を抱いただけであって
朝鮮半島は明への単なる通り道にすぎなかった
301 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:11:19.79 0
中国も西洋も中近東も中世の補給隊の長は絶大な権力もっていたから
302 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:11:32.34 0
当時の朝鮮兵の装備について詳しく
303 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:11:57.56 0
文禄の役総大将 宇喜多秀家
慶長の役総大将 小早川秀秋
304 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:12:48.65 0
>>298 必死にググッてきたかw
てかそれと軽視されていたってのは関係ないけど?
少なくとも兵士じゃない!って歌が大戦中に歌われていたから軽視されていたという
お前の主張にはなにも関連してないぞ
305 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:14:27.04 0
ほらね
306 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:14:44.69 0
朝鮮も半島内での戦争だけでダイナミックな戦の経験がないので
軍隊の熟練度は低いような気がする
307 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:15:36.29 0
朝鮮は明に服従してれば戦争はないと思ってたんじゃね?
いわゆる平和ボケ
308 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:15:40.47 0
輜重の立場を上げようとがんばってるのは輸送科のロートルかな
309 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:16:25.81 0
>>304 すまんがこのスレには初めて書く人間だ
しかもこんなこと必死にぐぐる程の話じゃない
俺みたいな薄い軍ヲタでも知ってるほど有名な話だよ
310 :
5KU1hSz:2010/10/26(火) 22:16:33.45 O
>>293 日本史よくしらんが
補給と機動力の重要性をいちばん感じて熟知してたのは、信長にこきつかわれた秀吉だったんじゃ?
秀吉が年くって呆けず統括していたら、半島制覇くらいできたかもなぁ。
311 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:16:45.75 0
確か司馬の何かの作品で読んだ気がするが
輜重軽視は日本人の特性のようにいつの時代にも付いて回ったが
この時代の石田を中心とした
>>304 豊臣官僚団だけは不思議と優れていたって話しだった
312 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:16:56.58 0
>>298 牟田口閣下のように兵站を熟知した勇者がおられる日本を愚弄するとか
313 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:18:11.82 0
>>308 いやいや
輜重輸卒が如何なる者かも知らずにおかしな主張をする奴を問い詰めてるんで
314 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:18:42.11 0
福島や加藤・黒田といった現場系からは馬鹿にされてたな
315 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:18:49.82 0
しかし笑えるな日本人の補給への軽視思想は
軍隊が無くなった今もその思想が脈々と根付いてるw
316 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:18:54.93 0
戦いながら明まで行けると思っていたってことは
日中戦争や太平洋戦争と同じ発想ということか
317 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:21:23.58 0
>>316 慶長役では福島正則が兵站担当してるよ
しかも滞りなく任務を遂行してる
318 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:21:47.33 0
兵站管理と防衛まで手が回らなかったんじゃないの
それが戦闘部隊重視と補給部隊軽視に繋がる
319 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:22:04.17 0
太平洋戦争の初期みたいに出来るのに軽視してしなかったのと
朝鮮出兵時みたいにやりたくても技術的に出来なかったのはまた違うだろ
320 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:23:03.81 0
>>318 福島正則は兵站基地守る防衛に成功してるよ
それも三度も
321 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:23:34.20 0
一回目の失敗から学んだということか
もう一回大東亜戦争があったら日本もインパールのようなことはしないだろうな
322 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:24:06.63 O
確かに武断派は戦争の下準備を滞りなくこなす石田を軽く見すぎてたよな
323 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:25:08.95 0
おっかしいな〜
昭和天皇ですら戦線拡大に伴なう補給線の心配してたっていうのにな〜
324 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:25:18.28 0
武断派は戦争が無かったら厄介者以外なんでもないプライド高いし扱いづらいし
325 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:25:39.97 0
朝鮮から速やかに撤退できたのは石田光成の采配のおかげなのにな
それが分からなかった加藤福島黒田はアホ
326 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:25:42.84 0
滞りなくという言い方だとどこの前線部隊も補給に苦労しなかったととれる
実際に半島内の補給には相当苦労してるぞ
327 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:25:54.17 0
>>310 日本国内を想定した補給と機動力と朝鮮半島中国大陸のそれとでは全く概念が違う
半島の南端を政治的に奪取して長期展望でじわじわと朝鮮を配下にすれば可能だったと俺は思う
しかし日本国内の武将達に「土地を与える」という目的で戦争起こしたらしいので
じわじわ作戦では戦う意味がない
328 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:26:53.75 0
>>326 福島が担当したエリアはね
他は担当外なんだからそりゃ違いはあるぞw
329 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:27:15.22 0
330 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:27:16.76 0
近代戦時代を迎えてから幾度も実践の会戦も経ているのに
輜重隊勤務が兵から疎まれたのは華がなかったからかな
それと他の部隊より一段低く見られるのも原因なんだろうね
331 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:27:46.65 0
332 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:30:23.25 0
そういえば米軍初の女性大将ってロジスティック担当だったな
333 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:32:11.36 0
334 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:32:39.81 0
>>330 兵站の不足ぐらい大和魂ですべて解決できますが何か?
335 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:33:35.62 0
牟田口は芸者の補給まで完璧だった
336 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:33:38.42 0
同じ兵でも歩兵などからすりゃ荷駄隊なんぞと一緒にスンナwって思われても仕方ないか
337 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:37:02.88 0
前線で常に戦っている人間から見たら後方支援をやっている人間は
後ろでのうのうと楽していると思われているんだろうな
338 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:37:11.40 0
近代戦と比べると
朝鮮役の補給路確保はまだ見事だな
339 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:38:16.01 0
その荷駄隊の輜重兵がいなけりゃ他のどの兵科も戦えない
それを軽視させたり酷い時は軽蔑したり軍隊の有り様としてそんなんじゃだめだろ
飯も食わず弾丸も補給せずに戦える軍隊なんて無いのにね
340 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:42:54.84 0
>>338 戦国時代は日本近代戦と違って兵が使い捨てされないからな
玉砕などという馬鹿げたことはしない
341 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:43:02.52 0
そこで輜重輸卒が兵隊ならば・・・の感覚が軍自体の命取りになる訳か
後方支援は楽してると末端兵まで染まってたんだからお粗末なこと
342 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:44:32.01 0
343 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:47:15.95 0
はいはい
344 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:48:49.76 0
ほらね
345 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:50:31.81 O
飯食えなかったら腹へって動けないのにそれを大和魂でなんとかしろと指令本部で飯を食いながら言ってたのが当時の司令官
346 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:52:40.88 0
輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち♪
焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て♪
電信柱に花が咲く♪
なんつーかイジメだな
347 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:53:56.90 0
兵書に曰く調達したけりゃ敵地で分捕れとある
348 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 22:56:48.71 0
秀吉の小田原攻囲で補給の重要性は秀吉は熟知してたはずなのに
三成ら弟子たちはなぜそれをできなかったのか
349 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:06:09.99 0
350 :
5KU1hSz:2010/10/26(火) 23:10:09.24 O
>>347 兵法とは奇道なり
春秋戦国時代の取ったり取られたりの孫子の時代の考えを転換して、
曹操は屯田により勢力を拡大し
劉邦はまけつづけながら垓下まで兵を保った
351 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:13:11.61 0
>>347 鉄砲主体の戦争になったら弾や火薬は現地調達というわけにはいかん
352 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:17:29.31 0
三国志の時代でさえ兵糧庫とかあるのに日本は阿呆やな
353 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:37:57.16 0
>>348 正にできなかったのであって、まともにやらなかったのとは違うようだぞ
その証拠に高麗、対馬、壱岐、名護屋の海上通過点四箇所にそれぞれ舟奉行を配して
兵の渡海と兵糧の輸送を監督させている
必要予定量をオーバーしたか国内での確保が予想よりできなかったか敵の襲撃で損なったかして
滞らせたのは事実だしそういう意味では読みが甘かったといえるけど一応補給計画を立て担当者を決め
補給を行っていた形跡はあるし海上補給路の確保と警備も行ってる
354 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:41:40.15 0
船でそれだけの兵を渡らせているところがすごいな
355 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:43:18.90 0
しかも兵だけ先に上陸させて馬は後から輸送しろという意味不明な命令が出てるw
356 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:44:57.03 0
そもそも馬なんか必要だったのか主力は鉄砲足軽と長槍足軽だろ
357 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:44:59.20 0
結局秀吉は不要な武力を捨てたかったんだろうな
358 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:46:07.78 0
海外にこの戦の研究者が多いんだよね確か
359 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:46:41.30 0
360 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:46:53.43 0
良くぐぐったな
361 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:48:32.27 0
手元にある本だよw
362 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:48:34.61 0
馬は後からって糧秣の問題とかか
363 :
名無し募集中。。。:2010/10/26(火) 23:51:47.13 0
>>353 俺も石田三成等の豊臣文官はよくやったと思う。
読みが甘かったというより経験値が足りなかったほうがいいぐらいで最善以上尽くしたと思う
徳川・伊達等の国内不穏分子がいなければ更にスムーズにいっていたはず
だが中国大陸経由の兵站合戦になると不利なのは事実。
事前に北方民族と同盟を結んでルートの分断などの工作は必要不可欠
364 :
晒し上げ:2010/10/27(水) 04:36:43.56 0
309 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2010/10/26(火) 22:16:25.81 0
>>304 すまんがこのスレには初めて書く人間だ
しかもこんなこと必死にぐぐる程の話じゃない
俺みたいな薄い軍ヲタでも知ってるほど有名な話だよ
365 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 04:50:44.28 0
366 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 04:54:40.56 0
呼んで字の如く晒し上げだろうw
367 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 04:56:15.93 0
368 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 04:57:40.80 0
見ての通りの自演劇場だよw
369 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 04:59:37.21 0
何か見えちゃってる人か
ごめん邪魔したね
無関係な人間は消えます
370 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 05:02:22.90 0
さっさと消えろよw
371 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 05:07:24.51 0
しかもこんなこと必死にぐぐる程の話じゃない(キリッ
372 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 05:22:24.10 0
元々現地調達が無けりゃ十分じゃ無かったんだろうけど
それが上手くいかなかった上に寒すぎた
373 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 05:23:47.64 0
朝鮮征伐の頃って車はなかったの?
374 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 05:31:48.52 0
恩賞も兵糧もないのに罰だけは十分
375 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 05:59:24.89 0
>>372 現地調達などという不確定要素で作戦たててちゃ話にならんぞ
現地調達はボーナスポイントぐらいに思ったほうがいい
376 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 06:07:13.27 0
昔の戦争は現地調達だぞ
377 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 06:41:22.68 0
朝鮮征伐って言葉はどこで学んだんだろう
378 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 07:26:07.80 0
>>214 射撃武器のメイン近接兵器のメインという事は言えるでしょう
日本軍は射撃武器で弩がメインという訳じゃ無く
近接兵器で戈がメインじゃ無くてというように
379 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 07:48:06.85 0
鉄砲弓矢槍日本刀にしても適材適所は当たり前だけど
基本的に戦闘は何で行ったかという意味のメインは語れる
380 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:13:12.67 0
軽装歩兵の集団戦が主流の日本では槍が主流
381 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:13:52.56 0
日本刀だけ強調してそれしか書かないと
どんな時にどれくらいの割合で使われたのか分かりにくくなる
実際の戦いとは離れた虚像の印象を与えやすいというのはあると思う
382 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:15:30.98 0
日本刀による白兵戦が当時どんなに優れていたものであったとしても
万能では無いし戦いの中で白兵戦に頼るのが良いか悪いかの判断をしにくくもなるだろう
383 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:17:42.98 0
別にこれは日本刀自体を否定している訳じゃ無く
優れていても万能では無いし
あまりに強調する事によって適切な使い方を見失わないようにという事
384 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:18:58.63 0
■戦国時代でも日本刀大活躍だねぇ■
●朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
●日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
●土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。
●かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、 いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。
別にこれは槍自体を否定している訳じゃ無く
優れていても万能では無いし
あまりに強調する事によって適切な使い方を見失わないようにという事
386 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:51:44.46 0
書籍名は忘れたが、古戦場の骨を発掘してどの武器で致命傷を与えられたか調べてる学者がいるらしい。
裏覚えだが矢>槍で鉄砲伝来すると弾>槍>矢で日本刀はほとんど無かったと記憶する
首なし死体だけ刃物系で斬られていたらしい
387 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 08:54:20.18 0
日本刀は1対1とか少人数のゾーンオフェンスでは有効だったらしい
携帯して持ち歩くのも便利
昔の日本人と今はまったく違うだろ
戦後とゆとりでさえ溝だらけなのに
389 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 09:06:54.42 0
軍忠状で矢傷が多いから日本刀はあまり使ってなかった
とかいうのも今はその論理の矛盾が指摘されてたよね
生存者も含んだ受傷率しかも自己申告しかも承認前というのが軍忠状で
よく読んでいくとむしろ弓矢や鉄砲ってなかなか死なないんだなっていう結論になっちゃうとか
鈴木説はいまや笑い話
390 :
05004018347043_vu:2010/10/27(水) 09:21:39.15 O
大和王朝以後も大陸の血はそれなりに入り込んでいたんだな
汝は尺の延べたる刀の利を知るかとあれば
ただのべかけて敵を一討ちに仕るばかりにて
外に心得候はずと申せば
いやとよ寸の延べたる刀は
鎗にあてて用ひんが為なり
向後忘れまじと教へ給ひしなり
『東照宮御実紀附録』
ここでの汝とは伏見彦太夫 三尺五寸の太刀を帯びていた
要するに日本刀は槍相手にとても有効な武器だったということだわな
392 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 10:44:49.37 0
>>385 これ眉唾な話だな
>薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである
薩摩は国元にこの地では鉄砲が必要
鉄砲が足らない。とにかく鉄砲を送れと具体的な数字を指定して催促した史料が残っている
大体泗川の戦いの決定的な勝利要因は鉄砲隊を前提とした戦術の釣り野伏せがハマって大成功したからで
薩摩は昔から鉄砲ありきの軍団だろ
鉄砲捨てて太刀振りかざすとか示現流のイメージからきてるっぽいから江戸時代につくられた創作じゃないか
それかお前の創作か
具体的な史料が書いてないのでなんともいえないが
豊後篇第七〇章(第二部八七章)
「豊後の最後の破壊、および本年当初の出来事について」
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
『日本史』西九州編第二六章(第一部一〇〇章)
「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」 かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、
いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。
『日本史』西九州編第五三章(第二部五二章)
「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」
彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。
すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、
長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。
そして戦闘が開始された。
それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。
薩摩勢は、敵の槍など眼中にないかのように、
その中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
394 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 14:23:12.88 0
>>386 日本刀は近接戦闘になるまで役立たず
離れた距離から弓矢は雨霰のように降ってくるので矢傷が多いのは当たり前
>>385 槍は集団戦闘には向いているが障害物があると弱い
兵士自身が障害物になる混戦に持ち込まれたら日本刀のように容易に振り回せて突き・払い・受け流しなどでも使える日本刀は確かに有利
395 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 17:40:51.50 0
なんでそこまで大刀にこだわるのかわからん
戦術上で長距離は鉄砲・弓、中距離は槍なのは当然で
大多数の歩兵の主力武器は槍なのはしょうがない
396 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 17:44:18.73 0
別にこれは槍自体を否定している訳じゃ無く
優れていても万能では無いし
あまりに強調する事によって適切な使い方を見失わないようにという事
397 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 17:48:42.13 O
名称は忘れたが当時の朝鮮軍は火薬を使って大量の矢を遠くに飛ばす兵器があった
現代に例えるとMLRS 密集してる日本軍にダメージを与えていた
■槍と日本刀でどちらかが一方的に上っていうことも無い 状況によって変わる話
何度も言うが槍や鉄砲の有効性の否定ではない
実戦では槍が刀に負けている例が多数ある
武藝圖譜通志
倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである
程宗猷 単刀法選
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。
紀効新書・長刀解
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される
■鉄砲もまたしかりアサルトライフルじゃないんだし当時の大陸の鳥銃等の火器では完全に武士の接近を抑え一方的に攻撃し続けることは不可能だった
「揮刀如~」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」
400 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 17:55:55.45 0
団体が抜刀して斬り込まれたらそらビビりますよ
401 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 17:58:46.49 0
抜刀して切り込んで混戦に持ち込まないと刀の優位性が発揮できないからな
■こちらは倭寇の事ではあるが参考まで
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
矢を水平射する火器は一応あったらしいがほとんど命中しない代物だったようだ
何せ放射状に矢が広がってしまうものだからちょっと距離があくともう当たらない
かといって充分引きつけて撃とうとすれば後続の武士との白兵は避けられない
結局普通の鳥銃のほうがまだましだったのかもしれない
404 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:15:25.74 0
なんで槍と刀の優劣の話になってるんだよw
405 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:34:07.45 0
>>400 日本(近代以前の世界も)の会戦の戦術としては「○○の陣」みたいな集団戦法
横に隙間無く並んで弓矢・鉄砲で射撃した後に槍兵が押すのが通常
なので前後の突きが有効で横の動きの太刀類は相討ちがあり隊列乱すので使いづらい
(この理由で鎖鎌も戦場武器としては不向きといえる)
接近戦の切り合いは一方の隊列が突破された時
騎馬兵は脇差を使っていたようだけど騎馬兵が戦場でどのように戦っていたかは不明な点が多い
406 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:46:33.00 0
日本の火縄銃はオスマン・トルコ銃とポルトガル銃よりも劣っていました
神器譜(しんきふ)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A5%9E%E5%99%A8%E8%AD%9C/ 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵において、
日本軍の鉄砲に悩まされた中国軍を援助するため、
趙士禎(ちょうしてい)が著した中国の鉄砲解説書。
彼は?密銃(ろみつ)銃(オスマン・トルコの銃)を第一等に推し、
次に西洋銃(ポルトガル銃)をあげており、
?密銃についてもっとも詳しく説明している。
なお本書は、藤井宏(ひろし)の説によれば、
1598年から1603年以降にかけて四度にわたって成立し、
四度目のものが国立公文書館所蔵の五巻本『神器譜』であり、
清水正徳(まさのり)校、1808年(文化5)刊の和刻本は
このほぼ忠実な翻刻本であるとのことである。
407 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:48:02.12 0
量産性には優れてたんだろ
日本の火縄銃は
408 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:55:32.18 0
量産性に優れていたという根拠はありますか?
409 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:57:21.46 0
根拠は当時(1500年代)での世界での銃生産数じゃね
410 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 18:58:17.14 0
ソース提示よろしくお願いいたします
411 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:02:38.30 0
412 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:03:15.88 0
昭和新刀だったら型抜きなんだけどな
413 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:03:35.55 0
ちなみに1575年に織田信長が武田騎馬隊(笑)を火縄銃で撃退したという
伝説がありますが、
それよりも数十年前の1518年ににオスマントルコのイニチェリ(マスケット銃歩兵)が
サファヴィー朝ペルシアのイスマーイール1世率いるクズルバシュ(正真正銘の遊牧民から成る騎馬隊)を
撃退しています
世界史的にはこちらのほうが有名ですね
世界の果ての日本に伝わる情報は遅いんですよねえw
414 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:04:47.75 0
ポルトガルとかオスマントルコの兵は日本兵より重装備だったからじゃねえか?
盾も通常装備だったし強力な銃が必要だったが日本は軽装なのでその必要なし
415 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:05:38.95 0
>>411 出典が無いので歴史学的には価値の無い情報ですね(笑)
ホームページ作者の思い込みかもしれませんね(笑)
416 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:07:45.30 0
>>414 イニチェリは甲冑や盾は装備しませんよ
マスケット銃で武装していますから機動性を重視した軽装ですよ(笑)
417 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:09:19.95 0
http://www.st.rim.or.jp/~iwat/zenshi-1/zenshi-1.html 大量の火縄銃をもつ鉄砲隊を戦力の中心におく、画期的な戦術をあみだしたのは織田信長であった。
信長は1575(天正3)年の長篠の合戦において、
3万の兵のうちの3千5百を鉄砲隊として最前線に配して戦い、
無敵と呼ばれた武田勝頼の軍を惨敗にまで追いこんでいる。
火薬と鉛玉を込めて一発撃つのに最低15 秒、といわれる火縄銃だが、
1千人ずつが3列に並んだ織田の鉄砲隊ならば、
5秒ごとに1千発、1分間に1万2千発の連続射撃が可能であった。
これほどまでに大量の銃火器を使用した集団戦闘型の戦は、
世界史の上でも最初の出来事だったといわれる。
西洋の軍事史において、大量の火砲を中核として戦闘が行なわれたのは、
長篠の合戦から41年後に始まる、
30年戦争(1616〜1648年、ドイツを舞台に欧州各国が参加した最大にして最後の宗教戦争)が最初だったのである
「日本の近世4−生産の技術」葉山禎作(平成4年、中央公論社)
418 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:09:49.31 0
イエニチェリは軍団の兵士「全員」に銃が支給された
419 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:10:29.99 0
420 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:11:11.10 0
重装備じゃなかったのか
ローマ軍のような重装戦車戦法は古いかw
421 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:12:32.83 0
種子島の鍛冶師の八板金兵衛、家来の笹川小四郎の2人は
1年もしないうちに10挺の試作品を殿様に見せたとのこと。
話を伝え聞いた堺の商人などがやってきて鉄砲を購入して帰ります。
足利将軍にも献上したらしい。
製鉄技術、金属加工技術が高かった当時の日本では、
たちまち大量生産体制ができあがったらしい。
天文18(1549)年には織田信長が500挺の火縄銃を注文したという記録があるそうです。
伝来からわずかに13年後の弘治2年(1556)には全国に 30万挺ほどの銃があったといわれます。
織田信長が武田騎馬軍団を壊滅させた長篠の戦いにおける鉄砲3000挺は、
白髪三千丈などと同様、誇張ではないか。実際には1000挺とかじゃないか。
昔、そんなふうに疑ったことがあります。
全国に数十万挺もあるなら、3000挺の鉄砲隊は十分に考えられますね。
価格もどんどん下がり、17世紀初頭にはわずか2両で購入できるまでに普及したとのこと。
さらに火縄銃の輸出も行なわれたようです。オスマン・トルコなどが得意先だったらしい。
天正17(1589)年にイギリスがフランスに送り込んだ軍隊には1100挺の鉄砲が装備されたそうです。
その一年前、長崎の龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が
島原の有馬晴信(ありまはるのぶ)と戦ったときには
9000人の鉄砲隊を擁していたとのこと。このころ、日本は世界一の鉄砲大国だったようです。
参考 :書籍「歴史毒本 英雄の素顔、大事件の裏側」初版206〜208頁、山本茂著、光文社
422 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:13:47.91 0
重装歩兵斜線陣じゃなかったっけ
423 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:15:08.40 0
そうそう30万丁とか世界の銃の半分を所有してたとか言われるけど
その数字の根拠を提出できたやついないんだよな
424 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:15:20.12 0
>>417 残念ながら葉山某という研究者を私は知りません(笑)
おそらく日本史が専門のようですが世界の事情には疎い方かもしれませんね
織田信長よりもオスマントルコのセリム1世のほうが早いんですよ(笑)
Battle of Chaldiranを調べてください(笑)
425 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:16:00.05 0
(笑)
426 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:17:05.70 0
?日本史と世界史が錯綜して噛みあって無いレス展開だな
427 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:18:48.94 0
開店30分後のヨドバシで初回版を無事に買えたけど
428 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:20:03.89 0
(笑)
429 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:20:36.37 0
430 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:21:24.41 0
コピペしてる奴とは全く会話が噛み合わないな
実本からコピペしてるわけじゃなくて2chのレスからコピペしてるだけだから
そのレスにツッコミいれても
書かれている以上は知らないから返答が全く無い
431 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:23:08.68 0
(笑)
432 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:24:42.38 0
>>421 山本某という御方は大学で農業を勉強されたようですねえ(笑)
少なくとも歴史学の専門家ではありませんねえ
433 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:26:53.16 0
武田信玄の騎馬隊は存在が疑問視されています(笑)
事実として日本が本格的に騎馬隊(笑)を導入したのは秋山好古の時代なんですよ(笑)
つまり明治ですよね(笑)
434 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:27:43.95 0
ネトウヨのコピペってソースねえよなw
435 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:29:19.74 0
火薬原料の硫黄は当時の日本の輸出品だったからそれと間違えてるのではないか?
436 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:29:48.02 0
はっきりいいますけれど
日本が戦国時代に強大な軍事力を持っていたならば
明を征服していますよ(笑)
437 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:31:00.88 0
日本が当時三十万丁の銃を所有してたっていう説の三十万丁っていう数字については前調べたが
メンデス・ピントが自著で「日本に三十万丁あまりの銃を輸出した」と書いており
その数字が一人歩きしたんだと思う
ただメンデス・ピントを調べればわかるがこのひとはホラ吹きピントと呼ばれていてその正確性には疑問が大いにある
438 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:32:01.69 0
439 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:33:07.25 0
Wikipediaソースって・・・
440 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:33:23.01 0
強かったけど数に限界があったから失敗した
それでおk?
441 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:33:25.11 0
武田騎馬隊(笑)
笑うしかありませんよね
秋山好古は何をやったのでしょうね
442 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:36:03.74 0
>>438 そのソースとなってるノエル・ペリンの原著にはそのソースは提示されてないね
これ本当に読んだ?思想的にバイアスかかりすぎてトンデモ本っていってもいい出来だと思う
443 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:36:54.65 O
素朴な疑問だがそれだけの銃火器を運用するだけの硫黄やリンは足りてたのかな?
と考えたら朝鮮より先に硫黄やリンが豊富な東南アジアを攻め入るのが筋だったのでは?
444 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:37:38.77 0
韓国関係と右翼思想を鼓舞するようなページのウィキペディアは信用できませんよ(笑)
彼らは歴史的事実はどうでもいいんですから(笑)
445 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:41:02.47 0
>>443 硫黄はある
硝石はないので輸入でまかなってた
自家生産できたって言ってる奴もいるけどその技術は一部しか知られてなかった技術だし
また小便だけで日本全体の鉄砲の火薬をまかなうのは無理だと言われてる
446 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:43:53.40 0
歴史的事実とか歴史学いう言葉を
どうやって使うか見物
447 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:45:13.36 0
「その時」で家康が輸入品の対鉄砲用鎧を関ケ原で着ていたと言っていたが
西洋の銃はその最強の鎧を打ち抜く為に改良し、さらにその銃を跳ね返す為に鎧を(ry
ていうように進化していったので日本製火縄銃より強力になったと予測
448 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:49:15.28 0
そもそも日本に輸入された銃が最新のものだと思いますか(笑)
449 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:52:38.91 0
秀吉が中華統一しててもその後の中国共産党による民族浄化の対象になって
満州族と同じ末路になってた可能性大だから失敗して正解
450 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:54:21.56 O
ソースは夢幻の如く
451 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:58:18.00 O
>>450 満州付近でヌルハチとステゴロでタイマンを張り
モンゴルで強引にチンギスハンの末裔になり
そのままロシアに入り雷帝とドンパチ
の後を知らないんだよねw
452 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 19:59:01.73 0
日本人はバンダル族みたいですよね(笑)
453 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:06:51.50 0
(笑)が馬脚を現した
454 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:08:01.97 0
>>448 最新兵器は輸出品にならないと思うのだが、どうなの?
455 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:10:16.17 0
>>454 なるよ
輸出仕様にスペックダウンしてな
456 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:10:48.05 0
チョンマゲ お歯黒 首刈り
どう考えても蛮族ですね(笑)
457 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:12:45.96 0
蛮族に神の教えを説くためにわざわざ地球の裏側からやってきたザビエルさん
458 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:14:16.04 0
>>455 関係ないよw
今と違って国による防衛技術の制限なんてない
459 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 20:22:00.74 0
火縄銃の技術っていうのは当時行き詰ってて200年後のライフリングしたミニエーが開発されるまでほとんど進化しない
だから国産と西洋銃とで技術的には大して違いはないよ
では国産の銃と西洋の銃との違いはなにかっていうと素材の違い
つまり製鉄技術
日本で大砲が普及しなかった原因は色々あるけどそもそも砲弾を連射し続けるのに耐えうる鉄を量産することができなかったから
当時のヨーロッパはすでに石炭炉が主流化しはじめてたからね
460 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:38:16.54 0
日本人はバンダル族みたいですよね(笑)
461 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:44:40.43 i
堺屋太一氏の調査によると
日本に火縄銃が伝来してから堺で量産されるまでの過程で
日本独自の品質改良が加えられていて
当時の火縄銃としては世界最高品質な上に
世界でも類例のないほどの大量生産だったらしいよ
で、さらに付け加えると
それでも大砲などの大型の火器は西洋のほうが品質が高くて
家康は大坂の陣のためにスペインから大砲を大量輸入品したそうだよ
463 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:51:08.61 0
まあでも西洋では当時すでに火縄銃は時代遅れになってて
マスケット銃とかの時代だったようだな
まあ単純に銃の生産数だと日本の火縄銃は圧倒的だったみたいだけど
中国では鳥銃とか言ってるのがマスケット銃だが
中国も日本の火縄銃に比べると鳥銃は少数しか持っていなかったようだ
466 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:54:00.69 0
マスケット銃と火縄銃は同じ意味なんですけれどもねえ(笑)
467 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:55:41.79 0
マッチロックマスケットっていってくれんかの
468 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:56:38.97 0
まあヨーロッパの高性能銃は複雑で高価すぎて高級貴族しか持てなかったらしいけどな
469 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 21:57:19.48 0
日本がスゴイ国だったと思いたいんですよねえ
わかりますよ(笑)
470 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:03:42.28 O
威力は日本の火縄銃で連発で言えばマスケット銃の認識はあるけど
471 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:03:56.76 0
472 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:05:42.99 0
日本が科学技術の発展した豊かな国になったのは
敗戦後の高度経済成長以後ですよ(笑)
バンダル族が文明を教えてもらったんですよね(笑)
473 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:08:35.25 0
ホイールロックマスケットといってくれんかの
474 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:11:11.98 0
日本人は非合理的 感情的な民族です(笑)
475 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:13:04.87 0
だから当時の西洋も日本も火縄銃の構造は変わらない
鉄砲の威力は火薬の量に比例するがどれくらい火薬を詰めれるかは砲身の強度に依存して
すなわち材質の差が鉄砲の性能差ということになる
そして日本の製鉄技術は西洋からは遅れていた多分中国よりも
476 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:14:52.89 0
日本は世界の果てにあるんですよ(笑)
航海技術が未熟だから満足に中国大陸へも行けなかった(笑)
そ
アメリカが日本を征服するまではまさにバンダル族の国だったんですよ(笑)
477 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:15:19.77 0
そ
478 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:17:32.40 0
日本の火縄銃は日本独自の改良の過程で
「早ごめ」という弾と火薬が一体化した物が発明されました
479 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:19:51.73 O
それって薬莢ですやん
480 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:20:51.29 0
そもそもですね
日本の軍事技術が世界一だったらですよ
イギリスより早くインドを征服していたでしょう(笑)
481 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:22:57.30 0
末期の明さえも攻略できずに退散したのが太閤殿下の軍隊ですよ(笑)
482 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:24:33.87 0
秀吉は明・朝鮮軍の耳と鼻を切り取ったのですよ
まさにバンダル族ですねえ(笑)
483 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:24:51.76 0
火薬と弾丸を予め梱包化しておくのは鉄砲が伝来する前から世界中でみられており
発明ですら無い
484 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:25:46.63 0
鉄砲が伝わるまでネジの概念さえ知らなかった日本人ってすごいですねえ(笑)
485 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:35:21.34 0
>>481 朝鮮戦争当時でも超大国のアメリカが
中国軍の兵士使い捨ての人海戦術に太刀打ち出来なかったんだぜ
486 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:39:59.31 0
捨て身の人海戦術したのに負けちゃいましたねえ 日本 (笑)
487 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:49:15.78 0
無知の煽りは無意味
488 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:55:15.06 0
朝鮮戦争での中国軍の数十万人規模の人海戦術を
百人程度の神風特攻隊と同列に扱う池沼がいると聞きました
489 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 22:58:56.34 0
明の救援なかったら朝鮮人は皆殺しにあって今ごろ朝鮮半島は日本領だろ
490 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:03:23.56 0
朝鮮半島は中国の一部なんだから
明は援軍を出さざるを得ないんだよ
491 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:08:40.04 0
そもそも明の救援とか意味不明だぞ
日本は朝鮮と戦いたかった訳じゃない
唐入りする経路として朝鮮を通過したかった
492 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:08:49.46 0
>>489 無理だろうね
明との交戦関係なしに14万人いた兵が一年たって7〜9万くらいまで減ってる
しかも城下周辺しか支配できてない
全然無理だね
493 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:13:41.82 0
>>491 隣の国と戦いたいので軍隊通してくださいとかいって通してくれる国があるわけないだろw
494 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:16:08.61 0
>>491 無知乙
朝鮮との交渉の家庭を勉強しなさい
495 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:21:03.30 0
通過するだけじゃなくて当然明への先鋒も務めれて言われるんじゃないの?知らんけど
496 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:26:23.27 0
ごまかしてもムダ
497 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:40:37.00 0
秀吉はまじで朝鮮に道案内しろって交渉してる
最初っから朝鮮なんて戦いの相手としてみてなかった
498 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:44:54.30 0
交渉って言えば聞こえは良いけど
事実上朝鮮に征明嚮導を命令してるんだよな
499 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:46:18.74 0
対馬の宗氏が適当なこと言って秀吉が信じたんじゃなかったっけ?
500 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:48:48.95 0
何だか日本国内では朝鮮は日本に付いたみたいな偽情報が信じられてたみたいだな
その間違った噂が明にも届いて明があわてたらしいw
501 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:48:58.37 0
>>493 元軍が日本攻略したいので軍隊通してくださいと言ったら通した国があったぞ
502 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:49:45.35 0
高麗は元に服属してただろ
503 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:50:06.72 0
あそこの半島は元々そんな地域だろ
504 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:50:22.23 0
どの時期かは忘れたけど交渉使がトンズラぶっこいたよね
505 :
名無し募集中。。。:2010/10/27(水) 23:54:19.93 0
元寇を引き合いに出すと南宋とかまた違った要素が出てきて話がややこしくなる
これは考えない方が良いと思う
506 :
名無し募集中。。。:
>>493 日露戦争の時に通してくれた朝鮮があるぞ