宮崎監督は「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」というスタンスであり、インタビュアーが手にするiPadについてこんな指摘をしています。
あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、
妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。
嫌悪感ならあります。
その内に電車の中でその妙な手つきで自慰行為のようにさすっている人間が増えるんでしょうね。
電車の中がマンガを読む人間だらけだった時も、ケイタイだかけになった時も、ウンザリして来ました。
資料探しの道具として使いこなせば良いのでは?という質問の流れで、時間をいただけるなら、
文献を調べて取り寄せることもiPadで出来ますというインタビュアーの言葉に対して、
あなたの人権を無視するようですが、あなたには調べられません。
なぜなら、安宅型軍船の雰囲気や、そこで汗まみれに櫓を押し続ける男達への感心も共感もあなたは無縁だからです。
世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、
上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。
一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。
あのね、六〇年代にラジカセ(でっかいものです)にとびついて、何処へ行くにも誇らしげにぶらさげている人達がいました。
今は年金受給者になっているでしょうが、その人達とあなたは同じです。
新製品にとびついて、手に入れると得意になるただの消費者にすぎません。
あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。
http://blogs.itmedia.co.jp/yasusasaki/2010/07/ipad-ab70.html