勝パラ〜読者欄〜その195

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221名無し募集中。。。
あっちゃんの気持ち

AKB48のオーディションに合格してからの1か月は、私のこれまでの人生の中で最も濃密な1か月でした。
当時、中学生だった私は学校が終わると、ずぐに、東京・高輪台にあるレッスン場に通い、歌やダンスの練習に明け暮れていました。
何しろ、歌もダンスも初めてのことだったし、他のメンバーともうまくしゃべれなかったので、「いつ、お母さんにやめたいって言おうか?」と、考えることはそればかりでした。
ところが、「やめたい」って言うタイミングが見つからず、毎日、体力的にも精神的にもつらいレッスンを重ねているうちに、次第に、「ステージの初日に間に合わせなくちゃいけない」という責任感のようなものが芽生えてきました。
21人でのパフォーマンスだったので、私1人のために、一生懸命やっている20人に迷惑をかけてしまうことはできないからです。
それでもレッスン中には何度も泣きました。
家に帰っても泣きました。
振り付けの夏まゆみ先生はとても怖かったのですが、「怖いのは私じゃない。お客さんの方がもっと怖いんだ」と、ショービジネスの厳しさを教えてくださいました。
それまで何をやっても長続きしなかった私の中で、何かが変わり始めました。
みんなでひとつの目標に向かっていく楽しさを知ったのです。
222名無し募集中。。。:2009/10/10(土) 01:22:16.76 0
2005年12月7日、マスコミや評論家らを対象にした試演会を無事に迎えられた時、楽屋で「よく頑張ったね」と言ってくださった夏先生の言葉に、みんなで泣きました
文字通り、感動の涙です。
「やめないでよかった」。
その時は、心の底からそう思いました。
ところが翌12月8日、一般のお客様を迎えての公演初日では、メンバー全員が落ち込みました。
劇場のスタッフや関係者が40人くらいいたのに、一般のお客様は10人もいなかったからです。
不安になりました。
あんなに一生懸命、頑張ったのに、私たちはこれからどうなるんだろうと、ほかのメンバーと話し合いました。
223名無し募集中。。。:2009/10/10(土) 01:23:27.22 0
それでも、いつか、きっと、もっと多くの人が見に来てくれると信じて、頑張りました。
翌年の2月に初めて、劇場が満員になりました。
あの時の感動は、今でも忘れられません。
だって、私たちのステージを「楽しい」と思っていただけたお客様がそれだけ増えたということですから。
それから、テレビ番組やCMに出たり、インディーズでCDも出しました。
そして、新たなオーディションで2期生(後に、チームKと呼ばれるようになります)が入ってくる頃、私たちは、次の壁にぶつかりました。
考えてみると、AKB48は、いつも、一つの壁を乗り越えるたびに新しい壁が、前に立ちふさがるのです。

つづく
224名無し募集中。。。:2009/10/10(土) 01:23:35.02 0
>>221-223
感動した!