週刊文春で近田春夫が℃-uteを酷評2

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騒がしい風俗外で流しても届く歌声 アイドル℃-uteの職業的な”媚び”

 ”ハロプロ系”の動向はどうなっているのだろう。シャッフルだの何だのとまだやっているのか、
そもそも新人というのは増えているものなのか?チャートにはいつもランクインしてるみたいだけど、
どんな子たちがどんな曲を出していて、誰が人気なのか。そのあたりの話題で巷のにぎわうことも、もうあまりなくなってしまった。
 プロジェクトから巣立っていったお嬢さんたちの人間くさい経年ぶりなどをTVで観るにつけ、時の流れをしみじみと実感せざるを得ない今日この頃。
℃-uteが『暑中お見舞い申し上げます』のカヴァーをリリースした。
言わずと知れたキャンディーズのヒット曲だ。これが今の時代にどのように響いてくるのか。ちょっと知りたくなってしまった。
  まず聞こえてきたのがおなじみのイントロのフレーズである。
ほとんどが原曲の印象を残したようなアレンジだが、サウンドがデジタルになった分、ギンギンな派手さはかなり増していて、
これなら風俗店ひしめく界隈で流しても、呼び込みの拡声器などに負けることなく、行きかう人々に歌声も届く事だろう。
というか、実際そうしたロケーションを想定して音作りがなされているのではないかと思った。
よくも悪くもこの作品、割り切り方が半端ではないのだ。
そもそもが”ハロプロ”とはそういうものなのかも知れないにせよ、カヴァーだと余計に本質がくっきり見えてくる。
つまり、ここでは楽曲を聴いた後に何が一番リスナーの胸に残るかの話であるが、結局彼女達の”媚び”なのだ。
 具体的に申せば、たとえばフレーズ終わりでの”しゃくりあげ”などの微妙な効果がそれで、無論キャンディーズにもそうしたことはある。
ただ、℃-uteを聴いていると”意識”が違うのである。
 要するにマーケティングの心が見え隠れするといったらいいか。
昔のアイドル達はもっと無意識に媚びていたわけでそれがたまらない魅力となっていた。
一方℃-uteの媚びかたはどこか職業的なのだ。とここまで書いてこれは決して批判ではない。”違い”を述べているに過ぎない。
 だけれどこの作品が何か物足りないのもまた正直な感想ではある。
というのも”ハロプロ”が面白かった頃、つんく♂のプロデュースには、見事な割り切りと同時にすぐれたおちょくりが散見出来た。
この平成版『暑中お見舞い申し上げます』には残念なことにそうした”遊び心”が全く感じられないのだ。それじゃあつまんないよ、やっぱ。
 で、気になったのがc/w曲のタイトル『残暑 お見舞い申し上げます。』なのである。
ホントはこっちで行きたかったんじゃないの?だけど曲がどうしても面白くなかった。
聴いてみてよ。きっと誰でもそう思うよ。多分……。
 土屋アンナ。
 ほぼエレキギターのカッティングとドラムだけのトラックが”男らしい”っす、へい。