こんにちは!洒落で娘。を共有しよう!Part173

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 ところで、それでは知恵と経験と技術を身につけるには、どうすればいいのでしょうか。
 そのためには、大きな発願を神様に投げかけ、
その発願を実行するために、精進努力を続けるしかないのです。
 少し前に、中国の大学教授達と食事をした時、
「先生の本当の満足や、一番の幸せって何ですか?」と聞かれました。
その時、瞬間に、「そうですね。世界中の軍備がなくなったら、
それが僕にとって一番の幸せ、一番の満足です」と言いました。
一同、シーン……となりました。
そうすると、ある教授が言いました。
「あの、それは実現に時間のかかることであり、先生が、直接関与できる部分での幸せとは何でしょう?」 
また、即座に答えました。「そうですね、それに向かうまでの、アジアに連合が出来たら幸せですね。
そのための人材の育成や働きかけを、現在進めているところです。これができたら、僕は本当に幸せですね。」 
また、一同がシーンとなりました。
おそらく、想像を絶する、とてつもないことを考えて生きているのだな、と思ったのでしょう。
 これらの言葉は、私がいつも考え、いつもお祈りしているから、瞬間に出てきたのです。
私はいつも、「神様だったらどうするだろうか?」
また、「神様はどうあって欲しいと望んでおられるか」と考え、
それに基づいて発願して祈り、毎日を生きているからです。
20年間も1日も休みを取ることなく、精進努力が1日も途絶えることなく、
次々に目標を達成し、毎日を明るく楽しく生きているのは、この発願によって生きているためです。
 皆さんの場合は、どうでしょうか? 
自分の人生を、どのように生きようと思っているのでしょうか? 
毎日、何を思い、何を祈って生きているのでしょうか? 
小さな発願だったら、神様は小さくしか動かれない。自分が発願して「こうだー!!」と強く思った分だけしか、
自分の霊界は広がらないし、その霊界の大きさに応じた分だけしか、神様は動くことができないのです。
だから、私の場合は常に精進し、努力し、最高度に自分を磨かざるを得ないのです。
発願のレベルが、人類史上最高だからです。
楽しく磨く理由は、悲壮感をもって磨くと病気になるしストレスが溜まって体が動かなくなり、
自分でもやるのがいやになるからです。