こんにちは!洒落で娘。を共有しよう!Part173

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173名無し募集中。。。
しかしゴールデンウィーク神業で、阿蘇にだけ盛り上がっている九州の人に、
本当の真心や純粋で大きな愛があるのでしょうか。
これで、果たして阿蘇が開くのでしょうか。はなはだ疑問です。
 単に、「地元の有力神域が開けば、九州も良くなるし、
神仕組で大活躍するのは地元の誉れだから、皆で応援しよう」という、
感情的な盛り上がりだけではないでしょうか。
これでは、全く地元の球団ソフトバンクが優勝し、
日本シリーズで日本一になるように応援しようという、野球の応援団の盛り上がりと同じです。
地元の身びいきで盛り上がるのは、感情の喜び。
国や社会や神に対する、使命感で盛り上がるのは御魂の喜びなのです。
 余りある程感情豊かな九州の人が、感情よりも御魂の喜びで生きるようになるには、
80歳のばあさんが、シワだらけのまぶたを開けて、若くて黒い、知的な瞳を輝かすようなものかも知れません。
毎回、ばあさんにも解るように、丁寧に国際情勢と神業の意味を語ると、
だんだん瞳が知的になり、勇気づけて元気づけると瞳が若くなる。
それでも、まぶたがすぐに隠してしまうのです。
幸せ感情のシワ寄せの、シワシワのまぶたから手を離せば、たちまちまぶたで目が塞がるのです。
北海道や名古屋のばあさんなら、白内障でも、瞳はらんらんと輝いています。
そして、菊理姫の化身・姥尊(うばそん)のように、若者をスルメおっぱいやシワすねで蹴散らしています。
九州の皆さん、阿蘇は吾祖(あそ)だと言っても、瞳がシワで塞がった、
「われら(吾)のばあさん(祖)」という意味ではないのです
。九州は「急襲」で、阿蘇は「あ、そうだった。」または「あ、蘇った。」わが御魂だと思って、
鳴門や熊野まで急いで攻めてきて下さい。