こんにちは!洒落で娘。を共有しよう!Part170

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326名無し募集中。。。
 ところで、3人のメールにあった「私には、到底先生のおっしゃるようにはできません」
という言葉を聞いて、論語の一節を思い出しました。
下村湖人の「論語物語」にはもっと詳しく描写されていますが、
孔子と最近入門したばかりの弟子とのやり取りです。
「私は孔子先生のおっしゃる仁義礼智信の礼楽の尊さや、聖人に至る道に生きる君子の道の尊さ、
また大切さは充分にわかります。しかし、私には到底不可能です。やれません。」と言ったところ、
孔子は「汝、己を限れり」と言ったのです。
 まだやってもいないのに、やれるかどうか解るはずがない。
話だけ聞いてできないと言うのは、「自分で自分の可能性に限界をつけ、
自分でできなくしてしまっているだけだ。」という意味です。
本当にできない人は、やっている途中で行き倒れるもので、全てはやってみるまでは解らないもの。
もし、たとえ行き倒れても、その行き倒れるまでに得たものは、永遠の自分の宝物であるということなのです。
学問や信仰や芸術やスポーツなど、無形の道に生きる精進とは、全てがそういうものなのです。
これを王陽明は、「聖人に至る道を極め、聖人になることは、志がある間は必ず成就できるもの。
志が立たなくなった時に、その人の限界が来てできなくなる」と言います。
つまり、志を持ち続け、己を限らなければ、いかなる人も必ず聖人になれるのだと断言しているのです。
 私の喝メルマガを見て、「私には到底できません」とメールされた3人の方へ、
私と孔子と王陽明から、再び三連発の喝! 喝! 喝! (後篇に続く)