はじめは見間違いかと思った。
地元に来た『娘。』のコンサート会場で、僕はクラスメートの新垣を目撃した。
コンサート会場で女の子を見るのは珍しくないけど、あんなにはしゃいでいる女の子を僕は見た事が無かった。
僕はただのファンだからヲタ芸とかは詳しくないんだけど、新垣のヲタ芸は完璧だったと思う。
それほど輝いていたし、周りの視線もかなり集めていた。
視線の元はもちろん生粋のヲタ達で、何かそのヲタ達は新垣を崇拝している様にも見えた。
僕は声を掛けようとしたけど掛けれなかった。コンサート中だったし、何かいつもの新垣とは違ってた。
翌日、いつもの様に遅刻してきた隣の席の新垣に、昨日の件を小声で聞いてみた。
「新垣、昨日さ、『娘。』のコンサ会場にいなかった?」
「い!いるわけ無いじゃん!」
椅子から転げ落ちそうになる程のすごい反応をみせ、新垣は否定した。
「おかしいな?昨日見たのは確かに新垣だったんだけどな」
「私、家で勉強してたもん!」
そう言って新垣は僕の反対方向を向いて机に突っ伏した。
真っ黒な髪からぴょこんと覗いた耳の赤さで顔も真っ赤であろうと想像できる新垣を眺め、
見間違いだったか、と僕は思い改めた。
その日の晩のコンサートチケットも手に入れていたので、僕はまた会場へ向かった。
僕は別にヲタでは無く1ファンのレベルなんで地元のコンサートぐらいしか参加できない。
今夜のチケットも1枚だけ手に入ったので僕はひとりで会場へ来た。
クラスの中では『娘。』好きって公言する男子はいなし、もちろん女子もいない。
でもそれは別に僕にとっては好都合だった。
会場で知り合いに会う心配も無いし、連れの事を気にせずに『娘。』だけに集中できるから。
会場近くまで来たところ、いつもの様にヲタの集団が会場前にたむろしていた。
何やら騒がしい。騒ぎの方を見ると、女の子1人を男ヲタが囲んでいた。
あの女の子は──新垣だ。
「新垣?」
僕はコンサート直後の会場内で声をかけた。
すると新垣は、あっ!と驚いてからさっとサングラスを掛けて答えた。
「ち、違いますよ。人違いですよ」
「違うの?ごめんなさい」
やっぱり違っていたのか──そう思いながら走り去る新垣らしき人を眺めていると、ヲタの集団がその人に声をかけた。
「新垣師匠!何してんすか?」
「ちょ、お前黙ってろ 」
そう答えた新垣(確定)は一瞬僕の方を向いた後、会場の外へと逃げて行った。
帰りの電車を待つホームのベンチで、僕は新垣の事を考えていた。
新垣とは学校でもよく話してて活発な娘だって印象があったけど、『娘。』が好きだなんて聞いたことが無かった。
──よくよく考えると、新垣はむしろその話題を避けていた感があった。
好きな歌手の話を聞いてもモゴモゴ言っていた気がする。
帰りの電車がホームに近づき、僕はベンチを離れて乗り込み口位置に立った。
電車のライトを見たその時、僕の背中を誰かが勢い良く押した。
よろけながらも何とか振り返った僕の視界に新垣が写った。
電車はホームにどんどんと近づいている。
僕はホーム下に吸い込まれていった。
「ヲイヲイ大丈夫か?轢かれては無いよな?」
頭上から聞こえる声で気がついた僕の目の前には電車の車輪があった。
咄嗟の判断で僕はホーム下の退避帯に逃げ込んでいたのであった。
良かった──そう思ったすぐ後に新垣の事を思い出した。
急いでホーム上に駆けあがり、新垣を探した。
すぐに階段を降りていく黒髪──新垣を見つけ、心配して声をかけるホームの人々を押しのけ、階段へと走った。
階段を降りきり、改札を抜け、駅前に出ると、走りながら振り返る新垣を見つけた。
大きなリュックを背負って逃げる新垣に追いつくのは簡単だった。僕は、新垣の腕を掴み、怒鳴った。
「新垣!お前なんで?」
新垣はあまりに僕が勢い良く怒鳴ったせいで萎縮していて、今にも泣きそうな顔で僕を見つめている。
僕は落ち着きを取り戻して新垣に問いかけた。
「何で、あんな事を?」
「──バレちゃったから」
そう言うと、新垣は僕の腕を振り払い、近くの階段に腰を下ろした。
「『娘。』のマジヲタだってクラスの友達に知られたら、私、もう学校行けない」
うつむいたまま肩を震わせてそう言う新垣の隣に座り、僕はやさしく問いかけた。
「僕が新垣のことをクラスのみんなに言いふらすって思ったのか?」
新垣はコクンと頷き、僕を見て口を開いた。
「バラさないでいてくれない?」
「えっ?バラすバラさないの問題じゃないと思うけど──」
さっき確かに僕は新垣に殺されかけた。それは事実。
僕は自分の中で事の顛末を整理しようとした。
ふいに新垣がつぶやいた。
「何だってするから」
「えっ?何だって──する?」
僕の脳内の殺されかけたという事実を、あらぬ想像が瞬時に侵食していった。
僕の脳内の99.9%がピンク色に染まりつつあった頃、新垣が自分のリュックの中を手探りしている事に気付いた。
「何探してんの?」
そう問いかける僕を無視して新垣は手探りを続ける。
「あった!」
そう言って両手をリュックから取り出すと、その手には金色に鈍く光るカイザーナックルが装着されていた。
一気に血の気の引いた僕は、新垣に問いかける。
「さっきの何でもするってのは、もしかして?」
「証拠隠滅の為だったら、何でもするよ」
至近距離から連続でジャブを放つ新垣。僕は何とかそれを全部かわす。
「やめろ!新垣!殺す気か!」
「そうだよ!シュッ!シュッ!シュッ!」
「バラさないって!バラさないから!」
「ん?今何て?シュッ!シュッ!シュッ!」
「僕だってバレたら困るから!」
「シュッ!シュッ!ん?そういえばそうだね」
ようやくジャブのラッシュが終わり、カイザーナックルを両手から外す新垣を見て、僕はホッと胸をなでおろした。
息を整えた後、僕と新垣で話しあった。
「じゃあさ、この件は二人だけの秘密って事で」
「うん。──ちょっと待て、この件って殺人未遂の件も入ってるのか?」
「殺人未遂?何の事?」
「おいコラ!新垣!お前さっき僕を──」
「ヲタバレされて困るのは、お互い様だったよね」
「ううっ」
痛い所を突かれた僕は、それ以上の責任の追及を放棄せざるを得なかった。
これで新垣と二人だけの秘密を持ってしまった。恋人同士ならいざ知らず。
この秘密は扱いを慎重にしなければ、今後の僕の人生設計に響いてしまう。
夜空を見つめて腕を組み、難しい事を考える僕を見て新垣がにっこりと微笑んだ。
次の日。またしても遅刻してきた新垣は、隣の席の僕に微笑んで言った。
「おはよう」
「はい、おはよう」
僕と新垣は、いつもと同じ様に挨拶を交わした。
元々新垣とは親友でも無く友達?でも無く、ただのクラスメートだったから、
『娘。』ヲタ(あくまでも僕はファン)っていう共通項が出来たってだけで以前と何も変わらない。
──そう思っていたのが間違いだった。
その日から新垣は、休み時間のたびに僕を教室から人気の無い屋上へ連れ出し、『娘。』談義をするようになった。
「ねぇねぇ!これ見てよ!かわいくない?」
「うんうん、そうだね。でも学校では『娘。』話はやめようね」
僕は半ば呆れ気味に新垣にそう言い放つも、新垣はお構いなしに話を続けている。
「でさ!でさ!──」
互いに秘密を共有している以上、僕は新垣からの要請を断る事は出来なかった。
僕はこれまでも四六時中『娘。』の事を考えていたわけでは無かったし、
こうして学校生活サイクルが変わる程の変化も望んでなかった。
でも、目をキラキラさせてヲタ話をする新垣を見ると、なぜか許せた。
「ねぇ、聞いてんの?」
「うん、ちゃんと聞いてるよ、新垣」
「あとさ!あとさ!──」
新垣は近くにヲタ仲間(僕はあくまでもファン)が出来て、とてもうれしそうだった。
ふとしたキッカケで新垣がおなかを抱えて笑うと、僕もつい笑ってしまう。
あの日から僕は、以前と比べてよく笑うようになった。
梅雨の合間の青空に輝く新垣の笑顔は、僕の顔も笑顔にさせる魔力があるようだ。
それから、一緒に帰る様にもなった。
とはいっても学校から駅までの1km程の短い距離なんだけど。
新垣は自作の『娘。』データブックを片手に僕にヲタ話をしながら歩く。僕はそれにうんうん頷く。
ほんの短い間だけど、生き生きと話す新垣の横で歩く僕は、うれしかった。
女の子とこうして2人きりになる事も無かったし、しかも一緒に帰るなんて夢の夢だったし。
わざとゆっくり歩いて少しでも一緒にいようとした事もあった。
イベントやコンサートにも一緒に行くようになった。
新垣からは、一緒に行こう?っていう誘いじゃ無くて、一緒に行くよね?っていう誘いなんだけど。
実は僕、イベントなんて行った事が無かった。新垣にその事を話したら、
あんた人生の半分は損してるよ、って言ってた。
何にしろ、ひとりでいた方が良かったなんて感覚は、新垣といるようになってすっかり忘れてしまった。
新垣は会場であう他のヲタ仲間から師匠と呼ばれている。いつのまにか周りにそう呼ばれはじめたらしい。
新垣は嫌がっているが、踊りや歌の完璧さを見ると、そう呼ばれるのもわかった。
他のヲタ仲間は新垣の隣にいるようになった僕に、なんの興味も関心も無いようだった。
僕の事がただの新垣の取り巻きヲタに見えているのだろうか。──複雑な心境だ。
「フゥー!ヲイ!ヲッヲイ!ヲイ!ヲッヲイ!」
新垣はそんな僕の思いもつゆ知らず、ステージ上の『娘。』に夢中だ。
イベントだというのに、僕の視線はついつい新垣にいってしまう。
新垣はもう汗だくで、ポン酢Tシャツもビショビショだ。
人が何かに夢中になっている時の汗は美しい。
僕は新垣に何か特別な感情を寄せるようになってしまっていた。
とはいっても、『娘。』のメンバーと目が合うと、こう叫ぶ僕がいた。
「れいにゃ!れいにゃ!れいにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
新垣は突然出された僕の奇声に一瞬驚いたものの、にやり!と笑ってまたステージに集中した。
新垣は買い物にも僕を連れまわすようになった。
買い物って言っても、もちろんショップなんだけど。
2人で出かける時の新垣のはしゃぎぷりったら無かった。
私服もハーフパンツルックが多いんだけど、普段の制服姿とは違って新鮮に見えた。
あるビルの地下にショップは在った。パッと見、入口はわかりにくい。
前からショップに入るのを躊躇していた僕が、外から覗いていた限りではいつも客が1人か2人いた。
いかにもソレっぽい人だったり、背広を着たサラリーマン風の人だったり、
小学校高学年くらいの女の子集団もたまに目撃していた。
店内に入ると、新垣がレジの人に声をかけた。
「アレ、入ってないですか?」
「それがなかなか入んないですよ、師匠」
店員と談笑する新垣に、僕は後ろから声をかけた。
「ショップの店員にも師匠って呼ばれてるのか、新垣」
「常連だからね」
新垣は無い胸を張って活き活きとそう答えた。
僕は、新垣が店員と話していたことを聞いた。
「アレって何?」
「アレ?アレはねえ、写真」
「写真?公式の事か?」
「うん。どうしても手に入らないのがあってさ。プミレアっていうの?」
そう言った新垣は、店員になにやら合図をし、手渡された一覧表の一角を指差して僕に見せた。
「これ!」
見せられた小さなサンプル写真を見て、僕は気付いた。
「これ?──たぶん、僕持ってるよ」
「うそー!私でも持ってない写真を、何であんたが?」
新垣は、店内の客がギョッっとするような大声で叫んだ。
「ねぇねぇ!ちょーだいよー」
「ダメダメ!」
僕は袖につかまる新垣を引きずって帰り道の橋の上を歩く。
なおも新垣は喰らいついてくる。
「ねぇーてっばぁ!写真!写真!」
「ダメったらダメ!」
僕は新垣が掴まっていた手を勢い良く払うと、さくさくとまた歩きだした。
数歩進んで、後で足音がしない事に気が付いた。
振り返ると、新垣は橋の手すりを乗り越えようとしていた。
僕は急いで新垣を捕まえ、羽交い絞めにして止める。
「おい!新垣何すんだ?」
「離してよ!私、ここから飛び降りて死ぬ!」
「いきなり何でだよ!?」
「あんたが写真くんないんだもん!」
ジタバタする新垣を何とか橋の欄干から切り離し、近くのベンチまで僕は引きずって行った。
なだめる様に僕は問いかける。
「落ち着け」
「落ち着いてる!」
そう言ってまた立ち上がろうとする新垣を僕は座らせて言った。
「写真くらいで何だよ」
「私『娘。』の為なら何だって」
「な、何だってだってー」
僕は嫌な予感がして身構えた。でも、新垣はこっちをじっと見たまま、また口を開いた。
「交換条件ってのはどう?──そっちはあの写真、こっちは女の子の大事なもの」
そういい終わると、新垣は僕の肩に手を置き、顔を近づけた。
新垣のまぶたがゆっくりと閉じられてゆく。
いや、僕がゆっくりと見えたのは、これがいい事ある記念の瞬間なのだからだろう。
新垣の体温が近くなり、僕もゆっくりと瞳を閉じた。
僕は頬に一瞬ぬくもりを感じた。
目を開けると、隣で新垣が赤面して座っていた。
僕は何が起きたのかわからず、新垣に聞いてみた。
「今のは?」
「チュー」
「チューって頬に?」
「うん。私の、大事な、ファーストキス」
そう言ってますます顔を赤くする新垣を見て、僕は言った。
「頬にするのは、ファーストじゃないよ」
「えっ?そうなの?」
新垣は驚いている。
「知らなかったのか?」
「──うん、その辺はあんまり」
そうか、聞いてきた話では、物心ついた頃から『娘。』一本だって言ってたものな。
決死の覚悟で他人にあげたキスを、僕が何気に否定してしまい、すっかり新垣は沈み込んでしまっていた。
「新垣、ゲンキダシテ!」
両肩を揺すって顔をあげさせた僕の目に、新垣のうるんだ瞳が写った。
今にも泣き出しそうだ。いや、もう泣く。絶対泣く。
どうにかしようとした僕は新垣に言った。
「わかった!やるよ、あの写真。やるから、泣くな」
その言葉を聞いたとたん、新垣には笑顔が戻り、僕にこう言った。
「やったー!約束だからね!絶対だよ!約束破ったらバラしちゃうからね」
さっきの涙目が嘘のようにはしゃぐ新垣の左手には、目薬が握られていた。
「やられた。騙された──」
そう愚痴を言いながら歩く僕の両手を引っ張り、新垣は笑顔で前を歩く。
「さぁ早く帰ろう!レッツラゴーホーム!」
新垣は何でこんなに明るいんだろう──僕は新垣の唇の感触が残る左の頬を撫でながら思った。
この時、僕達は気付いて無かった。何者かの凍りつくような背後からの視線を。