「かくれんぼ」
あたし達が、解散した日のこと。
あたし達は、滞りなく、全く予定通りに、全ての手続きを終えた。
最後のライブ だったり、緊急特番!とか言って組まれたテレビ用の撮影だったり、
モーニング娘。と してこなす最後の一日には、やっぱり仕事が詰め込まれていた。
それはいつもより 多いくらいで、その忙しさのせいか
全てが終わったその時もめまぐるしさだけが残って、そこに解散の実感はほとんどなかった。
最後のカメラが止まり、スタッフさんの声が終了を告げた時、
あたしは、正直疲れきっていた。多分他のメンバーも、それは同じだったろう。
また、翌日から すぐにソロや、別の活動のために忙しくなる子もいた。
だからどうして最後に、メンバーが集まることになったのか、
そして集まることができたのか。それは未だもってよくわからない。
例えるなら神さまの導きのようなものだったのだろうか。
もっともあたしは、神さまなんて信じていないけれど。
人気の完全に消えた事務所の一室で、あたし達はテーブルを囲んだ。
事務所はあたし達の為に開放されていた。最後の計らいだったのかもしれない。
電気はつけられていたし、人は警備の人も含めて全員出払っていた。
ただ、それがはたして水入らずという計らいなのか
それともほっとかれただけなのか、そこまでは知らない。
とにかくあたし達はそこで、本当にささやかながら最後のお別れ会をした。
泣くのはやめよう、そう言ったのは意外にも、カオリだった。
モーニング娘。は、思い出になっちゃったけど、でもそれは楽しい思い出だから、
泣くのはやめようよ。そう言って、笑った。
その言葉は、変にみんなの胸にしみちゃって、逆効果なんじゃないかって
思ったのを、覚えている。
あたし達は、だからあまり昔のことは話さなかった。
それまであったことを話そうとすると、どうしてもそういう方向にいってしまうからだ。
話の内容は、例えばこれからの夢だとか、展望だとか、そういう方面に向かっていった。
時間は、いつもと変わらないペースでどんどん過ぎていった。
最後の日だからといって、決して特別扱いしてはくれなかった。
だけど24時をまわっても、誰一人として帰ろうとしなかった。
その頃にはもうとっくに話は尽きていて、
あくびする子なんかもちらほら混じっていたのだけれど、
それでも誰一人「帰ろう」とは言い出さなかった。
これが最後の別れなんてことは、誰も思ってなかったし、
そもそもお別れだなんて 発想すら、みんなそこまで持ってなかったと思うんだけど、
なんとなく感慨深いものがあったからかもしれない。
最初に言い出したのは、誰だっただろう。
確かカゴだったと思うんだけど、ツジだったような気もする。
「かくれんぼ、しようよ」
あたしが気づいた時には、もう三人か、四人くらいで盛りあがってた。
「ルールを決めようよ!」なんて話に、首をつっこむつもりは最初はなかったんだけど。
「じゃあ、あれね、見つかったら罰金ね」
「100マンエンにしようよ、罰金」
「って、おい。そういうのはやめろって」
物騒な言葉には、長年の習慣からかついつい口を挟んでしまう。
「せっかくだから、みんなでやりましょう!」
そんなカゴの呼びかけにその内、入ったばっかりの子なんかも加わって、
結局全員が参加することになった。
どうやら本格的にかくれんぼが開始されたのは、確か2時をまわったあたりの時間だったと思う。
「じゃんけん、ぽん…あいこで…しょ!」
じゃんけんだけで長かった。そうしてオニになったのは、何故かあたしだった。
ぴったりだと、ケラケラ笑うガキ二人をあたしは睨みつけてやったんだけど、
そしたら数え出す前に部屋から逃げ出しやがって、
みんなはそれをくすくすと笑いながら見ていた。
「じゃ、100数えるから。もーいーかいとか言わないから」
乱暴にそう言い放つと、あたしはテーブルに顔を伏せた。
「いーち、にーぃ、さーん…」
ドアから出ていく足音。そのすべてが遠くへ消えていって、
もう部屋には誰もいないってわかっても、あたしは顔を伏せたまんましっかりと100まで数えた。
何故だかわからないけど、そういうのは律儀にやるべきだ、と思ったから。
そのかくれんぼの様子は、今でもしっかりと覚えている。
目を閉じればいつだって思い出せる自信がある。
「…さて。」
はじめこそ消極的だったあたしとは言え、始まってみれば否が応でも
盛りあがってくる自分を感じざるを得なかった。
まるで名探偵よろしく、あたしは頭を働かせた。
なんと言っても通いなれた事務所。それにルールとして、この階から出てはいけない、
というのがあった。また、開放されているとは言っても、鍵のかかっている部屋はいくつもある。
つまり隠れる場所はかなり絞られるわけで。
いくつかの応接室、トイレ、会議室。ひとつひとつ、頭で絞って行く。
しらみつぶしに探せない範囲ではなかった。
まず、あたしはトイレに向かった。女子トイレは広くて、個室の数も10は数えられるくらい。
いちいち探してもよかったんだけど、その時ちょっとしたイタズラ心があたしの胸をくすぐった。
あたしはまずトイレのドアを、音がしないように慎重に開けた。それから足音を消して、
電気のスイッチのところへ向かうと、おもむろにスイッチを消した。
「ひっ」
ぱちっという音とともに、真っ暗になったトイレに声が響いた。奥から3番目の個室に、
間違いなくリカちゃんがいた。あたしはまた気配を消して、その前に忍び寄った。
そうして不意をつくように、全力でドアを乱打した。
ドンドンドンドン!
力なくドアが開いた時には、リカちゃんはちょっと泣いていたと思う。暗かったから
よくわかんないけど。
ちなみに男子トイレにはヨッスィーがいた。もちろん同じ方法で泣かした。
「見ぃつけた!」
あたしは見つける度に、わざと大きな声でそう言った。会議室には中学生の子達が
何人か固まって隠れていた。きっと年の近い子どうしだけで、最後のお別れをしてたんだろう。
手強かったのはカオリとナッチだった。二人はどこにいたかと言うと、
廊下の付き当たりにある喫煙所の、自販機の裏。二人で協力して動かしたんだそうだ。
舐めてる奴も中にはいた。例えばコンノは最初の部屋の、なんとあたしが顔を伏せていた
テーブルの下にいた。ずっと息を殺していたらしい。ツジに至っては、応接室のソファで寝ていた。
すぐさま叩き起こすと、逃げようとする襟首をつかんで「見ぃつけた」と言っておいた。
最後まで、見つからなかった子もいた。
「おっかしいなぁ、探すとこは全部、探したのになぁ…」
あたしは許された全ての範囲を、しらみつぶしに探した。廊下の植木の裏、扉の影、
もう使われていない応接室。ロッカーまでひとつひとつ調べた。
もうその頃には、かくれんぼ自体もグダグダになっていて、
隠れるのをやめて出て来る子なんかもいた。
多分4時を回ったあたりだったと思うけど、結局、最初の部屋にはもう
カゴ以外の全員が集まっていた。
捕まえたみんなも一緒になって、ずいぶん探した。もう終わったから、出て来い。
全ての部屋で、そう何度も呼びかけた。
けど、カゴは結局出て来なかった。
それからも、みんなの顔はよく見かけた。時々は会うこともあった。
意外かも しれないけど、あたしはゴッチンとよく会うようになった。
ゴッチンはあたし達が解散してからも、表向きは関係なしって形で
しばらく活動を続けてたんだけど、最近はCDを出すこともあんまりなくなって、
なんかドラマとか、そっちの方に力を入れてるみたいだ。
忙しい時は忙しいけど、暇なときはほんとうに暇らしい。なんだかうらやましい生活だ。
いつだったか、かくれんぼの話をしたことがある。二人で飲んでいた時に、
あたしがふっと思い出して、話して聞かせた。
「いいなぁ」
ゴッチンは、最後まで聞き終わると、心底うらやましそうにそう呟いた。
「あたしも、そういうの参加したかったよ」
やがて世間はあたしのことを忘れた。あたし達のことを忘れた。
ある晩のこと。
めずらしくカオリから電話があった。
しばらく近況を報告しあった。カオリは美術関係の仕事をしているらしい。
簡単な美術館のようなものを持っていて、絵を売ったり飾ったりしてるという話だった。
「美術館」ならわかるけど、「美術館のようなもの」というのがよくわからなかったが、
あたしは何となく納得した。なんせ相手はカオリだ。
もちろん自分で絵を書いたりもしてるそうだ。そしてオーナーの気合(とカオリは言っていた)で
書いた絵を展示したり、時には売ったりもしているとのこと。
「それって、いいの?」
「うん、いいの」
自信ありげに言いきるカオリは、なんだかちょっと自慢げで、でも感じ悪いところは一切なくって。
まるでマンガに出てくる、ガキ大将みたいで微笑ましかった。
「あー、あとねー、歌ったりもするよ!」
再デビューの話でも狙ってるのかと思って、すこしびっくりしたが詳しく聞くと、たまに
地元のライブハウスなんかで、アマチュアバンドに混じって歌わせてもらったりしてるらしい。
そういう豪胆さのようなものを、あたしは心底うらやましいと思った。
「ねぇ、ヤグチさぁ」
カオリはしばらくの沈黙のあと、ぼそっと吐き出す様に言った。
「同窓会、やらない?」
ヤなら全然いいんだけど、と付け加えた。そんな控え目な部分も含めて、カオリは
いつまでもカオリだった。
それから数日が経ったある日の午後。あたしは喫茶店にいた。待ち合わせの時間には
まだだいぶあったけど、特に用事もなかったあたしは早めに来て待っていた。
いつのまにか、そういう習慣が身についてしまっていた。
すこしの緊張と懐かしさを胸に、あたしは入り口のドアを見つめていた。やがて、ほとんど
時間どおりにドアが開いた。
「ツジぃ」
手をあげながらなんだか、あたしは照れくさくって笑った。
「久し振り」
「お久しぶりです、ヤグチさん」
ツジはもうすっかり、大人になっていた。今は学生で、なんかたいそうな研究をしているらしい。
内容は正直、聞いてもよくわからなかった。
「背もね、あれから大分のびちゃって」
あの頃のベタついた敬語ではない、そのハキハキした喋りかたは、響きこそ気持ちの
いいものだったけど、すこし物足りなかったのも事実だった。
「しっかし、お前が学生とはなぁ…」
「はは」
ツジは口元だけで笑ってみせた。
「よく言われるんですよ、やっぱりあの頃は作ってたの?なんて」
そうして、大袈裟に顔をしかめてみせた。
「作ってたのかもしれないですけど、本気でしたよねあの頃は」
遠い目でそう呟いた。そんな大人びた仕草からも、背伸びは感じられなかった。
「そうそう、カゴについてなんだけどさぁ」
あたしは本題に入った。ツジは少し首を傾げた。
「…そう言えば、会ってないですね」
「あたしも全然会ってないんだよね、解散の日以来かな?」
「あぁ、こっちもそんなもんです」
言葉を切るとツジは、心配そうにあたしを見つめた。
きっとあたしが途方にくれたような顔をしていたからだろう。
カオリはああ言ったけど、あたしとしては、同窓会という堅苦しい形じゃなくって、
できれば適当に集まりたかった。どこか遠慮していたのかもしれない。
ただ一応形として、連絡は全員に入れようと決めていた。
電話を回しながら一人二人ぐずるかな、と思っていたんだけど、
なんと次々と快諾が返ってきた。
ただ、ひとしきり連絡は入れたものの、どういうわけかカゴにだけは連絡がつかなかった。
長い月日の中では携帯も、住所すらも変わっていて、驚くべきことに解散後、
誰とも一度も連絡をとっていないらしく、連絡先がまるでわからない状態だった。
あたしとしては最後の望みをツジに託していたんだけど。
「で、同窓会の話なんですけど」
カゴのことはひとまず置いて、話を進めることにした。ツジは前もって聞いておいた
みんなの予定を、照らし合わせながらテキパキと日取りを絞って行った。
わざわざ呼び出したのは、それを打ち合わせる為でもあったんだけど、
日取りは10分もたたないうちに決まってしまった。
「多分この日が一番だと思います」
自信ありげに言いきられて、あたしはただうなずくしかなかった。
積もる話もあるかなと思ったけど、ツジはそれからすぐに帰ってしまった。
かかってきた携帯で、誰かとしばらく話したあと、
立ちあがる前にいかにも申し訳なさそうな顔で すいません、と言った。
一人残されたテーブルで、なんというか、あたしはひどく惨めな気分になってしまった。
「忙しいんだよね、しょうがないよ…なぁ」
空のコップに向かって、あたしは呟いた。
日取りに異論は出なかった。企画のすべてが順調に進んでいく中、
あたしが気になっていたのはやはりカゴのことだった。
あたしは別に、幹事というわけではなかった。そんなつもりもなかった。
ただ、一番ヒマだったのは、間違いなくあたしだったから。
気づくと連絡係のような立場におかれていた。
そうなると、なんだか責任を感じてしまう。
ある日、ふと思いついたあたしは、カゴの実家に電話をしてみた。
親同士の付き合いがちょっとだけあったらしく、家に聞いたら番号はすぐにわかった。
「もしもし…」
出たのはお母さんだった。
「あ、あのう、ヤグチと申しますけれど」
「…ヤグチさん?、あぁ、お久しぶりです…」
そうして、あたしは信じられない話を聞くことになった。
カゴの実家は思ったより大きかった。あたしが着いたのは、
ちょうどカゴのお母さんが家をでようとしている瞬間だった。幸いにも間に合ったらしい。
何度考えても奇跡のようなタイミングだった。
はたしていいタイミングだったのか、悪いタイミングだったのか。なんとも言えないが。
「ヤグチさん、すいません、遠いところをわざわざ…」
そう言って頭を下げたカゴのお母さんは、一目見ただけでは見分けがつかないくらい
面変わりがしていた。きっと街ですれちがっても、わからないくらい。
もちろん最後に会ってから何年もおいたせいでもあるんだけど、
それにしてもあたしはその変化に戸惑った。
「すっかり、御立派になられて」
そんなお愛想をいただいた。向こうにしてみれば、あたしも似たようなものなのかもしれない。
焼場へと向かうタクシーの中で、すこし話をした。
「ほら、あの子、一応昔は有名人だったじゃないですか…だからね、
下手にお葬式なんて出すと、ほら、騒がれちゃって」
お母さんは、それだけ言うのもやけに苦しそうだった。きっと無念で仕方がないのだろう。
だけどそこにどういう事情があるのかは、とても聞けなかった。
「病気は…なんの病気だったんですか」
「血液が悪かったらしくて…わたしにも、よくわからないんですけど、難しいんですってね…
気が付いた時にはもう、手遅れでした」
無念を吐き出すかのように、お母さんは言った。
カゴは果たしていつ頃から悪くて、そしていつ頃から気が付いていたんだろうか、
そんなことをちらっと思った。結局、それも聞けなかった。
葬儀は狭い焼場で、ひっそりと行われた。集まっているのは親族の人だろうか、
本当に身内だけといった風で、人数もあたしを入れても十人もいなかった。
せめてもの形としてお坊さんが唱えているお経も、なんだかやけにぞんざいに聞こえた。
じっさい、こんな場所ではお坊さんも力がでないのかもしれない。
しかしお母さんは時々、満足そうにうなずいたり、手を合わせたりしていた。
「ほんとうは、こちらから連絡すべきだったんですよね、もちろん皆さんにも」
流れるお経の中、ふとお母さんが小声で、あたしに耳打ちをしてきた。
「でもね、あの子がきつく言うもんですから…見られたくなかったんでしょうか」
その言葉に、あたしは気づいた。カゴにとって、モーニング娘。の仲間は、
弱った姿を見せてもいい相手ではなかった、ということに。
それについてはとくに、何とも思わなかった。ただ、あたしならどうだろう、
といったことをぼんやりと考えたまでだった。
そしてしばらくしてから、あたしも耳打ちを返した。
「あたしがカゴ…あたしがアイさんだったら、やっぱりそうしたかもしれないです」
「そうですか…でもね、私はヤグチさんにご連絡いただいて、
こうして来ていただいてやっぱりよかったと思っているんですよ」
それは寂しい声だった。ここが閑散とした狭い焼場で、
これが遺影すらも飾られないような葬儀であったことを差し引いたとしても、
それは寂しい声だった。
「ヤグチさんも、拾ってあげてください」
お経はじきに終わった。お母さんに導かれ、あたしはもう灰になってしまったカゴに歩み寄った。
不思議と涙はでなかった。でもそれは悲しくないというよりは、
ただ実感がないだけだというのが、あたしにはわかっていた。
きっとこの日のこの思い出が、いつか胸をしめつける日がくる。
そんな予感めいたものを感じながら、あたしはゆっくりと骨を拾い上げて、骨壷にいれた。
葬儀はすぐに終わった。あたしが着いてから一時間も経たないうちに。
集まっていた人々もすぐに、口々にお悔やみを述べて去って行った。
最後にお坊さんが帰っていくと、残ったのはあたしと、お母さんだけになった。
がらんとした焼場はやけに広く感じた。
「よかったら、家に泊まって行かれませんか、もう遅いですし…」
あたしは丁重に断った。お母さんは軽くため息のようなものをついた。
残念がっているようにも、ほっとしているようにもとれた。その表情からは、
感情らしきものはあまり読み取れなかった。
「今日はほんとうに、ありがとうございました。きっとアイも喜んでいると思います」
お暇しようと思ったその時、ふと気になって尋ねた。
「そう言えば、解散した日のことなんですけど…」
「あぁ、覚えてますよ…」
お母さんは下を向いて、少し笑った。それから、膝の上の骨壷をすこし撫でる様な仕草をした。
「かくれんぼしたんだぁ〜って言ってました。嬉しそうでねぇ…」
「あの日、カゴだけ見つからなくってね、結局朝まで探したんですけど」
「そうですか…途中で帰ってきちゃったんですね、じゃあ」
お母さんは、思い出したような声でそう言った。
「たぶんそうだと思います。ウチ等は結局朝になって解散したんですけど、
その後 見つかったってわけでもないみたいだったから」
言いながら、あたしはその日の記憶を手繰り寄せるように頭を振った。
「さよならが、辛かったのかもしれませんね」
お母さんはぽつりと言った。それから顔を上げて、続けた。
「それにね、あの子よく帰ってきちゃったんですよ、昔から。かくれんぼの途中なのに」
あたしの耳に、「あの子」という発音が懐かしく聞こえた。
お母さんは、ほんとうに懐かしそうな遠い目をしていた。
「あの子ね、怖かったんですよ、きっと。かくれんぼしてて、もし自分が
探されてなかったらどうしようかって、そういうところがあったんです、あの子には」
あたしは、思い返した。
なんとなく、そういうところもあったような気がする。
もっともそれは随分曖昧な記憶だったけど
言われてみたらそんな気もするけど…って感じの。
それから、あたしは骨壷に向かって笑いかけた。
「バカだなぁ…ウチら、めちゃめちゃ探したってのに…」
明るく話しかけたつもりが、不思議としみじみした口調になってしまった。
お母さんも弱々しく笑った。
「そのくせ、あの子はねぇ、隠れるのはうまかったんですよ…」
「そうだ、どこに隠れてたか、聞きました?」
「…あぁ、言ってましたね、そう言えば…」
それからさらに何日か過ぎて、ついに同窓会の日を迎えた。
一番最初に集まったのはあたしと、ゴッチンだった。
「もうね、すっげぇ頼んだんだから」
ゴッチンが何度もそう強調する。あたしは笑った。それからむくれるゴッチンに、
もう何度目かわからないお礼を言った。
何もかも、あの日と同じようにしたい。言い出したあたしでさえも、
それが叶うとは思っていなかった。事務所は渋ったのか、それとも快諾したのか。
そんなことはどっちだってよかった。
あの日のように、同窓会のために開け放された事務所で、あたしとゴッチンは皆を待った。
あの日と同じ部屋で、あの日と同じようにあたし達は集まった。
電気もつけられていて、人も出払っていて、何もかもがあの日と同じように。
もっとも、メンバーはすこし違っていたけれど。
「なんだ、お前ツジかよ!」
「はは、ヨッスィは変わらないね」
「変わらないねだって!かわんないねぇ〜、の間違いだろ?」
「うぉっ、ケイちゃん!」
次々に人は増えていった。永遠に来ない一人を除いては。
誰かが呟いた。
「カゴがいないの、残念だねぇ」
「しょうがないよ」あたしは曖昧に笑った。
「急に用事が出来たっていうからさ、無理押しは出来ないしね」
都合で遅れた子も含めて、9時を回った頃には全員が集まった。
あの時描いた将来を、あたし達は昔話として語り合った。
話はとてもじゃないけど尽きることがないようにみえた。
そうして、過ぎていく時間はあっと言う間だった。
時間すらも、あの日と同じように流れている、あたしはそんな風に感じた。
だけど、あの日と決定的に違うものが一つあった。それは、空気。
急激に盛りあがった場も、途切れがちな会話とともに冷めていった。
23時をまわった頃には、皆はもう話もそこそこに、時計に目をやったり、
やたらと携帯を弄ったりしていた。
それとなく、解散を告げられるのを待っている。
そんな空気は全て、幹事っぽい存在のあたしに向けられていて、
あたしはそれを敏感に感じ取っていた。
「かくれんぼ、しようよ」
ふと訪れた沈黙をぬうようにして、あたしはすこし挑戦的に宣言した。
それからまわりを見まわした。
誰も返事をしなかった。返事がわりにあたしを見つめている瞳はすべて、
否定的な光をたたえている様に見えた。それはきっと、気のせいじゃなかっただろう。
「うん、やろうよ、あたしやりたい」
沈黙を破ったのは、ゴッチンだった。その、わざとはしゃいだような声に続くように
何人かが頷いた。
「ん、いいかもね」
「そう言えば、あの日もやったねぇ…」
反対意見は出なかった。きっと胸にかくしているのだろう。
それは優しさじゃなかったかもしれないけど、あたしは胸の中だけでそれに感謝した。
「こないだはあたしオニだったから、悪いけど今回はあたし外れるね」
異論はでなかった。一足早く部屋を出ると
繰り返されるジャンケンの音を背中に聞きながらあたしは静かにドアを閉めた。
今度は絶対見つからない、隠れ場所を知っている。そうしてあたしは、あの日の
カゴのように帰ってしまうつもりだった。
元々は応接室だったけど、あまり使われなくなったせいか、
物置と呼ばれている部屋がひとつある。と言っても、全然使われてないというわけじゃなく、
ちょっとした会議や、打ち合わせなんかには使ったりもするし、
応接室としてもいざと言う時すぐに使えるようになってるために、
そんなにごたついてはいない。
せいぜい、ソファの裏に予備のロッカーが幾つか置いてあるくらいで。
あたしは、真っ先にそこに向かった。
ドアを開けて、ほっと胸をなでおろした。嬉しいことに、
使われない部屋は今も使われていないようで、あの日のままの光景がそこにもあった。
あたしは、部屋を見まわした。
六畳くらいの部屋には、長いソファが二組、低いテーブルを挟むように置かれている。
入り口から見て奥のソファの裏に、壁際に沿って縦長のロッカーが五つ、
きれいに並べられている。
カゴは、そこに隠れていた。ロッカーの中に。
あたしは部屋に入ると、ソファの裏を調べた。それはそこにあった。
なんだか笑い出しそうになった。こんなところまで、あの日のままにおかれてたなんて。
「こりゃ、見付かんないわけだ…」
隠れる前に、あたしは部屋の電気を消した。
真っ暗なロッカーの中にはいると、鼓動だけがやけに大きく聞こえた。
やがて、がちゃりという音がして、オニが入ってきた。間違いなくばれない、
とわかっていても、なんだか鼓動が弾むのは押さえきれなかった。
電気が点される。ロッカーの扉の向こうで、気配が移動しているのを感じる。
テーブルの下を調べているのだろうか。すぐ向こうでごそごそと衣擦れの音がする。
やがて気配がソファの上へとうつるのがわかった。途端にあたしは緊張した。
微かな音とともに、ついにロッカーの扉に手がかかった。
がちゃがちゃ、という音がする。一つ目のロッカーは開かなかった。
ちょっとした吐息のあとに、隣の扉が揺らされる。三つ目、四つ目、そして五つ目──。
失望のようなため息が漏れて、気配がゆっくりと遠ざかっていく。
そうして、オニが出ていくためのドアが開いた。
…並べられていた、ロッカーは五つ。だけど正確には六つだった。
一つをソファの背と、並べられたロッカーの間に倒す。
ソファとロッカーの長さがピッタリ合い、倒れたロッカーは完全にソファの背もたれの陰に隠れる。
そうして、倒したロッカーに入る。それがカゴの隠れ場所だった。
誰もが立ててあるロッカーを疑うだろう。しかし手をかけてみてもロッカーは開かない。
倒したロッカーが蓋をしているから。オニは鍵がかかっていると思い込み、去っていく。
例え蓋をしてるロッカーに気がついても、それまで開けてみようとは決して思わない。
扉が上を向いていないからだ。
うつぶせのロッカーには入れないから。
実際は、扉は床ではなく、ソファを向いている。そうして僅かな隙間から、
開け閉めも、ちいさい体ならば、出入りもすることは可能だ。
わかっていれば、誰でも気づくだろう。
わかってなければ、気づかない。
そう、あの日のあたしのように。
電気が消され、バタンという音がしてドアが閉まった。
遠ざかっていく足音を聞きながら、あたしは安心といっしょに、すこしだけ物足りなさを感じた。
あの日のカゴの気持ちが、ちょっとだけわかったような気分になって、
でもそれは決して悪い気分じゃなかった。
あたしは静かに扉を開けて、上半身だけ這い出した。
真っ暗な部屋であえぐように深呼吸をした。それから、タバコを取り出した。
これを一本吸ったら帰ろう。明日か、明後日でいい、電話で。カゴが死んだことを
みんなに伝えよう…
胸の中でそう呟いて、あたしはライターを点けた。
暗やみの中で、飛び散る火花が一瞬、なにかを照らした気がした。
確かに感じた違和感。
あたしはもう一度火をつけた。
照らされたのはロッカーの、開いている扉の裏、スチールのつめたい灰色。
それに殴り書きされたような文字は──
「モーニング娘。だいすきで」
そう読めた。あかい文字は口紅。血のようにあかい口紅。何年間も消えずにかくれて、
今になってようやくみつかった、その言葉。
咥えたままのタバコは、いつのまにか落ちていた。あたしはどれくらい、放心していたんだろう。
遠くであたしを呼ぶ声がする。あたしは慌ててロッカーに隠れた。
ほとんど同時くらいに、がちゃりとドアが開く。
「ヤグチ、もう終わったから出ておいで…」
その声は何度も、何度も響いた。あの日のように。
やがてドアが閉まった。遠くからの声も、じきに止んだ。
遠ざかる足音。消えていく気配。
あたりはもうしぃんと静まり返って、もう微かな物音すらも聞こえない。
皆はもうとっくに帰ってしまった。あの日のように。あたしはそれでも隠れ続けた。
「モーニング娘。だいすきでした さよなら」
もう一度ライターを灯して、最後の文字を確認した。真っ暗な部屋の、狭いロッカーに
横たわって、あたしは泣いた。
あの日、見つけてやれなかった自分を責めるように。
そして、一人さよならを告げた、あの日のカゴのように。
おわり