矢口真里は不意に足元に手をやった。やがて顔が上げられると、頭頂と天井の間に
小さいとは言えない空間が増大した。
右の手に下げられた小さな、柱状の物体を、黒目がちの娘は若い初期メンバーの前に
ぶら下げた。
「これをご覧ください、閣下」
「…………」
「あやっぺからお聞きになったと思いますが、この通り私の履物は厚底です。
あのアイドル不毛の時期であれば、長身のモデル風美女を求める風潮によって
書類審査で落とされていたでしょう」
脱いだ厚底サンダルをふたたび足裏と床のあいだにはめ込むと、矢口真里は
正面から飯田圭織の焦点の定まらない瞳に上目遣いの眼光を投げかけてきた。
「おわかりになりますか。私は憎んでいるのです。小室と小室ファミリーと
彼の生み出したすべてのものを……似非アーティストブームそのものをね」
「大胆な発言だな」
のちにハロモニ「王女様を救え!」 で閉じ込められる箱で感じることとなるのと
同じ息苦しさが、若い初期メンバーを一瞬だがとらえた。この娘。の厚底サンダルの
機能には、実際の身長増大以上に人を見下ろす──あるいは威圧する素子が
セットされているのではないか、という非合理的な疑惑さえそそられた。
「小室ファミリー、いや、似非アーティストは滅びるべきです。可能であれば
私のソロ活動で滅ぼしてやりたい。ですが、私にはその力量がありません。
私に出来ることは新たな派生ユニットに参加すること。ただそれだけです。
つまりあなたのユニットです。モーニング娘。初期メンバーにしてタンポポセンター
飯田圭織閣下」
深い交信から目を覚まさせる音を飯田圭織は聴いた。
「あやっぺ!」
椅子から立ち上がりながら、飯田圭織はタンポポの盟友を呼んだ。
「あやっぺ、矢口を取り押さえて。ASAYANに反対するみたいなこと言った。
カオリね、そういうの見逃せない」
矢口真里は厚底サンダルを強く踏ん張った。鼻ピアスのタンポポメンバーは
神速の技で構えを取った。北海道時代以来、格闘の技量で彼女を凌ぐ者は少ない。
たとえ矢口真里が長身であり、抵抗を試みたとしても無益であったろう。
「しょせん、あなたもこの程度の人か……」
矢口真里は呟いた。失望と自嘲の苦い陰翳が、もともと白目の少ない瞳に
さしこんでいる。
「けっこう、あやっぺひとりをタンポポメンバーと頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
半ば演技、半ば本心の発言だった。飯田圭織の交信する姿に視線を投げると、
彼女は石黒彩に向き直った。
「あやっぺ、私を追い出せるか。私はこの通り娘。の仲間だ。それでも追い出せるか?」
飯田圭織が交信していたこともあるが、石黒彩は構えた両手を矢口の胸ぐらにかけることを
ためらった。
「できんだろう。あなたはそういう女だ。尊敬に値するが、それだけでは覇業をなすに
充分とは言えんのだ。センターにはコーラス要員がしたがう……しかしお若い飯田閣下には
まだご理解いただけぬか」
飯田圭織は矢口真里を凝視したまま、構えを解くよう石黒彩に合図した。
微妙に表情が変わっていた。
「言いたいことを言うコだねー」
「恐縮です」
「モーニング本体じゃ活躍させてもらえなかったでしょー?」
「あそこは私の能力を充分に発揮できるグループではありませんでした」
平然と矢口真里は答えた。賭けに勝ったことを彼女は知った。
「わかった。矢口がタンポポに入れるように、つんくさんに頼んでみる」