52 :
名無し募集中。。。:
「イジメ。死のうと思ったあの日」
「今だからこうやって笑って話せるんですけど・・・・・・ その時は本当に死の
うと思ってました。お母さんが看護婦さんをやってたんで、うちにはいろんな風邪薬
があったんですよ。それをいっぱい飲めば死ねるかな、とか。ずっとずっと、そんな
ことばっかり考えてました」
なぜ歌手になりたいと思ったのか? 話がそのことに及ぶと、安倍なつみは唐突に
そんな風に喋り始めた。
「中学1年生の時にすごいイジメにあってたんです。そのキッカケは、いきなり、
ホントにある日突然だったんですよ」
北海道室蘭市。製鉄・製鋼業の町として古くから栄えていた北海道随一のこの港湾
都市で生まれ育った安倍は、その日まで、大した悩みを抱えることもなく何不自由な
い生活を送っていた。
地元の公立中学に入ったばかりの頃の安倍は、5,6人の女の子グループとごく自
然に仲良くなっていく。グループといっても、いわゆる不良グループといわれる類い
のものではなく、学年でわりと目立っていた存在、といった程度であったという。学
校帰りにみんなで近くの公園に立ち寄り時間が過ぎるのも忘れておしゃべりに熱中す
る、そんな付き合いだった。
「その日も、「「公演行くベー」」 「「行くべ、行くべ」」っていって、なっち
もついていったんです。そしたらなんか、いきなり囲まれたんですよ。なっち以外の
全員に。で・・・・・・「「ちょっとさぁ、前からいいたかったんだけど、あんた見
てるだけでムカつく」」っていわれて・・・・・・。すごいビックリしたから、モジ
モジしてたんです。そしたら、「「とにかく学校来るな」」とか、「「見てるだけで
腹立つから、オマエは明日からゼッタイ学校来んなよ」」とかってガーッといわれ
て。ほんのついさっきまで普通に話してたのにどうしたんだろうってぼんやりしてた
ら、今度はカバンを取り上げられて教科書とかノートとかを地面にバッとばらまかれ
て・・・・・・。そしたら、その後ですね、なっちに松ぼっくりを投げてきたのは。
後に「「松ぼっくり事件」」っていうんです、ハハハ」
53 :
名無し募集中。。。:01/11/28 07:17
そんな風に笑いながら、安倍は4年前の自分降りかかった悪夢の続きを語っていった。
「その辺に落ちてた松ぼっくりを拾って、なっちに投げようとしてるんです。で
も、みんなやっぱり最初に投げるのは怖かったらしくて、「「あんたやんなよ」」と
か、「「あんたからやりな」」とかいい合ってるんですよ。で、最初の子が投げた
ら、その後はもうボコボコ、ボコボコ投げられて・・・・・・。それで思う存分投げ
たらと思ったら、「「学校来んなよ」」みたいなことをまたガーッといって、バッと
散っていったんです」
北海道に早い夕暮れが近づきつつある中、公園で一人、カバンの中身を拾い集めた
安倍は、家の人を心配させたくないからと、何事もなかったような素振りをして自宅
へと帰った。
だが、母親は帰宅した娘の様子がおかしいことに、すぐに気が付いた。
「 「「もう明日から学校行かない」」っていったら、お母さんが「「明日学校に
行かなかったらこれから先もずっと行けなくなるのよ。今負けたらダメ。つらいけど
頑張りなさい」」っていってくれて。すごくその言葉は励みになったんですけど、で
もやっぱりつらくて・・・・・・。その頃はずーっと、布団にうずくまって泣いてま
した。それからも学校ではたびたびイジメにあってて、それで本当に死のうと思った
んです・・・・・・」
死を考えるほど深刻なイジメにあった安倍は、その後、どのようにして最悪の状況
から脱したのだろうか。
なぜ歌手になりたいと思ったのか? その答えはそこにあった。
小学生の時からテレビを見るよりラジオを聴く方が好きだったという安倍にとっ
て、この時、唯一心をなごませてくれたのもラジオだった。
「ちょうど本気で死のうと思って時に、ラジオからJUDY AND MARYさ
んの「「小さな頃から」」っていう曲が流れてきたんですよ。その頃はまだ、ジュ
ディマリさんの存在を知らなかったし、その曲も初めて聴いたんですけど、歌詞の中
に”ひとりじゃない”ってフレーズがあって。それがすごく心に残ったんです。今、
学校の友達にはイジメられてるけど、なっちには親も姉妹もおばあちゃんもいるん
だ、ひとりじゃないんだって・・・・・・。この曲を聴いてからですね、やっと堂々
と学校に行けるようになったのは・・・・・・」
その後も学校での安倍に対するイジメは続いていた。比較的おとなしめのクラス
メートに話しかけようとしても、例のグループから「安倍と話すな」という忠告が彼
女たちに対して出されるのだ。そのため孤独な学校生活が続いた。
54 :
名無し募集中。。。:01/11/28 07:18
しかし、そんな中でも、安倍はJUDY AND MARYの「「小さな頃か
ら」」を胸に、部活などを通じて少しずつ友達を増やしていった。そしてなんと、中
学を卒業する頃には、松ぼっくりを投げ付けてきた連中とも普通に話せるようにまで
なっていたという。
「自分もジュディマリさんのようにたくさんの人を歌で元気づけられたり、感動を
与えられる人になれたらいいなと思って・・・・・・ 中学3年の進路を考える時期
に、歌手を目指そうって決心したんです」
その頃からASAYANは毎週欠かさずに見ていたという安倍。だが、オーディ
ションに参加することになるのは、高校に通うようになってからであった。
「安倍家は厳しくって、中学の時もASAYANのオーディションにを受けたかっ
たんですけど、「「高校生になってからでも遅くない」」って親にいわれてたんで
す。で、高校に入った一発目のオーディションがシャ乱Qさんのオーディションで、
親の許可もおりたので受けることにしたんですよ」
音楽がイジメのつらさから自分を救い出してくれた。そんな音楽で自分も人を感動
させたい・・・・・・。当時15歳の安倍はその日、室蘭から実に3時間をかけて、
札幌で行われることになっていたASAYANのオーディション会場へと向かっ
た。〜モーニング娘。〜の安倍 なつみのすべては、ここから始まったのである。
もし、あの日のラジオからJUDY AND MARYの「「小さな頃から」」が
流れてきていなかったら、安倍 なつみはその後どうなっていたのだろうか。