1 :
名無しさん@1周年:
やけに明るかった朝日のせいだろうか。目の前の光景は全て、現実感を
喪失して見えた。隊列を組み、山荘を取り囲む無数の制服警官。銀色の盾
をかざすその最前列には、私服の刑事が数人混ざっていた。
‥まるで、テレビ。
くるくる回るパトカーのサイレンを、身を隠すことも忘れぼんやりと見つ
める私の姿に気付いたのだろう。拡声器を通してひび割れた声が窓越しに
響いた。
「犯人達に、告ぐ。無駄な抵抗はやめて、おとなしく出て来なさい。繰り
返す。無駄な抵抗は、やめて、-------------。」
私はゆっくりと窓から離れて、手の中の拳銃に目を落とした。黒い鉄の塊
は、しばらく握っていた私の体温のためにぬるく温まり、そして、ずっし
りと重い。もはや、これまで。吹き出してしまいそうなくらい手に馴染んだ
その拳銃を、私は再び握りしめた。
◇◇
2 :
名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 03:46
たんぽぽのPVくれ
3 :
1−1:2000/07/05(水) 03:47
彼女に始めて出会った時のことを、私は今でもはっきりと思い出せる。あ
れは、入学式の日。前日なかなか寝付かれず、案の定ねぼうした私は、だい
ぶ遅れて学校についた。雨の日だった。式はとっくに始まっていて、会場
の体育館は固く閉ざされ、雨の中を急いだ私の制服は、水を吸っててかてか
に輝いていた。
「どうしよう‥。」
ハンカチで拭ってもなお制服の染みはおさまらない。いや、問題はむしろ
会場に入れないことで、それから気を反らすために、私はただ制服を拭き続け
たのだと思う。とにかく、素直だった当時の私は真剣に動揺し、ひさしの下で
制服をたたきながらひとり途方に暮れていた。
とりあえず期待さげ
5 :
1ー2:2000/07/05(水) 08:30
体育館は、校門を入ったすぐその脇にあった。制服のことを半ば諦めていた
私は、ためいきをついて校門の桜を見上げた。立派な桜の樹だったが、4月
を過ぎてすでに葉桜になっている。かろうじて残っていたはずの残り少ない花
も、昨晩から降り続いた雨でそのほとんどが散っていた。
----------どうしたの?
高く澄んだその声に背後から呼びかけられたのは、絶望した私が排水溝に
溜まった無数の花びらを、ぼんやりと見つめていた時のことだ。心臓が止ま
りそうなくらい驚いて、反射的にふり返った私の視線の先には、上級生だろう
か、かたわらに黒いファイルを抱えた一人の女子生徒が立っていた。
6 :
1−3:2000/07/05(水) 08:32
雨のせいで蒼みがかった風景の中で、白い歯をのぞかせて清潔そうに微笑
む彼女のまわりだけ、やけに明るく感じたことを覚えている。
「そんなにびっくりしないで。あなた、新入生?」
言われて初めて気がついた。当時から私には、極端に驚いたとき、目を見開
いて大きく息を呑むくせがある。今になってもそれは治らない。おだやかな
微笑をうかべて私の様子をうかがう彼女に、あわてて返事をしようとして
うなずいたけれども、声はうまく出なかった。
「だいじょうぶよ。式、まだ始まったばかりだから。あなた1人くらい、
私がもぐりこませてあげるわ。自分のクラス、わかる?」
クラス発表は、まだ見ていなかった。遅刻したことだけで頭がいっぱいだ
ったのだ。
「そう。じゃ、あなた、名前は?」
彼女はファイルを開いて言った。
「‥吉澤ひとみ、です。」
「よしざわさんね。よしざわ、よしざわ‥。あった。1年6組、吉澤ひと
みさん。」
ファイルから顔をあげてにっこりと笑う彼女の瞳につられて、思わず私も
微笑んでしまった。
7 :
1−4:2000/07/05(水) 08:34
「あれ?あなた、ブレザーすごい濡れちゃってるね。ふふ。一生懸命走っ
てきたの?」
「‥遅刻したら、いけないと思ったんです。」
私が目を伏せて答えると、彼女はおもむろに自分の上着を脱いだ。
「良かったら、コレ着ない?それは新品じゃないけど、でも昨日クリーニ
ングから戻って来たばかりだから。」
そう言って差し出されたブレザーは、しっかりとプレスされていて、私の
ものとの違いはほとんどないと言って良かった。むしろ水を吸っていない
分、新入生のものとして相応しかったろう。しかし、いくらなんでもそこ
までしてもらうわけにはと思った。
「でも‥。」
「だって、風邪ひいちゃうよ?それとも、‥自分のじゃないとイヤ?」
少しだけ遠慮がちにそう言うので、私はあわてて首を振った。そもそも
彼女が引け目を感じる理由なんてないのだ。
「ぜんぜん、そういうことじゃなくて‥。」
すると彼女は安心したように笑って、私のブレザーに手をのばした。
8 :
1−5:2000/07/05(水) 08:37
多少のとまどいは残っていたけれども、私は彼女のブレザーに袖を通した。
なんだかやけにドキドキしたけれど、そんな私を気にするふうでもなく、彼
女は笑顔で言葉をつづけた。
「少し大きいみたいだけど、いいよね?式が終ったら、またここにいるから、
その時にでも返して。あ、あなたのブレザーは私が持っててあげるわ。それ
までに渇くよ、きっと。ね?」
私が頷くのを確認すると、彼女は快活に踵を返す。
「じゃ、行こっか。1年6組ね。一緒に来て。」
そういって私に向かってにっこりと微笑むと、彼女は裏口の方へ歩き出した。
私たちは館内に入って、壁に張り巡らされた紅白幕の内側を進んだ。ずいぶん
慎重に歩いたつもりだったけれど、それでも幕は少しだけ膨らんだりしたか
もしれない。しばらく歩くと、彼女は幕の切れ目から式場をのぞいた。
「そこにいるのが、一年生たち。ほら、6組、ここから近いじゃん。よかっ
たね。」
ひそひそ声で言う彼女。私もホッとした。ほんとうに近くて、これならなんと
なく目立たなそうだ。うんうんうなずく私の姿が滑稽に映ったのか、彼女は軽く
吹き出した。
「ほら。早く入って。だいじょうぶだから。」
背中に当てられた彼女の手に、私を促す優しい力が込められる。
「あの、‥。」
「ん?」
「‥ありがとう、ございました。」
9 :
1−6:2000/07/05(水) 08:40
クラスの列に混ざってなんとかおちついた私の様子を確認したあと、彼女は
幕の裏側を戻っていった。彼女の動きを追うようにして、やっぱり幕は少し
だけ膨らんだ。その影が前方の非常口に消えた後、私は彼女の名前を聞き
そびれたことを後悔したが、式が終ったらまた会うのだから、それは
それでよしとした。じっさいには彼女は忙しく、ブレザーを返した時にも
結局それは聞けずじまいだったのだけれども。
ありがとう、ございました------私の感謝のことばに、クスリとひとつ鮮烈
な笑みを返した生徒。あのとき名前を聞くことはできなかったけれど、
いわゆる彼女は優等生で、かつ目立つ生徒だった。だから彼女の情報に関して
不自由したことはない。たとえば、成績優秀でいながら、控えめでわきまえた
言動が男女問わず人気を集めていること。幼少のころ母親を亡くして、現在は
議員を務める父親と2人ぐらしであること。
2年1組・石川梨華
テニス部所属、生徒会副会長。
学校生活をしばらく送るうちに、それらは自然と耳に届いたのだ。
10 :
1−7:2000/07/05(水) 08:43
入学式の日、携えていた新入生名簿で彼女は私のクラスを調べた。当然そ
こには担任教師の名も載っていたはずで、それに彼女がきづかなかったとい
うのは不自然だ。私うんぬんよりもむしろ、それ以前の問題で、そもそも
中澤裕子が担当するクラスを梨華が知らないということがありえるだろうか。
担任の中澤裕子は梨華が所属するテニス部の顧問を務めていた。
じっさいには、梨華と中澤の間には何かとふくざつな事情があったのだ
けれど、それを差し引いたとしても、自分の部の顧問が担当するクラスの
生徒であることがわかった時点で(例えば、あの時の私達)、それなりの反応
というか、感想というか、そういうものを示すのが普通なんじゃないだろうか。
それを敢えて口にしなかった彼女。きっと、あの場面には必要ないと判断し
たんだろう。それはまるで彼女の、潔癖な優等生たる一面を端的に現している
ようで、今となってはとても微笑ましい。
11 :
1−8:2000/07/05(水) 08:49
担任の中澤とはよく気が合った。テニス部での彼女はともかく、教室での
中澤はいいかげんで、熱血とは程遠い。彼女の専門は数学で、その授業はわかり
易かったけれども、実際やる気があったのかどうかについては疑問だ。受け持ち
の生徒への指導も最低限のことしか言わず、いかにも怠惰な教師ぶりを発揮して
いたが、教職を聖職と見ず、ある意味軽蔑さえしているような彼女の態度の
内側に、筋の通ったなにか、あるいは真摯な情熱のようなものをかんじた。
わたしの好意が伝わっていたのかどうかはわからない。ただ、彼女も私のことを
多少なりとも気にかけていてくれたようだった。
−つづく−
またまた、面白い作品がスタートしたみたいですね。
いちよしに中澤が絡んでくるんでしょうか?
続き、楽しみにしてます。
なんか新しい切り口の話になりそうですね。
期待sage
これって、シアターいちなちの作者さん?
いちなちはもうやめたの?
15 :
14:2000/07/06(木) 21:57
あれ?sageがきかない。
すんません。
16 :
1-9:2000/07/07(金) 01:41
2学期に入ったある日。相変わらず厳しい残暑が続くなか、その日は比較的に
すごしやすかった。開け放った窓から入る風はサラリとして心地いい。机に
座ってただ授業を受けているのが急にバカバカしくなった。不愉快なほど通る声
で話す社会科教師に向かって、私は手を挙げた。
「先生。」
「ああ?なんだ吉澤?」
強豪と言われるソフトボール部の顧問を務めるその男の、威圧的な態度が嫌いだ。
「気分が悪いので、保健室に行っていいですか?」
「お前、ほんとうか?顔色だってぜんぜん普通じゃないか。」
「‥ほんとうに、気持ちが悪いんです。」
私がそう答えると、その男はジロジロと探るような目で私を見た。
「ふん。まあいい。治ったらすぐに帰ってこい。」
教室を出た私はまっすぐ屋上へと向かった。私を疑ったあの男の事を考えると
非常にむかむかしたが、実際ウソなのだし上手くぬけだせたのでそれ以上考え
るのは止めた。
階段を上った先には少し錆びた鉄のドアがある。それを開けると同時に、昨日
までと比べて随分やさしくなった太陽が私を迎えた。教室で感じたよりも風は
少しだけ強い。日射しによって熱される半袖の腕を、その風は程よく間隔を置
いて冷ました。
「お。サボリ発見。」
屋上の端にポツリと置かれたベンチに腰掛けて、私は遠くに見える山々を眺め
ていが、突然掛けられた声に驚いて振り返った。中澤だった。うろたえて動く
事ができない私を気にする様子もなく、中澤はスタスタと歩いて来る。
「すみません‥。」
ようやく自分を取り戻してそう言うと、彼女は私の横に座った。
「今、何の授業やった?」
「‥地理。」
「誰やったっけ、先生‥。あ、ミニラか。」
ミニラとはあの教師の名前だ。背が低く小太りな彼は生徒の間でそう呼ばれ
ている。同僚のあの男を中澤がそうやって呼ぶのはとても奇妙に感じたが、
普段の彼女を考えると、べつに不自然ではないと思った。
「先生。」
「なに?」
「‥怒らないんですか?」
おそるおそる聞いた私に彼女は少し考え込んでから答える。
「んー、べつに。だってあんたの問題やもん。サボって一番困るのは自分
ちゃうの?結局その時間ぶん他のコより遅れんねんから。」
中澤の言うことはまともだ。しっかり目を見てそう言い切る彼女の姿からは冷
たさとかそういうものは何も感じなかった。
「ゆってもうちかて怒るで、そら。生徒によってはな。でも、吉澤はそこら辺
よくわかってそうやから。」
あたりの景色を眺めながら中澤は淡々と言葉をつなぐ。なぜかそれは私を安心
させた。
「けどどうしたんよ?自分普段めっちゃええ子やん。何かあったん?」
「‥べつに、なにも。風が気持ち良くて、外が明るかったから‥。ミニラの
声とか聞いてるのが嫌になったんです。」
私があまりにも正直に答えたのがおかしかったのか、少しだけ中澤は笑った。
「ああ。あの小男なあ。ほんま偉そうよなー。いまどき流行らんっちゅうねん。
ちょっと前まで棒持ち歩いてたんよ?頭おかしいでほんま。」
中澤は心底嫌そうに言う。あまりにひどい言い方をするので、私は吹き出して
しまった。
「あ、せや。あんたの部の顧問の先生がなー、誉めとったわ。あんたのこと。
めっちゃセンスあるって。バレー部、たのしい?」
「ハイ。てゆうかもうレギュラーなった。」
小学校の時にバレーボールを始めた私は、そのままバレー部に入っていた。
それほど強いわけではなかったが、目標をもってチームメイトと練習に打ち込む
ことは単純に楽しかった。
「お、頼もしいわ。なにげに自慢しとるし、こいつ。」
中澤は笑って言った。私も笑ったところで、授業終了のチャイムが鳴る。
「あ、終ってもうた。次、うち3年生の授業あるんよ。めんどくさ。あんたも
もう帰り。一緒にそこまで行こうや。」
私は頷いて、ベンチから立ち上がった。
階段を降りる途中、少し前を歩く中澤が振り返って言う。
「次の授業はちゃんと出んねんで?1年生のうちからサボリ癖がついたら、
大変やからな。ある意味大物やけども。」
「はい。出ますよ。ちゃんと。」
「ならよし。」
中澤はその後特に話しかけて来なかったが、職員室の前まできて私が挨拶をする
と、思い出したように私を呼びとめた。
「吉澤、あんた今日、日直なんちゃうん?今の時間の記録もきっちり日誌に書け
よ?」
なんだ、そんな事か。言われなくてもわかってるよ。
「はい。ちゃんと誰かに聞いておきますから。」
私の返事を聞くと中澤は頷いて職員室に入っていった。
期待しています。
がんばってください。
放課後。日誌をつけ終えた私は部活用のユニフォームに着替え、軽く教
室の机を整頓してから職員室へと向かった。荷物を持って急ぐ私は数人
の生徒と衝突しそうになった。思ったより早く終ったので、急げば練習開始
までに間に合うかも知れない。そう考えた私は勢い良く階段をかけ降りた。
普段は閉じられている職員室のドアが、その日に限って明け放されて
いたのは偶然か。そのドアの向こうに、思いがけない光景を見た。
----------やろ?
----------何言ってるの、せんせい。
自分の席に座っている中澤と、その脇に立つスコート姿の梨華。それは
ごく親しい者どうしの仲睦まじい談笑だった。普段あまり笑わない中澤
が、ものすごくやすらいだ顔をしているのにも驚いたけれど、特に教師に
対して優等生的な態度を決して崩さない梨華の、安心しきって敬語を
使わない様子といったら。入学式の日以来壇上で話す彼女の少し固めの
声しか知らなかった私に、マイクを介さずリラックスしたその口調はとて
も印象的だった。
それは不思議な感情で、嫉妬とも違うし孤独とも違う。敢えて言えば憧憬
というものに近かったように記憶する。2人を取りまく空気がなにやら貴重
な宝石のように思えて、それを壊してしまいたくなかった。
どれくらいそうしていただろうか。とても長かったようにも思えるし、
ほんの一瞬だったような気もする。立ちすくむ私に気付いた中澤が名前を
呼ぶまで、私はぼんやりと立ちすくんでいた。
「何やってんねん、吉澤。入ってき。」
それまでの笑顔のまま中澤が手招きをする。梨華がいることに対してほ
んのり緊張した私は、それを振り切るように2人の元へ近付いた。それで
もやっぱり、私はおどおどして映っただろうか。
「あー、石川。こいつ吉澤。うちのクラスやねん。めっちゃ頭ええねんで。
運動も得意だしな。」
努めて冷静に差し出した日誌を手にし、それに目を通しながら中澤が言う。
「こんにちは。吉澤ひとみさん。その後、元気だった?」
私は驚いた。顔はともかく、梨華は私の名前をもう忘れているものと思っ
ていた。それは予想外で、私はまた目を見開いてしまったかも知れない。
「‥こんにちは。あの時はありがとうございました。」
彼女のブレザーを着た時の感触を思い出して、私は少しどきどきした。
梨華は普段どおりの鈴のような声で、明るく言う。
「どういたしまして。」
「なに?お前ら、知り合いなん?なんや裕ちゃんおもろないわ。」
ゆうちゃん。今日の中澤はすごく明るい。そんな中澤にとまどって梨華を
見ると、彼女は相変わらず微笑んでいた。
2学期になって梨華はテニス部の部長になったようだった。練習の指示
を顧問である中澤に聞きに来たらしい。部長と顧問の間柄であれば、信頼
関係もある程度強いのだろう。2人の親密さを、その時の私はそう理解した。
「せや。」
中澤がおもむろに私の腕をつかむ。
「よっしー、あんた生徒会入ったら?石川と一緒にやったらええよ。」
よっしー。頭の中そう反芻していたため、中澤の言葉を理解するのに時間が
かかった。それを遅れて辿っていると、驚いた面持ちの梨華が言った。
「やだ。先生。私、来期は立候補しないよ?」
「せえへんの?なんで?」
今度は中澤が不思議そうな顔をした。
「だって‥。部長にもなっちゃったし‥。ほんとうは、人前に立つの、そん
なに好きじゃないから‥。」
梨華はそう言って、恥じらうように俯く。人前に出るの、あんまり得意
じゃなかったんだ。あんなに落ち着いて見えたのに。梨華の本当の姿
を少しだけ見たような気がした。ほんとうは緊張していたんだ。
「石川さんがやらないなら、私もやりません。」
冗談半分、本音半分、私の言葉に中澤が反応する。梨華はそれをどうとっただ
ろうか。驚いたような目をして、それでも楽しそうに私を見ていた。
「なんや、よっしー。さてはあんた、好きやろ?石川のこと好きなんか?
言うてみ。裕ちゃん差別せえへんで?」
中澤の反応がおかしくて私は吹き出した。困ったように笑う梨華のスコート
は、ひらひらとかすかに揺れていた。
「もう。先生はすぐそういう方向に話を持っていくのよ。困る。」
ねー。そう言いながら梨華は私を見る。
「さあ。そろそろ行かなくちゃ。吉澤さんだって、早くいかなきゃだよね?
じゃ、先生。はやくコートに来て下さいね。」
中澤に挨拶する私を可憐な梨華の手が促した。
職員室を出ると、梨華の手は自然に私の腕から離れる。少し残念な気がした。
はにかむよう微笑んで梨華がいう。
「中澤先生はいつもああなの。もうたいへん。」
「石川さん、仲いいんですね。中澤先生と。」
「‥うん。」
と、とつぜん梨華は私の手首を掴んだ。
「あれ、吉澤さんも右の手首に痣があるんだね。私もあるよ、ほら。」
そう言って差し出された彼女の手首には、確かに小さな赤い痣があった。
私のものと場所も同じで、形もずいぶん良く似ている。私と彼女共通点
を見つけたようで、私はとても嬉しくなった。
「ほんとだ。なんか似てる。偶然ですね。」
あれこれを話しているうちに、私達は昇降口まで来た。私はこっちで、彼女は
あっち。別れは惜しかったけれど、それは仕方のない事だ。
「今日はなんか、いろいろ話せて楽しかったです。じゃあ。」
そう言って体育館へ向かおうとする私を彼女が呼び止めた。
「吉澤さん。」
「はい?」
「中澤先生はいい人よ。私の恩人なの。」
梨華はなぜか、思いつめたような、真剣な眼差しでそう言ったが、私はその
真剣さがどこから来るのか実際には理解していなかった。
「‥? ハイ。」
顧問の教師に対してそういう気持ちを抱いても特に不自然ではないんだろう。
梨華の言葉を私はそう受け止めた。
読んでます。中澤リスペクターとしては嬉しい展開になりそうでドキドキしてます。
あと、ほのぼのした雰囲気から「1」にどう繋がっていくのかが気になります。
情景描写が綺麗ですね。それが「1」に絡んでザラッとした緊張感が気持ちいいです。
クライマックスを非常に楽しみにしています。では。
それからというもの、中澤はことあるごとに私と梨華を引き合わせた。初めの
頃、梨華は優等生特有のある一定な距離感をなかなか解こうとはしなかったが、
時間が経ちお互いを知るにつれて、それが徐々に緩んでいくのを感じた。私達
2人は手首の痣以外にも何かと共通点が多い。それぞれ積み重ねた物によって
表層の性格こそ違うものの、基本的に価値観の似た彼女との会話は、実際楽し
いものだった。
親しくなってしばらく経つ頃、練習を終え制服に着替えた私は下校中の梨華を
見つけた。彼女がいつも、同じテニス部で比較的家の近い一人の女子生徒と
共に帰っている事は知っていた。その友達は、見た感じ梨華とは正反対のタイ
プで、明るく染めた髪と人なつこい笑顔が印象的なその彼女は、梨華をよく笑
わせていた。
その友達がたまたま欠席でもしたのか、俯きがちに歩く彼女はあの日ひとりだっ
た。普段朗らかな笑みを浮かべて下校する2人の姿を見慣れていたからなのか
どうかは解らない。オレンジ色に染まった校舎の脇を、ひとり校門へと向かう
梨華がひどくに儚げに映った。優等生である梨華は一緒に帰る友達を他に持たな
いんだろうか。なんだかたまらなくなった私は、梨華に向かって駆け出してい
た。一緒に帰るはずだったバレー部仲間数人は適当な理由をつけてごまかした。
「りかっち!」
ちょうど校門を出るところだった彼女は、少しだけびっくりしたように振り返
った。私を認めて微笑むその歯は、今日もせつない程白い。
「あれ。ひとみちゃん。」
「なんで一人なの?今日あの友達一緒じゃないの?」
息せき切って話し掛ける私の勢いに少しだけ驚いているようだったけれど、それ
でも梨華は笑って答えた。
「どうしたの?そんなに急いで‥。あのね、今日部活早めに終ったんだけど。
でも私だけ、来週の試合のことで中澤先生と打ち合わせしてたの。私、ぶちょう
だから。」
笑う声を抑えるように話す梨華の様子はいつもと何の変わりもない。私はそれを
確認してひとまず息を吐き出した。
私達はそのまま一緒に帰った。私も梨華もあの日なぜか黙りがちで、これといっ
た会話もない。ただそれが私にとって不快ではなかったということ。そういう梨
華の態度は、私に対する彼女の信頼の証拠だと感じた。
川沿いの公園では季節はずれのモクレンが、甘く重いにおいをその花弁から撒き
散らしていた。夜になりかけた風景のなかで狂ったように咲く白くて厚い花びら
がやけに青白く、ぼんやりと浮かび上がって見える。
「すごいね。」
そう言って指差す梨華は、何か眩しい物を見つめるような瞳をしていた。陽は既に
落ちて辺りは暗いのに。
「‥うん。」
「すごい匂い‥。でもなんで?いまどきこんなに咲いてるなんて‥。」
私は木に近付いてその硬い葉を一枚裏返す。葉の裏面には、大小の白い斑点が
ぽつぽつと浮かんでいた。
「病気だよ。害虫にやられてる。」
私は側に落ちていた小枝を拾い上げて、幹に空いた小さな穴へ差し込んだ。再び
出した枝の先には白っぽいおがくずが多く付着していた。
「ほら。中はもう死んでる。」
差し出した枝を確認した梨華は、顔を上げて私を見つめた。
「じゃあ、もうダメなんだ‥、この木。きれいなのにね。」
そう言って再び花に目を戻す梨華に、感情の変化は読み取れない。ひどく冷静な
視線はどこか、安堵さえしているようにも見えた。
私達は再び歩きだした。しばらく行くうちに突然梨華が口を開く。
「ひとみちゃん、植物のこと詳しいね。こないだもひまわりのこととか中澤先生
よりも良く知ってたし‥。」
中澤がエロ教師だと言うことを私も既に気づいていたが、数学科の教師である
彼女は生物についてもそれなりの知識を持っていた。
「うーん。お父さんの影響かな。てゆうかうちのお父さん、ずばり植物学者なの。
だからあたしも詳しくなっちゃった。」
「え、そうなの?」
「うん。」
梨華の目がなにやら楽しげに輝き出した。優等生の梨華だったけれど、こういう時
はとても無邪気だ。ある意味取り澄まして見える彼女が、時折こんな様子を見せる
事を知ったら、皆きっと好きになる。私はそう思った。
「あのね、あんまり関係ないんだけど。うちのお母さんもすごく詳しかったの。花
のこととか‥。だから私もけっこう知ってるよ。ま、ひとみちゃんには負けちゃう
ケド。」
亡くなった母親のことを懐かしそうに梨華は語る。淡々と短い言葉で思い出を話す
彼女は、それでも穏やかな笑みを浮かべていた。とても大事そうに、その幸福な
記憶をささやくので、私もなぜか暖かな気持ちになった。
「私が小学校の2年生の時に死んだの。お父さんに連れられて夜中に病院へ行った
わ。」
私は肉親の死を知らない。静かに話す梨華に、私はただ頷いた。こういう時に返す
べき言葉を私はまだ知らなかった。
「お母さんがいた時は、すごく幸せだったな‥。悩みなんてなかった‥。」
ぽつりと呟いた口調がそれまでのものと違っている事に気がついて、私は梨華の顔
を見た。入学式の日随分高いところにあった彼女の瞳は今、私のものと同じ高さに
ある。それがなんとなく感慨ぶかかった。
また、あの表情をしている。俯いた梨華の輪郭を見ながら、私は思った。唇を軽
く結び、輝きのない瞳で一点をじっと見つめる。こういう梨華の表情を、初めて見
たのはいつだったか。はっきりとそれを思い出せない。親しくなるにつれて私は
いつしか、彼女の影の部分を意識するようになった。私はふと、いつか中澤が言った
言葉を思い出した。
「石川はな、優等生なだけに自分の内面を上手く他人に見せられへんねん。もしか
したらそういうのを隠してるうちに、自然と優等生になってしまったのかも知れん
な。」
私は再び梨華を見つめた。ごく親しい者しか知らない彼女の空虚な表情。その瞳
から感じるのは、悲しみとか怒りとか、そういう類いのものではない。それはむしろ
諦観に近く、圧倒的な何かを静かに享受しているように見えた。
続きお願いします。
ほんと、続きお願いします。
中2の冬休み。すべてはあの電話から始まった。
梨華と言葉を交さなくなって、かれこれ半年以上経ったある日、私は誰もいない家
でぼんやりとテレビを眺めていた。少しも面白くない番組にうんざりした私は竹で
できたカゴからみかんをひとつ手にとって、大きく息を吐き出した。パチパチと他
のチャンネルも回して見たけれど、半端な時間のプログラムはやっぱりどれもつま
らない。
-----梨華は、どうしているだろうか‥。
頭に浮かぶのは彼女のことばかりだ。あの時の自分の軽率さがものすごく悔やまれ
る。あれ以来梨華は、学校で会っても私を避けるようになってしまった。何度も話
しかけようとしたけれど、梨華は辛そうに目を伏せて、いつでもスッと逃げてしま
う。
ぐらぐらする思考を吹き飛ばそうと、再びため息をついた私が2つ目のみかんに手
を伸ばそうとしたその時、脇に置いた携帯が着信を知らせた。液晶を確かめて思わ
ず目を疑ったけれど、改めて確認しても表示はやはり梨華だった。
「も、しも、し‥。りかっち‥?」
呼吸をいったん整えてから出たものの、それでも心臓はばくはつしそうで、声はかす
れた。彼女とこうして話すのは、何ヶ月ぶりだろう。
様子がおかしい。
「もしもし!りかっち!?どうしたの!?‥もしもし!」
梨華は無言だった。ただ、なにやらとても緊迫していることだけは受話器を通しても
明確に伝わる。
「りかっち!?もしもし!?」
何度目かの問いかけにようやく口を開いた彼女はひどく怯えていた。
「‥ひとみちゃん。わたし、わたし‥。」
その高い声はいつにも増して細く、はっきりとわかるほど震えている。たまらなく
不安になった私の頭の中を、ひとつの最悪な予感が襲った。まさか‥!
梨華はポツリと理由を話した。私の予感は当たった。
「今からすぐ行くよ。とにかく落ち着いて。すぐ行くから。どこにも行っちゃ
ダメだよ。」
とりみだした様子の梨華に、できるだけ冷静に指示を出した。電話を切った私は
自分の部屋からコートをつかみ、そのまま玄関を出て自転車に飛び乗る。漕ぎ出
してすぐ手袋を忘れたことに気がついたけれど、そんなことを気にしているひま
はなかった。
私たちがひとつずつ進級して、
「来年もアンタをうちのクラスにして見せる。」
と、常々宣言していた中澤が予告通り2年連続で私の担任になった頃、梨華と
私の関係はいたって良好だった。毎日ではないけれどたまに一緒に帰ったり、
時々電話で話したり。そういう私たちの様子に、中澤も嬉しそうな顔をしていた。
基本的に梨華は優等生な姿勢を崩さないものの、それでも私に対してちょっとした
わがままやささやかな意地悪を言ったりするようになったし、なんだか以前よりも
よく笑うようになった。ただ、取り繕うことをあまりしなくなった分、例の表情を
見かける回数も必然的に増えた。
ある日の休み時間、廊下を歩いていた私は中澤に呼び止められた。振り返ると
中澤は授業の帰りなのか、巨大なコンパスとか三角定規とか、そのほかにも教
科書やらチョークやらとにかく両手一杯に物を抱えていた。
「あら、いいとこで会ったね。細腕のうちを手伝ってくれへん?」
私は軽く頷いて、中澤の荷物を半分持ってやった。
「おい、最近どうよ?ずいぶん仲良いみたいやんか、石川と。」
「ええ、まあ。」
わざとこともなげに言ってみせた私に中澤が笑った。
「ええこっちゃ。アンタならあいつと友達になれると思っとったわ。」
そうだ。中澤に相槌を打ちながら、私はふと思いついた。中澤なら知っているのかも
しれない。梨華の影の原因を。
「ねえ、先生。りかっちがたまに暗い表情とかしてるんですけど、あれってなんなの
かな。知ってますか?」
私の言葉に、中澤はしばらく何も答えなかった。なにかを考えているようだった。
しばらくして期待を込めて見つめる私と視線をあわせず、中澤は静かに言った。
「よっしー。アンタ、石川のことが好き?」
中澤の問いは唐突で、すぐにはその真意をはかりかねた。
「どういう意味ですか?」
「いや。言葉通りの意味。」
私は少し考えて、やがてゆっくりと頷いた。中澤は相変わらず私の目を見ない。
「じゃ、今日部活終わったら裏門で待っとって。話しておきたい事があんねん。」
職員室はもう側だった。ドアのところで再び私から荷物を受け取った中澤は、私の
返事も確認せずに、そのまま中へと消えてしまった。
続き期待してます。
続き希望!
部活動を終えた私が裏門の駐車場へ向かうと、既に中澤は赤い国産車
に乗り込んでいた。私を見つけた彼女はクラクションを2度程鳴らし
たが、本来警笛であるその音は未だ練習が続く野球部の声によって昇華
され、どこか牧歌的にさえ響いたのだった。
「おつかれ。まあ、乗り。」
ドアを開けて私が乗り込むと、中澤は荷物を後部座席に置くかと訊ね
たが、私はそれを断わって膝の上に荷物を抱えた。
クラス内の出来ごとや私の成績の事など、とりとめもない話をしなが
ら中澤は車を走らせたが、信号につかまってブレーキを踏んだ時ふと
遠くを見つめて口をつぐんだ。
「石川の、あの顔なあ」
しばらくして中澤が口を開く。信号は既に変わっていて車も発進して
いたけれど、中澤の様子は先程と変わらない。動作としての運転はし
ているものの、車線を追うべき視線にはしかし別のものが映っていた。
「遅かれ早かれ、あんたやったらそら気がつくわなあ。」
中澤はとつとつと話す。だからなんなのさ。私は焦れたが、急かしては
いけないように思えて制服の裾を握りしめた。中澤の口元を、息を詰め
てただ見つめた。
あのコが入部してきたばっかりの時はな、まあ大抵の子らが思うとるように、
うちも石川の表面の部分が全てだと思てたんよ。
有名な議員さんとこの一人娘で、お母さんおらんくても、それはそれは蝶よ花よと
育てられたお姫さんやってさ。
同学年の子らはもちろん、上級生にも好かれとったわ。
きっかけはね、あのコが出た初めての試合。
夏休みやわ、1年生の。
それまでうちと石川は普通のかんけいやったんよ。
他の生徒と同じ。顧問と部員。
で、その試合な、あのコ勝ったんよ。
しかも相手は向こうの副部長やってさ。
当然上級生や。そんなもん。
あたしが顧問しとるだけあって、もちろんうちのチームは弱小でねー。
だからみんな大驚きの大喜びや。
全員が石川のまわりに集まってめっちゃ盛り上がっててん。
キャーキャーゆって。あ、もちろんウチもね。
みんなの輪の中にいる時、石川はいつもの石川やった。
普段通りの、お嬢さんやった。
強い相手に勝ったのに、ぜんぜん奢ったりせえへんねん。
お人形さんみたいにニコニコしててな。
出来たコやわーって思ったわ実際。
そのあとすぐにね、エース同士の試合が始まったんよ。
皆勢いづいてたからな。もちろんうちのエースも調子乗ってよ、かなり
頑張っててん。
だから全員がそのゲームに熱中しとったんよ。
その時やわ。
その日輝いてしかるべきのあのコの様子に気づいたんは。
みんながめっちゃ張り切って応援しとる中でよ、石川だけ後ろの方で、なんや
ぽーっとしてんねん。
まあ、うちも初めはただ勝利の味?ってやつ?に酔うてんのかなーぐらいに思っ
ててんけど、どうも様子がおかしいんやんか。
まったく覇気がないってゆうか。
全部を諦めてるってゆうか。
あの、みんなのアイドル、優等生のリカちゃんがよ?
あの試合で一番の功労者のリカちゃんがよ?
なんかさ、無表情やねんけど、ひとりだけ違うところにいるかんじ?
とーおい空の上で、自分がいる高さに気がついて動揺してるかんじ?
あら。なんや裕ちゃん詩人やわあ。
まあいいや。わかれへん。
とにかくずっと見ててんけど、そしたらあのコ、もともと周りに敏感な子や。
気づきはったんよ。うちの熱視線に。
しばらく、いや一瞬だったかも。
とにかく目が合うて、で、すぐにあいつがハッとなって目ぇ反らしてん。
そのあと、試合中でもあのコがあんな表情してたんが気になってな、ちらちら見とってんけど、
ぜんぜんいつも通りやねん。
しっろい歯みせてやー、みんなと一緒に騒いでんねん。あいつ。
で、なにやら気になって、なんだかんだそれから石川のこと見るようになったんよ。
練習中の時とか、あのコのクラスの授業の時とか。
そしたら、やけに多いねん。あの表情。
なんで周りのヤツら気づけへんのやろ。
最初のころはそう思っとったわ。
けどさ、ふと気がついてんけど、あ、前にあんたにも言ったよな?
あいつ、そういうの上手いねん。外にぜんぜん出さへんねん。
あとであいつもゆってたよ、びっくりしたって。
いままで誰にも気付かれたことなかったんやて。
なんでうちが気付いたかっていうと、それはやっぱり、経験豊富やから?
そら、そこらへんの厨房と一緒にしてもらったらあかんがな。
笑てる?笑うてない?よかった。ええコやねよっしーは。
あ、裕ちゃん話ながい?だいじょうぶ?
まあともかく、中学生のする顔やないよ。あんなん。
で、なんやごっつい心配やったから、練習のあと一度、呼び出して聞いてみたんよ。
自分悩みとかあるんちゃうの?って。
そしたら、気のせいやって言われた。
勉強とテニスで、ちょっと頑張り過ぎただけやって。
大変だけど楽しいです、って。
笑いながらそう言っとったけども、あたしにはわかったよ。
つうかバレバレや。ちょっと経験積んだオトナには。
けど、本人がそう言うのをムリに聞き出すのもおかしいやん。
だからウチはそれ以上どうもできんかったんよ。
けどやっぱ心配やったから石川に言った。
なんかあったら言えって。
それから何度か、あの表情を見る度にゆっとったんよ。
相談しいやって。
そしたらな‥、そうしたら‥。
そこまで一息に話して中澤は言葉を切った。車はとうに私の家への道を
逸れ、町の中(といっても私の町は小さく結局は家からそう離れてもい
ないのだけれど)をぐるぐると遠回りしている。ずいぶんと時間が経っ
ていて、夕飯の時間に遅れた私を母親が怒るだろうか?まあいいか。
叱られたってかまわない。中澤についてゆくと決めた。べつに怖くない。
「そうしたら‥、どうしたんですか?」
ふと目に入った中澤の両手は、ハンドルを強く握りしめているせいで血の気
が引き、ずいぶん白くなっている。中澤は適当な場所に車を寄せエンジンを
切ったが、それでもなかなか話し出せずにしばらく目を閉じていた。初めて
見る中澤の表情はなんだかとても息苦しくなったけれど、それでも私は次の
言葉を待った。どうしても続きを聞かなければいけないのだ。神様なんて信
じていないけれど、その時の私がなにか宿命のようなものを感じていたこと
は確かだった。
いや、疲れる時もありますよ。
なんだかこの小説は他と違う匂いがします。
続き、待ってます。
48 :
マホ:2000/07/26(水) 02:16
すごいなこれ・・・・
49 :
ういろう@1周年:2000/07/26(水) 02:50
埋まらない程度に、あげ
うまいね。なんかリーフっぽいね
>49
リーフとは何ですか?
意志表示。続ききぼーん。
がんばって、ちょっと沈んだんで一時上げ
それは長い沈黙だった。ずっと握りしめていた制服のスカートの裾が手の汗でしわくちゃ
になっていた。しばらくの間瞬きを忘れていたようで、目の渇きに気づいた私はあわてて
目蓋を2、3度閉じた。
ある日、その試合から随分経ったころ、夜遅うになって家のチャイムが鳴った。石川や
った。ウチはちょうど、テストの採点があって、酒も飲まんと家に居たんよ。
「どうしたん?何かあった?」
もちろん、何かがあったんやっちゅう事は解っていたよ。あんな時間にうちとこ来るんや
もん。連絡なしで。その時の石川は、曖昧に笑っとって何も言わんかったけど、とりあえ
ずうちは、中に入れたんよ。そんなに近くもないのに、歩いて来たんやて。外もだいぶ寒
くなってたし。
「中間テストですか?」
うちがココアを渡してやると、テーブルの上に乗っとった答案の束を指差して石川が聞い
た。
「そうや。あんまり見たらあかんで。」
「わかってます。」
そう言った石川はテーブルの横に座って、テレビを見てた。あ、うちはテレビつけながら
採点しとってん。で、しばらく様子見てんけど、何も言い出さないからさ。石川の隣で、
また採点を始めたんや。
「好きなもん勝手に見いや。」
そう言って石川にリモコン渡してよ。
時間にしてどのくらい経ったか。いまいち覚えてへんけど、石川が急にチャンネル変えよ
ったんよ。で、それに気付いたうちがふと顔をあげると、石川は目を伏せてリモコンを握
りしめとった。
「どうしたんよ?なんかあったんやろ?」
そう言いながら、うちはなんやごっつい不安になってん。
「とりあえず夜も遅いしお家に連絡すんで。心配しとるやろうから。」
そしたら、受話器を取ったウチの手を、石川がギュっと掴んでん。
「やめて‥!」
驚いたウチは石川の顔を見て、ふと思い出した。さっきまで流れとった番組は確か‥、映
画や‥!父と娘の絆を描いた‥。
その映画自体はありふれた、安っぽいもんやった。嫁入り前のある娘とその父の葛藤、とか
そんなもん。石川はウチの手を掴んだまんまや。ずっと顔を伏せていたから、泣いとるんや
ないか?って思たけど、べつに石川の目に涙はなかった。ただ大きく目を見開いててな、ウ
チを掴む手が弱く震えとった。
家に着くと夕食はとっくに終っていて、心配した両親が理由を尋ねたが、玄関口まで中澤が
来て一緒に謝ってくれたので、彼らも安心したようだった。
「お上がりになって下さい。お茶でもいかがですか?」
私の父親がそう促したが、丁寧にそれを断わって中澤は帰っていった。
母親が温め直してくれた夕飯を一人で食べ、入浴を済ませた私はすぐに自室へ戻った。私の
部屋にはテレビがないから、普段その時間はたいてい居間で過ごしていたけれど、あの日は
家族と会話するのがひどく億劫だった。
「ウチは‥、ダメな人間やろうか‥?」
別れ際、家の前まで見送った私に中澤がポツリと言った。私は部屋に入ってすぐ、電気を消
してベッドに寝転んだけれど、目を閉じても今日聞いた話が頭の中をぐるぐるぐるぐるまわ
っていて、ほんとに勘弁してほしい。
梨華の家はもともと大きな地主で、いまでも地元では知らない人のない名家だ。地位もあり
有力者であるその当主は、若い頃梨華の母親にそうとう熱をあげ、なかば強引な手をつかっ
てなんとか結婚したらしい。結婚当初母親は父親のことをずいぶん恨んでいたらしいが、そ
れでもすぐにすぐに梨華が生まれた。そして母親の方も家族としてその男の誠意を見るにつ
け、表面上ではあるけれど態度を軟化させていったようだ。
家族3人の生活は上手くいっていた。少なくとも梨華はそう思っていた。それからしばらく
して梨華が小学2校年生のとき、ふとした病気がもとで母親が死んだ。父親はとても悲しん
でいたが、それでも梨華を大事にして、2人で頑張ろうとかなんとか、どうやらそんなかん
じだったみたいだ。その時の父親の言葉に嘘はなかったようだけれど、年月が経つにつれて
梨華を見る父の目がおかしくなっていった。
梨華の父と母。母親がまだ生きている頃、梨華にとって彼等は良い親で、自信に満ちた父親
とその貞淑な妻、つまり彼女の母が言い争っているところを梨華は見たことがないそうだ。
小学校の高学年になった頃から、梨華は自分を見る父親の視線になにか性的なものを感じる
ようになった。その頃父親は仕事で大成し社会的にますます高名になっていたけれど、表の
顔とは裏腹にその内面は確実に蝕まれていた。
梨華の知らない両親の思い出をえんえんと話す。梨華を呼ぶ時に間違えて妻の名を呼ぶ。
面影を多く残す娘に、男が自分の妻を重ねて見るようになるまでそれ程時間はかからなかっ
た。その事に対して梨華はもちろん恐怖を覚えたけれど、それを打ち明ける相手が周りに誰
もいなかった。
そして、あの日。中澤を梨華が訪ねた日。父親はとうとう梨華を‥。あの日梨華が帰宅する
と、普段は遅くなることの多い父親が帰っていた。
お前の母さんは俺を愛してくれなかった。
なあ、お前は俺を許してくれるだろ?
あれ?お前はどっちだ‥?梨華?母さん?
普段食事を作っている手伝いの女性は早めに帰されていたのだそうだ。
それを語る最中、梨華の目に涙はなかった。淡々と機械的に話したらしい。それが帰って痛々
しかった、中澤はあとで私にそう言った。一人の少女が抱えた闇。それを知った彼女は驚愕し、
しばらく何も言えなかった。顔を背ける中澤を梨華はじっと見ていた。
「誰にも‥、誰にも言わんよ‥。」
自分の声が震えている。そして自分の言葉は梨華にとって何の救いにもなっていない。それは
中澤にもはっきりと解っていたけれど、それより他に何も浮かばなかった。
振り絞るようにそう言って、やっとの思いで顔を上げる。すると梨華は微笑んでいた。いつも
見せるような、優等生的あのスマイル。ああ神様、彼女の闇はこれ程深い‥!
「オマエは汚れてへんよ!」
カッとなった中澤がそう叫ぶと、梨華の表情に初めて動揺が走った。
「せんせ‥い?」
「あんたなんかまだまだやわ。ウチのほうがこれだけ汚れとる!」
中澤は梨華を押し倒し、そのままやみくもに口づけた。
「それから、ウチは‥。父親と何かあるごとに、石川を抱いた‥。」
「ウチは、ダメな人間やろうか‥?」
赤い車にエンジンをかけた中澤は私にそう聞いたけれど、私には何もわからなかった。
「先生は、りかっちのこと‥?」
「わからん‥。」
好きかどうかを聞いたつもりだった。中澤は解ってそう答えたのか。梨華は中澤を恩人と言った。
すぐに中澤は車を出したが、十字架を背負っているだろう彼女はしかし、その時聖人のような微笑
みを残した。
こんな事があったとは・・・。
つっつらいっす。
アカン、泣ける。
ねーさんの十字架、せめて色は白であってほしいモンやな。
62 :
猫:2000/07/29(土) 04:20
りかっちかわいそう,テレビで時折見せるぎこちない笑顔はこのせいか
63 :
名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 05:06
うう‥。せつねえなあオイ。
フィクションだって分かってるけどさあ。
それにしても夜中に読んでる奴が多いな。これ。
数ある小説の中でこれが一番好きだな。
続き待ってるぜ!
65 :
名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 04:23
りかっちがんばれ、でも金持ちなんだよな、矢口と石川と保田と飯田は
貧乏は市井だ、築30年の公団に家族ですんでて、親に家を買ってあげるために
がんばってたらしい
市井がんばれ
頼む、続きを。
67 :
名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 15:00
催促アゲ
68 :
名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 22:49
test
徒然なるままに思考を追って、疲れた私がようやく眠りについたのは小鳥の鳴く
声がそろそろ耳につき始めた頃と記憶している。目覚ましは普段どおりけたたま
しく鳴って私の意識を呼び戻した。睡眠に入ってそれほど時間が経っていなかっ
たから体を起こすのはとても大変だったけれど、それでも私はなんとかベッドを
抜け出した。私はそんなに真面目でもないから今まで何度か仮病をつかって学校
を休んだりしたこともあったが、あの朝はそうしなかった。中澤の告白を聞いた
からこそ、いつものとおりきちんと登校しなければいけないと考えた。
案の定中澤もちゃんと学校へ来ていて、何もなかったような顔でホームルームを
済ませた。教壇に立つ彼女はクラスへの連絡事項を告げながら何気なく一度だけ
私と目を合わせたが、それ以外特に何も言って来なかった。
同じ学校へ通っているのだから、それ以降も梨華と顔を合わせないわけにはいか
ない。梨華と話す時心の中は相当ドキドキしていたが、努めて私は明るく振る舞
った。彼女の仕種の全て------それはもうほんとうにささいな物まで、が私の胸を
いちいちチクチク痛ませたけれど、私は本当に必死で、痛みが深ければ深いほど
一生懸命笑うようにした。
そういうふうにして日々は過ぎ、学校は夏休みに入った。夏の大会に敗れた私達
のチームから3年生が引退して、気分も新たな私がバレーに打ち込んでいたある
日、梨華が電話をよこした。
「もしもし、ひとみちゃん? 梨華です。」
「あ、りかっち?久しぶり。元気?」
中澤の話の衝撃を忘れていたわけではなかった。部の練習に精を出していたのも、
要するにそれを考えずにいたかったからで、梨華と話をする事に私は未だに動揺
していた。しかししばらくぶりに聞く梨華の声はやっぱり高くて可愛いらしくて、
実際気持ちが昂揚したのも本当だ。
「りかっち、聞いたよ。試合残念だったね。」
梨華もまた、他と同様、テニス部を引退していた。とても頑張ったのだけれど、
いかんせん相手が悪かったのそうだ。誰かがそう言っていた。
「ひとみちゃんは、部長にはならなかったの?」
「ならなかった。てゆうかなれなかった。人望ないみたい、あたし。」
くすくすと笑う梨華の声が受話器を通して耳をくすぐる。その裏には深い影がある
のだと思うと、本当に悲しくなった。
「りかっちは毎日なにしてるの?勉強?」
「うん。息が詰まりそう。」
「ねえ、明日会おうよ。時間ある?」
「私も。なんだか息抜きしたくて、ひとみちゃんに電話したの。」
「じゃ練習終ってから待ち合わせしよう?終ったら電話する。夕方になっちゃう
けど。‥てゆうかじゃあ泊まったら?うちに。」
「え、うん‥。いいの?」
梨華が家に泊まる。私はその考えがとても素敵だと思った。あの家から例え一日
だけだとしても梨華を引き離す事ができるし、私てきにもすごく嬉しい。
翌日、練習を終えた私は校門のところで梨華と待ち合わせて、夕暮れ近くに家に
着いた。
「友達が泊まりに来るよ。」
あらかじめ話しておいた母親が玄関で出迎えたが、おいしいごはんを作っておくわ。
そう言って張り切っていたから、家のドアを開けたときから良いにおいが立ち込め
ていた。
「初めまして。石川梨華です。」
流石に梨華は挨拶がうまい。笑顔でにっこり。こういう自己紹介をする彼女を嫌う
大人がいるだろうか。そう感心していると、ふと目に入った母の表情に、なぜか
狼狽が浮かんだ気がした。
「石川、さんって‥、あの代議士先生のところの‥?」
母が梨華の父親のことをが口にしたので、一瞬戸惑った私があわてて梨華を盗み見
たが、梨華の様子に特に不審な所もない。もう慣れてしまってるんだろうか、こう
いうのは。
「ハイ。」
梨華が微笑んで頷く。
「お母さん、お腹空いた。はやくご飯にしようよ。りかっちも早く上がって。」
そう言って私は乱暴に靴を脱いだ。とりあえず話題を変えたかったのだ。
いくら待っても私の父親は帰って来なかったので、母と私と梨華で食事をした。私
の母親は普段から明るい。しかしその日はいつにも増して元気で、勢いあまった彼
女は手を滑らせて皿を2枚割った。いつも明るく、時々はしゃいで見せるものの、
母は決して不器用な方ではない。普段はしっかり者の母が、あの日は2度も皿を落
とした。それを不自然となぜ思わなかったか。母の様子を見抜くには私は幼く、そ
してあまりに無知だったのだ。
食後少しだけテレビを見てから、私達は自室へ戻った。私は机の椅子に座って、梨
華はベッドに腰掛けている。雑誌を見ながらあれこれ言ったり、お互い気に入って
いる音楽をかけたり。それ程多くを語り合っていたわけでもないけれど、私は十分
充足していた。クーラーを効かせているから部屋の窓は閉じていて、遮断された空
間には私と梨華が2人きり。蛍光灯のひかりは清潔で、照らし出された部屋がまる
で虚構のように浮かび上がる。梨華は私の側に座り、そして時々静かに微笑む。
このまま、ずっとこのまま。私はふと思った。彼女をずっと、この部屋に隠してし
まえたら。梨華の話に相槌を打ちながら、私は空想に夢中になった。果たしてそれ
は可能か。用のない世界に背をむけて、このまま2人で逃げきれるか。
楽しい時間は続かない。そんなのは当然で、だからもちろんこの瞬間もそれほど長
くは続かなかった。きっかけは、中澤の話題。夏休みに入って私はしばらく彼女と
会っていなかったけれど、梨華いわく中澤は今、新チームの練習に熱を入れいるの
だそうだ。
「珍しいね。中澤先生がやる気を出すなんて。」
私はできるだけ、当たり障りのないように答えたつもりだった。腫れ物に触れない
ように、何も知らないふりをして。
「でも、意外と熱血なのよ。あの人。」
「そうなの?そうは見えないけど。」
そうだよ。
そう呟いて梨華は黙った。私達の間を気まずい空気が流れたように感じたけれど、私
が知っているということを梨華はまったく知らなかったから、それはやっぱり気の
せいで、私は焦っていたんだろう。その時梨華は、既にベッドを移動して直接床に座
っていた。目の前の小さなテーブルに両肘を乗せて、ぼんやりとしたうつろな目。
その表情に私は十分慣れていたはずだった。けれど。見慣れているはずなのに、あの時
どうしてもやり過ごす事が出来なかったのだ。梨華に対する確かな想いを、自分でも
どうにもできなかったのだ。
「りかっち‥!」
テーブルの上に組んでいた梨華のひじを私は掴んだ。我に帰った梨華が、戸惑った目で
私を見つめる。
「ひとみ、ちゃん?」
「私、りかっちのことが好きだよ‥。」
「え‥。」
梨華は困ったように視線を伏せた。梨華の腕を掴んだまま行き場を失った私の右手が、
ほんの少し汗ばんだのを覚えている。
「だから‥、だから、りかっちが抱えているものを、わたしが一緒に、背負ってあげたい‥!」
ガチャン。
閃光が走るのに似ていた。言い終わったか、終らないか、それは微妙なところだ。私の
言葉を聞いていた梨華の体がその瞬間ビクッと震えて、テーブルの上のグラスを倒した。
一瞬グラスに目を奪われた私がもう一度梨華に視線を戻したが、あの時の彼女の表情を
私は忘れられない。凍り付いていた。
ガラス玉のような瞳に息をのんでいると、突然その両瞳に透明な涙が溢れる。
「知ってたの‥?」
「ちが‥っ!」
引き止めようとしたけれど無駄だった。
「いやっ!!」
全ての存在を拒む切り裂くようなその悲鳴。
梨華の腕を掴んでいた手に私が力を込めるより、ほんの一瞬だけ早く彼女は去って行っ
てしまった。
物音を聞き付けた母につかまったからかも知れない。あるいはあまりに悲痛な声に、
一瞬躊躇したからなのか。懸命に探したけれど、結局梨華を見つける事ができなかった。
疲れ果てた私が家に戻ってすぐ、携帯が鳴った。中澤だった。液晶画面からすると、私は
2時間走り回ったことになる。梨華は今、中澤の家にいるそうだ。何も持たずに飛び出し
たから、私の部屋には梨華の荷物が抜け殻のように残っていた。
76 :
67:2000/08/04(金) 00:09
お待ちしておりました!
感想は……これから読む(わら
まずはお礼まで
77 :
松山千春:2000/08/04(金) 00:10
俺のセンスには及ばないな。
まぁがんばりなさい。
はわー。謎いっぱいでドキドキします。石川にとっては吉澤が安らぎだったんだねえ。
吉澤は石川をラクにしてあげたくて、気付かずにそれを壊しちゃったんだねえ。はー。
つーか中澤さんサイテー(ワラ いや好きなんだけど。面白いっす。続きに期待。
79 :
76:2000/08/04(金) 01:54
読んだ。いよいよ話が動き出すって感じですね。
しかしここからどうやって1につながるのか……
あせらずじっくりお願いします。
続きお願いします!
その後、中澤は梨華の荷物を取りに来た。私が走り回っている間、何度も
連絡を入れたそうだ。中澤の家を突然訪れた梨華は、激しく息を切らせて
いたが、その顔面は蒼白だった。ひどく取り乱していた梨華は理由を尋ね
ても涙をこぼすばかりで、万策尽きた中澤が安定剤を彼女に与えた。
「ひとみちゃんに‥、悪い、事を、した‥。」
ベッドに移して毛布をかけてやると、眠りに落ちていきながら梨華は夢うつつ
で呟いたそうだ。
「何が、あったんよ‥?」
中澤が誠実な眼差しでそう尋ねたが、私は無言で荷物を渡した。白い梨華の
携帯が、皮肉なほどに眩しく見えた。
「今は、何も言いたくありません‥。落ち着いたら、また、話します。」
「‥そう。」
頷いた中澤は私の髪をわざと乱暴にかき回して、静かに車に乗り込んだ。
去って行く中澤の車を見つめながら、私は自分の非力を嗤った。私の家を飛び
出した梨華は今、中澤の家で、中澤の庇護のもとに眠っている。
それでも。
無事であるならいい。帰る場所を失って、ひとりで外を彷徨うよりは。
中澤は大人だ。梨華を包む、実質的な術を持つ。
とうぜんだ。私は何も持たないのだから。
焦燥?嫉妬?敗北?希望?
果たして中澤は梨華を抱く?
中澤が頭を撫でたから、それまで私の中で張り詰めていたものが突然弾けた。
私にもし、力があれば‥。夜道に赤いテールランプは、とっくに見えなくなって
いたが、それでも私は動けなかった。拭っても拭っても涙を止められなかった。
それ以来梨華と連絡を取っていない。自宅に電話をしても取次いでもらえず
-------常に手伝いの女性が出たので、私と梨華の父親が言葉を交わす事はついに
なかった-------、携帯電話もすぐに新しいものへと変えたようだった。
2学期になって学校が始まればまた以前のように偶然顔を合わす事も何度かあった
けれど、気付いた私が話しかけるよりも前に彼女は辛そうに逃げてしまう。
その頃になって全てを知っていた中澤は
「焦るな。」
そう言って私の肩を時々叩いたが、その他は見て見ぬフリをして口を閉ざしていた。
あれは10月の終り。枯れ葉散る白い、テラスの午後3時。梨華が一度、私を見つめ
ていた事があった。私はちょうど校庭で体育の授業があって、3年生はその日進路相談
か何かで早めに日程を終え、ちょうどその時下校時間だったようだ。大勢が一斉に
昇降口から出てきていたし、私もだいぶ離れたところにいたから、すぐには梨華に気付く
ことが出来なかった。
「3年生、帰ってるよ。いいねー。」
そう言う誰かの言葉につられて視線を向けると、数人の友人に囲まれるようにして歩く
梨華の姿が目に入った。その輪の中心にいながらも、梨華は私の方を見ていたのだ。
ハッとした私が顔をあげ、改めて視線を合わせると、彼女も一瞬なにか言いたげな顔を
したが、それでもすぐに背けてしまった。
授業中で自由に行動できなかった私は、梨華の姿を視線で追った。それは私の勝手な
思い込みだったかもしれない。しかしその時梨華の瞳は、確かに涙が滲んでいるよう
に見えた。
また、何かあった‥?そう考えてたまらなくなった私は放課後、部活の前に中澤を
つかまえて話を聞いた。梨華のことを中澤に相談するのはなんだか悔しいような気
もしたけれど、頼れるのは彼女しかいない。そもそも中澤が悪いわけではないのだ。
むしろ彼女は梨華のためにも、そしておそらく私のためにも、誰より心を砕いていて、
もしかしたら一番苦しんでいる。頭でそう考えることはできたが、実際気持ちは
やりきれなかった。理由はどうあれ中澤は梨華を抱いた。その事実をそう簡単に
割り切れない。
「石川?ああ。最近あんまり来えへんよ。そういや、あそこの高校受けるそうやで?」
中澤は私立の某有名女子校の名をあげた。その学校は単に名門なだけでなく、難関として
もかなり有名だったけれど、梨華の事だ、きっと合格するんだろう。
「それより先生!りかっち最近お父さんとは‥。」
中澤はしばらく黙ってから答えた。
「わからん。最近あんまり話してへんねん。裕ちゃんエロいから、嫌われてまったんかな?」
なあ、吉澤?
中澤はあの時、明らかに悪役を、それもわざと演じていた。しかし当時の私は
単純だ。ヘラヘラ笑う中澤に、本気で腹を立てていた。
「先生は梨華の事、好きなの?好きなんだったら、私はべつに。身を引くけど‥。」
「好きや?めっちゃええ体しとるわ、アイツ。だったら何?好きちゃうかったらどう
すんねん?」
中澤の演技に私は気付かない。
「それだったら‥。いつか梨華を連れて行く。先生からもあの父親からも奪う。」
今思えばとても恥ずかしい言葉だ。しかしあの時、私は確かに決意していた。
いつか、いつか必ず。
「ああそ。せいぜい頑張り。」
中澤は窓の外を眺めていたが、しばらくすると視線を戻さずそう言った。中澤の表情は
相変わらず笑っていたけれども、口調が微かに震えている気がした。私は少なからず違和感
を覚えたけれど、それ以上話していたら涙が出そうだったので、堪えていられるうちに
彼女に背を向けた。誰もいない廊下を早足で歩く。少し遠ざかってからやっぱりそれが
気になって、中澤を振り返った。すると彼女は清楚な、まるで誰より純粋な少女のように
笑っていて、その場所のまま私を見送っていた。
じつに半年以上ぶりの、梨華からの電話。その電話を切った私は、コートを掴んで自転車
に飛び乗った。急がなきゃ。それにしても今日は部活がなくて良かった。冬休みは基本的
にオフ。それが顧問のポリシーで、部員の私達はそれ程学校へ通うこともなく、決められた
量の基礎トレーニングを各自自主的にこなしていればよかったのだ。
手袋を忘れたから、自転車で急ぐ両手が切れるように痛い。今日は多分帰れないだろう。
誰もいない家にメモを残すのを忘れたけれど、あとで電話しよう。携帯持ってきて良かった。
「石川は多分。もうアンタの事好きやで。」
あの日振り返った視線の先で、眩しく笑った中澤は言った。
全力でとばす私の喉はもう血の味で、それなのに吐き出す息は白い。なんで錆びた赤色を
してないんだろう。それがひどく不思議だった。
古めかしい、大きな門は開いていた。呼び鈴を押しても応答はない。だから勝手に入った。
玄関の立派な観音開きの扉も、鍵はかかっていなかった。だから勝手に入った。
「梨華ーーー!!!」
私は大きな声で叫んだ。おそらく彼女は、ひとり大きなこの屋敷で(もしくは2人で)、
怯えて隠れているんだろう。お手伝いさんは今日はいない。私はそう確信していた。
片っ端からドアを開けて、部屋を探して回る。途中で靴を履いたままだったことに
気がついて、そこら辺に脱ぎ捨てた。
「りーかーーー!!!」
式はとっくに始まってに黒いファイルを抱えた一人の女子生の瞳につられて思わず私もふふ一
生懸命で彼女の潔癖な優等生威圧的な態度が嫌いだ何言ってるのせんせいおどおどして映った
だろうかいい人よ恩人なの甘く重いにおいはもう死んでアンタならあいつと友達なれる宿命の
ようなものがこれだけ汚れと友達が泊まりに抜け殻のよう。
梨華はいた。いちばん奥のおおきなベッドルームに。
ベッドの横に、父親と思われる男がうつぶせに倒れていた。
頭から血が大量に流れていた。
「おとうさんをころしちゃったの」
私は初めて実物の死体を見ました。
そして初めてキスもしました。
テレビにはマキちゃんが映っていた。
以上、第1部終了です。
読んで下さった皆様、ありがとうございました。
ちなみに以後、物語は芸能界へ進みません。
マジっすか?ころしちゃったって
来た来た来た〜!
第2部に期待大
来た来た来た〜!
第2部に期待大
これからどうなるんだー!
第2部にめちゃ期待!!!!!