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第10章

神が死んだのなら 俺は何者なのだ。蝿の羽についた汚れの斑点が、空に開いた穴を通って、地球に衝突する時が近づく・・・

― ロバート・フィリップ ―

(なんでなんだ・・・、どうして・・・)

やるせなく、そして哀しい想いが胸を貫く。彼は、押し黙ったまま、車体
同様に小さくこしらえられているハンドルに頭を押し付けて蹲った。

この夜も街中が未だ冷めやらぬ夏の熱気を引きずったまま、今年に入って
から数え切れない程になった寝苦しい熱帯夜を迎えていた。高圧的に立ち
並ぶ高層ビルが近くに見える、やや高台の一角にそのマンションは立って
いる。
27716-2:2001/07/01(日) 03:40 ID:tauOER0w

近くには、都内で最大規模を誇る公園があり、曲がり角を過ぎると由緒あ
る寺なども点在している閑静な住宅街に彼は潜んでいた。

夜も深まると、近くを走る列車の走る音が聞こえてくる。今日の様に空気
が澄んだ日であれば、柔らかく北から吹いてくるそよ風に紛れて繁華街の
喧騒が微かに耳へ届いた。

彼は、その寺の境内にある無料駐車場の一角でエンジンを切って身を隠し
ていた。

エアコンが使えないせいで蒸し風呂の様な車内で汗だくになりながらも深
く深く、その存在を消しこんでいた。開けられた窓からは、境内にいると
思われる興梠の鳴き声が聴こえてくる。

まるで都心の中にあるオアシスの様な平穏であるその空間で、イキナリ彼
の眼に飛び込んできたのは、俄かに信じがたい光景であった。
27816-3:2001/07/01(日) 03:42 ID:tauOER0w

人通りもまばらな歩道を坂下から歩いてくる少年と少女。少年は、玄関口
でやや躊躇している少女の腕を強引に引っ張りこんで、そのままマンショ
ンの中に消えていこうとしてた。

その時、玄関先の街灯に照らし出されたその少女の顔を見た時、彼の顔は
一瞬にして青ざめ、そして次の瞬間、燃え滾るような憎悪の表情を見せて
いた。

「ほら、ここだよ。意外にデッカイだろ?」
「そうなんだ・・・立派なマンションだね・・・」

少女は、高く聳えるマンションを見上げると、身を縮めて少し後退りした。
自分について来ない少女に気付き、少年は声をかけた。

「ん?どうしたんだよ?早く来いよ」
「ウン・・・でも・・・」
「心配すんなよ。別に家で飯食うだけだからさ。」
「でも、今日はやっぱりよすよ。なんか少し疲れたし・・・」
27916-4:2001/07/01(日) 03:43 ID:tauOER0w

「何でだよぉ、ここまで来たんだからさぁ。イイジャン、遠慮すんなよ」
「でも・・・」
「いいから!こんなトコでこんな風にしてると、一般人にバレンジャン。なっ、早く、早く・・・」

少年の急いた気持ちに促され少女は、押し返す意思も見せられずにただ少
年の言いなりになってそのまま従うしかなかった。少女の心の中には、ど
うしようもないやるせなく切ない気持ちが入り混じっていた。

(・・・もう私は、この子の言うがままになるのかな?)

しかし少女にとっては、そんな事はどうでも良かったのだ。この少年と身
体を重ねる事が唯一、愛すべき人と繋がっていられることに他ならなかっ
たから。いや、そういう風に思い込まなければ、現状を肯定する事などは
出来ようも無かったのも事実であった。
28016-5:2001/07/02(月) 04:43 ID:rrHF6M5E

「・・・急がないと。」

彼はうめく様にひとり呟くと、漸くとハンドルに押し付けていた頭を上げた。
そして、再び冷酷な顔付きに戻ると、静かに車を動かせる。その車は、彼等
二人が消えた建物の前を静かに通り過ぎた。

彼は、止まりたい衝動に駆られながらも心を凍らせてそのままアクセルを踏
み込んでいた。今彼は四度、無表情な悪魔にその顔を変えようとしていた。
28116-6:2001/07/02(月) 04:46 ID:rrHF6M5E

(・・・やっぱりね。・・・こうなるんだ)

煌びやかに瞬く街の灯りが遠くに見えるその窓際で、彼女は一糸纏わぬ姿で
立ち竦んでいた。バスルームから盛りのついた少年がけたたましく叫ぶ声が
聞こえてくる。

「おいっ、ひとみ!お前も入れよ!!」

吉澤は、その美しい瞳から流れ落ちる雫の訳を知りたかった。悲しくも、ツ
ラクもないのに・・・。しかしウインドウに微かに写る自分の顔には、止め処
ない涙の跡が残っていた。

「どこにいるの・・・」

吉澤は今、自分が本当に愛している人の名前を心の奥底で確かめた。ウイン
ドウに写るその顔を指でなぞる。相変わらずバスルームからは、吉澤を呼び
つける貪欲な叫び声が続いていた。

吉澤は、意を決したように、掌でその雫を拭うと、まるで吸い寄せられる様
に、その声の方向へフラフラと歩き出した。再びこの部屋では、やるせない
気持ちと獰猛な欲望が交差していた。
28216-7:2001/07/02(月) 04:48 ID:rrHF6M5E

「これは、何に使うんだい?」
「・・・」
「答えなきゃ、売らないとは言わないけど・・・」
「・・・」

「それにしても・・・」
「あなたは、それをホントに知りたいのかい?」

若からず、それでいて老いてもなく、年齢不詳のその男は、商売相手となる
細身でありながら上背のある青年から鋭く返された言葉の勢いに完璧に飲み
込まれていた。

窓の外には、幾重にも重なり、網の目のよう道標が張り巡らされている日本
最大の首都高速のジャンクションが見える。暗闇の中に、時折光る車のライ
トと規則正しく並んでいる街灯の明かりが、儚くも美しく見えた。

時折走る大型トラックの騒音に邪魔をされながらも、男達の相談は極めて静
かに進んでいた
28316-8:2001/07/02(月) 04:50 ID:rrHF6M5E

「いや、別に。・・・ただ、」
「ただ、何だ?」
「いや・・・、でも、まぁいいか・・・」
「それが互いのために賢明だろ。それにあんたと会うのも、これが最後だよ。」

「・・・それにしても金のほうは、ホントにあれでいいのか?」
「昨日、指定の当座口座に外貨預金で振り込んでおいたが・・・。問題があったか?」
「いや、とんでもない。逆だよ。でも、あんなにいいのかい?かなり多かったが・・・」
「それは、俺からの謝礼だよ。随分とあんたには迷惑を掛けた訳だしな。それに、
俺にはもう金など、用がないんでね・・・」

「それならいいんだが・・・。それにしても金に用がないなんて羨ましい限りだね。
・・・となるとやっぱり、この間の・・・。いや、それは何でもない」

売る側の男は、少し言葉が淀んだ。それは、得も知れぬ恐怖がそうさせたの
かもしれない。長身の男は、冷たい笑いを浮かべ、その男の質問を制した。
28416-9:2001/07/02(月) 04:51 ID:rrHF6M5E

「そうさ。何でもないさ。そうだろ?」
「ああ・・・そうだな。」

怯え切った返事をするその男の振る舞いに、細身の男は少しだけ頬を緩めた。
そして徐に足元に置かれた桐製の大きなケースの一つに打ち込まれていた杭
をレンチで引っこ抜いた。

その中には、新聞紙と細かく切り刻まれた木片に塗れて、透明な液の入った
ボトルが何本も入っていた。

「これで全部か。で、どれくらいあるんだ?」
「ざっと、20缶だ。とにかくこれだけあれば、富士山が軽く吹き飛ぶよ」
「これはいい。それよりも・・・」
「分っているさ。注文された物はそっちの箱だよ、心配するな。」

売人は半ばヤケクソ気味に言葉を放った。そして、アルミ製の大きなケース
を指差し、注意した。

「今更だが全て信管は抜いているけど、持ち運びには、くれぐれも気をつけてくれよ」
「分かっている。それよりも物は大丈夫なのか?」
「任せろ。自衛隊をバカにするなよ。この間の富士宮での合同演習の時くすねてきた
奴だからな。ブツは上等だ」
「そうか。助かるな」
28516-10:2001/07/02(月) 04:52 ID:rrHF6M5E

「この間のより、数段物はいいから。なにせ対装甲戦車用だからな、
その破壊力は凄まじいぞ」
「・・・別に戦争をするわけじゃないんだ。そこまでのものは要らないさ。」
「いや、大サービスよ。それにこんだけのブツは、いつまでも手元に
置けないしな。引き取り手があって、こちらも助かったよ」

窓の外からは、車の走る音が消え、この夜に再び静寂が訪れようとしている。
忙しなく動いていた売り手の男の姿も消えた。

長身の男性は、自らが運転してきた小型トラックに荷物の全てを載せ終わる
と、荷台の上でそのケースを布団にして大の字に寝転んだ。そして満天の夜
空に広がる星屑を眺めていた。

「どうせあと、1回でお終いだ・・・」
28616-11:2001/07/02(月) 04:53 ID:rrHF6M5E

長身の青年は、謎めいた言葉を一人呟き、相変わらず夜空を眺めていた。川
の上を走ってきた少しだけ温い風が優しく吹き抜けた。これで今日を以って
全ての手筈が済んだ事を静かに喜んだ。

しかし、時間がない事も急がなければならない事に変わりはなかった。大き
く背伸びをし、真一文字に口を噤むと、その青年は、運転席に戻り、エンジ
ンを架けた。

その車は、止まる位慎重にユックリと真っ暗な砂利道を走り抜けると、シフ
トを変えスピードを上げた。そして闇から一転して眩しく光るその集団の中
へと溶け込み、消えていった。
28716-12:2001/07/03(火) 02:21 ID:7WGgZqeA

鬱蒼と木々が生い茂る、夜の公園。その北側の端にあるとうとうと横たわる
大きな池の真ん中には、人工的に仕切られたレンガで施された眼鏡橋が掛か
っていた。その頂上付近には、目新しいベンチが居並んでいる。

レトロ調の電燈に照らされて、一人、眼差しを宙に浮かせ、焦点なく漂って
いる少女がいた。

「こんな所に一人でいたら、危ないですよ・・・」
「!!!」

少女は聞き覚えのある声に驚き振り向いた。もう一つある電燈に照らされ、
橋の欄干に腰を下ろしている男性の姿が眼に入る。その人こそ、真希の事を
病院まで一緒に運んでいったあの人だった。
28816-13:2001/07/03(火) 02:26 ID:7WGgZqeA

「どうして、あなたが・・・」
「明日、仕事はないの?こんな時間までこんなところにいて・・・」

吉澤は困惑していた。何故?どうして?そして・・・。様々な想いが頭の中を
駆け巡り、今の状況が把握できずにいた。

彼は暗闇に紛れながらも戸惑う吉澤の顔色を確かに見て取り、イキナリ話を
切り出しす事にした。

「どうして、あの男の家に行ったんですか?」
「!!何で、知っているの・・・」

吉澤は不意を突かれた。知られてはいけない秘密を他人に知られてしまった。
もう後戻りは出来ない。しかしその事実をどうして知られたのか、そして何
故その事を私に伝えに来たのか・・・。吉澤の心に、悪魔の呟きが響いた。

(まさか・・・この人も・・・、そんなのウソだよね・・・。)

吉澤の心は絡まっていた。しかし彼は、そうした乱れる吉澤の想いに反し、
言葉を続けた。しかもその話は、吉澤に違った意味での大きな衝撃を与え
ていた。
28916-14:2001/07/03(火) 03:03 ID:7WGgZqeA

「昨日・・・アイツの家の前にいたんですよ・・・、あの男に用があってね」
「・・・」
「昨日も、そして今日も、あなたは来た。今日は一人で、でしたけど」
「・・・」
「そしてヤツのマンションには入らずに、今、あなたはここにいる。どうしてかな」
「・・・」

吉澤はただただ、続く彼の言葉を待っていた。彼は少し語気を強めながらも
優しく吉澤に語りかけた。

「何故なんですか?真希さんの哀しみを忘れた訳ではないでしょう?」
「・・・」
「返事をしてくれないんですね。別にあなたを責める気はありませんよ・・・確かに
男と女の話は、他人には分りませんからね。あなたがアイツの事を好きになったと
言うなら、それはそれで仕方が・・・」

「違うわ。そんなんじゃ、ありません」

吉澤は、彼の顔をしっかりと見据えて、確かな口調で否定した。彼は少し首を
傾けながら問いを返した。

「じゃあ、何故?」
「それが・・・分らないんです。何でこうなっちゃったのか・・・」

吉澤は苦しげにうめいた。小さく首を左右に振りながら、彼女の苦しい独白
は続いた。
29016-15:2001/07/03(火) 03:04 ID:7WGgZqeA

「偶然に会って、それから・・・。ごっちんに未だ付き纏っているみたいだから、
注意しに家まで行ったのに・・・」
「・・・もしかして、乱暴な事でもされたのですか?」
「ウウン。そうじゃないんだけど・・・。気付いたら・・・、」
「そうですか。でも、・・・どうしてだったのかな?」

「それが・・・わからないの。もしかしたら・・・私、ごっちんと繋がっていたかった
からなのかな。苦しみを分ち合いたかったのかもしれない。そうしないと、
ごっちんと一緒になれない気がして・・・」

彼は、吉澤の真意を測りかねていた。しかし、今吉澤が、苦しい状況に追い
込まれている事だけは、分っていた。今までのあの少年の行動を思い返せば
吉澤に何らかの力を加えているのは明白であった。
29116-16:2001/07/03(火) 03:05 ID:7WGgZqeA

「好きでもない。いや、むしろ嫌いな筈なのに、あなたはあいつの家に行って、
また、抱かれるのですか・・・」
「・・・そんな言い方しないで・・・欲しいな」
「セックスなんて難しい事じゃない、て、真希さんは言ってましたけど、
あなたも同じですか?」
「・・・」

「そうであるならば、それでも構わないですが。他人が自分の価値観を押し付けて
あれこれ言うべきではないでしょうからね。でも・・・」
「・・・でも?」
「でも、あなたの心は、今にも壊れそうなんじゃありませんか?」
「・・・」

彼は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。そして、吉澤の横に座った。そし
て優しく囁くように話し掛けた。
29216-17:2001/07/03(火) 03:06 ID:7WGgZqeA

「・・・真希さんは、もう壊れそうだと言っていましたよ。」
「ごっちんが?」
「私の最後の仕事は、その心が壊れてしまって欠片を拾い集めなきゃならない前に、
それを食い止める事ですから」
「・・・」
「吉澤さんも、もうあの男と会うのは止めた方がいい」
「でも、わたし・・・」

「私もよくは分らないが・・・、人を好きになるのに、苦しみまで背負う必要は
ないんじゃないですか・・・」
「・・・」

吉澤は少し潤んだ瞳で彼を見遣った。彼はその視線に気付くと照れ臭そうに再
び立ち上がり、一人暗闇の中へ向けて歩き始めた。
29316-18:2001/07/03(火) 03:08 ID:7WGgZqeA

「吉澤さん、お送りしますよ」
「・・・でも、今日はあの男の家に行く約束をしているの」
「それは約束とは言わないんです。脅迫というんです」
「・・・」

「ホラ、いいから行きましょう」

吉澤は、大きなストライドで歩き出した彼の後ろを追いかけた。公園の入り
口に見覚えのある小さな車が置いてある。彼は後部座席のドアを開け、そこ
へ吉澤を招きいれた。吉澤は言われるがまま、シートに身を沈めた。

「ご自宅はどこですか」
「でも・・・やっぱり・・・」
「いいから。もう、心配の必要はありませんよ。私が話をつけますからね・・・」

吉澤は、彼の冷徹な言葉を聞きながら、この間、夜を共にした梨華から聞い
た驚きの告白を思い出していた。

(やっぱり、本当だったのかしら・・・)
29416-19:2001/07/03(火) 03:09 ID:7WGgZqeA

吉澤は、運転席でハンドルを握りしめているこの男性に対し、一種の戦慄と
共になんとも言えない柔らかな気持ちが交差し混ざりあい、そして乱れてい
た。吉澤は、そうした想いを抱えきれず、言葉にして放り出した。

「あなたの噂話・・・、聞いたの」
「何でしょう?」
「この間の車の爆破事故・・・、あなたが関係しているかもしれないって・・・」
「そんな話・・・一体、誰から聞いたんですか?」

「梨華ちゃんから・・・」
「石川さん?」

彼はここで、初めてあの日の朝、自宅に来ていた訪問者が誰であるかを把握
した。

(そうか・・・彼女だったか)

彼の思いを横に置いたまま、吉澤の話は続いた。
29516-20:2001/07/03(火) 03:13 ID:7WGgZqeA

「この間、ボクシングジムでね、あなたと朝倉さんが話しているのを偶然聞いて
しまったんだって・・・」
「そうですか・・・」
「それって・・・本当なんですか?」

吉澤の問いは、かなり危険な賭けだった。もしそうならば、今現在、吉澤自
身への身の保障はないのも同じだ。それでも吉澤は聞いてみたかった。今ま
での彼が醸し出していたその優しさを信じたかった。もし違くてもいい、騙
されてもいい。もう一度だけ、誰かを盲目的に信じて見たかった。

しかしそれに続く彼の答えは、いささかの驚きと戸惑い、そして困惑を吉澤
の心に与えた。

「吉澤さんは、悪魔の存在を信じますか?」
「えっ?悪魔?」
「・・・私はね、悪魔に魂を売ったんですよ(笑)」
「・・・どういう?」

「失った時間は帰らない。でも魂を売る事で、その時間を少しだけ返して貰ったんですよ。」

彼は、悪戯っ子の様な笑顔を見せて楽しげに話し続けた。吉澤は、バックミ
ラー越しにその笑顔を瞳に捕らえていた。彼女の困惑は一層増していた。
29616-21:2001/07/03(火) 03:17 ID:7WGgZqeA

「私はその時間を、妹の為に、母の為に、そして・・・梨華さんの為に使いました
・・・あなたの聞いた話の通りにね」
「・・・」
「そして許された最後の時を、あなたと真希さんの為に使う事に決めました。」

彼の小さな車は静かに高速道路の上を走っていた。他の車の影もまばらなそ
の道路の上で、ゆっくりとエンジンは回転し、アクセルは静かに踏み込まれ
ていた。

「もし・・・、それを使い終わっちゃったら・・・、あなたは、どうなるんですか?」
「帰るんです」
「どこにですか?」
「帰るべき場所にですよ・・・」

「そういえば、吉澤さんから真希さんに伝えて欲しい事があるんですよ。
・・・私はこの間守れない筈の約束を真希さんにしてしまいました。」
「何を?」
「もう、何も心配することはないからって・・・、ありがとう、とね・・・」
「あなたは、この後・・・」

吉澤は、続く言葉を飲み込んだまま、思わず眼を伏せた。車は二人の沈黙を
載せたまま、静かに走り過ぎていた。
29716-22:2001/07/03(火) 03:18 ID:7WGgZqeA
彼の心には、今までにない平穏な風が吹き始めている。バックミラー越しに
見える吉澤は、いつの間にか、スヤスヤと眠りについていた。彼は、間もな
く明けようとする東の空を見つめながら、穏やかな笑顔を浮かべていた。

吉澤の家の前、気持ち良く眠り続ける吉澤を起こさずに、自らもシートをや
や傾けて、横になった。

車内には吉澤の静かな寝息のみが響いていた。彼はその音を子守唄にして、
静かに眼を閉じた。  <第10章 了>