1 :
憂。:
私の家には開かずの間というのがある。以前は祖母の部屋だった。
五年前に祖母が亡くなってからは物置になり、何やかんやと要らないもの、
始末に困るものばかりが詰め込まれて、今では誰も開けることもない。
祖母は優しかったが、母とは折り合いが悪くいつも喧嘩になっていた。
この部屋がひどい仕打ちを受けているのは、そんな理由によるのだろうか。
で、その部屋が何処にあるのかというと、実は私の部屋の向かいにある。
私は自分の部屋では振りの練習をしているかテレビゲームをしているかで、
この開かずの間について思いを巡らせることなど、とんとなかった。
――この夜までは。
2 :
憂。:2001/05/04(金) 15:35 ID:ghnLqFM6
私は練習をしていた。自分なりに努力はしているつもりだが、歌やダンスのレベルはあまり上がらなかった。
加入して1年が経つ。きっと他のメンバーもコンサートに向けて、必死に頑張っているのだろう。
私は新曲の振り付けをやっていた。分からない所があって詰ってしまい、先程から全然進んでいなかった。
そうなると眠くなって、ぼんやりとMDを聴いているだけで頭は働かず――ただ時間だけが過ぎていく。
うつらうつらしている自分に気がついて時計を見ると、もう午前二時を回っていた。
明日の朝もコンサートのリハーサルがあるので早く起きなければならない。
私は寝ることにした。頭は朦朧として、練習が予定通りに進まなかったという苛立ちと、
こんなことならもっと早くから寝ていれば良かったという後悔と眠気とでごっちゃになっていた。
3 :
憂。:2001/05/04(金) 15:37 ID:ghnLqFM6
私はふらふらとトイレで用を足して、部屋に戻っていった。
その時、何を勘違いしたのか、私は自分の部屋ではなく、向かいの開かずの間の方のドアノブを握っていた。
あっ間違えた。
そう思いながらも私はドアを開けた。
薄闇の中で私が見る筈のものは、足の折れたソファーや古いステレオ、弦の錆びたギターや
色褪せた食器棚などが隙間なく積み上げられている光景だった。
だが私の見たものは違っていた。
ドアの向こう側には、見渡す限りの広大な砂漠があった。遥か遠くに、平らな地平線が見えていた。
澄んだ夜空には二つの月が浮かんでいた。右のが三日月で、左のが満月だった。青い光に照らされて、
不毛の砂漠が何処までも何処までも――
私はドアを閉めた。
眠い目を擦りながら私は自分の部屋のドアを開け、ベッドに潜り込んだ。
4 :
憂。:2001/05/04(金) 15:39 ID:ghnLqFM6
いつもと変わりない朝だった。机にはMDプレーヤーが置きっぱなしになっていた。
私は、昨夜のことを鮮明に覚えていた。
服を着替えて部屋を出ると、私は向かいの祖母の部屋のドアを見つめた。
ノブを握り、ゆっくりとドアを開けた。
そこには、足の折れたソファーや古いステレオ、弦の錆びたギターや色褪せた食器棚などが、
隙間なく積み上げられていた。全てのがらくたが、うっすらと埃を被っていた。
砂漠など何処にもなかった。
夢だったのだ。私はそう考えた。或いは、ただの見間違いか。
扉の向こうが別世界になっているなんてのは、映画や小説の中だけのことだ。
ここは現実の世界だ。そんなことある訳がない。ただ単調で退屈な日常が、果てしなく繰り返されるだけだ。
5 :
憂。:2001/05/04(金) 15:40 ID:ghnLqFM6
顔を洗って台所に行くと、母が朝食の準備を終えようとしていた。いつもと同じように。
一つだけ違う点は、食卓に父がいることだった。
「おはよう」
新聞を読んでいた目を上げて、父が私を見た。
「おはようございます」私は言った。
父は毎朝八時前に起きているから、私たちと顔を合わせることは殆どない。夜は夜で、
口を開けば『練習しているか』とか『この頃仕事はどうだ』くらいの台詞しか出てこない人間だ。
「今日は珍しく、早く目が覚めたからな」
私の考えを見透かしたように父が言った。相変わらず冷たい無表情だった。
やがて弟が起き出してきた。目が真っ赤で、とても眠そうに見える。弟は中学生で受験が近く、
一番苦しい時期だ。昨夜私が寝ることにしてトイレに行った時も、弟の部屋からは灯かりが洩れていた。
母が料理をテーブルに並べた。久し振りに、家族四人が揃った朝食だった。母はまだ私たちの分の弁当を作っているが。
私は、せっかくだから、昨夜見た奇妙な光景を話してみようと思った。
6 :
憂。:2001/05/04(金) 15:42 ID:ghnLqFM6
「あの、開かずの間のことなんだけど」
母は黙って弁当を詰めていた。父の肩がピクリと動いた。弟が、何を言い出すのかとどんよりした目を向けた。
私は続けた。
「昨日さ、寝る前に間違えてそっちの部屋に入りかけたんだよ。そしたら部屋が砂漠になってた」
母がちょっとびっくりしたような顔で振り向いた。父は無言だった。弟が今の話で眠気が取れたのか、ハハッと笑って言った。
「馬鹿だなーひとみ姉ちゃん、寝惚けてたんでしょ」
「でも凄かったんだよ。地平線が見えたし、ちゃんと空もあったんだ。月が二つ出てて――」
その時父が私を睨んだ。
「無駄口は止めて早く食べろ。遅刻してしまうぞ」
私と弟はびっくりして黙り込んだ。父は無口な堅物で必ずしも楽しい人間ではなかったが、
それでもちょっとした食事時の会話に荒い口調で水を差すようなことはしなかった。
だが今の父の目付きには、殺意さえも含まれているように感じられた。
重苦しい沈黙の中で、朝食は進められた。
もしかして、父は何か知っているのだろうか。そんな思考が私の頭に浮かんだ。
――知っているって何をだ? 昨夜のは私の夢ではなかったのか?
いや、そんな馬鹿らしいことを考えてはいけない。今朝はたまたま、父の機嫌が悪かっただけなのだろう。
私はそう思うことにした。
だが、変化は既に始まっていたのだ。
7 :
名無し娘。:2001/05/04(金) 16:03 ID:yQPjiIbg
序盤age
8 :
憂。:2001/05/04(金) 17:47 ID:ghnLqFM6
私は自転車に乗って出発した。前にカゴの付いたママチャリで、乗り始めた当初は格好悪いから嫌だと思っていたが、
鞄も余裕で収まるし、慣れてみると気にならない。私はこのママチャリを飛ばして二十分ほどで駅に着く。
途中、川沿いの細い道や田圃の中の道を通ったりする。駅から電車を乗り継いで、一時間かけて漸くスタジオに着いた。
入り口を入ってすぐ近くにある靴置き場に靴を入れる。今日は珍しくガラガラだ。
娘。はメンバーが多いので、大抵ここの置場は一杯で、私はいつも裏の置場に回っていた。
レッスン場はスタジオの二階にある。古い木造の建物はなかなか渋い色褪せ具合いで、
歩くだけで軋むと文句を言う人もいるが、私は気に入っている。
レッスン室に入ると、やはり来ている人は疎らだった。いつもはもっと集まっているのだが。
「おはよう」
部屋の隅にいた梨華ちゃんが、私に声をかけた。彼女は私の親友――私の尊敬する、たった一人の存在だった。
「おはよう」
私も挨拶を返した。彼女なら、昨夜私が見たものについての話を、真面目に聞いてくれるだろうと思った。
だが私が話し出す前に、先生がやってきてレッスンが始まった。
9 :
憂。:2001/05/04(金) 17:48 ID:ghnLqFM6
今日はちょっと早いな。私は自分の鞄から練習の資料を取り出しながら、おかしなことに気がついた。
先生が違う。今日は火曜日で、夏先生のダンスレッスンの筈だ。だが目の前に立っているのはボイトレの先生だった。
ハハ。先生が間違えたのだ。一瞬私はそう思ってにやりとした。
だが周囲を見回すと、メンバー達は皆、ボイトレの譜面を手にしていた。私は自分の顔に血が昇るのを感じた。
私が間違えたのだ。なんてこった。これじゃあ朝早く起きてスタジオに来た意味がない。
念の為、隣にいた保田さんに小さな声で聞いてみた。
「あの、今日はダンスレッスンじゃなかったんですか」
保田さんは、何言ってるんだこいつ、というような目で私を見た。
「今日は火曜でしょ? ボイトレだよ」保田さんは言った。
私は恥ずかしさで頭が一杯になっていた。私は黙ってダンスレッスンの資料を鞄にしまった。
ボイトレは私の事情に関わりなく進められた。保田さんは譜面を私に見せてくれなかった。
もっと人情味のある人だと思っていたのに。私は内心で保田さんを恨んだ。
「じゃあ、次は吉澤さんね」
先生が私の名を呼んだ。そして私が譜面を持ってないことに気づいた。
「ふ、譜面を忘れました」
仕方なく私は言った。
先生は呆れ顔で私を見た。
「それじゃああなたは何のためにレッスンを受けてるの?」
十人ぐらいいたメンバー達が、笑い声を上げた。それは嘲笑に近かった。
10 :
憂。:2001/05/04(金) 17:50 ID:ghnLqFM6
ただ梨華ちゃんだけは笑わなかった。彼女は無言で立ち上がり、譜面を持って、
私の隣に立った。そして譜面を私にも見せてくれた。私は梨華ちゃんに救われた。
「今日はダンスレッスンだと思ってたんだ。ずっと、火曜日はダンスレッスンだと思ってた。
今までそれでやってこれたんだ」
レッスンが続けられる中、私は小声で梨華ちゃんに囁いた。
「火曜日は前からボイトレだけど」梨華ちゃんは言った。
私は自分の手帳を取り出した。スケジュールを書き込んだ欄をめくる。
火曜日の朝は、ダンスレッスンになっていた。春休みの始めに、私が自分で書いたものだ。
ずっとこれを見ながら準備をしてきたんだ。私はこのスケジュールを、隣の梨華ちゃんに見せた。
梨華ちゃんは、じっとそれを見ていた。
やがて、真剣な表情で頷いた。
11 :
憂。:2001/05/04(金) 17:55 ID:ghnLqFM6
>>9 ミスった。どうでもいいところだけど
×十人
○五人
12 :
クズ学生:2001/05/04(金) 19:05 ID:eHZvb2.o
13 :
名無し娘。:2001/05/04(金) 19:18 ID:yYySho/I
なにやらサスペンスのかほり…
14 :
憂。:2001/05/04(金) 22:13 ID:0ORqP2u2
レッスンが終わった頃には、他のメンバー達も揃い始めていた。加護や辻やごっちんなどの
親しいメンバーも、私と梨華ちゃんの周りに集まった。
「昨日の夜、妙なことがあったんだ」
私はそう切り出して、開かずの間が砂漠になっていたこと、
朝もう一度開けた時にはがらくたの山に戻っていたことを話した。
「夢やろ、夢」
加護は笑いながらそう言った。
「どう思う? 朝のレッスンも変わってるし――誰も気づいてないけど。でも私は、先週までは
火曜がダンスレッスンだったって断言出来る。昨日のことと、何か関係があるかな」
私は本当に気味が悪かった。梨華ちゃん以外のメンバーは、ただ面白がっているだけだった。
梨華ちゃんが暫く考えてから、重々しく口を開いた。
「幾つか考えられるわ」
私たちは黙って梨華ちゃんの次の言葉を待った。
そして彼女は言った。
「一つは、あなたが寝惚けていたか、夢を見ていたか」
15 :
憂。:2001/05/04(金) 22:14 ID:0ORqP2u2
メンバーはどっと笑った。梨華ちゃんが真面目な顔でそんなことを言うものだから、
思わず私も一緒に笑ってしまった。そう、彼女は冗談で言っているのではない。
私は彼女のことをよく知っていた。彼女はいつでも真剣だ。
街をメンバーで歩いていて不良に絡まれた時、梨華ちゃんは一人で彼らを追い返してのけた。
すぐ暴力をふるうことでマネージャーが特に理由もなくメンバーを殴った時も、
梨華ちゃんは一人で抗議して署名を集め、マネージャーをクビに追い込んだのだ。
梨華ちゃんは何事にも妥協しない強い意志と理性で、自分の道を切り開いてきた。
とても1コ上とは思えない、その大人びた雰囲気。それは、この汚い社会に氾濫する
醜い大人達ともまた違っていた。彼女は私の最も信頼する友人であり、決して届かない目標でもあった。
「今朝のレッスンについても、あなたの勘違いだったかも知れない。まずそれが一つ」
「砂漠のことは夢だったかも知れないけど、レッスンのことは納得いかないな。私は自分の記憶に自信があるんだ」
私は反論した。
「そう」
梨華ちゃんが、何故か意味ありげに私を見た。そして次の可能性を説明した。
16 :
憂。:2001/05/04(金) 22:16 ID:0ORqP2u2
「二つ目は、これらが全てあなたの夢であること」
「え」
私には、その意味が分からなかった。全てって何だ?
「昨日見たことから今話していることも、全てがあなたの夢の続きかも知れないということ。
つまり、あなたはまだ夢を見てるのよ」
「今ここにいる梨華ちゃんも本人じゃなくて、私の夢の登場人物なの?」
とすると夢の中の人物が、わざわざこれは夢だと説明してくれていることになる。
「ただこれはあなたの立場からの可能性の一つであって、実際は正しくない。私には実際にあなたが見えているから、
私にとっては私の方が夢を見ているかも知れないということになるわ。でも質問しているのはあなただし、
その可能性はあなたには関係ないわね。結局のところ、これがあなたの夢でないことは私には分かっているけど、
それをあなたに証明することは出来ない」
「いいよ。よく分からないけど、信じるよ。これは夢ではない、と。他の可能性は?」
梨華ちゃん以外のメンバーの表情が、次第に冷たくよそよそしいものに変わっていくことに私は気づいた。
どうしてだろう。でもそんなことより私は、梨華ちゃんの答えの方が気になっていた。
17 :
憂。:2001/05/04(金) 22:18 ID:0ORqP2u2
「三つ目は――」
梨華ちゃんは、強い目つきで私を見た。そして、ゆっくり、はっきりと、それを口にした。
「世界とは、元々そんなものだということ」
「……。ど、どういう――」
その答えは、二番目の可能性よりも意味不明なものだった。
「あなたは、この世界が絶対に確かなものだと信じてるの?」
梨華ちゃんは、瞬きもせずに訊いた。
「た、確かって、ここは現実でしょ」
「現実とは何のことなの? それは勝手に私達が信じてるだけ。実際に私達が世界だと思っているものは、
自分の感覚というフィルターを通して入ってきたものに過ぎないわ。全ては自分の感覚でしかない。
物理法則なんてただの仮説なのよ。あなたは、夢の中の人物の話を信用出来るの?
世界とは、私達が考えているようなものではないのかも知れないのよ」
「だ、だって法則は法則だし、今までそれでやってこれたんだから――」
私は動揺していた。どうしてこんな話になってしまったのだろう。現実が確かかどうかなんて、考えたこともなかった。
「今まではそうだったかも知れないわ。でもこれからもそうとは限らない。それが、三つ目の可能性よ」
私は、何と言っていいのか分からなかった。
「馬っ鹿じゃないの。訳分かんないよ」
ごっちんが唇を歪めて言った。私と梨華ちゃん以外のメンバーは、冷たい目付きで離れていった。
彼女達の目には、怯えのようなものがあった。彼女達の様子は何処かおかしい、いつもと違っている。
これはどうしたことだろう。
梨華ちゃんは、彼女達の暴言を無視していた。ただ真剣な顔で私の目を見つめていた。
18 :
憂。:2001/05/05(土) 01:33 ID:geBwlBWA
レッスンの方は、朝のボイトレ以外は何のトラブルもなく進んでいった。
夕方までのリハーサルも終わり、私は夕焼けを浴びながら自転車を飛ばしていた。
朝に梨華ちゃんの言ったことが、ずっと頭の中に残っていた。
川沿いの道を走っている時、ガツンと前輪から嫌な衝撃が伝わってきた。硬くて柔らかい感触。
しまった。何かを轢いてしまったようだった。考え事をしていて前をよく見ていなかったせいだろう。
猫とかだったら嫌だな。私は自転車を止めて振り向いた。
猫ではなかった。細い自転車道の真ん中に、肌色の物体が転がっていた。
それは――人間の、切断された手首から先の部分だった。
私の自転車が轢いたタイヤの痕が、手の甲に残っていた。
手首のぐちゃぐちゃになった断面が覗いていた。
夕焼けが、私と手首を真っ赤に染めていた。
私は前を向き直り、自転車を走らせた。二度と振り返らなかった。ペダルを漕ぐ足に力が篭った。
19 :
憂。:2001/05/05(土) 16:48 ID:juBsiXPI
「お帰り」
台所で夕飯の支度をしていた母の言葉には、いつもと違って元気がなかった。
「お母さん――どうしたの?」
私が聞くと、母は眉間に皺を寄せ、辛そうな顔をして言った。
「気分が悪いのよ。頭も痛いし」
幾分顔色も青かった。
「無理しないで、寝てた方がいいんじゃない? 夕飯は私と弟で作るよ」
「いいや、大丈夫」母は言った。
「そう」
私は自分の部屋に向かった。
20 :
憂。:2001/05/06(日) 16:56 ID:614XfVzg
私の部屋から、テレビゲーム機が消えていた。数十本のゲームソフトも跡形もなく消えていた。
弟が自分の部屋に持っていったのか。最初私はそう思った。弟も結構ゲームが好きなのだ。全く、受験が近いくせに。
でも、新しいのから古いものまで、一度に全てのゲームソフトを持っていったりするだろうか。
弟ではないとすると、父が持ち出したのか。ゲームなどしないで練習しなさいと時々言っていた。
今朝の態度からいっても、だらしない私に腹を立てて、ゲームを全部処分してしまった可能性がある。
畜生。そんなに毎日何時間もやってる訳じゃないのに。ここまでしなくてもいいじゃないか。
それならと、本棚からコミック本を取ろうとして、私は、コミックごと、
本棚が丸々一つ消えていることに気づいた。その本棚には、大事な小中学校の卒業写真や、
教養をつけるためと父が買ってくれた世界名作文学集も収まっていた筈だった。
いくら何でもこれは異常だった。更に私は、本棚の重みを一身に背負い、陥没しかかっていた床が、
そんなことなどなかったかのように真っ平らに戻っているのを見た。
21 :
憂。:2001/05/06(日) 16:57 ID:614XfVzg
少しして弟が学校から帰ってきた。私は弟の部屋に行ってテレビゲームと本棚が失くなっていることを告げた。
「僕は知らないよ」弟は言った。
やがて夕飯が出来たと、母の力ない声が聞こえてきた。
「母さん、気分が悪いってさ。何か手伝ってやったら?」
私が言うと、
「ふうん」
弟はまるで心配していないようだった。
私は母にも、テレビゲームと本棚のことを聞いてみた。
父が私の部屋に入るようなことはなかったし、知らないということを、母は弱々しい口調で答えた。
この日の夕飯の、じゃが芋の煮っ転がしは、異様に甘い味がした。
母は調子が悪くて、味付けを間違ったのだろう。私は思ったが、黙っていた。
22 :
憂。:2001/05/06(日) 16:59 ID:614XfVzg
夜はテレビくらいしか娯楽がなくなったので、私は練習を始めた。
昨夜の新曲の続きをやった。できなかった箇所は飛ばして、できそうな所だけをこなしていった。
途中、弟の部屋から馬鹿笑いが聞こえてきた。何をやっているのだろう。テレビでも見ているのか。受験が近いくせに。
またできない振りにぶち当たった。もう少しでできそうなんだが、何かが足りない。
そこで詰っているうちに、頭がぼんやりしてきて、気がつくとまた午前二時を過ぎていた。
私は悪態をついて寝ることにした。
トイレに行った後、開かずの間には触れることなく、自分の部屋に戻った。
そして寝た。
23 :
名無し娘。:2001/05/06(日) 22:56 ID:oLKFyMHY
期待してるぞ
いつも通りの朝だった。父の姿はなかった。まだ寝ているのだろう。
母は台所で朝食と弁当を作っていた。
「具合いは良くなったの?」
私が尋ねると、母は振り返らずに答えた。
「ええ。調子はいいわよ」
母は黙々と料理を作っていた。その後ろ姿だけが見えていた。
弟が眠そうに起き出した。
「昨日笑い声が聞こえてたよ」
私が言うと、弟はさも可笑しそうに笑った。
「ハハハ、ハハ。馬鹿だな、僕は受験生なんだよ」
何が可笑しいのか、私にはさっぱり分からなかった。
弟に気を取られているうちに母が朝食を並べ、私たちは食べ始めた。
七時四十分に、私は自転車で出発した。昨日の帰り道での、嫌な感触を思い出した。
25 :
憂。:2001/05/07(月) 14:39 ID:ZGDElbUI
朝のレッスンはボイトレではなくダンスレッスンだった。私は念のため全部の資料を持ってきていた。
ダンスレッスンが終わり、ミーティングが過ぎて振りの確認、リハーサルと進んでいく。
レッスンの内容自体は以前と何の変わりもない。先生の言ってることも変わらない。
なのに何故、メンバーの皆はこうも笑うのだろう。
誰もが、先生のつまらないギャグに大笑いする。何でもないことでも、文字通り腹を抱えて笑っている。
先生も笑ってレッスンが中断することもある。皆、本当に楽しそうだ。
最初のうちは私も皆の笑いに乗せられて面白くもないのに笑っていたが、
次第に自分の笑みが引き吊ってくるのを感じた。メンバーの笑い声が、スタジオ中にこだましている。
実に明るく楽しいレッスンだ。――薄気味悪いほどに。
私の目は救いを求めるように梨華ちゃんを探していた。梨華ちゃんは笑っていなかった。
微笑さえ浮かべていなかった。私は安心した。そして笑うのを止めた。
先生が、その時ちらりと私の方を見た。
26 :
憂。:2001/05/07(月) 15:27 ID:ZGDElbUI
休憩時間になっても、辻や加護やごっちん達は私の近くに寄ってこなかった。
私は部屋の隅で、梨華ちゃんとだけ話した。
「皆、何か変だよ」
私は梨華ちゃんに言った。ついでに昨日の帰り道で見た、人間の手首のことも話した。
「人間に、意思はあると思う?」
梨華ちゃんは、全然別のことを聞いてきた。
「どういう意味?」
「自分の意思は、本当に自分の意思だと思う?」
梨華ちゃんの目は、真っ直ぐに私の目を見つめていた。
「――自分の意思なら自分の意思でしょ」
「そもそも意思とは何なんだろう。それは本当に自分が造り出したものなのかな?
アタシは時々思うことがある。意思や感情などはアタシの頭の中に勝手に浮かんでくるだけで、
アタシは自分の体が勝手に動いているのを見ているだけ、自分で動かしてるつもりになってるだけなのかも知れないってね」
梨華ちゃんの目は鋭かった。その言葉は、私の心に強く残った。
いつの間にか、メンバーの皆が私たちのことをじっと無言で見ていた。
――まるで、邪魔者や敵を見る目付きだった。
梨華ちゃんが自分のことを『アタシ』と言っていたことに気づいたのは、後になってからのことだった。
27 :
憂。:2001/05/08(火) 11:07 ID:/9DQCNuE
家に帰ると母は相変わらず元気がなかった。
大丈夫、何ともない、と母は生気のない声で言った。
弟は、少し風貌がチャラチャラしてきたように見える。
驚いたことに、耳にピアスをしていた。弟の学校は許しているのだろうか。
夜になって父が帰ってきた。私はテレビゲームと本棚のことを聞いてみた。
「うるさい。そんなこと俺が知るか」
父は凄い剣幕で叫んだ。私はびっくりして黙り込んだ。
父のこめかみには青い血管が浮き出ていた。
28 :
憂。:2001/05/08(火) 11:08 ID:/9DQCNuE
私は自分の部屋で練習をしている。
それしかすることがない。
私の部屋から、また何かが失くなったような気がする。
でも、何が消えたのか分からない。覚えていない。
新曲の振り付けはなかなか進まない。
弟の馬鹿笑いが、こちらまで届いてくる。
何かおかしい。何かが変わっている。
ふと時計を見ると二時だった。
私は寝ることにした。
振り付けの練習は、1コーラスも進んでいなかった。
ズル、ズル、ズル。
何かがずれていく音が聞こえている。
ズル、ズル、ズル。
29 :
23:2001/05/08(火) 18:05 ID:2OjC6AHM
ホントにここ、俺以外は誰も見てないみたいね。
30 :
名無し娘。:2001/05/08(火) 19:21 ID:K/jOrcNQ
いや、俺も一日2回はチェックしてるよ。スレ立ったときその場にいたんでそれ以来ね。
感想とか書くと作者に迷惑かなと思ってたけど、ちょっとだけならいいよね?
文章は淡々としているけど読んでるうちについついハマってしまう。
今のところ全然先が読めない。何が起こっているのかすごい気になる。
偶然みつけたミステリアスで面白い深夜番組って感じです。
31 :
憂。:2001/05/08(火) 21:06 ID:B8oh2/12
スタジオ。別に変わったことはない。
皆、ただ笑っているだけだ。
この頃、レッスンのスピードが少し速くなったような気がする。
いや、私の勘違いだった。逆に遅くなっているんだ。
先生が、時々私の方をちらっと見る。仲の良かったメンバーとも、完全に断絶してしまった。
どうしてなのか分からない。私が笑っていないからか。笑わないといけないのか。
練習をしているだけではいけないのか。
梨華ちゃんも笑っていない。彼女は前と全然変わっていない。
良かった。
32 :
憂。:2001/05/08(火) 21:11 ID:B8oh2/12
母は元気がない。この頃は、淡々と台所で料理を作っている姿しか見ない。
弟の格好は段々派手になってきた。やっばり夜中の馬鹿笑いは続いている。
父は怒りっぽくなってきたようだ。ちょっとしたことで怒鳴り声を上げる。
会社で嫌なことでもあるのだろうか。母はじっと黙って耐えている。無表情に耐えている。
私の方は変わりない。たまにスケジュールを間違えたり、スタジオへの道を間違えることはあるが、概ね順調だ。
道を間違えるだって。一年も通い続けた道を。でも間違えるのだからしょうがない。
十分か十五分遅れて着くくらいで、大した問題ではない。
練習――練習はやってるよ。もう加入二年目になるんだから。父も、私の顔を見るといろいろとうるさい。
私の部屋から、何かが失くなっているような気がする。何が失くなっているのかは、分からないが、
そんな気がする。勉強机とベッドだけは死守したい。
この頃、頭がクラクラする。頭の中を誰かに手でかき回されているような感じだ。
世界とは、元々そんなものだ。自分の意思は本当に自分の意思なのか――梨華ちゃんの言葉をよく思い出す。
世界はともかく、自分の意思は自分の意思の筈だ。私は自分の意思で生き、自分の意思で練習をしている。
多分。
33 :
憂。:2001/05/09(水) 17:09 ID:pPOYZpLU
今日の帰りも迷った。見知らぬ建物と風景。ここら辺は一本道だったのに、どうして私は迷ったのか。
進み続けていれば、必ず知っている道に出会うだろう。そう信じて私はペダルを漕いでいた。
いつしか左右には同じ形をした白い建物が延々と並んでいた。小さな病院のような雰囲気だった。
時々何処かから誰かの悲鳴が聞こえてくる。
腕時計を見ると、七時だった。もう一時間以上も、自転車を漕いでいることになる。
道端に人が座っていた。中国人っぽい女の人だ。
私は道を尋ねようと止まりかけたが、女の口から涎が垂れていることに気づいて、そのまま通り過ぎることにした。
「アナタ、美和チャンネ。小湊美和チャンデショ」
その時、女が私に向かって言った。
私は小湊美和じゃない。吉澤ひとみだ。
女は立ち上がっていた。女の目は異様な光を帯びていた。
「違います」
私は自転車を止めずに言い捨てて、女の傍らを過ぎた。
「イヤ、アナタ、美和チャンネ。私ダヨ、ルルダヨ」
女はよたよたと私の方についてきた。涎がぽたぽたと地面に落ちた。
私は黙ってスピードを上げた。
34 :
憂。:2001/05/09(水) 17:19 ID:pPOYZpLU
「美和チャン、美和チャンッテバ。待ッテヨ」
女は道路の真ん中を走って私を追ってきた。
私は更にスピードを上げた。額に冷たい汗が滲んでいた。
振り返ると、女は両腕を前に突き出した奇妙な格好で、私を追っていた。
その速度は信じられないほどに速く、全力で漕いでいる自転車に追いつきそうだった。
「私は小湊じゃない。吉澤ひとみだ」
私は叫んだ。
「美和チャン。待ッテヨ。美和チャン」
女は聞く耳を持たなかった。女は虚ろな笑みを浮かべていた。
「助けて。誰か助けて」
私はとうとう悲鳴を上げていた。だが道には私と中国人の女以外は誰もいなかった。
ここはしーんと静まり返っていた。さっき聞こえていたのは、私の悲鳴だったのだろうか。
突然そんな考えが浮かんできた。いいや、そんな筈はない。こんな時に何を考えてるんだ私は。
「美和チャン。ミーワチャーン」
私は必死でペダルを漕いだ。にも関わらず女の声はどんどん迫ってきた。
35 :
憂。:2001/05/09(水) 17:20 ID:pPOYZpLU
「ミイイイイイイワチャアアアンンンン」
女の手が、私の首に伸びた。
私は自転車ごと転倒した。その時道の向こうから猛スピードで大型のトラックが走ってきた。
トラックはふらついていた。トラックは倒れた私に掴みかかろうとしていた中国人の女にぶつかった。
女は凄い勢いでふっ飛んだ。壊れた人形のように地面に落ちた女を、更にトラックが轢いていった。
女は悲鳴を上げなかった。ただ肉と骨の裂ける音がした。
私の目の前に、何かが飛んできてボタリと落ちた。
女のちぎれた手首だった。
この前見た手首は、これだったのかも知れない。そんな考えが浮かんだ。
否定するのも面倒だった。私は疲れていたんだ。
トラックはとうに消えていた。
道路には女のバラバラの肉片が散らばっていた。
私は起き上がって自転車に跨った。五分も経たずに見慣れた道に戻れた。
36 :
憂。:2001/05/10(木) 18:14 ID:lERaJHYY
モーニング娘。に見知らぬ人が増えてきた。新メンバーなのか。でも自己紹介もなかった。
皆とは自然に溶け込んでいる。一緒に笑っている。
娘。としての人数は増えていない。誰かが代わりに辞めたのだろうか。
でも、誰がいなくなったのか、分からない。
梨華ちゃんに話してみた。
「私には、新しい人なんて誰も入っていないように思えるわ。娘。のメンバーは前と変わってない」
彼女は真面目な顔でそう言った。
「私の記憶力がどうかしちゃったのかな。この頃よく道に迷うし。頭がクラクラするんだ」
少し考えて、梨華ちゃんは助言してくれた。
「日記をつけてみるといいわ」
私はそうすることにした。
37 :
憂。:2001/05/10(木) 18:37 ID:lERaJHYY
家に帰って脱いだ服を掛けようとして、ハンガーが失くなっていることに気づいた。
まあいい。気づいただけでもめっけものだ。服は床に投げた。
私は新品のノートを取り出した。
今日は何日だったかな? 私は壁に健在だったカレンダーを見た。
――六月三十五日だった。
六月のカレンダーは、日付が四十八日まであった。
私は黙って日記を書き始めた。
いつの間にか、私は泣いていた。
空が、緑色をしている。
空って、どんな色だったっけ。
日記に書いておこう。忘れないうちに。変わらないうちに。
38 :
憂。:2001/05/10(木) 18:38 ID:lERaJHYY
ダンスの先生が別人になっている。
「あの先生、名前何でしたっけ」
私は隣の飯田さんに聞いてみた。
飯田さんは先生の話に大声で笑っているだけで、私の質問に耳を貸してくれなかった。
レッスンが終わった後、梨華ちゃんに聞いてみた。
「夏先生よ」
夏先生はあんなに太っていなかったし、眼鏡もかけていなかった筈だ。
変わってきたのは私の頭なのか。それとも世界の方なのか。
梨華ちゃんが気づいていないことも多い。
でも梨華ちゃんだけは変わっていない。
良かった。
39 :
憂。:2001/05/10(木) 18:41 ID:lERaJHYY
母は死人のような顔色をしている。動作も鈍い。
父は始終怒っている。いつも額に何本も血管が浮いている。
弟は髪を赤く染め、堂々と煙草を吸っている。皆、何も言わない。時々弾けたように笑い出す。
姉の紗耶香はテレビゲームばかりしている。本当にしようのない人だ。
あれ?
私に姉なんかいたっけ?
元々私たちは二人姉弟で、姉の紗耶香と私あさみ――
私の名前はあさみだっただろうか。姉も両親も、私のことをあさみと呼んでいる。弟は私を姉貴と呼んでいる。
昔はもっと違う名前だったような気がする。ひと――ひと――思い出せない。
いやそうじゃない。私は元々あさみだったのだ。何を考え違いをしているのだ私は。
姉の紗耶香はテレビゲームをしている。
一番最初に私の部屋から失くなったのは何だったのか。
まあいい。練習をしよう。新曲の振り付けを。
これだけは前と変わってない。
40 :
憂。:2001/05/10(木) 18:42 ID:lERaJHYY
何となくテレビをつけてみた。
深夜のニュースをやっていた。
「今日午後三時頃、小湊美和サン宅ノ小湊美和サンガ小湊美和サント小湊美和サンデ小湊美和サンノ――」
キャスターは、私の顔をじっと見ていた。
キャスターは笑っていた。
「美和チャン、待ッテヨ、ミワチャーン、ミイイイイイイワチャアアア――」
私はテレビのスイッチを切った。
弟の馬鹿笑いが聞こえてきた。
練習の続きをやろう。
41 :
ななっすぃー:2001/05/11(金) 00:41 ID:smdgQqVo
面白いすね。
なんか、不思議な感じな小説だ・・・。
42 :
し:2001/05/11(金) 01:32 ID:Q.EEF/Aw
43 :
し:2001/05/11(金) 01:37 ID:/4WxPQWY
44 :
憂。:2001/05/11(金) 21:05 ID:u1t/euis
スタジオのリハーサルは、内容のないものだった。
先生が笑い、メンバーが笑い、先生が笑い、メンバーが笑い、それの繰り返しだ。
私は騒音の中、一人新曲の振り付けをやっていた。
午前の最後のレッスンが始まった時、見知らぬ夏先生(私の知ってる夏先生は女の先生だった。
でも多分、同一人物なのだろう)が私と梨華ちゃんに言った。
「君達は別のレッスンを受けてもらうよ」
何故私達だけなのか。
きっと、笑わなかったせいだろう。
カマキリのように痩せた夏先生は私たち二人に大型のスコップを持たせ、裏道の片隅に連れていった。
「穴を掘れ」
先生は冷たく言った。
私と梨華ちゃんは顔を見合わせた。やがて梨華ちゃんが土を掘り始めた。
私も黙ってスコップで掘り始めた。
レッスン室からは相変わらず笑い声が聞こえてきた。いつの間に、
スタジオは鉄筋コンクリートになったのだろう。木造の建物を、気に入っていたのに。
45 :
憂。:2001/05/11(金) 21:07 ID:u1t/euis
穴掘りは、しんどい作業だった。先生は見ているだけで手伝ってくれなかった。
私達は無言で穴を掘り続け、一時間以上かけて深さ一メートルほどの穴を掘り上げた。
私達二人が充分収まってしまいそうな広さだった。
そして夏先生が、次の命令を下した。
「埋めろ」
「……」
「埋めろ。土をかけて元に戻せ」
「それじゃあ何のために掘ったんですか」
梨華ちゃんが強い口調で言った。
「先生の言うことが聞けないのか。これはレッスンなんだぞ」
夏先生は傲慢な態度を崩さなかった。
私達は仕方なく、せっかく掘った穴を埋め始めた。
四十分近くかかって、漸く穴が埋まった。私達は足やスコップで盛り上がった土を平らにならしていった。
「それじゃあこっちを掘れ」
先生はまた別の地面を指差した。
「もうレッスンの時間も終わりましたよ。今は休憩時間です。それでもまだ続けるんですか」
梨華ちゃんが聞いた。
「つべこべ言うな。さっさと掘ればいいんだ」
私達は汗だくになって掘り続けた。こんなことに何の意味があるというんだ。
でも笑っているだけのレッスンも大差ないか。穴掘りの方が体力はつくな。ハハハ。
更に一時間が過ぎ、前と同じくらいの穴が出来た。
駄目押しのスコップを入れた時、カツンという硬い感触があった。
石のかけらかな。それとも――
梨華ちゃんはそれに気づいた様子はなかった。それよりも先生の次の言葉が問題だった。
「埋めろ」
「……。先生――」
ついに梨華ちゃんが切れた。彼女はゆっくりと穴から這い上がり、先生の前に立った。
背があまり高くない彼女は、自然に先生を見上げる形になっていた。彼女の目は憎悪に燃えていた。
私は、期待と不安の入り混じった複雑な感情を抱きながら、穴の底から見守っていた。
「早く埋めろ」
梨華ちゃんの迫力に怯みがちになりながらも、威厳を保とうとして夏先生はヒステリックに怒鳴った。
「何のためにです」
反対に、梨華ちゃんの声は冷静だった。
「うるさい。さっさと埋めろ。先生に逆らうのか」
「自分でも、何故こんなことをさせているのか分からないんじゃないですか?」
梨華ちゃんの言葉は、先生の心に強い衝撃を与えたようだった。
「な、なんだと――」
先生は目を見開いた。それは、恐怖の表情に似ていた。
47 :
憂。:2001/05/11(金) 21:15 ID:u1t/euis
「スタジオは一夜にして鉄骨になったし、空は緑色になった。自分の顔も性別さえも変わっていくわ。
記憶は疑問を述べないけど、心の隅ではおかしいと思っている。でもそれを認めることが怖いのよ。
皆、当然のように動いている。疑問を口にすることは出来ないの。世界がどうしようもなく
変わっていくことを認めて、支えを失うのが怖いのよ」
梨華ちゃんは、楔を打ち込むように、重い言葉を紡いでいった。
「黙れ」
夏先生は梨華ちゃんの頬を殴りつけた。
梨華ちゃんはきっとなって先生を見返した。
そして大型スコップを勢いよく振った。
「ウギャアアアア」
悲鳴を上げた先生の首がカクンと横に折れ曲がった。スコップの薄い縁が刃物のように
先生の首筋に食い込んでいた。血が噴き出して、先生はゆっくりと地面に倒れた。
48 :
憂。:2001/05/11(金) 21:18 ID:u1t/euis
「梨華ちゃん――」
私は穴の底から親友を見上げた。
梨華ちゃんは無表情に先生の死体を見つめていた。
「ど、どうするの?」
私の体は小刻みに震えていた。
「どうもしないわ。世界とはそんなものなのよ」
梨華ちゃんは落ち着いていた。そこに死体などないかのように。
「もう穴掘りは終わりよ。戻ってお昼でも食べましょう」
「で、でも、先生の死体はどうするの? 警察が――」
「知らなかったの?」
梨華ちゃんはちょっと驚いたような顔で私を見た。
「もう、警察なんてものは存在しないのよ」
梨華ちゃんの声は悲しげだった。
いつの間にか、レッスン室から聞こえていた馬鹿笑いはやんでいた。
スタジオを見ると、レッスン室の窓から、メンバーが私たちの方をじっと見つめていた。
49 :
憂。:2001/05/11(金) 21:24 ID:u1t/euis
「あなた達は認めるのが怖いだけなのよ」
梨華ちゃんが、メンバーに向かって大声で叫んだ。
彼女達は後ろめたい表情を見せ、無言で奥に消えた。
「さあ、行こう」
梨華ちゃんは死体をそのままにして歩き出した。
私も戻ろうと思ったが、スコップの先に引っ掛かった硬いものが気になっていた。
土から覗いている、白い光沢。私はしゃがんで、両手で土を掻き分けてみた。
それは、人間の頭骸骨だった。
どれくらい前から埋められていたのだろう。私は頭蓋骨を掲げてよく観察してみた。
右に三個、左に二個の銀歯。
私の銀歯の位置と同じだった。
これは私の頭蓋骨だったのだ。唐突にそう感じた。
きっとそれは正しいのだろう。
今の私には一本の銀歯もないんだから。
50 :
憂。:2001/05/12(土) 02:11 ID:WPADL0uw
私の家の表札は、小湊になっていた。
私は小湊美和だ。そうでしょ?
母は左手の人差し指に包帯を巻いていた。
「ちょっと包丁で切っちゃってね」
ゾンビのような虚ろな表情で、母はそう言った。
母の人差し指が少し短くなったように見えるが、気のせいだろうか。
母と弟と私だけの夕食だった。父はまだ帰ってきていない。
姉は自分の部屋に篭ってゲームをやっている。姉はそういう人だ。
51 :
憂。:2001/05/12(土) 02:12 ID:WPADL0uw
味の狂った夕食のスープの中に、ガキリと硬いものがあった。
口から出してみると、それは薄い肉のついた骨だった。
片面には、爪のようなものがあった。
「ああ、ここにあった。探してたんだよ」
母が私の手からそれを取り上げて、口を笑みの形に吊り上げた。
バリッ、と、音がして、乾いた母の口が裂けた。
母とはそんなものなのだ。
私は立ち上がり、トイレに走った。吐くためだ。今まで食べたものを全部。
「ハハハ。ハハ。ギャハハー。ギャハハハー」
弟が狂ったように笑い出した。最近弟は目が大きくなったような気がする。漫画みたいだ。
短かった髪が腰まで届くようになり、派手な色のピアスをじゃらじゃら付けている。
不便じゃないのか。弟とは、そんなものだ。
52 :
憂。:2001/05/12(土) 09:17 ID:wWZ2iBjc
自分の部屋に戻ると、ベッドが跡形もなく消えていた。布団もない。
今夜からどうやって寝ろというんだ。私は腹が立った。
かつてベッドのあった壁際に、一人の女性が膝を抱えて座っていた。
痩せぎすの、青白い顔の女性だった。
「誰だあんた」
私は聞いてみた。もしかすると新しい私の姉か。
私だけの部屋だったのに、今日から共同で使えというのか。
「私は――医者だべさ」
女性はぼそぼそと答えた。
「なんでここにいるの? ここは私の部屋だよ」
もう勉強机しかないけど。
「あなたを――治療しに――来たっしょ」
そう言うと、女性はニッと暗い笑みを浮かべた。
「わ、私は何処も悪くない」
「――嘘だべ」
女性の笑みは、益々強まった。
53 :
憂。:2001/05/12(土) 09:19 ID:wWZ2iBjc
「本当は――分かってるんだべさ――おかしくなったのは世界じゃなくて――自分の方だって――」
「ち、違う。変わったのは世界だ。全てだ。私だけじゃない」
「いいや――あなただけだべ――全ては――あなたが原因だべさ――分かってる筈っしょ」
「違う。世界の方だ。梨華ちゃんだっている。梨華ちゃんだって、世界がおかしくなってくことを気づいてる」
「今――ここには――梨華ちゃんはいないっしょ――さあ――治療するべさ」
女性は、ゆっくりと立ち上がった。
私は後ずさった。
女性は、ゆらゆらと迫ってきた。
しまった。ドアの方に退がれば良かったのだ。部屋から逃げ出すことが出来たのに。
私は逆に、部屋の隅に追い詰められていった。
どうもしないさ。もう、警察なんてものは存在しないんだよ。梨華ちゃんの言葉が脳裏に蘇った。
私は決心した。
武器になる物を探すために私は押し入れを開けた。中は空っぽだった。前は色んなものが収まっていたのに。
女性の手が私の喉にかかった。冷たい手だった。
その時押し入れの隅に金槌を見つけた。
私はそれを手に取って、女性の頭に力一杯叩きつけた。
ゴチャッ、という頭蓋骨の陥没する手応えがあった。
54 :
憂。:2001/05/12(土) 09:20 ID:wWZ2iBjc
女性は声も立てずにくにゃりと崩れ落ちた。
「分かってるっしょ――原因はあなただべさ――悪いのはあなただべさ――」
女性は弱々しく呟いた。
私は答える代わりに荒々しく金槌を振った。
何度も、何度も。
血塗れの女性は、やがて動かなくなった。
どうもしないさ。ハハ、ハハハ。
死体は放っておけばいい。誰かが片付けてくれる。さもなければ勝手に消える。
でもそれまで私の部屋に置いておくのは嫌だった。
そうだ。姉の部屋だ。姉の紗耶香はゲームばかりしている。死体を持ち込んでも何も言わないだろう。
私は廊下を死体を引きずっていき、以前は存在しなかった姉の部屋をノックした。
「はーい。何」
返事があった。
私はドアを開けた。
部屋の中にあったのは、テレビゲームのパッドを持ったままの姿勢で白骨化した姉の死骸だった。
テレビゲームは電源が入ったままだった。
私はもう驚かなかった。
何があっても驚かないさ。世界とはそんなものだ。
「置いとくよ」
私は言い捨てて、女性の死体を部屋の中に置いて出ていった。
55 :
憂。:2001/05/12(土) 09:22 ID:wWZ2iBjc
私は練習をしている。新曲の振り付けをしている。
毎日やっているのに、ちっとも進んでいないようだった。
私は何のために練習をしているのだろう。娘。にはこんな曲は失くなってしまったのに。
コンサートなどもきっと全然別のものになってしまっているだろう。
でも――練習をしていると、安心する。
ずっと前から使っているMDプレーヤーは、変わっていない。
カレンダーを見ると、十六月八十四日だった。
もうそんなになるのか。あれから二週間くらいしか経っていないような気がする。
56 :
憂。:2001/05/12(土) 09:23 ID:wWZ2iBjc
そうだ。日記だ。暫くつけていなかった。
私は引き出しから日記用のノートを取り出した。
いつくらいまでつけていたっけな。最初のうちはしっかりつけてたんだけどな。
開いてみると、ノートは文字で埋まっていた。無意味な文字で。
くひゃひゃひゃひゃひゃとか、あろろろろろろろろとか、そんな文字だけが羅列していた。
これは私が書いたのだろうか。――どうも私の字らしい。
真面目に書いていた最初の時期も、げべべべとあぴゃぴゃぴゃに変わっていた。
私はノートを投げ捨てた。
これで、以前の私を残す記録は失くなった。
57 :
名無し娘。:2001/05/12(土) 23:47 ID:YoeEt5JE
文句なしに面白い。
今まで読んだどの2ch小説よりも。
58 :
憂。:2001/05/13(日) 00:16 ID:guYCB752
私はレッスンの休憩時間、梨華ちゃんに日記が無意味になったことを伝えた。
この世界で唯一頼りになるのは、梨華ちゃんだけだった。
梨華ちゃんは以前と変わっていない。記憶は変わってしまったにしても、梨華ちゃんの本質までは変わっていない。
「そう――日記も駄目だったの」
記録も残せない。自分の記憶も信用出来ない。
それならば、何を頼りにして生きていけばいいのだろう。
いくらあがいても、世界は全てを押し流していく。
自分がただ存在しているだけで満足して、変わっていく世界に何も考えずに
ずるずると流されていくべきなのだろうか。そうすれば、こんなに苦しまずに済むだろう。
「アタシは諦めないわ」
梨華ちゃんは言った。
「流されてたまるか。こんなことに負けてたまるか。アタシは負けない。
アタシは世界の従属物じゃないの。ここにいる有象無象の仲間にはならないわ」
そう強く言って、梨華ちゃんはメンバーを指差した。
私はレッスン室の中を見回した。以前は仲の良かったメンバーも、今は無表情に私達を睨んでいた。
59 :
憂。:2001/05/13(日) 00:18 ID:guYCB752
そして振り返ると、梨華ちゃんは消えていた。梨華ちゃんの座っていた椅子には、
三十センチくらいの大きさの縫いぐるみが置かれていた。梨華ちゃんの顔に似た人形だ。
「梨華ちゃん――」
縫いぐるみは返事をしなかった。そこには強い意志を持ち、何に対しても決して屈しなかった梨華ちゃんはいなかった。
メンバーの皆が爆発するように笑い出した。それは私に当てられた嘲笑だった。
爆笑の渦の中で、私は梨華ちゃんのなれの果てを掴み上げ、レッスン室を飛び出した。
まだ休憩時間だったが、もうこんな所にはいたくなかった。
私は走ってスタジオを出た。右手には梨華ちゃんの人形を抱えていた。このまま家に帰るつもりだった。
太陽はどす黒い光を私達に投げかけていた。
帰り道の風景が歪んで見えるのは、私が泣いているせいだけではなさそうだった。
60 :
憂。:2001/05/13(日) 01:34 ID:guYCB752
私は自分の勉強机に梨華ちゃんを置いた。
部屋からはカレンダーも消え、とうとう机だけになった。
レッスンの資料も殆どが姿を消し、MDプレーヤーだけが残っていた。
「負けるもんか」
私は呟いてみた。
梨華ちゃんの人形は、微笑んだように見えた。
61 :
_:2001/05/13(日) 02:22 ID:bevUtME2
62 :
憂。:2001/05/13(日) 19:25 ID:gDFdcT96
夕食は、母と弟と父と私で。姉はいなくなっていた。部屋も消えていた。
母の体は腐り始めていた。左の眼球はとうに抜け落ちて、眼窩には蛆が涌いていた。
弟の顔は変貌していた。皺が多く、鼻は曲がって外人のようだった。一時の馬鹿笑いは収まったが、
代わりにへくへくと不気味な笑い方をするようになった。
父の頭部は、耳の辺りから上が二倍に膨れ上がっていた。広い額には十数本の血管が蛇行していた。
皆、黙って、ゾンビの母の作ったまずい夕食を食べていた。
「うるさい」
出し抜けに父が怒鳴って、拳をテーブルに叩きつけた。料理の皿がひっくり返った。
「誰も喋ってないよ」
たまらなくなって私は言った。父が凄い形相で私を睨んだ。
「仕事はしているのか美和。練習はしているのか」
父は叫んだ。
「してるよ」
私は叫び返した。もう沢山だった。
「でも練習なんかして、一体何になるんだよ。もう誰も練習なんかしてないよ。
ただ笑ってるだけだ。スタジオでは皆、笑ってるだけなんだよ」
「ううううるさい。黙れ。死ね」
父は立ち上がった。まな板にあった包丁を持ち出した。
「ししし死ねこの馬鹿娘め」
私に向かって包丁を振り上げた。
63 :
憂。:2001/05/13(日) 19:26 ID:gDFdcT96
その父の前に、ゆらりと母が立ち塞がった。
「逃げなさい、ひとみ」
母が生気のない声で呟いた。
「どけ。邪魔するな」
母が包丁を持つ父の手を押さえようとした。父が逆に動きの鈍い母の腕を捕らえた。
ドン。
父が母の右腕をテーブルに押さえて包丁を振り下ろした。母の腕はきれいに切断された。
黒っぽい腐肉が見えた。血も出なかった。
「逃げなさい――ひとみ――」
母は怯まず、裂けた口で父の首に噛みついた。バリバリと音がした。
父の首の筋肉が破れる音ではなく、母の衰えた顎が崩壊する音だった。
64 :
憂。:2001/05/13(日) 19:28 ID:gDFdcT96
弟は両親の戦いには無関心だった。
これ幸いとばかりに二人の皿から料理を手掴みで食べ始めた。
私はその場から逃げ出した。自分の部屋に入って中から鍵をかけた。
部屋の外からは父の怒号だけが聞こえていた。
ひとみ。私の頭は混乱していた。母は私のことをひとみと呼んでくれた。
あさみでもなく、美和でもなく、ひとみと。
母は覚えていてくれたのだ。母は身を挺して父から私を守ってくれた。
母はゾンビだけど、母だったのだ。母は母だったのだ。
運動会や音楽会には必ず来て、私を応援してくれた母。
毎日手作りの弁当を作ってくれた母。
小学校の頃私が高熱を出して寝込んだ時、夜も寝ずに看病をしてくれた母。
母は母だった。私は泣いていた。最近は泣くことが多い。本当に。
65 :
憂。:2001/05/13(日) 19:33 ID:gDFdcT96
いつしか父の怒号も止み、家の中は静まり返っていた。
私は部屋を出て台所に行ってみた。
食卓には両親と弟が座って夕食を食べていた。
三人とも無傷だった。
「どうした美和」
父が怪訝な面持ちで顔を上げた。
顔が変わっていた。眼鏡をかけたインテリになっていた。
弟は――弟は妹になっていた。黒い髪のさわやかな妹だった。
名前は一文字変わっただけ。私の記憶が説明してくれた。
母は、前と同じ顔だった。ゾンビになる前の、健康な顔。
母が優しく言った。
「美和も早く食べなさい」
美和。この母は別人だ。顔は同じだけど、別人だ。
「しょ、食欲がないんだ」
私は言って、自分の部屋に戻った。
66 :
まちゃ。:2001/05/13(日) 19:41 ID:ZqtvVves
マジすげー。
はまった。今までで1番かも。
67 :
憂。:2001/05/13(日) 20:31 ID:gDFdcT96
私は梨華ちゃんの人形に話しかけた。
「家族も皆別人になっちゃった。何もかもが変わっていく。私はどうすればいいんだろう」
声が聞こえた。
「生き続けるのよ」
その声は、人形の中から聞こえた。
「梨華ちゃん。生きてたんだね」
「アタシはまだ負けてはいない。アタシは絶対に屈しない」
縫いぐるみの人形は動かなかった。ビーズで出来た瞳も動きはしなかった。
だが彼女は生きていた。存在していた。
「だからあなたも生き続けて。何があっても絶対に挫けないでね。何があっても」
姿は変わっても、梨華ちゃんは梨華ちゃんのままだった。
私は安心した。
人間に意思は存在する。ここにいる梨華ちゃんが、その証拠だ。
「うん、私も負けないよ」
私は梨華ちゃんの人形に答えた。
68 :
憂。:2001/05/13(日) 20:37 ID:gDFdcT96
朝、洗面所で顔を洗って鏡を見ると、私の顔は別人になっていた。
角張った顔の、野暮ったい少女になっていた。背丈も幾分縮んでいるようだった。
前の顔を、私は気に入っていたのに。
「負けるもんか」
私は呟いた。歯を食い縛って笑みを作って見せた。
鏡の中の私は泣き顔になっていた。
69 :
憂。:2001/05/15(火) 00:09 ID:Ze2DrQhA
スタジオへの道程はぐちゃぐちゃだった。道は複雑に曲がりくねり、何百もの間違った分岐が繋がっていた。
周囲の風景は抽象画のように簡略化され、或いは極彩色に塗り分けられ、私を迷わせた。
ここは天国なのか。それとも地獄か。
いや――どちらでもない。ここは現実の世界だ。
世界とは、そんなものだ。
私は適当に道を選び、スタジオを求めて自転車を飛ばした。着くならば着くだろう。
着かないならば着かない。何をしようと、それだけのことだ。
途中五千メートルの高さの崖から落ちかけたり、虹の上を滑ったりして、
五十時間以上も迷いに迷って(一日が二百時間というのは皆さんも知っての通りだ)、
もう帰ろうかと思っても戻る道もなく、進退窮まった時に漸くスタジオの建物が姿を現した。
70 :
憂。:2001/05/15(火) 00:11 ID:Ze2DrQhA
スタジオは地上百階建ての巨大な鋼鉄のタワーだった。
これが私の以前から通っていたスタジオに間違いないと、私の記憶が告げた。
エレベーターのない建物を、九十四階の私のレッスン室まで階段を上って辿り着いた。
飾り気のないメタリックな壁の廊下を進んでレッスン室に近づくごとに、いつもの爆発的な笑い声が響いてきた。
みんなは相変わらずだ。私は苦笑した。
だが、笑い声には別の音が混じっていた。
それは、爆発音だった。
私はレッスン室の扉を小さく開けて、中の様子を窺った。
娘。達は大声で笑っていた。腹を抱え、床を転がりながら笑っていた。
床は血と肉片に満ちていた。
ウィーン。
何かの金属が回転する音。
レッスン室の床の中心に、直径二メートルくらいの穴が開いていた。
そこには、巨大な鋼のプロペラが高速で回っていた。
見上げると、天井にも同じような穴が開いていた。そこにもプロペラが回っていた。
天井の穴から、赤いドロドロしたものが、床の穴に滴り落ちていた。
あれは、何だろうか。私は思った。
71 :
憂。:2001/05/15(火) 00:12 ID:Ze2DrQhA
床をのたうち回って笑っている辻の姿が目に入った。見ているうちに、
辻の体は風船のように膨らんでいった。他のメンバーの大半も、体が膨れて真ん丸になっている。
パン。
辻の体が爆発した。血と無数の肉片になって、室内に散らばった。血が私の頬にもかかった。
誰も辻の爆死を見てはいなかった。皆笑うのに忙しくて、他人のことを見てる暇などなかった。
皆が床を転げている中で、一人だけ白い服を着て立っている男がいた。
仮面のような笑みで平然と立っている男は、プロデューサーのはたけさんだった。
いつからのプロデューサーかは覚えていない。二日前からか、三百年前からか。
はたけさんは、柄の長いホウキを持っていた。はたけさんはそのホウキで、
メンバーの散らばった肉片を掻き集め、床の中心の穴に落としていった。
ブブブブブブーン。
あっという間に肉片は粉々に砕け、血と一緒に下の階へ流れ落ちていった。
そして私は、天井から流れ落ちているものの正体を理解した。
また誰かが爆発した。
私は静かに扉を閉めて、笑い声と爆発音の中、再び九十四階分の階段を下りていった。
もう二度とスタジオに来ることはあるまい。私はそう思った。
72 :
憂。:2001/05/15(火) 02:08 ID:u8Tg2nvE
私はずっと家で練習をしている。
私の部屋には机しかない。
いや、テレビがあった。最近になってテレビが新品になって戻ってきた。
テレビをつけると、ニュースをやっていた。
地球の南半球は最近になって消滅したらしかった。地球は球じゃなくて半球になった。
最新の統計では、日本の人口は二十七人、アメリカは三人、アジア大陸は全部合わせて一人だということだ。
月は北極大陸と陸続きになり、現在二兆六千億人が暮らしている。
明日の天気予報は晴れ時々生首。私はもう外には出ないから関係ない。
今日のお昼頃、外宇宙から二千五百隻の宇宙戦艦が地球を侵略に来た。
名張にお住まいのホームレス・平家みちよさんが一人で撃退したということ。
あろろろろろろ。あろろろろろろろ。ニュースキャスターは言った。
美和チャン。ミワチャン。ミイイイイイイワチャアアアンンンン。
私はテレビの電源を切った。
「世界はどうなっているんだろうね」
私は梨華ちゃんに言った。
「どうなろうと関係ないわ。あなたは自分の出来ることをやればいいのよ」
人形の梨華ちゃんは答えた。
そう、その通りだ。
73 :
憂。:2001/05/15(火) 02:10 ID:u8Tg2nvE
私はこのところ何も食べていない。料理を作ってくれる偽の母は、スライムになっていた。
今でも台所に行けば、同じくスライムの父と妹と一緒に、壁に張りついている。
どれくらい長い間食べていないのか分からない。カレンダーは既にないし、時計も壊れてしまった。
何しろ一日五百時間までしか表示出来ないのだ。
でも腹は減らなかった。人間は、意外と食べなくても生きていけるものなのだ。
食べなくなって私は初めてそれを知った。
私はずっとMDプレーヤーを聴いている。所々言語がおかしいが、まだ聞き取れる。
私は長い時間かけて振り付けを少しずつおぼえていく。梨華ちゃんも手伝ってくれる。
時間は幾らでもある。何年でも、何千年でも。
私は負けない。絶対に屈しない。
74 :
名無し娘。:2001/05/15(火) 03:32 ID:MOdTpa.Q
うむむ・・・そうきたか・・・
75 :
憂。:2001/05/15(火) 04:26 ID:Ze2DrQhA
洗面所で顔を洗い、いつから水道の水は緑色になったのだろうと思いながら、
私は自分の部屋のドアを開けようとノブを掴んだ。
ノブを回そうとして、ノブの代わりに私の手の皮膚がズルリと回った。
私は、ずれて裂けた手のひらの皮膚を、じっと見つめていた。
痛みはなかった。
裂けた皮膚の下から、緑と黒の入り混じった新しい皮膚が覗いていた。
とうとう、私自身にもそんな時期が来たのだ。
私は全身の力が抜けていくような感覚を覚えた。
それは何故か、ほっとする感覚にも似ていた。
右手から始まって、変身は予想以上に早かった。
76 :
憂。:2001/05/15(火) 04:27 ID:Ze2DrQhA
私は古い怪奇映画に出てくるような、醜い怪物になっていた。
背の低い、猫背の、緑と黒の斑になった皮膚を持った、動作の鈍い、腕の長い、猫のような目をした、
長い牙のせいで口が閉じられず絶えず涎を垂れ流し続ける、みっともない怪物に。
それでも私は私だ。
負けるもんか。
私は机に向かって、MDプレーヤーを手に取った。
不器用な太い三本の指は、ものを上手く扱うことが出来なかった。
私はMDプレーヤーを投げ捨てた。
練習さえしていればいいと思っていたんだ。
練習さえしていればいいと思っていたんだ。
なのにこれは何だ。
これは何なのだ。
世界とはそんなものだ。
77 :
憂。:2001/05/15(火) 04:28 ID:Ze2DrQhA
嫌だ。認めたくない。世界はもっと確かなものであるべきだ。
私達が安心して暮らせるような、幸せになれるような。
人は皆、幸せを求めて生きているんじゃないのか。
なのにこれは何だ。この世界は何なんだ。この体は。
幸せなんて何処にあるんだ。愛なんてものは一体存在するのか。
「うおおおおおおおん。うおおおおおおおおおん」
私は声を上げて泣いた。泣き声は、遠吠えのような声にしかならなかった。
黒く粘っこい涙が頬を伝わって床に落ちた。
屋根にドンドンと何かが当たっていた。生首が降っているのだろう。
「りかちゃん。わたしはどうすればいいの」
私は梨華ちゃんに聞いた。
人形は答えなかった。答えを持っていないのかも知れなかった。
78 :
_:2001/05/15(火) 04:33 ID:AwtZte3A
79 :
憂。:2001/05/15(火) 16:05 ID:IzLNdArY
私は、開かずの間の前に立っていた。家の構造も様々に変化したが、
私の部屋とこの開かずの間だけは変わらなかった。少なくともその外観は。
あれから、開けて中を見たことはなかった。
全ては、ここから始まったのだ。私はそう思っている。
世界が崩れ始めたのは。
「かえしてよ」
私はドアに向かって言った。
「わたしのあの、たんちょうでたいくつなにちじょうをかえしてよ。
わたしのかぞくをかえしてよ。もーにんぐむすめをかえしてよ。
わたしはそれまでうまくやっていたんだ。
まえのじょうたいにもどしてよ。おねがいだから」
私はドアのノブを三本の指で掴んだ。
ゆっくりと回して、私は深呼吸を一つした。
ドアを開け放した私の部屋からは、梨華ちゃんの人形が黙って私を見守っていた。
80 :
憂。:2001/05/15(火) 16:06 ID:IzLNdArY
ただ念じること。ただ望むこと。
私には、それだけしか出来ない。
そして私は力一杯、開かずの間のドアを開けた。
ドアの向こう側には、無限の宇宙空間が広がっていた。
遥か彼方に光る無数の星々が見えた。近くに巨大な恒星が強い光を放っていた。
「うおおおおおおおおおおお」
空気が、凄い勢いで真空に吸い込まれる。
私の体は浮いた。
私は、境界を越えて無限の宇宙へと引きずり込まれていく。
左手の三本の指が、部屋の入り口の縁に引っかかった。
私はたった三本の指で、宇宙に落ちかかる体を支えていた。
「りかちゃん」
私は叫んだ。
「りかちゃあああああん。たすけてくれえええええええええ」
私の体は宇宙に強く引かれ、ゆらゆらと揺れていた。
このままでは、落ちていくのは時間の問題だった。
「りかちゃああああああああん」
梨華ちゃんの人形が立ち上がった。ひょこひょこと私の方へ歩いてくる。
81 :
憂。:2001/05/15(火) 16:07 ID:IzLNdArY
「り、りかちゃん」
そう、私は信じていた。梨華ちゃん、決して屈しないと言った梨華ちゃんなら、
絶対に私のことを助けてくれると信じていた。
梨華ちゃんの縫いぐるみの手には、包丁が握られていた。
「ギャハハ。シネシネシネエ」
梨華ちゃんが包丁を振った。激痛。私の体を支えていた指の一本が切断されていた。
私はバランスを崩してぐらりと揺れた。
「りかちゃああああん」
私は叫んだ。
「シネシネシネエ。ギャハハ。ギャハハハハ」
梨華ちゃんは狂気の笑い声を上げるだけだった。
私の最も信頼する親友。決して届かない私の目標。何事にも妥協しない、強い意志と理性の人。
「しんじてたんだ。しんじてたんだあああああああ」
私は叫んだ。梨華ちゃんは聞く耳を持たなかった。
梨華ちゃんの包丁によって、二本目の指が切断された。
私は、私の家の中と、指一本で繋がっていた。
梨華ちゃんが最後の指を狙って包丁を振り上げた時、私の自由な方の手が動いた。
「りかちゃああああん。しんじてたんだああああ」
私の右手が、梨華ちゃんの人形の首を掴んだ。
82 :
憂。:2001/05/15(火) 16:08 ID:IzLNdArY
ゴキュ。
私のたった三本の緑の指は、強い握力を持っていた。一握りで、梨華ちゃんの首が潰れた。
梨華ちゃんは人形の手足を痙攣させて、動かなくなった。
「りかちゃああああん」
潰れた縫いぐるみの体から、大量の青い粘液が溢れ出した。
この小さな体にどうやって収まっていたのか信じられないほどの量だった。
噴き出した粘液は、そのまま宇宙空間に引き寄せられ、私の体にもかかった。
「しんじてゴボッ」
体中に青い粘液が絡みついた。一本で支えていた私の左手の指が粘液で滑った。
縁から、指が離れた。
「うおおおおおおおおお」
世界とは、そんなものだ。
私の体は、無限の宇宙空間に落ちていく。永遠にこの冷たい宇宙をさまよい続けるために。
――――――――――。
ブツン。
83 :
憂。:2001/05/15(火) 16:16 ID:IzLNdArY
【終】
84 :
名無し娘。:2001/05/15(火) 16:35 ID:romcSo/o
お疲れさまでしたー。
お疲れさま・・・
はぁ・・・
こんな終わり方も、ありかな。
途中で分岐の選択を間違えたバッドエンドって感じがしました。
このテイストって昔何かで読んだ気がする。
85 :
ななっすぃー:2001/05/15(火) 20:29 ID:rOVyTNxc
え・・・・?終わり・・・・?
とりあえずお疲れ様でした。
こういうの好きっす。なんかこう、だんだん壊れていくところが。
でもこのあともっと展開していくと思ったから正直ビックリした。
実はここで終わらないっていうのは深読みしすぎですか?(w
86 :
名無し娘。:2001/05/15(火) 22:19 ID:8D/EKXTY
今朝から会社で一気読みしてましたよ。
開かずの間を開けることですべての謎が解けると期待してたんだけど、
イイ意味でイイ意味で裏切られた感じ、My LOVE。
87 :
名無し娘。:2001/05/16(水) 03:12 ID:uXHGMcfw
終わったのか?
茫然自失・・・
途中まではパーフェクト。
88 :
憂。:2001/05/16(水) 03:34 ID:yeqyFLHo
予想以上の反響でビックリっす。
「モー板においてこういうキレた小説はアリなのか」
という疑念と不安を抱きながらせっせと書いてきたけど、
思ってたより好意的なレスがついてるのを見て励みになった。
今は、次に書くものを考えてる段階。ネタスレのネタはすぐ浮かんでくるんだが、
小説書くとなると時間がかかってしまう(ちなみに今作は4月の頭から書き始めた)
一通り話がまとまった頃にこのスレが生きてたら、また書いていきたいと思う。
89 :
名無し娘。:2001/05/16(水) 03:58 ID:TPyBTyKM
良かったです。引き込まれました。
ちょっと蒸し暑い毎日に緊張をくれた感じです。
ただ私もこの世界が変わった正体とか理由が
開かずの間を開ける事できちんとわかってほしかったと思いました。
まぁ、でもほら、世界とはそんなものだしね(笑)
90 :
名無し娘。:2001/05/16(水) 04:11 ID:xNpLsNSY
グッジョブ!
でもここまできたら娘。に仮託する必要もないかな。
いしよしってことで意味はあるのか。
91 :
名無し娘。:2001/05/16(水) 19:13 ID:H2y2cIWk
こういうノリの小説、結構好きです!
楽しかったですよ!
92 :
あ名無し娘。:2001/05/16(水) 21:16 ID:eHGBOHac
ふむ。良く分からんけどえがった。良く分からんとこがいいと言うか。
次回作にも期待
93 :
名無し娘。:2001/05/17(木) 10:41 ID:65Pg1KSA
世界観がなんともいえず。よかった、グッドです。
94 :
名無し娘。:2001/05/18(金) 08:03 ID:hPS6KI0g
流行に惑わされない、
個性ある人間になりたいな〜、と読んでて思いました。
すばらしい作品です。
95 :
憂。:2001/05/20(日) 02:35 ID:jpyAbWrA
2作目を書き始めたんだけど、なかなか進まない。
世界観を「Difference」からガラッと変えたせいもあるんだけど。
そこで、気分転換というか場つなぎというか、小作を載せたいと思う。
「Difference」と同時期に書いたやつで、雰囲気的にもけっこう近い。
前作で謎が残った人は読んでみてくれ(余計に混乱するだけかもしれないけど)
主人公は例によって吉澤。タイトルは「Whirlpool」っす。
あと、感想書いてくれた人達、ありがとう。
正規の2作目は、近いうちに必ず仕上げるんで。待ってる人がいたらすまん。
96 :
憂。:2001/05/20(日) 02:37 ID:jpyAbWrA
夜の公園は薄暗く、ひっそりと静まり返ったその様は
別世界に迷い込んだかのような気分にさせる。広い敷地内には数多くの木が繁っており、
奥が殆ど見通せない。林の中にアスファルトの道を敷いているようなものだ。
道は公園の中を回廊状に繋がっている。一周するのに軽く走って五分ほどかかる。
寝る前に公園内をジョギングするのが私の日課だった。私のマンションから公園まで約七分、
公園を四周して二十分、そして七分かけてマンションに戻り、シャワーを浴びて汗を流す。
それをこの三ヶ月ほど続けている。モーニング娘。をやっていてまだ16歳なのに
腹が出てきたのと、体力の衰えを実感したためだ。
ジョギングで疲れた後はどうしてもものを食べてしまうため、
腹の弛み具合はあまり変わらないが、それなりに体力が戻ってきたような気がするし、
何より体を動かす充実感が素晴らしい。
97 :
憂。:2001/05/20(日) 02:38 ID:jpyAbWrA
夜十一時を過ぎても公園は無人ではない。ベンチにはよくホームレスの男が寝ているし、
芝生の上で仲良く並んで夜空を眺めるカップルも、時折は見かけることがある。
休日前の夜なんかは少年達が中央の広場でスケボーの練習をやっている。
そして、私のように、ジョギングをしている人もいる。
何故か年代は二十才前後か四十代が多く、そして私よりも走るペースが速い。
年上に抜かれると私は情けない気持ちになるが、無理をするのは良くないので自分のペースを守っている。
ジョギング中に心臓発作で倒れることもあるらしいし、まだ若いといって油断は出来ない。
私は公園を回る際、時計回りと反時計回りを一周ごとに切り替えることにしている。
同じ景色ではつまらないのと、一方にばかり曲がり続けるのは、膝への負担が
左右不均等になってしまうのではないかと考えたためだ。
そのため他のジョギングの人達とは、追い抜かれたりすれ違ったりを交互に繰り返すことになる。
98 :
憂。:2001/05/20(日) 02:40 ID:jpyAbWrA
所々に設置されたライトの淡い光が、ぼんやりと行く先を照らしている。
今夜は人が少なかった。いつも同じベンチで眠っているホームレスもいない。
私はなんだか物寂しい気持ちになりながらも走っていた。一周目の半ばほどから、
段々足取りが軽くなってくるが、ここで調子に乗って飛ばすと後がきつい。
ふと、後ろから柔らかい足音が近づいてきた。多分スニーカーを履いて
走っているのだろう。私のお仲間という訳だ。
私は振り向かず、黙々と走っていた。いつも通り、私を追い抜いていくかと思われた影が、
急にペースを落として隣に並んだ。
横を見ると、青いジャージを着た市井さんが私に微笑みかけていた。
少しだけ茶に染めた髪に、薄っすらと汗をかいたその顔は穏やかで知的な印象を与える。
ここで会うのは初めてではない。しばしばこの公園でジョギングしている姿を見かける。
いや、ほぼ毎日と言っていいだろう。私が少し早めにマンションを出ても、遅めに出ても、
公園に着くといつも市井さんは既に走っていた。そして私が去る時も、まだ彼女は走っているのだ。
99 :
憂。:2001/05/20(日) 02:41 ID:jpyAbWrA
「今晩は」
市井さんは走りながら、私に声をかけてきた。
「今晩は。こうやって挨拶するのは初めてですね」
私は挨拶を返した。
「そうかな?――ここのあなたにとってはそうかも知れないね」
市井さんはちょっと寂しげな笑みを見せた。
「ここの、ですか」
私にはその意味が理解出来なかった。まるで私が別の場所に何人かいるみたいではないか。
「分からないのも無理はないよ。あなたはいつも右回り、左回りを同じ数だけ走ってるからね。それじゃ移動しない」
移動しない、とはどういう意味だろう。市井さんの言っていることは訳が分からない。
私は、市井さんの走っている姿を思い出した。そして今の方向も。
「そう言えばあなたは、いつも時計回りにだけ走ってますね。それと何か関係があるんですか」
走りながら私が尋ねると、市井さんは私の目を覗き込むようにして逆に尋ね返してきた。
「あなたは、パラレルワールドの存在を信じる?」
「え」
唐突な質問だった。
100 :
憂。:2001/05/20(日) 02:44 ID:jpyAbWrA
私も子供の頃はよくSFを読んでいたし、パラレルワールドの概念は知っている。
互いに交わることなく平行に時が進んでいく別世界。主人公が迷い込むパラレルワールドは、
悪夢のような魔界から、元の日常と寸分違わぬ世界まで様々だ。
だが、それがどうかしたのか。
市井さんは物静かな口調で続けた。
「あなたにはこんな経験がある? テーブルの上に置いてあった筈のものが、
どんなに探しても見つからない。隣室の家族にそれを尋ねに行って、戻ってみると
目的の品はテーブルの上に載っている。さっきまではどんなに探してもなかったのに。
私の不注意だったのか、それとも家族の悪戯なんだろうか。或いは、こんなことはある?
近くの弁当屋に夕食を買いに行くと、そこの店員が不思議な顔で私のことを見るの。
どうしたのかと聞くと、ほんの五分ほど前に私がやってきて、
弁当を買っていったと言う。これは店員の見間違いなのか、それとも私が
自分で弁当を買って帰ったことを忘れてしまったんだろうか」
私達のペースはいつの間にか、歩くのと変わらないくらいになっていた。
「私はそんな時に、世界がずれたんだ、と解釈することにしてるの。
いや正確には、自分の方が、パラレルワールドに迷い込んでしまったんだ。
別の世界との通路は様々な場所に存在して、人はちょっとした拍子にそこを通って
別の世界に入り込んでるんじゃないだろうか。ただ隣り合ったパラレルワールド同士は
ごくごく微妙な差異しかなくて、皆それに気づかない。或いはその変化を
自分の勘違いだと思い込んでるんじゃないのかな?」
それは面白い仮説だった。飽くまで仮説であるが。私は16年間生きてきたし、
自分の人生を同じ世界で過ごしてきたと信じている。確かに、この前行った筈の
飲食店が見つからなかったり、友人との待ち合わせの場所が間違っていたりしたことはあるが、
それは自分の記憶違いだと思っている。そう考えた方が妥当だというものだ。
101 :
憂。:2001/05/20(日) 02:46 ID:jpyAbWrA
「でもそれが、私の走り方と何か関係があるんですか」
私は聞いてみた。元々は、私が公園を交互に逆に走るということについての話だった筈だ。
「この公園内に、パラレルワールドへの通路があると言ったらあなたは信じる?」
ギョッとするようなことを市井さんは言った。
「え、本当ですか」
到底信じられない。この人は私をからかって楽しんでいるんだろうか。
「パラレルワールドに入っても公園はあるし、まず気がつかないね。
そして公園内の同じ場所にやはり次の世界への通路がある。
だからこの道を一周した時には、一つずれた世界に入り込んでるんだよ。
だけど同じ通路から戻れば元の世界に帰れる。だから、交互に逆方向に走っている
あなたは、少しも移動していないんだよ」
右回り、左回り、右回り、左回り。私は二つの世界を行ったり来たりして、
元の世界に戻ってからマンションに帰る訳だ。私は少しほっとして、
同時に市井さんの理論を真に受けかけている自分に呆れ返った。
102 :
憂。:2001/05/20(日) 02:47 ID:jpyAbWrA
いや、待てよ、そうすると……。
「あなたはずっと同じ方向に回ってますよね。すると、あなたはどんどん奥の世界に進んでるんですか」
「奥という表現は適切じゃないけど、まあそうなるね」
市井さんは答えた。
「私はこの世界に着いたばかりだし、更にまた次の世界へずれていく予定だから。
つまり、私がこの世界にいるあなたと会うのは、今が初めてなんだよ。
これまであなたが見かけてたのは、別の私だったってこと」
「べ、別のあなたですか」
「それぞれのパラレルワールドにはそれぞれの私が生きてる。
性格も事情も大して変わらないから、無数の私がそれぞれの世界で公園を走っていることだろうね。
私が次の世界に進むと同時に、前の世界の私がこの世界にやってくるから、
一つの世界には常に私が一人。あなたも同じこと。全ての世界で
それぞれのあなたが似たような生活を送ってるんだよ」
私の頭はこんがらがってきた。そんなことはある筈がない。
世界は一つの筈だ。でも市井さんの話をどうやったら反証出来るだろうか。
103 :
憂。:2001/05/20(日) 02:58 ID:jpyAbWrA
取り敢えずここで区切っとく。この辺で半分ぐらいかな。
続きは昼頃か次のテレホ前ぐらいに。
っていうか、麻雀に呼ばれた。一気に全部載せようと思ってたのに。
「1人酒で潰れてメンツが足りない」って、俺のダチは今何時だか分かってるんだろうか。
104 :
憂。:2001/05/20(日) 14:55 ID:TkgS4JHM
また、私はあることに気づいて市井さんに尋ねてみた。
「どうしてあなたはそんなことを考えながら、いつも同じ向きに走ってるんですか。何のために……」
二人は歩きながら、そろそろ一周を終えようとしていた。市井さんは答える前に、
疲れたような長い溜息をついた。それは肉体の疲れとは別のものであるように思われた。
「一年前、公園で一緒に走っていた彼氏が失踪したんだよ。私がここのトイレに入っていた
数分の間に。警察にも連絡して手を尽くして捜したんだけど、見つからなかった。
私は、彼がパラレルワールドに迷い込んでしまったと思うんだ」
「……。つまりあなたは、恋人を捜すためにパラレルワールドを巡っているんですか」
「長話をし過ぎたね。じゃあ、また会おうね。次に会うのは別の私だろうけど」
市井さんはあの寂しげな笑みを浮かべ、駆け出していった。
105 :
憂。:2001/05/20(日) 14:58 ID:TkgS4JHM
私はその背中を見送りながら、市井さんの言葉を反芻していた。もし彼女の仮説が正しければ、
恋人がパラレルワールドに迷い込んだ場合、別のパラレルワールドから別の恋人が現れて、
全てが一つずつずれるだけで失踪となることはないのではなかろうか。
いや、世界が微妙に異なっているのならば、その歪みの結果として、ある世界における
人間の消滅やドッペルゲンガーもあり得るだろう。だけど、もし市井さんが恋人を見つけたとして、
果たしてそれが本来の世界の恋人だったと証明出来るだろうか。
いや元々、それまで暮らしていた彼氏自体が頻繁に入れ替わっていたとしてもおかしくはないではないか。
私が毎日会っている娘。のメンバーも、実家の両親も、既に別人なのかも知れない。
もうそうなると、人間というものの概念が崩れてしまいそうだ。
106 :
憂。:2001/05/20(日) 14:59 ID:TkgS4JHM
私が入ってきた公園の入り口が見えてきた。一周したのだ。
私はいつものように方向転換して、今歩いた経路を逆向きに辿り始めた。
歩いていては意味がないのでジョギングを再開する。
――試してみてもいいか。
走りながら、私はそんなことを思いついた。残りの三周を、
全て同じ方向に回ってみよう。折角だから、市井さんと逆の向きがいい。
途中、また市井さんとすれ違った。私が軽く頭を下げると、市井さんは微笑んだ。
これがさっきの市井さんと別人とは信じられない。いや、一つ隣の世界でも、
そこの市井さんがそこの私に同じ話をしていたのかも知れない。いやそんな戯言に
私が考え込んで悩むのを、彼女は楽しんでいるだけかも知れない。
107 :
憂。:2001/05/20(日) 15:00 ID:TkgS4JHM
今夜の公園は静かだ。人っ子一人いない。いるのは私と、市井さんだけのようだ。
二周目も終わりがけに、再度市井さんとすれ違った。別に変わったところは何もない。
ただ、私と目が合った時に、ふいと視線を逸らしたのが気になった。どうかしたのだろうか。
私は方向転換をせず、そのまま三周目に移った。初めての試みだった。
薄暗い公園の風景には違いが感じられなかった。当たり前といえば当たり前だ。
あんな話を信じる馬鹿が何処にいる。
走る内に、前方にまた市井さんが見えてきた。今度は市井さんの表情はやや暗くなり、
俯きがちに走っていた。私は声をかけそびれ、そのまますれ違った。
市井さんの髪が、さっきと比べて幾分伸びているような気がした。
私は振り向いて確かめてみることをしなかった。面倒臭かったのもあるが、
なんとなく薄気味悪かったのだ。もし本当に髪が伸びていたら、私はどうすればいい?
いや、市井さんの髪の長さなど、いちいち覚えてはいない。元々そのくらいの
長さだったのだろう。私が過敏になっていただけだ。
だが、もしも……。
108 :
憂。:2001/05/20(日) 15:01 ID:TkgS4JHM
三周目はその一度しかすれ違わなかった。円周状の道を逆に走り、私の方がペースは遅いため、
私が一周する間に必ず二度はすれ違う筈だ。市井さんはもう帰ったのだろうか。
それとも、トイレに寄っているだけかも知れない。
私は四周目に移った。やはり向きを変えず、反時計回りのままだ。
辺りの景色には別段異常はなかった。だが私は自分の心臓の鼓動を感じていた。
飛ばし過ぎた訳ではないのだが。
今、私と市井さんは逆向きに走っている。パラレルワールドが、次へ進むごとに少しずつ異なっているものならば、
走り続ければ変化は積み重なって大きなものになっているのではないか。
もしその理論が本当だったらの話だが。
109 :
憂。:2001/05/20(日) 15:01 ID:TkgS4JHM
と、私は木の陰に何か白いものを見た。前に通った時はそんなものがあっただろうかと思いながら、
私はそれが何であるのかを確かめるために、立ち止まって覗き込んだ。
犬か猫の仕業だろうか、ほじくり返された土の中から露出しているのは、古びた白い骨だった。
人間の、手首の、骨だった。
心臓の鼓動が速くなっていた。
「見たな」
怒りを押し殺した低い声に、私は振り向いた。
110 :
憂。:2001/05/20(日) 15:03 ID:TkgS4JHM
五メートルほど離れた場所に、市井さんが立っていた。
市井さんは、右手に大きな鉈を握っていた。
その髪はさっきよりも更に伸びたように見えた。暫く洗っていないのかボサボサだ。
その左手の指は、よく見ると薬指と小指が欠けていた。
さっきまでとは、市井さんは別人のようだった。
いや、それは私の錯覚かも知れない。彼女の髪は前からそうだったのかも知れない。
左手の指が欠けているのも、私が見落としていただけかも知れない。
「愛してたんだ。愛してたんだよ」
ライトの淡い光に照らされた、市井さんの目の中で強い狂気と殺意が渦巻いていた。
111 :
憂。:2001/05/20(日) 15:04 ID:TkgS4JHM
「なのに浮気なんかしやがって。だから、だから……」
骨は、市井さんの恋人のものらしかった。
私は絶句して立ち竦んだ。彼女の言ったことは全て、埋められた死体から
人々の注意を逸らすための作り話だったのだろうか。だが何故そんな途方もない話を
でっち上げる必要がある?――或いはこの人は狂っていたのだろうか。
彼女は自分の妄想に基づいて、もはや生きていない恋人を捜して、無意味な行為を続けていたのだろうか。
それとも、本当に、パラレルワールドへの通路が存在するのだろうか――ああもう訳が分からない。
私は、解答を得ることが、出来なかった。
市井さんが鉈を振り上げて、凄い勢いで迫ってきた。
【終】
ん?これはつまり・・・
吉澤に鉈持って襲ってきた市井(Y)が殺した彼氏を失踪したと思い
最初に吉澤にパラレルワールドの話をした市井(X)が捜している・・・・ぅ?
ダメだ、俺の頭じゃ・・・
それはともかく「世にも奇妙な物語」にありそうですごく(・∀・)イイ!!
114 :
名無し娘。:2001/05/21(月) 15:14 ID:50rM2BbI
え?あ、はぁ・・・
115 :
_:2001/05/21(月) 22:41 ID:.xZuWncI
116 :
名無し娘。:2001/05/22(火) 12:16 ID:alN5YjII
俺の理解のキャパを超えてしまった…
んでもおもろかった〜
117 :
名無し娘。:2001/05/23(水) 21:57 ID:vSrudkvs
作者の才能に嫉妬するね。
また次回作あるかもしれないのでhozeeeen!!
118 :
名無し娘。:2001/05/25(金) 14:41 ID:uW6hlYlE
羨望
119 :
名無し娘。:2001/05/26(土) 01:18 ID:kAk5IyGI
保全
120 :
名無し娘。:2001/05/27(日) 12:08 ID:3Qn/yLag
保全
二作目は、思ったより長くなりそうで、今やっと半分ぐらい書いたところ。
ここに書き始めてから行き詰まるのは嫌なんで、連載はもう少し先送りする。
そこで、保全してくれた人達への感謝も込めて、短編をもう一つ載せたいと思う。
「Difference」「Whirlpool」と続いた流れを受けた作品で、この三つで
三部作だと思ってもらえばいいかも。タイトルは「Multiply」。
さらに輪をかけて分かりにくい内容になってるんで、そこらへん気をつけて。
122 :
憂。:2001/05/27(日) 18:34 ID:RetAsHSU
ふと腕時計を見ると、午後八時二十二分を指していた。
喫茶店の中は、私達の他にもカップルで埋まっていた。
彼は、さっき見た映画の話をしていた。
「で、結局主人公は死んじゃったけどさ。あれで良かったのかな。とみ子はどう思う」
私が答えようと口を開いた時、頭の中で変な音が聞こえた。
ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何だ、この音は……。
目の前の彼の顔が、ゆらゆらと薄れていく。
世界が、闇の中へ……
123 :
憂。:2001/05/27(日) 18:35 ID:RetAsHSU
目が覚めた。
薄暗い部屋。何処かであの変な電子音が聞こえている。
ここは……。
突然私の頭の中に、それまでの、全・て・の・記・憶・が・甦・っ・た。
なんてこった。
ひい、ふう、みい……。
なんと、私は、二十六重も奥の世界へ潜っていたのだ。
人類は、なんて馬鹿なことをやってるんだろう。私は溜息をついた。
柔らかいベッドから身を起こす。
長い間、本当の体を動かしていないが、鈍った感じはない。私が潜っている間、
肉体のメンテナンスは、きちんと行われていたようだ。様々なチューブや電極が、
目覚める寸前まで私の体のあちこちに繋がっていた筈だが、今は壁の中に収まっている。
いや、体なんて存在しなかったのかも。私はコードを繋がれ水槽の中に浮いている
脳だけの存在だったかも知れない。この部屋も体も、コンピューターによる疑似的な仮想空間かも知れない。
私が今まで潜っていたような。それとも、脳さえも存在しなくて、私はただのICのチップ――
ええと、それは奥の世界の話だったか。まだ記憶が混乱していてよく分からない。
124 :
憂。:2001/05/27(日) 18:36 ID:RetAsHSU
ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まだ、あの音が鳴っている。
私は部屋の隅にあるコンピューターの端末に触れた。
ボタンを押すと、電子音は止んだ。
並んだディスプレイの一つに、女の顔が浮かんだ。見覚えのある顔だ。遠い昔の――
「おーい、起きた、ひとみちゃん? 仕事よ、仕事」
それは、現実の私の名前だった。
同時に、その女が、同僚の梨華であることを思い出していた。
「何なの? 交代までまだ五百年はある筈でしょ」
私は口を尖らせた。
「仮想世界内に、バグが出たのよ。もしかすると、コンピューターウイルスかも知れない。手伝ってよ」
画面上の梨華は、照れ笑いを浮かべた。
125 :
憂。:2001/05/27(日) 18:41 ID:RetAsHSU
「デート中だったんだよ」
そう言いながら、私は、この現実世界の何処かに保管されているであろう
彼の本当の肉体のことを思い浮かべていた。いや、もしかしたら、彼女、か……。
「緊急呼び出しには、プログラムがあなたの行動をシミュレートして、代わりにやってくれてるでしょ。気にしないで」
「ちぇっ。しょうがないなあ」
私はキーボードを叩き始めた。別の画面に、様々なデータが表示される。梨華も向こうでせかせかやっているようだ。
「損傷エリアは、BYR10852からBFH2016か。どんなバグなの」
「空間が消滅する、ヘビィな奴ね。何千人か分のユニットが巻き込まれてるわよ」
「ふうん。ウイルスの可能性が高いね」
「全く暇な奴もいるもんだわ。大人しく夢を見てればいいのに。ハッカーは死刑なのよ?」
仕事をしながら平気で喋る。脳の一部を改造していて並行作業が出来るのだ。
「夢だけじゃ我慢出来なくなったんだろうね」
私は呟いた。
「ふふ、それは中途半端だよ。この現実だって……」
「ん? そりゃどういう意味?」
「え、今、私、何か言った? 自分で言ったこと忘れちゃった」
「脳の故障か。なにしろ十万年以上も生きてるんだから」
「ふふふ」
梨華は曖昧に笑った。
126 :
憂。:2001/05/27(日) 18:44 ID:RetAsHSU
私は、『奥の世界』のことを思い出した。
「……。ねえ、二十六重だよ。世界の中に世界、その中にまた世界。馬鹿らしいと思わない?」
「人間は、馬鹿なのよ」
「最初は、ただのゲームから始まったんだよね」
もう、十万年も前のことだ。
「ええ、家庭用ゲーム機。始めの頃は、ブロック崩しとかインベーダーとか」
「それが段々進化してきた」
「何処までもリアルに。視覚と聴覚だけだったものが、やがて五感を支配し、
現実と見分けがつかないほどに。バーチャル・リアリティは、完全な仮想世界を造り上げたわ」
キーボードを打つ手が止まった。だがそれも一瞬。サーチは続く。
「ゲームの本質ってのは、何なんだろうね」
「安全に、欲望を満たす手段。仮想世界で死んでも本人は死なない。何をやっても自分は安全なのよ」
「けど、やがて、安全に欲望を満たすことに、人々は飽きてくる。障害がないってのは、考えてみると、つまらない」
「そして、ゲーム内に障害を設定する。障害を乗り越えて目標を達成する喜びを得るために」
「失敗するかも知れないという、緊張感とスリルが欲しい」
「でも、ゲームを続けるにつれ、人々は物足りなくなっていくわ。何しろ、科学が進歩しすぎて、
もう人類にはやることがなくなっちゃったんだから。或いは、何もしてはいけなくなった。
狭い惑星に二百億の人類。しかも不老不死。ぎゅうぎゅうだもんね」
「そう。どんどんゲームの中の障害は大きく強くなる。でもまだ足りない。
やり込めばいつかはクリア出来るという安心感が、邪魔になる。もっとスリルが欲しい」
「変な話だわ。安全のためのゲームなのに、危険を求めるなんて」
梨華は笑った。
「そこで、完全に無情な、現実世界と同じ条件の仮想世界の完成だね」
「ついでだから皆の世界を繋いで、一大仮想ネットワーク世界が構築されるわ」
「どうせゲームだからなんていう安易な気持ちも消すために、仮想世界内では、
現実の記憶は封印される。そうして、世界の中に、もう一つの世界が出来上がる。
現実世界には一部の管理者を除いて、空っぽの肉体と機械だけ。
意識はコンピューターの仮想世界の中で、皆暮らしてる」
「それだけで終われば良かったんだわ」
127 :
憂。:2001/05/27(日) 18:45 ID:RetAsHSU
私も同感だ。
「仮想世界の中に、更にもう一つ仮想世界が出来るなんてね」
「人間の、安全と欲望とスリルへの渇望は、留まるところを知らないわ」
「仮想世界の中の科学技術の進歩がいけないよね」
「まあ、出来ちゃったんだから、しょうがないわよ」
梨華は肩をすくめた。
「だからって、もう既に二十六もの入れ子構造だよ。間の世界に何の意味があるの? 人類、馬鹿の極致」
「この先どこまで進むのかしらね」
「おっと、見つけたぞ」
私は画面の文字を読み出した。
「システムプログラムFの、mOndの165。これがウィルスだね」
梨華も検索している。
「分かった。これと同じプログラムを消去するようなプロテクターを組むわ。
増殖してるかも知れないからね。ありがとう。後は私がやるね」
「じゃあ、私はまた潜るよ。二十六階層奥に」
「デートの続きを楽しんできてね」
「もう起こすんじゃないよ」
私は端末のスイッチを切ると、ベッドに寝転がった。
目を閉じる。
何かが額に触れた。
感覚が、薄れていく……
128 :
憂。:2001/05/27(日) 18:46 ID:RetAsHSU
「どうしたの」
彼の声に、私は我に返った。
「さっきから何かぼーっとしてて、おかしかったよ」
「そう?」
私は頭を振った。
何か重大なことを忘れてしまったような気がする。でもそれが何なのか分からない。
まあいいか。
腕時計は、八時五十五分。
そうだ、好きなCDの話をしてたんだ。
「私はどちらかというとアン――」
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
何だ、この音は。
視界が――
私は目覚めた。
眩いほどの光。目が慣れるのに暫くかかった。
周囲を、稲妻のような光が踊っている。
ここは……。
突然私の頭の中に、それまでの、全・て・の・記・憶・が・甦・っ・た。
なんてこった。
ひい、ふい、みい……。
なんと、私は今まで四百八重も奥の世界で――
【終】
なんだかマトリックスみたいだな・・・
今回も面白かったッス
でも三部作ってことはコレで終わりですかぁ?
それはさみすぃーっす・・・
130 :
名無し娘。:2001/05/28(月) 00:32 ID:7QMAaLWs
もう凄すぎて頭まわんないよ
131 :
名無し娘。:2001/05/28(月) 02:35 ID:hCcgp8Zw
うぇー。
やっと読んだ・・・。
頭の中がパチパチする。
132 :
名無し娘。:2001/05/30(水) 00:16 ID:JsoJdyRg
保全も兼ねて。
物理学でいう「超ひも理論」によるとこの世界は見た目は3次元だけど、
実は量子の世界だと26次元から成っているらしい、
という話を思い出しました。
133 :
憂。:2001/05/30(水) 19:24 ID:z6yLOl.A
ようやく、2作目が連載に持っていける状態になった。
前作とは全く違う世界観で、少しは分かり易くなってるけど、
相変わらずきつい描写があるので、あんまり気楽には読めないかも。
タイトルは、いろいろ考えたけど「Manslaughter」で。
当初の予定より長くなったんで、キリキリ更新していこうと思う。
134 :
憂。:2001/05/30(水) 19:27 ID:z6yLOl.A
1.Smile Pizza
冷たい風の吹き抜ける細い道を男は歩いている。空は隙間なく黒雲に覆われて
太陽が見えない。切れかけた蛍光灯が、薄暗い裏通りを揺らす。
男は三十代の前半に見えた。クリーム色のコートの下には高級な背広が覗く。
重職に就く者の貫禄を備えたその顔は、しかし、強い不安と焦燥を湛え、険しいものになっていた。
黒い傘をステッキのように握る男の右手は緊張のためか、かなりの力が込められている。
静まり返った通りに、男が傘の先を地面に突く、カツンカツンという冷たい音だけが響いていた。
初めて訪れた場所らしく、男は周囲を見回しながら慎重に進んでいた。
通りの両側に並ぶ建物は、塗料が褪せたり壁に亀裂が入ったりした、古いものが多かった。
中には完全に倒壊し、ただの瓦礫の堆積と化している場所もある。
と、静寂を破り、前方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。若い女性の、断末魔に近い響きだった。
男は表情を凍り付かせ、二、三歩後ずさりした。
暫くの間、男は立ち竦んだまま耳を澄ましていたが、悲鳴はもう聞こえず、
冷たい静寂が暗い裏通りに戻っていた。男は再び、前へと歩き出した。
135 :
憂。:2001/05/30(水) 19:28 ID:z6yLOl.A
道端に、大きな黒い塊が転がっていた。男は立ち止まって目を細め、その塊を見下ろした。
それは、焼け焦げた肉だった。人間の胴体のように見える太い肉塊から、
人間の手足のように見えるねじ曲がった細長い突起が伸び、人間の頭のように見える丸い物体も付いていた。
実際のところ、それは、人間の焼死体であった。焼け残った布の切れ端が、黒い肉にへばり付いている。
何日も放置されていたのだろう、死体の顔や腹の部分は、鼠が囓ったような痕が残っていた。
男は慌てて死体から目を逸らし、吐き気を堪えるように、深呼吸を何度か繰り返した。
冷静さを取り戻すと、男はまた、歩き始めた。
やがて、四階建てのビルディングが男の前に見えた。黒い煤が壁に染み付いてはいるが、
周囲の建物に比べると幾分ましな部類に入るだろう。
その最上階に、地味な看板が掛かっていた。素人が書き殴ったような字で、『後藤探偵事務所』と、描かれていた。
136 :
憂。:2001/05/30(水) 19:29 ID:z6yLOl.A
男は目的の場所を発見した安堵のため、小さな溜息をついた。だがすぐに口元を引き締める。
蝶番の壊れかけた扉を押し開け、男はビルディングの中に入った。
一階は誰も入っていないらしく、がらんどうになっていた。
フロアにはがらくたや木屑が転がっている。男はすぐ横手にある階段へと進んだ。
二階も一階とほぼ同じだった。床に残る赤い染みが、男の目を惹いた。だが男は黙って階段を上った。
三階も同じだったが、男は噎せ返るような臭気に眉をひそめた。濃厚な血の臭いと、
何かが腐ったような饐えた臭いは、どうやら更に上の階から漂っているらしい。床の赤い染みも増えている。
男はそれでも、階段を上り、目的の場所に辿り着いた。
四階には、まず手前に狭いフロアがあり、正面に古ぼけた木製のドアがあった。
ドアには、『後藤真希探偵事務所』と描かれた表札が付いていた。
これは専門の職人に頼んだらしく、彫り込み式の整ったものだ。
表札の下に、貼り紙がしてあった。
137 :
憂。:2001/05/30(水) 19:30 ID:z6yLOl.A
埃っぽい床を進み、男はドアの前に立った。貼り紙の文章を覗き込む。
貼り紙には下手糞な字で、『受付時間は午前十時から午後六時までです。
それ以外の時間帯には探偵として応対出来ない場合があります。』と書かれていた。
男が自分の腕時計を見下ろすと、アナログの針は午前十時五分を示していた。
血の臭いと腐臭は強くなっていた。男は緊張のためか恐怖のためか顔をしかめ、それでもドアをノックした。
「はーい、ちょ、ちょっと待って下さい」
慌てたような声が返ってきた。意外に若い声だった。
ドアの向こうで、何かを急いで片付けているような音がした。
男が黙って待っていると、一分も経たぬ内に再び声が届いた。
「どうぞー」
男はノブを捻り、ゆっくりと引き開けた。錆びた蝶番が嫌な軋みを上げる。
「失礼します」
男は事務所に足を踏み入れた。
138 :
憂。:2001/05/30(水) 19:32 ID:z6yLOl.A
フロアを幾つかに分割して使っているらしいその部屋には、正面に安物の机が据えられ、
その手前に、ゴミ捨て場から拾ってきたようなカバーの破れたソファーが置かれていた。
「いらっしゃいませ。まーどうぞどうぞ、座って下さい」
探偵が机の向こう側に座り、丁寧な口調で男にソファーを勧めた。探偵は、だぶだぶの白いシャツに身を包んでいる。
明かりを点けていない部屋は、外の通りよりも暗く感じられ、空気は黒く淀んでいた。
あの匂いが、これまでにない程に強くなっている。即ちこの場所が、匂いの発生源であるらしかった。
ソファーに腰を下ろした男の表情に気づき、探偵が言った。
「ああっと、すいません、匂いがきつかったみたいですね。窓を開けましょう」
探偵が立ち上がって、背後の窓を開けた。冷たい風が吹き込んでくるが、部屋に染み付いた臭気を消すことは出来なかった。
男はふと、床を見下ろした。机の下から赤い血溜まりが広がって、男の足下まで延びていた。
男は、少し屈んで、奥を覗き込んでみた。
机の陰から僅かながら、若い女性の手らしきものが見えた。空を掴むような形で凝固した、血みどろの手。
そういえば、先程の悲鳴は、この近辺から届いたようだった。
探偵がこちらへ向き直ったため、男は慌てて姿勢を正した。
「さて、ご用件は」
探偵が、にこやかに尋ねた。
139 :
憂。:2001/05/30(水) 20:17 ID:.IvlrPL6
午後の講義も終わり、学生達が大学からゾロゾロと溢れ出してくる。
仲間同士で他愛もないお喋りに興じながら。
「明日の法律学は休講だってさ。教授が通り魔に刺されて死んだって」
「やったね。じゃあ明日は雀荘行こうぜ」
他愛もないお喋りとは、こんな具合だ。
昼頃まで晴れていた空は雲が流れ寄り、どんよりと厚みを増していた。
「明日は雨が降るかも知れないね」
空を見上げて、横を歩く同性の友人に言ったのは、白のツーピースを着た女学生だった。
化粧は薄く、健康的な印象の美人だ。つぶらでクルクルと良く動く目が特徴的だった。
「そうね。なんか台風が来てるらしいわよ。土砂降りになるんじゃないかな。
嫌だなあ、明日の経済Bは代返効かないもの」
ジーパンにTシャツの友人は、そう言って口を尖らせた。
遠くで消防車のサイレンが聞こえていた。ビル街の隙間から黒煙が上がっているが、
皆慣れっこになっているらしく、それに目を向ける者などいない。
140 :
憂。:2001/05/30(水) 20:18 ID:.IvlrPL6
「よう」
正門の辺りで、白い服の彼女に声をかけてくる若い男がいた。
「あれ、押尾君、待っててくれたんだ」
彼女は明るい笑顔を見せた。
「だって今日は一緒に食べに行く約束だったろ。なつみが忘れてないかって心配してたんだ」
押尾は浅黒い肌の、スポーツマンタイプの色男だった。シャツの上からでも大胸筋の隆起が
はっきりと見て取れる。遊び慣れした印象もあるが、彼女を見つめる瞳には真摯な光があった。
「あ、忘れてた」
なつみと呼ばれた白い服の彼女は、悪戯っぽく舌を出した。押尾が苦笑する。
「じゃあ、明日香、ごめんね。また明日」
なつみはジーパンの友人を振り向いた。
「まあ、頑張って来なさいよ」
明日香がからかうような口調で言うと、二人は照れ臭そうに笑った。
街へ向かって歩き去っていく恋人達を、明日香は何処となく寂しげな顔で見守っていた。
そんな明日香の視界に、道端に停車している大型のバンが映った。
ボディの色はワインレッドで、窓には黒いフィルムが貼られていて中が見通せない。
エンジンをかけ放しにしているらしく、マフラーの先端から白い煙が洩れている。
141 :
憂。:2001/05/30(水) 20:19 ID:.IvlrPL6
なつみ達がバンの傍らを通り過ぎる時、いきなり側面のドアが開いて、
ぞろぞろと四、五人の男達が飛び出した。いずれも精悍な顔立ちで、暴力的な匂いを発散させていた。
思わず立ち竦んだ二人を、男達が素早く取り囲む。
「何だお前らは」
押尾が怯まず、強い口調で返した。男達の一人を両手で突き放そうとする。
派手な銃声が、大学通りの賑わいを打ち破った。
押尾の、首から上が、消失していた。
爆発したような断面から血が噴き出した。押尾の胴体が、クニャリと地面に崩れ落ちる。
銃身を切り詰めたポンプアクション式ショットガンを握るのは、真紅のスーツを着こなした男だった。
ひょろりと痩せたその男は、髪を長く伸ばし、口元には皮肉な笑みをへばり付かせていた。
なつみは、自分の置かれた状況が信じられないのか、目を見開いたまま凍り付いていた。
押尾の体から流れ出た血が、アスファルトの地面を赤く染めていく。のんびり歩いていた学生達が逃げ走る。
「乗せろ」
赤いスーツの男が命じると、男達はなつみの体をバンの中へと押しやって、次々と自分達も乗り込んだ。
142 :
憂。:2001/05/30(水) 20:20 ID:.IvlrPL6
ショットガンの銃口から立ち昇る白煙を、赤いスーツの男はじっと眺めていた。その細い瞳には、悦楽の色があった。
「はたけさんも早く乗って下さい」
「一発じゃあ撃ち足らんな」
部下の声を無視し、男は楽しげに呟くと、ガチャリと次弾を薬室に送り込み、
逃げ惑う学生達に向けて発砲した。その動作には些かの躊躇もなかった。
散弾を足や背中に浴びて、何人かの学生が倒れた。続けてもう一度、更にもう一度、
男は鳥や獣でも撃つように人を撃っていった。
「ハハッハッ」
犠牲者達の苦しみもがく様子を観察し、男はさも可笑しげに笑った。
それからショットガンをスーツの内側に収め、バンに乗り込んだ。バンはすぐに発進し、
猛スピードで赤信号の交差点も突っ切った。慌てて避けた軽自動車が大学の塀に激突する。
なつみを攫って走り去る大型のバンを、友人の明日香は呆然と見守っていた。
大学通りには、地面に倒れ呻き声を洩らす数人の学生と、首のない押尾の死体だけが残された。
をお!新作ですね!
期待大!
144 :
憂。:2001/05/30(水) 23:21 ID:iAEHbKok
殺風景な部屋の正面に、向かいからは足元が見えないような覆いの付いた、
木製の机が置かれ、その後ろには窓がある。椅子に座ってすぐ振り向けば、
窓の外の風景が見えるだろう。ただし、大して良い眺めではない。
机の手前には客用のソファーがある。緑色のカバーが破れ、所々薄いクッションが露出していた。
もし三人以上の客が訪れた場合に備え、部屋の隅には折り畳み式の椅子が立てかけられていた。
しかし、それはうっすらと埃を被っている。
部屋の左右に、それぞれ隣室へのドアがある。右のドアは開いており、隙間から冷蔵庫とベッド、
小さな流し台が見える。どうやら探偵は事務所で寝泊りしているらしい。
左のドアには、ノブに内蔵された鍵とは別に、大きな南京錠が掛かっていた。
ドア周辺の壁と床に、赤い染みが付いている。それはまるで血痕のように見えた。
145 :
憂。:2001/05/30(水) 23:22 ID:iAEHbKok
部屋の壁には、何十もの仮面やマスクの類が飾られていた。縁日で売っているような
安っぽい特撮ヒーローのお面から、昔ながらのひょっとこの面、仮面舞踏会で用いるような
目の辺りだけを隠す種類のものに、動物の着ぐるみの頭の部分、などなど。
中には白いホッケーマスクもあった。まだ新しいものもあるが、時を経て変色しかけたものもある。
それらの多くには赤い染みが付着していた。
机の向こう側から依頼人を見つめる探偵は、クリーニングを怠ったまま着潰したような
白いシャツ姿だった。中には何も着ていないようだった。シャツの胸元に、赤い小さな染みが
幾つか見えている。まだ新しい染みのようだった。
筋骨隆々という訳ではないが、意外にがっしりした体格をしていた。
肩の辺りまで伸びた髪は自分で切っているのか、やや左右がアンバランスだった。
その目は眠たげな色を湛え、唇は、常に何かを面白がっているような微笑を浮かべていた。
146 :
憂。:2001/05/30(水) 23:23 ID:iAEHbKok
「ごとう……さん、で、ええんかな」
三十代前半の依頼人はコートと傘を脇に置いて、まず探偵に尋ねた。その声は微かに震えていた。
「そう、ごとう、です。なぜか良く間違えられる事があるんですよ」
探偵事務所の所長であり唯一の所員である後藤真希は、穏やかな口調で答えた。
時にその声は、やや投げ遣りで気怠いものに変わる。
「よくある名字やけどね」
「ええ、そうなんですよ。名付けた私も驚いてます」
後藤の言葉に、依頼人の目が大きく見開かれた。
「……。名字を、自分で考えたんか?」
「え、皆さんは違うんですか」
ちょっとびっくりしたように、後藤が聞き返す。
事務所に、重苦しい沈黙が落ちた。
十秒程してから、改めて後藤が尋ねた。
「それで、ご用件は何でしょう」
「そ、そうやね。そのために俺は来たんやから。
俺は寺田光男といって、この八津崎市で議員をやっとる」
「ははあ、市議さんですか。なるほど……」
後藤が自分の顎を撫でる。
147 :
憂。:2001/05/30(水) 23:25 ID:iAEHbKok
「もしかして、俺のことを知ってたんか」
「いえ、全く知りませんね」
後藤は平然と答えた。
「いやあ、それにしても、ここって八津崎市というんですか。
まるで、後から苦し紛れにつけたような名前ですね。いや、誰のこととは言わないですけど」
戸惑い顔の寺田の前で、後藤は意味不明の言葉を口にした。
「それで、市議さんが、どういう依頼で来たんですか」
促され、依頼人・寺田は気を取り直して話し始めた。
「実は、暴力団に誘拐された、俺の妹を救い出して欲しいんや」
寺田の顔が、重い役割を背負う者の厳粛なそれから、妹の身を案じるただの兄のそれに変わった。
「妹が攫われたのは昨日の午後五時過ぎ、大学からの帰りやった。
数人の男達によってバンに押し込まれるところを、妹の友人が見とる。
俺の所にその彼女から電話があってすぐ、犯人からも連絡が入った。
妹の命と引き換えに、二十四時間以内に一億円を用意しろとのことや」
「警察には言いましたか」
「いいや」
寺田の顔に暗い翳が差す。
148 :
憂。:2001/05/30(水) 23:26 ID:iAEHbKok
「警察へ通報しないようにと念を押されたんや。俺は彼らの手口を知っとる。
警察内部に内通者がいるんや。一年半前、俺の知人が同じように、娘を彼らに誘拐された。
警察に通報したところ、その二時間後には宅配便で小包が届いた。中に何が入っていたと思う?」
「さあ。何でしょう」
「娘さんの生首だったそうや」
寺田の声は震えていた。
「ほほう」
後藤は軽く眉を上げたが、それは幾分嬉しそうにも見えた。
「それで、あなたは最初に、暴力団、と言いましたけど、犯人の正体を知ってるんですか」
「ああ。彼ら自身が電話口で名乗ったんや。鈴木会って」
「ほほう、鈴木会ですか」
「鈴木会のことは知ってたんか」
「いえ全然」
微笑を崩さず答える後藤に、もう寺田は構わなかった。
149 :
憂。:2001/05/30(水) 23:27 ID:iAEHbKok
「鈴木会は、五年程前から急速に勢力を拡大してきた組織や。組員は四十名前後と聞く。
八津崎市内にひしめき合う暴力団の中でもかなりの武闘派で、逆らう者には容赦せえへん。
しばしば見せしめのため、惨殺死体をビルの屋上から吊るしとるし、三百人近い死傷者を出した
深田デパートの爆破事件は、経営者が規定の上納金を払い渋ったためと言われとるんや。
鈴木会は自分達のやってきたことを平気で公言し、住民は皆恐れてる。また、若い組員達の詰めている
事務所は分かっているんやけど、組長のいる本拠地は知られとらんし、その名も不明や」
「良く調べてますね」
後藤が言うと、寺田は自嘲的な笑みを浮かべてみせた。
「市議会で、鈴木会の追い出しを強く主張したのが俺だったんや。
妹が誘拐されたんは、そのことが彼らの気に触ったからなんやろうな。
そして、一億円を渡しても、妹が無事に帰ってくる保証は全くないんや」
「ふうむ」
後藤は顎を撫でた。面白がっているような口元の笑みが深くなっている。
「まあ、攫われた妹さんが無事にお戻りになれば宜しい訳ですね」
「引き受けてくれるんか」
その目に必死の願いを湛え、寺田が前へにじり寄った。靴の先が血溜まりに触れた。
「分かりました。やってみましょう」
後藤の返事に、寺田は深々と頭を下げた。足元の血溜まりがその視界に入る。
150 :
憂。:2001/05/30(水) 23:29 ID:iAEHbKok
「おそらく妹は事務所の方でなく、本拠地の方に監禁されているんとちゃうやろか。
かなり酷い目に遭わされてるかも知れへんけど、せめて命だけでも……」
「まあ、今日の内に片が付くでしょうね。まずは、鈴木会の事務所が何処にあるのか教えてもらえますか。
それと、妹さんの顔写真か何かあれば」
「持ってきとる」
寺田がポケットから、一枚の写真を取り出した。二十才前後の、健康的な色気を発散する美人だった。
「妹の名前はなつみっていうんや」
「ふうむ」
写真を見つめる後藤の目が、次第に不思議な色合いを帯びていった。
迂闊に覗き込めばそのまま吸い込まれてしまいそうな、恐ろしく深い闇。
「いや、だめだめ。これは仕事だから」
後藤は自分に言い聞かせるように、首を振った。整髪料を使っていない髪が揺れる。
「報酬は、そうですね、十万円くらいにしときましょうか、寺田さん。それだけあればもう暫く生活出来そうだし」
「はい、それでええんやったら」
寺田はもう一度頭を下げる。
151 :
憂。:2001/05/30(水) 23:32 ID:iAEHbKok
「あの……ところで、後藤さん、さっきから一つ、気になることがあるんやけど……」
言いにくそうに、寺田は自分の足元の血溜まりを見下ろした。
後藤が寺田の視線に気づき、机越しに上体を乗り出して、それを見た。
「あらら」
後藤は大して困ってもいない口調で言った。
「いやあ、心配は無用です。ちょっとお待ちを」
後藤が机の下に腕を差し入れた。ゴキゴキ、と、音がした。
「えーっとねえ」ブチブチ、と、音がした。
後藤が素手で掴み出したのは、若い女の生首だった。血塗れの顔は凄まじい苦痛と
恐怖に歪んだまま凍り付き、首筋は力づくで無理に引きちぎられた無惨な断面を晒していた。
「ほらね、あなたの妹さんじゃないでしょう。安心安心」
後藤は血の滴る生首を、脇へ放り投げた。
それは壁をバウンドして赤い染みを残し、隅に置かれた屑篭にすっぽりと収まった。
152 :
憂。:2001/05/30(水) 23:34 ID:iAEHbKok
絶句する寺田に、後藤は机の上の箱を指し示した。
「まあ、この中から、選んでみて下さい。そうですね、今回は、二枚でいいですかねえ」
箱の上面には、丁度手が入るくらいの丸い穴が開いていた。
寺田が上から覗いてみると、折り畳んだ小さな紙片が何十枚も入っている。
「あっと、見ないで選んで下さいよ」
後藤は何処となく楽しげに見えた。寺田は後藤の言葉に従って、
おずおずと箱の中に手を差し入れ、二枚を選び出した。
「ふむふむ、十九番と……七十二番ですね。ちょっとお待ちを」
紙片を受け取った後藤は、それを開いて読み上げると、左のドアへ向かった。
彼女は素足に直接スニーカーを履いていた。ポケットから鍵束を出して、二つの鍵を開ける。
ドアを軋ませながら、後藤はその部屋に一人で入っていった。
寺田は目を剥いた。ドアの隙間から、少しだけ奥の様子が見えたのだ。
左の部屋には、棚に壁にびっしりと、様々な凶器が飾られていた。
目に入っただけで、日本刀や鉈や斧や電気ドリルや槍の穂先などがあった。
153 :
憂。:2001/05/30(水) 23:35 ID:iAEHbKok
「ありましたよー」
機嫌良く後藤が戻ってきた。両手にそれぞれ凶器を持って。
右手に握られているものは、大型の植木鋏だった。柄の部分に十九と書かれた紙がテープで貼られていた。
左手に握られているものは、木の伐採などに用いるチェーンソーだった。こちらには、七十二と書かれた紙が貼られていた。
二つの道具は、どちらも良く手入れされており、刃は黒光りしていた。
この薄汚れた事務所の主の物だとは、信じられない程だ。
「いやあ、なかなか良い品を選びましたね」
寺田の前で、後藤が、とろけそうな笑顔を見せた。
「あっとそれとですね、非常に申し訳ないんですけど」
「な、何や」
寺田は慌てて立ち上がろうとするが、腰が抜けているらしく動けない。
或いは、逃げるつもりだったのかも知れない。
後藤がチェーンソーに目を向けて言った。
「これに使うガソリン代は、報酬とは別代金にして欲しいんですけど、宜しいですかねえ」
154 :
まちゃ。:2001/05/31(木) 01:07 ID:yDbeVbhI
「Manslaughter」って何語?
あとなんて読むの?意味は?
155 :
憂。:2001/05/31(木) 01:21 ID:PLfgYDN2
>>154 英語。「man-slaughter」って分ければいいと思う。
読み方は「マンスローター」で、意味は「殺人鬼」かな。
分かりにくいタイトルでごめんね。
156 :
憂。:2001/05/31(木) 01:24 ID:PLfgYDN2
四十分後、後藤真希は特大のスポーツバッグを抱え、向かい側のビルを観察していた。
まだ新築らしい二階建て。入り口の大きな看板には、『鈴木総合開拓事業』とある。
ビルの屋上から、太いロープが二本、下がっていた。先はそれぞれ、逆さに吊られた死体の足に
結び付けられていた。地面に触れるか触れないかというところで、二つの死体がゆらゆらと揺れている。
片方の死体は、胸の辺りに大きな風穴が開いていた。
至近距離からショットガンで撃たれると、こんなふうになるかも知れない。
もう片方の死体は、眼球を抉り出され、耳鼻を削ぎ落とされ、両腕を切断されていた。
まだあまり日数が経過していないらしく、それらの下の地面には血溜まりが残っていた。
ビル前は、度重なる逆さ吊りディスプレイによるものか、その部分の歩道だけが濃い赤色に染まっていた。
「ふうむ。なかなか洒落てるっすねえ」
感心したように、後藤は呟いた。
「さて、どうすしようかな」
後藤は地面に屈み、薄汚れたスポーツバッグを下ろしてジッパーを引き開けた。
研ぎ澄まされた植木鋏の刃先が顔を出し、それを見つめる後藤の瞳が、喜悦の色を帯びていく。
157 :
憂。:2001/05/31(木) 01:25 ID:PLfgYDN2
と、ギュルルルルル、と後藤の腹の虫が鳴った。
後藤は情けない顔になって、周囲を見回した。
丁度、後藤の後ろに、スマイルピザというピザ屋のチェーン店があった。
後藤はポケットに手を入れ、擦り切れた財布を取り出した。紙幣は一枚も入っていない。
小銭を数えると、二百三十一円しかなかった。
「前払いにしてもらえば良かったっす」
後藤は呟いて、財布を戻した。
ピザ屋の入り口には、等身大の人形が立っていた。赤いレオタードを着たそのキャラクターは
スマイルピザのマスコットで、スマイル君と呼ばれている。
プラスチックで出来たスマイル君の顔は、直径が七、八十センチ程の、
平たい円形になっている。ピザの生地を模したその顔は、たっぷりのチーズで黄色の肌をして、
半月形に切られたトマトの目と、ソーセージの鼻、大きな海老の口が載っていた。
満面の笑みに輝くスマイル君の顔を、後藤は暫くの間見つめていた。
158 :
憂。:2001/05/31(木) 01:26 ID:PLfgYDN2
「今回はこれにするっす」
後藤は立ち上がり、スマイル君の巨大な頭を無造作に引っ掴んだ。
バキバキ、と、首の部分が折れて、後藤はスマイル君の頭を手に入れた。
後藤は首の断面を覗き込み、内部が空洞であることを確かめた。
「さて」
戦利品をなんとかスポーツバッグに押し込むと、後藤は歩き出そうとした。
その時、一人の店員が慌てて飛び出してきた。
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ。うちのマスコットに何てことするんですか」
まだ若い、女性の店員だった。
「いや、使おうと思って」
当然のように答え、後藤は店員を見た。
「使おうと思ってって、あんた、そんなこと好き勝手にやっていいと思ってるんですか。
ちょっと来て下さいよ。弁償してもらいますからね全く……」
捲し立てる声など聞こえぬかのように、後藤は冷静に店員の服を上から下まで観察した。
鍔だけの帽子に、縦縞のシャツ。ズボンも含め、色調は青で統一されている。
にっこりと、後藤は店員に笑いかけた。
「なかなか良い服を持ってますね。ちょっと来て下さい」
呆気に取られる店員の首筋を、後藤はスポーツバッグを持っていない方の手でむんずと掴み上げた。
159 :
憂。:2001/05/31(木) 01:27 ID:PLfgYDN2
「あ、な、何を……」
店員は手足をバタつかせるが、圧倒的な筋力差があるらしく、
後藤の手を引き剥がすことが出来ない。足先が地面から離れかけていた。
「まあまあ」
ゴキン、と、店員の首の辺りで不気味な音がした。
店員が白目を剥いた。手足が力なく垂れ、ピクリとも動かなくなる。
ふと後藤が店の奥を見ると、若い男性の店員が、心配そうにこちらを見ていた。
「いやあ、良い店っすねえ」
後藤は彼に軽く頭を下げると、店員の体を引き摺って、建物間の細い路地に消えていった。
160 :
憂。:2001/05/31(木) 15:12 ID:pl2fo62I
ピザ屋の店員の服装をした少女が鈴木会のビルの前に立ったのは、五分後のことだった。
鍔だけの青い帽子を被るのは、後藤真希だった。左手にスポーツバッグを、右手には黒光りする
植木鋏を持っていた。ピザ屋の制服は後藤の体格に合わず、前腕と脛の半ば程が剥き出しになっている。
植木鋏は刃の部分が二十センチ程、木製の柄が五十センチ程の長さであった。
二つの柄を纏めて右手に握り、鋏の先端を見つめる後藤の瞳に、再び不気味な輝きが渦を巻き始めた。
と、後藤は首を振ってそれを追い払った。
「だめだめ。今は冷静にやらなきゃ」
深呼吸を何度か繰り返すと、玄関の両側で風に揺れている二つの死体を横目に、
後藤はスポーツバッグを持った左手で、曇りガラスになった入り口の扉を押し開けた。
「こんちはー」
にこやかに挨拶して、後藤は中の様子を見渡した。二階への階段は右にある。
すぐ前に、低いテーブルとソファーの置かれた広間があり、屈強な男達が四人、
腰を下ろしてテレビを観ていた。その粗暴な顔立ちと服装は、誰が見ても下っ端やくざだと分かる。
男達の視線が一斉に後藤へ集まった。
161 :
憂。:2001/05/31(木) 15:13 ID:pl2fo62I
「何だい、あんたは。ピザ屋か。今日は頼んでねえぞ」
パンチパーマの男が胡散臭そうに聞いた。
後藤はスポーツバッグを床に下ろし、彼らの方へ歩み寄った。
「ちょっとお尋ねしますけど、ここで一番偉い人は誰ですか」
後藤の問いに、彼らは互いの顔を見合わせた。そして、後藤が持つ植木鋏も見た。
「だから何なんだよ、おめえ。表の死体を見なかったのか。あんまり舐めた口きくと、お前もああなるぞ」
坊主頭で頬に傷のある若者が凄みを利かせたが、後藤の表情は変わらない。
「取り敢えず、あなたじゃないですね。あーパッチン」
言うなり、後藤の植木鋏が動いた。
パッチン、ではなく、ギジャリ、とでもいうような不気味な音が、室内に響いた。
坊主頭の男の喉が、大きく横に裂けていた。
「あゴゴゴゴブッ」
男は何か言おうとしたが、出てきたのは鮮血だけだった。傷口からも血が噴き出した。
鋏は頚動脈を切断していた。そのまま崩れ落ちていく仲間を、残った三人は呆然と見つめていた。
162 :
憂。:2001/05/31(木) 15:14 ID:pl2fo62I
「一番偉いのは誰かなあ」
両手で鋏を開き、後藤が歌うような口調で言った。
刃から柄の方へ、ドロリと血が流れ落ちていく。
「て、てめえ……」
我に返ったサングラスの男が、背広の内側に手を入れた。
「あなたも除外、ほれパッチン」
ゴジャリ。サングラスの男の右手首が、あっけなく植木鋏に切断されて床に落ちた。
その手は拳銃を握っていた。
「うわあああああっ」
サングラスの男は血の噴き出す手首を左手で押さえ、泣きそうに顔を歪めて喚いた。
その大きく開かれた口の中に、後藤は閉じた植木鋏を突っ込んだ。首の後ろから血塗れの先端が顔を出す。
「ああ〜偉いのは〜」
後藤は微笑を浮かべ、眠たげな目つきで彼らを見下ろしていた。
「こ、この野郎」
短刀を抜いたパンチパーマが、後藤に向けて腰溜めに突進してきた。
後藤が植木鋏を横殴りに振り回すと、刺さったままだったサングラスの死体が軽々とついてきた。
短刀が貫いたのは、サングラスの男の腹であった。死体にのしかかられてパンチパーマが倒れる。
163 :
憂。:2001/05/31(木) 15:15 ID:pl2fo62I
「あーパッチン」
開いた鋏をパンチパーマの顔面に当て、後藤はにこやかに力を込めた。
目の下が横断され、眼球が飛び出した。
「あぎいいいいいっ」
叫ぶパンチパーマの顔を、後藤は真上から無造作に踏みつけた。
頭蓋骨が砕け、顔面の傷口から脳味噌がはみ出した。
「さーて、残ったのはあなたですけど」
後藤が振り向くと、残った革ジャンの男が、サングラスの男の落ちた手首から
拳銃を引き剥がそうとしているところだった。
革ジャンの男は後藤の視線に気づくと、すぐに両手を上げて後ずさった。
失禁したらしく、ズボンの股間の辺りが濡れている。
「ひいっ、た、助けて」
「まあまあ落ち着いて」
後藤は優しく告げながら、血みどろの植木鋏を構えてにじり寄る。
164 :
憂。:2001/05/31(木) 15:18 ID:pl2fo62I
「どうしたの、耕司」
その時、背後から若い女性の声がした。
「ね、姐さん、助けてくれよ、こいつが……」
耕司と呼ばれた革ジャンの男が、ホッとした表情を見せた。
「何なのそいつは。ビザ屋?」
後藤が声の方を振り向くと、階段の半ば程に、Tシャツと短パンを着た女性が立っていた。
年齢は二十才前後か。不摂生のためか目の下に青い隈があるが、一階に詰めていたチンピラ達とは異なる貫禄があった。
「初めまして、後藤真希です」
植木鋏を構えたまま、後藤は丁寧に一礼した。
「知らないね。何処の人? 殴り込みなの」
Tシャツの女は拳銃を抜いた。或いは女には、後藤の武器が植木鋏であるという
ことへの侮りがあったかも知れない。
「ちょっとお待ち下さいねー」
後藤はTシャツの女に言うと、革ジャンの男へと向き直った。
その薄い唇の両端が、信じられない程に高く吊り上がり、悪魔的な笑みを作った。
165 :
憂。:2001/05/31(木) 15:22 ID:pl2fo62I
革ジャンの男の顔が、幼児のような情けない泣き顔を作った。
「あなたは要りませんねえ。パッチン」
実際にはジャギッと音がして、革ジャンの下の白いシャツを赤く染め、
植木鋏が男の腹部を大きく切り裂いていた。
「あいいいいいっ、痛え、痛えよお」
泣き叫んだため腹圧がかかり、破れた腹壁から腸がはみ出した。
「パッチンパッチンパパッチン」
後藤は革ジャンの男の腹から鋏を抜かずに、何度も刃を開閉させた。大量の血飛沫が撥ねる。
「うわあああっ、耕司、ここ、このっ」
乾いた銃声がビル内に木霊する。だがその前に、異常な敏捷さで後藤は身を翻し、
鋏伝いに革ジャンの男を持ち上げて盾にしていた。革ジャンの背中に穴が開く。
「ね……姐さん……」
必死に首を捻りながら呻く、革ジャン男の口から血が溢れた。
「ランラランララーン」
後藤が革ジャンの体を盾にしたまま階段へ向かって走った。更に二度、
Tシャツの女が発砲したが、それは革ジャンの男に止めを刺しただけだった。
166 :
憂。:2001/05/31(木) 15:24 ID:pl2fo62I
「チイッ」
Tシャツの女が二階へと逃げた。革ジャンの死体を掲げたまま後藤が階段を駆け上がる。
ドッ、と、鋭い刃が革ジャンの脇腹を突き抜けて後藤を襲った。階上に待ち構えていた別の組員の仕業だった。
突き込まれた日本刀に構わず、後藤は革ジャンの死体をその男に向かって押し付けた。
植木鋏の先端が革ジャンの背中を突き抜けて、日本刀を持った男の胸に突き刺さった。
「ふうむ。二段刺しっすね」
後藤が折り重なった死体を鋏伝いに持ち上げ、感心したような口調で呟いた。
後藤の脇腹に血が滲んでいるが、彼女は平然と立っていた。
「こ、この……」
Tシャツの女の発砲した銃弾は窓ガラスを割った。女に向かって、後藤が二つの死体を投げ付けた。
避け切れず、下敷きになった女を跨いで立ち、後藤は飽くまでもにこやかに見下ろしていた。
「あーパッチンパッチンパッチンパッチン」
後藤は職人の如き手際の良さで、スニーカーで踏み転がして適切な角度に変えながら、女の手足の腱を切断した。
「ぐ、ぐううううう、このおっ」
「ねえ、どうしたの」
その時奥の扉が開いて、下着姿の女が不用意に顔を出した。
「ほれパッチン」
反射的に後藤の長い腕が動いて、植木鋏が女の首を切断していた。
皮一枚で繋がった状態で、女の首が後ろにゴロリとひっくり返った。
血を噴出させながら、女の体が扉を押し開けて前のめりに倒れる。
167 :
憂。:2001/05/31(木) 15:25 ID:pl2fo62I
「あっ、しまった」
絶句する男の上で、後藤がポケットから一枚の写真を取り出した。
着替えた時に移しておいたものだ。俯せに倒れながら真上を向いている女の虚ろな顔を、
写真の顔と見比べて、安堵の息をつく。
「あー良かった良かった、別人だったっす」
「な……何者だ……あんた……」
女の血を顔に浴び、手足の痛みを堪えながら、Tシャツの女が声を絞り出した。
「いや実は、この写真のおおっと」
用件を喋りかけ、しかし後藤の目は、部屋の隅に置かれた冷蔵庫に向けられていた。
後藤の腹が鳴った。
「ちょっ、ちょっと待って下さいねー」
後藤は、二つの死体の下になってもがく女の手を取り、植木鋏で両手首を纏めて突き刺して床に縫いつけた。
獣のような唸り声を上げる女を放って、後藤は冷蔵庫に歩み寄り、恐る恐る開けてみた。
168 :
憂。:2001/05/31(木) 15:40 ID:pl2fo62I
「ほほーう」
冷蔵庫の中には、食べ残しのバースデイケーキが収まっていた。苺の載っている白いケーキだった。
「いやちょっと失礼して」
後藤は血塗れの手でケーキを掴み、そのまま食べ始めた。
「いやあ、なかなかおいしいですよこれ。誰の誕生日だったんですか」
「わ、私だよ畜生……」
「それはおめでとうございます」
後藤はケーキを頬張りながら頭を下げた。
あっという間にケーキを食べ終えると、後藤は冷蔵庫の中にシャンパンのボトルを見つけ、
ラッパ飲みした。五秒で後藤の顔が赤くなった。
「いやあ、何から何までお世話になりまして」
後藤はふらつく足取りで女に近寄り、うっかりと女の右足を踏んづけた。
ゴキリと嫌な音がして、女が悲鳴を上げる。
「おおっとすみませんねえ」
後藤はもう一度写真を取り出して、女に見せた。
「この方なんですけど、何処にいるかご存じないですかねえ」
「ふん……知らないねえ。あんたは寺田に頼まれたのか。これで寺田も終わりだな。
妹はバラバラにして送り返す。寺田もその親戚も一人残らず皆殺しだ」
169 :
憂。:2001/05/31(木) 15:41 ID:pl2fo62I
女は後藤に向かって唾を吐きかけた。後藤は素早く避ける。
「困ったなあ。なんとか教えてもらわないとねえ」
後藤は頭を掻き、一人で階段を下りていった。女が手首に刺さった鋏を
なんとか引き抜こうと奮闘していると、すぐに後藤が戻ってきた。
後藤は、スポーツバッグを抱えていた。
「フンフンフーン」
機嫌良く鼻歌を歌いながら、後藤はスポーツバッグを開けた。
取り出された物を見て、Tシャツの女は、大きく目を見開いた。
それは、全長一メートル程の、チェーンソーだった。
後藤がスターターを引くと、小気味良い唸りを上げてチェーンが回り出した。塗り立ての手入れ油が散る。
チェーンソーを構えた後藤がにっこりと微笑みかけると、あっけなく女は折れた。
「わ、分かった、言う、言うからやめて」
最初に女が見せた威厳は、もはや完全に崩壊していた。
「いやいやそんなに早く言っちゃ駄目ですよ。女ならもっと我慢しなくちゃねえ」
震動する凶暴な刃を、女の足に、心底楽しげな顔で後藤が押し付けた。裂けた肉と血が飛び散る。
170 :
憂。:2001/05/31(木) 15:43 ID:pl2fo62I
「ぐぎゃあああああああっ」
「ああ〜女なら〜」
また後藤が歌い出した。
「あぎいいいいいっ、言う、言う、寺田の妹は小室さんの屋敷だよ」
「小室……誰ですかそれは」
残念そうにチェーンソーを離し、後藤が訊いた。
「小室哲哉、知らないの、市会議員だよ。そうだよ、寺田と同じ八津崎市の市議だ。
小室さんは裏では私達のボスだ。このことは警察だって知らないんだ」
「ふーん、で、住所は。私にも分かるように教えてくれますか」
女が泣きながら住所を教え、後藤はそれを手帳に書き留めた。古い手帳は、三年前の年度になっていた。
「た……助けて。これを言っちゃった私は、仲間に殺される」
「そんな心配は無用ですよ」
後藤が静かに告げた。安心して見上げた女の顔が、凍り付いた。
その顔はもう酔ってはいなかった。後藤の瞳の中で、不気味な昏い輝きが渦を巻き始めていた。
171 :
憂。:2001/05/31(木) 15:45 ID:pl2fo62I
スポーツバッグから、後藤が大きな人形の頭を取り出した。
向かいのピザ屋のマスコットである、スマイル君の頭部だった。
首の辺りを少し折り取って穴を広げ、後藤がその中に自分の頭を突っ込んだ。
すっぽりと程良く収まった。
すぐに外して、後藤はスマイル君の顔を見つめ、その口の上辺りに、指先で穴を掘った。
横並びに二つ。被った時に、丁度後藤の目が位置する場所だった。
黙々と、後藤はその作業を終えた。
そして、再び、後藤がスマイル君の頭を被った。
「あああああ、あああああああ」
Tシャツに短パンの女が、情けない声を出した。
女は、失禁していた。
アンバランスに大きな仮面を首に載せ、後藤真希はチェーンソーを掴み上げた。
二つの穴から覗く後藤の瞳は、あらゆる感情を排除した、恐ろしく冷たい光を放っていた。
紅蓮地獄と呼ばれる酷寒の地獄がもし本当に存在するのならば、或いはその時の後藤の瞳に似ていたかも知れない。
「ああああ、ああああああああああ」
後藤が、チェーンソーを、振り下ろした。
172 :
名無し娘。:2001/06/01(金) 00:31 ID:TpMUHHJI
く、狂ってる・・・ が、すごく惹かれる・・・
173 :
憂。:2001/06/01(金) 14:14 ID:ick7dgQ2
広大な敷地内に小室哲哉の屋敷はあった。正門前に立って左右を見回すと、高い塀が何処までも続いている。
「いやあ、金持ちっすねえ」
後藤はちょっと切なげに嘆息した。
ピザ屋の服装に、右手にチェーンソー、左手にスマイル君の頭を持ち、
後藤は正門の前に立っていた。武家屋敷の入り口に似た、大きな木製の門が、後藤の行く手を塞いでいる。
門の横に、大理石で出来た小室哲哉の門標があり、その上に、市会議員と書かれた札が掛かっていた。
雨が降り出していた。既に後藤の服からは水が滴り落ち、濡れた髪が額にへばり付いていた。
後藤はスマイル君を小脇に挟み、左手でインターホンのスイッチを押した。
「……。どなた」
若い女性の声が返ってきた。
「スマイルピザでーす。ご注文のピザをお届けに上がりました」
後藤は元気良く答えた。少しの間、沈黙があった。
「どうぞ、中へ」
そう言ってきたのは男の声だった。遠隔操作出来るらしく、正門が自動的に内側へと開いていく。
「どうもー」
後藤はそのまま奥へと進んだ。屋敷へと続く石畳の両側には木々が立ち並び、
まるで森の中に迷い込んだようだ。遠くから長閑な鳥の鳴き声が聞こえている。
174 :
憂。:2001/06/01(金) 14:30 ID:ick7dgQ2
降りしきる雨の中、後藤の顔は、次第にある期待へ輝き始めた。歩くペースが速くなっていく。
後藤はチェーンソーのスターターを引いた。唸りを上げて血みどろの機械が回り始める。
「アプー。アピャー。アピー。ううん、ちょっと違っすねえ」
何かを模索するように、後藤は奇妙な言葉を口に出していった。右手ではチェーンソーが獲物を求めて震動を続けている。
「アッペー。アッピョー。アッペニャー」
小室の豪華な屋敷が見えてきた。木造の、昔ながらの日本式家屋だ。何部屋くらいあるのか見当もつかない。
「アペニャー。今日はこれっすね」
後藤は満足げに頷くと、内部に湧き上がる衝動に堪え切れぬかのように、全身を震わせた。
低い石段を上がり、玄関の前に立つと、またもやその横に付いているインターホンのボタンを押した。
そして、スマイル君の仮面を頭に被ろうとした。
ドン。
轟音と共に、後藤の体が後ろに吹っ飛んだ。チェーンソーもスマイル君の頭も離さなかったが、
彼女はそのまま地面に仰向けに倒れた。
白いシャツの胸の部分に、大きな穴が開いていた。その周りに小さな穴も幾つかある。
至近距離から発射された、散弾によるものだった。
玄関の扉が丸く破れていた。スライド式の扉を開けて現れたのは、真紅のスーツを着た男だった。
髪を長く伸ばしたその男は、唇を皮肉に歪めていた。銃身を短く詰めたショットガンの銃口から、煙が立ち昇っている。
175 :
憂。:2001/06/01(金) 14:31 ID:ick7dgQ2
「頭がイカレとるんか、お前は」
後藤を見下ろして、赤いスーツの男が吐き捨てるように言った。
その声は、インターホンで応対した男の声だった。
「門の上に監視カメラが付いてたのに気づかなかったんか。そんなもん持ったピザ屋なんて
いる訳ないやろが。何処の鉄砲玉かは知らんけど」
「いやいや、固定観念に囚われてはいけません」
後藤の平然とした声に、赤いスーツの男は目を丸くした。
散弾は、心臓をズタズタに破壊している筈だった。
まともな人間ならば、即死している筈だった。
「私は世界で唯一人、チェーンソーを持ったピザ屋です」
むくりと後藤が起き上がった。その胸は朱に染まっていた。
悪魔のような笑みを、後藤は見せた。左手が上がり、スマイル君の巨大な頭が後藤の頭をすっぽりと覆う。
「こ、この……」
赤いスーツの男が次弾を薬室に送り、再び発砲した。
散弾は後藤の胸と腹と仮面に無数の穴を開けたが、後藤はびくともしなかった。
176 :
憂。:2001/06/01(金) 14:32 ID:ick7dgQ2
「アペニャー」
気の抜けるような奇声を面の下から洩らし、後藤が立ち上がった。
赤いスーツの男が再度発砲した。後藤の体に穴が増えたがそれだけだった。
赤いスーツの男が更に発砲した。後藤の体に穴が増えたがそれだけだった。
男の顔から皮肉な笑みは消え、そこには恐怖と焦燥感だけが絡み付いていた。
相手が一人だと判断して高を括り、後藤の出迎えに来たのは赤いスーツの男だけだったらしい。
チェーンソーを掲げた後藤が魔性の疾さで迫った。赤いスーツの男が身を翻して逃げようとした。
「アペニャー」
「うげああああああっ」
赤いスーツの男の背中を、チェーンソーが斜めに引き裂いた。いや、チェーンソーは胴体を両断していた。
二つに分かれた男の肉体が玄関を通り抜け、内臓を撒き散らしながら床の上に倒れた。
「うわっ、はたけさんっ」
赤いスーツの男の死体を見て、廊下を歩いていた男達が声を上げた。
チェーンソーを持ち大きな仮面を被りピザ屋の制服を着た後藤に、男達は唖然と息を呑む。
177 :
憂。:2001/06/01(金) 14:33 ID:ick7dgQ2
「アペニャー」
立ち竦む男達へ、後藤が突進した。慌てて内ポケットへ手を入れる男達の首を、横殴りのチェーンソーが纏めて切断した。
「きゃああああっ」
顔を出した女中が悲鳴を上げた。その首が宙を飛んで廊下の壁にぶつかった。
「アペニャー」
廊下は血の海と化していた。スマイル君の頭を揺らせながら、後藤真希は広い屋敷内を歩き回った。
ドタドタと駆けてきた黒服の男達が、後藤へ向かって一斉に発砲した。
ピザ屋の服に血の花が咲く。しかし後藤の歩みは逆にスピードを増した。
「うわっ、ば化け物うぎゃあああああ」
「アペニャー」
後藤の声は異様に落ち着いていた。身を庇おうと差し上げられた腕ごと、
チェーンソーは相手の胴体を斜めに切断した。血飛沫を浴びて男達が悲鳴を上げる。
「アペニャー」
逃げ惑う男達を追いかけて後藤のチェーンソーが唸る。腕をもがれ足を切られ首が飛び、
男達は次々と解体されていく。女中にぶつかって一緒に倒れた男の胴体を、女中の体ごとチェーンソーが串刺しにした。
178 :
憂。:2001/06/01(金) 14:35 ID:ick7dgQ2
「アペニャー」
恐慌の叫びに、後藤の静かな声は掻き消された。返り血と自分の血の混ざった血みどろの姿で後藤は歩き回り、
血みどろのチェーンソーを振りかざして手当たり次第に殺していった。市会議員の豪勢な邸宅は、
死体が一杯の血みどろの邸宅へと変貌した。
「アペニャー」
襖を裂き破った奥の広間に、黒服の男達に守られて、四十近い男が座っていた。
痩せ細った体を和服で包み、長い髪と縦長の顔を晒していた。護衛の男達の拳銃とライフルが火を噴いた。
後藤の上体が僅かに仰け反った。だがそれだけだった。絶え間ない銃撃を浴びながらチェーンソーが振られ、
手足や首が宙を舞った。男を見捨てて逃げ出した護衛の胴体が、横殴りの一閃で真っ二つになった。
バラバラの死体に囲まれ、男は腰が抜けたらしく立てずにいた。
「ぼ、ぼ、ぼぼ、ぼくを、小室哲哉と、し知っての、ろろろ狼藉か」
「アペニャー」
後藤が答えた。スマイル君の顔に開いた二つの穴から覗く目は、絶対零度の冷酷さを湛えていた。
「たた、た助けてく……」
男の口からは涎が垂れていた。後藤がチェーンソーを無造作に突き出した。
男の細い腹をチェーンソーが突き破り、血と肉片を撒き散らしながら背中まで抜けた。
後藤はチェーンソーを差し上げて、男の痙攣する体を高く持ち上げた。そのまま後藤は部屋を出て、
廊下を歩いていった。もう屋敷には、生存者は見当たらなかった。後藤がふと足を止めた。
傍らの庭に、鯉の泳ぐ小さな池が設けられていた。
179 :
憂。:2001/06/01(金) 14:36 ID:ick7dgQ2
「アペニャー」
後藤はチェーンソーを振り、ちぎれかけた男の死体を池に投げ込んだ。雨の中、池の水が赤く染まっていった。
無人となった邸内を後藤は歩いた。倉庫の奥に地下への階段が見つかった。後藤は無言で階段を下りていった。
チェーンソーの回転する不気味な唸りだけが響いていた。鉄製のドアに辿り着くと、
その奥から若い女の啜り泣きが聞こえてきた。後藤がドアに蹴りを入れると、あっけなく蝶番が外れて吹っ飛んだ。
「だ、誰。助けに来てくれたの。お兄ちゃん」
怯えた声が闇の中から這い出した。後藤が部屋の外にあった電灯のスイッチを入れると、
室内の様子が照らし出された。がらんとした部屋の隅に、一人の若い女が膝を抱えて蹲っていた。
破れた着衣は、女が暴行にあったことを示していた。頬に残る涙の痕が生々しい。
女は、なつみだった。
「アペニャー」
後藤がチェーンソーを振った。
おいおいおいおい・・・・
グロい・・・なのになんでこんなに惹きこまれるんだ・・・
181 :
名無し娘。:2001/06/01(金) 20:31 ID:Sw6pyc2o
ここまでぶっ飛んだ娘。小説は見た事ない・・・
182 :
憂。:2001/06/01(金) 23:35 ID:UqI4GcVM
その若い男は、何日も降り続く雨に悪態をつきながら、暗い裏通りを歩いていた。
吹き抜ける風に傘を持っていかれそうになる。既に男のジャケットもジーンズも、ぐっしょりと濡れている。
突然、空が光ると同時に雷鳴が轟いて、男はビクリと身を竦ませた。どうやら雷はすぐ近くに落ちたようだった。
死体の転がる通りを進む内に、四階建てのビルが見えてきた。
その最上階に掛かっている看板を見て、若い男は唇の右端を軽く吊り上げた。
玄関の扉を抜けて傘を畳み、漂う腐臭に顔をしかめながら男は階段を上っていった。
二階、三階、がらんとしたフロアを横目に、男は目的の最上階に辿り着く。
『後藤真希探偵事務所』となっている表札を男は見た。そしてその下の張り紙も。
男は腕時計を見た。午後六時十五分を示していた。張り紙に規定された時間を十五分オーバーしている。
ドアの隙間からは、明かりが洩れていた。
「少しぐらいならいいだろ。俺も急いでるんだから」
若い男は、自分に言い聞かせるように呟いた。
183 :
憂。:2001/06/01(金) 23:35 ID:UqI4GcVM
男は、ドアをノックしてみた。
「もしもーし」
返事はない。部屋は、死んだように静まり返っていた。
「仕事を頼みたくてさ。入りますよ」
男は、ノブを捻り、ドアを引き開けた。
いきなりその隙間を抜けて、上方から銀光が閃いた。
「カハッ」
若い男の喉が、横に大きく裂けていた。何か言おうとした男の口と、喉の傷から、鮮血が流れ出す。
戸口の上から逆さに伸びた手は、床屋の使う剃刀を握っていた。白いシャツの袖が見えた。
ポタン、ポタン、と、刃から滴り落ちた血が床を濡らす。
だがそれはすぐに、男の足を伝って広がっていく血溜まりに呑み込まれた。
184 :
憂。:2001/06/01(金) 23:37 ID:UqI4GcVM
上から伸びたもう一本の腕が、男の頭を掴んだ。
男は自分の喉元を押さえたまま、部屋の中へと引きずり込まれていった。
シャツの腕が、ドアの上端に触れ、内側に引いた。
ドアが、軋みを上げながら、ゆっくりと、閉じられた。
1.Smile Pizza【終】(2.に続く)
185 :
名無し娘。:2001/06/02(土) 21:19 ID:h5npGTmE
後藤の淡々としたセリフまわしが最高です。
186 :
名無し娘。:2001/06/03(日) 04:37 ID:kfk7tPvg
八つ裂き市か……。
なんて、みんな気づいてることをあえて書き込んでみる。
187 :
_:2001/06/03(日) 14:32 ID:K/7N1i9A
188 :
_:2001/06/04(月) 02:29 ID:kYjJj8eY
189 :
名無し娘。:2001/06/04(月) 02:50 ID:16SIudao
この市井としか思えない探偵を後藤にやらせてるのはなんでなんだろうね。
190 :
名無し娘。:2001/06/04(月) 18:13 ID:YdHs4l6k
>>189 そう?俺は、後藤でイメージぴったりだったが…
191 :
憂。:2001/06/04(月) 18:13 ID:V2nrHhL.
今から第2話を始めるけど、改めて言っとく。
残酷な描写が多分に含まれてるので、そういうのが苦手な人は遠慮してね。
192 :
憂。:2001/06/04(月) 18:33 ID:V2nrHhL.
2.Well-done
血臭と腐臭の漂う後藤真希探偵事務所で、静寂を破ってけたたましいベルの音が鳴り響いた。
机の上で騒いでいるのは、ダイヤル式の黒い電話機だ。
プラスチックのダイヤル盤は一部、指を入れる部分が割れ、赤い染みが残っている。
薄暗がりの中、シャツを着た腕が伸び、受話器を掴んだ。
「はい、後藤真希探偵事務所ですが」
気怠い声で後藤は応じた。窓から差し込む淡い光に浮かび上がった顔は珍しく、
ちょっとした苛立ちを示していた。テレビドラマに夢中になっている少女が母親に用事を言いつけられた時に、
丁度このような表情を見せるかも知れない。勿論、後藤の事務所にテレビはないが。
「いきなり電話で失礼だが、こっちも焦っていてね。
行方不明になった娘を捜して欲しいんだ。何者かに攫われたようだ」
声の主は中年の男だった。娘の身を案じる不安のためか、声は揺れていた。
「ほほう。まあ取り敢えず、お聞きしましょう。
いつ何処でどうやって、行方不明になったんですか」
後藤は受話器に向かって尋ねた。
193 :
憂。:2001/06/04(月) 18:36 ID:V2nrHhL.
「いなくなったのは昨日だ。夕方の六時前後らしい。
学校からの帰り道で、商店街を歩いてたところまでは目撃者がいるんだが。
それが、黄泉津通りに娘の鞄だけが落ちていた」
「ふうむ。黄泉津通りですか。ここから近いですね」
後藤は首を捻った。何か思うところがあるようだ。
「警察にも連絡したんだが、まだ全く手掛かりが掴めていない。
お願いだ、娘を捜し出してくれないか。娘はまだ十七才なんだ。こんなことで失いたくない」
声は次第に、今にも泣き崩れてしまいそうな切迫感を増してきた。
「十七才ですか。ということは、高校生でいらっしゃる」
後藤の首を捻る角度が深くなった。
「そうだが」
「聞き忘れてましたけど、娘さんのお名前は何と仰るんですか」
「絵里子、今井絵里子だ。頼む、引き受けてくれないか」
「ちょっとお待ち下さい」
そう言うと、後藤は受話器を机の上に置いた。
彼女はドアの近くまで歩き、電灯のスイッチを入れた。
事務所に蟠っていた薄闇を、光が追いやった。
壁に飾られた仮面達と机と椅子、緑色の古いソファーが照らし出される。
194 :
憂。:2001/06/04(月) 18:38 ID:V2nrHhL.
ソファーの手前に、若い女の死体が転がっていた。
セーラー服を着た死体の胸に、短刀が根元まで突き刺さっていた。まだ作業を始めたばかりであったのだ。
後藤は血塗られた手で制服のポケットを漁った。財布の中に、学生証が入っていた。
学生証には、今井絵里子、と記載されていた。
後藤は机に戻り、受話器を取って相手に告げた。
「お断りします」
後藤は電話を切った。
195 :
憂。:2001/06/04(月) 18:45 ID:V2nrHhL.
真昼の街は、昼食を摂る店を探してうろつくサラリーマン達と、
何がしかの物質的或いは精神的快楽を求めて徘徊する若者達で溢れていた。
その人込みの中に、場違いに若い影が混じっていた。平日の昼に制服を着て、
周囲を見回しながら歩く少女は、まだ高校生であった。
少女は、背丈が百五十センチ程度で、しかも猫背であった。胴回りも腕もかなり細く、
軽く押しただけで倒れそうなくらいに頼りなく見えた。髪は今時珍しい髪型だった。
頬はこけ、目鼻は整っていたが、常に何処からか陰気な印象を漂わせていた。
街の流れの中で、彼女の存在だけが浮いていた。
人々は、セーラー服の少女を気にも留めなかった。彼らはそれぞれ自分の用事のために、
脇目も振らずに進んでいく。そんな群衆を、少女は死人のように感情のない瞳で眺めるのだった。
少女は手頃な何かを探しているように、ゆっくりと歩きながら、人込みと、
通りに並ぶ建物を観察している。その口元には、暗い優越感を湛えた薄い笑みがへばり付いていた。
196 :
憂。:2001/06/04(月) 18:47 ID:V2nrHhL.
行き交う人の流れの中、少女の正面から三人の若者が歩いてくる。
ピアスや薄いサングラスや逆立てた金髪の彼らは、互いのお喋りに夢中になっている。
少女もまた、横を向いていて、進行方向の若者達に気づかなかった。
「おっと」
若者の一人の腕に、少女の肩が触れた。
「あっ」
少女が二、三歩よろめいた。その慌てた仕草が滑稽で、若者達は吹き出した。
若者達を見上げる少女の顔を、臆病な本性が掠める。
「ちゃんと学校行きなよ、お嬢ちゃん」
サングラスをかけた若者が少女の頭に手を載せた。他の二人は可笑しげに笑った。
彼らとのやり取りはそれだけだった。他の通行人は何人かがちらりと横目で見ただけで、後は無関心に通り過ぎていく。
少女は無言だった。若者達が少女の横を擦れ違っていった。取り残された少女は、
立ち止まって振り返り、歩き去っていく若者達の後ろ姿を見守った。
少女の瞳は、陰鬱な黒い憎悪に濁っていた。
「アレニスルカ、リカ」
声が聞こえた。人間のものとは思われぬ、奇妙な音程だった。
声はとても微かなものであったので、この雑踏の中では少女の耳にしか届かなかっただろう。
197 :
憂。:2001/06/04(月) 18:47 ID:V2nrHhL.
「そうしよう」
少女が頷いた。その唇が、昏く歪む。
少女の瞳が一瞬、赤い色を帯びた。
二十メートル以上先を歩く若者達の内、サングラスの若者の背中に赤い点が生じた。
若者は気づかずに、談笑しながら歩き続けた。
赤い点の面積が、若者の薄いトレーナーの上で次第に広がっていき、
径五センチ程に達すると、ポンと小さな音を立てて炎に変わった。
「アチッ」
サングラスの若者が立ち止まり、自分の背中に触れようとした。
「あれ、お前の服、燃えてるぞ」
仲間がトレーナーの炎に気づいた。
「アチチ、アチ、消してくれよ」
サングラスの若者が叫ぶ。
まだ炎は大きなものではなかった。一人が苦笑しながら上着の袖で炎を叩く。
198 :
憂。:2001/06/04(月) 18:48 ID:V2nrHhL.
炎は消えなかった。逆に叩いた袖に燃え移り、仲間は舌打ちした。
「服を脱げよ」
別の一人が言った。炎は背中の大部分を覆い始めていた。
「アチ、アチチチ、アヂイイイイイッ」
サングラスの若者が慌ててトレーナーを脱ごうとした。だが炎は既にシャツにまで透っていた。
急に炎が勢いを増した。サングラスの若者の上半身が、一気に火達磨になった。
「うげあああああっ」
サングラスの若者は地面を転げ回った。横目に通り過ぎていた人々がどよめき出した。
「火が、火が消えねえよ」
燃え盛る自分の腕を見つめ、仲間が泣きそうな声で言った。炎は弱まるどころか勢いを加速している。
脱いだ上着ではたいて、サングラスの若者の炎を消そうとした別の仲間に、更に炎が燃え移る。
「誰か、誰か助けてくれよ。火を消してくれよ」
若者の叫びも虚しく、人々は遠巻きにして恐る恐る眺めるだけだった。
腕に火のついた若者が助けを求めて彼らへ走り寄り、中年の婦人の体にも火が燃え移る。
それをきっかけに、群集がどっと逃げ散っていった。
後には火達磨になって走り回る者と転げ回る者が五、六人残された。
199 :
憂。:2001/06/04(月) 18:49 ID:V2nrHhL.
それを確認すると最後までは見届けず、少女は背を向けて、これまでの方向を歩き始めた。
「クックッ。クックックッ」
少女は陰湿な笑みを浮かべ、静かに含み笑いを洩らした。
誰もが逃げ出すことに精一杯で、少女の様子を気にする者などいなかった。
暫く含み笑いを続けていたが、やがて少女は、デパートの前で立ち止まった。
この地域では大手の一つで、平日と言えど多くの客が忙しなく出入りしている。
「ここにしよう」
少女は誰にともなく呟いた。
「ワカッタ、リカ。イリグチマデ、モットチカヅケ。ダレモ、ニガシタクナイ。タクサン、コロシタイ」
微かな声が、少女の言葉に応じた。
不気味な声は、少女の内部から聞こえていた。
少女は、未来への希望に輝くその年齢には似つかわしくない、
軽蔑と憎悪の眼差しを、冷笑と共に人々へ送っていた。
200 :
名無し娘。:2001/06/05(火) 01:12 ID:n1lHFpiU
じゃあ僕はミディアムレアで。
最初ウェルドーンってなんだ? って思ったよ。
201 :
憂。:2001/06/05(火) 02:03 ID:rfZGom6Y
後藤真希は人も疎らになった夕闇の通りを歩いていた。
暫くアイロンとは縁遠いような古いシャツに、歩く際に殆ど音を立てない薄汚れたスニーカー。
眠たげな目でゾンビのように歩く彼女を、擦れ違う者は必ず振り向いた。
口元は常に、何かを面白がっているような淡い笑みを浮かべている。
自分で適当に切ったらしい髪は左右不均等で、彼女の大きな歩幅につられ、ゆらゆらと揺れていた。
後藤は左脇に、一辺が三十センチほどの箱を抱えていた。
その上面には、丁度人の手が入りそうな丸い穴が開いている。
場所を確かめるように時折景色を見回しながら進む後藤は、
やがて、静かな通りにひっそりと構えたレストランを見つけ出した。
大きくはないが洒落た洋風の造りで、看板に描かれた名称は、『ボーダーゾーン』となっていた。
後藤は小さく頷くと、入り口のガラス戸を押し開けて、店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
蝶ネクタイをしたウェイターが落ち着いた物腰で一礼した。
202 :
憂。:2001/06/05(火) 02:04 ID:rfZGom6Y
店内はセピア色の明かりに照らされていた。クラシックな調度品がさり気なく飾られているが、
どれも高級な品ばかりだ。七、八人の客がいた。彼らの服装も談笑するちょっとした仕草も、
上流階級の雰囲気を漂わせ、レストランの中で後藤だけが場違いな存在に見えた。
だが、後藤にそれを気にする様子はない。
「お客様はお一人様ですか。それとも、どなたかとお待ち合わせでも」
店内をキョロキョロと見回す後藤にウェイターが尋ねた。
「こっちでんがな、ごとぅはーん」
その時、店の奥から奇妙なイントネーションの声がかかった。
「おっと、そっちでしたか」
後藤は隅のテーブルで手を上げた女を認めると、奥に向かって自分で歩いていった。
クッションの良く効いた椅子に腰を下ろし、隣の椅子に箱を置いて、テーブルの向かいに座る女性に言った。
「いやあ、良いレストランですね。初めまして、後藤真希です。
念のため言っておきますけど、決して、ごとぅ、ではありません」
「こりゃ失礼したな。中澤裕子や。わざわざ呼び出してすまんかったのう」
203 :
憂。:2001/06/05(火) 02:09 ID:rfZGom6Y
屋内であるにも関わらずシルクハットを被った女性は、そう名乗った。
その喋りには音程の狂ったような不自然な声音が混じる。
口調からして関西人と思われるが、普通の関西弁とはまた異なっていた。
上品な服に身を包んだ中澤裕子は、帽子から金髪が覗く落ち着いた雰囲気の女性だった。
年齢は三十歳ぐらいであろうか。その顔は穏やかながら、殆ど表情が動かない。
左目に填まった片眼鏡から、銀色の細い鎖が伸びている。両目は丸く開かれたまま、
正面の後藤を見つめていたが、どのような感情も含まない虚ろなものだった。
しかも瞬きをしない。椅子には黒いステッキが立てかけてあった。
テーブルの上には、中澤の前にコーヒーカップが置かれていた。中身は少しも減らないまま、冷め切っている。
「用件に入る前に、まずは好きな物を注文してや。心配せえへんでも、お代はウチが持ったるで」
「こりゃどうも。それでは遠慮なく」
ウェイターの差し出したメニューを開くと、後藤は特大のステーキとチキンドリアと
ナポリタンスパゲッティとビーフシチューと海老グラタンと帆立貝カレーとチョコレートパフェを注文した。
204 :
憂。:2001/06/05(火) 02:10 ID:rfZGom6Y
「なかなかの健啖家やなあ」
中澤が澄まし顔を崩さずに言った。
「お恥ずかしい。三日間、何も食べてなかったもので」
後藤は恥ずかしげもなく答えた。
「探偵っつう職業は、大変みたいやなあ」
「そうですね。収入が不安定で困っちゃいますよ。夫の浮気調査なんかではうっかり夫本人を殺しちゃったり、
後払いなのにうっかり依頼人まで殺しちゃったり。いやあ、生きるってことは大変なんですねえ」
後藤はしみじみと言った後で、意味ありげに中澤を見た。
「いやあ、実は、一目見た時からあなたのことが気になってまして。
仕事よりも、あなたの方にそそられてますよ」
後藤の瞳の奥で、不気味な黒い渦が巻き始めていた。薄い唇が吊り上がる。
「期待に添えられへんで残念やけど」
まるで動揺するふうもなく、中澤は言った。
彼女は白い手袋をした手でシルクハットを外し、下を向いて剥き出しの頭を後藤に見せた。
「こんな風になってもうて」
「ありゃりゃ」
後藤の瞳の熱狂が、瞬時に醒めていた。
205 :
憂。:2001/06/05(火) 02:12 ID:rfZGom6Y
中澤の額の生え際、シルクハットを当てていた部分から上は、
鋸で水平に切断されたように、何も存在しなかった。そこから見えるべき骨と脳の断面はなく、
完全に空洞になっている。薄い内壁の凹凸は、そのまま外面の頬や鼻の隆起に対応していた。
首の辺りで括れがあり、空洞は更に奥まで続いているようだが、それ以上先は見通せなかった。
中澤裕子は、薄い鉄板を型通りにプレスして作ったような、中空の存在であった。
「失望させてもうたかな」
コーヒーカップを取り上げ、醒めた中身を全て、頭頂部の穴へ手早く注ぎ入れると、
中澤は優雅な動作でシルクハットを被り直した。
「仕事の話に行きましょう」
元気なく後藤が言った。
「さて、ここ数週間で、ここ八津崎市内の火事が急増しとるんや。
特に三日前に稲葉屋であった火災は、二百人以上が焼死するという大惨事になってもた」
「ははあ、なるほど。あの稲葉屋の」
後藤が自分の顎を撫でる。
206 :
憂。:2001/06/05(火) 02:14 ID:rfZGom6Y
「知っとったんか」
「いえ、全く知りません」
後藤は平然と答えた。
中澤は表情を変えずに話を続ける。
「大倉屋の火災は特殊やった。まず、炎が火の気のない正面の出入り口から、
突然発生したという事や。更に異常なんは、焼死者の状態に比して
建物の焼け具合がめっちゃ軽いっちゅう事。そして、一番重要なんは、
消防車の放水も消火器の噴霧も、炎に対し殆ど効果を持たなかったという事や」
「ふうむ」
後藤は水の入ったコップを手に取って、中の氷を揺らしていた。
続きを催促するように腹の虫が鳴る。
「この数週間における火災の何割かは、そのような特殊なものやった。
また、道を歩いていた人が突然焼死する事件も起こっとる。
スポンティニアス・コンバッションの一種やと思われるんや」
「ほほう。スポンティニアス・コンバッションですか」
後藤が眉を上げた。
「知っとるんけ」
「いえ、全然」
「スポンティニアス・コンバッションは、俗に自然発火現象と呼ばとる」
中澤はそのまま続けた。
207 :
憂。:2001/06/05(火) 02:15 ID:rfZGom6Y
「火の気のないところで、突然人間が燃えてまうんや。水を掛けても火は消えへん。
そのまま黒焦げになって死んでまう」
「ほほう、黒焦げですか」
と言っている間に、料理が到着した。分厚いステーキをナイフで切りながら、後藤は呟いた。
「黒焦げじゃあ、あまりうまいものじゃないでしょうね」
「異常な焼け方やねん。ここに実物があるんやけど」
中澤はそう言うと、隣の椅子に置いてあったバッグを開けて、黒い物体を取り出した。
それは、炭化した人間の右手首であった。中澤がテーブルの上に置くと、焦げた欠片がパラパラと剥がれ落ちた。
「ほほう」
後藤はステーキにぱくつきながら手首を観察した。
中澤は手首を動かして断面を見せたが、炭化は深く骨にまで達していた。
「これは例えば、ガソリンを浴びて焼死した場合とは異なるんや。君、ちょっと来てくれへんか」
中澤はウェイターに声をかけた。
「何でございますか」
ウェイターが恭しくテーブルの側に立った。
中澤はバッグから液体の入った小瓶を取り出して、いきなり中身をウェイターに振りかけた。
うまい具合にウェイターの全身に染み付いたそれは、特有の強い匂いを発散していた。
かかった量は、小瓶の容量よりもかなり多く見えた。
208 :
憂。:2001/06/05(火) 02:16 ID:rfZGom6Y
「な、何を」
「ガソリンでんがな」
うろたえるウェイターに、中澤は手袋を填めた右手を近づけて、パチンと指を鳴らした。
途端にウェイターの全身は炎に包まれた。
「あじいいいいいえええええっ」
火達磨になって踊り狂うウエイターから、先程までの落ち着きは消え去っていた。
「ふうむ」
後藤はその様子を、カレーを食べながら眺めていた。周りの客達が立ち上がって騒ぎ出す。
「まあまあ皆さん、落ち着こうや」
中澤が皆に声をかけると、客も駆けつけた他の店員も、すぐに冷静な顔になって、自分の行為に戻っていった。
209 :
憂。:2001/06/05(火) 02:17 ID:rfZGom6Y
テーブルのすぐ横で、ウェイターは倒れたまま燃え続けていた。
その内にウェイトレスが次の料理を運んできた。人肉の焦げる匂いが漂っていたが、後藤は無心に食べ続けた。
炎が小さくなってきた頃には、床には黒焦げの塊が横たわっていた。もう一度指を鳴らすと、炎が消えた。
「さて、ガソリンの場合はこういう風に」
中澤が死体の腕を持ち上げた。さっきまでステーキを切るのに
使っていたナイフを取って、後藤がその手首を無造作に切断した。
「見かけは黒焦げなんやけど」
中澤が手首の断面を後藤の目の前に差し出した。
「中身は生焼でんねん」
「ふうむ。なるほどねえ」
後藤は感心したように呟いた。その時には、後藤は全ての品を食べ終えていた。
210 :
憂。:2001/06/05(火) 02:19 ID:rfZGom6Y
「分かってくれたか」
シルクハットを外し、ウェイターの焼死体を軽々と持ち上げると、
中澤は自分の頭の中に死体を放り込んだ。魔法のように死体が縮み、
中澤の内部に吸い込まれていった。ウェイターはこの世界から消滅した。
「それで、この異常な火事を起こしとる犯人を、探し出して欲しいんや」
「ははあ。あなたは、この事件を何者かの仕業だと思ってるんですね」
後藤は自分の顎を撫でた。
「何か根拠でもあるんでしょうかねえ。
それに、依頼人であるあなたは、事件とどういう関わりを持ってるんでしょう」
「その手の質問には、答えられへんわ」
シルクハットの女性・中澤裕子は、飽くまで無表情だった。
「まあ、私も依頼人の事情には興味ないですけどね」
後藤も気怠い口調で言った。
211 :
憂。:2001/06/05(火) 02:22 ID:rfZGom6Y
「さて、報酬としてはこんな所でええかな」
中澤がバッグから取り出してテーブルの上にそれを置いた。
後藤は目を丸くして、顎が外れるくらいに口を開けた。
テーブルに載っているのは、分厚い札束であった。
「二百万円や」
中澤が言った。
「そ、それは、だけど……」
後藤が苦しげに呻いた。彼女は自分の中の欲望と戦っているようだった。
「いや、私は、依頼人から大金をふんだくるのは、ちょっと、職業倫理として……。
いやその、フェアに行きたいと思って……」
「ほな、こっちにしような」
すぐに中澤は札束を掴んで戻し、代わりに別のものを置いた。
後藤は目を剥いた。それは、一枚の、五十円硬貨だった。
「い、いや、やっぱりさっきのでお願いします」
後藤は泣きそうな声で言った。中澤が札束を再び取り出し、
後藤はありがたく受け取って懐に収めた。ちなみにその二時間後、
二百万円の殆どが借金の取り立てで消えることになる。
「それでは、二枚、選んで頂けますか」
後藤が横の椅子に置いていた箱をテーブルの上に置いた。
「分かったわ」
中澤が手袋を填めたまま、上面の穴に手を入れた。
彼女が選んだのは、五十三番と十七番であった。
212 :
憂。:2001/06/05(火) 02:26 ID:rfZGom6Y
ミス発見。
>>206 中澤の最後のセリフ
×呼ばとる
○呼ばれとる
「ぎこちない関西弁」って難しいね。
213 :
名無し娘。:2001/06/05(火) 02:40 ID:LoAIPxYw
なるほど、それで「Well-done」な訳か。
いったいこの先どうなるんだろう?
214 :
_:2001/06/05(火) 22:44 ID:ZBAvOafQ
215 :
名無し娘。:2001/06/06(水) 01:27 ID:IROG/OYg
「Difference」は最初の小説のタイトルだけど、
このスレの全小説に対しても言える感じがするね。
216 :
_:2001/06/06(水) 18:12 ID:MVm9KCjg
217 :
名無し娘。:2001/06/07(木) 05:54 ID:4mz5VwS6
面白いもんみっけ。
三部作? はそのまんまかな。
二作目は稚気があって楽しいね。
続き期待。
218 :
憂。:2001/06/07(木) 15:52 ID:dZh9Rkfw
翌日の昼、強い風の吹き抜ける通りに、後藤真希は悄然と佇んでいた。
白いシャツにスニーカーといういつもの服装だ。
後藤の右手には、重量のある丸い球体があった。
五十三番として選択されたそれは、ボーリングに使う黒い球であった。
三つの穴に親指と中指と薬指を差し込み、後藤は無造作にぶら下げている。
後藤の立っている前には、廃屋となった二階建ての屋敷があった。
破れた窓の周辺には黒い煤がへばりつき、火事に遭ったことを示していたが、
建物自体は大して痛んでいなかった。後藤は左手に、中澤裕子から受け取った
一枚の紙を握っていた。そこには、異常な火事のあった地点のリストが記されてある。
「一家五人が全滅じゃったよ」
屋敷を眺めていた後藤に、背後から声がかけられた。
黒贄が振り向くと、そこには杖をついた老人が立っていた。
茶色のチョッキを着た彼は、七十才を超えているだろう。
「あなたはご近所の方ですか」
後藤が尋ねると、老人はすぐ隣のアパートを指差した。
「そこに住んじょるが。あんたは何もんかね。ここの人達んことを知っちょったんか」
「いえ私は探偵でして。火事のことを調べてます。
あなたはここが火事の時に居合わせていたんですか」
「ああ、おったよ。二週間も前になるか。夕方の時分じゃったろ。いきなり悲鳴が聞こえてきてのう。
わしらは何も出来んやった。中学生の坊主なんか、火達磨んなって玄関から飛び出してきたが、
消火器を使っても消えなんだ。そりゃ凄い叫び声じゃった。今でもあの悲鳴が、わしの頭にこびり付いちょるよ」
「ほほう、頭にですか。ほりゃストライク」
気軽に言うと、後藤は右腕を振り、ボーリングの球で老人の頭を殴りつけた。
バギョン、と嫌な音がして、老人の頭が破裂した。
「それで実は、放火の可能性もあるんですけど、あなたに心当たりは……ありゃ」
老人は割れた頭から脳をはみ出させて倒れている。
「死んでるっす」
自分がやったのだと分かっているのかいないのか、後藤は呆然と呟いた。
右手に持った球体からは、ポタリポタリと血が滴っている。
220 :
憂。:2001/06/07(木) 15:59 ID:dZh9Rkfw
「あらーっ、じいさん、どうしただ」
アパートの戸口から顔を出した老婆が、道に転がる老人を見て血相を変えた。
死体に駆け寄る老婆に、後藤は尋ねた。
「あなたは放火魔について何かご存知ですか。どんな小さなことでもいいですからそうりゃダブル」
後藤の握ったボーリングの球が老婆の頭を打ち砕いた。
眼球を飛び出させて即死した老婆が、夫の死体の上に崩れ落ちる。
「ありゃ、死んじゃったっす」
後藤は困ったような顔をして、二つの死体を見下ろしていたが、やがて顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「まあ、いいか」
「うわあ、ひ、人殺しいっ」
道の向こうでサラリーマンらしい男が叫んだ。後藤との距離は三十メートル以上あった。
「そりゃ、トリプルじゃなくてターキー」
後藤は下手投げでボーリングの球を放った。空気を押し潰して飛ぶ球体は、
狙い違わず男の顔面に激突した。ゴキョリ、と、顔面が陥没して、男は前のめりに倒れた。
ボーリングの球が男の顔から外れて転がり戻ってくる。
221 :
憂。:2001/06/07(木) 16:00 ID:dZh9Rkfw
「ランラランララーン」
後藤は機嫌良く球を拾い上げた。
「ひええ、人殺しだあっ」
通りかかった若者が大声を上げる。
「放火魔の手がかりは〜。ああ放火魔は〜」
後藤は歌いながらボーリングの球を振り回した。若者の頭が爆ぜた。
そこは交差点になっていて、後藤の行為を目撃した通行人達が悲鳴を上げた。
「ほれスペア、そりゃストライク、ありゃガーター、こりゃダブル、えいやスプリット」
後藤は血塗れのボーリングの球を握り、逃げ惑う人々を手当たり次第に撲殺していった。
血と脳漿と断末魔の悲鳴と恐慌が通りを埋め尽くす。
「ていうか、私はボーリングなんてしたことないっすよ〜。
ああ放火魔は〜何処っすか〜。放火魔は〜。皆さんは〜ご存知ですか〜」
楽しげに歌いながら、後藤は球を振り続けた。中澤にもらったリストは既になくしてしまっていた。
「ああ〜放火魔は〜」
後藤は無差別殺戮をしながら通りを駆け巡った。街は大混乱に陥っていた。
222 :
憂。:2001/06/07(木) 16:02 ID:dZh9Rkfw
「放火魔は〜いませんか〜」
後藤が入った裏通りで、木造の壁の側に立ち、丸めた新聞紙にライターで
火を点けようとしている若者がいた。血みどろのボーリング球を持って現れた後藤に、若者は悲鳴を上げる。
「放火魔の方ですか」
後藤は穏やかに尋ねた。
「た、助けて、許して下さい、お、お願いです」
ライターを放り捨て、若者は膝をついた。
壁と床はべっとりと濡れていた。空になったポリ容器が転がっている。
喉に不快感を与える特有の匂いが漂っていた。
「ガソリンっすね」
がっかりして後藤は言った。
「邪魔をして悪いですけど、放火なら外の街でやって下さいね」
そう言うと、呆気に取られた若者を残して後藤は立ち去った。
結局この日は犯人を見つけることが出来ぬまま、
後藤はボーリングの球で百四十七人を撲殺して事務所に帰った。
223 :
憂。:2001/06/07(木) 16:10 ID:dZh9Rkfw
痛いミスをしちまったな。
「黒贄」ってのは下書きの名残なんで、気にしないでくれ。
>>215 言い得て妙だね。元々は「ずれていく世界」って意味で使ったんだけど、
確かに「違和感」って意味では3部作全体に通じてる気がする。
224 :
_:2001/06/08(金) 18:34 ID:bXWa976E
225 :
名無し某:2001/06/09(土) 04:02 ID:GIvcvAfQ
ハマった。憂。さんすごいね。
226 :
名無し娘。:2001/06/09(土) 14:23 ID:nIrwJvOk
今ごろ気付いたんだけど
>>164の「ビ」ザ屋っていうのはミス?
それともなにか他に意味があるの?
227 :
憂。:2001/06/09(土) 15:55 ID:C7YTxYYE
>>226 ホントだ。これはミスっす。気付かなかったな。
雑に書いてるつもりはないんだけど……すまん。
228 :
憂。:2001/06/09(土) 16:02 ID:C7YTxYYE
少女はぼんやりと窓の外の景色を眺めている。彼女の席は教室の窓際で、そして最後尾だ。
数学教師が抑揚のない声で公式を読み上げているが、少女はテキストもノートも閉じたままだ。
少女の身長は百五十センチそこそこで、このクラスの女子の中では低い部類に入った。
か細い腕に加え、猫背であることが、更に少女をか弱く見せていた。
少女の瞳は陰鬱に昏く淀み、薄い唇は嘲笑のようなものを浮かべていた。
「おい、石川、ちゃんと聞いてるのか」
険のある声に少女は慌てて向き直った。眼鏡をかけた数学教師が、教壇から冷たい表情で少女を睨み付けていた。
「え、は、はい」
石川梨華は、反射的にテキストとノートを開いた。怯えた小動物のようなその仕草や表情には、
何処か相手の嗜虐心を掻き立てるものがある。石川を見る数学教師の口元にも、
隠そうとしても隠せない愉悦が浮かんでいた。
だが、石川の動揺はすぐに消え、その瞳を粘質な闇が覆っていった。
それは意識的にか無意識にか、相手を侮蔑しているような表情になった。
数学教師の目付きが険しくなった。相手がそんな態度を見せるとは、予想外のことだったらしい。
「じゃあ石川、二十二番の問題をやってみろ。一ヶ月も学校に来なかったからといって、
授業を聞かなくていいことにはならないぞ。さあ、黒板で解いてみせろ」
数学教師は意地の悪い口調で言った。クラスメイト達は無関心を装っているか、
冷笑を浮かべているかのどちらかだった。
229 :
憂。:2001/06/09(土) 16:04 ID:C7YTxYYE
オドオドと情けない顔を見せるかと思われた石川は、しかし、表情を変えなかった。
嘲弄と憎悪が静かに入り混じったような瞳で、石川は教師を見返していた。
逆に数学教師の方が、落ち着かない顔になった。
石川は無言で前に出た。テキストを見ながら数式を書いていったが、すぐに詰まって進まなくなった。
「分かりません」
困ったような表情も見せずに、平然と石川は言った。
「解けるまでやれ。まだ時間はあるぞ」
数学教師は頬を歪ませて命じた。その苛立ちと焦りは、いつもとは異なる石川の落ち着きによるものだろう。
その時限が終わるまで、石川は黒板の前に立っていた。石川は不気味な落ち着きを最後まで崩さなかった。
230 :
憂。:2001/06/09(土) 16:52 ID:C7YTxYYE
昼休みになった。石川梨華は自分の席で、購買部で買ったパンを黙々と食べていた。
三人の女子生徒が、ニヤニヤしながら石川の机に近づいてきた。
「ねえ、梨華ちゃん、一ヶ月も学校に来なかったけど、元気だった?」
三人の中でもリーダー格らしい、高圧的な態度の生徒が聞いた。
「うん。元気だったよ」
陰気な口調ながら、平然と石川は答えた。
石川の様子に違和感を覚えたのか、三人は互いの顔を見合わせた。
だがすぐに、にやけた表情を取り戻す。
「放課後さあ、体育館の裏で待ってるよ。あの話のことだよ。梨華ちゃん、必ず来てよね」
それだけ言うと、三人は自分達の場所に戻って、お喋りを再開した。
教室に居合わせた他のクラスメイト達は、無関心に弁当を食べ続けていた。
石川は薄い笑みを湛えたまま、パンの残りに囓り付いた。
「アイツラヲ、ヤルカ、リカ」
微かに響く奇妙な音程の声に、石川梨華は小さく頷いた。
「ええ、勿論よ」
石川の独り言に、何人かのクラスメイトが訝しげに振り向いた。
231 :
憂。:2001/06/11(月) 01:36 ID:SdLhycUg
放課後、クラスメイト達が楽しげに談笑しながら出て行く中で、
石川はゆっくりとテキスト類を鞄に収め、一人で教室を出た。彼女に声をかける者などいなかった。
石川は下駄箱を出て、体育館の裏側へと向かった。
その貧相で陰気な顔は、残忍な期待に歪んでいた。
角を曲がると、既に三人は待っていた。真ん中の生徒は腕を組んで仁王立ちしている。
石川は彼女らの三メートル程手前で足を止めた。
「梨華ちゃん、一ヶ月前に私が言ったこと覚えてる?」
真ん中の生徒がねちっこい口調で言った。
「覚えてるよ」
石川は答えた。
「じゃあ、持ってきたよね、十万円。家の金庫から盗ってでも、泥棒をやってでも、
ちゃんと持ってこいって言ったよね。一ヶ月も、待ちくたびれちゃったよ、私達。
お陰でカラオケも寿司屋も、暫く行けなかったもんねえ」
三人は笑った。奴隷をいたぶる支配者の笑みだった。
「持ってきてないよ」
石川はふてぶてしい程の余裕を見せて答えた。三人の笑顔が凍り付いた。
唇の片端を吊り上げて、威厳を取り繕いながら一人が言った。
「ね、今日はえらい強気じゃないの。頭がおかしくなっちゃったの?
何の取り柄もないのに頭までイカレちゃったら、救いようがないじゃん」
「ずっとね、ずーっと、ねえ、あなた達に言いたかったことがあるんだ」
少し俯いて、静かに、石川は告げた。
「へえ、何だろうね」
別の生徒が聞いた。
232 :
憂。:2001/06/11(月) 01:59 ID:SdLhycUg
大きく息を吸って、石川が顔を上げた。それは、狂気とも呼べる程、圧倒的な憎悪に歪んでいた。
「くたばれ、この雌豚どもっ」
これまでで一番大きな声であり、激しい口調だった。
この貧弱な体躯から出たとは信じられないような怒号だった。
三人は唖然として立ち竦んでいた。完全に支配下にあると思っていた生き物が、急に牙を剥いたのだ。
「な、何言ってんのこいつ……」
一人が引き攣った笑みを浮かべた。
真ん中の生徒が、憤怒の形相に変わった。ギリギリと拳を握り締めた彼女は、石川よりも遥かに迫力があった。
「舐めてんのか、ああっ」
彼女の言葉が終わらぬ内に、石川の瞳が一瞬、緋色に染まった。
彼女の叫んだ口の中に、赤い光が生じていた。それはすぐに炎へと変わり、唇を焼きながら吹き出した。
233 :
憂。:2001/06/11(月) 02:00 ID:SdLhycUg
「おごおおおおおっ、あごおおおおっ」
口を押さえて踊る生徒を他の二人は呆然と見つめていた。再び石川の瞳が光った。もう一人の胸に炎が出現した。
「あづいいいっ、あづいよおおおっ」
火達磨になって転げ回る仲間達と、石川の方を見合わせて、残った一人はクシャクシャに顔を歪めた。
「た、たす……」
その顔に火が点いた。
石川は薄い笑みを浮かべたまま、これまで自分を虐げてきた者達の悲鳴を、肉の焦げる音を聞き、
火を消そうとして無駄に踊り狂う様を、皮膚が弾け体内から炎を吹き出す様を、じっくりと見物していた。
「クックックッ。クックックッ」
石川の口から、含み笑いが洩れた。
三人が完全に炭化して、炎が消えるまでの約五分間、石川はその場を動かずに、ずっと見守っていた。
234 :
憂。:2001/06/11(月) 02:01 ID:SdLhycUg
午後七時を過ぎた頃、背広の男が書類鞄を小脇に抱えて校舎から出てきた。
彼は、今日の授業で石川をいたぶった数学教師だった。
正門を歩いて出てきた彼を、少し離れて後を追う、小さな影があった。
影は、セーラー服のままの、石川梨華であった。
人気のない道を歩き、教師は駅に向かっていた。誰もいないと思っているのか、
教師はブツブツと何か呟いていた。どうやら職場での愚痴を零しているらしい。
そんな後ろ姿を、石川は陰鬱な瞳で見つめていた。
駅に着いた。教師が定期券を使って改札口を通り抜ける。
石川は急いで一番安い切符を買い、改札口を通った。
石川がホームに着くと、百人近くが列車を待って並んでいた。
その中に数学教師を見つけ、気づかれないような位置に石川は移動した。
235 :
憂。:2001/06/11(月) 02:02 ID:SdLhycUg
「マダカ、リカ」
微かな声が尋ねた。
「ええ、まだよ」
石川は答えた。
五分ほど待っていると、列車到着のアナウンスが入った。石川は静かに教師の背後に歩み寄る。
ホームに滑り込んだ列車は、既に乗客で一杯になっていた。
何人かが降りた後、並んでいた者達が狭いスペースに自分の体を押し込んでいく。
列の後ろだった数学教師は、顔をしかめながらも窓際になんとか入った。
外を向いた教師が、少し離れて立っていた石川を認めた。
「あれ、石川……」
「さよなら、先生」
ねっとりした声で石川は告げた。その瞳が赤く光っていた。
扉が閉じられた。列車がゆっくりと滑り出す。
236 :
憂。:2001/06/11(月) 02:04 ID:SdLhycUg
ガラス窓の向こうで、数学教師が凄まじい形相で叫んでいた。その背広が燃えていた。
炎は次々に隣の客へと移っていく。ぎゅうぎゅうの車両内で乗客達が騒ぎ出した。
石川が眺めている間にも、中で踊り上がった赤い炎は外部には洩れぬまま、隣の車両にも進んでいた。
窓ガラスに遮られ、彼らの悲鳴は全く聞こえなかった。人々の苦痛を呑み込んだまま、列車は何事もなくホームを出発した。
「クックックッ」
石川は含み笑いを洩らしつつ、改札口まで戻って駅を出ていった。
「キョウハ、コノクライデ、イイダロウ」
微かな声が石川に囁いた。
「ダンダン、チカラガ、タマッテキタ。アシタハ、モット、デキルダロウ」
「楽しみね」
陰鬱な笑みを湛え、石川は言った。
237 :
_:2001/06/11(月) 20:56 ID:SKTjEXRY
238 :
名無し娘。:2001/06/13(水) 21:04 ID:FxNkZY/6
後藤、中澤、石川、明らかに普通じゃない3人が何故そうなったのか色々想像しちゃいますね
239 :
名無し娘。:2001/06/13(水) 21:04 ID:z80vZM9I
age
240 :
238:2001/06/14(木) 18:38 ID:PtD6BOuU
昨日、自分の書きこみの直後に誰かにageられたわけだが、
上がってるのをみて一瞬sage忘れたかと思ったよ。
241 :
憂。:2001/06/14(木) 19:46 ID:acG2fi.s
十五分後、住宅街に辿り着いた石川は、高級マンションの立ち並ぶ道を過ぎ、
古いアパートの階段を上った。彼女と同じ名字が書かれた表札の前に立ち、蝶番の錆びたドアを開けた。
「ただいま」
石川が無表情に言って玄関を上がると、太った中年の女が居間で寝転がってテレビを観ながら、振り向きもせずに応じた。
「遅かったから先に食べちまったよ。一人で勝手に食べな。
全く、何処をほっつき歩いてんだろね」
石川は母親の言葉を無視し、冷蔵庫からおかずを取り出して、茶碗に飯を装った。
母親は料理が嫌いなのか、食事は粗末なものだった。
無言で食べ始めた石川に、母親が背中越しに悪態をついた。
「全く、役立たずのくせによく無事で戻ってきたよ。今日は沢山人が死んだってのにね」
石川は昏く微笑した。列車の火事のことが、もうテレビのニュースで流れたのかと思ったのかも知れない。
242 :
憂。:2001/06/14(木) 19:47 ID:acG2fi.s
「お前も殺人鬼に殺されりゃ良かったんだよ」
母親の言葉に、石川は細い眉をひそめた。振り向いて、母親に尋ねる。
「殺人鬼って」
「今日の昼頃に、街で殺人鬼が出たんだよ。ボーリングの球で百人以上を殺したそうだよ。
放火魔を探してるとかどうとかって言ってたらしいね。全く、変な事件ばっかりだよ」
母親はテレビから一度も目を離さなかった。
食卓に向き直った石川に、先程までの余裕はなくなっていた。
食べ終わると、石川は居間を通り過ぎて、そそくさと四畳半の自分の部屋に篭った。
「オッテガ、キタノカモシレナイ」
微かな声が告げた。
「追っ手って何なの。大丈夫なの?」
「シンパイナイ、ソウカンタンニハ、ツカマラナイ。ワタシノチカラモ、ツヨクナッタ。
センテヒッショウダ。サキニ、シマツシテシマオウ」
「そうよね。まだまだ殺し足りないもんね」
敷きっ放しの布団の上に仰向けになり、石川梨華は呟いた。
襖の向こうでは、酔っ払って帰ってきた父親と、母親との口論が始まっていた。
「学校の奴らは皆、殺してやる。お父さんも、お母さんも、殺してやる。
私を馬鹿にしてきた奴らを、皆、殺してやる。人間は皆殺しにしてやる」
石川は呪文のように、それを小さく繰り返した。何度も何度も、唱え続けた。
243 :
憂。:2001/06/16(土) 02:12 ID:TMtaGyDc
そして翌日。
昨日とほぼ同じ時間に、後藤真希は探偵事務所を出発した。
今日はボーリングの球を持っていない。繁華街では昨日の惨劇にも関わりなく、
大勢の人々が自分の用事を済ませるために休みなく行き交っている。
人込みの中で、起きてそのまま外出してきたような後藤はかなり目立つ存在だった。
シャツ姿で気怠げに立つ後藤に、人々は目を留めながら通り過ぎていく。
「さあて。今日も頑張ってみるっす」
交差点に立った後藤は、右手をシャツの内側に差し入れた。
ゆっくりと引き抜いたのは、十七番として選択された、湾曲した刃渡りが三十センチ程の、
大型の鎌だった。黒い光沢を放つ刃は丁寧に砥がれており、僅かな欠けもない。
「皆さーん」
群衆に向かって、後藤は大声で明るく呼びかけた。
「放火魔をご存知ですか〜」
244 :
憂。:2001/06/16(土) 02:15 ID:TMtaGyDc
人々の半数が足を止めて後藤の方を見た。
そして、後藤が右手に握っている鎌に、視線を向けた。
人々の顔が引き攣った。
「うわあ、殺人鬼だあっ」
誰かが声を上げ、それを合図に繁華街の雑踏は恐慌へと変貌した。
「ああ〜放火魔は〜」
昨日と同じく歌いながら、後藤は行動に移った。最も近くにいた中年の主婦の首を刎ね、
その隣にいた若い女の背中を突き通し、皮ジャンの若者の腹を引き裂いた。人々は悲鳴を上げて我先に逃げ惑う。
「放火魔は〜誰ですか〜教えてくれないと〜困ります〜」
横殴りの一閃で同時に三人の首を飛ばし、老人の額を割り、
目にも留まらぬ早業で男の手足を切断し、泣き叫ぶ女の顔面を削ぎ落とした。
「ああ〜放火魔〜憧れの〜」
大量の返り血を浴びて、シャツは白から赤に変わっていた。
後藤が人々の間を走り抜けると、その両側にいた人々は血を噴き出してバタバタと倒れていく。
245 :
憂。:2001/06/16(土) 02:17 ID:TMtaGyDc
「あああ〜ほ〜う〜か〜ま〜」
急に後藤は立ち止まって鎌を持つ手を休めた。まるで誰かに呼び止められたかのように、キョロキョロと周囲を見回す。
そして、後藤は、広い道路の向こう側に立つ少女に、視線を留めた。
高校の制服を着た少女は、背が低く痩せていて更に猫背であった。
丁寧に整えた髪が、少女を繊細というより柔弱に見せていた。
唇は薄い笑みを浮かべ、その昏い瞳は、どす黒い憎悪と殺意を後藤へ送っていた。
両者の距離は、車が忙しく行き交う四車線の道路を挟み、まだ三十メートル以上あった。
「あのー、放火魔さんですかあ」
後藤が少女へ向かって大声で尋ねた。血みどろの鎌から、ポタリポタリと血がアスファルトの地面に落ちていく。
少女・石川梨華は答えなかった。ただその口元の笑みが、深くなっただけだ。
同時に、後藤真希の薄い唇が、キュウッ、と、吊り上げられた。少女の陰鬱な笑みを凌駕する、悪魔的な笑顔だった。
246 :
憂。:2001/06/16(土) 02:20 ID:TMtaGyDc
後藤が石川へ向かって道路に足を踏み出した瞬間、石川の両目が赤い光を帯びた。
「ありゃ」
後藤は自分の胸元を見下ろした。シャツに、血とは異なる赤い点が生じていた。
左手で押さえる前に、それはポンと軽い音を立てて赤い炎に変わった。
「ほほう。燃えてるっすね」
のんびりと呟く後藤の左手にも炎は移っていた。後藤はしかし、炎を無視して次の一歩を踏み出した。
炎が勢いを増し、上半身に回っていた。後藤はそれでも更に一歩を踏み出した。
笑みを絶やさず迫る後藤を見て、石川の顔に動揺が浮かぶ。
炎は一気に後藤の全身まで広がった。火達磨になった後藤は、石川へ向かって駆け出した。燃える鎌を振り被って。
石川の顔が、恐怖に歪んだ。
その時、道路に深く入り込んだ後藤の体を、避け損なった大型トラックが撥ね飛ばしていた。
後藤は地面をバウンドして対向車線まで飛び出した。その体を向かいから来たダンプカーが轢き潰した。
急ブレーキの甲高い悲鳴。巨大なタイヤが後藤の体を通り過ぎずにそのまま二十メートルも引き摺っていく。
横にはみ出した部分を別の車が轢いて、漸く解放された後藤は石川の傍らの歩道まで転がって停止した。
247 :
憂。:2001/06/16(土) 02:22 ID:TMtaGyDc
燃え盛る後藤の体が、石川の目の前で、もぞりと動いた。
「サガレ、リカ」
石川にしか聞こえない程の微かな声が告げた。少女は慌てて二、三歩後ずさる。
後藤は焼け爛れた顔を上げた。
「いやあ……今日は暑いですねえ……まるで、焼け死にそうな暑さですよ……」
気楽な口調で喋りながら、後藤は起き上がろうとした。だが手足が思い通りに動かないらしく、
すぐ前のめりに倒れる。三連続で轢かれたことにより、体中の骨が折れているようだ。
炎に包まれながら、後藤の瞳の奥で、不気味な黒い歓喜が渦を巻いていた。
石川は七、八メートルの距離を取った。燃えていく後藤を、人々が恐る恐る遠巻きにして見守っている。
「アリョパー……アゴピャー……アメニャー」
アスファルトに横たわり、もぞもぞと手足を無駄に蠢かせながら、後藤は奇妙な言葉を呟いていた。
「アロパー……アロピョー……」
後藤の動きが段々弱くなっていった。肉の焦げる匂いが周囲に漂っている。
「アロ……ピャー……これ……っすね……」
その言葉を最後に、後藤は動かなくなった。炎がかなり小さくなってきたのは、
即ち、もう燃えるものがなくなってきたということだった。
黒い炭の塊と化した殺人鬼を、人々は呆然と見つめていた。
その中に混じって、石川は陰鬱な笑みを湛えていた。
248 :
憂。:2001/06/16(土) 02:24 ID:TMtaGyDc
「オワッタ。ツギダ」
微かな声が告げ、石川は後藤に背を向けた。
「カナリ、チカラガ、タマッタ。タクサン、イケルゾ」
「そう。じゃあ、やろう」
立ち尽くす人々の間を、石川は悠然と通り抜けていった。その背後で新しい悲鳴が聞こえた。
別の男が発火したのだ。次々と叫びが上がっていく。
歩み去る石川の後ろで、火達磨になった群衆が無意味なダンスを踊っていた。
瞳を何度も赤く染めて阿鼻叫喚を生み出しながら、石川は振り向かずに、昏い笑みを浮かべたまま歩き続けた。
街は燃えていた。走る自動車の中で運転手が燃えていた。通行人が皆燃えていた。
建物の窓からは黒い煙が噴き出していた。中の人間が燃えているのだ。
「クックックッ」
石川の口から、含み笑いが洩れた。
「クックックッ。クックックックッ」
「アロピャー」
人々の叫び声に混じって、奇妙な声が聞こえた。気が抜けるような、静かな、声だった。
249 :
憂。:2001/06/16(土) 02:26 ID:TMtaGyDc
石川の笑みが消えた。
ゆっくりと、石川は、振り向いた。
二十メートル程離れた場所に、人の形をした黒焦げの物体が立っていた。
そのオブジェは、右手に当たる部分に、緩く湾曲した細長い突起が付いていた。
煤の付着したそれは、鎌の刃であった。
黒いオブジェ・後藤真希のその顔は、皮膚も肉も完全に焦げ付いており、
どんな表情をしているのか窺い知ることは出来なかった。
ただ唯一無事である両の瞳が、あらゆる感情を超越した暗い虚無を映し出していた。
「アロピャー」
もう一度、焦げた声帯で奇声を発すると、ゆらりと後藤が動き出した。
進み出る毎に、パラパラと炭化した欠片がその体から落ちていく。
石川の目が再度、緋色に光った。後藤の胸に赤い点が生じたが、それは炎にならずに消えた。
石川の目がもう一度、緋色に光った。後藤の胸に赤い点が生じたが、それは炎にならずに消えた。
「な、なんで……」
石川の顔から黒い余裕は失せ、十六才の少女の怯えが露出した。
「ニゲロ、リカ。ヤツハモウ、モヤセルブブンガ、ナイ」
微かな声の囁きに、石川は慌てて踵を返し、逃げようとした。
250 :
憂。:2001/06/16(土) 02:27 ID:TMtaGyDc
「アロピャー」
不気味な奇声は、石川のすぐ後ろに迫っていた。
「ひっ」
焦げた鎌の刃が、石川の右肩に振り下ろされた。石川の体が、真っ二つに、裂けた。
「みんな……死んじゃえ……みんな……」
血と共にそれだけ吐き捨てると、石川梨華は、がくりと頭を落として息絶えた。
二つに裂けた死体の回りを、ゆっくりと血溜まりが広がっていく。
後藤は、暫くの間、死体の前に黙って立ち尽くしていた。彼女が何を思うのか、本人以外に知る由もない。
と、左側の胴体の内部から、突然赤い何かが飛び出した。あまりにも素早い動きだったので、
後藤も反応出来ないまま横を擦り抜けられる。残った左手で鎌を拾い上げて後藤が後を追うが、
既にその赤い生き物は三十メートル以上先を走っていた。
パシン、と、空気の弾けるような軽い音がした。
赤い生き物が、一メートル程の高さで宙に浮いていた。
必死に足と尻尾をもがかせているそれは、体長三十センチ程の赤い蜥蜴だった。
251 :
憂。:2001/06/16(土) 02:30 ID:TMtaGyDc
蜥蜴が宙を滑っていき、細長い棒の先に自ら突き刺さった。
赤い蜥蜴の胴体を串刺しにしているそれは、黒いステッキであった。
ステッキを握っているのは、白い手袋を填めた右手だった。
蜥蜴を眺めている帽子を被った女性は、依頼人である中澤裕子であった。
中澤の体は、何もない空間に上半身だけが浮かんでいた。
まるで異次元からこちらの世界へ、上半分だけ姿を覗かせたように。
「無事、回収させてもろたわ。ほんま、おおきに」
中澤は左手でシルクハットを脱いで、丁寧に一礼した。
同時にステッキの先を頭の空洞に持っていき、もがいていた蜥蜴は中へ吸い込まれて消えた。
シルクハットを再び被ると、中澤はカーテンを閉じるような仕草を見せた。
後藤がそこに駆けつけた時には、中澤裕子の姿は消えていた。
「アロピャー……」
後藤の奇声も、なんだか釈然としない響きだった。
252 :
憂。:2001/06/16(土) 02:33 ID:TMtaGyDc
血臭と腐臭の漂う後藤真希探偵事務所で、けたたましいベルの音が鳴り響いた。
騒いでいるのは勿論、机の上のダイヤル式黒電話機だ。薄闇の中、シャツの腕が大儀そうに伸び、受話器を掴む。
「はい、後藤真希探偵事務所ですが」
気怠い声で後藤は応じた。没頭していた作業を中断された苛立ちがその顔に表れている。
「いきなり電話で用件を言って悪いが、実は今朝から妻がいないんだ。
台所には血の痕が残ってた。もしかしたら誘拐されたのかも知れない。
もう警察には連絡したんだけれど、どうしても心配で」
若い男の声だった。
「ほほう。あなたの家はどの辺ですか」
後藤は首を傾げながら受話器に尋ねた。
「三途町二丁目だよ。頼む、妻を捜してくれないか」
「ふうむ」
後藤の、首を傾げる角度が深くなった。
253 :
憂。:2001/06/16(土) 02:35 ID:TMtaGyDc
「もしかすると、奥さんは三十才くらいで、三つ編みの髪が腰まで届いて、
二重瞼で笑顔の可愛らしい方ですかね」
「そ、そうだよ、良く知ってるじゃないか。頼む、捜し出してくれ」
後藤は、目の前の床に横たわっているものを見た。
それは、後藤が今言った通りの女性だった。ただしその美しい顔に笑顔はなく、断末魔の恐怖を語っていた。
女性の首は、胴体から離れていた。大型のハンティングナイフが裂けた腹に残っている。
後藤は言った。
「お断りします」
受話器を置こうとした時、相手の男の喚くような声が聞こえてきた。
「百万円払うっ。だから引き受けてくれ」
「……」
後藤は受話器を持ったまま、思案するように暫く顎を撫でていたが、やがてこう答えた。
「分かりました。後ほど郵送します」
2.Well-done【終】(3.に続く)
254 :
名無し娘。:2001/06/16(土) 03:21 ID:Axqo9Z5w
なんかもう、逆に笑えてきた。
読んでる俺も狂ってきたのかもしれない。
ガンバレ
面白すぎる・・・
後藤と石川の対決がめっちゃヨカータヨ
後藤も石川も中澤もみんなかっけーよ
256 :
名無し娘。:2001/06/17(日) 05:11 ID:uGHC4v3I
>>254 いや「逆に」とかいらんでしょ。普通に笑えるべ。
前々回のボウリングと今回のトラックのシーンはマジで爆笑させていただきました。
257 :
名無し娘。:2001/06/17(日) 13:01 ID:eNUhPCxg
結局後藤はただの殺人鬼だったの?
しかも自分で自覚してないという。
258 :
名無し娘。:2001/06/17(日) 22:28 ID:ONP4VpNw
乙女パスタの衣装を着たゆゆたんを想像して萌え
259 :
名無し娘。:2001/06/18(月) 00:02 ID:gvLE78cE
>>257 中澤の頭があんなだった時点で、読者がそういうことに
頭を使う小説ではないことに私は気付きました(たぶん)。
260 :
憂。:2001/06/18(月) 18:03 ID:szEyulDE
3.\1,527
ラッシュアワーを過ぎたばかりの午前九時の通りは、それでも各々の目的地に向かう人々で埋まっていた。
その人込みの中で、安物のロングコートに身を包んでぽつんと立つ男は、三十才くらいに見えた。
男は右手をコートの内側に差し入れたままの姿勢で、口元に引き攣った笑みを浮かべたまま、ずっと立っていた。
男の髪は暫く洗っていないのか、油脂で固まり、こけた頬を無精髭が覆っていた。男の目の下には濃い隈が出来ていた。
殆ど瞬きをしないその瞳は、明らかに、常軌を逸した狂気の光を帯びていた。
人々は男の異常な雰囲気を察し、擦れ違う際には一定の距離を置いていた。
「ヘヘッ、ヘッ」
やがて、男の口から、湿った笑い声が洩れた。ジュル、と、男は唇から垂れかけた涎を啜った。
男はコートをはだけた。男の正面を歩いていた人達はギョッとして立ち竦んだ。
コートの内側で、男が右手で握っていたものは、一挺のライフル銃であった。
肩から腰にかけて巻かれたベルトには、無数の弾薬が挿さっていた。
男はライフルを構えた。手慣れた動きは、或いは傭兵などの経験があったのかも知れない。
261 :
憂。:2001/06/18(月) 18:09 ID:szEyulDE
その場に居合わせた人々の、三分の一が慌てて地面に伏せ、別の三分の一が悲鳴を上げて逃げ走り、
残りの三分の一が恐怖に凍り付いたまま身動き出来ずにいた。
「死ね」
乾いた銃声が街に木霊した。立ち竦んでいた中年男の胸に赤い穴が開いた。弾丸は背中の肉を
大量に抉って貫通していた。撃たれた男は呆然と自分の胸を見下ろしながら、前のめりに倒れた。
悲鳴が更に大きくなった。
「死ね、死ね」
男は続けざまに発砲した。買い物袋を提げた老婆の頭が破裂した。
五才くらいの幼児が腹部から内臓を溢れさせて泣いていた。伏せていた女の背中に銃口を当てて男は発砲した。
「死ね、死ね、死ね、死ね、ヘヘッ、ヘヘヘヘッ」
男は抑揚のない声で呟きながら笑いながら涎を垂らしながら人を撃ち続けた。通りは恐慌に陥っていた。
262 :
憂。:2001/06/18(月) 18:11 ID:szEyulDE
と、交差点の陰から、女が一人現れた。女は、聞こえている銃声にも逃げ惑う人々にも
伏せている人々にも転がっている死体にもまるで気づいていないのか、鼻歌を歌いながらライフルの男の方へ歩いてくる。
「フンフフンフフーン」
よれよれのシャツを着て薄汚れたスニーカーを履いた女は、後藤真希だった。
この状況で平然としている後藤の登場に、男は目を見開いたが、やがて銃を構え直して後藤へ発砲した。
「死ね」
ボツン、と、後藤の胸に穴が開いた。背中から血飛沫が散った。着弾の衝撃に、後藤の上体が僅かに仰け反った。
だがそれだけだった。後藤は傷口から流れる血を気にするふうもなく、鼻歌を続けながら歩いてくる。
「こ、この、死ね」
もう一度、男が発砲した。後藤の腹部に穴が開いた。だが後藤は平然と歩いてくる。
「あわわ、た、たす……」
迫ってくる後藤に、男は思わず腰砕けになって後ずさった。
しかし、後藤は何もせずに男の傍らを通り過ぎただけだった。
穴の開いた後藤の背中を、男は呆然と見つめていた。
「く、糞っ」
男の痩せた顔が、無視された屈辱に歪んだ。
「死ね、死ね」
男は背後から後藤を撃った。後藤の背中にポツ、ポツ、と穴が開く。だが後藤は何事もなかったように歩み去っていく。
263 :
憂。:2001/06/18(月) 18:12 ID:szEyulDE
「畜生、死にやがれっ」
男は後藤を走って追いかけた。歩みを止めぬ後藤の背中に、至近距離から立て続けに発砲した。しかし後藤は無反応だった。
「フンフンフフフーン」
後藤は小さな食料品店に入った。ライフルに弾を込めながら男が急いで続く。
「こんちはー」
後藤が愛想良く挨拶すると、中年の店長は渋い顔を見せた。
「またあんたか。今日もツケじゃないだろうね」
「すいませんねえ。ツケでお願いしますよ。今度纏まったお金が入ったら払いますんで」
後藤は言いながらカゴを取り、店内に並んだ食パンや牛乳やインスタントラーメンを詰め込み始めた。
「お、俺を無視するなよ、死ねよ、てめえっ」
ライフルの男が後藤を撃った。体中の穴から出血して血塗れになっているが、後藤は構わず店長に話しかける。
「いやあ、なかなか仕事がなくてねえ。大変ですよ」
「あんたのツケはもう二十万以上溜まってるからね。早く払ってくれよ」
店長は苦々しげに言った。
264 :
憂。:2001/06/18(月) 18:12 ID:szEyulDE
「おおおっ、死ねよ、死んでくれよっ」
ライフルの男は泣き出していた。食料をレジまで持っていった後藤の、後頭部に向けて発砲した。
「いやあ、すみませんねえ。いつもいつも」
後藤は店長に向かって、左上四分の一が欠けた頭を下げた。
「うおおおっ」
ライフルの男は、銃身を逆に向け、その先端を自分の口に突っ込んだ。
「毎度ー」
店長が投げ遣りな口調で言って、後藤は紙袋を抱えて店を出ていった。
男が泣きながらライフルの引き金を引いた。
265 :
名無し娘。:2001/06/18(月) 19:38 ID:LJhnB7JM
後藤も後藤なら店長も店長だな・・・
266 :
名無し娘。:2001/06/18(月) 20:01 ID:Tmz.W2C.
無駄無駄無駄無駄無駄ぁッ!後藤は無敵なりぃぃぃッ!
ホント、何なんだろうね、この話の後藤は。
267 :
憂。:2001/06/19(火) 02:43 ID:96ejb/0c
静かな夜だった。澄みきった星空に浮かぶ満月は、そろそろ中天に達しようとしている。
「あああああ、良い月だなあ」
若い女が空を眺め、感に堪えぬように嘆息した。顔にかかった蓬髪の隙間から、
無邪気な瞳が覗いている。女は十代の後半に見えたが、身長は百五十センチ弱だった。
両手には、長い柄を握っていた。木製の柄は下まで延び、鈍い金属の光沢へと続いている。
そこには、青い制服を着た警備員の死体が転がっていた。
その背中に深々と減り込んでいるのは、女の握っている長柄の大斧だった。
「ボサッとするなよ、矢口」
蓬髪の女にドスの利いた声をかけたのは、厚手のコートを羽織った女性だった。
趣味のいい服装とは言えないが、動作はキビキビしたもので、リーダーの貫禄を感じさせる。
口の端に咥えた葉巻からは紫煙が昇っている。
コートの女が持っているのは、小型のサブマシンガンだった。
「警報装置は吉澤がとっくに処理してるんだ。急ぐよ」
「分かったよ圭ちゃん。でも君達には、情緒ってもんが足りないなあ」
蓬髪の女・矢口は、警備員の死体を靴で踏み付け、斧を引き抜いた。
その場には、矢口とコートの女・保田を含めて、五人の女がいた。
彼女らは正門の近くに設けられた詰所を抜け、屋敷へ繋がる広い庭を歩いた。
矢口が右手に握る長柄の大斧から滴った血が芝生を濡らす。
268 :
憂。:2001/06/19(火) 02:47 ID:96ejb/0c
「玄関には監視カメラが一台ありますね」
ピアスをした少女が説明した。頻繁にキョロキョロと動くその目は鋭い光を帯びている。
「ただし、不審な動きを自動認識するものじゃなくて、人間が直接画面を確認するタイプみたいだから心配ないですね。
玄関の扉にはセンサーが付いてます。力ずくで開けるとすぐに警備会社に連絡が行くようになってます。
台所の辺りにセキュリティ・システムのコントロールパネルがあります。まずはこれを破壊することですね。
えーっと、猟銃が一挺、寝室に保管されてます。それだけは注意して下さい。現在、起きてる者はいません」
大きな屋敷だった。二階建てで、十部屋は下るまい。向こうの庭にはプールも付いている。
五人は玄関まで辿り着いた。保田が顎をしゃくる。
「吉澤」
ピアスの少女・吉澤は、ドアのすぐ前に立ち、目を細めながら右へと移動した。
他の者達は黙ってついていく。大きな屋敷の壁伝いに歩き、側面の勝手口近くで吉澤は立ち止まった。
「ここからがベターみたいです。飯田さん、お願いします」
吉澤が言った。身長百七十センチの大女・飯田が進み出た。
黄土色のベストを着た飯田の動きは整然として遊びがなく、それが逆に不自然に感じられる。
269 :
憂。:2001/06/19(火) 02:53 ID:96ejb/0c
飯田は右腕を水平に差し上げた。モーター音を立てて手首が直角に折れ曲がり、暗い穴が覗く。
前腕の内部から伸びたのは、大口径の長い銃身だった。その形状はライフルなどよりは、戦車の砲塔に似ていた。
「右に十五度、下に五度。もう少し下ですね。はい、そこで止めて。壁一つ越えて八メートル先にあります」
吉澤の指示に従って飯田は右腕の角度を調整し、一ミリの揺れもなく静止した。
「セキュリティ・システムを潰したら、ソニンが勝手口のドアをぶち破って」
保田が横に立つ女に言った。ソニンは黒い上着に同じ色のジーパンという服装の女だった。
年の頃はやはり十代の後半か。豊かな胸の隆起が服の上からでも見て取れた。まっすぐな茶色の髪が
肩の辺りまで伸びている。真夜中にも関わらずサングラスをかけて、かなりの美人だと思われるその目元を隠していた。
ソニンは、ショットガンを構えて頷いた。
「じゃあ、始めて」
保田の合図で、飯田は右腕の銃を発射した。音もなく撃ち出されたのは鉛の弾ではなく、
エネルギーを凝縮した光弾であった。それは厚い壁をあっけなく貫通していった。
「セキュリティ・システムが破壊されました」
吉澤の声と同時にソニンがドアに向かってショットガンを発射した。二度の轟音と共に
蝶番がグチャグチャになる。すぐに矢口がドアを荒々しく蹴破って屋内へ突入した。仲間達がそれに続く。
270 :
憂。:2001/06/19(火) 02:56 ID:96ejb/0c
「左の部屋に使用人が二人います。それから奥の右手の部屋に、警備員が一人です。皆、目を覚ましました」
吉澤の言葉に、女達が素早く動いた。恐る恐るドアを開けて顔を出した若い女性の使用人に向かって、
保田のサブマシンガンがパラパラと軽い音を立てる。使用人が胸を朱に染めて倒れる。
保田は穴だらけになったドアを引き開けて、中にいたもう一人の使用人を撃ち殺した。
飯田が警備員の部屋に進んだ。ドアを開けると、電灯を点けた中年の男が警棒を掴んだところだった。
「な、何だお前達は……」
その顔に突き立てられたのは、飯田の左手から伸びた螺旋状の刃であった。
前腕内部に格納されていたのだろう。刃はモーター音を上げて回転し、警備員の頭部に異様な形の風穴を開けた。
「階段を上がって突き当たりが夫婦の寝室です。金庫もそこにあります」
五人は階段を駆け上った。暗い廊下を進み、突き当たりのドアにまだ距離のある地点で吉澤が警告した。
「中で猟銃を構えてます」
「なら、カオリか矢口ね」
保田が二人を見る。
飯田が口を動かさず、抑揚のない声で答えた。
「ボディーニ、キズガツク。カオリ、コノアイダ、メンテナンスシタバッカリ」
「じゃあ矢口ね」
保田に命じられ、矢口は肩を竦めた。
271 :
憂。:2001/06/19(火) 02:58 ID:96ejb/0c
「やれやれ、不死身は辛いねえ」
愚痴を零しながらも、矢口は長柄の斧を振り上げて突進した。
渾身の力を込めて振り下ろされた大斧は木製のドアを突き破った。
その瞬間、銃声がしてドアに別の穴が開いた。矢口の体が揺れる。
矢口のTシャツに、散弾による無数の破れ目が出来ていた。
だが矢口はニヤリと笑った。斧を引き抜くと、ドアを体当たりでぶち破った。
オレンジ色の光の中、ベッドの傍らでしゃがみ込んでいる三十代の夫婦が見えた。
猟銃を構えた夫が、もう一度発砲した。
最初よりも近距離で、しかも顔面に命中し、矢口は激しく仰け反った。そしてすぐに体勢を戻した。
「痛えな、おい」
大きな軌道を描いて振り下ろされた長柄の斧が、夫の顔面を割って頭部をほぼ真っ二つにしていた。
血と脳漿が撥ね、妻が悲鳴を上げる。
矢口が顔をしかめ、顔面の筋肉に力を込めた。無数の赤い点から、小さな丸いものが次々と床に落ちていった。
屋敷の主人が発射した、散弾の一つ一つであった。
272 :
憂。:2001/06/19(火) 02:58 ID:96ejb/0c
矢口は、震えている妻の美しい顔に自分の顔を寄せてしげしげと眺めた。
「好みだぜい」
そして矢口は、凄い笑みを浮かべた。
「た、助けて……」
妻の言葉に構わず、矢口は斧を夫の顔から引き抜いて、妻の体に振り下ろした。
「ヒャハーッ」
矢口は甲高い歓喜の声を上げた。
悲鳴が上がった。大斧は、床についた妻の左手の指を、大部分切断していた。
「バラバラーッ」
再び矢口が斧を振り下ろした。今度は左手首が切断された。再び矢口が斧を振り下ろした。
今度は左前腕の半ば程が切断された。再び矢口が斧を振り下ろした。今度は左肘が切断された。
再び矢口が斧を振り下ろした。今度は左上腕の半ば程が切断された。再び矢口が斧を振り下ろした。
左腕が肩の付け根で切断された。
「ヒャハーッ、バラバラーッ、ヒャハーッ、ヒャハハーッ」
矢口は左腕を完全に分解し終えると、次に妻の右腕で同じ工程を開始した。
妻の悲鳴は獣じみたものに変わり、やがて次第に弱くなっていった。
273 :
憂。:2001/06/19(火) 03:00 ID:96ejb/0c
矢口が自分の行為に没頭している間に、他の者達も既に寝室へ入っていた。
隅に置かれた大型の金庫の前に吉澤が立ち、そのダイヤル錠に触れていた。
試行錯誤もなく、吉澤は正確にダイヤルを回してロックを解除した。しかしまだ鍵式の錠が残っている。
吉澤は別の隅へと歩き、カーペットの端を捲った。そこには鍵が一つ隠れていた。
金庫を開けると、中には札束の山と宝石類と分厚い有価証券の束が収まっていた。
保田と吉澤とソニンの口元が綻んだ。飯田は無表情だった。
「詰めて。残さずね」
仲間に命じ、保田は葉巻を手に取って、紫煙の混じった息を吐き出した。
「今回はあっけなかったね。警備員が二十人くらいは欲しかったところだわ」
それでも保田は、満更でもない様子だった。その頃になってやっと、矢口は妻の解体を終えていた。
彼女は数十もの肉片に分かれて血溜まりの中に転がっていた。
袋に全てを詰めた後で、吉澤が口を開いた。
「それから保田さん、クロー……」
「いや何もないでしょ、よっすぃー」
矢口が吉澤の言葉を遮った。血みどろのウインクを受け、吉澤はおずおずと訂正した。
「いえ、何でもないです」
そんな吉澤を、保田は黙って見つめていたが、やがて言った。
「なら、引き揚げるか」
274 :
憂。:2001/06/19(火) 03:00 ID:96ejb/0c
あまりにも残虐な強盗一味が去った後、寝室のクローゼットの扉が、内側から静かに開いた。
中から怯えきった顔を覗かせたのは、まだ中学生くらいの少女だった。
少女は、目を涙で潤ませながら、全身の震えを止めることが出来ずにいた。
満月の、夜だった。
275 :
名無し娘。:2001/06/19(火) 03:19 ID:XGuuKrVg
>>267-274
おぉっ、このスレ始まって以来の常識的な展開だ(w
ここに後藤がどう絡んでいくのだろう?
興味津々。
276 :
名無し娘。:2001/06/19(火) 19:49 ID:/3Ji2PFo
>>275 常識的・・・か・・・?(w
5対1の対決があるのだろうか。超期待。
特に矢口対後藤、不死身対不死身。
敵がどんどん強くなっていっていつも興奮させられてしまう。
ところで吉澤はロボットなのか・・・・?
それとも、世界とは元々そんなものなのか(笑
277 :
名無し娘。:2001/06/19(火) 21:05 ID:GqJgihHI
飯田、カッコよすぎだ!ソニンはどんな能力なんだろう?
なんかX−MENみたいだ。
278 :
名無し娘。:2001/06/19(火) 23:55 ID:ivNBRHnY
>>276 うむ。世界とはそんなもんだ。(腕を組み深く頷く)
279 :
憂。:2001/06/20(水) 19:14 ID:jdY7XQ5w
「ふうむ」
後藤真希はちょっと困ったような顔で、正面に立つ依頼人を観察した。
荒れ果てたビルの四階、血臭と腐臭の漂う探偵事務所でのことだ。
「あなたのお年は、幾つですか」
後藤の問いに、臭気に眉をひそめながら少女は答えた。
「十四才です」
「ふうむ」
後藤はもう一度唸り、左手で自分の顎を撫でた。彼女はいつもの着古したシャツに、
自分で切ったような左右非対称な髪をしていた。端正な顔立ちだが、その眼差しは気怠げだ。
薄い唇は、常に何かを面白がっているような微笑を湛えている筈なのだが、今日の唇は些か別の方向に曲がっていた。
後藤は歯切れの悪い口調で言った。
「弱りましたね。確かにここは、十八才未満お断りという訳でもない、ですけど。
まあ、そりゃあ、報酬さえ頂ければ、ねえ……」
「両親の仇を討って欲しいんです」
凛とした口調で少女は言った。少女は、笑うと八重歯の覗く口を今は一文字に引き結んでいた。
もう四、五年もすればかなりの美人になるであろうが、今はまだあどけなさの要素が強かった。
部屋に充満する臭気と、外よりも冷たい空気に、防寒コートの下に覗く膝は微かに震えている。
280 :
憂。:2001/06/20(水) 19:15 ID:jdY7XQ5w
「まあ取り敢えず、座って下さい。あなたのお名前は」
「辻希美です」
無数の仮面で埋まった壁を見回しながら、辻希美はカバーの破れたソファーに腰を下ろした。
「ほほう、辻さんと仰るんですか」
「もしかして、私の父さんのこと知ってるの。金持ちだったし」
辻が後藤の顔を見上げて聞いた。
「いえそれが、全然知りません」
平然と後藤は答えた。
「ところで今日は、学校はおサボリになったんですか」
「違うよ。だって今日は日曜だもん。いや、でも、学校にはもう二週間も行ってないけど」
少女の瞳を昏い翳りが掠める。
「ありゃりゃ。今日は日曜日でしたか。いやあ、探偵には曜日なんてありませんからねえ。
というか、仕事自体がなかなかありませんからねえ」
後藤はいつもの微笑を取り戻していた。
281 :
憂。:2001/06/20(水) 19:21 ID:jdY7XQ5w
辻は話し始めた。
「父さんは事業をやってて、すっごいお金持ちだったんです。家も大きくて庭も広くて、お手伝いさんも二人いて、
警備の人もいた。私は生まれた時からそこに住んでて、そんなのが当たり前だと思ってたけど、
友達の家に遊びに行った時にびっくりしました。うちって凄い恵まれてて、贅沢なんだって」
辻は話す内に、少しずつ俯いてきた。
「でもそれはいいんです。大切なのは、二週間前に、いきなり強盗がやってきて、両親も、
お手伝いさんも警備の人も皆、殺されてしまったってこと」
少女の頬を流れる涙を、後藤は表情を変えずに見つめていた。
「警備の機械は壊れてて、電話線も切られてて、外の警備員さんは斧で殺されて、中で寝てた警備員さんは
頭に大きな穴が開いてたって。お手伝いさん達は体中を撃たれてた。私が両親の寝室に駆けていったら、
父さんが私をクローゼットの中に押し込んで、隠れてろ、何があっても絶対に外に出るなって言ったんです。
そしたらすぐ後に、銃声があって、それから母さんの悲鳴が聞こえた。知らない男の人が笑ってた。
ドカッ、ドカッ、て、嫌な音が暫く続いてた。それから別の人の声がして、あっけなかったって言った。
その人らはカオリとか、ソニンとかって呼び合ってた。その人達が出ていった後で、私は隣の家に駆け込んで、
警察を呼んだんです。でもその時に……」
辻は両手で顔を覆った。やがて嗚咽混じりの声が洩れた。
「父さんと母さんが見えたんです。父さんは頭が西瓜みたいに割れてた。母さんは、バラバラになってた。
とても細かくなってた。頭は四つくらいに。あの嫌な音は、母さんを切り刻む音だったんだって……」
「ふうむ。なかなか凝ったことをしますねえ」
後藤は呟いた。感心したような後藤の口調に、辻はきっと顔を上げたが、すぐに思い直して話を続けた。
282 :
憂。:2001/06/20(水) 19:23 ID:jdY7XQ5w
「警察が来て、私も一生懸命話しました。それから刑事さんが、気の毒そうな顔をして言ったの。
これはブラディー・ガールズの仕業だろうって」
「ほほう、ブラディー・ガールズですか」
「知ってるの」
後藤はにこやかに肩を竦めた。
「いえ全く。でもなかなか良い名前ですね。血みどろ娘とは」
少女は溜息をついた。
「半年くらい前から八津崎市で暴れ回っている強盗団で、押し込んだ先を皆殺しにしていくから、
目撃者が殆どいないんだって。警備の様子が全部分かってるみたいに凄く手際が良くて、警察も全くお手上げなんだって。
昨日、私は刑事さんに、絶対にあいつらを捕まえて欲しいって言ったんです。そしたら刑事さんが、警察も忙しくて
あまり手が割けないし、まともな方法じゃあ捕まえられないだろうから、まともじゃない所を紹介するって……」
「そしてあなたが、ここに来られた訳ですね。ううむ」
後藤は首を捻った。
「しかしあなたは、私のことをどの程度知ってるんでしょうね。私のやり方を知ってますか」
「いいえ、知りません。刑事さんは、よく話してみろとしか言わなかったし」
「私は殺人鬼です」
後藤の言葉に、少女は息を止めた。部屋の雰囲気と異様な臭気で、それまで曖昧な形で
忍び寄っていたであろう不安が、一気にその顔に表出していた。
「殺人鬼って、あの……」
「天然ものです。それはもう、バンバン殺しちゃいます」
後藤の笑みは寧ろ優しかった。
283 :
憂。:2001/06/20(水) 19:27 ID:jdY7XQ5w
「信じられませんか」
「だ……だって……」
口ごもる辻を置いて、後藤は立ち上がった。殺されると思ったのか、ビクリと少女の肩が動く。
しかし後藤は辻の方ではなく、左のドアに向かった。二つの鍵を外し、後藤はドアを大きく開け放った。
辻は凍り付いた。少女の座っている場所から、奥の部屋の様子が見えていた。
壁には隙間なく、斧や鉈やチェーンソーや包丁や電気ドリルやサーベルやギロチンの刃の部分など、
様々な道具がかけられており、中央の床にも陳列台が置かれ、同じく数々の器具が並んでいた。
それらが全て、人間を殺戮するために揃えられた凶器であることは明白だった。
よく手入れされたそれぞれには、番号の書かれた小さな紙片が貼られていた。
「分かってくれましたか」
嬉しそうにそして幾分得意げに、後藤は言った。
絶句する辻をどう解釈したのか、後藤は凶器の並ぶ部屋に足を踏み入れた。
「実は更に奥があります」
凶器の部屋の正面に、奥に続くドアがあった。後藤はとろけそうな笑みを湛えたままノブを掴み、そして開いた。
むっとする濃厚な腐臭が、辻のいる部屋まで流れ込んできた。
開かれたドアのその奥を、少女は一瞬見ただけで、すぐに目を逸らした。
284 :
憂。:2001/06/20(水) 19:28 ID:jdY7XQ5w
後藤はドアを閉め、少女の座る部屋に戻って凶器の部屋へのドアも閉めた。
「まあ、こんな私なんですけどねえ」
後藤はのんびりした口調で告げ、自分の椅子に腰を下ろした。
辻の顔色は真っ青になっていた。全身の震えは大きくなり、今にも壊れてしまいそうだった。
「まあまあ落ち着いて。原則として依頼人は殺さないので。飽くまで原則として、ですけど」
後藤は穏やかに保証した。彼女の瞳をふと寂しげな色が掠めた。滅多にないことだった。
辻の震えが小さくなるまでの数分間、後藤は黙って待っていた。
少女は、この場を逃げ出したり悲鳴を上げたりはしなかった。
或いはあまりにも恐怖が強くて、出来なかったのかも知れないが。
「落ち着きましたか」
やがて、後藤が聞いた。少女はぎこちなく頷いた。後藤を見上げるその目には、まだ怯えの色が残っている。
「し……信じられない。どうして……人を、殺すの」
少女の問いに、後藤はちょっと困ったような顔をした。
「ううむ。そう言われても、人を殺す理由なんてありませんねえ。やっぱり、殺人鬼だからでしょうかねえ」
「そんなの……そんなの、理由になってないよ。殺される人の立場になって考えたことがあるの。
父さんはいつも言ってた。自分がされたら嫌なことは、他人にしちゃいけないって」
辻は、後藤を非難するような口調になっていた。恐怖よりも道徳心の方が勝ったのであろうか。
285 :
憂。:2001/06/20(水) 19:30 ID:jdY7XQ5w
後藤は気怠い視線を少女に返した。
「あなたは、蚊を潰したことはありますか。牛肉や豚肉は食べてますよね。
さて、あなたは、殺される蚊や牛や豚の立場になって考えたことがありますか」
辻はぐっと鼻白んだ。
「で、でも、それは動物だもん。人間とは、違うじゃない」
答えようとして、後藤はふと照れ笑いのような表情になって頭を掻いた。
「いやはや、危ない危ない。申し訳ないですけど、これ以上は答えられません。
殺人鬼は、倫理について語ってはいけないことになっているんです。
まあ、あなたが決めないといけないのは、簡単なことですね。殺人鬼の私に依頼して、
ブラディー・ガールズを退治するか、それとも依頼を諦めて、警察に任せるか。
ひょっとすると、警察が運良く捕まえてくれることもあるかも知れないですしねえ」
辻の顔に迷いが浮かんだ。後藤真希という存在と、自分の中の道徳観念と、両親の思い出の、
それぞれの重みを、少女は幼い心で必死に比較しているようだった。
「わた……私は……」
辻の目が、再び涙で潤んできた。俯いてしゃくり上げる少女を、後藤真希は懐かしいものを見るように、
好ましげに見守っていた。数分経ち、少女が泣きやむまで、後藤は静かに待っていた。
286 :
憂。:2001/06/20(水) 19:31 ID:jdY7XQ5w
やがて、辻は顔を上げた。涙の痕は残っていたが、その強い光を湛えた瞳は、何かを決意した者のそれだった。
「私は……。両親を殺した奴らが憎い。ブラディー・ガールズを捕まえないと、気が済まない」
「私を雇いますか」
後藤の言葉に、少女は黙って頷いた。
「だけど、報酬は頂けるんですかね。幾らお家が金持ちでも、あなたのお小遣いはそう高くはないでしょう」
後藤が心配そうに尋ねた。少女は小さな財布を取り出して、その中身を机の上にぶち撒けた。
チャリーン、と、音がした。
ガコン、と、音がした。最初の音は、硬貨がぶつかり合って鳴り響いたものだった。
次の音は、後藤の顎が外れた音だった。
机の上には、千円札が一枚と、五百円硬貨が一枚、後は数枚の小銭だけだった。
念入りに硬貨を数え、外れた顎を元に戻し、悲しげに後藤は言った。
「千と、五百二十七円ありますね」
「あのね、私、貯金箱に貯めてたお金を、この前CDを買うのに使っちゃって」
辻がもじもじと上目遣いになって言った。
287 :
憂。:2001/06/20(水) 19:32 ID:jdY7XQ5w
「今はお小遣いを全部、叔父さんが管理してるの。だから、私の全財産、これだけ」
「くううぅぅ」
後藤は泣きそうになっていた。辻は取り繕うように慌てて付け足した。
「あのねあのね、刑事さんがね、探偵さんはとっても優しい人だから、頼み込めばなんとかしてくれるって」
「……。わ……分かりました」
長い溜息の後、後藤は答えた。
「インスタントラーメンだったら、一日二食二百円以内で、一週間は食べていけるでしょう。
いや、一日百円なら、十五日間は生活可能ですね」
「ごめんなさい」
辻は素直に頭を下げた。
「まあ、いいでしょう。それでは二枚、選んで下さい」
後藤は机の上の箱を指差した。箱の上面には丁度手が入る大きさの丸い穴が開いていた。
中に積み重なった紙片の山が見える。
辻は右手を差し入れて、二枚を選び出した。
288 :
憂。:2001/06/20(水) 19:33 ID:jdY7XQ5w
「八番と……六十一番ですね」
後藤は紙片を開いて読み上げ、左の部屋へ消えた。
緊張した面持ちで少女が待っていると、後藤は両手に二つの道具を持って現れた。
後藤の右手には、柄の長さが四十センチ程の、金属のハンマーが握られていた。
柄にテープで貼られた紙片には、八の番号が書かれていた。
後藤の左手には、太いコの字型のフレームに支えられた、刃を取替える方式の鋸が握られていた。
糸鋸と違うのは、歯が細かく、そして刃の幅が広いことだ。それは、金属材を切断するための金鋸だった。
「も、もしかして……それ、使うの」
恐る恐る辻が聞いた。
「はい、勿論使います」
きっぱりと後藤が答えた。
289 :
名無し娘。:2001/06/20(水) 19:56 ID:lqYdFxY6
>>275 >>276 おい、辻が常識的だぞ!(w
っていうか、「この小説の中じゃ、『何の罪もない人たちが・・・』なんて言えないね」
って書き込もうとしたら先に辻に言われた(w
290 :
名無し娘。:2001/06/21(木) 00:15 ID:xpbC9NZk
あれ?後藤、自分で「殺人鬼です」って言っちゃったよ。(W
なんかちょっと俺の中で理不尽さが解けたみたいだわ。
後藤もまともに会話してるし。
291 :
名無し娘。:2001/06/21(木) 01:28 ID:BwhZAntM
>>289 >おい、辻が常識的だぞ!(w
いや、逆にモー娘。ワールド内では非常識・・・(w
292 :
憂。:2001/06/22(金) 00:25 ID:dzJwD.rw
一時間半後、辻希美に案内され、後藤真希は辻家に辿り着いた。
「いやはや、広い屋敷ですねえ」
後藤は嘆息した。
「今は私、叔父さんの家に住んでるから、今は誰もいないの。叔父さんはこの家、売りに出すって言ってる。
私がずっと住んできた家だけど、でも嫌な思い出も……」
殺された両親の姿が脳裏を掠めたのか、辻は眉をひそめて俯いた。
正門を開いて二人は敷地内へ足を踏み入れた。すぐ側に小さな詰所がある。
「ここに、警備員の人が倒れてたの」
辻は詰所を指差した。扉は壊れ、床には血の染みが残っている。
「ふうむ」
顔を突っ込んで数秒観察すると、後藤は先へと進んだ。
「警察が散々調べていったけど、結局、役に立つ手掛かりはなかったって。
指紋とか足跡とかは沢山残ってたけど、前科もないみたいで。私が鍵持ってるから、玄関から入れるよ」
辻は玄関の扉を開けた。
「靴は脱がなくていいよ、もう汚れてるから」
「そうですか、ではお邪魔します」
後藤はスニーカーのまま中へと入った。
293 :
憂。:2001/06/22(金) 00:26 ID:dzJwD.rw
二人は奥へ進み、広いキッチンに入った。勝手口は板で閉鎖されている。
「このドアは、ショットガンで撃たれてたって。ほらあの、小さな弾が沢山出る奴」
説明した後、辻は壁にあるセキュリティ・システムのコントロールパネルを示した。
「ふうむ」
後藤は顔を近づけ、パネルの中心に開いた穴を観察した。
「溶けてますね。壁の裏側まで貫通してますし」
そして後藤は振り向いて、外に接した壁に別の穴を見つけた。
「レーザーかエネルギー弾でしょう。外から撃ち込まれて、正確にパネルを破壊してます。
窓もないのに、よく外から内部の様子が分かりましたね。透視能力でも持っているのかも知れませんよ」
更に二人は廊下を進み、壁とドアに横並びに撃ち込まれた弾痕を観察した。
「それから上に、私達の寝室が……」
その時、二階からゴソゴソと何者かの動く気配が伝わってきて、辻は顔を強張らせた。
「ほほう」
後藤はポケットから、金属製のハンマーを取り出した。音を立てずに階段を上り、その後を辻がついていく。
294 :
憂。:2001/06/22(金) 00:27 ID:dzJwD.rw
廊下を進む内に、右手にある部屋から、忌々しげな呟きが聞こえてきた。
「全く。何もありゃせん。兄貴の奴……」
その声に何を感じたのか、辻が後藤の後ろで首を傾げた。
ドアは開いていた。後藤が隙間から覗き込むと、小太りの男が机の引き出しを漁っていた。
書類や本が散乱しているこの部屋は、どうやら書斎らしい。男はこちらに背中を向けていて、後藤に気づかない。
「もしもーし。泥棒の方ですか」
気楽な後藤の呼びかけに、小太りの男はビクリと身を竦ませた。
ゆっくりと振り返ったのは、三十代半ばの狡猾そうな顔をした男だった。
「だ、誰だ、君は」
「それよりあなたはどなたでしょう。いえ、答えて頂く前に、二、三発ポカポカとやらせて下さい」
後藤がにっこり笑って右手のハンマーを振り被る。その後ろから顔を覗かせた辻が、小太りの男を見て声を上げた。
「やっぱり叔父さんだ。ここで何をしてるの」
「な、何だ、ののちゃんか」
小太りの男は、ホッとしたような気まずいような顔をした。
295 :
憂。:2001/06/22(金) 00:29 ID:dzJwD.rw
「い、今、君のお父さんの荷物を整理してたところだよ。ののちゃんこそ何をしてるんだい。それにこの女は」
辻の叔父である小太りの男は、胡散臭そうに後藤を見た。
「探偵さんなの。ブラディー・ガールズを捕まえてくれるんだよ」
辻が説明すると、小太りの男は疑惑の目を今度は彼女に向けた。
「探偵だって。そんな者を雇う金が、何処にあったんだい。ののちゃんは、何か叔父さんに隠してることはないかい」
「え、どういう意味」
辻が目を見開いた。そんな反応が返ってくるとは思いも寄らなかったのだろう。
「いやあ、整理しているというよりは、何か金になりそうなものを探しているような感じですねえ」
後藤が微笑を崩さずに言った。
小太りの男の目が、険悪な色を帯びた。
「何だ君、変な言いがかりはよせ」
「なかなか欲の深そうなお顔ですね。いえいえご謙遜なさらずとも結構ですよ、すぐに分かります。
金庫の中身は全部強盗に持ち去られたそうですけど、それでも遺産は相当ありそうですねえ。
いやはや強盗様々ですねえ。あ、でもそれは希美さんのものですかね。といっても、希美さんはまだ幼いですから、
財産管理はあなたがされるんでしょうねえ。浪費好きなあなたのことですから、それはもう好き勝手に使い捲るんでしょうねえ。
でも希美さんが成人してしまったら財産はあなたの手を離れてしまうから、その前にあなたは希美さんを
殺してしまわないといけませんねえ。狡猾なあなたのことですから、事故に見せかけて完璧に実行してしまうでしょうねえ。
あっと、もう計画されているんですか、気の早いお方だ」
後藤は表情を変えず、気怠い口調で淀みなく喋り終えた。
296 :
憂。:2001/06/22(金) 00:30 ID:dzJwD.rw
小太りの男の顔が、次第に青黒く変わっていった。それは怒りよりも、図星を指されたという焦りの色だった。
叔父の変化を見て、辻の顔は逆に蒼白になっていた。
「叔父さん……」
「しょ、証拠は何もないぞ」
小太りの男はふてぶてしい口調になって開き直った。
「そりゃあそうでしょう。まだ計画の段階ですからね。さて、どうしましょうかねえ。
ついでですから叔父さんも始末しときましょうか。いえこれはサービスで」
ハンマーを手の中で弄びながら、後藤が辻に尋ねた。
後藤の瞳の中で、殺戮への黒い期待が渦を巻いていた。
本気で言っていると悟ったらしく、小太りの男が凍り付く。
「ま、まさか、ののちゃん……」
「いや、やめとくわ」
辻は後藤に言った。安堵する叔父に軽蔑の眼差しを送ってから、少女は部屋を出ていった。
そしてすぐ、辻の顔は泣きそうに歪んだ。
彼女の後ろをひっそりと後藤がついてきていた。辻はそれに気づくと、表情を引き締めて後藤に告げた。
「突き当たりが、両親の寝室よ」
入り口のドアは失われ、廊下からでも奥が見えた。背後では小太りの男が逃げ走っていく。
「ふうむ」
後藤は部屋に入って、内部の様子を見渡した。隅には金庫が置きっ放しになっているが、どうせ中身は空だろう。
297 :
憂。:2001/06/22(金) 00:31 ID:dzJwD.rw
「私はそこに隠れてたの」
辻がクローゼットを指差す。
後藤は、ビニールの被さったダブルベッドに近づいた。ベッドの横、高級な絨毯に広く赤い染みが残っていた。
「ここに……」
辻の言葉はそれ以上続かなかった。
後藤は暫くの間、黙ってそこに立っていた。その口元の笑みが、少しずつ、少しずつ、深くなっていった。
「何か手掛かりはありそう」
後藤の表情に怯えつつ、それでも辻は訊いた。
「いえ、特に何も」
平然と後藤は答えた。
「ただ、一つだけ分かったことがありますね。彼女達は、お金は勿論好きですが、殺しも好きということです。
趣味の要素が多分に入ってますね」
「それで」
辻はちょっとがっかりしたような声になった。
「そうなるとおそらく、プライドも高いでしょうねえ。そこに糸口がありそうですよ」
後藤は自分の顎を撫でながら言った。
後藤がはじめて探偵らしいぞ(w
299 :
憂。:2001/06/23(土) 16:50 ID:cM6tn2.A
「今夜はどうしますか」
電話ボックスから出た後、夕闇の通りを並んで歩きながら、後藤真希は辻希美に尋ねた。
「後は私に任せますか。それとも強盗団を捕まえるところを、あなたが見届けたいと思うんでしたら、
明日の朝に私の事務所に来て頂ければ、一緒に出かけられますけど」
暫く躊躇っていたが、辻は答えた。
「もう、叔父さんの所には帰りたくない。探偵さん、泊めてくれるかな」
「そりゃ、まあ、数日なら、いいですけどね。あなたが恐くなければ。それと、食事はインスタントラーメンですけど」
後藤が肩を竦め、辻は苦笑した。
「ごめんなさい。で、これからどうやってブラディー・ガールズを捜すの」
「捜すのではなくて、向こうから来てもらいます。ちょっとここで待っていて頂けますか」
後藤が立ち止まった場所は、大きな和風の邸宅の前だった。厳めしい門の横に、『黎風会 神威楽斗』とあった。
「ここは……」
「私も良く知りませんけど、暴力団の組長さんの屋敷です。いや、黎風会ですから、会長さんになりますかね。
麻薬に恐喝、殺人と、色々やっておられて、最近なかなか羽振りがいいそうです。
先程石橋刑事さんに電話しまして、ご推薦を頂きました」
「どういうこと、ここにあいつらがいるの」
300 :
憂。:2001/06/23(土) 16:51 ID:cM6tn2.A
「いいえ、違います。まあお待ちを」
不審顔の辻を後に残して、後藤は正門をくぐった。ポケットから金属製のハンマーを取り出す。
後藤はハンマーを愛おしむように撫でてから、インターホンのボタンを押した。
少しして、低い男の声が聞こえてきた。
「誰だ」
「ブラディー・ガールズです。お金になりそうなものを沢山頂きたいんですけど」
後藤は気楽な口調で言った。
「……。馬鹿か。失せろ」
「開けてくれないと、扉をぶち破ってしまいますよー」
「てめえ、ここが何処だか分かってんのか」
「ですから黎風会ですよねえ。急いでますので入りますよー」
「やめろ、この馬鹿野郎っ」
声に構わず、後藤は玄関の引き戸をハンマーで叩いた。填っていたガラスが割れ、格子状の木枠が折れる。
後藤がもう一度ハンマーを振り下ろすと、扉は内側へ向かって倒れ、派手な音を立てた。
険しい目付きの屈強な男達が廊下を走ってきた。
「てめえ、何処のもんだっ」
「あーポカリ」
先頭の男の頭を、後藤は上からハンマーで叩いた。
ポカリ、ではなくてゴギョリ、というような音がした。
男の頭頂部が、十センチ以上も凹んでいた。眼球を飛び出させ、男は倒れた。
301 :
憂。:2001/06/23(土) 16:51 ID:cM6tn2.A
「うおおっ」
男達がどよめいた。彼らの何人かは持ってきた日本刀や短刀を抜き放った。別の数人は懐から拳銃を抜く。
「そりゃポカリポカリ」
間近にいた二人の頭を、後藤は素早くハンマーで殴り付けた。横殴りの打撃で最初の男の頭が破裂した。
次の男は顔面に食らって潰れた眼球や歯の欠片を撒き散らしながら崩れ落ちる。
「こ、この……」
短刀を腰溜めにして二人が向かってきた。後藤は避けもせず、その腹に二本の刃が突き刺さる。
別の男が日本刀を振り下ろした。それは後藤の左肩を裂き、五センチほど食い込んで止まった。
「あああ〜麗しの〜ブラディー……」
立て続けに銃声が鳴り響いた。近距離から発砲された弾丸が、後藤の胸に幾つかの穴を開けた。
「ガァルズ〜」
後藤は機嫌良く最後まで歌い終えると、血塗れのハンマーを振り上げた。
「ば、化け物っ」
「ほれポカリポカリポッカリー」
短刀を離して逃げようとした男達の頭が爆発した。日本刀の男のグチャグチャになった生首が宙を飛ぶ。
拳銃の男達は無意味に発砲を続け、後藤のハンマーの餌食になった。
「あーポカリ、そりゃポカリ、ポッカリポカッリポッカポカ〜」
逃げ出した男達に追いすがり、後藤は次々に撲殺していった。逃げ惑う女達も後藤は遠慮なく叩き殺した。
302 :
憂。:2001/06/23(土) 16:53 ID:cM6tn2.A
奥の部屋で、金庫の中身を慌ててトランクに詰め込んでいる男がいた。
妖しいサングラスをかけた、組長らしいその男は、後藤に気づいて動きを止めた。
「どうぞ、続けて下さい」
後藤が血みどろの顔でにこやかに告げた。
「た……助けてくれ、命だけは」
「まあまあ、まずはお金を詰めて詰めて。いやあ、沢山お持ちですねえ」
後藤がハンマーで自分の左掌をペチペチと叩いてみせる。
「か、金はあげる、全部あげるから、お願いだ」
男は札束と金の延べ棒を震える手でトランクに詰め込んだ。それを見届けて、後藤は丁寧に一礼した。
「これは良い物を頂きまして、どうもありがとうございますポカリ」
金属のハンマーが男の頭を打ち砕いた。目や耳や鼻や口から血と脳漿を噴き出して倒れる男を置いて、
後藤は左手でトランクを持って出ていった。
303 :
憂。:2001/06/23(土) 16:54 ID:cM6tn2.A
門の前では、体を震わせながら辻が待っていた。
血塗れの後藤の姿を見て、少女は聞いた。
「こ……殺したの」
「はい。お金もこの通り、盗みました。後は警察が来て、事件は明日の朝刊に載ります。
ブラディー・ガールズの仕業だと発表して頂くように、石橋刑事さんにお願いしました。
自分達の名を騙った事件を探るため、おそらく明日の間に、プライドの高い本物が偵察に来るでしょう」
「そ、そのために……。そのために、沢山の人を殺したの」
問う辻の瞳には、圧倒的な恐怖と、後悔と、非難の色があった。
「ひどい……」
「そうですね。ひどいですねえ」
他人事のように後藤は言った。彼女は、相手が悪人だったからだとか、そんな言い訳はしなかった。
「どうしますか。やっぱり叔父さんの元に帰りますか」
後藤は優しく尋ねた。少女はかなりの間、逡巡した後、か細い声で答えた。
「いや。泊めて」
「分かりました」
後藤は右手で辻の頭を撫でようとした。だが自分の手が血塗れであることに気づいてやめた。
304 :
憂。:2001/06/23(土) 16:55 ID:cM6tn2.A
事務所に戻った二人は、カップラーメンの侘しい夕食を摂った。
「そのお金は使わないの」
トランクを指して辻が聞くと、後藤はとんでもないというように首を振った。
「盗んだお金は使えませんよ。自分の利益のために人を殺すというのは、殺人を冒涜してます」
後藤の台詞に、辻は寂しげな微笑を浮かべた。
「へえ、自分のルールがあるんだ」
食べ終えた後で、後藤が言った。
「私はソファーで寝ますので、あなたはどうぞ、私のベッドで寝て下さい。いえいえ遠慮なさらないで」
礼を言って隣の部屋に入った辻は、悲鳴を上げてすぐに戻ってきた。
「棚の上に……」
後藤が入ってみると、辻の指差した先に、若い男の生首が載っていた。
「ああ、すみませんねえ。片付け忘れてました」
後藤は生首を上から素手で叩いた。ベチャリ、と、潰れた生首から頭蓋骨と脳の欠片が飛び散った。
「さあ、これで大丈夫ですよー」
後藤の説得に反し、辻はどうしてもソファーで寝ると言い張って、結局そうなった。後藤は自分のベッドで眠った。
305 :
名無し娘。:2001/06/23(土) 18:59 ID:HJBTSvxc
この小説、今のところ辻だけ普通の人間に見える。(W
が、ガクトたん・・・(;´Д`)
後藤、警察のコネもあたーのね
307 :
憂。:2001/06/24(日) 17:19 ID:m7gETnJ6
翌日の朝早く起きた二人の朝食は、またもやインスタントラーメンであった。
おそらく朝刊には昨夜の事件のことは、ブラディー・ガールズの仕業として大きく扱われている筈であった。
テレビのニュースでもそうであろうが、後藤の事務所にテレビはないし、新聞も取っていないので確かめようがない。
昨夜使った金属製のハンマーは綺麗に洗い、手入れを済ませて元の場所に戻していた。
今、彼女の懐には別の凶器が収まっている。
「では行きますか」
後藤真希が言うと、辻希美は無言で頷いた。お金がないので二人は昨日の道程を同じように歩いて辿り、
四十分後に黎風会の組長、神威楽斗の屋敷前に到着した。
大通りに面した門の付近には、組の関係者らしい黒服の男達が何人か、寄り合って話している。
「警察の人はいないの」
小声で辻が聞くと、後藤は頷いた。
「石橋さんが早めに引き揚げさせたんでしょうね。まあ、警察もなかなか忙しいですからねえ」
屋敷の向かいに小さな公園があった。二人はそこのベンチに座り、状況の変化を待つことにした。
308 :
憂。:2001/06/24(日) 17:21 ID:m7gETnJ6
「いやあ、いい天気ですねえ」
後藤がのんびりと言った。空は下界の人々の事情に関わりなく、雲一つない快晴だった。
辻は口元を引き結び、時折周囲を見回していた。
二十分も過ぎた頃、門の近くにいた男の一人が、ベンチに座ったまま動かぬ二人の方を見た。
「こっちに来るよ」
緊張した面持ちで辻が言った。
「そうみたいですね」
後藤の口調は変わらない。
三十代半ばの、スポーツ刈りの男が近寄ってきた。冷たい目で二人を見下ろし、低い声で聞いた。
「何だ、お前らは。さっきからこっちを見てるが、何か用事でもあるのか」
「ええ。重要な用事なので、邪魔をしないで下さい。出来ればあなた達にも消えて頂きたいですね」
何の感情も込めずに後藤は答える。
「……。失せろ。こっちは大変なことになっちまって、殺気立ってんだよ」
男は懐から短刀を抜き出し、刃先を後藤に突き付けた。辻が息を呑む。
「仕方がないですね」
後藤が立ち上がった。男は気圧されたように一歩下がった。
「ちょっと向こうでお話でもしませんか。あなた達の将来のことについて」
後藤は、男の右手を短刀ごと無造作に掴んだ。男が苦痛に顔を歪める。
「痛てて、何しやがる」
「ちょっと待ってて下さいね。すぐ終わりますから」
辻に微笑むと、後藤は男の手を掴んだまま正門へと引き摺っていった。
309 :
憂。:2001/06/24(日) 17:23 ID:m7gETnJ6
門の近くにいた黒服達が慌てて駆け寄ってくるのも纏めて、後藤は屋敷の中に押し込んで見えなくなった。
少しして銃声が聞こえ、辻はビクリと肩を震わせた。銃声が、二度、三度、四度。
やがて、奥の闇から後藤が戻ってきた。
「お待たせしました」
にっこり笑って、後藤は再び辻の隣に腰を下ろした。
「……殺したの」
「はい」
後藤は答えた。
辻は、目を伏せて、長い溜息をついた。十四才の少女には似合わぬ仕草だった。
「なんだか、気持ちが麻痺しちゃったみたい」
辻は呟いた。
「ねえ、探偵さんは昨日、肉は食べてるかって聞いたよね。あれから私、ずっと考えてるんだ。
私はあの時、動物と人間は違うって言ったけど、やっぱり牛や豚にだって、
魂はあるかも知れないもんね。でも私はお肉を平気で食べてるし、蚊を潰してるし。
自分にとって嫌なことを相手にするな、なんて、出来ないのかな」
考え考え話す少女を、後藤は黙って見守っていた。
「でね、出来ないのなら、仕方がないっていうか、それでもいいかなって。
今はそんな気もしてるんだ。他人を傷つけても、自分の大切な人を守ることが出来たら、
それでいいんじゃないかって。不公平で、ひいきだけど」
「まだ若いのにそんなことを考えちゃいけませんよ」
後藤は穏やかに言った。
310 :
憂。:2001/06/24(日) 17:23 ID:m7gETnJ6
「全人類が平等で幸福になる明るい未来を夢見てて下さい」
後藤の言葉に、辻はプッと吹き出した。
「探偵さんって変な人だね」
「そりゃあもう、殺人鬼ですから」
後藤は澄ましたものだ。
辻は、後藤のシャツに開いた穴と、その周囲に滲む血に気づいた。
「ねえ、血が出てるよ」
「そうですね」
何でもないことのように、後藤は答えた。
「痛くないの」
後藤は苦笑した。
「実際はどんなに痛くても、殺人鬼は、痛がってはいけないことになっているんです」
「……。ねえ、ずっとあの事務所に、一人で住んでるの」
「そうですよ」
「寂しくないの」
後藤の苦笑が深くなった。
「殺人鬼は、寂しがってはいけないことになっているんです」
「ふうん。殺人鬼って、色々大変だね」
辻は言った。
311 :
憂。:2001/06/24(日) 17:25 ID:m7gETnJ6
通りは静かだった。二人は肩を寄せ合って座っていた。何事もなく一時間、二時間と過ぎていった。
正午を過ぎた頃、後藤の腹が鳴り出した。
辻は笑いながら、自分の腹も押さえた。
「お腹空いたね」
「そうですねえ」
後藤は悲しい顔をして、ポケットから財布を取り出した。中身を確かめると、
昨日の千円札が一枚と、小銭が七百七十九円分しかなかった。
つまり、昨日辻から受け取った分を除けば、二百五十二円しか持っていなかったことになる。
「えーっ、探偵さん、これだけしか持ってないの」
流石に辻も唖然としていた。
「そうです。生きていくというのは大変なことですねえ」
後藤はしみじみ言った。
「ごめんなさい。少ししか出せなくて」
謝る辻に、後藤は首を振った。
「いえいえ、大丈夫です。水だけで二ヶ月間過ごしたこともありますし。ですけど今日くらいは、奢りましょう」
後藤は立ち上がった。向かいの角にパン屋が開いていた。二人はそこに入った。
後藤がクリームパンとミルクパンを、辻が遠慮したのかメロンパン一つを選び、それぞれ牛乳パックを足して、
合計四百四十一円であった。よって後藤の財布の残りは千三百三十八円となった。
心配そうな辻の顔を見て、後藤は弱い微笑を浮かべた。
「大丈夫ですよ」
紙袋に入れてもらい、二人は公園に戻って食べた。
312 :
憂。:2001/06/24(日) 17:26 ID:m7gETnJ6
「ご馳走さま。どうもありがとう」
辻が食べ終わってゴミを紙袋の中に詰めようとすると、後藤がそれを止めた。
「いえ、折角なのでこれは使います」
後藤は茶色の紙袋を手に取って、暫し観察した。ゴミを公園の屑籠に捨てた後、
辻がまじまじと見ている前で、彼女は紙袋を頭に被ってみた。
辻がその滑稽な姿にも笑わなかったのは、後藤の瞳の中に浮かんでいた、不気味な黒い渦のせいだった。
「ちゃんと入りますね」
脱いでから満足げに呟くと、後藤は紙袋の、被った時に両目が位置しそうな辺りに、指で穴を開けた。
「それ……。何に使うの」
辻が、慎重に、尋ねた。
「勿論、被ります」
何かを面白がっているような後藤の微笑が深くなり、別のものに変質していった。
これまでの時間、屋敷の前の通りは疎らに人が行き交っていた。それらは大学生らしい若者であり、
買い物帰りの主婦であり、自転車に荷物を詰め込んだ浮浪者らしい男であった。
だが今、突然顔を上げた後藤の視線の先を、二人の女が歩いていた。
「どうしたの」
辻が後藤の様子に気づき、同じ方向へ顔を向けた。
313 :
憂。:2001/06/24(日) 17:27 ID:m7gETnJ6
片方の女は、十代半ばに見えた。背がやや高くて、神経質そうな若者だ。
眼鏡の奥の瞳は常に忙しく動いている。もう片方の女は、それよりも少し年上に見えた。
クリーム色のスカートと薄い赤のシャツに包まれた肉体は、見事なプロポーションを誇っている。
女は、濃い色のサングラスで美貌を隠していた。テニスラケットのケースを肩にかけている。
後藤は立ち上がっていた。左手に紙袋を持ち、右手は懐に入っていた。
「あれなの」
辻も立ち上がる。顔が戦いの予感に強張っている。
まだ双方の距離は五十メートル近くあった。さり気なく楽斗の屋敷へと近づいていた二人の女の内、
眼鏡をかけた女がはっとして、公園に立つ後藤を見た。
後藤の、唇の両端が、キュウッ、と、吊り上がった。
「ブラディー・ガールズさんですねーっ」
後藤は大声で呼びかけた。眼鏡の女の顔が、驚愕から凄まじい恐怖へと変化した。
すぐにもう一人の手を掴んで逆方向に走り出した。もう一人の女が怪訝な表情になった。
314 :
憂。:2001/06/24(日) 17:29 ID:m7gETnJ6
「ば、化け物だ。早く逃げろ」
眼鏡の女の震え声が、公園の二人にも届いた。
「待って下さいよー。あなた達に大事なお話があるんですよー」
後藤も彼女達の後を追って走り出した。辻が慌ててその後に続く。
後藤の右手に、鈍い輝きを放つ金鋸が握られていた。
「ハラヘリー、ハラハラー、ハレハラー」
次第にスピードを増しながら、後藤の口から奇妙な言葉が洩れた。
吉澤達と後藤の距離が縮んでいく。同時に後藤と辻の距離は開いていく。
サングラスの女が走りながらラケットケースを開けた。
「ソニン、無駄だっ」
吉澤が叫ぶ。
ケースの中には、テニスラケットではなく、折り畳み式のショットガンが収まっていた。
「ハラミリャー、ハラニャー、ハラメニャー」
後藤が五メートル程の距離まで迫った時、サングラスの女・ソニンが振り向いて発砲した。
轟音。走りながらの不安定な照準は、しかし、後藤の胸の中心を撃ち抜いていた。恐るべき技量だった。
胸に大きな赤い花を咲かせ、後藤の上体が揺らいだ。だが後藤は満足げに奇声を完成させた。
315 :
憂。:2001/06/24(日) 17:29 ID:m7gETnJ6
「ハラモニャー」
後藤の顔は、殺戮への期待に輝いていた。彼女は左手に持っていた空の紙袋を頭から被った。
紙袋の小さな二つの穴から覗く瞳は、一変して、絶対零度の虚無を、映し出していた。
「ひいいいっ」
吉澤が怯えた悲鳴を洩らした。その足がもつれたのは恐怖のためか、運動不足のためか。
すぐ後ろに、紙袋を被った後藤真希がいた。左手で吉澤の髪を掴むと、
右手の金鋸をその首筋へ水平に当てた。そして素早く左右に動かした。
「ハラモニャー」
「あぎえええぶうううう」
凄まじい断末魔に顔を歪めたまま、吉澤の頭は胴体を離れていた。
切断まで四秒しかかからなかった。血を噴き出しながらくたりと倒れる胴体を踏み越えて、
右手に血肉塗れの金鋸を、左手に吉澤の生首を握ったまま、後藤が走る。
316 :
憂。:2001/06/24(日) 17:30 ID:m7gETnJ6
ソニンの走る約三十メートル前方に、メタリックブルーのライトバンが停まっていた。エンジンは既にかかっている。
「保田さん、助けてっ」
ソニンが甲高い声で叫んだ。運転席から葉巻を咥えた女が顔を出した。サブマシンガンの銃口も窓から覗く。
「ハラモニャー」
後藤が吉澤の生首を走りながら投げた。風の唸りと共に生首はソニンの背中に命中した。
骨の砕ける音がした。それが吉澤の頭蓋骨なのか、ソニンの背骨なのかは分からない。
ソニンが前のめりに転んだ。アスファルトの地面に左手を突いて体を半回転させ、
ソニンはもう一度後藤へ向けて発砲した。二メートルの距離で後藤の左肩が爆ぜた。
だが後藤はそのまま左手を伸ばし、ソニンの首筋を掴んだ。
「保田さーんっ」
パラパラと軽快な銃声が聞こえた。後藤の胸に小さな穴が開いていく。
「ハラモニャー」
後藤は金鋸をソニンの頭頂部に垂直に当て、素早く前後に動かしていった。
「だじじいいいいっ」
ソニンの頭が真っ二つになるのに、五秒しかかからなかった。サングラスが折れて外れ、
ソニンの目が見えた。その左目は潰れており、醜く引き攣れた古い傷痕を残していた。
317 :
憂。:2001/06/24(日) 17:32 ID:m7gETnJ6
「チイッ」
保田は車を降りず、逆にエンジンを吹かせて逃走に移った。
後藤に勝てないと判断したのか、白昼の戦闘を避けようとしたのか。
「ハラモニャー」
ソニンの死体を左手で掴み上げ、後藤は走った。人間一人の死体を引き摺りながらも尚、
後藤は異常なスピードで、逃げるバンへ迫っていた。
バンの後面の窓ガラスが砕け、長い腕が現れた。ただしその手首から先は直角に折れ曲がり、
細長い砲塔が延びている。後藤がソニンの死体を持ち上げて振り被った時、砲塔の先端から光が飛んだ。
それは後藤の首筋をあっけなく貫通していった。径四センチ程の穴が首の左前面と右後面に開いた。
「ハラモニャー」
後藤の動きは止まらなかった。二発目の光弾が左胸を貫通したが、後藤はソニンの死体を
まるで洗練されていないフォームで投げ付けた。派手に四肢を踊らせながらそれはバンの右側面にぶち当たった。
運転席のドアが凹む。ハンドルを取られたのかバンが激しく蛇行し始め、つんざくようなブレーキ音を鳴らせ横転した。
途端にバンの天井を軽々と突き破り、黄土色のベストを着た巨体が転がり出た。
真っ黒い長髪がなびく無表情な大女は、砲塔を収めて右手首を元に戻し、逆に左手首から螺旋状の刃を出していた。
両刃の剣を緩やかに捻り上げたような、コルク抜きに似たそれは、
前腕ごと回転して相手の肉を抉り取ることが出来る凶悪な武器だ。
318 :
憂。:2001/06/24(日) 17:33 ID:m7gETnJ6
「ワタシ、カオリ。イイダーカオリ」
抑揚のない声で大女が名乗った。
「ハラモニャー」
後藤の無感動な奇声が応じた。
二人は互いの体へ目掛けて突進し、激しくぶつかり合った。後藤よりも飯田の身長が遥かに高かった。
飯田の胸倉を掴み、その首を狙って差し込まれた後藤の金鋸を、飯田の螺旋状の刃が弾いた。
飯田の右フックが紙袋に包まれた後藤の顔面を殴り付けた。ヘビー級ボクサーによるパンチの十倍以上の衝撃が、
後藤の体を地面にぶち倒した。だが倒れた瞬間に後藤の左手が飯田の左足を掴んでいた。
「ハラモニャー」
後藤が金鋸を飯田の左足首に当て、素早く振動させた。飯田の右肘が凄い勢いで後藤の脇腹に落とされた。
ギシャリと肋骨の折れる音が響く。しかし、飯田はバランスを崩して膝をつき、逆に後藤は立ち上がっていた。
飯田の左足首は切断されていた。アスファルトに転がった足首は金属の断面を晒していた。
辻がやっと彼女らに追いついたが、目の前で繰り広げられる凄惨な戦いに、
それ以上近寄ることが出来ぬまま荒い息をついていた。
319 :
憂。:2001/06/24(日) 17:34 ID:m7gETnJ6
飯田の刃が後藤の腹に突き出された。後藤はそれを避けなかった。
土手っ腹に突き刺さったそれが勢い良く回転を始め、後藤の肉を抉り血と衣服の切れ端と一緒に飛び散らせる。
「ハラモニャー」
その飯田の左腕を、がっしりと後藤の左手が掴んだ。金属のフレームが軋みを上げ、
刃の回転が嫌な唸りを上げて止まる。後藤が金鋸をその左肘に当てた。飯田が右拳で後藤の左胸を殴った。
骨と肉が潰れる音がしたが、後藤はびくともしなかった。
「ハラモニャー」
後藤は金鋸を素早く前後に動かした。鉄粉を撒き散らしながら飯田の左腕が切り落とされた。
「コノ……」
ベストを押し分けて、飯田の胸壁が開いた。その奥には、ジェットエンジンの噴射口のようなものが
四つ並んでいた。それぞれの奥から白い光が覗いた時には既に、後藤は飯田の体を引き掴んで地面に押し倒していた。
アスファルトの地面が膨大な熱量放射によって赤熱し、溶解していく。
「ハラモニャー」
後藤は飯田の首を押さえ付け、その後頭部を横断する向きに金鋸を当てた。
飯田の右腕が人間には不可能な角度に曲がり、延びた砲塔が後藤の頭を撃ち抜いた。紙袋が血で滲む。
「ハラモニャー」
しかし後藤の行為は止まらなかった。金鋸は頭部を切り進み、七秒で完全に輪切りにした。
クッションとシリコンカバーに保護された脳の断面が覗いていた。サイボーグ・飯田は動かなくなった。
金鋸の歯は、酷使によってかなり鈍っていた。
320 :
憂。:2001/06/24(日) 17:35 ID:m7gETnJ6
「動くな、この化け物」
女の低い声が聞こえ、後藤はゆっくりと振り向いた。
七、八メートル離れた場所で、辻が立ち竦んでいた。その首筋を左腕で締め付け、
こめかみにサブマシンガンの銃口を当てているのは、ブラディー・ガールズのリーダー、保田だった。
「動くとこいつを殺すぞ」
苦痛に顔を歪めつつ、保田が言った。口から血の筋が引いていた。バンが横転した際に、
肋骨が折れて肺に刺さったのだろうか。それでも彼女はまだ葉巻を咥えていた。
辻は、身動きすることも出来ず、そのまま凍り付いていた。その顔に浮かぶのは、
恐怖と、後悔であった。彼女はもっと距離を取っておくべきだったのだ。
後藤は動かなかった。足だけは。左手で金鋸の固定ネジに触れ、ゆっくりと回していく。
緩んだブレード部分を外し、後藤は無造作に投げ捨てた。
321 :
憂。:2001/06/24(日) 17:36 ID:m7gETnJ6
「動くなと言ってるだろうがっ。アタシはね、人を殺すことなんて何とも思っちゃいないんだよ。
舐めてると、この餓鬼の耳でも指でも吹っ飛ばすぞ」
保田が怒鳴る。
後藤の顔を覆った紙袋。その二つの穴から、恐ろしく冷たい瞳が覗いていた。
保田は身震いした。自らの怯えを打ち消そうとするかのように、保田は一際大声で叫んだ。
「矢口。ヤグチイイイイッ。いつまで寝てんだ。早く出てこいっ」
少しして、横転したバンの中で気配が動いた。飯田の突き破った屋根の大穴から、
のっそりと姿を現したのは、綿のズボンとTシャツを着た女だった。身長は百五十センチ程か。
その穏やかな顔つきは、しかし、見る者に何かしらの違和感を覚えさせる。
彼女が、人間の姿をした、別世界の生き物であるかのような。
322 :
憂。:2001/06/24(日) 23:04 ID:SKupoGv2
「もうちょっと、見物してたかったんだけどなあ」
無邪気な口調で話す矢口の手には、一メートルを超す長柄の大斧が握られていた。
「ボサッとすんな。そいつを解体しろ。手足をバラバラにして首を落とせ」
「だってさ。この人は大人しく解体されたりしないよ」
矢口が斧を肩にかけて、のんびりと歩いてくる。
「今、この人に理性なんかないよ。忘我の境地って奴だよ。この人は、オレと、同類だ。一目見て分かっちゃったよ」
矢口は、ニッと不気味な笑みを見せた。
後藤はその間に、左手を懐に入れていた。保田がはっと銃口を向ける。
抜き出されたのは、取り替え用の新しいブレードだった。フレームに取り付けて、
黙々とネジを締めていく後藤を横目に、矢口は保田と辻の方へと歩いた。
「お嬢ちゃんはもしかして、この前押し込んだ辻の家の子かな。あの、クローゼットに隠れてた」
辻は頷いた。その瞳から恐怖が少しずつ押しやられ、怒りの色が浮かんでくる。
「あなたが、私の父さんと母さんを殺したのね」
「そうですよーん」
矢口は答えた。保田が片方の眉を吊り上げた。
323 :
憂。:2001/06/24(日) 23:05 ID:SKupoGv2
「それじゃあ矢口、あんたは、この餓鬼が隠れてるのを知ってたんだね。
目撃者を残さないのは基本中の基本でしょうが。なんであの時、吉澤を黙らせたのよ」
保田が怒鳴り、その後で咳き込んだ。洩れた血が辻の服を濡らす。
「だってさあ、オレはロリコンじゃないもん。それに、たまには生存者がいた方が、面白いじゃん」
矢口は、二人の横にいた。
「こ、この馬鹿が……。それより早く、そいつを殺せ」
保田がサブマシンガンで後藤を指した。紙袋の後藤は、丁度ブレードの交換を終えたところだった。
「そりゃね、勿論」
楽しげな矢口の声と共に、その時、信じられないことが起こった。空気が鳴った。
「ゲハッ」
保田の体が揺れ、血を吐き出した。これまでより段違いに多い量だった。血塗れの葉巻が落ちる。
厚手のコートを着た保田の背中に、矢口が横殴りに振った大斧が、深く減り込んでいた。
「な……ば……裏切……」
目を白黒させて、保田が呻いた。締め付けていた左腕の力が抜け、辻が保田から離れる。
幸い斧の刃は、辻までは通らなかったらしい。倒れかけた保田の体は、
斧に吊られるようにしてなんとか立っていた。最後の力を振り絞ったサブマシンガンの銃口が
矢口へ向けられ、パラパラと軽い音を立ててその胸に小さな穴を開けていった。
「だってさあ、強盗なんて半年もやってたら飽きちゃったよ」
平然と矢口は言うと、右手だけで握っていた長柄の斧を軽く振った。保田の体が崩れ落ちる。
324 :
憂。:2001/06/24(日) 23:12 ID:SKupoGv2
「ヒャハーッ」
矢口の瞳が赤い欲望に狂っていた。胸の穴からの出血は数秒で止まっていた。
筋肉の力で弾丸が押し出される。彼女は両手で斧を握り、大きく振り被ると、勢い良く振り下ろした。
切断されて地面を転がった保田の首は、醜悪な無念を刻んでいた。
「バラバラーッ」
次は保田の腕を狙い、矢口が甲高い声で再度斧を振り上げた時、気の抜けるような声が響いた。
「ハラモニャー」
ビクリ、と、矢口の動きが止まった。振り向くと、紙袋を被り右手に金鋸を握った後藤真希が、
ゆっくりと矢口の方へと近づいていた。
辻は、二人の殺人鬼から離れ、息を詰めて見守っていた。
「ウヘ、ウヘヘヘヘ。ウヒャヒャ。ヒャハ」
矢口がさも可笑しそうに笑った。血の付いた斧を大きく振り被る。
「ヒャハハーッ」
一転して急激に加速して迫る後藤へ、矢口は両腕に凶暴な力を込めて大斧を振り下ろした。ドキャッ。血が撥ねた。
325 :
憂。:2001/06/24(日) 23:16 ID:SKupoGv2
後藤の左肩に分厚い斧の刃が二十センチ近く減り込んでいた。鎖骨と肋骨が何本か破壊されたであろう。
「ハラモニャー」
後藤の左手が伸びて矢口の首筋を掴んだ。ミチミチ、と、肉が潰れ首の骨の軋む音がした。
金鋸を握った右手が迫る前に、矢口は右足で後藤の胸を蹴りつけて、無理矢理に後藤を引き剥がした。
後藤の肩の肉が更に裂けた。矢口の右首筋の肉が後藤の指によって何十グラムか引きちぎられた。
「ヒャハーッ、バラバラーッ」
矢口が力任せの一撃を横殴りに放つ。それは後藤の横腹に、殆ど刃が隠れてしまうくらいに減り込んだ。
「ハラモニャー」
その矢口の左前腕を後藤の左手が捕らえた。ピタリと吸い付いた金鋸の往復運動が太い筋肉を削っていく。
「ヒャハーッ、イターイッ」
矢口が斧を引き抜かずにそのまま持ち上げた。後藤の体が宙に浮く。斧ごと地面に叩き付けられるまで、
後藤は矢口の腕を削り続けていた。後藤の体が派手に地面をバウンドした。
更に潜り込んだ斧は後藤の腹部を右側から突き破って漸く外れた。後藤の手から逃れた矢口の左腕はしかし、
半ば程まで裂けた肉がべらりと剥がれていた。後藤の腹部から腸がはみ出した。
「探偵さんっ」
泣きそうな顔で辻が叫んだ。二人の戦いにおいて、彼女の叫びは場違いなものだった。
「ヒャハハーッ」
顔の皮膚が弾けてしまいそうなくらいに、狂気の笑顔を引き攣らせ、矢口は長柄の斧を大きく振り上げた。
326 :
憂。:2001/06/24(日) 23:17 ID:SKupoGv2
「バラバラーッ」
矢口の大斧が、倒れている後藤の左手を狙って振り下ろされた。それはまず左手首を切断する筈だった。
ベヂヂ、と、嫌な音がした。
「ハラモニャー」
斧は、後藤が差し上げた左手の、開いた親指と人差し指の間を裂いて、前腕の半ば程まで進んだところで止まっていた。
矢口が斧を引き抜く前に、後藤は素早く左腕を横に倒して抜けないように押さえた。
そして木製の長い柄の、刃に近い部分に金鋸を当てた。
「あ」
矢口が慌てて柄を引こうとした。いやにあっけなく抜けた反動で彼は尻餅をついた。矢口は唖然として柄の先を見つめた。
コンマ三秒の早業で、斧の柄が金鋸によって切り落とされていた。
後藤が腸を引き摺りながら、ゆらりと立ち上がる。左腕には斧が減り込んだままだ。
「ず、ずりーぞ」
矢口は子供みたいに口を尖らせた。立ち上がろうとした彼女の右足を、後藤の裂けた左手が掴んだ。
「ハラモニャー」
金鋸によって、矢口の右膝が切断された。
「イタヒャハーッ」
逃走を封じられた矢口が反撃に出た。両手で後藤の首を掴み、渾身の力で締め上げる。
ゴキリ、と、音がして、後藤の首が妙な角度に曲がった。しかし後藤はその間に矢口の左腕を切り落とした。
327 :
憂。:2001/06/24(日) 23:18 ID:SKupoGv2
「オレがバラバラーッ、ヒャハーッ」
後藤のはみ出た腸を矢口が右手で掴み、引きちぎった。その右腕も後藤の左手が捕らえた。
「放せよ。ヒャハーッ」
矢口が幾ら抗っても、後藤のズタズタの左手は微動だにしなかった。
「ハラモニャー」
静かに血みどろの金鋸を当て、熟練の技で、後藤は矢口の右腕を、肘の辺りで切断した。
「イターイッ、イターイッ」
短くなった両腕を振って騒ぐ矢口を押さえ付け、後藤は膝をついて丁寧に、
残った左足を付け根から切断した。俯せになった矢口の背中を片足で踏み付け、右手に血の滴る金鋸を握り、
左腕に柄の切れた斧を減り込ませたまま、後藤真希は立ち上がった。
「ハラモニャー」
紙袋の穴から覗く瞳は、冷え冷えとした虚無を湛えていた。
十四才の少女には酷過ぎる戦いを、辻希美は瞬きも出来ずに見守っていた。
後藤真希の左手が上がり、血で染まった紙袋を脱いだ。
328 :
憂。:2001/06/24(日) 23:21 ID:SKupoGv2
額の右端に穴が開き、血と脳漿が洩れていたが、その眠たげな瞳も口元の微笑も、いつもの後藤のものだった。
「まあ、こんなところです。いやあ、他の人達は殺しちゃいましたけどね」
慄いている辻に、後藤は申し訳なさそうな口調で言った。
「……。探偵さん。大丈夫なの」
常人ならば十回は死んでいる傷を見て、心配そうに辻が聞いた。
「大丈夫ですよ。さて、この方をどうしましょうかねえ」
「そ、それは、勿論……、警察に、突き出すわ」
辻は言った。
「あなたの考えは、そうですか」
ちょっと困ったように、後藤は言った。
「ですけどねえ、今思ったんですけど、この方は、警察に突き出しても無駄なような気がしますね」
地面に触れていた矢口の顔が上がり、血に狂った笑みを辻へ向けた。
「ど……どうして」
「この人は私の同類ですね。手足が切れたのに、出血があまりありませんし、
あなたも目を近づけて良く見れば分かると思いますが、傷がもう塞がりかけてるんですよ。
この調子だと、手足も生えてきそうですね。おそらく、拘置所にいる間にも脱走するでしょう。
警察は、この手の犯罪者にはあまり有効な手段を持ってません。
さて、この人が脱走してまずすることと言えば、私とあなたに復讐することでしょうね」
329 :
憂。:2001/06/24(日) 23:23 ID:SKupoGv2
まるで自分に経験があるような口ぶりだった。辻の顔は青ざめていた。
「バラバラー。バラバラー」
矢口が狂気に満ち溢れた声で言った。
「最善の選択肢は、ここで止めを刺してしまうことでしょうねえ。
まあ、頭をグチャグチャに吹き飛ばしてしまえば、片は付くでしょう。
あなたも両親の復讐をこの場で見届けることが出来て、後の憂いもなく万々歳です」
辻は黙っていた。その顔には逡巡の色があった。
「ただ、私は基本的に、殺しの依頼は受けません。もし止めを刺したいのなら、あなた自身がするんです。
向こうにショットガンが転がってます。まだ弾は入ってるんじゃないですかね」
恐るべき言葉を後藤は口にした。辻の顔が凍った。
「それとも、やはり警察に預けますか。まあ十中八、九、死刑になる前に逃げおおせてしまうでしょうけど」
少女の瞳の中を、複雑な感情が浮かんでは消えていった。殺された両親のことを思っているのだろうか、
自分が人を殺すという罪の重さを思っているのだろうか、或いは、正義という概念そのものについて
考えを巡らせているのだろうか。
辻は、やがて、矢口の顔をもう一度見下ろした。矢口の顔はまだ残忍な殺意に光っていた。
330 :
憂。:2001/06/24(日) 23:25 ID:SKupoGv2
辻の唇が、真一文字に引き結ばれた。彼女は道を引き返し、道に落ちていたショットガンを拾い上げた。
「銃身を一度引いて、戻すんじゃないですかね。私も使ったことがないから良く分かりませんけど」
後藤の言葉に従って辻は次弾を送り込もうとしたがうまくいかなかった。
「それは自動式だから、引き金を引くだけだよーん」
説明したのは、矢口自身だった。嘲笑うような矢口の態度に、きっと強い瞳を向け、辻はその前で立ち止まった。
「ぴったりと頭に付けて発射すればいいでしょう」
足で矢口を押さえたまま、後藤が穏やかに助言した。
辻は、慣れない手つきでショットガンを構え、銃口を矢口の額に当てた。
「バラバラー。バラバラー」
陶酔の笑みを浮かべ、舌を出して、矢口は言った。彼女は、自分の死に対しても悦楽を感じるのだろうか。
ショットガンの引き金に、辻の人差し指がかかった。両親を惨殺した女を見据える眼差しに、殺意と痛みが走った。
人差し指が、ヒクリと動いた。だがそれは弾丸を撃ち出すまでには届かなかった。
後藤は静かに辻を見下ろしていた。矢口は血の熱狂を湛えて辻を見上げていた。
十数秒の間、重苦しい静寂が続いた。辻は必死に込めようとしていた。だがどうしても、指が動かなかった。
331 :
憂。:2001/06/24(日) 23:26 ID:SKupoGv2
「……。出来ないよ」
辻は言った。彼女はショットガンを下ろし、俯いた。その瞳から透明な涙が溢れ、頬を濡らしていった。
少女が引き金を引けなかったのは、何のためか。それを自覚し、弁明するだけの力はまだ十四才の少女にはなかった。
「そうですか。それもいいでしょう」
後藤は優しく言った。
「ごめんなさい」
「誰に対して言ってるんですか。あなたは充分に頑張りましたよ」
涙ぐむ少女を後藤は慰めた。
「さて、ならば私がこの方を押さえてますので、警察に連絡してもらえますか。
公衆電話でも、警察ならただでかけることが出来ますからね」
「うん、分かった」
少女は涙を拭いながら、後藤達に背を向けて、百メートルばかり離れた場所に立つ電話ボックスへと歩いた。
十メートルも進まぬ内に、背後で不気味な音が響いた。
肉を裂き、骨を削る音だった。
332 :
憂。:2001/06/24(日) 23:27 ID:SKupoGv2
振り向いた辻の視界に、再び紙袋を被った後藤の姿が映った。右手の金鋸を矢口の首に当てていた。
既に半分以上が切断され、声が洩れる前に、矢口の首が胴体を離れて転がった。
矢口の生首は、笑っていた。
「ハラモニャー」
後藤は言って、右足で矢口の生首を踏み付けた。頭蓋骨が砕ける音が聞こえた。
「ど……どうして」
辻は顔をクシャクシャにして、紙袋を被った殺人鬼探偵に訊いた。
後藤は、何も答えなかった。
get333、か? どうでもいいけど。
個人的に666を踏んでみたいんだが、そうなると「Manslaughter」の次まで考えなきゃな。
この作品をあと300レス分続けるのは正直キツいぞ。
334 :
名無し娘。:2001/06/24(日) 23:41 ID:X1FcR/wo
素晴らしい!
今夜の最リスペクトスレに決定!
335 :
名無し娘。:2001/06/24(日) 23:45 ID:vvNSDYGE
おつかれさまです!!とてもおもしろかったっす!!
次も期待してます、ゆっくりいい作品を仕上げてください!!
「空港までの電車賃もないので、残念ながら見送りはここまでです」
駅の改札口の手前で、後藤真希は横を歩く辻希美に言った。彼女はいつもの白いシャツに身を包み、
端正な顔に微笑を浮かべていた。左肩には特大のスポーツバッグをかけ、
右手にはオレンジ色のリュックサックを提げていた。
「色々ありがとう、探偵さん」
人々の疎らに行き交う中、辻は立ち止まり、後藤に向かって深く頭を下げた。
後藤からリュックサックを受け取って背負う。
ブラディー・ガールズのライトバンに、盗んだ金はなかった。
警察が手がかりを探しているが、或いは永遠に見つからないのかも知れない。
辻の叔父とは既に連絡がついていた。大事にしていた持ち物だけをリュックに詰めて、
彼女はアメリカへ出発する。その国の田舎で、母方の叔父が一人で住んでいる。
偏屈で有名だったけれど、私には優しかったからと辻は言った。
337 :
憂。:2001/06/24(日) 23:57 ID:SKupoGv2
「本当にごめんなさい。探偵さん貧乏なのに、二晩も泊めてもらっちゃったし、
ご飯も食べさせてもらったし。お金もあれだけしか出せなくて」
「いえいえ。まあなんとか生きていきますよ。あなたも長生きして下さいね。私のような殺人鬼に捕まらないように」
後藤が言うと、辻は悪戯っぽい笑顔になった。
ふと真顔に戻ると、辻は聞いた。
「ねえ、探偵さん、あの時は……もしかして、私のために……」
「え、何ですか」
「いえ、何でもないです」
辻は慌てて手を振った。
「そうですか。そう言えば私から餞別がありますよ。私は使わない物なので、あなたにあげましょう」
そう言うと後藤はスポーツバッグを下ろし、ジッパーを引き開けた。
中から取り出したのは、黎風会の屋敷を襲撃した際に手に入れたトランクであった。中には億単位の金が入っている筈だった。
「いやあ、なかなか良いトランクですよねえ。折角なので持って行って下さい」
338 :
憂。:2001/06/24(日) 23:58 ID:SKupoGv2
辻が何か言いかけるのを遮って、後藤は続けた。
「あれあれ中に何か重い物が入ってますねえ。邪魔だったら中身は捨てていっても構いませんよ。ではどうぞ」
後藤はトランクを辻に押し付けると、さっさとスポーツバッグを閉じて肩にかけた。
辻の瞳から、涙が溢れ出した。彼女はトランクを置いて、後藤の胸にすがり付いていた。
「優しい殺人鬼の探偵さん。……あなたも、ずっと、長生きしてね」
「はい、そりゃあもう、頑張りますよ」
後藤は答えた。
そして辻は重いトランクを抱え、改札口を通っていった。彼女は途中、
何度も後藤の方を振り返った。後藤はその度に手を振った。
辻の姿が見えなくなった後で、後藤は踵を返した。緩やかな人の流れの中、後藤はポケットに手を入れた。
取り出したのは、三枚目の替刃が填まった、あの金鋸であった。
歩きながら、暫くそれを手の中で弄んでいたが、やがて後藤は小さな溜息をついて、それをポケットに戻した。
「ま、たまにはねえ」
後藤は誰にともなく呟いた。
腹の虫が鳴り始めていた。
339 :
憂。:2001/06/25(月) 00:00 ID:V.m7LddU
午後七時の薄闇の中、通りは帰宅途中のサラリーマンや、
仲間同士で街へ繰り出そうとしている若者達や、肩を並べて歩く若いカップルなどで溢れていた。
その人込みの中で、薄汚れたジーンズに汗で黄色く染まったシャツを着てぽつねんと立つ男は、二十才くらいに見えた。
男は左手に小さなバッグを提げていた。男は何かに怯えているようにキョロキョロと周囲を見回し、
逆に時折怒ったような顔になった。
男の異様な雰囲気に、擦れ違う人々は一定の距離を置いていた。
「うう、ううう、ころ……」
口から泡を飛ばしながら、男はバッグの中に右手を入れた。
近くを歩いていた人々は、ギョッとして立ち竦んだ。
男がバッグを放り捨てた。彼が右手に握っているのは、剥き出しになった出刃包丁であった。
「こここ、殺してやる」
男は怒鳴った。男は一番近くにいた主婦の首にいきなり包丁を突き刺した。悲鳴が上がる。
グリグリと深く抉ってから男は包丁を引き抜いた。主婦は首から血を噴き出させながら倒れた。
「お、おお、お前ら、全員、こ、殺してやる」
男は逃げ散る人々に追いすがり、次々と背中を刺していった。帰宅途中の女子高生が、太った中年男が犠牲になった。
ベビーカーを押して逃げていく若い女を殺し、中で泣いている乳児の首を切り落とす。
340 :
憂。:2001/06/25(月) 00:01 ID:V.m7LddU
「ぶ、ぶち殺してやる。み、みなみな、皆殺しだ」
通りは恐慌状態になっていた。男の手際はあまり良くなかった。十数人を殺した時には、他の人々は遠くへ逃げてしまっていた。
「畜生。こ、殺し……」
と、前方から女が歩いてくる。
その男は歩道に転がっている数々の死体を気にも留めず、所在なげな顔で呟いている。
「あー、腹減ったー。腹減ったー。これで三日も食べてないー」
くたびれたシャツを着た女は、後藤真希だった。
包丁を持った男は、平然とこちらに歩いてくる後藤に、数瞬唖然と立ち竦んでいたが、
やがて殺意に全身を漲らせて突進した。
「こ、ころ殺してやる」
「あー、腹減ったなあ」
呟く後藤の腹に、腰溜めにした男の包丁が根元まで突き刺さった。
「あーあ、金がないなあ。どうしようかなあ」
後藤は止まらなかった。目の前の男など存在せぬかのように真っ直ぐに歩き続け、
男は包丁を握ったまま後藤に押されてズルズルと後退していった。ばたつく男の足は地面から浮いてしまっていた。
341 :
憂。:2001/06/25(月) 00:02 ID:V.m7LddU
「こ、ころころ……」
「あ、道間違えた」
はっとして後藤が踵を返した。後藤に包丁ごと振り回されて男の体が回転した。
「うわうわわ」
包丁がすっぽ抜けた。男はすぐ横の道路に倒れ込んだ。丁度そこへ通りかかった大型トラックが男の体を轢き潰していった。
「あー。腹がなあ」
後藤は情けない顔で呟きながら、元の道を引き返していった。
3.\1,527【終】
342 :
憂。:2001/06/25(月) 00:12 ID:V.m7LddU
お疲れ、そして今夜の最リスペクトスレ認定おめでとう、俺。
これから4.を書こうと思ってるんだけど、キャラがなあ…。
まあ、頑張って書いてみるから待っててね。
やっぱ最高だわ、憂。さん。
今回はちょっと感動したし・・・。
次回は加護が出るのかな?
柴田とかアヤカも出てほしいけど・・・。
っていうか、これ以上強いやつっていったら
もはや超能力者か宇宙人ぐらいしか・・・(w
ところでたびたび出てくる「気怠い」ってなんて読むの?
再変換してもちゃんと出てこないんだが・・・。
344 :
名無し娘。:2001/06/25(月) 01:21 ID:SbpMGWYU
>>343 「気だるい」?違うな・・・
にしても今回の話で、後藤と、この小説の不条理な部分が
すこーしだけ理解できました。
345 :
名無し娘。:2001/06/25(月) 02:20 ID:wS2cGhE6
>>343 >っていうか、これ以上強いやつっていったら
>もはや超能力者か宇宙人ぐらいしか・・・(w
一人いるじゃん。最強の敵が。
まあ、味方になるかも知れんが。
>>344 気怠い=けだるい で合ってるよ。
346 :
_:2001/06/26(火) 20:47 ID:1noboeCw
347 :
憂。:2001/06/26(火) 22:35 ID:g0GnLYdM
4.Skull
午前一時の住宅街を、ぐったりと疲れた顔で男は歩いていた。
背広で書類ケースを提げた姿は、残業帰りのサラリーマンといった風情だ。
年齢は五十代の半ば程か。禿げかかった頭頂部をバーコード状に左右の細い髪が補っている。
立ち並ぶマンションの窓は大部分、既に明かりが消えている。
男は冷たい風に身を震わせながら、長い溜息をついた。
通り道に面したコンビニから洩れる光が、男の横顔を照らした。
男は立ち止まって淀んだ瞳を向け、やがて静かな店内へ足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
レジに立っていた店員が元気良く挨拶した。
疲れた自分との対比に気づいたのか、男は自嘲的な笑みを浮かべた。
「見ない顔だな。かなり若いようだけど、正社員かい」
雑誌を立ち読みする気力もなく、直接弁当の棚に向かいながら男は店員に声をかけた。
「いえ、バイトです。本業でなかなかお金が入りませんので」
にこやかに答えた店員の髪は自分で切ったものらしく、左右非対称だった。
年の頃は十代の半ばといったところか。端正な顔立ちに若々しい肌は、
何処となく快活な印象を与えるが、気怠げな瞳と口元に自然と浮かぶ微笑が特徴的だった。
348 :
憂。:2001/06/26(火) 22:37 ID:g0GnLYdM
「今は不景気だもんなあ。俺もこの年になって散々こき使われてるよ。単身赴任でさあ、これから夕飯さ」
幕の内弁当を一つ選び、男はレジまで持っていった。
「生きるってのは、なかなか大変なことですねえ」
しみじみと言いながら、店員はバーコード読み取り機を掴んだ。
先端が下に向かってカーブした、コードの付いた電動カミソリのような機械だ。
ピッ。
後藤が機械の先端を弁当のバーコード部分に当てた。液晶の表示板に、四百八十円と表示される。
だが、後藤は弁当を脇にやると突然、無造作に男の首筋を掴んだ。
「な、何だ、おい」
男が驚いて抗おうとしたが、後藤の腕力は絶大で、男の身を屈めさせてその頭を台の上に載せた。
細い髪の筋が横に走る頭頂部に、後藤はバーコード読み取り機を当てた。
「やめろよ、何の冗談だ」
男が手をバタバタさせて怒鳴る。
349 :
憂。:2001/06/26(火) 22:37 ID:g0GnLYdM
「ふうむ」
後藤は液晶の表示板が無反応なのを見て、首を傾げた。
「おかしいですね。ピッと言わない」
後藤の顔は、真剣だった。
「きちんと押し付けないといけないんですかねえ」
「お、おい、やめいででででえっ」
後藤は構わずに、読み取り機の先端を男の頭にぐいぐいと押し付けた。
ゴキゴキ、と、嫌な音がした。
読み取り機は、男の皮膚と頭蓋骨を突き破って脳内まで減り込んでいた。
後藤の手首までがガッポリと埋まった。脳の欠片がはみ出して、男の眼球が飛び出した。
「ありゃりゃ」
痙攣する男の体を、後藤は呆然と見下ろしていた。
「おーい後藤、どうした」
控え室から欠伸をしながら出てきた店長が、レジの光景を見て立ち竦んだ。
350 :
憂。:2001/06/26(火) 22:38 ID:g0GnLYdM
「すいません、お客さんが死んでしまいました」
後藤は情けない顔になった。
店長は、忌々しげに口を歪めて言った。
「全く役立たずだな。今日の分のバイト代はなしだ」
「はあ」
「死体は裏に捨ててこい」
動かなくなった死体の首筋を掴んで、後藤は自動ドアを出ていった。
裏のゴミ捨て場に回りながら、後藤は寂しげに嘆息した。
「生きるってのは、本当に大変なことですねえ」
ゴミ捨て場には、既に五つも死体があった。
351 :
名無し娘。:2001/06/26(火) 22:59 ID:6mGWGRUA
>>350 いきなりかよ!(W
こんなコンビニ怖すぎる!
352 :
名無し娘。:2001/06/26(火) 23:19 ID:DGE1HZ6M
>>350 おぉ、相変わらず素晴らしいプロローグだ(w
どんどん逝っちゃってください。
353 :
憂。:2001/06/26(火) 23:25 ID:g0GnLYdM
「た、たた、助けてくれ」
全身が沈み込みそうな柔らかいベッドから転がり落ちた男は、
これまた足首まで埋まりそうな絨毯に膝をつき、顔を恐怖に引き攣らせながら哀願した。
男の体は丸々と際限なく肥え太り、はだけたパジャマの胸元から、渦を巻く剛毛が覗いている。
そんな男を正面から見下ろす女の瞳には、男に対する嫌悪感と、憐憫のような翳りが共存していた。
女は、十六、七才に見えた。身長は百六十センチ程で、モデルのように見事なプロポーションを
薄手のコートで覆っている。靴はフォーマルなデザインだが動きやすさを重視しているのかトレッキングシューズだ。
艶やかに光を反射するショートカットの髪は、項から喉元にかけて切り下げるように、若干斜めに揃えられている。
眼光鋭く隙のない目元、白い肌に対照的な真紅の唇は、ガラス細工のような美しさと脆さを内包していた。
寝室の扉は女の背後にあり、開け放たれたそこからは、点々と淡いライトで照らされた廊下が見えていた。
廊下の床に、二人の男が倒れていた。屈強な肉体を地味なスーツで包んだ男達の手には拳銃が握られている。
それを発射するチャンスを彼らが持たないことは、床に広がっていく血溜まりが証明している。
断末魔に顔を凝固させた護衛達の喉は、ぱっくりと深く裂けていた。
寝室の絨毯に、ゆっくりとしたペースで赤い水滴が落ち、小さな染みを作る。
354 :
憂。:2001/06/26(火) 23:27 ID:g0GnLYdM
それは、女の右手に握られた刃から、滴り落ちていた。長さ十二センチ程の、菱形の薄い刃だ。
刃先に接する二辺の縁は剃刀のように鋭く砥がれ、新しい血が付いている。
手前の二辺は角の近くを除いて砥がれておらず、その部分を女の右手が掴んでいる。
黒い皮製の手袋は、触覚を鈍らせないためか、指の半ばまでしか覆っておらず、繊細な白い指先が見えている。
菱形の手裏剣の、鋭い刃先の反対側には、小さな丸い穴が開いており、釣り糸のような透明な糸が通してあった。
それは注意して見ないと気づかない程に細かった。
「おおお、お願いだ。命だけは助けてくれ」
男は額を絨毯に擦り付け、女の方へとにじり寄ってきた。
引き締まったふくらはぎへすがりつこうとするのを女は素早く躱し、疲れた声で言った。
「悪いけど、私も生きていたいんだよ」
鋭く小さく、風が鳴った。
「カフッ……」
目を一杯に開いて顔を上げた男の、二重顎の下、やや左側に、菱形の刃が深々と突き刺さっていた。
手首から先だけの動きで、女は刃を投げたのだ。
男は喉の違和感の原因を確かめようとするかのように、両手を震わせながら自分の首に近づけた。
女が軽く手首を動かすと、あっけなく菱形の刃が抜けて、魔法のように女の手の中に戻った。
どうやら菱形の刃と女の手は、透明な糸で繋がっているらしい。
男が自分の喉に触れた時には、ぱっくりと裂けた傷口から血が噴き出していた。刃は男の左頚動脈を、
完全に切断していたのだ。両手を自分の血で染めながら、男の瞳から意志の光が失われていく。
355 :
憂。:2001/06/26(火) 23:29 ID:g0GnLYdM
血溜まりの中に前のめりに沈んでいく男を、女は何処となく寂しげな眼差しで見つめていた。
「蒼蠍。片付いたか」
女の背後から、男の声がした。
「まあね。そっちはどう」
特に驚いた様子もなく振り向いたのは、女は男の気配に気づいていたのだろう。
その男は、坊主頭に近い髪を、金に染めていた。昏い瞳は酷薄な色を帯びている。
男の右手には、血塗れの蛮刀が握られていた。ノースリーブのシャツには大量の返り血が付着している。
「全部始末した。生きとる奴はこの屋敷にはおれへん。ガソリンも撒いてある」
「そう」
女は俯いて、瞳の翳りを隠した。
「じゃあ行こうか、しゅうさん」
女はポケットからティッシュペーパーを一枚出して、菱形の刃の血を拭った。
指を軽く曲げると、刃はコートの袖の中へ自然に収まった。
356 :
憂。:2001/06/26(火) 23:29 ID:g0GnLYdM
二人は階段を下りて玄関へと向かった。
男は蛮刀を血の付いたままベルトに差し込み、マッチ箱を取り出した。一本に火を点ける。
ガソリンの匂いの充満する広間を通り抜け、女が先に玄関を出ると、
男は燃えるマッチ棒をガソリンで濡れた床に放り投げた。忽ち炎が広がっていく。
二人は早朝の靄の中へ出た。すぐ側に灰色のセダンが停まっていた。女が運転席に、男が助手席に乗り込んだ。
女がエンジンをかけて出発した時、玄関から炎と煙が洩れ始めていた。
「今夜の仕事は簡単やったな。拍子抜けしてもうたわ」
走る車の中で男は言いながら、蛮刀を外して座席の下に置き、血の付いたシャツを脱いだ。燃え上がる屋敷は背後へ消える。
男の胸や腹の数ヶ所に、小さな金属片が埋まっていた。
男が大きく息を吸って力を込めると、全ての金属片は前に迫り出して零れ落ちた。
それらは、潰れた鉛の弾だった。
男の皮膚には傷一つ残っていなかった。
357 :
憂。:2001/06/26(火) 23:31 ID:g0GnLYdM
「あーあ、喉が渇いたな。喫茶店でも寄ってくか」
座席を後ろに倒して背中を預けると、男は言った。
「こんな時間に開いてる店なんてないよ。シャツを絞ってみたら。血が一リットルくらいは出るんじゃない」
素っ気なく女は応じる。
「はっ、よく言うわ」
男は蛮刀の血を脱いだシャツで拭う。
「後ろに魔法瓶があるよ。コーヒーが入ってる」
「ほな、貰うで」
男は腕を伸ばして手探りで銀色の水筒を取り、代わりにシャツを後部座席に放り投げた。
コップ兼用の蓋に中身を乱暴に注ぎ込む。
「熱いよ、多分」
前を向いたまま女が告げる。
「構へんよ」
男は中身を一気に飲み干した。が、その後で粗暴な顔が苦しげに歪む。
「さ、砂糖の入れ過ぎやろ。お前が甘党とは知らんかったわ」
そう言いつつも、男は二杯目を注いでいる。
358 :
憂。:2001/06/26(火) 23:32 ID:g0GnLYdM
「文句言わないでよ」
女はちらりと横目で、男がコーヒーを飲んだことを確認し、すぐに視線を戻した。
男は二杯目を飲み干した後で蓋を閉め、水筒を後部座席へ戻した。
セダンは薄い靄に包まれた街を静かに進んでいた。まだ人影も殆どない。
黙々と運転を続ける女の横顔をのんびりと眺めつつ、両手を頭の後ろで組んだまま男が言った。
「なんだか浮かない顔やな、蒼蠍」
「私ね……」
交差点を曲がりながら、女は少し躊躇った後、先を続けた。
「最近、よくあの場面を思い出すんだ。二年前だったかな、県知事の屋敷に押し入った時のこと」
「ああ、ありゃあ大掛かりやったな。柴田もりんねもおった。そうそう、
あの石黒もおったな。痛快やったなあ、襲撃予告しといて、百人近い警官隊を殺し捲って」
「……。県知事の孫もいたよね。戸棚の中で震えてた。
五、六才の女の子で、丁度、私が攫われた時と同じくらいの年頃だった」
359 :
憂。:2001/06/26(火) 23:34 ID:g0GnLYdM
「ああ、そんなのがおったかな」
気楽に答える男に、女が初めて鋭い非難の視線を向けた。
「私が頼んだら彩っぺは、見逃してもいいって言ってくれた。
彩っぺが出て行った後で、それをあんたは殺したんだよ、しゅう」
男は皮肉に唇を歪めた。
「はっ。石黒は甘ちゃんやねん。あんな化けもんのくせしやがってなあ。
皆殺しが骸骨騎士団の鉄則や。幾ら助けたくってもしょうがないやろ」
「あんたは笑いながらあの子の首を刎ねた」
女の目には涙が滲んでいた。しかしすぐに前へ向き直ると、女の顔から激情は去り、急速に瞳が冷えていく。
「そうだったかな。ん。おい、方向が違うんやないか」
窓の外に流れる景色を見て男が聞いた。車は街を抜け、海沿いの崖の上を走っている。
「いや、こっちで合ってるよ」
女は答えた。
「そうかな」
「私、組織を抜けるよ」
突然の女の言葉に、男は目を丸くして身を起こした。
360 :
憂。:2001/06/26(火) 23:35 ID:g0GnLYdM
「何やて。本気か」
男の目は、信じられないと言っていた。
「本気だよ」
「あほか。そんなこと出来るわけないやろ。これまでの仲間が束になって追ってくるで。逃げられる筈があらへん」
「あんたはどうするつもり。一緒に抜ける気はある。それとも……」
「そらあ、お前を縛り上げてボスの所に突き出すわ。
俺はまだ死にとうないし、結構この仕事も気に入ってんねんで」
「あんたならそう言うと思ったよ」
女の口調には侮蔑の響きがあった。
「せやけどその前に、お前の体の味を試してみるのもええな。
車を停めろや。どうせお前の尻尾じゃあ、俺の皮膚は破れへんで」
男は下卑た笑いを浮かべ、座席の下に置いていた蛮刀を手に取った。
だが男はすぐ、不思議そうに顔をしかめた。蛮刀を握る右手が、小刻みに震えている。
361 :
憂。:2001/06/26(火) 23:36 ID:g0GnLYdM
「私が武器に毒を塗ることがあるのは当然知ってるよね」
「せ、せやけど、おまえろ……」
男の呂律が回らなくなってきた。
「さっきのコーヒーの中にも強力なのを混ぜといたよ。幾らあんたの皮膚が硬くても、胃袋はまともでしょ」
女の声は飽くまで冷静だった。
「ころ、くろらら……」
ゲブッ、と、男は大量の血を吐き出した。振り上げた右手から蛮刀が落ちる。
その顔の胸の腕の皮膚が、どす黒い色に変わっていく。
「この辺の潮の流れは速くてね、死体はなかなか見つからないそうだよ。
それで出来るだけ時間を稼ぐつもりだから」
岸壁にぶち当たる波の音が、遥か崖下から聞こえている。
男の充血した眼球が、前に迫り出して転がり落ちた。
眼窩から血と脳漿が噴き出して、口から溢れるものと共に座席を濡らす。
362 :
憂。:2001/06/26(火) 23:37 ID:g0GnLYdM
「私は自由を掴んでみせる」
悲壮な決意に口元を引き締めて、女は言った。
「ゴボァッバッ」
このまま動かなくなると思われた瀕死の男が、突然運転席の女へ飛びかかった。
だがそれよりも早く女はドアを開けて、時速六十キロで走るセダンから飛び出していた。
運転者のいなくなった灰色のセダンは、ガードレールを突き破って宙へ躍り出た。
五十メートルの高さから放物線を描いて落下し、荒れた海面に叩きつけられる。
揺れながら少しずつ沈んでいくセダンを、破れたガードレールの近くに立ち、
女は暫くの間見守っていた。その瞳に感情の色はない。
女は、無傷だった。
セダンが完全に沈んだのを確認して、女は靄の中へ消えた。
363 :
憂。:2001/06/26(火) 23:47 ID:g0GnLYdM
取り敢えず今日はここまで。
山積みになった配役の問題を強引に片付けての連載だけど、
ハロプロメンバー総動員して意地で書いたんで、乞うご期待。
364 :
名無し娘。:2001/06/26(火) 23:51 ID:DGE1HZ6M
>>353 待ったましたぁ〜!
ついに、真打登場 !!
史上最強の戦いになるのか、それとも・・・
ますますこれからの展開に目が離せない。
憂。先生の小説が読めるのは、モー。板(羊)だけ!
365 :
憂。:2001/06/27(水) 19:38 ID:mrXazbR6
狭い裏通りは昼間にも関わらず薄暗く、陰鬱な静寂に支配されている。
吹き付ける冷たい風には微かに血の匂いが混じっていた。
薄手の黒いコートを羽織った女は、油断なく周囲に気を配りながら足早に進んでいた。
どうやらこの場所を訪れるのは初めてらしい。女の履くトレッキングシューズは殆ど足音を立てなかった。
女の右手は、黒い革製の手袋が指先以外を覆っている。
前へ傾斜するように切り揃えられた髪。冷たい美貌には不安の翳りがある。
女の目の前を、丸々と太った鼠が通り過ぎ、脇腹に火傷痕のある痩せた猫がそれに続いた。
猫が鼠を捕らえた瞬間、瓦礫の中から飛び出してきた数十匹の鼠が、猫の全身に食らい付いた。
捻れた叫び。鼠の群にたかられてもがく野良猫を、女は寂しげに眺め、すぐに目を離した。
女が歩きながら、素早く背後を振り向いた。視線の先には誰もいなかったが、女の目は鋭く細められていた。
女が軽く右手首を振った。袖の中に隠れていた菱形の刃が滑り出て、女の手の中に収まった。
コツ、コツ、と、後方で足音が聞こえた。二人か、三人か。
女は振り向かず、代わりに足を速めた。刃を握る手に余計な力が篭もり、それを自覚したのか女はすぐに力を緩める。
366 :
憂。:2001/06/27(水) 19:47 ID:mrXazbR6
倒壊しかかった古い建物の間を女は走った。スプリンターのような見事なフォームだった。
スカートの下からストッキングに包まれた引き締まった足が覗く。
背後の足音も、ペースが速くなっていた。女の足はかなり速かったが、
背後の者達はそれを上回っているようで、足音は次第に近づいている。
女はふと顔を上げた。前方に比較的まともな形状を保ったビルがある。
四階建ての最上階に、『後藤探偵事務所』と下手糞な字で描かれた看板がかかっている。
女は小さく安堵の息を洩らし、ラストスパートに移った。入り口の扉を押し開けると蝶番が軋みを上げる。
一階はゴミが転がっているだけで何もないフロアだった。女はそれを確かめるとすぐに階段を上がった。
二階も同じ、三階も同じだった。ただ、次第に増えていく床の赤い染みと、濃くなってくる饐えた匂いに、女は眉をひそめた。
静かに階段を駆け上がり、女は四階に辿り着いた。殆ど息を乱していない。
血臭と腐臭と耐え難い程に強くなっていた。フロアは壁によって仕切られている。
正面のドアには、『後藤真希探偵事務所』と表札が付いている。
札の下に、色褪せた貼り紙があった。電灯のない暗がりの中、女は顔を近づけてそれを睨んだ。
貼り紙には、『受付時間は午前十時から午後六時までです。
それ以外の時間帯には探偵として応対出来ない場合があります。』とあった。
367 :
憂。:2001/06/27(水) 19:48 ID:mrXazbR6
女は腕時計を見た。アナログの時計だが、パネルの下部にはデジタルの小さな液晶画面が付いている。
時計は、午前九時五十六分四十五秒を示していた。
女の顔に逡巡が浮かんだ。ドアの隙間からは光が洩れている。探偵は中にいるのだろう。
しかし女はドアノブに触れようとして手を止めた。屋外よりも強い冷気がフロアに蟠っている。
女はドアをノックして、奥へ声をかけてみた。
「依頼があるんだけど。入ってもいいかな」
返ってきたのは沈黙だけだった。奥で動く気配もない。
中に探偵がいるのかどうか疑い始めたらしく、女の顔を不安が広がっていく。
と、ビルの玄関を開ける蝶番の軋みが四階まで聞こえてきた。数人分の足音が階段を駆け上ってくる。
十時になる前に、気配は四階まで到達するであろう。
女は決断した、ドアをもう一度ノックして、女は奥へ声をかけた。
「急いでるんだ。入るよ」
女はノブに手をかけた。静かに回し、ゆっくりとドアを引いた。やはり錆びている蝶番が軋む。
368 :
憂。:2001/06/27(水) 19:50 ID:mrXazbR6
ブン、と、唸りを上げ、ドアの隙間から何かが凄い勢いで迫ってきた。上方から弧を描いて降ってきたそれは、
金属部分が二十センチ程の長さの熊手だった。太い三本の爪は丁度女の目の高さを狙っていた。
「あっ」
女は咄嗟に上体を反らした。尋常でない反射神経だった。
熊手はぎりぎり女の顔の前を掠っていった。髪の毛が数本持っていかれた。
避けるのが一瞬遅ければ、女の顔面に熊手が根元まで突き刺さっていたことだろう。
女はそのまま床に倒れたが、左手で体を支え、尻餅を免れた。
開け放たれた事務所の入り口に、上から逆さにぶら下がった女の顔が覗いていた。
整髪料を使っていない髪が重力のため逆立ったように見える。顔は光の加減でよく分からないが、
異様な笑みを形作った口元の陰影だけが認められた。シャツを着た右腕が、大型の熊手を握っていた。
逆さにぶら下がる自分の体を支えているのか、左手は見えない。
突然の攻撃に対し、女の右手が閃いた。風を切って菱形の刃が飛び、影の首筋に突き立った。
「ありゃ」
影が落下した。頭から床に落ちてゴキリと嫌な音がした。大の字になって仰向けに倒れると、
その首が妙な角度に曲がっていた。女が右手首を軽く振ると、喉元深く突き刺さっていた菱形の刃が女の掌に戻った。
ぱっくりと開いた喉の傷口から血が溢れ出す。
369 :
憂。:2001/06/27(水) 19:51 ID:mrXazbR6
立ち上がった女は呆然と、落下した影の側に近づいていった。
その見開かれた目は、既に凝固したまま動かなくなっていた。
「なんてこと……」
絶望を噛み締めるように呟く女の背後で、数人の重い足音がこのフロアに到達した。
振り向きざまに放った菱形の刃は、硬い響きと共に甲冑によって撥ね返された。
上がってきた三人は、暗い灰色の金属によって全身を覆っていた。
関節部は連続した短い体節によって構成され、昆虫のような無気味な姿となっている。
フルメットになったマスクで、硬質ガラスのゴーグルの奥に男の目鼻が見えた。
男達はそれぞれに、篭手を付けていても扱えるようにカスタマイズされた自動小銃を構えていた。殺気が女の全身を叩く。
女は素早く身を翻して事務所の中へ逃げ込んだ。立ち続けの銃声。
通りに面した窓のガラスが割れ、数々の仮面を飾った壁に穴が開いていく。
370 :
憂。:2001/06/27(水) 19:52 ID:mrXazbR6
フルアーマーの男達が事務所に踏み込んだ。女は机の陰に身を屈めた。
菱形の刃が魔法のように宙を跳ね、先頭の男の持つ銃身に亀裂を入れた。
再び発砲した時、その自動小銃が破裂し、先頭の男がメットの下から苦痛の声を洩らす。
右手の指が二、三本、金属の篭手ごと吹き飛んでいた。
だが他の二人は冷静に机の横に回り、女に銃口を定めていた。
窓から飛び出そうと膝を落とした女は、しかし、飛び出す前に蜂の巣にされると判断したらしく動きを止めた。
女は四階の高さから無事に着地する自信があったのだろうか。
「動くなよ、蒼蠍」
男の一人が篭った声で告げた。
「畜生、この尼、俺の指が……」
銃を破裂させた一人が、右手を押さえて憎々しげに呻いた。
「こんなに早く捕まるとは思わなかったよ」
溜息をついて、女は言った。諦めたように俯く女の瞳は、実際には光を失ってはいない。
「ブルーテイルを床に落とせ。ゆっくりとだ」
言われた通りに、女は右手を開き、菱形の刃を床に落とした。小さな音が静かな部屋に響く。
男達の注意が右手に注がれている間、自然に垂らした女の左手の、袖の中から同じ形の刃が滑り出て掌の中に収まった。
「これから私をどうするの」
女は尋ねた。
371 :
憂。:2001/06/27(水) 19:56 ID:mrXazbR6
「ボスの所へ連行する。どうなるかは分かっている筈だ。脱走者が処刑されるのを、お前も何度となく見てきた筈だからな。
しかもお前は仲間を殺している。覚悟を決めておいた方がいいぞ」
「覚悟ならいつでもしてるよ。五才の時からね」
女は冷笑した。
「あげげげげ」
唐突に発せられた奇妙な声に、女と二人の男は振り向いた。
さっきまで指を押さえて呻いていた男が、顔を大きく仰け反らせていた。
顎の下の金属部分の細い隙間に、三本の爪が食い込んでいた。男の頭越しに背後から右手を伸ばし、
大型の熊手を握っているのは、戸口に倒れていた筈のシャツの探偵であった。
探偵の首は、まだ斜めに傾いでいた。喉の傷の出血は止まっているものの、開いた部分から赤い肉が見えている。
「忍法を使っちゃいました」
探偵がにこやかに言った。もがく男の首がミリミリと音を立てる。
「いでごえええええ」
銃を持っていた男達も、隙を窺っていた女も、ただただ唖然としてその光景に見入っていた。
「必殺忍法、死んだふり」
探偵が宣言しながら熊手を引いた。ブヂッ、と音がした。
男の被っていたフルメットが、脱げたのではない。
男の首が、メットごと、引きちぎれたのだ。信じ難い探偵の腕力だった。男の胴体から血が噴き出して天井を濡らす。
372 :
憂。:2001/06/27(水) 19:57 ID:mrXazbR6
「な、何だこいつは」
二人の銃口が探偵に向けられた。フルオートで撃ち出された弾丸は、大部分が甲冑を破って
仲間の死体に突き刺さる。幾つかは探偵にも当たったが、彼女はびくともしなかった。
「まあまあ落ち着いて」
探偵は穏やかな口調で告げながら、男の死体を一人に向かって投げた。
避ける暇もないスピードで男を捉え、纏めて壁にぶち当たる。骨の折れる音がした。
探偵が魔性の疾さで駄目押しに飛びかかった。男が死体と一緒に倒れる前に、探偵の熊手が横殴りに襲った。
爪がフルメットに引っ掛かり、男の頭がぐるりと回った。回り過ぎた。男のメットは中身ごと、真後ろを向いていた。
「な、なな……」
最後の男は探偵に銃を向けていたが、既に弾丸は尽きていた。
弾倉を抜き、ベルトに装着されていた予備に手を伸ばした時、女の左手が閃いた。
鋭い刃は男の篭手の隙間を貫いて、手首に突き刺さっていた。
「あがあっ」
蹲る男の前に探偵が立った。左手を伸ばして男のメットを掴む。
「いでで」
メットが脱げ、三十代の男の顔が現れた。右頬には銃弾が掠めた古い傷痕が残っている。
373 :
憂。:2001/06/27(水) 19:59 ID:mrXazbR6
男は膝をついたまま、泣きそうな顔で探偵を見上げた。
探偵は斜めに傾いだ顔で、にっこりと微笑んでみせた。
「わーい」
三本の爪が男の頭頂部に突き刺さった。探偵が力を込めると、鉄の爪は男の頭蓋骨を破り
脳と顔面を破壊して引き戻された。男は仰向けに崩れ落ち、二度と動かなかった。
追っ手が全滅したことに、女は取り敢えず安堵の息をついた。
その顔が凍り付いたのは、探偵が、男達に対するのと同じ眼差しで、女を見つめていたからだ。
「なかなか美しい」
熊手の爪に引っ掛かっていた眼球を引き抜いてから、探偵はうっとりと言った。
「あ、あんた、探偵だよね。私は、仕事の依頼に来たんだよ」
女は後ずさりながらも、強い口調で反論した。両手に菱形の刃を握っている。
「はい、探偵です。後藤真希と申します。通称ゴマちゃんです」
後藤真希は優雅に一礼した。
374 :
憂。:2001/06/27(水) 20:00 ID:mrXazbR6
「ただ、残念ながら、まだ受付時間にはなってません。
なので自由にさせて頂きます。いえいえ、心配は不要です。すぐに終わりますからね」
後藤は血みどろの熊手を振り下ろした。その瞳が殺戮への歓喜に輝いている。
熊手の攻撃を間一髪で躱しつつ、女は反撃する代わりに自分の腕時計を睨んだ。
女は勝ち誇った顔を上げた。
「もう十時二分だよ。勤務時間になったんだから、仕事しなくちゃね」
「むむ」
後藤は左手を上げて、傾いだ顔の前に腕時計を持っていった。
「ううむ、確かにそうですね。仕方ありません、話を伺いましょう。どうぞ座って下さい」
熊手を下ろし、ソファーを勧める後藤の顔は、玩具を取り上げられた幼児のように口を尖らせていた。
女はカバーの破れたソファーに腰を下ろしたが、両手は用心深く刃を握ったままだ。
「いやあ、散らかってしまいましたね」
後藤は三つの死体を拾い上げ、窓から外の通りへ無造作に投げ捨てていった。
入り口のドアを閉めて自分の椅子に座る。
375 :
憂。:2001/06/27(水) 20:34 ID:mrXazbR6
「さて、改めて、いらっしゃいませ」
後藤は自分の頭を両手で掴んで持ち上げた。ゴキリ、と、不気味な音がして、傾いでいた首が真っ直ぐに戻る。
後藤の行為を黙って見守っていた女が、躊躇いがちに言った。常軌を逸した出来事の連続に、女も動揺しているらしい。
「あの、さっきはごめんね。その喉の傷のことだけど。でも、あんたがいきなり襲ってきたから……」
「いえいえ、構いませんよ。この手のことは日常茶飯事ですから」
後藤は首を振った。その動きに傷が捩れて中身が覗く。
後藤は引き出しを開けてホッチキスを取り出すと、傷口の皮膚を寄り合わせて痛そうな顔も見せずに挟んでいった。
小さな金属によって三ヶ所で固定された皮膚は微妙にずれていた。
「あんたは不死身なの」
女の問いに、後藤は椅子に背を預け、眠たげな眼差しを返した。
「さあ、どうでしょうかねえ。確かにこれまで死んだことがないので、こうして人生の厳しさを味わってますけど」
女は狐につままれたような顔になったが、やがて気を取り直して言った。
「自己紹介を忘れてたね。私は組織では、蒼蠍って呼ばれてる」
376 :
憂。:2001/06/27(水) 20:38 ID:mrXazbR6
「ははあ。ご名字とお名前は何処で区切ればいいんでしょうね。あお・さそりさんとか。それともあおさ・そりさんですか」
本気とも冗談ともつかない後藤の言葉に、女は苦笑した。
それでも、冷笑以外に初めて見せた笑みだった。
「いや、これはコードネームだよ。綽名みたいなもんね。
本名は市井紗耶香だけど、もう十年以上、その名で呼ばれたことはないね」
「ふうむ。それで、ご依頼は」
「私を守って欲しいんだ」
市井紗耶香が言うと、後藤は顎を撫でた。
「すると、あなたは何者かに命を狙われている、ということですかね」
「私は暗殺組織を抜けてきたんだよ。骸骨騎士団っていって、裏の世界では有名な組織」
「ほほう、骸骨騎士団ですか」
後藤が嬉しそうに身を起こした。
「知ってるの」
「いえ、全然知りませんね」
無邪気な後藤の答えに、市井は嘆息した。
377 :
憂。:2001/06/27(水) 20:40 ID:mrXazbR6
「暗殺組織としては日本で一位、世界でもトップクラスに入ると思う。
構成員は二百人を下らないだろうけど、正確な人数は私にも分からない。
金を積まれれば誰でも殺す組織だよ。たとえ相手が首相でも、三才の幼児でもね」
「ふうむ。金で殺人を請け負うとは、頂けませんね」
後藤が顔をしかめる。
「あんたもそう思うの」
「そりゃ当然です。殺人は、無償であることに意味があるんです」
尤もらしく頷く後藤に、市井は暫し絶句した。
「それで、続きをどうぞ」
「……。構成員の全員が、ナイフや銃器に熟練してるし、何の躊躇いもなく人を殺せる。
中でも二十人近くいる幹部クラスの暗殺者は、特殊な能力を持っている者も多いんだ。
二年前に県知事の屋敷を襲撃した時、百人の警察隊を全滅させたのは、私を含めてたったの七人だった」
「ほほう、あの県知事の……」
「知ってるの」
「いえ全く」
平然と答える後藤に、市井はきっと柳眉を逆立てたが、すぐに氷の美貌を取り戻して続けた。
「私は五才の時に人身売買業者に攫われて、組織に売られたんだ。
他にも同じようにして施設に収容された子は何人もいた。
人殺しのための、血の滲むような訓練をさせられて、ついていけない子は殺された。
私は生きていくために、出来るだけ感情を持たないように努めてきたし、組織の命令に従って大勢の人を殺してきた。
それでも私は、ずっと組織を抜けることを考えてたんだ。監視役の相棒を殺して、それを実行に移したのが三日前」
「ふうむ」
後藤は首を傾げた。
378 :
憂。:2001/06/27(水) 20:42 ID:mrXazbR6
「あなたは何故、組織を抜けたんですか」
「簡単なことだよ。人殺しが嫌いだから。それと、組織のためじゃなく、
自分のために人生を生きてみたかったから」
市井の瞳に、光を求めて闇の中で足掻く者の熱望が宿っていた。
「ははあ。人殺しはお嫌いですか」
後藤は珍しいものでも見るような顔で市井を見た。
「まあ、趣味嗜好というのは、人それぞれですからねえ」
「あんたは人殺しが好きみたいだね」
市井は赤い唇を僅かに歪めて言った。
「皮肉なもんだね。人殺しをしたくないために組織を抜けて、人殺しが好きな奴に護衛を頼むなんて」
「それで、骸骨騎士団の皆さんが、あなたを追ってこられる訳ですね。それを私が守ると」
市井は頷いた。
「そういうこと。組織は一枚岩でないといけないから、裏切り者は絶対に許さない。
私を殺すために次々と暗殺者達を差し向けてくるだろうね。私一人じゃ太刀打ち出来ないから、
強い味方が欲しいんだよ。あんたの噂は前から聞いてたから」
「警察に保護を求めるというのはどうでしょうかね」
殺人鬼とは思えぬ後藤の提案に対し、市井はとんでもないといったふうに首を横に振った。
379 :
憂。:2001/06/27(水) 20:44 ID:mrXazbR6
「無理だね。警察が腐ってることはあんたも知ってるはずでしょ。
犯罪組織に密告して金をたかるような奴らが大勢いるし、警察官で殺し屋をやってる者もいるんだよ。
それに骸骨騎士団は政府関係者にもコネが多いから、私が警察に出頭すれば、その日の内に拘置所で殺されるね」
「ううむ」
後藤は顎を撫でながら低く唸った。
「どうしたの。相手が日本最大の暗殺組織と聞いて、怖気づいたの」
尋ねる市井の目に非難や侮蔑はなく、ただ諦めの色が浮かんだ。
「いえ、そうじゃありません。私が恐いものは副流煙と生活苦だけです」
後藤はきっぱりと言った。
「ただ、私は殺すのは得意ですけど、人を守るというのはなかなか苦手でして。
これまで何度か護衛の依頼を受けたこともありますけど、私が敵を殺すのに夢中になっている間に依頼人が殺されたり、
私が敵を殺すのに夢中になり過ぎて思わず依頼人まで殺してしまったり、依頼人は助かったけど発狂してしまってたりと、
なかなか思わしい結果が得られてませんので。それでも宜しいんでしたら、頑張ってみますけど」
「お……お願いするよ」
市井の口調は信頼や安心とは程遠かった。
380 :
憂。:2001/06/27(水) 20:46 ID:mrXazbR6
「それで、報酬は頂けるんでしょうかね。いつまであなたをお守りすればいいのか分かりませんし、
なかなか報酬の算定は難しいですけど」
市井はコートの内側に隠れていたポーチから、財布を取り出した。中から一万円札の束を出して、机の上に置いた。
「七十三万あるよ。それが私の全財産」
「ほほう。充分過ぎますね」
後藤が目を見開いた。
女は曖昧な微笑を浮かべ、言葉を続けた。
「それから、私」
「ほう、あなたですか」
後藤はまじまじと女を見つめ直した。ちょっと困ったような顔になる。
「いや、それは、冷蔵庫に入れておけば二ヶ月くらいは持つかも知れませんけど。
私にはカニバリズムの趣味はないですし」
「誰が食料にしろって言ったのっ」
女は思わず立ち上がって怒鳴っていた。
後藤は驚いて目をパチクリさせる。
「ありゃりゃ。とすると、何に使えと仰るんですか。殺す訳にもいかないとなると、ううむ、困りましたね」
381 :
憂。:2001/06/27(水) 20:47 ID:mrXazbR6
首を捻る後藤に、市井は呆れ顔で言った。
「あんたは思考回路が相当歪んでるね。取り敢えず、私を側に置いてくれればいいから。
この汚い部屋を掃除してあげるし、料理も作ってあげる。あんたが望むなら、夜のお相手もしてあげるよ」
「つまりは居候ということですね。まあいいでしょう。お受けします。
ただ、あなたはもう少し、ご自分を大事になさった方がいいですね」
穏やかに告げる後藤に、市井は吹き出していた。
「あんたは言うことがバラバラだね。滅茶苦茶なことを言うかと思うと、急に真面目なことを言う。
何処までが冗談で何処までが本気なのか分からないよ」
「実はねえ、それは私もなんですよ」
後藤はにっこり笑って答えると、札束をポケットに収め、代わりに上面に穴の開いた箱を取り出した。
「では、ひとまず一枚だけ選んで頂けますか。必要に応じて引いてもらうことにしましょう」
穴の奥に、折り畳まれた紙片が積もっている。市井は不思議そうな顔をしたが、
菱形の刃を袖の中に収めると、黙って右手を入れ、一枚を選び出した。
「ふうむ。六十三番ですね」
382 :
憂。:2001/06/27(水) 20:52 ID:mrXazbR6
受け取った紙片を開いて読み上げると、後藤は鍵の掛かっていた左のドアに進んだ。二つの錠を外して一人で奥へ進む。
やがて戻ってきた後藤は、鈍い銀色に輝く金属バットを握っていた。六十三と書かれた紙が貼られてある。
「それは……」
「ご存じないですか。金属バットっていうんですよ」
呆気に取られた市井に、後藤はニコニコしながら教え諭した。
「いや、そうじゃなくて、それを何に……」
「これはねえ、野球に使うんです」
後藤はバットを構え、軽く素振りをした。出鱈目なフォームだったが、
そのスピードによってひしゃげた空気が凄まじい唸りを上げ、風圧で市井の髪が揺れた。
「もしかしてそれで……」
「ああ、楽しみだなあ。カキーンカキーン」
後藤は満面にとろけそうな笑みを湛えながら、素振りを続けた。
カシャリ、と、下の通りから聞こえた微かな金属音に、市井は眉をひそめた。
「ちょっと今」
「え、何でしょう」
後藤が素振りをやめるのとほぼ同時に、ガラス窓の破れ目から、
野球ボール程の大きさの物体が部屋の中へ転がり込んできた。
机の下をくぐってソファーの前に止まったそれは、野球のボールではなく、深い緑色の手榴弾であった。
383 :
名無し娘。:2001/06/27(水) 23:51 ID:B9EcrBGs
出たぁ!市井!後藤、頼むから殺さないで・・・
依頼人なんだし・・・切望(W
384 :
名無し娘。:2001/06/28(木) 04:07 ID:gC9UfzSM
怖ひ……
385 :
憂。:2001/06/28(木) 17:02 ID:HEWceQCw
「逃げ……」
身を翻そうとした市井の前を黒い影が掠めた。次の瞬間、充分な待機時間をおいて
投擲されていた手榴弾が爆発した。古い机とソファーが天井まで浮き上がり、破片が八方に飛び散った。
壁に飾られた仮面達が落ち、窓ガラスは完全に消滅した。間髪入れずに投げ込まれた追加の手榴弾が次々と爆発した。
七個目の手榴弾が爆発し終えた時、部屋は瓦礫の山となっていた。
やがて朦々たる塵埃を泳ぎ分けて、後藤真希の悲しげな顔が現れた。
立ち上がると、自分の陰になっていた市井に声をかける。
「大丈夫ですか」
「まあね。あんたは大丈夫なの」
市井は足に破片が掠った程度だった。
「それはもう。しかし困りましたね。家具を新しく拾ってこないといけません」
平然と窓に向かう後藤の背は、シャツが破れてズタズタになった肉が露出し、一部骨も見えている。
後藤が窓から外を覗くと、十数名の人影が薄暗い裏通りに立ってこちらを見上げていた。
半数近くが先程の男達と同じフルアーマーを装着している。既に何人かは玄関を通りビル内に侵入しつつあった。
「まだ生きているぞ」
男達の驚愕の声を無視して、後藤は顔だけはにこやかに怒鳴りつけた。
「こらー君達ー、そんな狭いとこで野球なんかしちゃ駄目だぞー」
386 :
憂。:2001/06/28(木) 17:05 ID:HEWceQCw
彼らの返事は無数の銃弾だった。後藤は素早く頭を引っ込めて、部屋の隅で不安げに立つ市井に言った。
「ちょっとお仕置きをしてきますんで、ここで待ってて下さい」
後藤の額には、銃創が小さく口を開けていた。市井は何も言えず頷いた。
金属バットを握って部屋を出る後藤の後頭部に、弾丸の突き抜けていった大きな穴が開いていた。
「ああ〜男なら〜狙うはホームラン〜」
後藤は悠然と階段を下りていった。自動小銃を構えて駆け上がるフルアーマーの男達とは、
三階から二階へ下りる途中で鉢合わせになった。銃弾の嵐が後藤を襲い、百発近い弾丸がその体を貫いた。
だが後藤は悦楽に瞳を潤ませて彼らの真っ只中へ飛び込んだ。
「あーカキーンカキーン」
後藤は両手で握った金属バットを乱暴に振った。
フルメットの首が潰れて宙を飛び、自分の頭を胴体に減り込ませた男が倒れる。
387 :
憂。:2001/06/28(木) 17:07 ID:HEWceQCw
「うわっ、こいつはおおおおお」
男達は銃撃を続けながら後ずさる。気持ち良さそうに弾丸のシャワーを浴び、後藤はバットを持って迫る。
「あーカキーン、ツーベースヒットだ」
後藤の突き出したバットが甲冑ごと男の胸を貫き、その後ろの男の頭を潰した。
「カキーンカキーン、スリーベースだ」
壁に叩き付けられた男のゴーグルが破れて眼球が飛び出した。その顔面へ更に後藤がバットの先端を突っ込んだ。
フルアーマーの男は最後の一人になっていた。慌てて弾倉を取り替えようとする男の首筋を後藤の左手が掴んだ。
「あわわ、た、たす……」
「必殺の魔球、スーパーウルトラミラクルゴマボールだ」
後藤は男を掴み上げたまま一階まで下り、玄関へ向かって片手で投げた。
扉をぶち破って派手にバウンドしながら通りを転がる、男の手足と首は異様な方向に捻じ曲がり、
奇妙な灰色のオブジェと化していた。
「実は私は〜野球はあまり〜好きじゃない〜」
歌いながら通りへと出た後藤を、黒服の男達の構える拳銃やサブマシンガンやショットガンの銃口が出迎えた。
だがそれは火を噴かず、雑魚達とは異なる容姿を持った二人の女が、後藤の正面に立っていた。
「名前を聞いておこうか」
黒いマントに身を包んだ女が言った。女は後藤と同じくらいの身長だが、その体は後藤よりも遥かに逞しかった。
逆立った髪は炎に似て、やや赤みを帯びた顔は狂猛な殺意と自信に満ちている。
マントの異様な膨らみは、その中で何か特殊な武器を隠し持っているのだろうか。
388 :
憂。:2001/06/28(木) 17:10 ID:HEWceQCw
マントの女の隣に立つのは、対照的にひっそりと地味な雰囲気を漂わせていた。
伏目がちの昏い瞳は何も語らない。黒いセーターを着ていたが、その両袖は細く垂れている。
即ち、この女には両腕が存在しないのだ。
後藤は、血みどろの体で一礼して答えた。
「後藤真希です。明るく楽しく歌って踊れるナイスな探偵です」
マントの女は獣のような笑みを見せた。
「私はあさみ。横のこの人はりんね」
「黙って。迂闊に名前を口にしないでよ」
両腕のないりんねが、あさみに鋭い視線を向けた。あさみはそれを平然と受け流す。
「いいじゃない。どうせすぐ死ぬ人なんだし」
「全くもってその通りです」
後藤がにこやかに言った。
「すぐに亡くなる人達の名前なんて、伺っても仕方がないですよねえ」
389 :
憂。:2001/06/28(木) 17:11 ID:HEWceQCw
裏通りの空気が凍り付いた。銃を構える男達の一人が唾を飲み込んだ。
ススッ、と、りんねが後藤を回り込むように歩き出した。
両腕はないが、隙のない動きだ。細められた目は、じわりと溶け出すような殺気を放っている。
「じゃあやってみてよ」
あさみが歯を剥いた。マントの裾が揺らめき、銀色の煌きが覗く。
「では早速」
後藤は躊躇を知らなかった。勢い良く踏み込みつつ、金属バットをあさみの脳天目掛けて振り下ろした。
金属同士が激しくぶつかり合う音と共に火花が散る。マントの中から現れたあさみの左腕は、青龍刀を握っていた。
金属バットを青龍刀で防いだあさみは、右手の大鉈で後藤の首筋を襲う。そのあさみの顔が驚愕に歪んだ。
後藤のバットが青龍刀を弾いて尚もスピードを減ぜず、あさみの頭に迫っているのだ。ガキン、と、重い音が響いた。
バットと頭の隙間に割り込んだのは、柄も鉄で出来た大鎌だった。それでも金属バットは鎌を押して、あさみの頭を叩いた。
「チイッ、このっ」
あさみのマントの中から短槍が伸び、後藤の左胸を貫いた。
それでも後藤は怯まずにバットの先端をあさみの顔面へ突き出した。
危うく届きそうな瞬間、後藤の体勢が崩れてバットの軌道がずれた。
特大の銃声が轟いて後藤の体が後ろに吹っ飛んだ。
390 :
憂。:2001/06/28(木) 17:12 ID:HEWceQCw
マントを脱ぎ去ったあさみの両肩には、それぞれ三本、計六本の腕が付いていた。右の腕は上から大鉈、
長さ一メートルの短槍、ショットガンの引き金を、左腕は青龍刀、大鎌、ショットガンの銃身を握っていた。
「便利な体をお持ちですね」
腹部に大穴を開けながら、感心したように後藤は言った。
「こいつ、不死身なの」
あさみの顔は緊張に引き攣っていた。
「りんね、手伝ってよ」
後藤の背後に五メートル以上の距離を置いて立つ相棒へ、あさみは声をかけた。
「もうやってる。この女の筋力は凄まじいよ」
りんねの額には脂汗が滲んでいた。
391 :
憂。:2001/06/28(木) 17:13 ID:HEWceQCw
後藤が振り向いてりんねに言った。
「私の足を掴んだのはあなたでしたか。念力とは素晴らしい」
キュウッ、と、後藤の口の両端が高く吊り上がり、悪魔的な笑顔に変貌した。
気怠かった瞳の奥で今、極大の黒い狂気が渦を巻き始めていた。
りんねの声はまだ冷静さを保っていた。
「今度は頭と心臓を狙う。あんたはこの化け物を足止めして」
「分かった」
あさみが五種類の凶器を構えて突進した。後藤が狂笑を湛えたまま金属バットを振り被って反撃に出る。
392 :
憂。:2001/06/28(木) 17:32 ID:HEWceQCw
外の狂騒に耳を澄ましながらも、市井紗耶香はその場に立ち尽くしていた。
右手には菱形の刃を握り、左手には最初の襲撃でフルアーマーの男達が使っていた自動小銃を下げている。
まだ弾が残っていることは確認してあった。
右手の刃には、紫色の液体が塗られていた。
市井は通りで行われている戦いの様子が気になっているらしかったが、
流れ弾に当たることを恐れてか窓には近寄らず、右のドア近くの壁際で、気配を殺している。
「よおっ」
突然、窓の上から人影が逆さに顔を覗かせた。市井は驚く暇も惜しんで素早く右手を振った。
神速で放たれたブルーテイルはしかし、窓を抜け何もない空間を通り過ぎた。相手も素早く顔を引っ込めたのだ。
市井が指を動かして微調整すると、極細の糸で繋がった菱形の刃は方向転換して窓の上の気配へ向かった。
何を感じたのか目を細め、市井は右手を引いた。戻ってきた刃は重く、全体にベッタリと透明な粘液が絡み付いていた。
市井はそれを認めると、刃を自分の手に戻さずに床に落とした。自動小銃を構えて音を立てないように後ろへ下がる。
「ハハッハッ」
窓から部屋の中へ、蓬髪の女が凄い勢いで飛び込んできた。市井は反動に耐えながら小銃を連射した。
393 :
憂。:2001/06/28(木) 17:33 ID:HEWceQCw
侵入者は虫のような動きでシャカシャカと床から壁、そして天井を回り込むようにして四つん這いで走った。
銃弾は女の動きについていけずに全てぎりぎりで外れた。銃弾が尽きるのを確認すると
女は天井を跳ねて市井に飛びかかった。市井の左手から銀光が閃き、女はウッと呻いて飛び退った。
「尻尾をもう一本持ってたんか。珍しい蠍がいたもんやな」
部屋の隅に立つ市井の反対側の隅で、天井に貼り付いた女が言った。
女は胴体に比べて手足が異様に細く、長かった。靴は履いておらず、素足だ。
黒ずくめの服装で、やや長めの蓬髪は顔の前に垂れ下がっている。細面の顔に、目だけが特に大きかった。
その左頬を斜めに切り裂いた、出来たばかりの傷を、女は長い舌で舐めた。
「みっちゃん」
市井は女の名前を口にした。
「毒を塗っとるみたいやけど、うちには効かへんで」
女の口が笑みを作ると、その端に鋭い牙が見えた。
「こっちも毒蜘蛛やからな」
開いた口から透明な涎が垂れていく。ゆっくりと、ゆっくりと、滴っていくそれは、恐ろしく粘質な代物だった。
394 :
名無し娘。:2001/06/28(木) 18:32 ID:9FZxVVm.
なんか少年漫画的なキャラ達・・・やたら濃いぜ!
395 :
名無し娘。:2001/06/28(木) 20:08 ID:U/SG3R1Q
怪物大集合みたいなノリになってきたね。
激しくワラタよ。
>>343 予想当たってたじゃん(w
396 :
名無し娘。:2001/06/29(金) 01:24 ID:FivjlBZU
ん? もしかして……。
あ、やっぱりだ。すげえ、1作目からここまで1度も「!」を使ってない。
小説書いてる奴ならわかるだろうけど、並の文章力ではできないことだよ、これは。
>>395 誰も怪物なんて書いてないぞ(笑
あ、でも超能力者があたったか・・・(w
398 :
憂。:2001/06/29(金) 19:00 ID:h03kfRc2
至近距離からショットガンの銃撃を受けたが、後藤のスピードは緩まなかった。
最上段からバットを振り下ろす後藤の足を、長い柄の鎌が引っ掛けた。
「おおっと」
体勢を崩した後藤の腹を短槍が貫き、肩に大鉈が食い込んだ。あさみの足元に倒れた後藤がバットを上に振った。
「カキーン」
「ぐむうっ」
あさみの目が裏返った。金属バットはあさみの股間を直撃したのだ。
膝をついて動けぬあさみの頭に、立ち上がった後藤がバットの先端を真上から突き下ろした。
バットは後頭部を貫いて口から血と脳漿を絡み付かせながら突き出した。
あさみは六本の腕を広げて地面に突っ伏したまま息絶えた。
「ど、どうして」
りんねは呻いた。彼女の顔を大量の汗が覆っていた。
肌の艶が失せ、一気に十才も年を取ったように見える。
「とっくに心臓は潰れている筈なのに。どうして生きていられるの」
「スポーツマンは体が丈夫じゃないといけません」
後藤は言った。血に飢えた瞳は次の獲物であるりんねを見据えていた。
りんねは苦痛に顔を歪めながらも、最後の見えない攻撃に移った。
後藤の後頭部に開いた穴から、脳の一部が飛び出した。
399 :
憂。:2001/06/29(金) 19:01 ID:h03kfRc2
「わーい」
後藤は構わずにりんねへ突進した。
「ひいっ」
りんねは身を翻して逃げようとした。
だが、精神力を消耗した彼女に出来たのは、足をもつれさせることだけだった。
「カキーン」
後藤が両手でバットを振った。
りんねの頭がひしゃげ、血と脳の破片を撒き散らしながら胴体からすっ飛んでいった。
「私はスポーツマンじゃないですけどね」
後藤は血みどろの変形したバットを下げて付け足した。
残った数人の黒服達は、幹部が二人死んだことで気力が萎えたのだろう、我先にと逃げ出した。
金属バットを振り被ってそれを後藤が追う。
「カキーンカキーン。アハハーッ、カキーン」
裏通りの襲撃隊は全滅した。
400 :
憂。:2001/06/29(金) 19:06 ID:h03kfRc2
「足掻いてみせてや、蒼蠍。そうでないとおもんない」
天井から平家が言った。彼女は両手足の先に付いた粘液を使って、出っ張りのない天井に正しく貼り付いていた。
「言われなくてもそうするよ」
市井の左手からブルーテイルが閃いた。平家は天井を移動して素早く躱しつつ、口を尖らせた。
粘液の噴霧を、刃はすぐに反転してぎりぎりで避けた。
市井は平家へ向かって自動小銃を投げ付けた。
平家が右手を振ると、粘液が鞭のように伸びて銃を捕らえた。
その隙を狙って再び飛来したブルーテイルは、平家の首筋を切り裂く筈であった。
だが平家は軽く首を動かすと、菱形の刃を歯で咥えて捕らえていた。ドロリと口から出た粘液が刃を包む。
市井はポイズンテイルを諦め、逃走に移った。事務所の出入り口へ向かって走る市井の右足を、
べチャリと生温かい粘液が捕らえた。彼女は足を抜こうとしたが、粘液は足首からトレッキングシューズ、
そして床までを覆い、完全に接着されていた。
401 :
憂。:2001/06/29(金) 19:07 ID:h03kfRc2
「終わったな」
平家が天井を跳ねて、市井のすぐ前に着地した。市井の左足が平家の顎へ向かって飛ぶ。
その足首を平家は両手で掴み、掌からも分泌される粘液で包み込みながら無理矢理に床に固定した。
それでも市井は抵抗をやめなかった。屈んだ平家の首に右の手刀を振り下ろすが、あっけなくその腕を掴まれた。
押し倒され、右腕を床に接着される。左腕も粘液で固定され、市井はなす術を失った。
「お前の血はどんな味がするんかな」
平家が口を開けた。彼女の犬歯は三センチ以上の長さがあった。その口腔内は血のように赤い。
その時、破れた窓から巨大な塊が飛び込んできた。それは白いシャツを赤く染めた後藤真希であった。
地上から跳躍して直接四階の窓に届いた後藤の筋力は尋常ではなかった。
ギョッとして振り向く平家の目の前を、後藤の体はゴロゴロと無様に転がって壁に激突した。
402 :
憂。:2001/06/29(金) 19:09 ID:h03kfRc2
「いらっしゃいませ。お出迎えもしないで申し訳ない」
金属バットを持った後藤が立ち上がった時には、
既にその両足は透明な粘液で固定され、平家本人は充分な距離を取っていた。
「大した奴や。りんねもあさみも殺したんか」
平家の声には紛れもない感嘆が含まれていた。
「あなたも急いで追いかけないと、あの世で離れ離れになっちゃいますよ」
後藤が金属バットを投げた。頭を沈めてぎりぎりで避けた平家の上を過ぎ、バットは壁に突き刺さった。
「じゃあお前が代わりに行ってくれるか。伝言を頼んどくから」
軽口を返し、平家は両手を振った。糸を引いて粘液が伸び、後藤の両手を壁に繋ぎ止めた。
「血を吸うのはお前からにするわ、ハハッ」
平家が哄笑しながら走り寄った。後藤の体をよじ登り、
首筋に牙を突き立てたその時、何かが平家の側頭部を叩いていた。
それが何だったのか、平家には分からなかっただろう。
いや、自分が死んだことにも気づかなかったかも知れない。
それは一瞬で平家の頭部を完全に破壊して、骨と肉と脳の破片を飛散させていたからだ。
後藤の右手にへばり付いた凶器は、無理矢理に引き剥がされた、木製の壁の一部分であった。
403 :
憂。:2001/06/29(金) 19:10 ID:h03kfRc2
崩れ落ちる平家の死体を見下ろして、後藤は言った。
「やっぱり本人が直接会いに行った方が、いいと思いますよ」
後藤は左手も両足も、壁と床ごと引き剥がした。コンクリートの欠片が零れる。
市井が息をついた。
「これでひとまずは安心かな。みっちゃんの粘着液は、水に溶かせば落とせるよ」
「そうですか」
だが後藤は動かなかった。彼女はじっと、手足を床に固定された市井紗耶香を見つめていた。
「どうし……」
どうしたの、と聞こうとして、市井は絶句した。
後藤の深い瞳の中に、抑えようとしても抑えきれぬ殺戮の歓喜が、今も尚、渦を巻いていたのだ。
「やっぱり、あなたには、大変、そそられますね」
壁の一部がへばり付いた右手を上げて、後藤は言った。平家のものであった血が滴り、市井の顔の横に落ちた。
「報酬は、お返ししますから、ねえ」
市井は必死に手足をもがかせて、それが決して床から離れないことを再確認する結果となった。
404 :
憂。:2001/06/29(金) 19:11 ID:h03kfRc2
後藤が床に膝をついた。右手を振り下ろせば、丁度市井の顔面に届く位置だった。
逃れられぬことを悟った瞬間、市井は全身の力を抜いた。その顔から焦燥と恐怖は消え、口元に自嘲の笑みが浮いた。
自分が依頼した相手に殺されるという皮肉故か、それとも自分の幸薄い人生に対するものであったのか。
彼女は目を閉じて、迫る死の瞬間を待った。
だが、五秒経っても、十秒経っても、その瞬間は来なかった。
三十秒待って、市井が目を開けた時、後藤は振り被っていた手を下ろし、寂しげな顔で彼女を見つめていた。
「どうしたの。私を殺すんじゃなかったの」
市井は尋ねた。
「いえ、それが、殺せません」
後藤の瞳から、先程の熱狂は失せていた。
405 :
憂。:2001/06/29(金) 19:12 ID:h03kfRc2
「そんなふうに覚悟を決められてしまっては、殺人鬼としては殺す訳にはいきませんね。
ですから、あなたには、私から一つ言っておきたい」
「何」
「そんなに簡単に希望を捨てちゃあいけませんよ。人生を諦めさえしなければ、
その先に良いことが待ってるかも知れませんからね」
真面目に語る後藤に、市井はプッと吹き出した。
「あんたって変な奴だね」
「そりゃもう、殺人鬼ですから」
後藤は微笑して立ち上がった。
「ではちょっとお待ちを。このベタベタを溶かしてから、あなたには洗面器を持ってきましょう」
市井に告げて、後藤は背を向けた。その後頭部からはみ出したものに気づいて、市井は躊躇いがちに言った。
「あの……大丈夫なの。脳が見えてるけど……」
「じゃあ、見ないで下さい」
後藤はにっこりと笑顔を返し、隣室へと消えた。
406 :
憂。:2001/06/30(土) 15:54 ID:ejCDkvkA
四十分後、後藤と市井は人気のない通りを選び、尾行されていないことを確かめつつ
目的の隠れ家に辿り着いた。古い二階建てのアパートで、入居者がいないのか草は伸び放題で、
木造の壁の一部が剥がれていた。抜け落ちた瓦が庭に散乱している。
「まあ、あんたの事務所よりはましかもね」
市井が控え目な感想を述べた。
後藤が電話して、石橋刑事に勧められた場所だった。警察内部にスパイが多数いることは石橋も知っており、
重要な証人を保護するために時折彼が用いている場所だという。
「そりゃ勿論、俺の出世のためだけどね。他の奴らとはやり方が違うだけさ」
石橋は電話口でうそぶいていた。
「その石橋って刑事は信用出来るの」
電話を終えて後藤が説明すると、市井は尋ねた。
後藤は首を捻った。
「まあ、良い人だとは思いますけど。ただ、私の知っている刑事さんは石橋さんだけですからねえ。
他の刑事さんは皆、良く知り合う前にお亡くなりになってしまうので」
「あんたが殺したんでしょ」
「そうとも言いますね」
後藤は澄ましたものだ。
407 :
憂。:2001/06/30(土) 15:59 ID:ejCDkvkA
アパートに近づいた二人は、亀裂の入った狭い通路を進んで一○六号の表札を認めて立ち止まった。
「ここですね。郵便受けの中に、鍵があるそうですけど」
錆の浮いた郵便受けを開いて後藤が中を覗き込む。鍵は内壁にガムテープで留めてあった。
中は六畳の台所と、同じく六畳の和室になっていた。まずまずの広さだが、その代わりボロい。
天井は二階を通り越した雨漏りの痕が染み付いている。和室の畳は長年の酷使によって凹んでいた。
窓は分厚いカーテンによって光を閉ざされている。
「電気は通ってるね」
電灯のスイッチを入れ、市井が言った。だが用心のためすぐに消す。
「おおっ、冷蔵庫があるぞ」
特大のスポーツバッグを床に下ろすと、後藤が興奮した様子で冷蔵庫に駆け寄った。
「おおおっ、食料だ、食料だ」
保存を第一に考えてか、レトルト食品や缶詰が大部分だったが、冷凍庫部分には肉も入っていた。
「嬉しそうだね」
呆れ顔で市井が言う。
「いやあ、この一週間何も食べてなかったもので」
「探偵ってそんなに儲からないの」
後藤の後ろから覗き込み、市井も冷蔵庫の中身を確認した。
「ガスも通ってるなら、料理してみてもいいね」
「おお、それはありがたい」
両手を合わせて拝む後藤に、市井は苦笑していたが、ふとあることに気づいて目を見開いた。
408 :
憂。:2001/06/30(土) 16:00 ID:ejCDkvkA
「あ、あんた……」
「え、どうかしましたか」
「き……傷が消えてるね。頭にも大きな穴が開いてたのに。服も、元に戻ってる。いつの間に……どういうこと」
「それは聞いてはいけないことになっているんですよ。なかなか難しい事情がありまして」
後藤は諭すように答え、それでこの話題は沙汰やみになった。
肉が自然に解凍されるまでには時間がかかるので、市井は米を炊いてレトルトカレーを温めた。
「私は五人分程お願いします」
涎を啜りながら後藤は頼んだ。
二人は台所の小さなテーブルで向かい合って昼食を食べた。
「なかなかおいしいですよ」
収まる皿がなく鍋に注いだカレーを大きなスプーンで掻き込みながら、後藤が褒めた。
「そう、ありがとう。レトルトだけどね」
市井は美しい眉を軽く上げてみせた。
「あんたは人生が楽しそう」
「そうですか。まあこれでも、生きていくというのはなかなか大変ですけどね」
「でも自分の人生を生きているように見えるよ。やってることの是非は別にして」
市井は疲れた吐息を洩らした。殺し合いの中で張り詰めていた糸が緩んだ時、
彼女は慣れぬ土地で迷子になった少女のように見えた。
409 :
憂。:2001/06/30(土) 16:04 ID:ejCDkvkA
「両親の顔は思い出せないんだ。幼い頃の記憶は、殺した人々の血で塗り込められてしまった。
私は自分の意志を持つことを許されず、組織のために人を殺し続けてきた。
自分が何者なのか、私は分からなくなるんだよ。私の人生って一体何なの。私は、何のために生まれてきたのだろうって」
寂しげに語る市井に、後藤は優しい視線を投げた。
二時間前に笑いながら敵を殺戮した時の血に狂った瞳とは、全く別の色を帯びていた。
「自分が何のために生まれてきたのか、知りたいんですか」
後藤が柔らかな口調で訊いた。
「ああ、知りたいね」
市井はテーブルに両肘をついて腕を立て、重ねた手の甲の上に顎を乗せた優雅な仕草を見せた。
「ならばお答えしましょう」
後藤は自信満々に胸を張り、彼女には似合わない尤もらしい口調で言った。
「あなたは、私にご飯を作ってくれるために生まれてきたんです」
市井はプッと吹き出した。
腹を抱えて笑い転げる市井を、後藤は好ましげに見守っていた。
410 :
憂。:2001/06/30(土) 16:05 ID:ejCDkvkA
一頻り笑い続けた後、滲んだ涙を拭いながら市井は言った。
「じゃあもしかして、私が生まれてきたのは、あんたにキスするためもあるのかな」
「勿論それも含まれてますよ」
頷いた後藤の唇に、立ち上がって身を乗り出した市井の唇が触れた。
二人は五秒程で離れた。市井の潤んだ瞳と、後藤の吸い込まれそうに深い瞳が、互いを真正面から見つめていた。
「カレーの味がしますね」
後藤が微笑して言った。
「あんたっていい奴だね。一言余計だけど」
市井は少女のように無垢な笑顔を返した。
外は静かだった。唯一の光源である台所の窓は曇りガラスで、外側には鉄の格子が填まっている。
「さて、今後のことなんですけど」
忙しくスプーンを動かしながら後藤が言った。
「最初に申し上げたように、私は守るよりも殺す方が得意ですし、逃亡生活も面倒なので、
ここは一気に片を付けた方が簡単だと思いますね」
「と言うと」
先に食べ終わった市井が先を促す。
411 :
憂。:2001/06/30(土) 16:06 ID:ejCDkvkA
「あなたが骸骨騎士団の本拠地をご存知なら、私が一人でそこを訪問すれば済むことです。
あなたはその間、ここにいればいいでしょう」
後藤が持ってきた特大のスポーツバッグには、マシェットと呼ばれる長大な鉈と、幅広の斧が収まっていた。
番号くじを入れた箱は爆発に巻き込まれて消失し、仕方なく後藤はオーソドックスな凶器を選んできたのだ。
マシェットには九番、斧には一番の紙片が貼られていた。
「随分と自信があるんだね。今日の戦いぶりを見れば、当然とは思うけど。でも、骸骨騎士団は甘くないよ」
市井は言った。
「襲撃部隊の全滅を知って、幹部連中が召集されてるだろうし、ボスの和田薫は正に怪物だよ。
幾らあんたがタフでも、一寸刻み五分刻みのバラバラにされて生きていられるかな」
「さあ、どうでしょう。まだ試したことがありませんので」
後藤に恐怖というものは存在しないらしい。
「今夜の内に石橋さんが来られるそうですし、皆でもう一度考えてみましょう」
「その刑事を信用するしかないね」
市井は溜息をついた。
「ただ、言っておきますけど」
後藤の瞳に、硬質な意志の光があった。
「骸骨騎士団を壊滅させるまであなたは安心出来ませんし、私は必ず実行するつもりです」
「……。そう。ありがとう」
市井の顔を掠めたものは、歓びであったのか、それともただの諦念であったのか。
412 :
憂。:2001/06/30(土) 16:07 ID:ejCDkvkA
「夕食はもう少しましなものが出来ると思うよ。楽しみにしてて」
「それはありがたいですね」
最後の一口を食べ終えて、後藤は頭を下げた。
「食器は私が洗っとくから」
「そうですか。私は道具の手入れが終わったら何もすることがないので、昼寝をしようと思います」
この状況においてもまるで緊張感を持たず、後藤は言った。
「ただ、一つ重要な問題がありますね」
「どうしたの」
「先程押し入れの中を確認したんですけど、布団が一組しかないんです」
真面目な顔で話す後藤に、市井はまた吹き出した。
やがて市井は蠱惑的な笑みを浮かべて立ち上がり、後藤の首に両腕を絡めてみせた。
「一緒に使えばいいんじゃない」
その後、夕食までに布団の上で繰り広げられた熾烈な戦いについては、筆舌に尽くし難いため、さておく。
い、いちごまだぁ〜・・・
414 :
名無し娘。:2001/06/30(土) 20:20 ID:bfOwzoaM
いちごまねぇ・・・。ちょっとがっかり。
415 :
名無し娘。:2001/06/30(土) 22:47 ID:TGAH2a3U
なんだぁ!?チューしちゃったよ・・・
いちごまっていってもこの後藤は「ヒト」を越えた存在だからなぁ・・・
一体何を考えて生きてるのだろうと真剣に思ってしまった。
416 :
名無し娘。 :2001/07/01(日) 01:24 ID:HPy5aOxY
417 :
416:2001/07/01(日) 01:25 ID:HPy5aOxY
418 :
モー娘。板に名無しさん(羊):2001/07/01(日) 01:25 ID:THZCWuEU
スマソ、保全age
420 :
憂。:2001/07/01(日) 02:14 ID:TJubUhQ6
夕闇の忍び寄る午後六時。市井紗耶香はフライパンの中身を掻き混ぜていた。
冷凍庫にあったグリーンピースと一緒に分厚く切った肉を焼いている。
炊飯器からは湯気が上がっていた。他のおかずは缶詰の秋刀魚と赤貝だけだ。
台所の電灯は点けてある。そこまで神経質にならなくてもいいだろうとの判断だった。
今のところ外では何の動きもなかったし、いずれ石橋がやってくるだろう。
「おはようっす」
「あら、起きたんだね」
眠たげな声に、市井はクスリと笑って振り向いた。その眉がひそめられる。
台所に入った後藤は、右手に幅広の斧を握っていたのだ。
「どうしたの」
「いや、どうしたという訳でもないんだけど、何だか妙な感じっすね」
後藤の口元から、いつもの面白がっているような笑みは消え、彼女は不思議そうに室内を見回した。
421 :
憂。:2001/07/01(日) 02:17 ID:TJubUhQ6
「嫌な予感がするっす。こんなことは滅多にないんすけど。
私の勘は普段、身を守ることよりも、相手を殺すことの方によく使われるんすよ」
「敵が近くにいるの」
市井の顔が緊張に引き締まる。彼女は椅子にかけてあった薄手のコートを急いで着た。
「さあ、どうでしょう。でも、油断しない方がいいっすね」
「夕飯はどうするの。もう大体出来てるけど」
「食べましょう」
後藤は力を込めて答えた。
皿を並べていた時に、玄関のドアを一度ノックする音がした。市井の動きが止まる。
それは弱い音であったので、或いは風に飛ばされたゴミが、ドアにぶつかっただけかも知れない。
「ちょっと下がっててほしいっす」
後藤は小声で市井に告げ、斧を握ってドアの前に立った。
ドアには小さなレンズの覗き窓がついている。後藤は身を屈めてそれを覗き込んだ。
いつもと違って慎重で、まともな行動だった。
422 :
憂。:2001/07/01(日) 02:18 ID:TJubUhQ6
レンズの先には誰もいなかった。
後藤は市井の方を振り向いて、肩を竦めた。市井はひとまず安堵の息をつくが、その緊張は拭えない。
少し待って、後藤はロックを外しドアを開けて顔を出した。周囲を見回すが、外は冷たい風が吹き抜けるばかりだった。
「誰もいないっすね」
ドアを閉めて鍵をかけ、後藤が言った。
「心配し過ぎかな。そう簡単に居場所が見つかることはないよね」
「さあ、どうでしょう」
後藤は釈然としない様子だった。
「嫌な予感が消えないっす。けど、まずは食事にしましょうか」
後藤は斧を置いてテーブルについた。
「そうだね。温かい内がおいしいし」
市井は茶碗に飯を装いながら、ふと首を傾げた。
「でも今の場面、何処かで見たことがあるような気がする。確か柴田が……」
愕然として振り向く市井に、早々と赤貝に箸をつける後藤が顔を上げた。
423 :
憂。:2001/07/01(日) 02:18 ID:TJubUhQ6
「あ、まだ食べちゃ駄目だったかな」
後藤の首を、赤い線が水平に走っていた。線に沿って、微妙に光を反射する銀色の小さな煌きが連なっていた。
「おりょ」
後藤が自分の首に触れようとした。その手が届く前に、後藤の首がぐらりと後方へ傾いた。
ぱっくりと開いた断面は首の全層を見せていた。後藤が不思議そうに眼球を下に向け、慄く市井を見た。
「柴田っ」
市井は引き攣った叫びを上げて右手を振った。後藤のすぐ後ろを狙った神速のブルーテイルは、
しかし空を切って壁に突き刺さった。頭部との繋がりを絶たれた後藤の左腕が後ろに振られた。
メチッ、と、肉のひしゃげる音がして重い気配が横に吹っ飛んだ。銀色の煌きが何もない筈の空間を揺れる。
後藤の頭が胴体から離れ、床に転がり落ちた。生首となった後藤の顔は、
何が起こったのか分かっていない惚けた表情で、目を開けたまま凝固していた。
胴体から血が噴き出した。後藤の胴体は、右手にまだ箸を握っていた。
424 :
憂。:2001/07/01(日) 02:20 ID:TJubUhQ6
壁から引き抜かれた菱形の刃が、銀色の光を散らす気配へ飛んだ。
しかしそれは空振りに終わり、逆に見えない鞭が市井の右手首を切り裂いた。
それは手首の内側を深く抉り、屈筋腱と神経と血管の大部分切断していた。血飛沫が撥ねる。
市井は苦痛に顔を歪めながらも、左手で右手首の傷を押さえるのではなく、反撃することを選んだ。
左手からもう一枚のブルーテイルが飛ぶ。しかし刃と左手の間の空間を、銀色の煌きが走り抜け、糸を切断した。
すっぽ抜けた刃は方向転換出来ず、奥の部屋の天井へ突き刺さった。
「無駄ですよ蒼蠍さん」
何もない空間からひねくれた声がした。それでも市井は左手でフライパンを掴んで投げようとした。
その左手首が正確に切り裂かれ、握力を失った彼女はフライパンを取り落とした。
「残念でしたね。良い医者に治療してもらえば神経は繋がるかも知れませんが、
もう二度とブルーテイルは使えないでしょうね。いや、どうせ今夜死ぬのだから意味がないですね」
銀色の煌きが濃くなり、やがて人間の形を取った。煌きが消えた時には、そこに灰色のスーツを来た女が立っていた。
彼女は自身の体を透明化させ、後藤がドアを開けた隙に中へ潜り込んだのだ。
425 :
憂。:2001/07/01(日) 02:21 ID:TJubUhQ6
「刑事が密告したの」
市井の問いに、柴田は笑って首を振った。
「刑事のことなど知りませんよ。これは一部の幹部しか知らない極秘事項ですけど、
構成員の体には超小型の発信機が埋め込まれているんですよ。貴方達が幾ら偽装工作をしようが無駄だった訳です」
市井は唇を噛んだ。両手の利かなくなった彼女には、もうなす術がない。
「やれやれ、この探偵はとんだ化け物でしたね。腕が折れちゃいましたよ」
柴田の右腕は力なく垂れ下がっていた。端正に整った顔はそれでも痛みより悦楽を示していた。
彼女の左腕には黒い鞭が握られていた。太さが数ミリしかないそれは、まんべんなくガラスの粉が擦り込まれており、
触れた部分で肉を切り裂くことが出来た。使い方次第では、後藤の首を落としたように、勿論骨も。
「まあでも、首と胴体が離れて生きている人なんていないですよね」
椅子に座ったままの後藤の胴体は、出血がほぼ止まっていた。
柴田が横から乱暴に蹴り付けると、後藤の胴体はぐにゃりと床に倒れた。
「それにしても、組織を抜けようなんて、血迷ったことを考えたものですね」
柴田は市井に向き直り、嘲笑するように言った。
426 :
憂。:2001/07/01(日) 02:23 ID:TJubUhQ6
「そうかな。私は自分の人生を生きることにしたんだよ。たとえそれが僅かな時間に過ぎなくてもね。
あんたは一生を組織のために捧げてそれで満足なの。それで自分の人生を生きたと言えるの」
両手から血を流れるに任せ、市井は強い口調で反論した。それは死を前にした断末魔にも似ていた。
「何を勘違いしているんですか。人生とはそんなものです」
柴田は昏く笑った。彼女はポケットから携帯電話を出して、登録された番号にかけた。
「来て下さい」
彼女が電話機に伝えたのはその一言だけだった。
やがて多数の足音が近づいてきた。ドアをぶち破ってフルアーマーの武装した男達が踏み込んでくる。
捕らえられ、両腕を縛られる間、市井は血溜まりの中で動かぬ後藤真希の体を見つめていた。
幹部らしい、真ん中分けで童顔の男が言った。
「勿体ないな。俺の女にしたかったんやけど」
427 :
憂。:2001/07/01(日) 02:23 ID:TJubUhQ6
市井は何も言わず、男の顔に唾を吐きかけた。
「威勢だけはええな」
真ん中分けの男がヘラヘラ笑いながら拳で市井の顔を殴った。
口が切れ、折れた歯を吐き出したが、市井は悲鳴一つ上げなかった。
「じゃあ、ボスの所へ連れて行って下さい。今夜は良いものが見れそうですね」
柴田が陰湿に唇を歪めた。フルアーマーの男達が市井の両脇を抱えて連行していった。
アパートには誰もいなくなった。ドアの壊れた出入り口から冷たい風が入ってくる。
数分の静寂の後、床に伏した後藤の胴体が、ヒクリと動いた。
右手が箸を離して、血溜まりの中、ゆっくりと、床の上をまさぐっていく。
自分の生首を探すように。
428 :
名無し娘。:2001/07/01(日) 02:27 ID:fdF1/GhA
>>428 もう見たよ。
ゴメンね、気をつけるよ。
430 :
憂。:2001/07/01(日) 18:29 ID:7eD5ZeA.
骸骨騎士団の本部へ向かって市井紗耶香を乗せて進むのは、黒と金で装飾された霊柩車であった。
内部は本来の構造と違い、意外に広く、両側には長椅子が据え付けられている。
市井は右の中央に座らされ、その両側を武装したフルアーマーの男達が固めていた。
向かい側には柴田や真ん中分けの男が座っている。霊柩車の前後は黒いベンツが数台走っていた。
霊柩車が出発してから二時間近くが過ぎ、市井は俯いたまま押し黙っていた。
真ん中分けの男に殴られた左頬が青黒く腫れ上がっている。両手首の傷は簡単に包帯が巻かれていた。
「棺桶がないね」
「そりゃそうですよ。貴方には棺桶など必要なくなりますからね」
市井と彼らとの間で交わされた会話は、最初のそれだけだ。
柴田と真ん中分けの男は楽しげに談笑を続けていた。
フルアーマーの男達は幹部の前で緊張して畏まっている。
霊柩車がガタガタと揺れ始めた。舗装されていない山道に入ったのだ。市井の顔が強張ったが、
彼女は涙も流さず、助けを求めて哀願することもなく、呪詛の叫びに狂うこともしなかった。
431 :
憂。:2001/07/01(日) 18:34 ID:7eD5ZeA.
やがて霊柩車は滑らかな道へ戻り、すぐに停止した。
「着いたで」
真ん中分けの男が言った。
後部の扉が開かれ、男達に腕を掴まれて市井は外に降りた。
満月が、彼らを静かに見下ろしていた。
緑に囲まれた緩やかに傾斜する敷地内に、広大な山荘がそびえていた。
木造の三階建て、窓には何故か鉄格子が填まっている。
「懐かしいですか、蒼蠍さん。貴方もここで訓練を受けた筈です」
柴田が言った。
市井は黙っていた。
「訓練生達にも、裏切り者の末路ちゅうもんをしっかりと教えとかなあかん。ボスはもう来とるみたいや」
鋼鉄製の大扉が内側から開いた。所々で壁に据え付けられた電球が陰鬱に廊下を照らす。黒服の男達が頭を下げる。
真ん中分けの男が先頭になって、市井を奥へと運んでいく。外観と違い、殺風景な内部は鉄筋コンクリートであった。
暫く進むとホールへと出た。正面に黒板があるのは何らかの講義やプレゼンテーションに用いるのだろう。
数十の椅子は折り畳まれて脇へ立てかけられ、ホールには百人近い主に黒いスーツを着た男達と、
五十人前後の子供達が整列していた。子供達の年齢は小学校低学年と思われるものから十七、八才まで様々だ。
成年に近い者達はこのようなことに慣れているのか、市井を見る顔にもうまく感情を隠していたが、
まだ幼い者達は緊張と怖れに震えながら泣きそうな顔で市井を見上げている。彼らのそんな表情と、
顔や腕の無数の生傷に、市井は寂しげな微笑を見せた。
432 :
憂。:2001/07/01(日) 18:37 ID:7eD5ZeA.
ホール正面の少し高くなったステージに、男達が台を設置しようとしていた。
二メートルを超える高さのフレームに、鎖で手枷がぶら下がっている。
その横に中型のドラム缶が置かれていた。中に詰まった焼け石の熱気が陽炎を作り出している。
そこには大型のやっとこのような器具が幾つも突っ込まれていた。
「処刑はここで行いますが、まずはボスがお待ちです」
柴田が言って、幹部連と数人のフルアーマーだけが市井を連れて更に奥へと進んだ。
薄暗い廊下を歩き、両開きの扉を開け、カーテンを押し分けて、彼らは黒い静寂の待つ一室へ足を踏み入れた。
「待っていたぞ、蒼蠍」
抑揚のない声が市井を迎えた。
正面の壇上に、中世の王族が座るような豪奢な玉座が据えられていた。張り詰めた空気の中、
居並ぶ十人近い幹部達がその前を微動だにせず直立している。幹部の内には、体に獣毛を生やしていたり
頭の両側に顔があったり体の輪郭が歪んでいたりする者もいた。
玉座に座る男・和田薫は、能面のように全く無表情な男だった。
白い肌には艶もなく、唇も薄く、細い目は無感動に正面だけを向いている。
ゆったりとした白い衣を纏っているが、特に装飾品らしき物は着けていない。
433 :
憂。:2001/07/01(日) 18:38 ID:7eD5ZeA.
「もう蒼蠍じゃない。市井紗耶香だよ」
壇の前に引き立てられて、それでも敢然と胸を張り、市井は言った。
柴田達は他の幹部の横に並ぶ。柴田は右腕が折れているが、治療よりも首領の側に控えていることが
重要なことであるらしい。彼らの顔は緊張に引き締まっている。
「おかしなことを言うな」
和田薫は独り言のように喋った。
「お前に名前なんて存在しない。お前は組織のために作られた道具であり、
ただの殺人機械だ。心など持つことを、私は許してないぞ」
「あんたの許可なんか要らない。私は私だよ。自分の意志で生きる」
市井は叫んだ。世界中にその声を届けようとするかのように、力強く。
幹部連は、黙って二人のやり取りを見守っていた。機械のように表情を消し去って。
「とんだ不良品が出来てしまった」
和田薫は、怒る訳でもなく、まるで表情を動かさずに呟いた。
「二度とこんな質の悪い道具が出来ないように、製造工程の段階からきちんと手を入れておかなければ」
434 :
憂。:2001/07/01(日) 18:40 ID:7eD5ZeA.
市井は口を開いて何か言おうとした。だがその瞬間白い線が彼女の顔を掠め、その動きを止めた。
その右頬が深く切り裂かれ、形の良い耳が完全に上下に分断されていた。恐ろしく鋭利な切り口だった。
市井は悲鳴を上げなかった。歯を食い縛って彼女は耐えた。傷口から血が溢れ出し、顎を伝って落ちていく。
和田薫の額に、長い槍のような物が生えていた。肌と同じ色をしたそれは
五メートル以上も直線的に延びていたが、すぐにスルスルと引き戻され、額の皮膚に吸収された。
能面のような顔が、不気味に蠢動していた。まるで皮膚の下で、無数の虫が踊っているように。
「処刑の用意は出来ているか」
何事もなかったように和田薫が尋ねた。扉の近くに立っていた黒服が深々と頭を下げた。
「ははあ、準備は整っております」
和田薫がゆらりと立ち上がった。
「では、そろそろ始めることにしよう。今回は、熱したペンチで少しずつ肉をちぎり取っていく方法だ。
百回済むまで、殺さないようにな」
435 :
憂。:2001/07/01(日) 18:50 ID:7eD5ZeA.
「和田薫」
市井紗耶香は、世界有数の暗殺組織・骸骨騎士団の首領に言った。
「くたばれ」
凡そ上品とは呼べぬ言葉に、幹部達は色を失った。恐る恐る彼らが見上げた先で、当の和田は無表情に立っていた。
「ク。ク」
薄い唇の間から、不気味な笑い声が洩れた。
「道具が勝手に喋る。ク。ク。ク」
彼の顔と、露出した両手の表面が、モコモコと波立った。
「連れていけ。面倒だが、私も同席しよう」
和田が命じた時、部屋の外で男達の騒ぐ声が聞こえてきた。
「どうした」
幹部連の内、感覚の鋭敏らしい数人が眉をひそめる。
扉が勢い良く開いて、拳銃を握った男が飛び込んできた。
436 :
憂。:2001/07/01(日) 18:51 ID:7eD5ZeA.
「大変です。妙な女が入ってきて……」
「人数は」
首領の問いに、男は顔を歪めた。
「そ、それが、一人です」
「馬鹿か。殺せば済むことだ。わざわざそんなことで報告に来るな」
和田の声に、僅かに苛立ちが含まれていた。
「それが、銃が全く効きません。今、構成員が総出で迎え撃っていますが、斧と鉈を持って、す、凄い勢いです」
市井は何も言わなかったが、その顔に希望の色が浮かんでいた。
ただの安堵とは異なるそれを横目で見ながら、和田は呟いた。
「全く、役に立たん道具ばかりだ」
部屋の外の喧騒が恐慌に変わっていた。銃声に混じって、男達の悲鳴がすぐ近くに聞こえてくる。
幹部連中がそれぞれの武器を構えた。真ん中分けの男がナイフを握り、出入り口へ向かって恐るべきスピードで跳躍した。
カーテンを引き裂いて、刀のように長い鉈が出現した。それは空中の男の脳天から股間までを両断し、
拳銃を構えた男の頭まで割っていた。死体がベチャリと床に叩き付けられ、幹部達のどよめきが上がる。
鋭い目をした男がライフルを構えた。銃声。破れたカーテンを絡み付かせて現れた女の胸に、
大口径のライフル弾が風穴を開けていたが、女は平然と立っていた。
437 :
憂。:2001/07/01(日) 22:00 ID:9i1DoUqI
「こんちはーっ」
叫ぶ女の右手には幅広の斧が、左手にはマシェットが握られていた。どちらの凶器も、
何人の肉を切ってきたのか血塗れだ。シャツには無数の弾痕が残り、自分の血と返り血とで赤く染まっていた。
首に水平な傷が走っていたが、それは裁縫用の木綿糸で乱暴に縫い止められていた。
「皆さん初めましてーっ」
女は後藤真希であった。彼女の目はいつもの眠たげなそれではなく、凄まじい光を放っていた。歓喜ではなく、憤怒の。
その喋る内容に関わらず、後藤は、怒っていた。市井の頬の傷を認めて、更にその炎は強くなった。
続けてライフルの男が発砲した。後藤の額に穴が開き、後頭部から骨と血と脳が飛び散った。
だが後藤は両手の武器を振り被って、そのまま部屋に飛び込んだ。
「な、何故っ」
柴田が左手で鞭を振った。それは再び後藤の首に巻き付いたが、透明化する暇もなくマシェットに切り落とされた。
不死身の侵入者に驚く男達の隙を衝いて、市井が出口へ向かって駆け出した。
和田薫の顔面と両手がさざめいた。その三ヶ所から目にも留まらぬスピードで伸びたのは、数十本の白い槍だった。
その大部分が貫いたのは市井の背中ではなく、彼女を庇って前に出た後藤の胸だった。
槍が背中から突き抜けて市井を襲う前に、後藤の斧とマシェットが槍を叩き折った。
槍の半数が、折られる前に素早く退いていった。
438 :
憂。:2001/07/01(日) 22:02 ID:9i1DoUqI
「殺せ」
無表情に和田薫が命じた。我に返った幹部達が動き出した。
「走るっすよ。でも気をつけて、まだ敵は残ってるっす」
幹部達の刃と爪と銃弾を一手に引き受けながら、後藤が市井に告げた。
「良く生きてたね。どうやってここに」
駆けながら市井が聞いた。そのすぐ側を後ろ向きに走りつつ、後藤が答える。
「少し遅れてから、走ってついていったっす。やっぱり車に徒歩では追いつけなかったっすね」
後藤は笑った。銀色の煌きが迫り、後藤の顔を斜めに切り裂いた。後藤が斧を投げると、
何もない筈の空間に血飛沫が飛んで、見えない気配が後方の幹部達に叩き付けられた。
ホールは血の海だった。そこにいた者の半数近くは既に死んでいた。
後藤は空いた右手で男の死体を引っ掴み、市井の前に翳した。無数の銃弾が死体を貫いた。
市井の左太腿と右の脇腹を銃弾が掠めたが、彼女は呻き声一つ洩らさなかった。
ホールから玄関までは死体だけだ。銃声の中、マシェットを振って男達の首を撥ねながら後藤が叫んだ。
「先に逃げるっす」
「あんたは」
喧騒の中、市井が叫び返す。
「私はもう少しここで楽しんでいくっす。別に、奴らがあなたを傷つけたことの、
復讐をする訳じゃないっすよ。殺人鬼は私怨で動いちゃいけないんだから」
ホールの出口を塞ぎ、後藤が市井に微笑んだ。その目は、言葉とは違う内容を語っていた。
439 :
憂。:2001/07/01(日) 22:04 ID:9i1DoUqI
背後に向かって放り投げた死体が、銃撃する男達を叩き潰す。
市井は、何ともいえない表情を見せた。
「子供達は殺さないで。あの子達は、昔の私だから」
「分かったっす」
後藤はホールへ向き直りざまにマシェットを振った。それは獣人の首を太い腕と一緒に完全に切断していた。
市井は玄関へ向かって走った。
その足元で、ガタン、と、不気味な、音が、した。
後藤は市井の方を振り向いた。シャツの背中を無数の銃弾と刃が襲う。
市井は、廊下にいなかった。
廊下の床に、五メートル四方の穴が開いていた。
後藤の顔が、凄まじい恐怖に歪んだ。マシェットを振り捨てて彼女は落とし穴の縁に走った。
底知れぬ深い穴を落下していく、市井紗耶香の姿が見えた。
「市井ちゃーんっ」
後藤が叫んだ。後藤は、初めて彼女の名前を呼んだ。次の瞬間には、自ら穴の中へ飛び込んでいた。
440 :
憂。:2001/07/01(日) 22:05 ID:9i1DoUqI
落ちていく市井の目が、後藤の方を見た。その顔は絶望から諦念へ、そしてある種の歓びへと変化していった。
穴の壁を蹴って下向きに跳躍した後藤は、自由落下を続ける市井の体を両腕に抱き止めた。
落とし穴は信じられない程深くまで続いていた。二人は頭を下にして何処までも落ちていく。
後藤はその先に、垂直に突き出した無数の棘を認めた。白骨死体の先客が幾つか刺さっている。
この高さから落ちて、市井の体を守れる筈がない。
「すまないっす」
市井の頭を胸に抱いて、後藤は呻いた。
「いいんだよ」
目を閉じて市井が答えた次の瞬間、二人は鋼鉄の槍衾に叩き付けられていた。
無数の尖った先端があっけなく二人の体を貫通し串刺しにした。滲み出した血が棘を伝い、床を濡らしていく。
遥か上方から穴の底を覗き込み、誰かが呟いた。抑揚のない声は、和田薫のものだった。
「落とし穴を使うのは三十年ぶりか」
「死体は引っ張り上げますか、ボス」
別の誰かが尋ねた。
「いや。腐るがままにしておけ」
静かに蓋が閉じられて、真の闇が訪れた。
441 :
名無し娘。:2001/07/01(日) 22:21 ID:w6AF43Rk
おわり?
442 :
名無し娘。:2001/07/01(日) 23:15 ID:HnUWSpdU
えっ?マジでここでおしまいなわけ?二人ともお亡くなりに?
あ、後藤は死なないか。
443 :
名無し娘。:2001/07/01(日) 23:16 ID:X4P6VhlA
クライマックス残して終わるはずないよ。
つか、今後さらに凄まじい展開になりそうだな。
激しく期待。
444 :
:2001/07/02(月) 06:20 ID:EXVpy6eg
445 :
憂。:2001/07/02(月) 22:42 ID:UZ3OpFDA
骸骨騎士団の構成員達は後始末に取りかかっていた。ホールから死体の山を運び出し、
床や壁の血を拭っていくが、なかなか血痕は落ちなかった。濃い血臭は今も屋内に漂っている。
今夜の処刑劇のために集められた構成員の約半数が、たった一人の殺人鬼の手にかかって殺されたのだ。
若い訓練生も、後藤に近寄った者は全員死んでいた。
「早くしろや、餓鬼共」
真ん中分けの男が、雑巾で床を拭いている少年の横腹を蹴り付けた。おそらく腹いせの意味が強かっただろう。
まだ十才くらいの少年は、腹を押さえて転げ回った。顔色が真っ青になっていくのは、内臓が破裂したのかも知れない。
サングラスをかけた細身の男が言った。
「全く、大変なことになったな。こんな被害を蒙ったのは、骸骨騎士団の歴史でも初めてのこととちゃうんか」
「立て直すまで、俺達幹部は大忙しって訳やな」
真ん中分けの男が忌々しげに応じた。
446 :
憂。:2001/07/02(月) 22:44 ID:UZ3OpFDA
「あの……」
八才くらいの少女が、幹部達におずおずと声をかけた。二人の男が振り返る。
「何や」
「下から、変な音が聞こえてきます」
「下ってのは何処や」
細身の男が訊くと、少女はホールの外を指差した。玄関への廊下の途中。落とし穴の位置。
サングラスをかけた細身の男と真ん中分けの男は、互いの顔を見合わせた。
二人の幹部は落とし穴の縁まで進み、蓋の上に耳を寄せた。
「何も聞こえへんな」
細身の男が言った。
「いや……。何か声がするで。開けろとか言っているみたいやけど」
男達の間に緊張が走る。
「奴が生きとるんか」
「たいせー、兵隊を呼んで来い。急いでや」
真ん中分けの男が細身の男に告げ、耳を更に強く蓋に押し付けた。
「いや……開けろ、とちゃうな。アケロペ、と聞こえる。どういう意味や」
447 :
憂。:2001/07/02(月) 22:45 ID:UZ3OpFDA
やがてぞろぞろと男達が集まってきた。何人かは急いでフルアーマーを装着しようとしている。
数十の銃口が、落とし穴の蓋に向けられる。
「まこと、ボスには伝えるか」
細身の男が訊くと、真ん中分けの男は顔をしかめた。
「俺達だけでやろう。また無能呼ばわりされるのが落ちや。……いや、伝えて来い」
黒服の男が奥へ駆けていく。
「声が近づいてくるな。何を言っとるんや。アケラベって何や。呪文か」
既に幹部連も落とし穴の周囲に揃っていた。幼い訓練生は遠巻きにそれを見ていた。
重苦しい緊張が、その場を支配していた。
真ん中分けの男は蓋の上に、ぴったりと頭を付けていた。
「何を言っとるんや。アケロ……」
「アケロパニャー」
分厚い鋼鉄の蓋が突然ぶち破れ、下から人間の手が現れた。
それは真ん中分けの男の頭を掴んで強く引っ張った。ブヂブヂ、と、嫌な音がした。
448 :
憂。:2001/07/02(月) 22:46 ID:UZ3OpFDA
「うおっ、まこと」
真ん中分けの男の頭が引きちぎれて蓋の下へと消えた。男達の銃を構える手に力が篭った。
細身の男が両手にナイフを握り、鋭い目の男がライフルを構えた。
まことの首から洩れる血が蓋と床を濡らしていく。
蝶番が逆方向に捻じ曲がる不気味な軋みを上げ、ゆっくりと、蓋が上に、開いていった。
のっそりと穴から這い出した後藤真希に、誰一人、攻撃を仕掛けることが、出来なかった。
そうさせない圧倒的な何かが、その時の後藤にはあった。
後藤は、市井を背負っていた。脱がせた市井の服を帯にして二つの体を結びつけていた。
白いシャツは無数の穴と裂け目が出来、真っ赤に染まっていた。
後藤は、息を詰めて見守る男達の前で、静かに帯を解き、市井の体を床に横たえた。
449 :
憂。:2001/07/02(月) 23:34 ID:UZ3OpFDA
「死んでしまった」
ポツリと、そう、後藤は呟いた。
市井の体は血で染まっていた。その首筋にも、鉄の棘が貫通した傷が開いていた。
「もう、動いてくれないんだ」
市井の目は閉じられていた。血に塗れていたが、安らかな、何処か満足げな、死に顔だった。
後藤の顎の先から、液体が滴り落ちて、その顔を濡らした。
それは、透明な液体だった。
「もう、ご飯を作ってくれないよ。もう、キスもしてくれないよ。何を言っても、返事もしてくれないんだ」
後藤の口調は飽くまで静かであった。だが、彼女を取り囲む男達の膝は、小刻みに震えていた。
何を感じているのか、彼らの殆どは恐怖に顔を歪め、今にも悲鳴を上げて逃げ出しそうだった。
「私は、泣いてなんかいないよ。これは、涙じゃないよ。殺人鬼は、泣いちゃいけないんだ」
後藤がゆらりと立ち上がり、右手の指を、自分の顔の左側に突き立てた。
皮膚が破れ、メチメチと音を立てて、剥がれていった。表情を隠そうとするかのように。
450 :
憂。:2001/07/02(月) 23:37 ID:UZ3OpFDA
「私は別に、復讐をするんじゃないんだ。だって、殺人鬼は、私怨なんかで、人を殺しちゃいけないんだから。
でもね、誰が、この人をこんなふうに、したのかな」
ライフルを構えていた鋭い目の男が、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「だーれーかーなー」
後藤は左手も使って、皮膚と肉の間に指を差し入れ、完全に自分の顔を、引き剥がした。
「アケロパニャー」
血みどろの人体標本と化した後藤の口から、力の抜けるような声が洩れた。
その瞼を失った瞳の奥に、無限の宇宙空間にも似た冷たい闇が覗いていた。
「どうした」
ほぼ同時に、ホールの奥から和田薫の抑揚のない声が聞こえてきた。
それが合図となったように、男達は一斉に発砲した。
彼らがいつも行う、相手を事務的に殺害するための正確な射撃ではなく、
まるで得体の知れない恐怖から逃れようとするかのような、出鱈目な攻撃だった。
451 :
憂。:2001/07/02(月) 23:39 ID:UZ3OpFDA
瞬間、後藤の体が爆発したように見えた。無数の弾丸によって肉を削られ血飛沫が周囲に撥ね飛んだ。
腹部が破れ、傷だらけの腸がはみ出した。恐慌に駆られて連射された弾丸は、向かい合わせに立つ仲間達の体も傷つけていた。
筋肉が削れ骨の見える顔で、後藤が言った。
「アケロパニャー」
後藤の姿が霞んだ。手始めに、落とし穴の向こう側に立つ男達の只中に飛び込んで、
先頭の男の頭を素手で引きちぎり、その隣の男の首を手刀で叩き折った。
「うわわわわっ」
「化け……」
悲鳴が廊下を埋めた。後藤は男の腹に手を突っ込んで内臓を抉り出し、
別の男の目に突き入れた指でそのまま頭蓋骨を分解した。逃げようとする男達に凄まじい勢いで死体を投げ付けて、
倒れた男達の頭を次々に踏み潰した。落とし穴の玄関側にいた男達十数人が全滅するまで、七秒しかかからなかった。
「殺せ」
静かに和田薫が命じた。
「アケロパニャー」
後藤が奇声を発した。今や彼女の全身で、爆ぜた肉が露出していた。落とし穴を軽々と飛び越えて迫る後藤の頭を、
鋭い目の男のライフルが撃ち抜いた。脳が散った。だが後藤のスピードは衰えず、ライフルの男の首を引きちぎった。
452 :
憂。:2001/07/02(月) 23:40 ID:UZ3OpFDA
「この……」
細身の男のナイフが閃いた。後藤の首筋と右腕が深く裂けた。
平然と繰り出された後藤の拳を後ろに跳んで避けたが、密集した他の雑魚達に遮られて退路を失った。
「アケロパニャー」
後藤の右手が細身の男の胸を突き抜けて、更に後ろの男の頭を砕いていた。
狂ったように撃ち出される銃弾は、後藤の体と細身の男の死体と他の仲間達の体を肉塊へと変えていく。
ナメクジのように天井にへばり付いていた男が、音もなく後藤に向かって落ちてきた。
男の握り締めた細長いダガーは、後藤の頭頂から顎の下までを貫通した。
「アケロパニャー」
後藤は左手を上げて男の両腕を纏めて掴んだ。引き抜いた時に刃が後藤の頭蓋骨を更に削ったが、
それは後藤にとって何の意味も成さなかった。男の体ごと左腕を振り回し、四、五人の男達の頭を腕を胸を叩き潰した。
細身の男の残骸を投げ付けられ、二人が首と背骨を折って死んだ。太った男が口を窄めて霧状の液体を吹きかけた。
それは後藤を含めて数人の体にかかり、煙を上げて肉体を溶かし始めた。
453 :
憂。:2001/07/02(月) 23:43 ID:UZ3OpFDA
「アケロパニャー」
後藤の残った衣服が顔の肉が胸の肉が腕の肉が溶けて、骨が露出してきた。
それでも後藤の動きは変わらなかった。左の手刀で男の膨れた腹を突き破ると、
透明な液体が溢れ出して男自身の体を焼いた。後藤の左手は肉を失って完全に骨だけになった。
「アケロパニャー」
他の雑魚達は我先にと逃げ始めた。白い閃光が踊り、逃げようとした者達の全員がズタズタの肉塊となって崩れ落ちた。
「馬鹿め」
敵前逃亡する部下達を殺したのは、和田薫の槍と化した皮膚だった。
後藤は屍の山を踏み越えて、ホールに入った。
ホールは、泰然と立つ和田と、その前に並ぶ二人の幹部と、隅で震えている幼い訓練生達だけになっていた。
「アケロパニャー」
後藤が奇声を発しながら和田に向かって躍りかかった。
「ダニエル、アヤカ。行け」
和田の指図で、二人の幹部の内、屈強な体格をした外国人らしき女が手首を折り曲げて、両腕を後藤に向かって上げた。
両前腕から発射されたのは小型のミサイルだった。高速で迫るそれらを、後藤の両手が掴み取っていた。
だが弧を描いて飛来した輪状の刃物が後藤の左腕に食い込み、骨だけの指がミサイルを取り落とした。床が爆発した。
454 :
憂。:2001/07/02(月) 23:50 ID:UZ3OpFDA
「アケロパニャー」
後藤は右手に持ったミサイルを、サイボーグである屈強な体格の女へ投げ返した。
咄嗟に盾にした左腕が爆発して金属の破片が散る。もう一人の幹部は顎がしゃくれていた。
チャクラムと呼ばれる輪状の刃を握り、素早く後藤の横へ回り込みながらそれを投げる。
一枚が後藤の首に、もう一枚が背中に減り込んだ。次のチャクラムを取り出そうと懐に手を入れた時、
すぐ側に後藤が迫っていた。顎がしゃくれた女は横に飛び、忍者のように壁を駆け上がった。
その首を切り落としたのは後藤の投げたチャクラムだった。
「アケロパニャー」
ほぼ髑髏を剥き出しにした顔で、後藤は言った。左腕を失ったサイボーグの胸部が開いた。
獣じみたスピードで迫る後藤に四条の熱線が伸び、あっけなくその胸と腹を貫いた。
残った肉が焼け、ちぎれた肝臓が胴体から滑り落ちる。
「アケロパニャー」
後藤は倒れもせず、減速もしなかった。サイボーグの前に立った後藤は両手でその頭部を挟み込んだ。
ベキャッ、と、鋼鉄の頭部が潰れて脳がはみ出した。
崩れゆくサイボーグの体ごと、数十本の白い槍が後藤の体を貫いた。
単なる直線的ではなく、微妙に方向を変えながら伸びる槍は、後藤の全身の肉を更に削り取っていった。
「困ったものだ」
和田は能面のような顔を崩さず、何でもないことのように言った。彼は衣服をはだけ、のっぺりした上半身を曝け出した。
455 :
憂。:2001/07/02(月) 23:53 ID:UZ3OpFDA
「私の体を血で汚さねばならないとは」
「アケロパニャー」
二人の魔人は、この状況にそぐわない言葉を交わした。
後藤の体は、ズタズタになった内臓の欠片と薄い筋肉が残っただけの、骸骨に近かった。
これで生きているのが不思議だった。
その後藤が先に動いた。真正面から異常な速度で和田へ向かって突進する。
和田の全身の皮膚が盛り上がった。先程の倍以上、百本を超える槍が、全身針鼠の如く後藤へ向かって神速で伸びた。
その全てが、狙い違わず後藤の体を貫いていた。
ベキベキ、と、音がした。
それは、後藤の肋骨や右腓骨や左上腕骨や右尺骨や骨盤や頭蓋骨の一部の砕ける音であった。
それは、和田薫の槍を模した皮膚が、後藤の力によってその過半数を折られる音でもあった。
「ぐおおう」
和田が呻いた。彼の武器は同時に彼の肉体の一部であり、あまりに大量の槍を折られ過ぎた。
引き戻された槍が皮膚に同化するにつれ血が滲み出していく。
その時には既に、後藤が目の前にいた。荒涼とした冷たい風が、後藤の瞳の中に吹いていた。
456 :
名無し娘。:2001/07/02(月) 23:55 ID:1W8jwaO.
後藤、とうとう顔の皮膚まで剥がしたか・・・
この小説、後藤のゾンビさが一番怖いんだけど。
457 :
憂。:2001/07/03(火) 00:11 ID:WiqCUfiU
骨だけの左手が、和田の腹部に突き刺さった。
「ぐぶうっ」
「アケロパニャー」
後藤は右手を突き刺したまま、更に上へと動かした。腹が胸が縦に裂け、顎の下から抜けた。大量の血が噴き出した。
だが和田の皮膚がもう一度蠢いた。数十本の槍が後藤を襲う。一本は後藤の左目を貫いて後頭部から抜けた。
それに構わず、後藤の右手が和田の顔を掴んだ。能面のような顔に初めて怒りと恐怖が走る。
「アケロパニャー」
後藤は力を込めた。和田の顔が左右に潰れ、眼球が飛び出した。鼻と口から血が噴き出した。
「アケロパニャー」
後藤はもう一度言った。和田の手足は痙攣を始めていた。後藤は指が伸ばされたまま動かぬ左手を横に振った。
それは和田の首筋に食い込み、肉を裂き、骨を叩き切り、完全に切断してのけた。
「アケロパニャー」
後藤は奇声を続けた。和田の潰れた生首を床に叩きつけ、更に左足で踏みつけた。生首の厚さが一センチになった。
「アケロパニャー」
最後の奇声と共に、後藤は両手を和田の胴体を走る縦の傷に差し入れた。
両腕を横に広げると、日本最大の暗殺組織・骸骨騎士団の首領である和田薫の胴体が、完全に二つに裂けた。
458 :
憂。:2001/07/03(火) 00:13 ID:WiqCUfiU
左右に分かれた胴体を投げ捨てて、薄い肉の絡まった骸骨となった後藤は、暫くの間、その場に立ち尽くしていた。
ホールの隅では、幼い訓練生達が恐怖のあまり泣きじゃくりながら、かといって逃げることも出来ず、寄り添いあって蹲っていた。
後藤の髑髏の顔が、ふと、彼らの方を向いた。
「ヒイッ、た、助けて」
十才くらいの少女が悲鳴を上げた。少女を、その中では年長の部類に入る、十五才くらいの少年がしっかりと抱き締めた。
「大丈夫だ。大丈夫だから」
少年は自らの震えを止めることも出来なかったが、それでも少女を安心させようと諭していた。
子供達を見下ろす後藤の右目に、さっきまでの冷たい色は消えていた。
後藤は無言で背を向けた。まだ震えている彼らを残して、後藤はホールを出ていった。
静かに屋敷を出る後藤の腕の中に、安らかに目を閉じた市井紗耶香の死体があった。
彼女は残った右目で市井の顔を眺めながら、山荘を去った。
459 :
憂。:2001/07/03(火) 00:14 ID:WiqCUfiU
後藤真希は、いつまでも、市井紗耶香の死体を部屋に横たえていた。
市井の死体が腐乱して蛆が湧くようになっても、後藤は暇があれば彼女を眺め、時折その体を優しく抱き締めるのだった。
市井の死体が肉を失い、ただの骨になっても、後藤はいつまでも、彼女を眺め続けていた。
460 :
憂。:2001/07/03(火) 00:19 ID:WiqCUfiU
住宅街の中にあるコンビニエンスストアには、いつの時間帯にも何人かは客がいる。
特に、学生が登下校する朝と夕方は客で溢れ、雑誌の区画は立ち読みする学生達でぎゅうぎゅう詰めだ。
ただし彼らの多くは立ち読みするだけで、何も買わずに出ていくが。
レジで大量の客をこなし、一息ついた後藤真希に、同じくバイトの加護亜依が声をかけた。
「後藤さんも、そろそろコンビニの仕事に慣れてきたんとちゃいますか」
「そうですね」
後藤はちょっと寂しげな微笑を浮かべて答えた。水色の制服は、彼女には不似合いだ。
「本業で仕事がなくても、こうやって地道にやっていれば生活費だけは稼げますからね」
「でも、後藤さんは探偵でしたよね。探偵ってそんなに儲からないんですか」
「何故か、儲かりませんねえ」
後藤はしみじみと溜息をついた。
「関係者の人達が、ちょっとした拍子に死んでしまってねえ。なかなかお金が払われないんです」
「へえ、大変ですね」
461 :
憂。:2001/07/03(火) 00:21 ID:WiqCUfiU
などと喋っている間に、若い女性客がスナック菓子を持ってきた。
バーコード読み取り機を当てて、液晶の表示板を見て、後藤はにこやかに言った。
「二百四十四円ですね」
客は五千円札を一枚出した。
後藤は受け取って金額を入力し、九千七百五十六円を返した。
「ありがとうございましたー」
客が出ていった後で、加護が後藤に言った。
「後藤さん、今の客って、五千円札やなかったんですか」
「え、何でしょう」
後藤が怪訝な顔で聞き返す。
「いや、客が出したの、五千円札でしたよ。後藤さん、一万円札と思って、お釣りを出し過ぎたんとちゃいますか」
「ありゃりゃ、そうだったんですか。どうしましょうかねえ」
そう言っている間に、さっきの客は待っていたスポーツカーの助手席に乗り込み、到底追いつけない距離へ消えていた。
「ありゃあ」
462 :
憂。:2001/07/03(火) 00:23 ID:WiqCUfiU
「おい、後藤」
二人のやり取りを聞いていたらしく、向こうで商品を整理していた店長が言った。
「なら五千円、お前の給料からさっ引くから」
後藤の顔が、泣きそうに歪んだ。
「うえーん」
制服姿のまま、後藤はコンビニを飛び出していった。
「後藤さん……」
心配そうに呟く加護に対し、店長は何でもないように言った。
「大丈夫だよ。どうせお腹が空いたら戻ってくるさ」
一時間後、後藤真希は申し訳なさそうに戻ってきた。ただし、その制服には血が付いていた。
翌日コンビニに着いた朝刊の一面に、昨日街で暴れ回った殺人鬼の記事が載っていた。
水色の制服を着た謎の殺人鬼は、手斧を振り回して二百七十三人を殺害したということだった。
【終】
なんか、せつない。
しかし、次も期待してます。
464 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 01:41 ID:kfk7tPvg
感動を伝えたいのに、上手い言葉が見つからない。
自分のボキャの少なさがもどかしい。
465 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 17:58 ID:qtGs3cdE
市井を殺したのは、
いちごまが不評だったからとおもわれ
466 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 18:33 ID:5HzO.u9A
とっても良かったです。切なくて、素晴らしい話でした。
467 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 19:26 ID:FH1v9YPo
468 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 20:58 ID:o0AAY5so
いちごまがぁ・・・。ちょっとがっかり。
469 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 23:11 ID:2KsDfqgE
いちごまが泣かせどころ、
っていうか後藤が爆発するための発火点だから、
市井が死ぬのは仕方ないとして。
>>455 「これで生きているのが不思議だった。 」
って一文は不必要だと思った。
今まであれだけ凄い展開だったんだから、
今さら不思議といわれてモナー・・・
470 :
名無し娘。:2001/07/03(火) 23:17 ID:kdhJb576
切ない・・・
いちごまは随分不評だね・・・
これで最終話?
471 :
憂。:2001/07/04(水) 14:49 ID:ss8Fhvtg
いろんな指摘があるけど、それらは全て「書くのを急ぎすぎた」って事に尽きるね。
残りのキャラで一話分書くためにいちごまにせざるを得なかったのも、
余計な描写があったりしたのも、もっと焦らずに書けばなんとかなった気がする(今更言い訳がましいけど)
そういう意味で、最終話は反省が多くて個人的には有意義だった。
さすがに疲れたし、ネタもないけど、また何か書きたいとは思ってる。
それが三部作や「Manslaughter」の続編なのか全く違う作品なのかは分からないし、
もしかするとホラーからも離れるかもしれないけど、まあ、頑張るよ。
がんばれ!
楽しみにしてるよ!
473 :
名無し娘。:2001/07/04(水) 18:51 ID:Hbjq0XIw
最後がいちごまでよかった。市井が死ねのはしょうがないか…
474 :
名無し娘。:2001/07/05(木) 00:07 ID:E/13uERg
指摘があることは良いことですよね。
これだけの量の文章をこのペースでアップしていくのには、
大変な労力がいると思います。素晴らしかったです。
これからまた書かれるなら、ぜひ読みたいですね。
頑張ってください!
475 :
名無し娘。 :2001/07/06(金) 23:59 ID:9b22Ww2M
hozem
476 :
名無し娘。:2001/07/07(土) 12:49 ID:8RXXnaqs
477 :
名無し娘。:2001/07/08(日) 22:37 ID:Igb8CSeI
age
478 :
名無し娘。:2001/07/08(日) 22:45 ID:uhSuF7Qo
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 ̄ ̄( ̄ ̄//// | ∴ ノ 3 ノ < 今こそ呪われし魔都(東京)を灰燼に帰す!
 ̄(//// ̄ヽ ノ \________________
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ゴ オ ォ ォ …… ! ! \\ ;": ..;.;".;":
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从へ从へへ从 ; ζ | Γの | |;:.. |从Γ | | \\ ∠____/|
( ⌒( ⌒ ) ζ | 从穴 | |.:;. |从Γζ.;"._ \\|ソフマップ| |
( ⌒ ⌒ ⌒ ); | ΓΓ | |.;;::|ΓΓ | | ( 从へ;: |从ΓΓ| |
Σ( ⌒( ⌒ ) ζ ( ( ) )⌒ ) ( 从へ从)_.;;:.;|Γ从Γ| |
( (( ( ⌒ )) ) 从 Σ( ⌒( 从へ从) ∠____/|
Σ (( ( ⌒ )) ) )(( ⌒ ( 从へ从) .;".;:;|サトームセン | |
(( ⌒ ( ( ) )⌒ );:; .;".;": ..;.;".;":|从ΓΓ |
479 :
名無し娘。:2001/07/10(火) 13:49 ID:BSDzrW.2
何かあるかも知れないので保全
480 :
名無し娘。:2001/07/11(水) 08:27 ID:y79Z6Ztk
何か
481 :
aa:2001/07/11(水) 09:20 ID:FkpxLRT6
482 :
名無し娘。:2001/07/11(水) 14:02 ID:ZU20ATuQ
なにが…
483 :
名無し娘。:2001/07/11(水) 18:47 ID:joPZgNKk
何か
484 :
名無し娘。:2001/07/11(水) 23:51 ID:fREwyjYY
何か
485 :
名無し娘。:2001/07/14(土) 00:45 ID:uUPTJGlU
何か・・・
486 :
名無し娘。:2001/07/15(日) 08:21 ID:jFYgqTEc
何か
487 :
名無し娘。:2001/07/15(日) 08:22 ID:aSusPx.w
ナニが
488 :
名無し娘。:2001/07/17(火) 00:20 ID:jvgOu61M
なにか
489 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:05 ID:uaEx6CSM
名作集板のオムニバス短編集に2作ほど書こうと思ってたんだけど、
2作目が締め切りに間に合わなかったんで、このスレを使わせてもらう。
タイトルは「desert-room」。今回書くにあたって、「Manslaughter」の
最終話にあったような不自然さが出ないように気をつけてみた。
ていうか、まだこのスレを見てる人がいるんだろうか。
>479-488(保全?ネタ?)を見る限り、2〜3人はいそうだけど。
490 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:06 ID:uaEx6CSM
オブジェのように歪んだ壁でできた、迷宮のような廊下を歩いている。
廊下の幅は妙に広くて、まるでこの廊下そのものが一つの部屋であるかのように思え、
私は途方に暮れた。ふいに聞こえてきた嬌声に目をやると、廊下に埋め込まれた鏡の奥で、
鮮やかな緋色の着物を着た女が二人、身をひねり、袖を振って笑っているのが見えた。
艶やかな紅を差し、濡れたような唇をしている右側の女の顔は、どこか見覚えがあるような気がした。
――同じ部屋の子だったかな……
ぼんやりとした頭の片隅で一瞬そんな考えが浮かんだが、何が「同じ」なのか、
どこの「部屋」なのかもすぐに分からなくなってしまう。
491 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:07 ID:uaEx6CSM
――記憶の保存をしておかないと、こんな時に不便なのよ……
ずきずきと頭が痛む。
天地まるで関係なく廊下のあちこちにある鏡たちは、二重三重に合わせあい、
反射しあっているので、私は彼女達が本当はどこにいるのか、全くわからない。
しばらく眺めているうちに、二人の女の姿はゆっくりと歪み、やがて消えてしまった。
きっと、廊下のどこかにある鏡の位置が移動したのだろう。
その時、廊下の奥から、私を呼ぶ声が聞こえた。
『砂漠の間』に行くようにと、その声は私に伝えている。
492 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:08 ID:uaEx6CSM
そこで私はようやく、この奇妙な回廊が、待合場所もかねているのだということを思い出した。
私は『訪問者』を迎える仕度の途中だったけれど、廊下のどこかにある鏡に映し出された私の姿を見て、
誰か『訪問者』の指名が入ったのだろう。
私はちょうど右側に現れた鏡を覗きこみ、そこに映る自分の姿を確認した。
水浴びをしたばかりのしんと冷えた身体は柔かな白いローブに包まれており、
肩の辺りまで伸びていて普段は下ろしている髪も、同様にして白い布で纏められている。
その顔は、髪などで隠されるところが何一つないせいか、いつもより少し幼く見えた。
「このままでいいんですか?」
私がそう問うと、『訪問者』がそれを望んでいるのだと鏡の中から答えが返ってきた。
変わった人だなと思い、次いで私はその人を知っているかなと考えた。
493 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:09 ID:uaEx6CSM
私には常連である『訪問者』が多いらしいのだが、私は人の顔を覚えることをしないし、
記憶を保存しておくことも滅多にないので、いつもはそういったことに気を止めることもない。
だけど、何故かこの時は、それがひどく気になることのように思われた。
『砂漠の間』で、わたしは『訪問者』であるその女性を迎えた。
彼女は、一言も喋らなかった。
だから私も、一言も喋ることなく、ただ彼女に身体を任せた。
『砂漠の間』は文字通り砂で埋め尽くされた部屋で、熱した身体に、さらさらとした細かな粒子が心地よい。
彼女に抱かれながら私は、この前『砂漠の間』に入ったのはいつだっただろうと考えたけれども、
やはり思い出せなかった。ただ以前にも、このような砂の上で、誰かに抱かれたことがあるのは確かなことのように感じた。
494 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:10 ID:uaEx6CSM
砂はただそこにあり、私達の全てを受け止める。
音も感覚も――そのもっと奥にあるものさえも。
私は、二人が、いつしか砂に溶けてしまうのではないかとぼんやり思った。
「白い砂だ……」
右手に握り締めた砂をさらさらとこぼして私がなんとなく呟いた時、
「海の砂だからだよ」
私を抱きしめたまま、彼女がふいに耳もとで囁いた。
それは意外なほど低く、芯まで響くような声で、私の身体はほんの少し震えた。
「海の砂?」
横たわったまま眼差しだけを動かして私が問うと、
「そうだよ。梨華はいつも決まってそれを聞くよね」
彼女はそう言って、やはり低い声で小さく笑った。
「そうなの?ごめんなさい」
私はつられて微笑んだあと、小首を傾げて彼女の言葉を反芻した。
495 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:10 ID:uaEx6CSM
梨華――そうだ、梨華。それが、私の名前だった。
私は今まで、自分の名前も記憶には保存していなかった。また、その必要もなかった。
「私がね――私が、砂の色を変えてるんだよ」
彼女は、ぽつりとそう言って、目許だけをほころばせながらもう一度微笑んだ。
――どうしてだろう。何故だか私は、ひどく悲しいような気持ちになった。
「ごめんなさい。私、記憶の保存をしないものだから……」
やっとのことでそう言うと、彼女は砂を握ったままの私の右手を掴んで、そっと自分の頬に寄せた。
496 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:11 ID:uaEx6CSM
「この白は、無機物の色じゃないんだ。月光の下で眠る、珊瑚の死骸の色なんだよ。
――海の、もうひとつの色ってところかな」
微笑んだまま、彼女は私の右手を静かに開いた。
真っ白な粒子が、柔らかい笑みを湛える彼女の、その頬に音もなく降り注ぐ。
私は苦しいくらいに息を詰めて、ただただその光景を見つめていた。
「だけど、このことは忘れていいよ。――いや、忘れてほしい」
彼女がそう言った時、私は頷くことしかできなかった。
自分が涙をこらえているのだということに私が気がついた時、彼女は目を閉じて囁くように言った。
「――ありがとう」
そうして彼女はもう一度、私を抱きしめた。
497 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:21 ID:uaEx6CSM
――何か、悲しい夢を見たような気がする。
目覚めると、彼女は身なりを整えて、部屋を出ようとしているところだった。
「また来るの?」
私は自分の上に掛けられたままの彼女のコートを無意識に握りしめながら、
砂の上に上半身だけを起こして、そっと訊いた。
彼女は黙ったまま私の額に口づけて、そうしてほんの少し微笑んだ。
私は何か言おうとして――結局、何も言うべき言葉は見つからなかった。
ただ、涙が出た。
だけどその時――
498 :
憂。 :2001/07/18(水) 15:24 ID:uaEx6CSM
「――ひとみ……ちゃん……」
まるで自分の唇が自分の意志から切り離されたように、震えながらその名を紡いだ。
――私は何を言っているんだろう。私は己の名前さえ記憶に保存していないはずなのに。
目の前にいる彼女の笑顔が薄くぼけ始めたのは、涙のせいだろうか。
うつむいて瞬きをし、また顔を上げると、そこにはもう何もなかった。
――もう、何も。
私の眼から音も無く零れ落ちるその水滴は、足元の乾いた砂に吸いこまれ、やがて消えた。
【終】
499 :
名無し娘。:2001/07/18(水) 22:40 ID:FnK6f0i6
おぉ!!復活してる!!
500 :
名無し娘。:2001/07/18(水) 23:10 ID:7QD3SB9M
待っててよかった
501 :
名無し娘。:2001/07/19(木) 00:00 ID:HlYBVzXQ
公文式
502 :
名無し娘。:2001/07/19(木) 01:53 ID:tq9QXcf.
>>501 小説見て切なくなったあとで笑っちまったじゃねぇかYO!
503 :
:2001/07/21(土) 06:07 ID:GDe6tY7s
504 :
名無し娘。:2001/07/23(月) 00:19 ID:iPQMI7LE
505 :
憂。:2001/07/23(月) 16:28 ID:d306eD3M
一身上の都合で、何ヶ月かネットできなくなりそう。
どんな事情でそうなるのか気になるかもしれないけど、察してやってくれ。
で、最後に置き土産代わりの小作を一つ。このスレの基本に立ち返って
吉澤の一人称で書いてみた。タイトルは「Mont-Blanc with coffee」で。
506 :
憂。:2001/07/23(月) 16:32 ID:d306eD3M
「えへへ、来た来た」
運ばれてきたモンブランに目を輝かせるごっちん。そしてオレンジジュース。
私の前にはコーヒーのブラックが置かれる。甘い飲み物はちょっと苦手なのだ。
「おいしー」
モンブランを口に含むとごっちんは幸せそうに目を細める。
「本当にごっちんって甘いモノ好きだよね。味覚が子供っていうか、なんていうか」
「……っ」
ごっちんは非難めいた目で私を睨んだ。
507 :
憂。:2001/07/23(月) 16:32 ID:d306eD3M
男には糖分が一定の量に達するとそれを受け付けなくさせるホルモンがあるの。
だけど、女の子にはそのホルモンがないから甘いモノをいくらでも摂取しようとするのね。
つまり女の子は甘いモノを追い求める生き物で、甘いモノが好きなのは至極当然のこと。
だから私が甘いモノが好きだからって子供ってことには全然ならないんだよ。
と、博識なごっちんはそう反論した。
じゃあ、女なのに甘いモノを追い求めない私はどうなるんだと思ったが、
「へー、ごっちんは子供じゃないんだ?」
私は悪戯心が湧いてわざと煽るように言った。
508 :
憂。:2001/07/23(月) 16:33 ID:d306eD3M
「だからそう言ってるじゃない。私は大人だよ」
ごっちんはそう言って胸を張る。……そこだけは、私よりも大人かな。
「だったらこれ、飲めるよね?」
これ、とは私が注文したブラックのコーヒーのことだ。
ごっちんの前に差し出すと、うっ、と呻いてその黒色の液体をじっと見つめたまま動かなくなった。
自称『大人』のごっちんは砂糖とミルクを最低5杯以上入れないと飲めない。
根っからの甘党の人間がブラックなど飲めるはずもなかった。
509 :
憂。:2001/07/23(月) 16:35 ID:d306eD3M
カップとにらめっこをしたままのごっちん。
今、彼女は意地に負けるか、意地を通すかのジレンマに陥っている。
そんなごっちんを見ていると、少しやりすぎたかもしれないと思った。
「無理ならいいって」
「飲むっ」
意を決したようにカップに口を付ける。
そしてコクッと喉を鳴らすと「うげぇ」と舌を出して顔をしかめた。
「くくく」
思わず笑ってしまった。
「ぶー」
ふてくされてモンブランを口に運ぶごっちん。
510 :
憂。:2001/07/23(月) 16:36 ID:d306eD3M
「おいしー」
瞬く間に目を輝かせ、機嫌が治る。甘いモノは人を幸せにさせるのかもしれない。
「もう分かったって」
私は苦笑混じりに言うが、ごっちんはぶんぶんと首を振って口をとがらせた。
「違うの。コーヒー飲んだあとにモンブランを食べるとすっごく甘くて美味しいの」
「へ?」
ごっちんは私の疑問をよそにコーヒーを飲み、モンブランを食べ、「うげぇ」と「おいしー」を交互に繰り返した。
苦みが生み出す甘みの倍加効果だね、とごっちんはブツブツ言った。
つまりコーヒーの苦みがモンブランの甘みを引き立てるということらしい。
たまに見ているという教養系番組で得た知識だろうか。ごっちんの目には好奇心のようなものが宿っていた。
511 :
憂。:2001/07/23(月) 16:37 ID:d306eD3M
ほら、去年一緒にすいか食べたじゃん。そのときに塩をかけたよね?
苦みとか辛さとかしょっぱさっていうのは甘みより伝達が速いから
時間差で甘みがあと味として残って強烈な印象を残すんだよ。
んー、コーヒーもいいかもしんない。
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512 :
憂。:2001/07/23(月) 16:38 ID:d306eD3M
「あー、美味しかった」
モンブランを食べ終えたごっちんは満足げに微笑む。
そしてコーヒーカップも空になっていた。
「……一口しか飲んでないのに」
「あ、ごめん。オレンジジュースあげるから、ね」
ごっちんはストローで少し飲んだあと、私の方にグラスを押しやった。
「……ジュースは苦手なんだって」
そうは言ったものの、喉が乾いているのでグラスを受け取ると、
「コーヒーとモンブラン」
「え?」
「私たちも、美味しくなろうね」
頬杖をついて上目遣いにこっちを見るごっちんに一瞬、ドキンとする。
513 :
憂。:2001/07/23(月) 16:39 ID:d306eD3M
慌ててオレンジジュースをストローでズズズと飲むと、
それはやはりひどく甘く、じんわりと口に残った。
「間接キス」
ごっちんは呟く。
「けほっ」
ゲホゲホと咳き込む私を、悪戯げな瞳が捉えていた。
【終】
514 :
名無し娘。:2001/07/23(月) 16:41 ID:8TuOOeyg
(゚д゚)ホノボノー
>>505 また帰ってこいよ
何だかなあ。内容的には悪くない気もするけど、このスレでは浮いてしまう。
今回は『ホラーが苦手で今までこのスレを敬遠してた人』に読んで欲しいね。
逆に今までこのスレを読んでた人には物足りないかもしれないけど、
まあ、せっかく最後だし、和んで終わるのも有りかな、と。
明日ぐらいまではなんとかチェックできると思うんで、
このスレのどの作品でも、読んだ人は何か一言でいいから感想を書いてほしい。
516 :
名無し娘。:2001/07/23(月) 22:45 ID:sjYfaNvU
やっぱり一作目の「Difference」はすげー良かった。
なんて言うか、読み終わった後の心地よい脱力感ってやつ?
あの感覚は今まで感じた事無かったな。
兎に角このスレのお陰で何ヶ月かいい思いさせてもらったよ
ありがとう
517 :
名無し娘。:2001/07/24(火) 06:52 ID:OnjXd3M.
今までに2、3レスしかしてないけど、スレが出来た瞬間からずっと毎日読んでました。
最後のも含めてみんな大好きですが、何故か2作目の「Whirlpool」が一番印象に残ってます。
作者さんが何ヶ月後かに復活したらまた他の作品も読みたいな。
518 :
名無し娘。:2001/07/24(火) 08:32 ID:a47PEftw
「Manslaughter」は、なにかこう、凄まじいものがありすぎたけど、
たぶんあなたしか描けない、狂気と優しさがあったように思う。
ほんとうにありがと。楽しませてもらいました。
いつかまた出会えることを期待します。
む?
この最後のやつどっかで見たことあるんだけど・・・
気のせいかな?
520 :
憂。:2001/07/24(火) 22:52 ID:IJlhyDYQ
感想ありがと。今度復活する時にはもっと面白い小説書けるように頑張るよ。
いつかこのスレが倉庫逝きになったら、暇な時にでも最初から最後まで読んでもらえると、
このスレ全体が一つの作品みたいに感じられてまたおもしろいんじゃないかと思う。
それじゃ、個人的に一番好きなセリフで締め括らせてもらうよ。
「アロピャー」
【終】
521 :
名無し娘。:
「Manslaughter」が好きだった。
最初は話の展開にビビりまくったけど、
最後の方でたまに見せる、後藤の人間味に
はまってた・・・(あの後藤が人間かどうかは判らないけど)
「アペニャー」これではまった。(w