●●【富士銀行とは一体何であったのか】PU●●

このエントリーをはてなブックマークに追加
117名無しさん
>>20 >>22
1984年頃だと思う。(85年はプラザ合意の年で、後は色々言われているとおり)
課長級止まりの男だが、いつも真面目に努力してきたつもりだ。
昭和59年平社員だったが、ビデオニュースで個人預金増加週間トップ10を始めた時、
行きつく所まで来たかと感じた。大店のせいもあっただろうが、支店長は殿様。副支店長(次長)は何時も支店長の顔色伺い、
宴席・毎週末ゴルフセットに懸命だった。
バブルの時は個人預金目標が桁違い。似非個人預金嵩上げ手法に狂い、様々な弊害を引起こした。
平成元年の年末仕事納めの日には、本部から期中収益目標10〜15%アップのプレゼント。
支店長から正月の間にプラン立てろとの命。その時の支店長も、役員・本部・顧客にはイイ顔し、部下には徹底的にプレッシャーで締め上げた。
不連続への挑戦とかで、オフバランス収益・流動性/個人預金・デリバ・Fライン・Fカード・カードローン・住活ローン・アパートローン・トゥモロー等々
まともには達成不能な超べらぼうな目標。Fラインとか住活ローンが究極の商品とか言い、その後始末にどれだけ苦しんだことか。(顧客は当然・・)
バブル崩壊後、信じられないようなオゾマシイ事件が発覚したが、本部の管理は一体何だったのか。
収益至上主義の反省・オーソドックスなサウンドバンキングを目指すとしたが結局・・・・。
尊敬できる上司も居たのは幸いだったが、その人達は納得できない命令には従わないから、役員にはなっていない。
私は地方回りの全国旅から旅へ。P店制覇した店など悲惨だった。大事なFファンも痛めており塗炭をなめた。
(きりがないから、ここで止める)
週明け詳細説明があろうが、リストラ・給与カットは当然と思う。痛いが家族も理解できるだろう。
<真の>合理化を果敢に進めてほしいが、一番望むのは経営迫力。選ばれた人達に、高度な尽力祈る。
下々も銀行員・人間・職業人として使命感に燃える納得できる良い仕事は、いくらでも、やりたい。
組織に誇りを持ちたいし、日々、本当に心から渇望しているのだ。