協和銀行とは一体なんであったのか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
68名無しさん
さくらとあさひの合併構想は知りませんでした。
もし実現できていたら、有人店舗数だけでも1000拠点を越える事になりますよね。

勘定系システムだけで言えば、太陽神戸三井が発足する時、富士通系の太陽神戸
とIBM系の三井でかなりひと悶着があったそうですけれど、同じくIBM系のあさひ
が加わっていたら、行内の人事関係も含めて想像もつかないほど変わっていたに
違いないのでしょうか。

三井ですけれど、合併戦略にはつくづく縁がありませんでしたね。
帝銀時代に袂を分かちあった事、戦後もGHQの指令とは言え、東京銀行から資産
や店舗と共に職員の移籍があったものの、大半の東銀マンは三井の水が合わなく
てまた東京銀行に出戻ってしまった…戦後の混乱期と言う事もあるし、50年以上
も前の事とは言え、当時の東銀の本部もやむを得ず復籍させたそうですけれど。

かつて東銀が合併相手を探している時にも、上位行の三菱ではなく、同じ中位行
の三井との合併の方がきっとうまく行く、規模的にバランスも取れているから、
それこそ相互補完になるのに、と不信がられたそうですが、歴代の頭取は伴侶と
して三井の事だけは頭になかった、と述懐していると聞きましたが、そういうもの
なのでしょうか?