【・∀・】ボクノ クニダヨ ヨットイデ!【・∀・】

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156こんな理由でsage
87 名前:( ´∀`)さん 投稿日:01/09/03 17:30 ID:vKNU/rJ2
受け難き人界に生を受けながら、絞壇の露と化し去る程憐れなる最後はなきものである。
されど明治昭代の恩沢により、諄々教誨の下に転迷悔悟し、自己の罪悪を認むると同時に、帰仏懺悔の本心に住し、出離得脱の要路を諦らめ得ることは、不幸中の幸福である。
既に客月廿七日名古屋監獄に於て死刑の執行を受けたる、1は、幼少の時は普通の家庭の内に生育を受けたるも、
教育は尋常三学年を修了したるのみ、宗教は真宗西派に属すと雖も、平素仏教を聴聞したことなかったのである性質は至て頑固の方であった。
其の長兄は家督を襲きたるも破産して父を置き去り、所在不明となりて至る。
次兄二人は何れも病死し、止むことなく、四男の1が其後を襲きて、父を扶養する任に当ったのである。
然して1は、妻との間に一男二女を挙げたるも、家政不如意の為め、昨四十三年五月廿日より、飛騨の国、茂住郵便局の配送人に雇はれ、家族五人を其郷里に残留し、単身其職に従事し、
得る所の俸給月額拾壱円を以って、一家の生計を営み来りしも、到底収支償へ兼るに由り、
是非其家族を寓居地に引越さしめん為め、書信を発するも応ぜざるより、郷里に連れに行き、同意を求める為めに、日子を費したるところ、
同年六月七日、郵便局に於て解雇して、他の人を雇い入れて、遂に其職を失ふ所の悲境に陥りたれば、
之れ全く1の老父が郷里に恋着して、移住を肯せざりし結果に由るものとし、深く同人を怨みつつ、
同月十日帰郷したる折柄、妻の言に依るに、夫、1の不在中に他家の贈与に係る、牡丹餅を三人の子女には毫も分けずに、老父が全部を喫食せりと、
之れを聞きて倍々憤り老父と口論の末、老父は盲目にして七十余歳の高齢に達し、自己も亦た生計不如意の悲境に陥れるより、寧ろ老父を殺害して、之が扶養の煩累を免かるるに如かずと決意し、
同夜十二時頃家人の熟睡を窺ひ、藁打用の木槌を以て、自宅階上の寝所に在る老父の面部頭部を乱打し、同人をして脳震盪症を発し、脳麻酔に陥らしめて、殺害したのである。


88 名前:( ´∀`)さん 投稿日:01/09/03 17:31 ID:vKNU/rJ2
然に1は入監以来、累々教誨を加ふるに、頑冥にして是非を悟らず、妻子を恋想する情は最も切にして、常に死刑を免れんことを哀願すと雖も、控訴も上告も再審の訴も悉く棄却となりたれば、
倍々煩悶の状態に陥り、口に殺したることなしと主張し、心には殺したる覚へあるゆへ死刑を恐怖する念厚く、或時は裁判を不当なりと叫び、或時は寧ろ自ら死するに如かずと、種々の狂態を演じたるも、
熱誠なる教誨は遂に其迷情を破り、心機一転せしめて、自己の罪悪を悔い、帰仏懺悔の本心に住するに至らしめたり。
爾来居房に於ても、珠数を持て、念仏を怠らず、又仏教書を精読して、父母の命日には必らず読経を願ひ出でたのである。
然して死刑執行の当日には、先、教誨室に於て法名(釈順諦)を授け最後の教誨を加へたるに、初め大に転倒の状態を呈し、顔色を失つて云はく、
「死刑執行は一週の延期を願ひます、今日執行になりては困ります」、
と切に教誨師の袖に縋りて泣き泣き頼む、其有様は目も当てられぬ、状態にて愍れと云ふも愚かなりけりである。
されど教誨師は之を忍びて、教誨に力を尽したる結果は、其苦悶の迷闇忽ち仏陀の慈光に打破られて、罪を仏前に謝して合掌礼拝し、称名念仏の声を発するに至りたり、
稍暫くありて詠み遺したる辞世の歌は、「世の中を一夜の夢とあきらめて、弥陀の浄土に詣る嬉しさ」の一首である。
然して更に情願するには、自己の罪悪は心が為したので、手や足は心に使はれたまでのことなれば、罪はないのであるから、死後は此手と足を病院に於て、世の中の手足なき不具者に、接き与へられて、社会有用の人になる様に致して下されとの願書と、
典獄へ宛てたる礼状を書き認めて、其より更に仏前に合掌礼拝し、法名を胸間に挟み、手に珠数を爪繰り、口に仏名を称へつつ、刑壇に赴きたるさま最も憐れにも殊勝なりし。
頓かて刑場に着するや、新菰の上に端坐して、謹んで執行の言渡しを受け、遂に絞壇に歩みを進み、僅か十五分間にて、空しき露と化し去りたり。
惟ふに斯の如き逆罪を犯したる者も世に稀なる所なりと雖も、犯罪の由来するところは、失職に在りと認むる時は、実に可憐なる不幸児と云はざるべからずである、
吾人は社会政策の急務として、貧民及失職者に職業を授くる途を構せられたく訴へて止まさるに至るも、亦た偶然ではないのである。