蟹細胞についての考察など。(雑文)
・彼の行為。
サーバーに過度な負荷をかけた。
・彼の行動目的
実験。
詳細:「規制報告禁止」とされている板への意図的な攻撃で規制は発動するか否か。
・結果
彼が永久規制された。
・実験の成否
成功。
・今後の課題
如何にしてAA板を運営の目をすり抜けて潰すか。
・おそらくこれから行われるであろうと予想されること。
雑談系スレ(某スレや某スレや某スレや某スレ等に記載されている
やられたら嫌(だと云う人が居る)な行為を徹底して行う。{詳細は隠蔽、若しくは後述})
○▲□◆最重要●△■◇
・ルールを制定し、とにかくAAを描く上での制限事項を設けそれに触れるものを
「排除」及び「拒絶」する。また、「排除」及び「拒絶」される側にも悦んでなる。
・そうして「排除」及び「拒絶」される者を増やし、『不適合者』を生み出す。
『不適合者』は別のスレを建てる。そうすることで『自発的に』カテゴライズ(分類)を促進する。
・また、巧い・上手いコテハン(AA描き)を「神格化」し下手・801的なAA描きを陥れる。
そうすることで加速度的にコテハン間の交流を絶つ。(自分は比較的楽な役目である「厨コテ」を演じればいい。)
・次の段階として、職人同士の馴れ合い、職人とギャラリーの馴れ合い、スレ間の交流を
「ウザイ」という一方的な我侭(社会正義)を以ってタブー化し、【孤立】させることを目的に行動する。
上記の事を行なえばまず、間違いなく創作活動であるAA系の板は潰れるであろう。
創作活動にとって現実社会(ルール)は対立関係に位置する。
創作活動はすべからく妄想の上に成り立っている。どんなにリアル(現実的)に描こうとも
それは妄想である。若しくは過去に起こったこと(現実・非現実を含む)の模倣でしかない。
そして、創作活動(妄想)は過程が重視され現実社会は結果が重視される。
どんな崇高な理念や理想を抱いていたとしても結果が伴わなければ歴史からは埋葬される。
これは歴史の授業を受けたものならば説明するまでもないだろう。
さて、話は更に逸れるが、2ちゃんねるの変革は「社会性の承認」とそれに伴う「金銭(社会)」
の介入ではないだろうか。「非現実世界からの離脱」それはそこに居るものの変質を要求する。
そして其の「変質」に感化されたものは現実(死)を突きつけ、昔からの論理(不死)を信仰する
という歪みにより自然発生的に対立関係を生む。だが奇異なことにこの対立関係には商業的なものは存在しない。
故にもっとも不条理であり、この「現象」は万人にとって大変興味を引くものと成り得る。
また、持ち込まれる現実の中に「編集」が存在するが、「編集」の仕事は作品の99%を排除することである。
「編集」を行なうことにより、万人が見るに耐えうる作品を提供するわけだが、起因は「お金」である
だが、2ちゃんねらーは発言(情報)に関する全ての権利を「建前」として放棄している。
ある尊敬するAA職人が言っていた。AAは無料だからいい、と。だがこれは少し違う。
我々が対価として払っているものそれは「時間」である。その代償として無料で有益な情報が提供されるシステムだ。
「時間を掛けない情報」それは陳腐であり無価値だ。なによりつまらない。其の逆は言うまでもないだろう。
さて、話を元に戻そう。
何、ひとつの提案だ。作りながら貼るのは禁止という「タブー」を取り払えばいい。
「割り込み」は既に禁止されているのだ。なにも問題はない。
AAならではの面白さ。それは絵本を1ページずつめくるといったドキドキ感にある。
つまりリアルタイム時だ。つぎに何が起こるかわからない。そんな感覚が常に最高潮である。
だから感情移入しやすく一過性の感動が高まる。
こんな経験はないだろうか。とても面白かった作品を後から読み返すと、なぜかつまらなかったことが。
それは情報が生き物で。そして我々は新しい情報を常に欲するようになっている。
それが叶うものがAAである。だから傍で見ればいかに稚拙でも感動できるのである。
「稚拙」という言葉に憤りを感じた方には素直に謝罪したい。
しかし感動できることは感受性の高まりであり非現実世界に於いては恥ずべきことではない。
だがルールが変わりつつある。「現実」が侵食しているからだ。
「日本の世間社会は異質を認めない。」
そして異質者はさらに異質者を排斥する。
とまあ、ここまで戯言に付き合っていただき深く感謝する。
ただ自分は只管に他人の下を目指そう。それがこの板の自治と信じて。