http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140914-00000510-san-soci 産経新聞の連載小説『アキとカズ』は、ついに双子の姉・アキが24年ぶりに樺太から祖国・日本へ帰国を果たす。
ソ連(当時)からも日本政府からさえも忘れられた樺太の日本人の存在を知らしめ、
固く閉じられた“鉄の扉”をこじ開けるきっかけとなったのは、アキがソ連の最高権力者・フルシチョフ宛てに打った一通の電報であった。
このエピソードは大筋「実話」である。アキのモデルのひとりである堀江和子さん(平成19年、80歳で死去)が、
やむにやまれず打った“捨て身の作戦”。
『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか』(草思社)著者、新井佐和子さんは、この時の堀江さんの思い切った行動がなければ、
いまだにサハリン(樺太)に残っていた人々は帰れなかったかもしれない、としている。
さて、このとき(昭和32年〜34年)、物語のアキと朴大成(パク・デソン)のように、ソ連は、日本人と
「日本人の配偶者である朝鮮人」の帰国は許したものの、それ以外の朝鮮人の引き揚げは依然、認めなかった。
彼らの多くは出身地の「韓国」への帰国を希望しており、激しく対立する北朝鮮への配慮から、ソ連が頑として出国させなかったからである。
この問題が“自虐的な日本人”にあおられて、1990年前後になってから本格的に外交問題化してしまう。
曰(いわ)く、「日本は戦前から戦中、4万3000人もの朝鮮人を樺太に強制連行した上、
戦後、朝鮮人だけを置き去りにした。日本政府の責任において故郷へ帰せ」というものである。
物語の中でも再三、書いてきたが、「強制連行」も「朝鮮人を置き去りにした」こともまったく事実ではない。
そして、いまだに語られる「4万3千人」という数字が戦後、“偽造された大ウソ”なのだ。
戦後、樺太に残された朝鮮人は多く見積もっても約1万5千人。ところが、樺太を実効支配したソ連の政策によって、
戦後になり、中央アジアの朝鮮族や北朝鮮から「新たな朝鮮人」が樺太に移住してくる。
当然のことながら、戦後やってきた彼らは日本と何の関係もない。
だが、この問題が外交問題化し、日本が「道義的責任」から支援を余儀なくされると、どういうわけか「彼ら」も支援対象に紛れ込み、
『4万3千人』という数字が独り歩きしてしまう。オメデタイのは、日本政府がこれまでに約80億円もの巨額の支援をさせられながら、
彼らの出自を精査した気配がないことだ。
かつて、外務省の担当者が「これぐらいの金額なら…」と放言したことがあった。
つまり、この程度の支出で韓国が文句を言わないでくれるのなら良いのではないか、という意味である。
日本と縁もゆかりもない朝鮮人に支払われ続けた80億円の血税は“はした金”なのだろうか?
これこそ「事なかれ主義」の日本外交の象徴であろう。(『アキとカズ』作者、喜多由浩)