【オレ】ガレージキットで食って行きたい3【天才】

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633中島 敦 「山月記」
中国の唐の時代の話。
李徴は自他共に認める秀才であるが、人を見下す傲慢な性格であった。
彼は科挙の試験に合格し官庁勤めの役人になったが、秀才である自分が愚劣な上官の
命令を仰がなければならない身分であるのに嫌気がさし、さっさと辞めてしまう。
その後彼は、詩人として後世に名を残すべく詩作に励むのだが、いっこうに上手く
いかず、妻子ある身で生活にも困り、ついに地方役人に再就職する。
だが、もともと順風満帆だった頃にも役人勤めの出来ない性格であった彼が、
地方の下っ端役人など出来るわけもない。昔の同僚達は、いまやはるか上の官職に着き、
彼が軽蔑していた連中がこぞって栄華を極めている。自尊心の強い彼においての
そのストレスたるや、計り知るに余りあるだろう。
ついにはストレスが嵩じて、彼は夜間に発狂して闇に姿を消してしまう。結局、捜索しても見つからなかった。
634中島 敦 「山月記」:04/06/14 15:30 ID:0BVAe5UZ
それから数年後。
袁*(えんさん)は勅旨として行列をなして旅をしていたが、その途中の村で人食い虎が出没しているという話を聞く。
彼は意に介さず、夜が明けきらぬうちに出発するが、はたしてその虎が、彼の目の前に現れ、
襲いかかろうとした。が、その瞬間、虎は慌ててまた元の茂みの中に姿をくらました。
虎が姿をくらました茂みの中からは「あぶなかった、あぶなかった」と独り言をいう声が聞こえる。
袁*(えんさん)には、その声に聞き覚えがあった。行方不明の親友の李徴のものである。
袁*(えんさん)は茂みに呼びかけてみた。すると、茂みからは李徴の返答が返ってきた。

李徴が語るところによれば、その人食い虎こそが李徴である。
李徴は、虎の姿になってしまった自分を恥じ、茂みからは姿を現さずに話をしつづける。
635中島 敦 「山月記」:04/06/14 15:31 ID:0BVAe5UZ
周囲の者が、李徴が発狂したと考えた夜、彼は何者かに呼ばれるような気がして外に走り出し、気付いたときには虎になっていたという。
以後、次第に意識までが人間から遠ざかるようになりつつあり、今では日に数時間だけ 人間としての意識を持つに過ぎない。
彼は、虎になって初めて自己反省をした。彼は、己の心の獣が、己の姿までも獣にしてしまったと思い至る。
親友袁*(えんさん)との再会において、彼はその鬱懐と後悔の念を大いに語り、心情を吐露する。
また彼は、人間であった頃に作った詩数十編を友に告げ、即興の七言詩も詠んだ。

偶因狂疾成殊類
災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵
当時声跡共相高
我為異物蓬(莽のうえ+矛)下
君已乗(車+召)気勢豪
此夕渓山対明月
不成長嘯但成(口+槹のみぎ)

偶、狂疾に因りて殊類と成り
災患、相仍りて逃る可か不らず
今日の爪牙、敢えて誰か敵せん
当時の声跡、共に相高し
我は異物と為る蓬(莽のうえ+矛)の下
君は已に(車+召)に乗じて気勢、豪なり
此の夕べ、渓山の明月に対し
長嘯を成さ不に但(口+槹のみぎ)をし成す
636中島 敦 「山月記」:04/06/14 15:32 ID:0BVAe5UZ
別れに際して彼は、親友袁*(えんさん)に、虎になってしまった自分の姿を曝す。
彼は、鬱懐を込めるように咆哮すると、再び茂みへと戻っていった。
637HG名無しさん:04/06/14 15:37 ID:0BVAe5UZ
以上>633-637
http://www.acs.ucalgary.ca/~xyang/sagtk.htm
http://www007.upp.so-net.ne.jp/sanmon-bunshi/meisaku/sangetuki.html
上記2つからの引用です。

人間が、たった一人で生きていくのではなく多くの人間の中にある場合、他と自己の相対において、自己の位置を測る。
その現れが虚栄心であったり自尊心であったり優越感であったり劣等感であったりするわけであるが、
それを前面に押し出せばコミュニケーションは成り立たないであろう。まさに、虎になる前の李徴はそうであった。

コミュニケーションもクソもあったものではない。他人が全てバカに見えるわけで、
これではコミュニケーションを図ろうという気さえ起きないであろう。
自然、組織の一員として活動するには無理が生じる。
しかし、妻子のためにも2度目の職は投げ出すことが出来ない。
負の情念を押さえ込み、下級役人として日々の糧を得るためのくだらない労働に従事する。
しかし負の情念は、押さえ込めば押さえ込むほど大きく成長していき、ついには李徴本人を飲み込み、彼を虎の姿に変えてしまう。
虎になって、彼は一人になった。たった一人になったとき、他との相対における自己は消滅する。
このとき初めて己の負の情念の大きさと深さに気付き、その負の情念によって虎になって
しまったであろうことに思い至る。そして、負の情念によって全てを失った自分に気付くのである。

この、人間ならば誰にでもある負の情念を、負の情念に押しつぶされた男の口を借りて
切々と描いているのが「山月記」であり、人はこの李徴の負の情念を己の中に発見し、戦慄するのである。